あなたのしあわせがわたしのしあわせ

あなたのしあわせがわたしのしあわせ

本当の感謝


全ての生きとし生けるものに存在の意味があるように。
 何ひとつ無駄なことはない。
 また、人の言葉にも、それを聞かされるには意味がある。

 例えば、寡黙な父親が愛する息子を叱りながら
「お前など出ていけ」と言ったとしても、それは
息子を愛するが故で、憎んで言っているのではない。
 口汚くののしっているように見えても、息子のために
こころで泣きながら言っているのだ。
 また、母親が、どんなに言って聞かせてもわからない
愛するわが子に手をあげたとしても
それは、自らの手とこころに、もっと痛みを感じながら
わが子に覚醒を促すためである。
(こころの中では泣きながら、どうか気づけ・・と祈りにも
似たこころなのだから)
(虐待とは質が違うものだけにいえる・・念のため)

 何も親子に限ったわけではない。
厳しい師匠についた弟子が、一人前になれたとき
師匠の厳しさに感謝がもてるようになる。
 厳しかったわけがわかって初めて感謝になるのだ。

 どんなに努力しても報われないとき、自分だけが何故?と
苦しみにあえぐとき・・何故それがみずからにあたえられたのかを
深く思惟することができるものは、本当の感謝を知ることができる。

 どんな出来事にも意味がある。
それを乗り越えることができたものは、その試練にさえも感謝する。

 伸びてはいけない方向の枝が剪定されるように、
間違った自分には必ず気づきが与えられる。
 しかし、不平不満や愚痴のこころでは、
それさえも気づけない。
 また、思いあがったこころ、慢心をもつものも
気づけない。

 大きく育つ樹木が風雪に耐えるように
大きな花を咲かせる人は、全てを深く思惟して感謝に変えることができる。
 愛される自分であるからこそ、与えられていることに
気づけるからである。

 厳しい言葉や、困難にこそ、自らを正す愛があるのだ。

 甘い言葉にはわながあり、優しげな言葉にも毒がある。
それらも見抜けるようになれば、毒を受け取ることはない
大きく口を開けた地獄の穴に落ちることもない。

 人の言葉を聞く耳を持つものは、そこにこめられた意味を
こころの耳で聞くことができる。
 そうして、苦しく辛い状況にさえ、感謝が持てるようになる。
都合のいいことにだけの感謝は、本当の感謝ではない。
 また、優しいだけの人が本当に優しいわけではないのだ。

 こころの目と耳で、世界を見よう・・
そして、人の言葉に耳を傾けよう・・
 真実はそこにあり、ゆるぎない本当の幸せもまたそこにあるのだ。

hasu2

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: