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伊周と隆家は終りだ勘違い為時 淡路守 下国→越前守 大国源国盛と交代 漢語が得意な者 宋人型破りな親子苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼まひろの文字築地塀が壊れている 22恋焦がれた殿御 呪詛 詮子 高階成忠中宮参内 懐妊十二月の理由遠流 大宰府 出雲 検非違使斉信 参議 実資 靴定子 髪を下ろす「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
May 24, 2024
新楽府良き婿さま 清水寺租税1/4免除帝は民を想う御心あってこそ帝たりえる蛍 四人行成を使う目指すもののためにはその誇りを捨て去ることができる日記秋の除目 大臣を除く中央官人の任命春の除目 受領など地方官人の任命源俊賢 参議 実資 権中納言行成 蔵人頭若狭に宋人70名また申し文の季節 10年まひろ登華殿へ 画鋲 会いたくなってしまった 塗籠へ 「枕草子」正六位上 前式部丞 蔵人 藤原為時の娘夢 宋の科挙 低い身分の者でも試験に受かれば官職すべての人が身分の壁を越せる機会のある国下々が望みを高くもって学べば世の中は活気づき国もまた活気づきましょう大国の国守は五位 伸るか反るか身分の壁を乗り越える一条殿 あの者が男であったら、登用してみたいと思った従五位下に叙す 右大臣様からのご推挙赤い束帯 宣孝に拝借 琵琶の弦が切れるお忍び矢を射る 長徳の変「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
May 16, 2024
唐の酒打てば響く良い女唐物の紅出すぎものの中宮右大臣道兼を関白もっと人望を得られませ救い小屋を公の仕事 疫病 天然痘こんな悪人が七日関白琵琶を弾くまひろ大納言以上の公卿は死に絶えた伊周か道長かお菓子のおすそ分け螺鈿細工の厨子あの人、人気がないんだ白氏文集の新楽府 民に代わって時の為政者を糺している道長に内覧宣旨皇子を産めさわ肥前に心は移ろうものなのよ道長右大臣に 公暁のトップの座月を見るなにがしの院昔の己に会いに来たのね「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
May 10, 2024
うつろい悲田院水を呑み続ける道隆明子の子供娘を生まねば 入内 としかた疫病 救い小屋私の財もお使いください 倫子 平安時代の夫婦は別財産悲田院 どこに泊った荘子三几帳 御簾 七年前の約束 994年裳 清少納言 深い仲になったからと言って自分の女のように言わないで祈祷で寿命を伸ばせ元号 長徳次の関白は道兼の兄上 定子に首根っこ摑まれてる皆伊周が嫌い内覧 さわ 廂 簀の子 文を写すことで追いつきたい筆をとらずにいられない同じ月を見ている内裏 廂 簀の子 きょうをかぎりのいのちともがな 高子神泉苑「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
May 3, 2024
古今和歌集の写し越前からの鏡こつろほうの雪雪山道長 帝の美しさ帝の笛せんし 女院直衣 伊周まひろ いい女さわに文 火事 光が濃ければ影は濃くなる疫神貞観政要伊周 内大臣たね 悲田院疫病汚れ仕事 道兼生まれてきた意味猫 もう1人の誰か「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
April 26, 2024
気になった場面や台詞など。頭中将 公任 道兼を迎えに行く道長大学寮に合格 惟規ききょう 定子の女房におおやけが賄う道隆を諫める弓競べ不承知 石山寺蜻蛉日記取り違えは、空蝉と軒端荻「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
April 19, 2024
気になった言葉や場面など。四年定子登場 母上 椿餅 松虫文字を教えたい 自分の生れてきた意味散楽的教育正気を失う兼家彰子誕生紅い唐衣御嶽詣 派手な身なり 宣孝 明子にも子が出来た 笑顔がない明子兼家の見舞い 大宰府から帰った後、身罷りました扇 呪詛政ごと 家の存続漢詩 女の文字 陶淵明 庚申待の夜「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
April 5, 2024
気になった言葉や場面など親友できる さわ実資 北の方 亡くなる 赤痢 半分死んでおる嫡妻と妾 ならばどうすればいいのだ板目、私も見てみましょ 泣くほど好きでは致し方ないのう呪詛仮名の練習庚申待 天帝に告げられては困る罪ひとめなりとも妾でも良いと言ってくれ 左大臣家の一の姫 倫子さまは、大らかな素晴らしい姫さまです どうぞお幸せに私は私らしく自分の生れてきた意味を探して参ります 文も寄越さず、何てこと「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
March 29, 2024
今回、印象に残った場面や言葉など。権大納言 道隆 参議 道兼 実資がなりたかった参議道長 五位の蔵人一条天皇 7歳 北斗七星 穢れてなどおらぬ笑裏蔵刀いのちやは 何ぞは露の あだものを あふにしかへば 惜しからなくに既自以心為形役 實迷途其未遠同じ月をみている君やこむ 我やゆかむの いざよひに 真木の板戸も ささず寝にけり君が来る 僕が行くかと 惑い寝に のぼる十六夜 扉放ちて寝てしまったことにしないと、自分が惨めになると思ったからでは倫子「私、いま狙っている人がいるの。両親は私が猫にしか興味がないと思っていますけど実は想う人はいるのです」まひろ「それはどなたでございますか?」倫子「言えない。でも、必ず夫にします。この家の婿にします。その時まで、内緒」まひろ「それは楽しみでございますね」倫子「私も楽しみ」長恨歌妻になってくれ世を目指す北の方にしてくれるってこと北の方は無理だ 妾俺の心の中ではまひろが一番だ勝手なことばかり言うな「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
March 22, 2024
今回、印象に残った場面や言葉など。思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 色には出でじと 思ひしものを既自以心爲形役 既に自ら心を以って形の役と爲すこれまで心を体の僕としていたのだから奚惆悵而獨悲 奚ぞ惆悵として獨り悲まんどうして独りくよくよと嘆き悲しむことがあろうか死ぬる命 生きもやすると こころみに 玉の緒ばかり あはむと言はなむ悟已往之不諫 已往の諫められざるを悟り過ぎ去ったことは悔やんでもしかたがないけれど知來者之可追 来者の追う可きを知るこれから先のことは 如何ようにもなる命やは 何ぞは露の あだものを 逢ふにしかへば 惜しからなくに實迷途其未遠 実に途に迷うこと其れ未だ遠からず道に迷っていたとしても それほど遠くまで来てはいない覺今是而昨非 今の是にして昨の非なるを覚る今が正しくて 昨日までの自分が間違っていたと気づいたのだから我亦欲相見君 我も亦た君と相見えんと欲す和歌は人の心を見るもの聴くものに託して言葉で表す漢詩は志を言葉で表す志を詩に託す和歌では動かぬ心藤原を捨てる 父と弟を捨ててくれ ジュリエット二人で京を出ても世の中は変わらないより良き政をする使命があるのよこの国を変えてゆくさまを死ぬまで見つけ続けます人は幸せでも泣くし悲しくても泣くのよ幸せで悲しい「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
March 15, 2024
今回、印象に残った場面や言葉など。日記に書けば良いのでは?偽りの病 兼家 知っていた 道兼 己で傷をつける 鳥辺野での埋葬次兄・道兼と同じく、まひろの大切な者の命を奪ってしまった道長。恋愛にはなれない魂の結びつき。「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
March 8, 2024
今回、印象に残った場面や言葉など。直秀は、盗賊・袴垂を制し道長に使えた藤原保昌のよう。寄坐に憑いた忯子、六条御息所ぶり。殴られたり蹴られたり 道兼 なつく琵琶を弾く 「お耳汚し」「ご病気か」「はい」「麗しいが不愛想」 倫子のまんざらでもない顔の美しさ「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
March 1, 2024
今回、印象にのこった場面や言葉など。安倍晴明が道長の顔を見つめ、何かを見抜く。鴻臚館の人相見のよう。兼家の夢見 院、帝、女御に呪われている。散楽の狐とサル先例が見つかれば日記に書きなさいよ→「小右記」お前を置いてはゆかぬ→病に斃れた兄を追う弟服喪しない斉信と、顔を見せる女性たち俺も観たかった 散楽 物語を見たいと願う道長 間者を辞める為時 最近、見つかった弟は、玉鬘や近江の君打毬小麻呂 猫 キジシロの大和猫は、道長と倫子を結ぶ赤い紐に?雨の品定め、ふたたび。琵琶は明石の君「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
February 23, 2024
今回、印象にのこった場面や言葉など。命に使命を持たせるなげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかにひさしき ものとかはしる「蜻蛉日記」の作者の歌を自慢話と断じるまひろと、書物を読むのが嫌いと、やんわり断る倫子。まひろの従者・乙丸も間者なのかしら。「下々のあいだでは おかしきことこそ めでたけれ」「笑える話を考えてみる」 『源氏物語』の滑稽譚に繋がってゆくような。漢詩の会は、元輔 ききょう為時 まひろ道長公任行成斉信「鼻をへし折ってやりたくなる」は、『枕草子』の斉信との「草の庵を誰かたずねむ」、公任との「少し春ある心地こそすれ」へ。道長の恋文は、『伊勢物語』71段ちはやぶる 神の斎垣も こえぬべし こひしき人の(大宮人の) みまくほしさに『枕草子』20段も想起しました。汐の満つ いつもの浦の いつもいつも 君をば深く 頼むはやわが(思ふはやわが) 藤原道隆年経れば 齢は老いぬ しかはあれど 君をし見れば(花をし見れば)もの思ひもなし 清少納言「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
February 16, 2024
シリアスな展開に息をのみつつ、ホッと楽しい場面もちりばめられた第五回。加持祈祷のシーン、寄坐(よりまし)を映像化されたところが往年のお笑いステージのよう。不動明王の真言も調べてしまいました。琵琶を弾く母を想うまひろは、初音きかせよと詠んだ琵琶の名手・明石の上。行成代筆の恋文…当時はもの凄く需要があったシラノを敢然と断る道長の文字も文章も、紙を次々使えることもあってのこと。裏の手とは如何に。そして荘園整理が寛和の変の理由?倫子の猫は、女三宮。六位蔵人、道綱の母 身分の壁六条の廃屋は、なにがしの院、夕顔が物の怪にとり憑かれた場所を、毎熊克也さん演じる直秀は、袴垂を感服させた藤原保昌を思わせました。「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
February 9, 2024
今回は、まひろ・紫式部の文学観が披露されたところも、面白かったです。秋山さん演じる実資が蔵人頭の辞退をするところ、今後、道長に重用される行成も同じ憂き目にあってゆくのだなあと。黒木華さんの倫子の方は、豊明節会(とよあかりのせちえ)での五節の舞姫を辞退…そしてまひろにお鉢が回ってくる…五節の舞姫は、そのまま宮中に留め置かれることもあって、『源氏物語』で惟光の娘が五節の舞のあとに典侍となるところが反映されているのかも。倫子の赤い紐のついた猫は、女三宮を垣間見た柏木…道長にも、そんな演出があるのでしょうか。宣孝がまひろを馬上に乗せ、見送る道長…義賊としての散楽詮子と円融帝 「人の如く血など流すでない。鬼めが」、円融帝の台詞は、もし光源氏が剥きつけを言えるとしたら、六条御息所に向かう言葉のつぶて。手を結ぶ花山帝と怟子、「虫めずる姫君」であった井上咲楽さんの鮮やかな羽化でした。「竹取物語」赤染衛門からの、かぐや姫の無理難題について 「かぐや姫には、やんごとない人々への怒りや蔑みがあったのではないかと思います。帝さえも翻弄していますから」「身分が高い低いなど、何ほどのこと?というかぐや姫の考えは、誠に颯爽としていると私は思いました」まひろと道長の身分違いについて、藤原兼家の三兄弟のうち、長男道隆も、次男道兼も、女官出身、つまりは家の家格があまり高くない職業婦人を妻としています。道隆の正妻・貴子の父 高階成忠 968年 大内記 正六位上 974年 孫・伊周誕生のとき、 右小弁 正五位下まひろの父 藤原為時984年 花山天皇即位のとき、蔵人六位 式部丞 兄二人の例からゆけば、道長はまひろを妻に迎えることも出来ると思われるのですがままならないところも、描かれるのでしょう。道長の姉・詮子と娘・彰子が共に「あきこ」であることも、面白いなと思います。次回予告では「虫けらはお前だ!」と叫んでいた道長…三男坊が覚醒しそうですね。「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
February 2, 2024
