はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2009.01.31
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テーマ: 家庭菜園(62051)
カテゴリ: カテゴリ未分類

ネットには 様々 色々 面白い話があちこちに ???

水稲  米   御飯



(1) 文字から見た「米」と「稲」
稲の文字は粘りけのある米、すなわち餅米を指していた
米はと言うと、飯米にする「うるち、粘りのない米」を意味していた なお早稲の稲をも意味
種は、晩稲の意味したり、播種を表します。また、「稚」の文字も晩稲を現わしていました。

(2) 日本の古代史における「イナ」と「ヨネ」・「ネ」


 それが、鎌倉・室町時代になると、植物としての「稲」と食物としての「米」が、区別され、文字が固定し始めました。 

3.稲の伝来・科学史
 <神代の時代から近代まで、稲の科学史>
(1) イネの古里と日本への道
栽培されている稲(栽培種)は、
アジア起源のO.sativaとアフリカ起源のO.glaberrimaの2つの種があります。
O.glaberrimaは西アフリカだけに分布がかぎられていますが、
O.sativaは世界各地で栽培されています。
その祖先は、熱帯・亜熱帯の低湿地に分布する多年生の野生稲と推定されています。野生稲から栽培稲が分化したのは5000年より以前の事と考えられています。 

 日本では、稲作の跡は、かの有名な登呂遺跡の例で知られているように、各地でみられます。水稲も他の多くの作物と同様、遠く海を渡ってやってきたものです。日本への「稲の道」はアジアの栽培稲が揚子江を下って江南地方に一大稲作地帯を形成し、そこからいくつかの道筋を経て運ばれたものと思われます。

揚子江以南の地帯には、かっては呉・越・(びん)等の名で呼ばれた非漢民族が先住していた。彼らは「イネ」をNeiもしくはNiと呼んでいました。これが「ネ」、すなわち、「イネ」の語源です。 


江南から北九州、南朝鮮、琉球へと稲作文化が移動していったのは、このような民族移動の一つと見られます。 

(2) 日本における稲作の広がり
最近、陸稲の籾、さらに籾の圧痕を持った後・晩期縄文土器の発見例が多い事から、弥生期における低地の水稲耕作に先だって陸稲耕作が行われていた可能性がきわめて濃厚と考えられています。焼畑農耕とともに伝来したものと思われます。 

水稲耕作は、農業のなかで、最も高度の栽培技術を要求されるばかりでなく、自然条件をうまく利用しなければなりません。耕作、播種、潅漑、施肥、除草、収穫などの一連の技術が必要です。農耕経験のない狩猟民族がすぐできるものではないのです。 

縄文末期(二千数百年前)に九州地域に始まったわが国の稲作は、1世紀頃には近畿地方に、3世紀頃には関東地方に伝わり、12世紀には本州北端にまで普及しました。そして19世紀には北海道の寒地まで稲作を可能としました。 



平安時代には田植え・根刈を基調とする作業形態が一般化し、牛耕、除草も行われるようになりました。このころの水田面積はおよそ105万ha、反当り収量は6斗7升3合余と推定されています。  

江戸時代には種籾の選択・選別が一般の技術となり、備中鍬が普及し、中耕用の鍬が利用されました。虫害対策には鯨油を利用し、明渠、暗渠による排水が考えられ、品種数も増加しました。 

 明治以降品種の改良は科学的に行われ、優良品種の選択育成、施肥法の改善などにより、栽培面積及び反当収量はおおいに増加しましたが、播種から刈り取りまでの作業は、脱穀・調整の一部を除いて、依然として原始的方法の域を出ずにいました。戦後になって、初めて機械化を主とする新技術の導入がなされました。 

4.現在の稲作
(1) 品種の分化と世界の生産状況
栽培稲には日本型(Japonica)とインド型(Indica)の2亜種があります。日本型は温帯地方に分布し、コメは短粒で粘りが強く、耐冷性に勝のます。インド型は熱帯地方に広く分布し、コメは長粒で粘性弱く、耐冷性が劣ります。なお、中間型としてジャワ型を含め、3つに分類する場合もあります。 

 インド型はその適応地帯が広く、世界中で栽培されていますが、日本型は極東アジア中心に栽培されています。現在、米は世界106か国で、5億2千万トン(籾)あまり生産されています。その90%以上がアジアで生産されています。最大生産国は中国で1億8千8百万トン(,90年)、日本は1,312万トンの生産です。タイは1,900万トンで、日本に米を売りたがっているアメリカは703万トンの生産高です。 

(2) 北海道における水稲栽培
稲は、古く江戸時代以前から、和人の渡道にともない栽培された可能性がありますが、記録としては、慶応2年(1866年)、道南の一部で作付られていた東北産「しらひげ」という品種が冷害のため全滅した折、そのなかに突然変異の赤いのげをもつ稲のみが結実していた、と言うのがあります。

