もう2週間以上も経ってしまいました。
日記を書くのに勇気が要りますが、
母のことを書かなくては次に進めません。
ここに書くのは、私たちの見て感じた母のことです。
同じ病気でも経過や状態は違うと思いますので、
その事だけ、断わらせてください。
いつも仲良くしていだだいている皆さんありがとうございます。
アップできていない日記もあり、
コメントのお返事もできていなくて、すみません。
後ほど、ゆっくりお返事と以前の日記も書いていきますね。
【母と病気】
母が、日々しんどそうになってきているな。とは、感じていたものの・・・
こんなに早くやって来るとは、思ってもいませんでした。
5月21日に一時帰宅した時も、外出するのがしんどそうだったので、
予定していた薔薇園にも行けませんでした。
次は、体の楽な時に帰宅して、紫陽花を見に行こうと思っていたのに、かないませんでした。
5月31日水曜日。
病院に向かう途中、「今朝から急に容態が悪くなっています。」と、携帯に連絡が入りました。
病院に着いて、先生から「ここ数日が危ない。」と告げられました。
それから3日間頑張って、
6月3日午前3時58分 息をひきとりました。
苦しい時、看護師さんが、
「○○さん、とても忍耐強いからね。でも、しんどかったら声を出してもいいのよ。」
と、母に言ってくれました。
最後の1日半は、しんどくないようにと先生が安定剤の注射をしてくださり、
母は安らかに眠ったまま逝きました。
母は、病気に対して一度も文句を言わず、注射や点滴、手術、検査も素直に受け、
本当に忍耐強く頑張っていました。
時折「あぁ、しんど」とは言っても、それで私たちを困らせるような事はありませんでした。
本当は、私たちが思っているよりもっともっとしんどかったんだろうね。
偉かったね。本当によく頑張ったね。
もう楽になれたから、のんびりゆっくりしてくださいね。
【ホスピス】
ずっと待っていたホスピス棟へ 最後の1日だけ入りました。
この部屋に 父と私たち家族と妹家族も全員集まり、
晴も許可をもらって連れて来ました。
先生も晴に「よく来たな。」と笑顔でなでてくださり、
看護師さんたちも皆さん、晴を歓迎してくれました。
母に晴がペロしたけど、わかったかな。
家族皆が母の周りに集まって、母も心地よい空気を感じてくれたかな。
薬で、苦しくないようにと意識を下げているけれど、耳は聞こえているらしいです。
夜は、父と妹と私、
そして年長の孫であるアニチ(兄1)とねぇねも病院にいると申し出てくれました。
母を看取った後、父と妹と私たち同居の家族全員で、母の身体を拭きました。
母の身体は、痩せて皮下出血があって、病気と闘った後がうかがえました。
和服の好きだった母に 家から持って来た着物を着せてもらい、
家へ帰るお迎えの車が来るまで、部屋で母と過ごしました。
ついさっきまで息をしていた可愛らしい寝顔の母との穏やかな時間でした。
その間にも、主治医の先生、最期の時をお世話になった看護師さん、
ホスピス棟で、そして一般病棟でお世話になった看護師さんたち、
たくさんの方が部屋を訪れて、挨拶をしてくださり、母に声をかけてくれました。
家へ帰る時も、エレベーターの前で先生とたくさんの看護師さんが、
そして、病院の出口を出たところででも、みなさんが見送ってくださいました。
お世話になった先生と看護師さんの優しさと母の命の尊大さに、
たまらなく涙が溢れました。
【母へ】
日曜日、家に帰りたいと言う母を(いつもそう言っていたのですが・・)
突然、連れて帰った父でした。
月曜日、晴に会いたいと言う母に、晴を連れて行って
病院の前で、晴を抱っこして、
マリアさまと噴水の広場でひなたぼっこをしてもらいました。
火曜日、軽い認知症のある母ですが、妹といつもよりしっかり話しをしたそうです。
洗濯物を持って帰る妹に、改まってそんな事を言った事ないのに、
「世話をかけてゴメンね」と言ったそうです。
「今までしてくれた事の何分の一も返せていないよ」と答えてくれた妹。
お話しができた最後の日に 私たち娘の気持ちを伝えてくれて、ありがとうね。
気難しい父に ずっと気を遣って暮らし、
病気がわかってからは12年。
大変だったね。
いっぱい頑張ったから、今は楽になったね。
私たち娘が幸せになるように育ててくれて、ありがとう。
今度、生まれてくる時は、やさしい旦那さんに恵まれて、
また、私と妹と産んで欲しいです。
【デイサービス】
入院前、週に3回 市のデイサービスに通っていました。
職員の方のお話と写真で、母がとても楽しく過ごしていた事と、
母の優しい明るい性格がよくわかりました。
母がいるとその場の雰囲気が明るくなり、
盛り上がりのないグループに入ってもらうと助かったそうです。
自分自身も健康ではないのに、身体の不自由な人には手助けをしたり、
ゲームでも、ハンディをあげたりしていたそうです。
自分中心な父に気を遣い、我慢の人だったイメージの強い母ですが、
私たち娘と冗談を言ったり、お茶目な部分があったり、
PTA役員の行事に喜々として出かけていった母を思い出しました。
病気をして行動の自由がなくなってしまった母に
デイサービスは、楽しい時間と心の自由を与えてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。
【感謝】
治療を頑張っている母や苦しい時の母を見て、こっそり流した涙は、
母を思う辛い涙だったけれど、
たくさん流した涙のほとんどは感謝の涙でした。
何よりも、私たちを産んで、幸せになるように育ててくれた母への感謝の涙。
母を手厚く看護し優しくしてくれた看護師の皆さん。
時間に関係なく最期まで看てくださった主治医の先生。
お通夜や告別式に、
忙しい時間をさいてやって来てくれた友達、お世話になっている方々。
家を空ける事が多い私を、理解し、支え、助けてくれた旦那様と子どもたち。
私を癒し、リフレッシュさせてくれた晴。
妹。 協力し相談しあえる妹がいてよかった。
【母と私たち】
お正月明け、大学病院に入院した時、
「6ヶ月から1年」と聞いていました。
その時も、思っていたより深刻なことが意外でした。
結局、それから5ヶ月。
母はそれまで十分頑張ったから、少し早かったけど、それでよかったんだよね。
まだ大丈夫、まだ大丈夫って思っていたから、
できなかった事もあったけど、
この5ヶ月間、足りない思いもあるけれど、母と過ごせる時を持てたから、
悔いはないね。
ダウンのコートを着て、お泊りに通った大学病院。
転院してからは、桜の開花を見ながら通った病院。
木々は緑になり、季節の移り変わりをどこまで見ながら通えるんだろうと、
思っていたけれど・・・もう通う必要はなくなりました。
すっかり寂しい気持ちがなくなるのに1年かかったという人、3年かかったという人。
私はどうなのかなぁ。
寂しい気持ちはあるけれど、穏やかで落ち着いた気持ちです。
母を思う時、私たちの心の中にいつも母はいます。


晴を最後に抱っこした広場
病院の駐車場からの景色
4月17日の桜と6月3日の桜の樹 

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