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今日は娘が横浜まで来てくれて、パソでユーチューブ見たかったらしいけど、お昼からずっとネットつながらなくてヤフーで調整してもらってったんだ50メガにしてから調子悪くて、モデム変えたり調整したりしてもらってもあんまり良くならなくて、NTTに頼んで光にしよーかなと思ったり…実家はもう光にしてて、不具合もあんまりなさそうで、BBフォンも使えてるし金額も大差ないし…ずっと8メガ使っててそんなに不自由なかったから、安いのに戻そうかなぁ~のろいのは構わないけど電話やネットが使えなくなる方が困るので、今回の調整であんまり良くならなかったら考えようと思う最近あんまりパソ使ってなかったし、節電でさらに控えてるから、8メガでもぜんぜん大丈夫な気がするよ
2011年03月31日
昨日も夜大きな余震があって、ぐらぐら揺られながら寝てた夜中に何度か目が覚めるのは相変わらず・・・でも今日はトイレは我慢して4時過ぎまで起きなかったんだ地震酔いも生理痛もだいぶ良くなって、ちょっとすっきりしてるかも右足は変わらず痛いけどもうすぐ学校始まるから、そろそろ勉強しないとヤバいので、午前中はがんばろうかなと思ってるよ昨日学校の友達からメールが来て、煙草が買えなくなるって教えてくれたんだJT煙草高くなったからそんなに買いだめできないし、たばこ離れに拍車がかかりそうだよね
2011年03月31日

福島の大家さんがさっき突然顔見せに来てくれたよ息子さんのところへ来たついでらしいけど、勤め先で売れないのをもらったからって、スターチスをたくさん持ってきてくれたんだまだ半乾きなので部屋にぶら下げてるゆっくりしてってくれたらよかったんだけど、旦那さんと一緒だからってすぐに帰っちゃったわたしは昨日一昨日と埼玉にボランティアに行って疲れてたのと、毎月くる陣痛も始まってめっちゃ腹痛だったから、朝とりあえず5時前に起きて、掃除洗濯してからまた布団敷いて寝て、お昼にお風呂に入ってもう一杯やってた…部屋も散らかってたし見せられない状態だったけど、ちょっとだけ上がってってくれたよ旦那さんも元気らしく毎日うるさくてしょうがないらしいでもそれも生きてるからだよねって笑いながら、臭いでばれるからって煙草も吸わずに帰ったよ二人ともこっちに出てこれるくらいお元気でほんとに良かったまたゆっくり遊びに来てくれるといいなぁ~
2011年03月29日
昨日は夜停電の予定日だったのでいつものように7時前に布団に入ってたら、真夜中にメールが来てボランティアの日程がわかったよ行くのは埼玉のコミュニティーセンターで小規模なところらしいなにかしたい気持ちは誰もがもってると思うけど、かえって迷惑になってしまっていることがたくさんあるみたいで、今回の計画もダメになりそうだったんだってぎりぎりになって連絡が来たらしく、いただけた時間は午後からの1時間半なので、往復5時間くらいかかるからちょっともったいない気もするけど、できることをできるだけやってこようと思ってるよ無事に大宮の先までたどり着けるかが一番心配かなぁ
2011年03月26日
去年の暮れあたりから痛んでた右足、股関節が悪いのかなんだかわかんないまま、治療に行ったりしてたんだけど、地震の後ずっと痛いのがまんして過ごしてるんだ1日ほとんど地べたで座って過ごしてるから、あぐらもぺちゃんこすわりも横座りも長くできないし、夜寝ててもごろごろ動いてないと痛くて寝つけないもう何か月も続いてるからあっためた方がいいだろうと思って、湯たんぽ使ってるんだけどねたまたま今日勉強してたら大腿神経痛ってのが出てきて、坐骨神経痛はよく聞くけど大腿神経にもあるんだぁ~って調べてみたわたしの痛む足の部分は裏側じゃなくて全面と側面で、ひどいときは膝から足首の方まで痛むんだけど、おしりから下に向かって出てる坐骨神経の痛みじゃないとは思ってたんだまぁどっちにしても腰から出てる神経なので、大元は腰なんだろうねこれだけ毎日安静な節電生活してるんだから、少しはよくなってもよさそうなもんだと思うけど・・・
2011年03月25日
地震直後の電話以来、初めて電話がかかってきたよ原発もあるしずっと心配してたんだけど元気そうで良かった前は同じ区内に住んでて近所で酒屋さんをやってたので、毎日顔見に行けてたんだけど、旦那さんの親の介護で福島へ引っ越してしまってから、ほとんど会う機会も無くなっちゃってさみしかったんだ今日の電話は水道の事で、地震の影響かどっかで水漏れしてるらしいから、なんか変わったことがないかって聞かれたのうちは3階で一番上だから、水道が漏ってても上から垂れてくるようなことはないし階段も変わったところはなかったので、、下のマージャン屋さんの方がわかるんじゃないかなって言って、汲み上げるポンプの音がちょっと変な気がしてる事を話したよ自分たちの生活だって大変な時なのに、大家さんて大変なんだね…地震の日、息子さんもお隣の部屋にいたらしいんだけど、わたしはあわてふためいてマージャン屋さんの人たちと非難してたので、ぜんぜん気が付かなかったんだ2回くらいしか会ったことないのであんまり顔も覚えてないんだけど、いつかは代替わりして息子さんが大家さんになるのかもしれないとにかく電話してくれて大家さんが元気だったのがわかってほんとに良かった相変わらずちゃきちゃきしててやさしくて、いつも一人でいるわたしの事を心配してくれて、二人目のお母さんみたいに思ってるんだいつまでも元気でいてほしいです介護のお勤めがいつか終わったら、またこっちに戻ってきてくれるといいなと思ってるよ
2011年03月24日
東京でペットボトルのお水が3本(1.5リットルくらい)配られるそう乳児がどんだけミルク飲むのかわかってんのかなぁたった3本もらったって何日分もないしかもそんなことしたらもっとお母さんたちは不安になると思う昨日池上さんのテレビで、ゲストのお兄さんが一生懸命説明してたけど、知らないから怖かったり不安になったりするのは、放射線の事だけじゃないと思うんだだから自分で勉強したり、情報をえる事がとっても大切なんだって感じたよわたしが健康オタクになったのも、脳みそバカになったのも、人体のしくみに興味を持ったのも、自分が大量摂取してた薬の副作用が怖かったからだしねおかげで今は薬に頼らず生活できるようになったし、ただ怖がってるだけじゃダメなんだって気がする放射線についても自分なりに調べてるよ
2011年03月24日
水道水に放射性ヨウ素が基準値の2倍以上検出された赤ちゃんのミルクは水道水で作らないようにってニュースで言ってた大人は問題ないっていうけど、授乳してるお母さんが水道水飲んだら、母乳にきっと出てくるよね東京で出てるってことは横浜でも似たようなもんだと思うわたしは水道水使うのは、朝のコーヒーと大量に飲む味噌汁くらいだけど、スーパーにはまだペットボトルの水売ってないし、飲むなって言われたってどうしようもないよね特殊なフィルターを使えばヨウ素は除去できるらしいから、そういうアイテムを配布してくれたらいいのになぁ
2011年03月23日
古いニュートンの「周期表」と「イオンと元素」を昨日から読み直してるよセシウム
2011年03月23日
今日は久しぶりに晴れるって言ってたのに、なんだかあんまりいいお天気じゃないよ朝早く毛布とか洗ったのに乾かなそう…まだお昼過ぎなのに夕方みたいに暗いし、気温もぜんぜん上がらないからまた布団敷いて湯たんぽ抱えてるよ地震や原発のニュースもいくらか落ち着いてきてるから、そろそろ勉強しなきゃと思って問題集開いてるけど、集中できなくてなかなか進まないそして今日も飲み始めてしまったたとえ数ページでもやんないよりはマシだと思って、飲みながらもう少しがんばるつもり昨日テレビで最初の頃の金八先生やってて、終わりの方だけちょっと見たけど、たしかわたしが中学くらいだったから、もう30年も経ってるんだよね今の子供たちが見てどう思うのか感想を聞いてみたいよちなみに今日の横浜のガンマ線も70ナノグレイだった
2011年03月23日
海の水についてニュースで説明していて、ヨウ素131は8日で半分16日で4分の1になるけれど、セシウムは何年も残ってしまって、食物連鎖で蓄積されてしまうらしいでもヨウ素は海藻の栄養素なので、お魚より大量に吸収しちゃうんだってわたしは海藻が大好きだから、毎日わかめやめかぶや海苔とか大量に食べてるので、なんだかちょっと心配になった三陸産の海藻は中国産より高いけど安心だと思って選んでたから農薬や化学肥料や遺伝子組み換えや保存料とかの添加物に、放射性物質も気になきゃいけない世の中になっていくのかな
2011年03月22日
