❺1966年結婚後の雑誌掲載記事関係


(1)・・・この画像は、livedoorの ブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 1966年4月号から記事3点
❶●グラフ速報① ☆大川橋蔵(36)・沢村真理子(28)晴れて挙式!☆
     (1966年4月11日号女性自身から) 一部を抜粋して掲載します

*つらいことは忘れました
ようやく、天下晴れての花嫁姿。3月28日午前11時、大川橋蔵さんと沢村真理子さんがホテル・オークラで挙式。

「険しい道だと思うが努力して新しい家庭を作っていきたい」
「落ちついていい仕事をしていただきたい」
新郎・神父のこもごもかたる抱負。お互いの魅力については、
「ねばりづよいところでしょうか」(新郎)
「いったん決意したことはやりぬいてくれるひとなんです」(新婦)
ふたりは披露宴のあと、5時発の”ひかり”で、朋広ちゃんのまつ京都へ。真理子さんの手には、名も知らぬ少女から贈られた小さな花束がにぎられていた。

❷●ニュース速報 三月二十八日 橋蔵の結婚式に
 招かれた人 招かれなかった人
「どうしてあの人は招かれなかったの」会場のあちこちでささやかれた言葉である。祝福されてほおを紅潮させた橋蔵、真理子さん----その結婚劇の裏面には、はたしてどんな人間関係が秘められていたのだろうか・・・・・
《この喜びの日に、あえて出席しなかった人たちの胸中は・・・》
*「やつれたわね」-----でも雪路は歌う
3月28日の午後一時、朝丘雪路は有楽町・日劇で「春の踊り」の舞台に立っていた。情熱的な身振りをまじえて、歌いつづけている。
さすがに長年きたえた声には衰えはない。だが、客席からは、
「かわいそうね」
「やっぱりやつれたわね」
というささやきも聞こえていた。
ちょうど同じころ、日劇とはさして遠くもないホテル・オークラ(東京港区)の「平安の間」では、大川橋蔵と沢村真理子さんの結婚披露宴が、名アナウンサー小川宏氏(フジテレビ)を司会者として、花やかに催されていたのである。
もし、その気さえあれば、舞台の合い間をぬって、祝福に駆けつけるのに不可能な距離ではない。
だが、その間の事情を聴くため日劇の楽屋に尋ねると、彼女の代理として寺田マネージャーからでた言葉は、予想通り微妙なニュアンスを含むものであった。
「まあ、世間一般の常識からいっても、甘苦するのはおかしいと思います。それに招待状もいただいておりませんし・・・。そっとしておいてという気持ちは、あちらさまもご同様でしょうから」
もっともな話である。
が、逆にいえば、芸能界という特殊社会のことだから、あるいは出席するのではないかという憶測も一部にあったのも事実だ。
その当否はともかくとして結婚式の周辺には、なにかと微妙な雰囲気が残されていたのも、考えようによってはやむをえないことかもしれない。
たとえば結婚式の準備が、実に慎重に秘密のうちに計画されていたのもそのひとつ。
ホテル・オークラに橋蔵が予約したのは、一月のことだが、その予約も橋蔵と個人的に親しいホテルの幹部社員の某氏を通じてなされていて、三月になるまでは、某会議の議長にすら、予約客の名前を知らされていなかった。
そして、その某会議の事によって印刷された五百枚の招待状は新芸術プロ(橋蔵所属のプロダクション)に手渡され、慎重に人選されたうえで各界の人たちに配られたのである。

❸●◇話題のふたり ついにゴールイン

3月28日、大川橋蔵(36歳)と沢村真理子さん(28歳)は、東映大川社長の媒酌によりホテル・オークラで挙式。
知り合ってから10年、晴れの日を迎えた深部は「これからは親子三人平凡で楽しい家庭をつくっていくよう努力します」というれしそうに語っていた。

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