日曜夜8時にTVの前に座るのが楽しみになったのは久しぶりのこと。動画再生数も好調のようで、いずれ総合視聴率は新記録を樹立するような気がします。第三回、まずは詮子が実家に戻り、藤原定子と後の一条天皇が幼馴染となったという設定が藤壺と光源氏の関係にも反映されていくようで興味深く。「雨夜の品定め」は、恋文の色合いが衣装と同じく非常に鮮やかで、淡い色合いを想像していたところから認識を改めました。宿直の場所も、板間と土間があってリアル。囲碁を打ちつつ恋愛談義、「枕草子」で藤原斉信と清少納言の囲碁での言葉遊びも髣髴とします。実資の秋山さんの目と口つき、淡々と実務をこなしてゆく官僚ぶり、そして円融天皇に心寄せ、諫言も厭わない誠実さは、都を追われた光源氏を追って須磨まで訪ねた深山木の頭中将の面影を感じました。倫子の黒木華さんが筝を弾く際の立膝。「麒麟がくる」でも女性たちが立膝だったなあと。まひろの母の琵琶は、明石の君。偏つきかるたは、「葵」の「碁うつ、へんつきなどしつつ」「見てもまた またも見まくの ほしければ なるるを人は いとふべらなり」古今和歌集752「秋の夜も 名のみなりけり あふといへば 事ぞともなく あけぬるものを」古今和歌集635同じ日に没したという二人の文字の巧拙を並べる趣向も面白い…とはいえ、柄本佑さんの書く道長の文字は流麗で、稚拙とは思えませんでした。第四回は、まひろが五節の舞姫となる模様。紫式部が五節というのも、非常に意外でしたけれども、『源氏物語』に五節の舞姫が何人か登場しているのであり得るような気もしてきました。『源氏物語』の五節は、源氏いずれも、美しくも、やや身分の低い女性たち。なかでも筑紫の五節、失われた「輝く日の宮」、瀬戸内寂聴さんが「藤壺」という名を付けた帖に登場しているという説があり、まひろの立場に似ているようにも思います。他に目を引いたのが烏帽子を奪うシーン。髻を切る悲劇は「鎌倉殿の13人」にもありましたが…楽しみです。「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
January 26, 2024
今回もリアルタイムで鑑賞、それほどドラマとして面白く、待ち遠しい作品なのだと思います。冒頭の悲劇の回想の後、佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝が、まひろに帯を結んでいたシーン、裳着という女性の成人式での腰結を、暗がりに浮かぶ鮮やかな衣装と衣擦れの音と共に観られたのは、僥倖でした。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな(後撰集 藤原兼輔)まひろが代筆を仕事にしているときに見聞きしている市井の様子は「夕顔」の「いとあはれなるおのがじしの営み」の描写を思わせます。「ちりゆきて またくる春はながけれど いとしき君に そわばまたなん」「いまやはや 風にちりかふ さくらはな たたずむ袖の ぬれもこそすれ」「よりてこそ そらかとも見め たそかれに ほのぼの見つる はなの夕顔」他の人に成り代わってしたためる恋文を書く仕事は、「源氏物語」の400人以上の登場人物の描き分けに活かされてゆくのでしょう。右兵衛権佐となった柄本佑さん・道長の雄姿は、「あさきゆめみし」で頭中将と舞った光源氏の姿を、恋人とすぐに消えてしまう本多力さん・百舌彦は惟光のようで愉しく。『源氏物語』は、54帖あるので、大河ドラマの話数と近いこともあり、第二回は、主に「夕顔」のオマージュになっているのかもしれません。第三回の予告映像からは「雨夜の品定め」、「帚木」を取り入れるようですね。楽しみです。「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
January 19, 2024
リアルタイムで鑑賞、「紫式部日記」にも垣間見える道長との関係性や兼家と道兼の親子の擦れ違いが、寛和の変へ、詮子と道長の姉弟仲の良さが、「一家立三后、未曾有なり」へ繋がってゆく萌芽も見えて期待以上に面白かったです。さらに、詮子の入内後の陰湿な噂話は、「桐壺」を、伏籠を介した筒井筒の出逢いは、「若紫」を髣髴とさせ父母の関係性に対するまひろの思いが、『源氏物語』を描く起点にもなっているよう。実在の文学者をモデルとしたドラマの中に、その作品のエピソードを取り込むという「花子とアン」にも見られた手法が、「光る君へ」にも上手く活かされていると思います。第二回放送も、楽しみです。「源氏物語で恋愛セミナーの日記」
January 12, 2024
『源氏物語』の現代語訳は白眉でした。どうぞ安らかに。「源氏物語」の日記
November 11, 2021
第三幕 第二場(宇治の院。 僧都と二人の僧が読経するなか、浮舟登場。 一人の僧が進み出て、浮舟の髪に鋏を入れる。舞台暗くなる。 やがて舞台中央に髪を下ろした浮舟。 浮舟、手を合わせてまだ覚束ない読経を始めると、妖火(実は光源氏)とわかる影が浮かぶ。 「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 嶺にわかるる よこ雲の空」 読経に和歌が重なり、幕紫式部が描く物語の最終段階、宇治を舞台にした浮舟の悲劇は何故起こったのか。原作で「清げな男」とのみ言い表されている、浮舟を宇治川に導いた謎の人物の存在がずっと気にかかっていましたので、わたしが観たい物語として書き起こしてみました。拙文、ご覧いただきありがとうございました。「源氏物語の日記」
October 20, 2012
第三幕 第一場(宇治川のほとり。 白く広がる浮舟の衣。 松明を持った僧都と僧たち数人に続いて尼君と女房数人登場。 白い衣を見つけた僧都、近づいてみると、浮舟がいる)僧都 大丈夫か、気をしっかり持たれよ。浮舟 …あの方は…わたくしを…お連れくだらなかった…。僧都 物の怪にかどわかされたのだ。無事で良かった。尼君 心配いたしましたよ。(近づいて)でも…お顔の色が…少し良くなっておられるような…。僧都 そなたをかどわかした物の怪は、立ち去ったと見えるな。尼君 兄上のご祈祷のたまものでございますね。浮舟 あの方は…物の怪などではございません…。僧都 あの方…。そなたは…あの御方の顔を見て…何者か気づかれたのか。浮舟 いえ…ただあの方は、物の怪でも鬼でもございません。ただ…哀れな方。僧都 …いずれにせよ、そなたが無事で良かった。これも観音様に守られていられるからでしょう。尼君 そうですよ、この方は私の娘の代わりに、観音様が授けて下さった…。浮舟 わたくしは、人形(ひとがた)ではないのです。尼君 (よく聞こえず)ええ、なあに?浮舟 (僧都に)お願いがございます。 わたくしの髪を、どうぞ下ろしてくださいませ。尼君 何をおっしゃるの。浮舟 わたくしは、二度までも、みずから死に臨もうとした身…。このままではまた、同じようなことを繰り返し、さらなる罪を作ることになりましょう。俗体でいることは、もはや出来ませぬ…。どうか…。尼君 まだお体も癒えていない、そんな若い身で尼になるなんて…。浮舟 ますます苦しくなってからでは、尼になっても勤行もままならず、甲斐のないことでしょう。どうか、今このときに、髪を下ろしていただけましたなら、嬉しゅうございます。僧都 わかりました。それでは、受戒をしてさしあげましょう。尼君 兄上…。浮舟 嬉しゅうございます。続きます。「源氏物語の日記」
October 19, 2012
第二幕 第三場(宇治川のほとり。舞台中央に現れた妖火と浮舟。)妖火 初めてそなたを見たときから、私の心は変わらない。浮舟 あなたは…どなた…。妖火 私は…多くの女人を愛して彷徨い…多くの女人に先立たれ…見捨てられた身…。浮舟 そのように…神々しいほどの美しいお姿でありながら…。妖火 美しさが何であろう。 衰えぬ体を持った私は死ぬことも未だ出来ぬ…。 出家した身では、みずから死ぬことも出来ぬ…。 逝ってしまった女人たちの傍にも行けぬまま、勤行でも解けぬ煩悩を未だ抱えて彷徨うている身なのだ…。浮舟 彷徨うて…彷徨うて…わたくしと…同じ…。妖火 …。浮舟 八の宮さまを父上に持ちながら疎まれ、母上さまが嫁がれた家でも疎まれ、お姉さまの中の姫の館にも、薫の君さまがお連れ下さった宇治の山荘にも、匂宮さまがご用意下さった京の家にも参ることができず…。妖火…。浮舟 本当は…わたくしの…心の中の鬼が…違うのだ、ここではないのだと…甘くささやくのです。 誰かの人形(ひとがた)として、身代わりとして愛玩されるのではなく、真の心でわたくしを望んでくださる方をと…。妖火 本当は…私を呼ぶのも…そなたの…心ひとつなのだよ。浮舟 心ひとつ…。妖火 (浮舟ではなく遠くを見つめて)初めてそなたを見たときから、私の心は変わらない。それが、最も敬うべきものを裏切ることになろうと、たとえ鬼が巣食おうと、私の真の心は…変えられぬのだ。(顔を落とす)浮舟 …涙が…涙の川が流れるうちは、鬼ではないのでしょう…。妖火 …。浮舟 哀しいお方…。それでも…初めてわたくしを…真の心で望んでくださったお方…。妖火 私は…そなたを道連れにしようとしたのだ…。みずからの煩悩から逃れたいゆえに。浮舟 はい…それでいいのです…。わたくしもまた…どなたかに真に望まれたいという煩悩を抱えて…みずからの心ひとつも決めることが出来なかったのですから。妖火 …浮舟 みずから死ぬことが許されぬ身でありながら、朽ちぬ身を抱えて長く長く流離ってこられたあなたと…人形(ひとがた)として愛玩されることは出来なかったわたくしは…。なにを愛しいと思ってよいのか…どなたに…添うてゆけばよいのか…。妖火 みずからの心ひとつも決められなかった。浮舟 でも…よいのです…。あなたのおかげで…わたくしはみずからの真の心をみることができたように思います…。妖火 そなたは…。浮舟 どうぞ、お連れくださいませ…。あたなの望むところへ…。妖火 浮舟…。初めてそなたを見たときから…。(妖火と浮舟、静かに舞ううちにかき消えて、舞台暗転)続きます。「源氏物語の日記」
October 18, 2012
第二幕 第二場(宇治の院、浮舟のいる小部屋、すぐ隣の祈祷場には僧が数人登場。 物の怪をうつすための憑坐(よりまし)、少し離れて座る。 読経が始まる。やがて憑坐(実は妖火)が苦しげに動き出す。)憑坐実は妖火 祈祷をやめよ…。僧都 お前はいったい、何者なのだ。申してみよ。妖火 私は…このように…お前たちのようなものに戒められる身ではない…。 昔は、宇治で勤行三昧をしていたが…ほんのささいなことで、この世にうらみが残り…漂い彷徨っていたのだが…宇治の山荘に…美しい女がいるのをみて…。その女がみずからの心の鬼と…この世をうらんで…。「何としても死にたい」と…夜も昼も望んでいたので…闇夜に乗じて…一人きりでいたところを…とり憑いてやったのだ…。僧都 何者か、名乗られよ。妖火 お前たちに名乗る名はない。僧都 なんと…それではやんごとない身でこの世に心残されたか。ではいずれかの納言か大臣であらせられるか。妖火 …。僧都 (憑坐に近づいて)…まさか…あなたさまは…。(憑坐の僧、立ち上がって浮舟の手をつかむと、二人は神隠しにあったように舞台から消える)僧都 待て、待たれよ。(祈祷をしていた僧たち、騒然となるなか、舞台、暗くなる。)続きます。「源氏物語の日記」
October 13, 2012
第二幕 第一場(宇治川のほとり、故朱雀院の領していた宇治の院、尼君の部屋。)尼君 兄上、よくお山を降りて、ここまで来てくださいました。僧都 あの女人の具合は…そんなに悪いのか。尼君 相変わらず…。兄上が宇治の院であの人を見つけられたときのままにございます。僧都 そうか。尼君 治して差し上げようにも、薬湯もとらず、何も食べようとも飲もうともせず…。こんこんと眠るばかりで…。 時おり目を覚まされても、ただ忍び泣いている様子…。僧都 何かやはり、訳あって彷徨ておられたものとみえる…。尼君 お姿も見につけていたものも上品で、高貴な方とお見受けしております。 それだけに、このような寂しい場所、普段は住む人もないようなところに、たった一人で倒れていたなど、よほどのことがあったに違いありません。僧都 宇治の院は元々の持ち主であられた朱雀院が亡くなられてから、弟御の源氏の院がお住まいになって勤行三昧、紫の上の菩提を弔っておられたところ。 源氏の院が逝かれた後は、宿守が一人居るばかりで、このように荒れ果ててしまったのだが…。尼君 まあ。こちらは、あの源氏の院ゆかりの場所でしたの…。僧都 私は京で、お若い頃の源氏の院をお見上げしたことがあるが、出家の身であることを忘れるほどのまたとない美しさであられた。 しかしながら、ここ宇治の院で勤行されているお姿は、齢五十を越えているとは信じられぬほどのお若さで、この方はお歳をとらぬのかと…。 それから間もなくお隠れになったと伝え聞いたときには不思議な気がしたほどじゃ。尼君 まあ、私も源氏の院をお見上げしとうございましたわ…。 いえ、兄上、それよりもあの人のことでございます。僧都 そうであった。 そなたと初瀬に参られた母上が帰る際、具合が悪くなったと聞いて。宿守とは知り合いゆえ、皆がしばらく過ごせるように設えてくれるよう頼みに来て…。 偶然にも、あの女人を見つけたのだが…。 暗闇でうっそうと茂った宇治の院の木の根元に、白く広がったものを見たときは…。 たしかに物の怪ではないかと…。尼君 物の怪などではございません。美しい、可愛らしい女人です。僧都 わかっておる。人とわかればこそ、見捨ててしまえば罪になると思い、こうしてそなたに世話をさせているのだ。尼君 実は私…初瀬の観音様にお参りしているときに、夢を見ましたの。亡くなった私の愛しい娘が帰ってくるというお告げで…。 ですから、あの人を見たときは本当に嬉しくて…。 お具合の悪い母上もさることながら、観音様の授けて下さった娘と思って心をこめて、あの人のお世話をしているのでございます。僧都 そうであったか。尼君 本当に上品な方なのですけれど、心に重く苦しいものを抱えていらっしゃるようで、泣いてばかり。口を開けば死にたい、宇治川に流して欲しいと言うばかり…。僧都 やはりまだ、物の怪が憑いているのかもしれぬな。尼君 はい、是非、兄上に、尊い御祈祷をお願いしたいと、ご修行のお邪魔になるとは知りながら、お願い申し上げたのでございます。 なにとぞ、あの人を苦しみから救ってあげてくださいませ。僧都 拙僧にいかほどの力があるかは分からぬが、観音様が授けてくださった方ならば、なおのこと、できるだけのことをして進ぜよう。続きます。「源氏物語の日記」
October 12, 2012
第一幕 第四場(宇治の山荘、浮舟の部屋。 中央の文机の前で、鬱々と顔を伏せる浮舟と、傍らに女房の右近が侍従の帰りを待っている。 侍従登場、外から戻って浮舟の部屋の前室に入る。)侍従 右近さん、右近さん。右近 まあ、侍従さん、遅かったではありませんか。侍従 時方さんを通して、匂宮さまをお返し申し上げるのが大変だったのですよ。右近 それでは、匂宮さまは…。侍従 ええ。右近 姫さま…。今宵は匂宮さまはお帰りになられました。浮舟 (顔を伏せていたのを少し上げて)そう…。右近 都へ迎えられる日も近こうございますね…。どうか、薫さまか、匂宮さま…どちらのご用意下さった御邸になさいますのか…。浮舟 …。右近 …お心の向く方をお決め下されば、私どもまわりの者たちは浮舟さまに付き従ごうていくばかりにございます…。浮舟 …右近…。右近 はい。浮舟 一人にしておくれ…。母上からの文の返事を書きたいから。右近 はい。(右近、前室にいる侍従を伴って、退場。 浮舟ひとり文机に向かい筆をとる。 文を書きながら泣いている様子。 周囲から静かに聞こえてきた魔を祓う読経と浮舟の歌が重なる。 「のちにまた あひ見むことを 思はなむ この世の夢に 心まどはで」 読経と共に遠くから鐘の音が静かに響くなか、浮舟の詠む歌が重なる。 「鐘の音の 絶ゆる響きに 音をそへて わが世つきぬと 君に伝へよ」 読経が高まるなか、筆を置いた浮舟激しく泣くが声は聞こえない。 読経だんだんと静まるとともに、浮舟のしのび泣きがほのかに聞える。 夢とも現ともわからぬ様になる浮舟。 やがて篝火に浮かび上がる、ようやく男とわかる影が、朧な声でうち伏した浮舟に呼びかける。)妖火 …浮舟…浮舟…。浮舟 (うち伏しつつも、衣が微かにふくらむ)…。妖火 …こちらへ…こちらへ…。浮舟 (やや乱れた髪のあいだから)…あなたは…。妖火 わたしは…そなたを愛しく思うもの…。 また…そなたが愛したいと願うてやまぬもの…。浮舟 (頭を少しもたげて首をふりながら)…わからないのです…。わたくしには…愛しいとは…どういうことなのか…。妖火 (ゆれる影)…。浮舟 (さらに頭を上げて前をみて)…愛しいという言葉を…わたくしは幾度も…幾人もの方から…かけていただきましたけれども…。 薫の君…匂宮さま……。かつて文を届けてこられた少将どの……。お母さま…。(思いがせきあがったようにいま一度、激しく顔を伏せる)妖火 …ここは暗く…静かだ…。浮舟 …。妖火 目をあけていても何もみえぬ…。浮舟 …。妖火 いまは何もみえぬ。浮舟 …。妖火 だが…この暗きところから、より暗き闇をみて…。浮舟 …。妖火 …そなたが…愛しいと口にしたとき…はじめに浮かぶ面影は…。浮舟 (座しつつもゆっくりと身体を起こして)いとしい、と…。 妖火 そうだ…。(秘かに浮舟に近づき)そなたが…みずから口にして…。浮舟 (前をみて)いとしい、と…。妖火 (浮舟の肩を覆うように)そうだ…。浮舟・妖火 (同時に)…愛しい、のは…。浮舟 (浮かんだ面影に怯えるように再びうち伏せようとするのを、妖しき男に抱き留められて) こわい…。妖火 そなたはみたのだ。浮舟 …ゆるされようはずもないものを。妖火 何にゆるされようというのだ。 浮舟 …妖火 母にか、裏切った男にか、それとも裏切らせた男にか。浮舟 …わたくしの…心の中の鬼がやさしくささやくのです…。 あの方…わたくしを…この鳥かごのような棲まいから連れ出し…橘の常磐の緑にかけて愛を語られた方のもとへ行けと…。妖火 …浮舟 …けれどその鬼の傍らで…わたくしのなかの人の心が…。 母上の望みに叶うお方…あの光る君と称えられた源氏の院に繋がるなかでも、もっとも芳しく誠実な方に申し訳ないとは思わぬのかと…夜に昼に責めたてるのです…。妖火 (浮舟の肩から離れて)…。浮舟 心の鬼と人の心…わたくしはどちらに従えばよいのでしょう…。妖火 …そなたが母の望みに…人の心に従いたくとも…そなたはもう、人にはなれぬ…。 誘い導いた者があったとしても、みずからの足で暗き川のほとりまで歩み、木の葉のような小舟で渦巻く流れにのり、向こう岸まで渡ってしまったのだから。浮舟 ああ…。妖火 …だがしかし…鬼にもなれぬ…。そうしてまだ…涙の川を流すなら…。浮舟 …。妖火 人にも鬼にもなれぬなら…。人でも鬼でもないわたしと共に来るがよい…。浮舟 あなたは…どなた…。(再び、読経が微かに響き、鐘の音が重なる。 妖火は浮舟を立ち上がらせ、何処へともなく導いてゆく。)続きます。「源氏物語の日記」
October 11, 2012
第一幕 第三場(舞台は第一場と同じ)時方 侍従どの、侍従どの…。侍従 (まだ夢見ごこちで)はい…。時方 とにかく、浮舟さまは匂宮さまの方にお心を決められたのでしょうな。 匂宮さまは、薫の大将さまに先立って、浮舟さまを都に迎えようとお住まいを整えておられるのですぞ。よもや…。侍従 (我にかえって)決めるも何も…。深窓の姫君のお心は…そばにいる女房次第…。 いえ、物語にもありますように、一度目は、周りの者も油断してお通ししてしまった男君から逃れられない女君でも、二度目は、何としてでもお拒みになることはできるはず…。 右近さんも私も、匂宮さまの立派さ、美しさに気圧されていたとはいえ、お仕えする主の真の心に添わないことは、決していたしませぬ。 匂宮さまをお逢わせいたしましたのも、浮舟さまのお言葉のうちにある真の心を汲みとってのこと。 時方 真の心…。侍従 薫の君、匂宮さま双方から御文がきましても、先にお読みになるのは匂宮さまの方。 これまで頂いた御文も、繰り返しご覧になるのは匂宮さまの方。お返事申し上げるのも…。時方 それでは…。侍従 あとは浮舟さまみずからが、真の心にお気づきになること…(侍従、時方のもとを辞して、宇治の山荘に戻ってゆく。)続きます。「源氏物語の日記」
October 6, 2012
第一幕 第二場(侍従の回想 舞台さらに暗くなってから、ちらちらと花に紛うほどの雪。 花道に先導の時方、浮舟の手を引いた匂宮登場。遅れて周りを気遣いながら侍従登場。 四人は舞台に進み、宇治川の岸辺に着けられた小舟に乗る。 時方が最初に乗り移り、浮舟を抱いた匂宮を助けて乗せ、 最後に時方に手を取られて侍従乗り込む。 小舟は静かに、宇治川の対岸を目指して進む。)時方 (竿をさし留めて)宇治の川も中ほどまで参りました。こちらに見えますのが橘の小島でございます。匂宮 (浮舟に)見てごらん。あんな小さな島に、ほら…はかなげな木だけれど、枯れ落ちぬ葉に白い雪が積もって…。 千年の先も変わらずに、そなたと共にあの緑の深さを愛でられたら…。 「年経(ふ)とも かはらむものか 橘の 小島のさきに 契る心は」浮舟 「橘の 小島の色は かはらじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ」 わたくしのこの身は、いったいどこまで流れ流れてゆくのでしょう。匂宮 (浮舟をさらに引き寄せて)初めてそなたを見たときから、私の心は変わらない。 京より遥々と山々を越えて、またこの宇治の川を越えて、さらには薫との友情をも越えて、こうしてそなたの傍にいるのだ。侍従 (思わずつぶやいて)ああ、なんとお美しい匂宮さま。いにしえの光る源氏の君も、かくやと…。匂宮 (侍従を振り返り)これ、そこな者、わが名を誰にももらしてはならぬ。侍従 (声をかけられたことに恐縮して)は、はい…(やがて小舟は対岸に到着。 時方ゆかりの家の準備が整う間、匂宮と浮舟、これまで越えてきた宇治川の流れを振り返りつつ、静かに舞うなか、舞台暗くなる。 侍従の回想終わり)続きます。「源氏物語の日記」
October 5, 2012
登場人物 浮舟(うきふね 宇治に住む女人) 妖火(あやしび 実は光源氏) 匂宮(におうのみや 光源氏の孫) 時方(ときかた 匂宮に仕える男) 侍従(じじゅう 浮舟の女房) 右近(うこん 浮舟の女房) 僧都(そうず 浮舟を助ける) 尼君(あまぎみ 僧都の妹)第一幕 第一場(宇治川のほとり、宇治の山荘の垣根。 垣根の中と外では篝火が赤々と燃え、山荘の周りを護衛するものたちの影が見える。 山荘から少し離れた場所で人待ち顔の時方。 山荘の垣根を潜って、侍従登場。)時方 (待ちかねた様子で)いったいどうしたことです、この物々しいまでの人の多さ、守りの固さは。あの雪の夜にお訪ねしたときは、外の灯りもほんのわずか、宿直の者の垣根もなきに等しかったというのに。 今はまるで空を焼かんとするばかりの篝火で昼間のよう、人の垣根が都大路にあるごとく、この宇治の山荘を取り囲んでいるのは…。侍従 薫の君がお気づきになられたのですわ、匂宮さまと浮舟さまとのことを。時方 何と。侍従 都にいらっしゃるときから、匂宮さまは浮舟さまにご執心…。中の姫さまとお子までなしながら、その妹君の浮舟さまにまで目を留められて…。時方 匂宮さまは美しい女人には身分のことなど気にせず、尽くされる方ですからな。侍従 (少し怒って)まあ…。浮舟さまは、元々、亡くなられた大姫、中の姫と浮舟さまには姉君にあたられる女人に思いをかけておられた薫さまのために、呼び寄せられた方なのですよ。 私たちと同じく、女房の身でありながら亡き源氏の院の弟君である八の宮さまの情けを受けた方が、お産みになったのが浮舟さま。 もっとも八の宮さまは、大姫や中の姫と母君と違って、身分の低い方が産んだと下げずまれて、お子様とはお認めにならなかったそうですけれど…。 それでも、浮舟さまはれっきとした、王家に連なる方なのですよ。時方 まあまあ…。侍従 それを…浮舟さまが中の姫さまのお部屋近くにいらしたところを、匂宮さまがそのお美しさに気づかれて…。 匂宮さまの手が及ばぬうちにと薫の君が浮舟さまを、この宇治へ、元々は中の姫さまとお姉さまの大姫が八の宮さまとお住まいになっておられた宇治の山荘へお移しになったというのに…。 まさか、あの雪の夜が宇治での二度目の逢瀬とは。時方 侍従どのは知らなかったのか。侍従 あの夜、お側付きの右近さんが顔色を変えてやってきたときに、はじめて…。 確かに一度目は。薫の君と匂宮さまはお二人共に、あの光る君と称えられた、いまは亡き源氏の院の御子孫であられるのですもの。ましてや火も落とした闇のなかでは、右近さんもお二人を取り違えても仕方のないことだけれど…。時方 匂宮さまは、薫さまの芳しさを羨まれて焚き染める香りまで真似をされていますからな。侍従 もし間違いに気づいたとしても、物語にもあるように女房ごときには、「朝になったら、御迎えに来るように」とでもおっしゃったでしょうけれど…。時方 それはまあ、源氏の院が…若かりし頃に空蝉と呼ばれた方との逢瀬で使われたお言葉でして…。たしかに匂宮さまも、これまでも何度か女人との逢瀬でお使いに…。侍従 (かるく睨んで)とにかく、二度目にお越しのときは、さすがに右近さんも一人では隠し通すことはできなくて、この侍従をも仲間に引き入れたのだけれど…。 でもまさか、高貴な方があんな思い切ったことをされるなんて。時方 それはすべて、この時方の采配にて。侍従 昼間でさえ、勢いが激しくて、覗き込むのも恐ろしいほどの宇治川を、凍えるよう な雪の夜、小舟で越えてゆくなんて。 時方どの、本当はあなた、前にも他の女人を乗せていったことがあるのでしょう(と抓る)。時方 めっそうもない、侍従どの。 私はとにかく、匂宮さまのご命令に従って、なるべく人目に触れぬよう、宇治川の向こう岸の、この時方ゆかりの家へご案内申し上げたまでのこと。侍従 それにしても…雪明りに照らされた匂宮さまの…ああなんと、お美しかったこと…。浮舟さまも…。時方 やはりお心が傾かれたか。侍従 めったにないような危うい橋を渡っての逢瀬だもの…。 ましてや深窓の姫君、ほとんど外に出ることもない方が…心動かぬはずはないでしょう…。私だって…。時方 この時方に心奪われて。侍従 (かまわずに)匂宮さまのお美しかったこと…。***紫式部が描く物語の最終段階、宇治を舞台にした浮舟の悲劇は何故起こったのか。原作で「清げな男」とのみ言い表されている、浮舟を宇治川に導いた謎の人物の存在がずっと気にかかっていましたので、わたしが観たい物語として書き起こしてみました。続きます。「源氏物語の日記」
October 4, 2012
初日はひとりで、二度目は友人とレディースデイに鑑賞。【作品の内容に触れますので、ご覧になりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】パンフレットなどにも触れられていなかったように思うのですけれど、道長&行成&清明が対峙する物の怪・伊周(これちか)は、道長の長兄・道隆の息子で、彰子よりも先に一条天皇の中宮になっていた定子の兄。長兄・道隆に続く兄・道兼も亡くなった後、政権争いに勝利したのが末弟の道長で、のちに伊周は女性関係などが元で流罪となり、妹の定子は落飾。さらに行成の進言によって彰子が中宮に、一条天皇の希望で還俗していた定子は皇后宮になり敦康親王という皇子を生んだものの、後ろ盾を失った弱い立場。そこへ、紫式部の仕える新中宮・彰子に道長の孫となる新たな皇子が誕生、清少納言の仕える定子は出産がもとで亡くなり、敦康親王は東宮になれず、権勢は完全に道長に移って、伊周に連なる一族は没落……したため、物の怪として今回の映画に登場させられたのではと。東宮になれなかった皇子、后の落飾、女性関係が元での都落ちなど、原文のヒントになる要素を多分に抱えた出来事、光源氏のモデルは伊周という説もあるようですので、これも物の怪としてあらわされた要因かしら…などと思いながら、二度目の鑑賞を愉しんでいました。(錯誤がありましたら、どうぞお許しくださいね)「源氏物語の日記」「源氏物語ゆかりの地めぐり」「高山・京都・金沢まち歩きの日記」「生田斗真さんの舞台&映画&ドラマの日記」源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)へ。
December 20, 2011