昨日からまた少し高くなってきた黒い煙が出たせいかな・・・16日の150ナノグレイ程じゃないけど、今日の77ナノグレイでも通常の3倍くらい横浜市環境創造局牛乳、ほうれん草に続いて海でもたくさんの放射線が検出されたから、お魚にも被害がでてくるんだろうな
2011年03月22日
地震の後トイレットペーパーとかの紙類がどこにもなくなってしまい、生理用ナプキンはぎりぎりコンビニで買えたから今月はOKなんだけど、ティッシュはハンカチ濡らして鼻かんで、キッチンペーパーは雑巾つかって、できるだけ使わないようにがんばってるよだけど○ンコだけは布で拭いても後始末が大変だから、実家のお母さんが紙を宅急便で送ってくれたんだわたしは娘たちをみんな布おむつで育ててるので、まぁやろうと思えば自分の○ンコだって洗えなくはないんだけどね・・・実家の方はトイレットペーパーも並べば買えるらしく、送料かかるのにかさばるのを送ってくれてたんだふつうのトイレットペーパーより、詰められる紙の方がいいだろうと思って、子供の頃(大きな穴の開いただけのトイレだったころ)使ってた紙を送ってもらったよしわしわのプリーツの入った四角いB5くらいの紙ずっとケチってペーパー使ってたので、ほんの2、3枚で手を汚さずに拭くことができてちょっとびっくり最初きれいに4つ折りにして使ったら微妙だったので、1枚1枚ふんわり丸めて使ったらいい感じだったしわしわなせいか普通のトイレットペーパーより吸水性があるみたい圧縮して送ってくれたからトイレに出しておいたらすごい膨らんで、1人だから当分紙買わなくてすみそうだよトイレの穴に落っこちた事とか懐かしく思い出しながら、毎日大事に使ってる連休中は停電なかったけど、明日からまた始まるんだろうな・・・
2011年03月21日
●3月12日(土) 地震2日目の夜をA病院で迎えました。すでに400人を超える患者を受け入れてきましたが、現在もなお救急車(他県からの緊急消防援助隊を含め)が収容依頼のアポなしで搬入されてきています。仙台市内の死者もおそらく1000人を超え、宮城県内では1万人を優に超すものと思います。 夕方からは、他県のDMAT(災害派遣医療チーム)2チームが当院に入り、手伝ってもらっています。病院は何とか診療機能を維持し、電気は復旧、水道は給水車による優先給水、医療ガスは備蓄でやっています。市内の他院は、電気が復旧しないため非常発電に依存しており、燃料の供給がいつ再開されるかがカギです。 共通の問題点は、患者や職員の食料や薬品・診療材料の不足です。食料の備蓄はそれほど多くはなく、コンビニは長蛇の列です。また薬の卸問屋が停電で機能せず、あるいは壊滅状態となったところもあり、供給の見通しが立ちません。当院の建物にも一部被害があり、入室禁止箇所があるため、入院患者数の制限を余儀なくされています。●3月13日(日) 地震後3日目の夜となりました。仙台には全国各地から70を超えるDMATが参集し、当院には昨日(12日)夕方から2チーム(神奈川の赤十字病院、置賜総合病院)、本日は交代で4チーム(新庄病院、独協医大病院、深谷赤十字病院、JA中濃厚生病院)が救急診療のサポートに当たってくれています。 地震直後からの受け入れ患者数は500人を超え(昨日、本日の臨時日中外来を含む)、まだ続々と傷病者が搬入されています。電気が復旧し非常電源頼みの状況から抜け出した病院も少しずつ出始めていますが、依然として医薬品、診療材料、医療ガス、燃料などの供給体制に不安を抱えながら診療に当たっているのが実情です。救急患者の質も少しずつ変化しています。当初から重症外傷患者の搬入が比較的少ないのが今回の災害の特徴のようですが、内因性の疾患が時間とともに増加している印象です。 県庁に宮城県の災害対策本部が設置され、今回初めて医師が災害医療コーディネーターとして災害対策本部に入り、災害拠点病院、医師会などの無線ネットワーク(電話は全くと言っていいほど機能しません)を駆使して、自衛隊による空路救出や、域外搬送(県外病院)や県内・市内病院への搬送調整、DMATの出動先調整などに当たっています。 そのため、携帯型無線機を常に手にしながら、絶えまなく余震が続く院内を動いています。通常の救急医療体制に戻るにはまだまだ時間が必要でしょう。一緒に働く病院職員や救急隊員の中には、いまだ家族の安否が不明の人たちも少なからずいます。多方面からの御支援、励ましを糧として今日も院内泊です。●3月14日(月) 地震4日目の夜を迎えました。石巻B病院(津波で被害を負った石巻地域の主要病院)が病院機能を維持できなくなり、ほぼすべての入院患者を自衛隊の大型ヘリで霞目駐屯地にいったん搬送し、そこからさらに仙台市内の病院、あるいは県外の病院へ搬送しています。東北厚生年金病院も電気が復旧せず、非常発電用の重油の供給が途絶えるなどしたために患者の他病院への搬出を始めています。仙台市内の病院の受け入れキャパシティもかなり苦しくなっているのが現状です。 本日も県外DMAT(愛知医療センター、千葉県救急医療センター)の医療支援を受け、心の底から有難く感じています。そして当院の常勤スタッフのみならず、研修医やレジデントの若い力にも感謝しています。当院脳神経外科スタッフではA先生、B先生、C先生、D先生が活躍中です。今日も院内泊となるでしょう。●3月15日(火) 地震5日目です。当院屋上の煙突(鉄製の煙突の周囲をコンクリートで固めたもの)に崩落の危険があるとのことで再評価した結果、当病院本館の放射線、検査部門のほぼすべてが立ち入り禁止区域となりました。病棟もナースステーションを含め東西ともに立ち入り禁止となったため、今後入院患者数を制限せざるを得ません。また手術も現在は臨時手術のみで、お産も制限されそうです。 それでも救急患者の収容要請は途切れることがありません。病院の診療能力の低下はやむを得ないものの、できることをやっていくしかありません。3月17日(木)22:19のメールから 患者さんは病院に来たくてもなかなか来ることができず、ネット環境が整っている方は、電話がつながらないため病院にメールを送ってきます。それらに一つひとつ、対応しています。外来には、東北地方全域のほか、北関東や新潟などからの紹介患者が来ますが、通常、新患予約が取れるのは3カ月ほど先になるため、このような災害時でも受診される方があります。 今日は山形県から5歳の女児が、仙台市内の被災地の近くからは4カ月の男児がやってきました。電話で連絡が取れないため、思い切って来てみたそうです。山形のお子さんの母親はガソリンがほとんど無く、帰れるかどうかも分からない中、最も燃費の良い軽自動車で雪の中をやってきました。 4カ月の男児の母と祖母は被災し、親戚の家に身を寄せており、今日の受診のためにガソリンをギリギリまで温存して、この子のために今まで車を使わないできたと言っていました。着ている服は借り物のようでした。お風呂にも入っていないそうです(仙台市内でもガスが無いため、オール電化の家以外はお風呂には入れません。自分も例外ではありません)。 お子さんのためには、家族は必死になります。それにお応えしなければと思います。震災から2日目に、外国籍で日本語がほとんど話せない家族の1歳のお子さん1が手術後退院の予定でした。車も持っていませんし、電車もバスも止まっています。どうしようか考えましたが、タクシーなら住所を書いた紙を渡せば連れて行ってもらえると考え、病院から出て看護師さんとタクシーを探し回りました。 タクシーもガソリンが無いため大半は稼働していません。ガスを燃料とする車種も、電気が止まってガスステーションで燃料補給ができないため、稼働できません。偶然ガス欠で止まっていたタクシーの運転手さんを見つけたので、無線で燃料が残っている車を呼んでもらい、無事に退院させることができました。タクシーの運転手さん、夜勤で家に帰るところだったそうですが、事情を話したら快く受けてくれました。
2011年03月18日
●2011年3月11日 18:34これから被災地に向かいます。●2011年3月11日 20:57無人の東北自動車道を移動中です。現地はなかなか遠いです。 ●2011年3月12日 17:54仙台市にいます。我々の活動拠点のある西側はライフラインこそやられていますが、家屋の倒壊はなく、これが未曽有の大地震の被災地かと目を疑うような平穏な風景です。手をつなぐ親子やカップルが普通に歩いています。ところが、東側の海に面した辺りは悲惨です。津波になぎ倒されて水没し、瓦礫(がれき)の山で、火災が発生し、ご遺体が多数発見されているようです。救助隊も、交通の寸断と二次災害の恐れのため満足に活動できません。死者は積み上がっても、助けられる傷病者が発見できない、実に歯がゆい状況です。発見されるのは、死体か元気な人かのどちらかなのです。これは地震というよりも津波だ。津波は一度巻き込まれるとほとんど生存できる可能性のない、恐ろしい災害です。数百名規模の、おそらく今までで最大規模のDMAT(Disaster Medical Assistance Team)が活動しています。が、実際に救命可能な人は、皮肉なことに少ないです。●2011年3月13日 10:33新たに来る外傷はほぼいなくなりました。一方で、疾病は急増しています。災害のストレスや、ライフラインの破壊による生活環境の悪化ももちろん原因ですが、なんといっても住処(すみか)を失った人の急病が増えています。車内生活者の肺塞栓症(エコノミー症候群)も来ました。被災地に今必要なのはもちろんすべてですが、多数の避難者への住環境整備が最優先だと思います。支援をしていただける方、最高に必要なものはおそらく寄付です。●2011年3月13日 16:43仙台で車内生活者の心肺停止例、おそらく重症肺塞栓症を診療しました。中越地震の時も多数例発生しています。震災被災地に早急に仮設住宅を設置するなど、「住」を提供することが急務です。●2011年3月13日 16:56私の高校の友人たち、医師の仲間たち、その他の大切な友人の皆様に、社会的に成功して裕福な仲間たちに率直にお願いをします。東北地方の広域で生活物資が不足しています。活動中に、食料品やガソリンを求める長蛇の列を幾度となく目撃しました。被災者のために寄付をしてください。生活物資や仮設住宅は、すべての被災者を、特に高齢者、子供、家を無くした被災者などの社会的弱者の命を守ります。もちろん私もそうします。●2011年3月13日 22:51仙台から撤収中です。移動の強行軍、診療、空腹、睡眠不足、風呂に入れない顔も洗えない、雑魚寝、欲しいものの何一つ手に入らない苦しい生活でした。私は短期間でしたが、被災地の人たちはこれが何週間も続きます。しかし、地元の皆さんは、この悲劇と苦境のなかで、たくましく明るく感謝の気持ちに溢れて暮らしています。「東京DMAT」のロゴが入ったユニフォームを見て、何度も「遠くからありがとうございました」と声をかけられ、こちらがじんときました。宮城県が大好きになりました。●2011年3月14日 13:253/11 地震発生。被災地に向けて無人の首都高速を走るドクターカー。随行車から。この時、私は偶然DMATの講習を受けていました。まさにその日にDMATで出動するとはびっくりです。東京は大渋滞で、多数の帰宅困難者が出ていました。通行止めの首都高速を走るのに、微妙な罪悪感が…。●2011年3月14日 14:54仙台市若林区の国立病院機構仙台医療センターです。外観上の損傷はなく、周囲の町並みも未曽有の大地震が襲ったとは思えないくらいの平穏さでした。しかしライフラインは途絶し、自家発電で部分的な電力供給と備蓄の水でかろうじて業務が出来るものの、CTなどの大型画像診断機器は停止し、大手術はできない状態です。院内は節電のため暗く、水道やトイレはほとんど断水です。加えて院内に被災者が避難してきており、病院業務に加えて救護も行わざるを得なくなっていました。ここが拠点になり、およそ100チーム500名前後のDMATが参集しました。ここと周囲の病院の医療支援、災害医療の現地本部機能、自衛隊基地での搬送業務、被災現場での医療、などに散って行きました。●2011年3月14日 23:11仙台市宮城野区の東北厚生年金病院での風景。仙台市の中核病院の一つである。津波の被害をぎりぎり逃れたが、建物が損傷し、屋上の水タンクから水が流れこみ、病棟の一部が閉鎖に追い込まれた。400名くらいの入院患者を病棟移動させ、4人部屋を8人で使うなどの対応をしたが、そこにさらに1400人の被災者が避難場所を求めて押し寄せた。会議室やリハビリテーション室、廊下、ロビーなど、共用スペースには被災者が溢れかえった。手持ちのリネンと災害備蓄の保存食をすべて放出し、できる限りの対応をしたが、水、電気、ガスのすべてが停止し、自家発電の燃料も枯渇しつつある。余震が来れば崩落の危険がある。トイレの水が流れず、悪臭が立ち込め、衛生環境は悪化しつつある。すべての病院職員は英雄であった。すべての患者と避難者、5倍近くに膨れ上がった人たちのケアに不眠不休の努力をした。しかし、遂に限界が来た。入院患者の転送と避難者の移動が始まった。 このように仙台の「避難所」は収容能力、衛生面、安全面、食事など、すべての面で危機的な状況にある。写真は病院での炊き出し風景。スチール本棚を倒して竈(かまど)にし、津波で流れてきた木造家屋を薪にして、味噌汁を作っている。職員の表情は明るく、なんともたくましい人たちであった。
