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ゴールデンウィークでしたね。
いかがお過ごしだったでしょう。
Hは父の三回忌のため、実家にかえり、のんびりと過ごしてきました。
二週間ほど親元に帰り、冠婚葬祭で集まった親戚のかたがたと過ごし、 北の大地で夫と息子の三人で過ごした時間には、なかなか思い出すことのできなかった血の繋がりをしみじみ 感じて帰ってきました。
核家族で異郷(?)に暮らしていると、縦の血の繋がりは認識しても、横の血のつながりには非常に疎くなってしまいます。父の三回忌に集まった父の弟たちは、あまりにも父そっくりで。父が生きていたころにはそんなこといちいち考えもしなかったのに、親戚の顔に父の顔を見ます。
現代人の生活は近所づきあいが薄まり、冠婚葬祭や親戚との付き合いを嫌がる傾向がありますが、そうやって進んでいって、その未来に何があるんだろう、とふと思います。独居老人の孤独死ぐらいしか浮かびません。
近所づきあいも、冠婚葬祭も、わずらわしい親戚とのお付き合いも、無駄なものかもしれないけれど、そこにきっと意味があるんだと思う。
ずうっと、故郷を出たいと思っていました。 恐らく、中学校ぐらいの頃から。
そうして故郷から離れた場所で生活し、それはもちろん自分で選んだこと。故郷に残るのはある意味かっこ悪いことだと思っていたし、ダサいし、田舎しかしらない人間にはなりたくないと思ったし、わずらわしい親戚なんか大嫌いだとも思った。
たぶん今その頃に戻ったとして、わたしはやはり故郷を出る選択をすると思う。
けれど、親が見た景色を自分が見ながら育ち、その風景を自分の子供が見ながら育つというのは、ある意味ものすごく贅沢な環境なんじゃないのかな、と今なら思う。
実家に帰ったときに、かつて私の見た風景を子供に見せながらそう思った。
同じように、生まれてから引越しもしないで同じ家に住み、その家で親を見送り、そして自分の子供が育ち、やが孫が育っていき、時間の流れとともに老い、病に倒れていくっていうのも、奇跡に近いぐらいの幸せなんじゃないのかなとも思う。
そういう生き方も幸せの一つ、いやもしかしたら、下手に都会に出てしまうよりも、 もしかしたらずうっと幸せなのかもしれない。それで生活ができるなら。
たぶん、その環境にいる人はその幸せに気付かないだろうけれど。外に出て、一から自分で何かを築き上げていくのもしあわせかもしれない。でも、守り、次の代に伝えるという幸せも間違いなく存在すると思う。
黄金週間に実家に帰り、その地が黄金の大地に見えたHでした。
北海道に帰ってきてあまりの寒さに震えたのはいうまでもありません。やっぱり北海道は寒い。雪も多いしもういやだ。
嗚呼。生まれ変わったら。できれば東北に生まれることなく、そのうえ何が楽しくてより寒い北海道に住むことのない運命を、神様お願いします。
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