生田斗真さん主演映画を公開初日に鑑賞してきました。【内容に触れますので、ご覧になりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】単行本と、文庫本も2まで読んで劇場へ。平安時代の原文とは、かなり印象の違った作品になっているであろうことをよくよく覚悟の上で鑑賞に臨んだのですけれど、予想以上に2時間あまりを愉しむことができました。現実と架空の世界が交錯する作品とはいえ、当時の日記などで伝えられるエピソードも、いまからみれば、すべてが物語に描かれているようなもの。架空であるはずの光源氏のシーンが、衣擦れや吐息までも生々しく伝わるように撮られていたこともあって、現実という設定になっている場面の方との落差が感じられず、するすると頭の切り替えもなく双方の世界に入ることができたように思います。生田さんはさすがの美しさで、公式本 にも女人たちの衣装を纏ったものが載っていますけれど「女にて、見ばや」と感嘆させる人物を真っ向から演じて嘘にならない花としていま現在、一番ふさわしい役者さんではないかなと。物語世界の四人の女性も、それぞれ上手く演じていらっしゃいましたけれど、個人的な願望として、真木さんは朧月夜、多部さんは女三宮の方がイメージに近いように。また、三条、六条の女人は、源氏よりも年上、というのが原文の設定になっていますのでもう少し年齢を感じさせる方のほうが、より物語に入りやすかったかもしれせん。窪塚さんの清明は、スペクタクルに画面から飛び出さんばかりに舞われるのでは…と恐れ半分、期待半分で臨んでいたのですけれど、案外に大人しい陰陽師ぶりで。どちらかといえば、中谷さんの紫式部の方が、映画の原作もそうですけれども、幽玄な、この世ならぬ雰囲気があって、それが架空と現実との溝をフラットにしていたよう。そして、東山さんの道長。20年ほど前の8時間にも渡るTVドラマ「源氏物語」では「上の巻」で光源氏の青春時代を、「下の巻」では主役を仁左衛門さんに譲られて夕霧を演じていらっしゃいましたけれど、今回はそのリベンジにもなっているような。当時、20代であった頃には、六条院の主として世に君臨する後半生の光源氏を演じるに達し得ていなかったものを、20年の間に取りそろえてリアルもバーチャルもすべて呑みこみ昇華した存在として画面を占めていらっしゃいました。まだ一度観たのみなので、感想はこのあたりで。「源氏物語の日記」「源氏物語ゆかりの地めぐり」「高山・京都・金沢まち歩きの日記」「生田斗真さんの舞台&映画&ドラマの日記」
December 13, 2011
源氏物語が17年ぶりに再放送されると知ったのは昨年末。大晦日までの二日間、計8時間に及ぶ大長編で、制作時はおそらく日本中に有り余っていたと思われる資力が、幸いにも有効に使われた例のひとつはないかと感じさせる絢爛豪華なドラマ、源氏物語千年紀のハイライトでした。世界に誇る平安絵巻のなかで、ヒロインは誰かと問うたとしたら外すことはできない二人の女人、藤壺と紫の上を演じていたのが大原麗子さん。光源氏の愛着の元となる義母・藤壺と、その藤壺を原型として理想的に育て上げられた紫の上を、時に可憐に、時に気丈に、最後は大海原のように広い心、全てを受け入れ昇華できる神々しいさまをあくまでも美しく表現していらっしゃいました。その放送の少し前、転倒して怪我を負われたこと、難病で女優業を休んでおられるといった記事を目にしていましたのでヒロインに相応しい姿をより感慨深く拝見し、また新しい作品でお目にかかれることを期待していたのですけれども、昨夜、哀しい訃報をきくことになりました。千年の後まで伝えられる物語のように、映像の中で永遠に生きられること、その作品をいつでも味わえることを幸いとして、絵巻での麗しい姿を再見ししずかに追悼できればと思います。「源氏物語の日記」源氏物語(上の巻)源氏物語(下の巻)
August 7, 2009
女人の魂がいかに救われてゆくかという課題は源氏物語全編に渡って貫かれているいくつかのテーマのひとつ。源氏物語 下の巻(若菜下~幻のあたりまで)このテーマ最大のキーパーソンとなるのが、物語前半部分においては世間には源氏の最愛の人と目されながら、その実、藤壺の姿を映した人形のような身代わりでもある紫の上と、身分も財産も才知も美しさも、全てを持ちながら、源氏と関係したことによって全てを奪われたという執着から逃れられない六条御息所ではないでしょうか。女三宮の出産に伴って、源氏が二条院を離れている間に生き霊から死に霊となって再登場する六条御息所は、たちまち紫の上の魂を連れ去ってしまいます。この世での救いに望みを繋いでいる者にとっては悲劇ですけれども女三宮の出現によって、望みを見失った紫の上にとっては福音。むしろ、すでに魂があくがれでていたために六条御息所のいざないにも、すぐに同調することができたのでしょう。ドラマでは原作にはない、紫の上が六条御息所に語りかける場面があり、六条御息所から源氏の愛を奪った紫の上が、藤壺の身代わりであることも、その紫の上から妻の座を奪った女三宮が、柏木の子を宿していることも、紫の上自身が知っていて、さらに六条御息所も藤壺の身代わりであると指摘し、その上で「何の未練もないので、どうぞお連れ下さい」と手を伸べるのです。六条御息所にとっては、源氏の愛を奪った者と、源氏本人への復讐として自分と同じ苦しみを味わう場所に連れて行こうとしていたわけですからすでに源氏に対して執着を持っていない紫の上を伴うことは報いにならない。むしろ源氏に対して、もはや異性として冷めた紫の上を傍におくことで「すべての女人の心が離れている」と思い知らせることを選択して溜飲が下がった(=成仏した)のでしょう、六条御息所は1人で去ってゆきます。女三宮が男児を出産した直後に紫の上が他界したと聞き、赤ん坊を見ることもせずに二条院に戻る源氏。加持祈祷の甲斐もなかったと帰ろうとする僧たちを引き留めさらに祈りを捧げさせた結果、息を吹き返した紫の上が口にしたのは「夢を見ておりました、醒めねば良かったのに…」という言葉。周章狼狽して子供のように取りすがった源氏は、彼女の真意を汲み取ることができたのでしょうか。事態が少し落ち着き、六条院に見舞いに来た朱雀の院に頼んで女三宮が出家を選んだところをみると、栄華を極めた男が、もはや女人たちの救いの足手まといにしかなれない哀しさが浮かぶのです。原作では、この女三宮の出家にも、六条御息所と思われる物の怪が関わっているとされているのですが、ドラマでは、女三宮が自分の意志で、全てを振り捨てるように髪を切り、柏木の忘れ形の、薫と呼ばれるようになる子供にも、出家の後は会うことができなくなるという描写に。残された薫の世話を引き受けようと源氏を諭すのが、父親が誰であるかをすでに見抜いている紫の上。女三宮が世を捨てた今、ようやく自分だけの元にとどまることになった源氏を夫としてではなく、繰り返される執着の上に生じた結果を共に受けとめる同志と目することに決めたよう。また、源氏がかつて父親の桐壷の帝に対して蒔いた不実の種子が今度は自ら他人の子を育てるという報いとして結実したのを「輪廻でございましょう」という言葉で諌め、導く姿は幼子を抱き導く聖母にも似て。これまで登場しなかった源氏の母・桐壷の更衣が、ようやく紫の上の姿を通して立ち現われてきたかのようでした。上の巻、下の巻と8時間にも渡る長いドラマは、原作では幻と呼ばれる帖のあたりまで。画面には紫式部が登場し、源氏が雲隠れした後も、孫子の代までの物語を書くよう藤原道長に促されるといったラストに。続く宇治での物語は、薫にまつわる大君、中の君、浮舟といった人物によって女人の魂がいかに救われてゆくのかが、さらに掘り下げられてゆきますけれどもドラマでは、紫の上、六条御息所、女三宮といった女性たちがひとまずは救われたように見えましたので、ここで一区切りとしても良いのではないかと思います。源氏物語千年紀を期して、17年前の絢爛豪華な番組の再放送を愉しめたことに深く感謝して。読んでいただいてありがとうございました。この先の宇治十帖については、これより実地で宇治市に足を運びますので源氏ゆかりの地巡りをご紹介しながらお話できればいいなと思っております。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 若菜下~の日記」「源氏物語の日記」
March 7, 2009
広大な池に龍頭鷁首の船を浮かべるといった目を見張るような壮麗なセットを使って盛大に表現された女楽で源氏の丹精した琴を披露することができた女三宮。源氏物語 下の巻(若菜下~横笛のあたりまで)明石の女御、秋好中宮という身分高き顔ぶれに加え常陸宮の姫である末摘花や明石の女御の後見となった明石の上が紫の上よりも上座についているといった説明も加えられます。原作では、末摘花は六条院には迎えられていませんし、式部卿宮の娘である紫の上が受領階級出身の明石の上よりも下座になるといったことはあり得ないように思うのですが、彼女の絶望感を表現するためにドラマティックな表現がなされたのでしょう。女楽が終わった後、紫の上は吐血し、二条院へ移ります。狼狽した源氏は、当然ながら六条院にいる女三宮のもとへ通うのは間遠になってしまい、その間隙を縫って現われるのが、夕霧の幼馴染で従兄にあたる柏木。彼はもともと、女三宮を正妻として迎えたいと願っていたのですが朱雀院秘蔵の皇女をいただくには官位が伴っていなかったため叶わず代わりに女御より一段身分の低い更衣の生んだ女二宮を妻として迎えています。このあたり、ドラマでは紫式部の解説のみが流れますけれども源氏その人も、母親が更衣だったために帝に上れなかったという経緯があり女御と更衣の差は歴然としていた模様。よって女御から生まれた女三宮は姉の女二宮より重んじられていて、柏木は諦められない要因になっているのでしょう。源氏物語の恋愛テーマの大きな要素は、この「身代わりの恋」。個人的には「人形の恋」と呼んでいますけれども、母恋しの末に愛する藤壺を得られず紫の上をさらい、今また女三宮を迎えた源氏と意中の女三宮を得られず代わりに姉を迎えても、未練を残す柏木ともっと先の帖で現われる、宇治の大君、中の君、浮舟の間を漂流する薫とはすべて目の前にいる相手を人形のように、意中の恋人に重ねて彷徨い続ける…そこに物語を貫く悲劇の一端があるように思います。さて、源氏が通わなくなってしまったのを嘆き、柏木をけしかける形になってしまうのが女三宮付きのもみじ(東てる美さん)、原作では小侍従にあたる女房。話をするだけという柏木を、とうとう寝所に入れてしまうのですが、当然のことながら関係を持ってしまい、女三宮は懐妊、久しぶりに様子を見にやってきた源氏にも、すぐに事が露見してしまいます。ここでも場面の入れ替えがあり、ドラマの春の風に巻上げられた御簾の向こう側に初めて女三宮を見て忘れられなくなるという柏木の語りは、原作では野分の過ぎた後の風のために、紫の上を夕霧が見てしまうというくだりに。また柏木の文を女三宮が柱の隙間に差し込み、落ちてしまったのを源氏が発見するというシーンは原作では有名な真木柱の帖、髭黒の正妻の娘が家を去るときに文を残すという場面。どちらも捨てがたい、美しいモチーフを盛り込みたかったのでしょう。柏木の文によって懐妊の理由を知った源氏のありさまから、語らずとも真相を読み取ってしまう紫の上。彼女は藤壺への源氏の思いも察していて身代わりとしての自分の立場をさらに危うくした女三宮の悲劇にも人形同士といったような、同情的になれる境地に達していました。源氏に文を見られたことで、宮中にも出仕できなくなった柏木は朱雀院の宴にようやく足を運んだところで、源氏から「笛の音が乱れていた」というひと言を浴びせられ、そのまま床について食が細くなり、帰らぬ人に。「老いると涙が止まらないものでね、柏木が私を見て笑っているけれど、若さだって一時のもの。老いは誰にでもやってくるのですよ」こういった言葉によって酔った源氏に絡まれるのが原作のシーン。どう言ったとしても、すでに心弱りしていた柏木にとって源氏の言動は決定的な打撃になり得るわけですが、まったく同じことを父・桐壷の帝に対して行っていた源氏が、出家したいと言いつつ新しい妻を迎え、いまだに生き永らえているところをみると本当に強かな男と言えるかもしれません。柏木が笛を吹いていたというくだりは、続く横笛の帖での女三宮への形見を連想させるものでもあって。原作では女二宮の母から夕霧に笛が贈られたのを、柏木が夢に現われて嘆きさらに源氏がその笛を預かって伝えられるべき人に伝えるといった長々としたくだりはドラマではシンプルに、柏木が死の床で夕霧に直接、笛を女三宮に渡すように託していました。女二宮に関する物語は、源氏の息子の呼び名となった夕霧という長い帖に描かれているのですけれども、番組内では割愛。その後、成長した薫の行状が語られる宇治十帖を見る上で、兄である夕霧と女二宮の恋は比較対象としてとても面白く、柏木の子供であると目されている薫は、実はやはり源氏の血を引いているのではないかとも思わせる余幅になっているので機会があれば、ぜひ原作を参照していただければと思います。続きます。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 若菜下~の日記」「源氏物語の日記」
March 6, 2009
映像化されることで素晴らしいのは、想像で描いていた物語のシーンを目の当たりにできること。源氏物語 下の巻(梅枝~若菜上あたりまで)原作には紫の上や花散里(ドラマには登場せず)が、家庭的でもあり源氏の身に着ける衣の用意もするといった描写があるのですが、ドラマでは、紫の上が糸を様々に染めるシーンが挿し込まれていました。さて、筒井筒の仲を裂かれた夕霧は、内大臣となった雲居の雁の父から許しを得て藤の宴でようやく長年の恋を実らせます。原作で藤裏葉と呼ばれるこの帖では、夕霧の結婚に加え、紫の上のもとで育てられていた明石の上の娘が成長して朱雀の皇子であり次代の帝となる東宮に女御として入内、さらに源氏は、准太上天皇という臣下を離れた存在まで上り詰めることに。子供たちの行く末にも安堵し、自らの地位も固め、この世の栄華の全てを手に入れたと思われる源氏と、母としての立場を手放し、明石の上に女御の後見を譲り渡して源氏との穏やかな日々を望む紫の上を待ち受けていたものは朱雀の皇女・女三宮(若村麻由美さん)の降嫁でした。ここでドラマのみの登場人物、二条院で源氏に仕える女房・かえでが再び登場。上の巻では、葵の上を正妻に迎えた源氏に結婚した後は身を慎むよう諭す役目でしたが下の巻では、長年連れ添った紫の上を裏切ってはならないと戒めます。言われるまでもなく、さすがの源氏も40歳で15歳の皇女の相手となることには躊躇、それでも、紫の上と同じく藤壺の血縁である女三宮を見たいという気持ちには抗えず、さらに、当の紫の上が意外にもあっさりと正式な妻を迎えることに同意してくれたためまたも危うい轍を踏んでしまいます。いつまでも不実な夫を送り出すために、衣に香を焚き染める紫の上。鬱屈した気持ちを籠めるようなこのシーンは、原作では玉鬘のもとに通う夫のために、髭黒の正妻が同じことをしていましたけれども物の怪にとり憑かれなくとも、臥籠の灰を投げつけたいような気持ちを必死に堪えている心持ちが伝わってきました。この世で幸せになれそうもないなら、出家をほのめかしたくなるのも当然。もちろん、女三宮の幼さにがっかりして、紫の上の魅力に改めて気づいた源氏が尼になることなど許すわけはなく。一方で、無垢な少女を好みの色に染めるのは抗いがたい魅力らしく朱雀院の五十の齢を祝う宴のため、琴を教えると称して次第に女三宮のもとに通う日数が増えてゆく。朧月夜のときは、彼女が自ら爪や唇に紅をさしていましたけれども女三宮へは、源氏が手をとって耳たぶを染めていました。この女三宮がヒロインとなるのは、主に若菜上と若菜下。ドラマでは玉鬘と夕霧の場面に使われていた猫のシーンは、この若菜の帖に登場します。番組タイトルにも呼応するような二つの帖は、単行本一冊分になってしまうほどの分量で、「源氏物語は若菜だけを読めばよい」とおっしゃる方もいるとか。源氏物語が書かれたのは、藤原道長が政局を治めようとしていた時代。当時、すでに中宮定子が一条天皇の寵愛を一身に集めていた後宮に、後から幼い娘・彰子を送り込んだ道長は、何とかして帝に足を運んでもらえるようにと様々に工夫を凝らしたアイテムのひとつとして、すでに才知を知られていた紫式部を召して物語を書き継がせるといった経緯で成立していったもののよう。物語の前半に登場する光源氏と若紫との出会いは、一条天皇と幼い彰子の関係を描いたものとされていますけれども、すでに何人もの女性を迎え、子供ももうけていた時の帝の姿としては、六条院で准太上天皇として立っている光源氏の方が近いようにも思えます。玉鬘のときもそうでしたけれども、女三宮の手をとって琴を教える姿など、紫の上が幼いときよりも女性に対する接し方が後半になるに従ってより丁寧にリアルに描かれていて。少女をだんだんと女性として成長させてゆくプロセス指南としては、玉鬘十帖、若菜のあたりが実用的だったのかもしれません。続きます。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 梅枝~の日記」「源氏物語の日記」
March 5, 2009
栄華を極めた源氏は、内裏のような自邸・六条院建設に着手、建物を4つのエリアに分け春の館は、桜の花の似合う紫の上と自分の住まいに、夏の館は、末摘花(原作では花散里)の住まいと夕霧の学問所に、秋の館は、六条御息所の娘・秋好中宮の里邸に、冬の館は、明石から上京してきた明石の上の住まいとします。源氏物語 下の巻(乙女~真木柱あたりまで)意を決して六条院に移り、母・明石の尼君(香川京子さん)とひっそりと暮らす明石の上は、同じ邸内にいる娘・明石の姫に逢うことはできないまま。原作では二人の再会は明石の姫が入内するときまで訪れないのですがドラマでは、冬の六条院の庭で、雪転がしをしていた明石の姫を紫の上が冬の館の近くまで遊びに行かせ、垣間見させるというシーンが涙を誘いました。最愛の人・紫の上に子供ができないことは源氏物語の大きなポイントの一つで明石の上の生んだ娘の継母になるという設定は、当時、他の物語でもよく描かれていたという継子との難しい関係がすぐに連想されます。源氏物語中でも、源氏その人が弘徽殿や藤壺との複雑な関係に陥っていますし、紫の上本人も、宮家の出身でありながら本宅の継母との関係に苦慮しています。原作では、源氏が明石の姫を引き取ることを伝えると、内面の葛藤はあるにせよ子供好きな紫の上が手放しで喜んでみせるという印象があったのですけれどもドラマでは、源氏の愛を受けた明石の上の存在を彷彿とさせる子供を傍におくことも、子供を奪ってしまったことも、いずれは源氏の政治的野望の一端のためであるということにも、紫の上が深い哀しみと諦めと、大きな愛をもって役に任じてゆく姿がよりクリアに描かれていました。さて、源氏に引き取られる娘といえば今ひとり、夕顔の遺児で、元の頭中将を父に持つ玉鬘(藤田朋子さん)が登場。それも、夕霧が彼女を本当の姉と思い込み、挨拶に行った際、猫に結わえ付けられた紐が御簾を巻き上げ、美しい姿を全て見てしまうというシーンに。彼女の登場する玉鬘十帖と呼ばれる巻々には数々の美しい場面が散りばめられているのですがこの猫の演出は、原作では若菜上、配役も柏木と女三宮。本来なら玉鬘の演じる蛍のシーンが紫の上にスライドしているのと合わせてみると面白いと思います。それでも、玉鬘本人で篝火のシーンが描かれていたのは嬉しく思いました。とても短い帖で、特に男性の源氏解説をされる中には、この帖が挟まれていることに意味が見出せない方もいらっしゃるようなのですけれども、篝火に艶々と照り映える黒髪を愛で愛でられる二つの影から熱に炙り出された思いが今にも危うい関係の背を押しそうなこれぞ恋の醍醐味といった場面は、物語中でも白眉のひとつ。連綿と培ってきた源氏の恋の手練が結晶したようなシーンが歌舞伎界随一の二枚目と謳われる方に表現される様子には息をのんで見入ってしまいました。歌舞伎界といえば、源氏の秘めた息子である冷泉の帝を市川染五郎さんが演じておられたのも嬉しく。冷泉の帝が自分の出生の秘密を知り、父である源氏に譲位をほのめかすシーンなどお二人が同じ画面にいるときは舞台を観るような高揚を感じます。表向きは娘として引き取った玉鬘への危うい思いを味わいつつ彼女への求婚者が次々に現われ、文を送ってきたり、父親と見なされている自分に嘆願したり、冷泉の帝の後宮へ出仕させると聞いて絶望したりといった、男たちが惑う姿を見て楽しむという悪趣味を源氏は発揮するのですが、玉鬘はあっさりと一番埒外に置いていた髭黒の大将(ガッツ石松さん)に奪われてしまいます。ガッツさんの髭黒、イメージぴったりでいいなあと思っていましたら六条院から連れ去られた玉鬘(原作では六条院内で二人の関係は成立)も彼を気に入ったのか、すぐに二人は打ち解けた夫婦に。母である夕顔の死後、玉鬘は九州で育ち、地元の有力者に求婚されたところを危うく逃れて京に上り、源氏の元に引き取られるといったところまでは同じですが髭黒と出遭った直後の玉鬘の反応は、ドラマとは違って原作ではかなり嫌々ながらといった印象。それでも、原作でも二人の間には次々に子供が生まれていますので、宮中に上がるよりは家庭の主婦として生きる道の方を望んでいたというドラマの解釈もうまく成立しているのではないでしょうか。続きます。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 乙女~の日記」「源氏物語の日記」
March 4, 2009
源氏物語千年紀を期して17年ぶりに再放送された絢爛豪華なドラマ「源氏物語 上の巻 下の巻」。「源氏物語 上の巻 鑑賞1-3の日記」政界復帰後の光源氏は、東山紀之さんから片岡孝夫(現・仁左衛門)さんへ、上の巻で藤壺を演じた大原麗子さんが下の巻では紫の上に。源氏物語 下の巻(澪標~乙女あたりまで)俗に「須磨帰り」という言葉もあるように、源氏が須磨・明石から帰ったあたりで読み進めることを中断してしまう方々も多いのだそうですが、源氏物語の面白さはここからが本領。栄光から挫折、復帰、また挫折を繰り返す光る君と彼を取り巻く女性たちの行く末は、ますます光彩を放つので年齢を重ねたことを表現する以上に、配役のチェンジは意味深く、ドラマでは須磨帰りさせないという意気込みが感じられました。広大な二条院の庭にて、篝火をかかげながら展開される冒頭のシーンで解説されるのは源氏が京に戻って三年が経ち、すでに藤壺、六条御息所が身罷っているということ、東宮だった冷泉(市川染五郎さん)が帝に即位し、源氏は内大臣になっていること、六条御息所の娘・伊勢の斎宮が京へ戻り、源氏が後見として入内の準備をしていること、そして明石に残してきた母娘が上京を逡巡しているということ。藤壺とそっくりの美しい女性へ成長した紫の上へ、愛を語るすぐそばからいずれ入内させるため、明石の娘を二条院で育てて欲しいと頼みながら蛍の入った薄布を几帳に掲げる源氏と、明石の娘を引き取ることに抵抗する紫の上。上の巻では、野宮のシーンで蛍らしき光を草葉の上においていましたけれども点滅しないまま、月明かりを反射した露ともとらえられるものでした。下の巻のこのシーンでは、二条院の庭にある光も点滅し、さらにただひとつふたつなど、ほのかにうち光りて飛びちがうものも。薄布の中の光も明滅していましたから、もしかしたら撮影時は夏の虫を本当に使ったのかもしれません。原作では蛍が登場するのはもう少し後、源氏が夕顔の娘・玉鬘を引き取り兵部卿宮の前で蛍を放ち、若い娘の姿を闇に浮かび上がらせるという場面があるのですがドラマでは割愛されていて、代わりに上記のようなシーンに。長時間とはいえ、限られたドラマの枠の中に美しいエピソードを盛り込むための手法だったと思いますけれども原作で玉鬘を娘として引き取ったことを紫の上に言い訳する際、「あなたを何も考えずに妻にしてしまったのは残念だった。あなたの時は若い姫を目当てに屋敷にやってくる男たちの気を引くことができなかったから、今度は玉鬘で試してみよう」などと語った源氏の言葉を踏まえて、ドラマでは「娘を引き取る言い訳をしながら」「紫の上本人を蛍の光で浮かび上がらせる」試みをしてみたのでしょうか。さて、上の巻で光源氏を演じていた東山さんは、下の巻では源氏の息子・夕霧に。元の頭の中将で権中納言に昇進した(竹脇無我さん)の子供たち、いとこにあたる柏木(坂上忍さん)、雲居の雁と共に、祖母である左大臣の妻・大宮(若尾文子さん)の元で育てられていた夕霧は、源氏に対抗して入内を目論む権中納言によって、筒井筒の仲である雲居の雁と引き離されてしまいます。ここで生かされてくるのが、原作とは異なる上の巻からの伏線。傷心の夕霧は父・源氏の元に移り、大学寮の試験準備をすることになるのですがその親代わりとなって指導をするのが不遇な暮らしの中、源氏の帰京を待っていた末摘花。源氏を支え、夕霧の母代わりともなる花散里と呼ばれる家庭的な女性が一向に登場してこないので、どうするのかなと観ていたのですが、原作から多くの方が受ける印象とは異なる、末摘花は才女であるという解釈が、夕霧の学問師範として源氏の元で花開くというドラマ的展開に。ところで末摘花が本当は才女であるという解釈で田辺聖子さんも短編を書いておられます。本当の末摘花は、美しく才気のない姉と、醜く才気ある妹が演じていて明るいところでは姉が、暗がりや琴、文、受け答えなどは妹が担当し、良いとこ取りで源氏の相手をする。逢う度に印象の違う末摘花に翻弄されつつ、とうとう明るいところで妹の方を見て一度は逃げ帰ってしまう源氏は、結局は美しい姉ではなく才気ある妹の方を恋人にする…という楽しい物語。漢文を読みこなしていた紫式部にも姉がいたそうですが、末摘花のモデルの一端には当然ながら作者の姿も入っているのでしょうから、この部分がドラマでクローズアップされたのでしょうね。続きます。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 澪標~の日記」「源氏物語の日記」
March 3, 2009
源氏物語には印象的なシーンが数多散りばめられているのですが上の巻で描かれていて嬉しかったのは、源氏と朧月夜が扇を取り替える場面。源氏物語 上の巻(葵~明石あたりまで)この扇を頼りに、右大臣家に数人いる娘たちのうち、誰が相手だったのかを源氏は探し当てるのです。原作には描かれていないのですが、朧月夜が楽しそうに化粧するシーンも。ネイルは、爪というよりは指先を紅く染めるといった感じで唇の色もくっきり、自分の方から恋して源氏に迫ってゆく奔放さ、迫力がありました。もうひとつ、なくてはならないのが車争いのシーン。子供を懐妊し、源氏との関係が以前よりは少し改善された葵の上は、夫の晴れ姿を見るため祭に向かうのですが、立錐の余地もないため供人たちが無理やり退かせようと手をかけたのが愛する人の姿をひと目みようと六条御息所が身をやつして乗った質素な車。正室対愛人のみならず、藤原大臣家と王族の争いでもあるような派手な立ち回りを家に引きこもり勝ちだった女性がよく描けたものと思うのですが当時、案外よく見聞きすることだったのか、夫や道長から聞いた話なのかもしれません。車争いの後、葵の上は生霊に悩まされ、息子・夕霧を出産後すぐに他界。もちろんこれは、御息所の魂があくがれでたもので、源氏に己の姿を見られてしまった御息所は、娘(後の秋好中宮)が斎宮になったのを口実に、一緒に伊勢に下ることを決意します。精進潔斎している御息所を源氏が訪れるのが草深い野宮の場面。物語中の白眉といえる嫋々とした美しい別れの景色も描きつつ、ドラマでは、御息所が源氏に対して、娘が都に還ることがあっても愛人の1人に加えないようにと釘を刺すという、原作ではもう少し後、御息所の今わのきわに口にされる言葉がここで語られ、限られた時間でストーリーを進める苦心が見られました。葵の上を亡くし、御息所も都を去ったのに追い討ちをかけるように、絶対的な庇護を与えてくれていた父・桐壷が崩御。弘徽殿の皇子・朱雀は帝に、世は右大臣家の天下となって左大臣家は斜陽に、藤壺は尼になってしまうことに。右大臣家の野望を阻止しようと近づいた朧月夜との関係はかえって狂おしいものとなり、ついに二人でいたところが露見、政治世界からも失脚すると予想した源氏は、自ら須磨に下ります。この時点で、二条院にいる若紫はまだ幼いまま。原作ではすでに妻となっていて、源氏の留守をきちんと守り、紫の上と呼ばれるほど成長しているのですが、ドラマでは、上の巻と下の巻の世界観を分けるためか役者さんたちがかなり入れ替わっているため、幼いままとしたのでしょう。源氏の都落ちを希望を持って迎えたのが明石入道(藤岡琢也さん)。もともとの身分は高いものの貴族社会と肌が合わず地方長官として財を成し須磨に近い明石の広大な所領で娘(後の明石の上 古手川祐子さん)を育てた入道は落雷によって焼け出された源氏を迎えることに漕ぎ着けます。入道の思いが叶い娘は懐妊するも、源氏は許されて帰京することに。夢に源氏と朱雀双方の父・桐壷が現われて睨んで以来すっかり目を患い右大臣も弘徽殿も病になってしまったのは源氏を左遷したからだと朱雀の帝が思い込んだため。次の帝の後見役としての帰京は凱旋とも言える故に左遷先から娘を伴わせることはできないと涙を呑んで源氏を見送る明石入道。光源氏政界復帰後の物語は、下の巻へ続きます。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 葵~の日記」「源氏物語の日記」