2011年03月18日
いわき市では約1万4000人が、140カ所の避難所に身を寄せているといわれています。 初日はまず、現地の医師らと分担して、各避難所にどのような方がいるのかの把握で終わりました。人数や男女比、高齢者や子供の人数、急いで診察する必要のある方、被曝した可能性のある方は何人くらいいるのか…といった状況の把握です。現地の方の運転で、1つの避難所につき10~15分くらいかけて回りましたが、8カ所の避難所の情報収集に12時間かかりました。 そこで分かったのは、とにかく診療を必要としている人がとても多いということ。どの避難所でも高齢者が3割以上いて、持参薬はほとんどない状態でした。140カ所ある避難所を限られた人員で回るのは、とても困難だと思いました。 翌日は2700人が避難する草野小学校と1000人が避難する四倉高校に赴き、診療を行いました。主に行ったのは常用薬の処方で、降圧薬、糖尿病薬治療薬の処方が中心でした。患者にこれまでどのような薬を飲んでいたかを聞いて処方し、周辺にいくつか残っていた薬局で調剤してもらうようにしました。 福島第一原子力発電所の近くから避難されてきた、被曝疑いのある被災者のスクリーニングや、自衛隊部隊が行う除染活動にも協力しました。「衣類はどうしたらよいか」といった被災者の方の相談に乗ることが多かったです。 通信手段としてはauの携帯電話を持っていましたが、いわき市内では電話はほとんど使えず、メールも送受信できないことがありました。このため、外部とのやり取りにはパソコンのメールを使っていました。[どの薬を処方すればいいか分からない] 現場では、とにかくスピードを優先せざるを得ませんでした。草野小学校では、地域医師会の先生と2人で、3時間で100人の患者を診ました。事前に保健師らがトリアージを行い、医師の診察と処方が必要な患者のみに診察を行い、さらに胸の痛み、吐き気などの症状がある患者に対して追加で診療を行いました。 ただ、追加の診療といっても、具体的に様々な処置ができるわけではありません。医学的に見て、緊急性がないかどうかを判断しました。 基本的には患者から聞き取って処方するため、これまで飲んでいた薬が特定できず、判断に迷う場面が多々ありました。「血圧を下げる薬」「血糖値を下げる薬」「血をさらさらにする薬」といった患者の説明では、様々な機序の薬のうち、どれかが分かりません。自分の臨床経験から判断したり、副作用の少ない薬を選んで処方するようにしました。 もちろん、うまく聞き取るためのコツもあります。例えば「血をさらさらにする薬」を飲んでいたという患者には、「薬を渡されるときに『納豆を食べないように』と指導されたことはないですか」と聞いてみます。血をさらさらにする薬というと抗血小板薬や抗凝固薬が考えられますが、納豆を食べないように指導されていればワルファリンのことだと分かります。 特に注意したのは、血中濃度を維持しなければならない薬の処方です。インスリン、ワルファリン、免疫抑制剤、抗痙攣薬については、血中濃度を維持する必要性が高く、服用していなかったかを必ず確認しました。このほか降圧薬、糖尿病治療薬、抗血小板薬、喘息患者への吸入ステロイド、リウマチ患者への抗リウマチ薬なども処方の必要性が高いです。一方で、健胃薬など、喫緊に必要でない薬については、患者に説明した上で処方を見送らざるを得ませんでした。 また、糖尿病治療薬の中には低血糖を引き起こすものがあるため、食生活について確認することが必要でした。避難所では、十分な食事を摂れていない可能性があります。実際に、私が診察した中でも、食事を摂らずに薬を飲み、低血糖発作を起こしたという方がいました。しばらく食事ができていないのであれば休薬し、さらに、服用開始後はご家族に様子を見てもらうようお願いしました。