はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2014.12.31
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カテゴリ: 大根
  • だいこん.JPG






昨年度

09月01日 hcで 大根の種をかってきた  ついでに 庭で種まきをしておいた
09月01日 間違って 聖護院蕪でなくて 大根の方を買ってしまった まあ ええか

今年も大根の種まきを開始 まずは16potsx2=32potsで育ててみよう
09月01日 大根 聖護院大根 ともに 庭で 弾ねきをしておいた
09月04日 発芽 畑に移動 ともに32potsづつ m-08の畑に移動した
09月08日 その後も無事 生育中 okだ ついでに 苦土石灰をまいておした

大根 第二弾の種まきも開始
09月08日 大根の第二弾の種まきを開始 16x2=32potsを種まきした

09月15日 畑に移動した g-22の畝に植え付けた

大根 第三弾の種まきもしておいた
09月16日 庭で種まきをしておいた 16potsx2
09月22日 畑に移動した m-06に16pots m-07に16pots 分散して植え付けた

大根は no1-32pot no2-32pots no3-32pots total 96pots
聖護院大根は no1-32potの種まきをした
これだけうえたらokだ

育ち具合は これからだ  今のところは 無事に育っている

まあ これだけ種まきしたら かなり育つだろう

10月05日 一か月が過ぎた 聖護院大根  いい感じに育ってきている
10月05日 大根の方も 一か月が過ぎている  こちらも いい 感じ


10月13日 m08の畑の大根のねっこ かなり見えるようになってきた
10月20日 m008の畑の大根のねっこ 50日でこれくらい
10月27日 1本 ためしで 収穫した  まあまあ

初の収穫なり
これから どんどん 収穫しよう

12月29日 17回目の収穫をした 丸の5本 やや小さくなってきている

今年
01月04日 18回目の収穫をした 2本 曲がっているなあ
01月05日 19回目の収穫をした 丸4個
01月12日 20回目の収穫をした 4本
01月13日 21回目の収穫をした 丸7本
01月18日 22回目の収穫をした 5本
01月19日 23回目の収穫をした 丸7本
01月26日 24回目の収穫をした 11本
01月27日 25回目の収穫をした 丸7本
02月01日 26回目の収穫をした 6本
02月02日 27回目の収穫をした 小物の10本
02月09日 28回目の収穫をした 6本
02月11日 29回目の収穫をした 小物の丸の大根も おしまいかな
02月16日 30回目の収穫をした 5本
02月22日 31回目の収穫をした 6本
03月02日 32回目の収穫をした 6本
03月09日 33回目の収穫をした 4本
03月16日 34回目の収穫をした 6本
03月22日 35回目の収穫をした 6本
03月30日 36回目の収穫をした 9本

そろそろ おしまいになりそう









今年の秋の大根

また 種をかってきておいた
今年も9月より種まきを開始しよう

大根の種まき 第一弾だ
08月31日 庭で種まきをした
09月03日 発芽してきている
09月07日 畑に移動するぞ 

本日は大根の種まき 第二弾をやろう
09月07日 種まきをするぞ
09月11日 発芽した
09月14日 畑に移動した g-7-9などに植え付けをしておいた

種まき 第三弾
09月15日 庭での種まきをしておいた
09月19日 発芽した
09月20日 畑に移動した m-20の畑の畝に植え付けた

種まき 第四弾
09月21日 ついでに また 種まきをしておいた
09月25日 発芽した
09月27日 畑に移動した m-06の畑に植え付けた

種まき 第五弾
09月28日 また 種まきをしておいた
10月01日 発芽した
10月04日 畑に移動した m-07の畑に植え付けた

種まき 第六弾
10月05日 また 種まきをしておいた
10月09月 発芽した
10月12日 畑に移動した g-07などに植え付け

これで 大根の種まきも終了した


種まきした大根 かなり 大きくなってきている
在庫もかなりある あちこち 植え付けてたので 大根だらけ

10月19日 その後 大根 大きくなっているのもあり  収穫できそうになってきている
10月26日 これくらいになっている もう 収穫できる
11月01日 初の大根の収穫をした  曲がりもすごい  が まあまあ 大きくなっている
11月02日 2回目の収穫をした
11月07日 3回目の収穫をした
11月15日 4回目の収穫をした
11月16日 5回目の収穫をした
11月22日 6回目の収穫をした
11月29日 7回目の収穫をした
12月06日 8回目の収穫をした
12月13日 9回目の収穫をした
12月23日 10回目の収穫をした
12月28日 11回目の収穫をした


だいこんの在庫

g-07  2-3本
g-09  10-15本
m-20  10本
m-06  20本
m-07  05本 
  合計  50本くらい

毎週4本づつ 収穫すると まだ12回くらい 収穫できる予定 12-01-02月まで 大丈夫かな



東日本大震災 3月11日発生
12月31日は既に3年と9か月と21日後となった   阪神大震災は、1月17日で発生から20年
どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている

武田さんのブログ


回想法に学ぶ・・・社会はみんなのもの

ある事件で年配の男性が連続して殺され、もしかすると男性が孤独であることで騙されたのではないかと言われている。事の次第は別にして、オスメスの区別があって、集団性の動物としての人間ではありうることだ。

多様性の時代になって、小さい時には勉強し、若い時に就職して結婚し、子供を作り、共白髪・・・本来の人間が送るべき(道徳的倫理的ではなく、私たちの遺伝子が示す人生で、
もし人間が集団性を持たなければ、生殖の時だけオスメスが出会い、そのほかは単独で行動するから、
家庭というのはないし、メスは一匹(一人)で子供を育て、子供はある程度の年齢になると巣立つから、
メスも一人で生涯を終える)人生のスタイルが崩れることがある。

でも、それは自然の摂理に反しているので、寂しかったり、手助けをしてくれる人がいないなどの問題点が発生する。厳しく言えば、
人間が自然の摂理に反した社会を作っているからその無理で起こっているものだ。保育園もその一つである。

ところで、人間の寿命が長くなり、女性では閉経後、男性では50歳を過ぎて「何のために生きているか?」がむつかしい年代になる。さらにそこに「本来、あってはならないプレッシャー」が本人を襲う。

1)社会が「老人」扱いをして居場所を失う。
2)死別・離別・離散などで家族を失う。

このような状態は「自然の摂理にもとづいた正しい人間の人生」ではないので、本人は不十分な人生の日々を送ることになる。10歳、20歳、30歳・・・60歳、70歳・・・年齢によって人間の尊厳や幸福に生きる権利が変わるものではない。

人によっては「死期が近い人間の時間は価値が低い」としている人もいるが、私は人間は誕生した瞬間から死ぬ瞬間まで同じ価値の時間を過ごすのが適当と思っている。だから、長寿になることは悪いことではないから、老人がなぜ生きているのか、本人の人生の価値、社会のなかの価値について議論を重ね、老人が豊かで楽しい人生を送ることができるようにしなければならない。

ところが、街を歩くと何から何までどんどん新しくなって、老人には疎外感が生まれる。変化する街の姿はまるで「この街には老人はいない」と言っているようだが、それは「お金にならないから」という経済的理由ではなく(老人は結構、お金を持っている)、「お前は価値がないから、お前が楽しむものは用意していない」とばかりのように見える。

多くの老人が寂しさを感じ、生きがいを失う一つの原因に「昔の面影が消える」ということにあることが心理学でも医学でも明らかになっていて、その具体的な治療法の一つに「回想法」というのがある。昔の庭のある民家、縁側、障子、上がり框などを持った民家でときどき時を過ごしてもらう。それだけで元気になる。

でも、それは「正しい街づくり」ではないように感じる。本当の街は「子供から老人まで全方向の価値を持った空間」であるべきと思う。それは調和するものであり、伝統と新しさはむしろ融合して美しい。日本の伝統建築はとても良いものであるし、ギリシャ風の建築物も優れている。建築デザインから言えば、近代建築にかならずしも軍配はあがらない。

服装にしても、日用品にしても、膨大な数の老人とその財布を目指したものはどれも貧弱で、それが「汚らしい老人」を現出しいている。自動車もそうで「華やかな生活を送りたい老人」向けの乗用車は皆無だ。「デザインがよく、乗り心地に優れている」車の多くが車体が大きく、街中で利用する老人むけではない。いったい、スーパーの駐車場に老人がいれる設計をしているのか?と思うほどである。

「水平社会」から「垂直社会」へ。そして子供から老人までが賑わう町並み、老人が消費をしたくなる多くの商品、それらは今後の課題だ。それとともに、私が40歳頃書いた随筆を思い出す。・・・老婆の一時間の価値は、若者の一時間と違うのか?・・・という私の問は変わらず、答えは「同じ」である。

(平成26年12月14日)ふむふむ

はた坊





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最終更新日  2014.12.31 00:41:33
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