明治に入ってからは、中山久蔵が渡島の大野村(現道南農試所在地)から入手した種籾で、島松沢の水田で試作に成功し、180キログラムの米を収穫しました(明治6年~1873年)。この種が最初の優良品種(明治38年決定)「赤毛」となりました。この赤毛から「坊主」をはじめ多くの品種が選別されました。

 当時、開拓使は欧米型の畑作農業を考え、水稲栽培を禁止していました。しかし、人々の米に対する愛着、熱望は強く、北海道でも安定して作れる品種を創ろうと多くの人が努力をしました。特に、初期は、農民が水田の中から、特徴ある突然変異株を発見し、その優秀性を確かめて増殖し、広がっていったのです。この様な民間育種の時代が長く続いた後に、国・道による育種の時代が始まりました。

 農業試験場の技術者によって、純系分離法、交雑育種法により、多くの品種が現在までに育成され(100種以上)ました。ところで、昭和50年までは、寒地・北海道でも良く稔る品種、すなわち、耐冷性、耐病性(稲熱病)の優れた多収品種を目標にガンバッて来たのですが、時代は大きく変わり、お米が腹を満たすだけでは満足して貰えない時代になりました。「美味しくないと米ではない」とまで、言われだしたのです。まさに、生産目標が量から質へ大転換したのです。

 その頃、北海道の米は、残念ながら、「猫跨ぎ米(猫に削り鰹節をかけて与えても、匂いを嗅いただけで、食べずに跨いて言ってしまう米)」とか「鳥跨ぎ米(鳥も食べずに跨いて行ってしまう米)」とか言われ、不味い米の代名詞となっていました。米余り基調のなかで、北海道米はまさに「ヤッカイドウマイ」とまで言われていたのです。 

(3) 食味向上の取り組み
<氏わり育ち、作り方や育つ環境が悪いとまずくなる>
品種の改良とともに土壌改良、栽培改善も北海道の稲作を支えました。泥炭地への客土事業、水田の大型化にともなう用排水の整備などは、現在も土地改良事業として続いています。この様な基盤整備が果たした役割も無視できないものがあります。また、泥炭地のお米はタンパク質含量が高く、とかく不味い米になりがちですが、客土をする事によって食味改善にも役立ったのです。最近では、土壌診断によって、あとどれぐらい山土を再客土すれば、食味を一ランク上げ得るかを明かにし、補正客土として、事業化を図ろうとしています。かつての「猫跨ぎ米」も今では驚くほど美味しくなりまし。

栽培技術も本州の水苗代から、折衷畑苗代、畑苗代、更に機械化対応のマット苗、ポット苗へと進歩してきました。寒い4月、5月はビニールハウスで育苗し、田植機で移植する技術が確立しています。

施肥技術も土壌診断技術を応用し、味を落とさず、安定的に収量を確保する施肥量を水田一枚毎に判定できるようになりつつあります。特に、最近の良食味品種は多肥にしても収量は上がらず、食味が落ちるので注意しています。

それでも、収量は10a当たり400~500kg、時には、600kg以上となり日本でも収量は高いレベルにあり、減反がなければ新潟県を上回る日本一の生産地になり得る能力があります。

2.米の味(食味)の検定法
お米の味は、いわゆる五味(甘い、塩っぱい、辛い、酸っぱい 苦い)で示せる物ではなく、五感(視・聴・臭・味・触)、すなわち、見た目の白さ・艶、御飯のかおり、噛んだときの歯ざわり、舌ざわり(物性)、適度の粘り、良く噛んでいると感じられるほのかな甘味等で構成されています。特に、歯ざわり、舌ざわりなどが重要です。
(1) 官能検査法
お米の食味の検定法の基本は食べてみることです。これを官能検査と言います。米の食味評価法として、誤差が少なく、再現性がある官能検査法は食味試験の標準的な方法となっている。穀物検定協会では、滋賀県湖南町産の「日本晴」を基準品種として、全国の品種の食味検定を行っています。この食味検定をする人をパネラーと呼びます。

 ところで、味に対する感覚は幼児期に決まると言われています。すると、パネラーの出身地、生活環境で味に対する感覚は異なります。官能検査においては年齢、性別、出身地、食味にたいする感覚の鋭さなど、正しい評価が得られるようにパネラーを選ばねばなりません。

 例えば、一般的には不味い米の代表とされる改良されていない泥炭地の米を、「昔の味だ」として美味しい、と答えた道庁の幹部もいます。これは小さい頃から食べなれた味が美味しく感じられるものですから、「おふくろの味」が決め手となった例と言えます。官能検査にはこんな難しさを秘めています。



などなど  色々


はた坊





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最終更新日  2009.01.31 01:34:36 コメントを書く


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