[求められるプライマリケア医] ただ、私は救急医で外科系であり、迷うことも多く、本当に私でよいのかとジレンマを感じる場面も少なくありませんでした。もちろん、ある程度の処方はできますが、内科に精通した、プライマリケア医が現場で求められていると痛感しました。 また、診察時には、ちょっとした言葉遣いにも配慮が必要となります。診療の合間に「ご家族は無事でしたか?」と声をかけたのですが、泣かれてしまいました。避難所には複雑な思いを抱えた人がたくさんいます。短時間に多くの患者を診なければいけないこともあり、診療は淡々と進めた方がよいと感じました。[水、ガソリンがなければ医療も提供できない] 医薬品が足りないのももちろんですが、より深刻なのは、水、ガソリンの不足です。確保できなければ、あと1、2日で活動が止まってしまう可能性が高いのではないかと感じました。 水がなければ、消毒が十分にできません。また、いわき市は香川県と同じくらいの広さがあり、避難所同士も離れているため、車でなければとても移動できません。給油所はありますが、ガソリンの在庫はすぐにつきてしまったようです。 私が入ったのは被災から2、3日後ということで、今すぐに感染症の流行が問題になるということはなさそうでした。しかし、水が不足しているため、トイレなどの衛生面では既に不安が生じてます。例えば高齢者の方は、避難所内でおむつを替えざるを得ません。今後、ノロウイルスやインフルエンザなどの流行の危険性が出てくるかもしれません。 また、私がいわき市入りした時点では、被災者の方々もまだ気持ちが張っていたように思います。1週間、1カ月後には、精神状況も変わってくると思います。メンタルヘルスケアなど、今とはまた別のケアが必要になるでしょう。[また現地入りしたい] いわき市は、福島第一原子力発電所から30~40kmの距離にあります。私は、ヨード剤を服用して診療に当たりました。 被曝リスクについては、行政がチェックしてくれており、市が公表した3月16日のいわき市合同庁舎の空間線量率は、最大18.78μSv/時間、最低0.98μSv/時間でした。この程度の数値であれば、滞在しても問題ないと思います。状況は刻一刻と変わっていますが、もし大きく悪化しない限り、準備が整い次第また現地入りするつもりです。 もし災害医療への参加を希望されるのであれば、日本医師会に連絡してもらえれば、地域医師会がコーディネートしてくれます。被災で通行できない道路などがあるため、被災地での診療には、地元の方の協力が欠かせません。今回、私が避難所を移動する際にも、地元の方に運転していただきました。また、地域によっては、高齢者の言葉(方言)を聞き取れないこともあります。こうした場合も、地元の方に間に入ってもらいました。 大規模災害後は、継続的な支援が必要になります。災害医療は外傷医療と捉えられがちですが、継続的に求められる災害医療は、被災地にいる人たちの健康を維持するためのプライマリケアです。 プライマリケア医の方々には、どうか、この東日本巨大地震からの復興にかかわってほしい。被災地でこれから強く求められるのは、プライマリケア医の活躍です。
2011年03月18日
8.8が9.0に訂正された地震からもう5日毎日テレビでニュース見てばかりで1日が終わってるよ原発は次々壊れ、静岡や茨城でも地震があって、横浜でも1日に何度も揺れを感じてる停電の準備をして昨日も一昨日も夜6時20分に布団に入っているけど、今のところ電気は止まらなくて、今日は夕方の予定だったけど大丈夫だった相変わらずスーパーには紙類や米やインスタントものがまったくなくて、トイレに行くのも我慢して回数減らしてるご飯もずっとお粥ばっかりだったから、今日はお菓子を買って昼間から飲んでみた昨日夜10時過ぎに大きな地震があって、そのままテレビ見てて寝不足だったから、昼寝できるかと思ったけどダメだった夕方になって停電にならなかったので、しかたなくまたニュース見てたらナルトがやってたんだ子供の頃の再放送で、久しぶりなのでずっと見てたよニュース以外のテレビを見るのは何日ぶりだろう大好きなしかまるもあかまるもかっこよくて泣けた明日7時半からオトナのナルトをやるらしいから、忘れなかったら見ようと思う天皇陛下の淡々としたお言葉を聞いて涙がぼろぼろ出た国民のために原発で危険な作業をしてる人たちや、ボランティアで被災地に行ってる医療従事者の人たちや、メディアで報道してる人たちや、スーパーやドラッグストアで働いてる人たちや、お風呂にも入れずご飯もたべれずに避難してる人たちや、いろんな人たちの事を考えるけど、わたしはわたしが一人で元気で生きてることが、みんなに心配かけずにすむ一番の事だと思うので、できるだけ節電しておとなしくしているよずっと一人で家にいて誰とも話をしないから、すっかり引きこもりモードだけど、小さい頃から一人でいるのは慣れてるから、それほど苦にはならない気がする年を取って孤独な老人になっても、多分わたしはそれなりに暮らしているだろうと思う