February 12, 2009
身分の高い女性を恋人にしても心の隙間を埋められない光源氏が次に出会ったのは、北山の尼君(森光子さん)と暮らしている、まだ10歳ほどの若紫。源氏物語 上の巻(若紫~花宴あたりまで)若紫の父親が藤壺女御の兄であると知り、恋する女性の姪を手に入れたくなった源氏は尼君が亡くなると、連れ去るように自邸へ幼い姫を迎え入れます。その一方、源氏は女房・王命婦(波野久里子さん)の手引きで藤壺本人とも関係を持ってしまい、あろうことか藤壺は懐妊、桐壷の帝の皇子として、道ならぬ恋の結晶が誕生します。興味深いと思ったのは、物語中ではあいまいになっている部分にはっきりとした解釈をほどこしてあるところ。ドラマでは桐壺帝が当初から源氏と藤壺の関係を知っていて、なおその皇子を次の東宮に立てると宣言する場面があります。原作では、かなり後半、女三宮と柏木の関係を知ったあたりでようやく源氏は同じことを行っていた自分を父である桐壺帝が知っていたのではないかと気づくといった表現がされているのですけれども、番組では桐壺帝どころか源氏の周辺にいる人々が感づいている、それを源氏が知って悩むといった表現に。ドラマは時折、紫式部(三田佳子さん)が現れ、藤原道長(声 石坂浩二さん)に促されて時には渋々と嘆息して物語を書き綴って閑話休題、という形式。原作そのものも女房が聞き書きしたといった形をとっている物語のためか主筋に対してあからさまな表現をしていないのですけれども色にいでにけり…といった風で、目ざとく耳さとい者たちが秘めた恋に気づかないはずはないといった解釈なのでしょう。市川団十郎さんが歌舞伎の源氏物語で桐壺帝を演じられた際も、同じ解釈をされていたそう。舞台や映像になる場合は行間の間に潜められた役なきものたちの思いや声も露わになってゆくのでしょうね。さて、そんな針のむしろにいる源氏の、さらなる破滅への道を進むきっかけとなるのが朧月夜(岸本加代子さん)。もともと道ならぬ恋をしたきっかけは、源氏の母・桐壷の更衣に藤壺が似ていため、つまりは、藤壺が入内したのも亡くなった源氏の母親の代わりとしてだったわけですがその桐壷の更衣をいじめ抜いていたのが朧月夜の姉であり、右大臣家の長女、桐壷の帝の妃として現・東宮を生んだ弘徽殿の女御(水谷八重子さん)。自分の子供である東宮・朱雀(三田村邦彦さん)が帝に上った後、次代の東宮がライバルである藤壺の皇子に決まったと知った弘徽殿は朱雀の叔母にあたる朧月夜を入内させることを画策、宮中の宴で引き合わせようとしますが美々しい舞を披露した源氏の方に奔放な姫君の心は奪われてしまいます。宴が果て、藤壺の住まう辺りを窺おうとしていた源氏は朧月夜に出会い左大臣家にバックアップしてもらっている身としては敵方にあたる右大臣家の姫と知りながら関係を持つことに。原作では、藤壷への感情が抑えきれず代わりの恋にのめり込んでゆくような印象も強いのですがドラマでは、弘徽殿の野望=右大臣家の優勢を阻止するために朧月夜と関係を深めてゆくといった政治的な側面もはっきりと描かれていました。権力という視点で観ることも源氏物語の楽しみ方の大きな要素、また、母親を死に追いやられたこと、帝にもなり得る才知と美しさを持ちながら臣下になったこと、最も愛する人が奪われてしまい、かつその愛する人が母の身代わりであるという幾重にもたたまれた意趣の裏返し、復讐の物語の側面も浮かび上がってくるようです。続きます。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 若紫~の日記」「源氏物語の日記」
February 11, 2009
光源氏・東山紀之さん、脚本・橋田壽賀子さん。源氏物語千年紀のうちに…と橋田さんが要望して下さったおかげで17年ぶりの再放送が実現したそうで、それぞれ4時間、計8時間に渡る番組を愉しむことができました。源氏物語 上の巻 (桐壷~末摘花あたりまで)冒頭は光源氏と左大臣の娘・葵の上(竹下景子さん)との婚儀より。元服し臣下となった帝の皇子を婿取りしたことを家の誉れと慶ぶ左大臣家の様子が奥行きのある寝殿造りの中で描かれ花婿の沓を花嫁の家人が隠し押し抱くようにしていた、つまりは慶び迎え入れた君が帰らぬように、その後も通ってくれるようにとの願いをこめていたと思われる当時の風習も語られます。左大臣家の喜びをよそに、自邸である二条院に戻ってきた源氏は結婚した後は身を慎むよう諭す女房・かえで(山岡久乃さん原作には登場しない人物)の言葉を受け流し、故東宮の妃であった六条御息所(長山洋子さん)の元へ。実は、父・桐壺の帝(丹波哲郎さん)に入内している藤壺女御(大原麗子さん)に思いを寄せているため、その面影を求めて若い公達の憧れの的だった六条御息所を恋人にしている光源氏。ただでさえ、王族として高い身分でありながら若い恋人を持ってしまったことに引け目を感じている上左大臣家との結婚によって心激しく揺れる御息所。互いの思いがすれ違い始めたときに源氏の前に現れるのが、五条界隈の質素な家にひっそりと暮らす夕顔(沢口靖子さん)。たちまち恋に落ち、白布で覆面をして通い詰めた源氏は、縁の屋敷に恋人を連れてゆくのですが、あっという間に生霊となった御息所に夕顔を殺されてしまいます。この生霊は、原作では誰なのかは曖昧にされていて御息所ではないという見解の方が大勢なのだそうですが映像化するには具体的であった方が良いとの判断だったのでしょう、限られた時間枠の中でも、その後の御息所の動向に一貫性の出る効果があったように思います。夕顔を亡くして気落ちする源氏が出会ったのが末摘花。王族の流れをくみながら荒れた屋敷に住まい、琴の奏で方も歌の詠みぶりもいまひとつ、女性としての情緒にも欠け、まともな受け答えもできず、その上、呼び名となった末摘花(紅花)に紛う赤い鼻の持ち主=不器量な姫君。この役、どなたが演じるのかしらと登場前から少し心配していましたら泉ピン子さんが引き受けておられて。よく納得されたなあと思ったのですが、ドラマでの末摘花はかなりの才媛に。原作でも和歌の本などを繰り返し読んでいると描写されていますけれども番組では源氏との会話がどんどん弾むほど才気煥発。漢文を読みこなし、女房を教え諭し、源氏との限りある逢瀬を味わい深く感謝して暮らしつつ、誇り高く己を持す姫君に。末摘花を才女にしたという伏線は、下の巻になって活かされてきます。続きます。***源氏物語のあらすじをもう少し詳しくお読みになりたい方は、よろしかったら「源氏物語で恋と人生を学ぶ」(ayakawaの楽天さんのもう一つのブログ)、下記のリンクから2004年10~12月の日記へ、もしくはトップページ左側に設置されているフリーページから「源氏物語で恋愛セミナー」をご覧下さいませ。「源氏物語で恋愛セミナー 桐壷~の日記」「源氏物語の日記」
February 10, 2009
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。「新しき 年の初めに かくしこそ 千歳を重ねて 慶びを積め」(元歌「新しき 年の初めに かくしこそ 千歳を重ねて 楽しきを積め」 読み人しらず 古今和歌集より) ***皆さまはいかがお過ごしでしょうか?我が家の大晦日は、友人宅へ年越しの集まりに行くのが恒例でしたけれども今年は子供が夜までアルバイトでしたので、夫のみ参加、私は自宅で「TBS開局40周年記念 源氏物語 上の巻 下の巻」を元旦にかけて拝見していました。17年前、1991年の年末に「上の巻」1992年のお正月に「下の巻」と2年越しで放送された、それぞれ4時間、計8時間に及ぶ大作です。途中で夫が帰ってきたため実はまだ数十分、ちょうど柏木と女三宮のくだりの辺り以降が残っていますけれども、それはそれは絢爛豪華な俳優陣と舞台、CGなど一切使わずに見せてくれていて。帰宅した子供が何気なく目を向けて、自分が生まれる以前の作品の、舞台セットの奥行き、渡りの大きさ広さに驚いて見入っていました。おそらく作品が企画制作され始めたのはバブル崩壊以前。世界中の美術品を買い集めていた頃の金満ぶりが、本当に向かうべき場所に向けられた幸運な例でしょう。こうして放映以後に生まれた子供にも本物を観る感動を与え続けてくれるのですから。源氏千年紀のうちに再放送を熱望して下さった原作者の方に深く感謝したいと思います。詳しい感想は、また後日。皆さまの一年が素晴らしいものになりますように。 「源氏物語の日記」
January 1, 2009
今から4年前、ブログを始めた2004年の今日、10月4日から約3ヶ月に渡って「源氏物語で恋愛セミナー」という日記を書いていたことがあります。小学生の時から題名は耳にしながら目にすることができず、中学校の図書館でダイジェスト版、大和和紀さんの「あさきゆめみし」、高校に入ってから田辺聖子さんの「新源氏物語」、円地文子さん、与謝野晶子さん、谷崎潤一郎さん、橋本治さんなどの訳本、10年前に完成した瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」の完訳に触れ、どなたかと源氏物語について話し合ってみたいなと願っていた頃に思いついて書き継いだ日記でした。源氏物語各帖のダイジェストとコメントを書き終え、さあ、これから内容を知っていただいた方といろいろお話できるかな…と思っていたところ、思いがけず心奪う映画・「オペラ座の怪人」に出遭ってしまい☆2005年の日記はこの話題にシフトしてしまうことが多くなりました。同時にヨガ講座の受講もスタートし、以来、源氏物語の話題を日記にする機会がなくなっていたのですが、今年は千年紀。また少しずつ、書き継いでゆければいいなと願っております。
October 4, 2008
ふたつの恋の間で悩む二人の女性を取り上げてみましょう。ひとり目は「源氏物語」の浮舟。もうひとりは「オペラ座の怪人」のクリスティーヌ。時代も舞台もまったく違うふたりの恋物語への戯れ言、よろしかったらお付き合いくださいませ。源氏の息子、薫に思われ宇治に住まいしている浮舟は、一方で姉の夫である匂宮にも横恋慕され、その魅力にとりつかれてしまいます。宇治にまでやってきた匂宮は浮舟を屋敷から連れ去り、宇治川の小島で思うさま過ごします。浮舟はすっかり匂宮の恋愛遊戯の虜。しかも、匂宮は男女二人が寝室にいるところを絵に描いて浮舟に持たせる周到さ。一緒にいられないときも、私だけを思うこと、と。本命であった大姫(浮舟の亡くなった姉)の身代わりの人形として浮舟を囲っていた薫。ほとんど拉致のような強引さで迫りつつも、浮舟を真に女性として開花させた匂宮。ふたりのどちらをも選べなくなった浮舟は、宇治川へ身を投げますが、死にきれずに助けられ、最後は尼になります。浮舟が選択したいのは、どちらだったでしょうか。「京の花織り 浮舟」一方、北方の国の出であるクリスティーヌは、謎の人物・ファントムの教えを受けて才能を開花させますが、貴族で幼なじみのラウルの出現により、ふたりの間で心が引き裂かれてしまいます。クリスティーヌが最終的に選らんだかに見えるのは、ラウル。ふたりの男性に同時に思われ、惹かれたとき。あなたなら、いったいどんな選択をするでしょう。浮舟のようにどちらも選ばず、二人の前から去ってしまうでしょうか。クリスティーヌのように悩みながらも、どちらかを選ぶでしょうか。浮舟のおつきの女性たちは、より惹かれている方に、迷わず行きなさいとけしかけます。決めかねているのが一番よくない、匂宮の方が好ましいならそれでよいではないかと。けれど、浮舟は母親も公認している薫だけを捨てることがどうしてもできませんでした。薫のもとを去り、匂宮を選択することは大変な心変わりであり、姉の夫の心を盗むことになるという罪悪感もあったでしょう。そして、あまりにも肉体的に溺れてゆく自分を持て余し、恐怖してしまったことも。一方のクリスティーヌもまた、強烈にファントムに惹かれてしまう自分を恐れたとは言えないでしょうか。白い衣装の彼女は、ファントムのもとから帰ってきてから、ピンクのドレスになり、赤いマントを纏い、最後は黒い衣装で表れる。赤いマントのお姫さまといえば、白雪姫。女性は白馬の王子を待ちつつ、毒にも惹かれるものという教訓物語。何しろ、白雪姫、原作では魔女の毒に三回も触れています。「假屋崎省吾 グリム童話アーティストブックシリーズ 白雪姫 ポストカードブック」白雪姫の冒頭は、彼女の母妃が真っ白な雪の上に針で指をついた血を見て、雪のように白く、血のように赤い唇、真っ黒な髪の毛の女の子が欲しいと。黒は血の赤がいっそう濃くなった色。白からピンク、ピンクから赤へ、そして黒へ。赤と黒の組み合わせは、支配性、パワフルさ、そして怒りを表すファントムカラー。だんだんと彼の魔法に染まってゆくクリスティーヌ。「オーラソーマB89 エナジーレスキュー」ラウル役のパトリックが橋の上で惹かれあう二人を見て本当に泣いてしまった時シューマッカー監督は無情にも、クリスティーヌが肉体的に惹かれた初めての男性がファントムと、言い放っていましたね。「ドンファンの勝利」では、完全に橋を渡りきり、染め上げられてしまったかに見える彼女が、ラウルのもとに戻ってしまったとき、いっそそのままの方がよかったのに・・・と多くの女性は思ったことでしょう。一度、深い経験をしてしまったあとは、もとにかえる方がつらいこともあるもの。それでも、クリスティーヌが戻ってきたのは、いままでの自分をなくしてしまうことへの恐怖と、もうひとつ、あえて辛い選択を、ファントムのためにしたのかもしれません。愛する女性が、去ってしまったという方。あなたは愛されていないわけではないかもしれません。むしろ、あなたのことを思い、フェードアウトしてしまったのかも。また、恋がたきとの戦いに勝利した方も、うかうかと安心することなかれ。彼女の身体はあなたのもとにあっても、心ここにあらずかもしれません。ファントムのもとには身体でなく心を。ラウルのもとにはどこか心あらずの身体を。そしてクリスティーヌ本人は、ふたりの間で引き裂かれた心を抱えて生きてゆく。三者三様の痛み分け。より深く甘美な思いを味わってしまった者の、払わなくてはならない代償。☆ファントムの毒を抱えたままラウルに嫁いだクリスティーヌ。一番勇気があるのは、毒ある林檎と知りつつ皿まできちんと喰らったホワイトナイト・ラウルではと、最近気づいた次第です。☆☆☆☆クリスティーヌのドレスについて、素敵なヒントを下さったwakaba21さま、ありがとうございました。☆☆☆
May 27, 2005
瀬戸内寂聴さんの「藤壷」、丸谷才一さんの「輝く日の宮」を相次いで読みました。どちらも源氏と藤壺の初めての逢瀬に繋がる物語です。源氏物語をモチーフにした香水「朧月夜」「桐壺」の次に「輝く日の宮」の帖があり、失われてしまったことは文献にも記されているそう。第一帖「桐壺」では、源氏は十二歳で葵上と結婚、第二帖とされている「帚木」では源氏は十七歳になっていて、恋の達人として、すでに藤壺とも関係を持っている。幼かった源氏がどのように場数を踏んできたのか、失われた5年ともいうべき「輝く日の宮」を描いてみたいという思いは、源氏に関る作家の方々には自然に生まれるものなのでしょう。美輪さん&寂聴さん「ぴんぽんぱんふたり話」丸谷さんの「輝く日の宮」は、ある大学で教鞭をとる女性・安佐子の私生活と、源氏にまつわる紫式部の心もようが重層的に織り成す物語。「輝く日の宮」の帖がなぜ失われたのかが道長と紫式部の関係を通して考察されています。丸谷才一原作「女ざかり」これを読んでいたのが、ちょうど学生時代の欧州旅行のことを日記に書いていた時期。「欧州鉄道の旅」物語は東西冷戦のころから、90年代の世界情勢も追っていて、当時の様子を日記と合わせて追体験することもできました。源氏物語の成立の過程、まず栄光の歴史としての「藤裏葉」までが書かれ、「玉鬘」十帖、「若菜」を始めとした「女三宮」の物語でひっくり返してゆくさまも。道長との寝物語が、生かされた帖も多いというのがまた面白い。「紫式部日記」の解説書には道長と式部が愛人関係にあったことを否定するものもあるのですが、系譜にもこのことは、はっきりと書かれているそう。源氏のハイウェイ「痛快!寂聴源氏塾 」ラストは安佐子が再現する「輝く日の宮」の帖。夢で藤壺との逢瀬をした源氏が、それを実現するべく、藤壺の側近である王命婦を篭絡してゆく。濃厚な本編のあとに、余韻を残す物語になっています。瀬戸内さんが「藤壺」を三分の一ほど書き進めたとき、ちょうどこの丸谷さんの小説が刊行されたとか。本当におもしろく、一気に読んでしまったと。きっとシンクロをお感じになったでしょうね。なんとこの作品も「【丸谷才一 訳】 ポー名作集」「藤壺」は、源氏と葵の上との結婚当夜のこと、六条御息所とのなれそめ以前のこと、王命婦の篭絡、藤壺のもとへ偲んでゆく様子などで構成されています。特に王命婦と源氏との関係は、瀬戸内さんならではの筆致。藤壺との逢瀬の、心身のアンビバレンスな描写は「いよよ華やぐ」が彷彿と。新たに再現された「藤壺」の帖を、古文にも訳して載せてあるのも興味深いこと。引き比べると、具体的な描写などがさらっと省略してある部分も。大抵の訳者の方は、ご自分の言葉で行間を補っていらっしゃるのですが瀬戸内さんの「源氏物語」訳は原文に非常に忠実、しかもわかりやすいのです。それでも、源氏を訳しながら、他の訳者の方たちのように、小説家として書き加えたかった部分もきっとたくさんあったことでしょう。失われた「藤壺(輝く日の宮)」を埋めることで、瀬戸内さんの創作魂がまたひとつ満たされたことと思います。瀬戸内寂聴「源氏物語」源氏を縫うように知る恋の手だれが描いたふたつの物語、よろしかったら、お手にとってご覧になってみてくださいね。
February 26, 2005
あなたの前からいなくなった恋人が見つかったら。「紫式部物語~その生涯と恋」ライザ・ダルビーというアメリカ女性の書いた小説を読みました。16歳のときに源氏物語に出逢い、その年の内に留学し、京都で芸者としてお座敷にたったこともあるという著者。本はすでに八カ国語に訳されているそうです。式部の娘・賢子への遺言の形で、源氏物語の書き進められる様子や宮仕えの経緯、夫・藤原宣孝や時の権力者・藤原道長とのやり取りなどが物語に。紫式部が生身の女性として浮かび上がります。最後の章は「夢浮橋」に続く失われた帖。源氏物語があの形で終わってしまったのは、実は発表されていない帖があった、という趣向。**************尼姿の浮舟の美しさに心惹かれ、執心する薫。髪が元の長さに伸びてしまう夢を何度も見てしまう浮舟。ある日浮舟は庭の撫子を摘もうとして雷に打たれてしまい、盲目になってしまう。視力を失った浮舟を見て匂宮は逃げ帰り、薫はかえって愛情を感じる。ますます絆が強くなったように感じると浮舟に語る薫は、見惚れている自分を知られずに思う存分美しい浮舟を見つめることができ、仏道の話を語り合える仲になれたと喜び心軽くなる。見つめられていることが見えなくてもその気配を察し、自分よりも深い闇にいる薫を、哀れに思う浮舟。薫の残した香りを、浮舟は部屋から追い出してしまった。**************薫と浮舟のその後は、ご想像のとおりでしたでしょうか。逃げることもできなくなった浮舟は、ますます人形めいていませんか。雷に打たれ視力を失った浮舟とかえって絆を深めたと思う薫という設定は、谷崎潤一郎の「春琴抄」-熱湯で美しい容貌を失った盲目の主・春琴と自らの目を突き主に誠を貫く佐助の物語-に通じる部分を感じます。どこまでも向き合う佐助とその誠を心のなかではわかっている春琴と、名実ともに聖なる関係になりながらも、心のうちは添えない薫と浮舟。すっかり心の目が開いてしまった浮舟には、薫は物足りない相手に見える。浮舟がほんとうに見つめて欲しい部分を薫が見逃している限り、この関係は平行線を辿るでしょう。優れた物語は、描かれていない部分を埋めたくなる願望を生む。浮舟は匂宮か薫かどちらかを選ばねばならない。二度あることは三度を厭わず浮舟を死に臨ませる。白黒つけるのが好きなアメリカ人ならではの物語に仕上がっているようです。
January 24, 2005
どうしてあの人が幸せに愛されているのかしら、と思われるような、一見冴えない女性。あなたの周りにもいらっしゃいませんか?「新・良妻賢母のすすめ 」【ヘレン・B.アンデリン 著】というアメリカで200万部も売れた本があります。女性が夫や恋人、周囲の人々とどのように接したらよいかが書かれ、実行すれば、うまくいっていない男女関係もたちまち修復されるというなかなか興味深い内容。「愛と称賛は男性にも女性にも大切。しかし、女性にとっては愛が、男性にとっては称賛がより大事」なのだそうです。男性の褒めて欲しい部分を見抜き、きちんと称賛できる女性は、たとえ外見がそれほど優れていなくても、相手からみれば輝いて見えるのだとか。このことをよく知っていたのが花散里。数多いる源氏のお相手の中では、際立った美しさはなく、はじめのうちはそれほど大切にされていたわけではありませんでした。めったに思い出してもらえない上、たまの逢瀬の途中でも違う女性の家が目につくと源氏は横道にそれてしまう、そんな存在。「恋愛セミナー11 花散里」ところが、源氏が政治的に失墜し、須磨に流されてしまうことになったとき、花散里の株は断然上がり始めます。ほとんどの女性が、源氏が自分を置いて京を去ってしまうことを嘆く中、彼女はひとり、復活を信じている。おもしろいのは、わざわざ須磨まで「家の塀が壊れた」と知らせ、源氏に直させていること。「新・良妻賢母のすすめ」によると「日常生活の中で、重いものを持ち上げる、固い蓋を開ける、鋸やハンマーを使いこなす」などは男性的特質で、このあたりを頼りにし、称賛するのも相手をおおいに喜ばせることになるのだそうです。もちろん、源氏が直接、出向いていって塀を直したわけではありませんが、世間からすっかり忘れられてしまっているときに、頼りにされるということは非常に嬉しかったことでしょう。経済的に支えていることを、折にふれてきちんと褒めることも大事なのだそうですが、花散里はこの点でも、源氏にきちんとその意を伝えていたに違いありません。「恋愛セミナー12 須磨」源氏は京に戻ってからは、花散里をすっかり頼りにし始めます。一人息子の夕霧の母代わりや、衣の世話を頼んだり。(衣装を用意するのは正式な妻の役目。)そのあと、花散里はどうなったでしょうか。並み居る美女に立ち混じり、贅の限りをつくした玉の台・六条院に迎えられる確固たる地位を手に入れるのです。「恋愛セミナー21 乙女」もうひとつ注目したいのは彼女がなかなか鋭い視点をもっていたこと。源氏の弟である兵部卿宮が老けていることを、源氏の美しさを伝える形で指摘しています。「恋愛セミナー25 蛍」エドワード8世に王位を捨てさせるまでに愛されたシンプソン夫人も、辛らつかつ相手を褒めるという話術を使いこなしていたとか。今の世も玉の輿に乗る女性は、花散里のように男性の褒めて欲しい部分とそれを効果的に伝える手段を知り尽くしているのかもしれませんね。
January 17, 2005
藤原竜也さん・鈴木杏さん主演「ロミオとジュリエット」。今日は大切な友人と観劇に行って参ります。観劇の様子は帰ってからお伝えしますね。「ロミオとジュリエット」 あらすじヴェローナの町を二分する敵同士、モンタギュー家とキャピュレット家。モンタギュー家の御曹司・ロミオは敵方の娘に恋し、キャピュレット家の仮面舞踏会へ忍び込みます。そこで、キャピュレット家の一人娘・ジュリエットに恋してしまうロミオ。ジュリエットもロミオを一目見て恋に落ち、バルコニーで愛を語りった二人は、両家の架け橋になるだろうと考えた僧・ロレンスの助けで、密かに結婚式を挙げました。ところが、ジュリエットには別の縁談が持ち上がってしまいます。また同じとき、ロミオはジュリエットの従兄弟を、決闘の末殺してしまい、町を追放されてしまうのでした。嘆き悲しむジュリエットに、ロレンスは仮死状態になる薬を与え、結婚を回避させようと画策。ジュリエットが死んだとの報告を受け、急ぎ町に戻り、彼女が横たわっている傍で、本当の毒をあおるロミオ。ロミオが息絶えたまさにそのとき、ジュリエットは目覚め、彼の口中にさえ一滴の毒も残っていないことを知り、剣で胸を貫いて最期を遂げます。ロミオ16歳、ジュリエット14歳、死にいたるまで数日、激情の恋でした。***********さて、帰って参りました。舞台の模様と、ジュリエット私考をよろしかったらお楽しみ下さいね。蜷川幸雄さん演出の舞台を観るのは、初めて。まずは、主役の二人に大きな拍手を送りたいと思います。藤原さんの演技は、恋する男の子の純情さ、可愛らしさがあふれていました。実は、はじめ彼のロミオの役作りはとても深刻なものだったとか。「ハムレット」「エレファントマン」「身毒丸」と、題名を見ただけで役柄の重さを感じさせる舞台が続いた藤原さんは、ロミオのような無条件で恋にのめり込む明るい役を学んでこなかったことに改めて気づいたのだそうです。それでも、ロミオが登場したとたん、舞台が華やかになり、体のラインと顔立ちはもとより、立ち居振舞の美しさやセリフ回しの正確さ、声の良さはやはり際立つものがあります。なにより、演出どおりの「可愛らしいロミオ」の恋に迷う姿はジュリエットとの息もぴったりで、激情に走る恋にいつしか現実感が生まれ、観客を魅了していました。鈴木杏さんのジュリエットも非常に素晴らしく、17歳とは思えない演技力。特に、泣きわめくシーンが多いにもかかわらず一本調子にならずにセリフを聞かせ、幼い少女から変化してゆく様子には圧倒されました。演出といえば非常に驚いたのが、ジュリエットが初めて登場するシーン。いきなり中央の扉が開き、ヒロインが現われると思いきや、出てきたのは、等身大の少女の人形。その後ろから、にこにこ笑ったジュリエットが顔を出すのですが、源氏物語の人形浮舟と彼女との共通項を感じ、観劇直前にもそのことを書いていたので、シンクロにちょっと恐くなったほど。源氏物語【蜻蛉1】そういう視点で見てよいと、許可が下りたような気がいたしました。 ジュリエットの悲劇は、敵の男性と恋に落ちてしまったことだけではないことが、今回の舞台を観てわかったように思います。彼女は恋してすぐに結婚を口にし、ロミオの同意を得る。敵方の相手を寝室に迎え入れることも、一向に躊躇はせず、非常に積極的に恋にのめり込みます。ところが、ロミオが従兄弟を殺してしまった後は、自分の愛に対して、迷いが生じてしまう。愛する夫が愛する従兄弟を殺してしまった。憎くて愛しい夫のために、彼女は何ができたでしょうか。ロミオが町を出てゆく前夜、二人は共に過ごすのですが、ジュリエットは着いてゆこうとしていません。その直後、別の結婚を強いられ、拒絶したジュリエットをなじる両親。ジュリエットは、初めて両親に耳を傾けてもらえないことがあることを知ります。特に、我がままを言っているとしか思っていない母親に拒絶された時の絶望感は非常に大きく、その後には死をもたやすく覚悟しているのです。ジュリエットは二度死ぬ。まずは神父の導きで、仮死状態に。そして、二度目は自らの意志で。物の怪の導きで迷い出て死にきれず、ようやく自らの意志で出家を果した浮舟。二つの結婚に揺れ、母親の拒絶に合い、死を覚悟したこの二人のヒロインの共通項を、やはり感じずにはいられません。激しい奔流のような恋の底には、いまだ繋がっている見えない臍の緒を切る儀式、親離れへの衝動があるのでしょう。娘を追い込む子離れできない親が残された故に、二つの恋物語はより切なく響く。☆今年も年初から、良い舞台を観る事ができて幸せです☆「ロミオ&ジュリエット」 若きレオさまのロミオ、藤原くんに通じるものがあります。祝☆ゴールデングローブ賞!
January 9, 2005
君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ(光孝天皇)一説によると、光孝天皇は実際にあった六条邸に生まれていらっしゃるそうで、源氏のモデルの一人なのだとか。源氏物語が大好きな藤原定家は、【若菜】の帖にちなんで、百人一首に選歌したとも。*************恋を手放せず、心の鬼に囚われたままこの世を去ると。源氏とヒロインたち主軸に源氏という稀代の色男を擁し、展開される華やかな物語。源氏を取り巻く惑星のようなあまたの女性の中でも、ひときわ大きな巨星が紫の上、女三宮。美しく、賢く、家庭の主婦としても優秀で、周囲の人からも、源氏と関係している女性たちからさえも慕われた紫の上。未熟なままで嫁ぎ、源氏に侮られながらも、柏木という恋の触媒を得て、大きく成長した女三宮。誰よりも源氏の愛を受けていた紫の上に、女三宮はその存在だけで脅威を与えました。いつも朗らかだった紫の上が、物の怪となった六条御息所を呼んでしまうほど、嫉妬という心の鬼と対峙させるきっかけになった女三宮。結果的に紫の上は、己が恋の酸いも甘いも味わい尽くしたことを悟り、嫉妬を昇華させ、燦然と輝き去ることになりました。一方、女三宮は、薫という不義の子をもうけ、源氏の死後にも連綿とその影響を残すことになります。紫の上がヒロインの第一部が陽とするなら、女三宮がヒロインの第二部は陰。第三部は何としましょうか。物の怪となった御息所と源氏は、恋の妄執を捨てきれないという点で似たもの同士と書かせていただきました。恋愛セミナー9【葵】源氏は最後まで、恋を手放すことなく執着し続け、女性たちに置いていかれる形に。しかも、出家してしまった女三宮のもうけた薫は、これから我が世の春を迎えることになる。決して戻れない若き日を過ごし、皇族と源氏の余光を受けて花ひらいてゆく不義の子。源氏が御息所のようになる可能性は高いのです。 亡くなった後、孫・匂宮、息子・薫の時代になってもさまよい続けている源氏の魂。それが浮舟の絶望感に呼ばれ、彼女を死の淵に連れ出していく。匂宮の乱行も、薫の不幸も、地獄に生きる物の怪・源氏のなせる業。登場人物全てが、源氏の狂言回しのための人形に過ぎない。そんな視点で、宇治の物語をお読みになると、また違った味わいがあると思います。源氏がこの世を去ったあとの第三部は、彼が地獄で生きる物語と言えるのかもしれません。*** 海老蔵氏には、「源氏物語・地獄変」、薫・匂宮・源氏と三役早変わりでやっていただけないかと願っております。
January 7, 2005
恋する光る海老蔵~源氏物語版・地獄変への布石~「幻」の次にはさまれた「雲隠」。本文がないとされるこの帖を、「源氏物語」私考でお楽しみいただければ幸いです。光と影の対決。真に輝くのはどちらか。第五十五帖 <雲隠-2 くもがくれ> 夢か現か幻か婦人画報2005年1月号は、100号記念に相応しい対談・特集が目白押し。中でも平成の紫式部こと瀬戸内寂聴氏×平成の光源氏こと市川海老蔵氏の対談は歌舞伎界への大きな布石のひとつとして長く記憶されるものになるに違いないと思います。御園座版「源氏物語」を書いた寂聴氏。台本のト書きには「ここで観客がため息をつく。」「うっとりさせる。」「出てきただけでハッと。」などと書かれていたらしく、戸惑っていたと海老蔵氏。もちろん、寂聴氏の指摘どおり、私を含めた観客は、生きて歩く光源氏に「ため息」「うっとり。」「ハッと。」、まるで台本どおりに反応していたのでした。恋でキレイに48~源氏物語で恋愛セミナー【雲隠1】~光る海老蔵の歌舞伎 海老蔵氏は「源氏なんて何をしても許されると思っている男、大嫌いだ。」と三年前の初演で、初めて寂聴氏に会ったときに言ったそうです。その感覚は、今回もある程度持ち続けているそうで、藤壺や朧月夜を奪う源氏が恨まれるのは当然だと。そして、いまだ色男の部分しか出ていない源氏を演じているため、(何故こうも人々が惹きつけられるかが)どうも腑に落ちないと。パーフェクトな人間なら納得できるのだが、という言葉に、そんな男とは恐くて暮らせない、との切り返しが。源氏の持つ矛盾、千年も読み継がれてきた理由に、寂聴氏もまだ答えを出せていないのだとか。それでも、演じて三年たってみると、源氏のことをある程度理解できるようになったそう。いろいろな経験や恋をし、源氏と重なる部分が増えたということでしょうか。寂聴氏曰く「あなたこそ梨園の御曹司で何をしても許される」存在だと。そして襲名によってその奢りが非常に謙虚になったことや、武蔵から源氏までできる才能と美貌を手放しで褒めています。源氏の年齢と、ほぼ同じような歩みで演じている新之助~海老蔵源氏。今後やってみたいと再三、頼んでいるのは、なんと「地獄」。女三宮の不倫こそが地獄と寂聴氏が言うのを、それは現実のこと、そうではなくて真の地獄を演じたいと。地獄を演じられるのなら、源氏の物語でなくてもよいと。そうでなければ、ライバルのいない源氏が真に輝かない。地獄に落ちた源氏自身が、ライバルなのではと。「地獄などない。念仏を唱えればみな極楽に。」と言う寂聴氏に「そう言い切れるのは地獄を知っているからでしょう。地獄に触れているのもいいことなのでは。」と説得する海老蔵氏。あたかも源氏が紫式部を口説く格好。「もっといい男に書いてくれ。」ならぬ「地獄に落としてくれ。」とはこれいかに。梨園では不義の子の誕生などよくあること、自身の行状を鑑みてもその程度では物足りないということでしょうか。寂聴氏にしてみれば、この世こそ地獄。先日も『情熱大陸』に出演されていましたが、「生きていたって何もいいことないんだもの。」「出家しなければ自殺していたでしょうね。」とつぶやいていたのが印象的でした。とにかく最後まで演じきりたいとの言葉に、遺言にしてでも脚本を書き尽くすとの約束が交わされた模様。須磨・明石、六条院での栄華、女三宮や紫の上との葛藤と別れ、この世を去ったあとまで、源氏をあますところなく観せてくれることを期待しています。
December 31, 2004
恋を味わい手放しまた出逢う。源氏物語最終帖。人生の再生に繋がる架け橋。第五十四帖 <夢浮橋 ゆめのうきはし> あらすじ薫は寄進を終えてから、横川に着きました。薫の突然の訪れに戸惑い、懸命にもてなす僧都は、浮舟の話をきいて驚愕し、今までの全ての経緯を話します。僧都の話を聞き、浮舟が生きていたことに涙する薫は、尼たちの庵へ行きたいと言います。「髪を下ろした法師でもこの世への妄執が消えないこともある。女人ならなおのこと。罪作りなことをしてしまった。」浮舟を落飾させてしまったのを後悔する僧都。すぐには山を降りることはできないので、来月、文を届けるとの僧都の言葉に、薫は待ちきれない思いです。薫は小君を使いにし、僧都に小野への文を書いてくれるように頼みました。浮舟への橋渡しなど僧として罪になると躊躇し、薫が直接会いに行くように言う僧都。「罪などと。私が俗人で今までいたのがおかしいのです。幼い頃から出家を心ざしていましたが、母宮のためにできないでいるのです。仏が制していることは少しでもしないつもりで、心は聖にも劣りません。まして重い罪を得るなど有り得ないこと。私はただ、浮舟の母親の思いを晴らしてあげたいのです。」「なるほど、それは尊いこと。」薫の言葉に僧都はうなずき、文を小君に渡します。薫はこのまま小野に寄ることも考えましたが、やはりいったん京に戻ることにしました。小野にも、薫一行が京に向かうざわめきが聞こえてきます。薫が女二宮を妻に迎えたことなどの噂をする尼たち。宇治へ薫が通っていたことを思い出して辛くなった浮舟は、ただ阿弥陀仏にすがって心を紛らわし、何も言わないようにするのでした。横川から戻った翌日、薫は早速小君を小野への使いにします。小君の姉が生きているらしいが、母君にははっきりとわかるまで伝えないようにと言う薫。美しい浮舟が亡くなったことを悲しんでいた小君は、薫の言葉を嬉しく聞きます。「昨夜、薫の君の使いがきましたか。事情を聞いて驚いていると女人にお伝えください。」僧都から文を受け取り、浮舟を問いだたす尼君。浮舟が何も話さないのをもどかしく思っていると、小君が僧都の文を携えて小野へ到着します。「入道の姫君に 山より」明らかに浮舟宛の文を開こうともしないのを見かねて読んでみる尼君。「薫の君からいきさつを聞かれ、全てお話しました。薫の君のお志の深さにそむき、尼になられたこと、驚いております。復縁され、薫の君の愛執の罪を晴らして差し上げますように。出家は一日でも功徳がはかりしれませんので、今後も仏に頼られるのがよろしいでしょう。私もそちらに伺いますが、まずは小君が事情を話すと思います。」「この方は誰なのですか。今になっても私に隔てをおかれるなんて。」文を読んでも事情がわからず、浮舟に迫る尼君。小君が懐かしく、母君のことを尋ねたくて涙する浮舟。面差しの似ている小君が弟であると思い、尼君は部屋に入れようとします。「隔てをおいて何か話さないことがあるように思われていらっしゃるのが辛いのです。けれど、本当に何も思い出せません。この方にも見覚えがあるような気もしますが、私のことは誰にも知られたくはなく、ただお会いしたいのは母君だけ。僧都が文に書かれた方には一切知られたくないので、どうか私を隠してください。」尼君は僧都の隠し事など出来ない性格や、薫の身分の高さを言い募り、浮舟のいい分には賛成せず、小君を招き入れました。小君は確かに姉がいると聞いてきたのに、他人行儀な扱いをされるのが不満で、薫の文の返事をもらってすぐに帰ろうとしています。またも浮舟が読もうとしないのを、無理に開いて差し出す尼君。「聞いたことがないほど罪の重いあなたの心は僧都のことを思って許します。今はあの夢のような出来事をお話したいと心が急くのがもどかしく、人目にもどう映っているかと。『仏道修行の師と思い訪ねてきた道が思わぬ惑いの山に入ってしまいました。』この人を覚えていますか。あなたの形見にしているのですよ。」浮舟は尼になった姿を知られるのが辛くてたまらず伏してしまいます。尼君が返事を書くようにすすめても、今日は書けないと文を返す浮舟。「物の怪が憑いていつもお加減が悪く、尼になったのも懇意の方がいるのではないかと心配しておりました。本当に申し訳なく思っております。今日もまた心惑っておられるようで。」小君はなんとかひと言でも浮舟の言葉を聞きたいと思いますが、何もなく、姿を見ることもできないまま京に戻ります。薫は小君の帰京を苛立ちながら待っていましたが、何の手ごたえもなく戻ってきたので、がっかりします。すでに他の男性に囲われているのではないかなどと、自分がかつて宇治に放っておいたことから思い合わせている薫なのでした。恋愛セミナー851 薫と浮舟 恋の終着駅俗と聖が入れ替わり、入り混じる。そんな瞬間をまざまざと見せてくれる帖です。薫に訪ねられた僧都は、ひたすら保身にまわっているように見えます。出家をさせた本人が、薫を止めることもせず、恋の橋渡しをしている。薫の仏への帰依や愛人として遇するつもりはないことを聞き、納得した風を見せても、文にはしっかり「愛執の罪を晴らすように。」と書く。薫の思惑など見抜いているのです。僧都が浮舟にすすめているのは「還俗」といって、出家した人がもとに戻ること。中途半端な気持ち、この世を完全に手放すことができずに出家する例がかなり多かったのでしょう。源氏が世を捨てるのも、たくさんの関係者や身分や財産など、全てをきちんと処理し、手放すために相当な時間がかかりました。寺の準備を始めてから20年ほどかかっていますが、紫の上を亡くしたために決心がついたようなもの。薫が話していることとは裏腹に、この世を捨てる状況も、決心もできていないことが、たくさんの出家者をみてきた僧都には手にとるようにわかったに違いありません。この世の栄光も、恋も、全てを味わい尽くしてからでないと手放せない。今だ己が本当は聖なる存在で、俗には、はからずも片足を入れているだけ、などと言い訳している薫に、自分が俗にまみれていることを自覚し、痛い思いをもっとせよと、そうでなくては、本当に、世を手放すことなどできはしないと。世間ずれした尼君の兄ということもあり、一見、俗なる聖職者ともとれる僧都は、同じ男性である薫に、そう伝えているように思えます。そして浮舟。小君の訪れに涙しても、薫本人への思いは断ち切ろうとしています。出家すれば完全に俗との縁がなくなるわけではないという現実を、中将とのことで思い知っている浮舟。周囲から、散々さとされ、引き合わせられようとしても、自らは決して会おうせず強情にさえとれるその姿は、あの大姫を彷彿とさせます。二つの激しい恋の渦に巻き込まれ、二度も身を捨て、聖なるものと俗なるものの交差する場所から、人生の裏の裏まで見尽くした、人形・浮舟。自ら聖なるものになろうと思っていたわけではない浮舟が、己を聖なるものと思い込んでいた薫より、はるかに先んじようとしている。人形として薫の前に現われた浮舟が、薫が求めたとおり、大姫のように仰ぐべき存在になろうとする萌芽が見えます。かつて藤壺の身代わりとして用意された紫の上が源氏を越えていったように、そして、源氏も紫の上を仰ぐ己を受け入れたように。薫が人間として立ち上がった浮舟を、またはもっと大いなる存在を受け入れ、真に手放せる日はやってくるのでしょうか。紫式部の、魅力。香り高き糸で織り成したような物語で、人生の全てをあますところなく示し、惹きつけられた人の夢の橋桁をさっとひいてしまう。源氏も薫も紫の上も浮舟も、登場人物の全てはあなたの中にある美しき夢。今度は、彼らを見て学んできたあなたが美しく生きるとき、と。菊のベールの中から、葵の門をくぐった女性たちもこの物語を携え、自分を重ねつつ時を重ねていたことでしょう。聖にも俗にも全てを受け入れ、味わい尽くし、手放す、そしてまた出逢う。始まりは終わり、終わりは始まり。「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 嶺にわかるる よこ雲の空 (定家)」*********************************************源氏の三部全編を、拙いあらすじではございますが、ご紹介させていただきました。最後まで到達された方、おめでとうございます、そして読んでいただいてありがとうございます。壮大なる源氏物語の最終章としては、かなりあっけない幕切れに、戸惑われた方もいらっしゃるかと思います。宇治十帖を紫式部が書いている途中に亡くなったのではないか、別に作者がいたのではないか、などとも言われているようですが、皆さまはどうお感じになりましたでしょうか。また、全編を通して心惹かれる場面や人物などをお教えいただければ幸いに存じます。最後にご紹介したのは、「夢の浮橋」のあらすじをまとめた直後に読んでいた「百人一首」の本に紹介されていて、目に飛び込んできた歌です。新古今和歌集・百人一首の撰者にして源氏研究の大家・藤原定家の作。この歌は難解とされているそうで、古来いろいろな解釈がされているそうですが、ふと、新春のころ源氏物語を夜半まで読み、夢の浮橋まで辿り着いた定家が、途絶えてしまったような物語に放り出されて戸惑う気持ちのままあけぼのの空を眺めたのではないか。そして分かれては消え、消えては生まれる雲に思いを託したのではないか。こんな戯訳を思いつき、物語の最後にご紹介させていだきました。源氏については、これからも人物や現代との共通点、演劇や文化に与えた影響などを皆さまと考えてゆけたら幸いです。只今注目しております海老蔵&寂聴コンビの源氏物語についてのことなども。演劇・ヨガ・自然療法・手作り石鹸などのことも平行して、キレイについてお伝えできたらと思っております。また、これまでの日記に立ちかえってお読みになり、お気づきになることがありましたらかならずお返事させていただきますので、お書き込みいただければうれしゅうございます。フリーページに源氏を載せていたころから読んで下さった方、源氏に繋がるご縁を引き合わせて下さった方、登場人物の魅力を始め、様ざまなご示唆をいただいた方、キャッチアンドリリースについて深い考えを下さった方、いつも愛について教えてくださる方、源氏を愛する優しい視点から物語を読むことを伝えてくださった方、男性の立場からみることをお教えくださった方、そして訪れてくださった方すべてに改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
December 27, 2004
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