2011年03月16日
昨日学校から帰ってお昼食べて洗濯干してたら、ものすごい地震があったここはちょくちょく地震があって、建物がけっこう揺れるので、最初はまたかぁ~って思ったんだけど、あんまり長くて揺れがはげしいので、怖くなってマージャン屋さんまで下りて行ったんだおじさんが入口まで出てきてくれて、お話しようとしたらさらに揺れが激しくなって、慌てて階段下りて外に出たよお客さんたちもみんな出てきて、とりあえず100円パーキングにみんなで避難…立っていられないほど揺れててて、うちのベランダの吊り鉢が飛んできそうなくらい振られてた電柱も倒れそうだし止めてある車もトランポリンみたいに弾んでた瀬戸物屋さんは道端に出してあった土鍋や店内の置物が倒れて割れて、ものすごい損害だろうと思う昨日は3回駐車場に避難して、ずっとテレビのニュースを見てたよ夜中になっても茨城には電話がつながらなくて、今朝ようやく連絡が取れた停電と断水になってるけど、庭でペットボトルのお湯沸かしてラーメン食べたってとりあえずみんな無事が確認できてよかったよまだ揺れは続いてるからどうなるかわからないけど、何百人も亡くなってるし、発電所とかコンビナートとか心配・・・
2011年03月12日
昨日はいつもの陣痛のため熟睡できず、ぼーっとしながら電車の中で過去問見てたら、いつのまにか降りる駅を通り過ぎていた・・・わたしが降りるはずだった駅に着いたとき、ドアが何度も閉まったり開いたりしてたので、やけに時間かかってるなぁ~なんてのんきに思ってたよそんで次の駅でアナウンス聞いて、ようやく乗り過ごしてたことに気が付いたんだしかたなくそこで降りて階段下って下り車線に行って、寒いホームで各駅くるまで10分ちょっと待って、一駅戻って○トールについたのは15分以上遅かったいつもは30分まったりするんだけど、そそくさとコーヒー飲んでタバコ吸って学校へ・・・それでも授業の始まる1時間前に着くので慌てることもなく、毎朝集まってる畳の部屋でみんなでだべりながらストレッチしてたら、3年生の先輩(かなり年上のおじさん)が、お世話になったからって高級なお菓子をたくさん持ってきてくれたんだお世話になったのはこっちの方で、ナンのお礼もしていないし、でもせっかくなのでいただいてみんなで分けたよやっぱり年配の人は心遣いが素敵だよね~お腹痛いしテストの結果も不安で憂鬱だったけど、すごくうれしくて元気になり、授業が始まっていよいよ山場の生理学のテストが帰ってきた前回は首席を争うあたりにいたので、今回はとってもヤバいと思っていたんだけど、想像をはるかに超えて点数はいってて、結局1年最後のテストはクラスで1番だったらしい昨日古いテストを見直してたら、だいたいいつも5、6位くらいになってたので、まぁみんながあんまり勉強してないからかもしれないけど、それなりにうれしかった一番うれしかったのは、解答用紙に先生がコメント書いてくれたこと嫌ってる人が多い先生だけどわたしはかわいくて大好きだったので、最後の問題(生理学の授業についての質問)で、わたしは時間がなかったから「大好きです」って一言だけ書いたんだそんな殴り書きに「最高です(爆)」ってお返事が書いてあったから、すごくうれしくて近くのお友達に見せちゃったよきびしくてやさしくておちゃめな先生のとっても素敵なお返事♪また3年生になったら入試対策で少しお世話になれるかもしれないけど、当分ご無沙汰してしまうのでとってもさみしい明日の解剖の先生も大好きなので、授業が終わったら1年間のお礼を言いたいなと思ってるよ
2011年03月02日
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