はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2018.04.18
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2017年

02月11日 いんげん種を買ってきている 種まきは 4月から 開始の予定なり 
04月22日 庭で いんげん 種まきをしておいた
04月28日 いんげん 第二弾の種きまもしておいた
04月29日 まだ 発芽していないなあ
05月02日 いんげん  発芽 まだなり 時間かかりそうだなあ
05月04日 いんげん 発芽した m-06にすぐに 移動した
05月05日 第二弾のいんけん 発芽はまだなり
05月06日 第二弾のいんげん 発芽した  m-08の畝に移動した

05月13日 m-08のいんげん 無事に 全部が育っている
05月14日 のこりのいんげんも 畑に移動した  これで 全部 畑に植え付けた
05月15日 いんげん 植え付けは64本  残っているのは46本  まあまあかな
05月20日 いんげん m-08の畝の分 全部 良く 育っている
06月04日 いんげん 大きくなりつつある 花も ちらほら さいてきつつある
06月17日 いんげん もう 実がついていた 早いなあ  収穫をした
06月18日 いんげん べつのものも 花がさいて 実がつきだした
06月24日 いんけん 初の収穫をした
07月01日 いんげん 2回目の収穫をした
07月08日 いんげん たくさん植え付けたが 残っているのは 今年は少ないな
07月09日 いんげん 実は すくないながらも どんとん できている

07月17日 いんげん 4回目の収穫をしておいた


2018年

04月14日 hcで いんげん豆の種をかってきた そろそろ 植え付けをしよう






源田実    おべんきょうその058

参議院議員


職業軍人の経歴から文民統制の問題もあり入閣することはなかった。

参議院議員、自民党党務として弾劾裁判所裁判長、国防部会長、宇宙開発特別委員会委員長、安全保障特別委員長、科学技術特別委員長、航空対策特別副委員長、安全保障調査会顧問、基地対策特別委員会顧問などを歴任する[273]。

軍人時代の習慣で5分前行動を守り[274]、空中勤務体験は国会でも貴重とされた。末国正雄(海兵同期)によれば源田は「国会や議事堂ほど日本語の通じない場所はない」と話していたという[275]。

1965年(昭和40年)、京都産業大学創立発起人に名を連ねる[276]。

1960年代後半、中華人民共和国が核を保有したことを受けて危機感を持った源田を中心とする政治家は外務省に安全保障の観点から核燃料サイクルによる核戦力のオプションについての議論を働きかける。

矢田部厚彦(外務省国際局科学部長)によれば外務省でも防衛外交上必要と考えていたという。また源田らの議論について「日本が核兵器を持とうという議論ではなく、将来有事の際に核のオプションを失ってはいけない。安全のためいつでも核武装できる体制を維持していこうという議論であった」という。源田は信念を持っていたが、議員会館に呼び出されて断念させられた[277]。

1969年(昭和44年)3月1日、源田は米海軍協会の招きで渡米、講演や記者会見で「日本も原爆を持っていたら使用しただろう、日本本土にも米(軍)の核持ち込みを認めるべき」と発言した。
3月3日、社会党など野党側が源田の原爆発言を追及し、3月12日に首相・佐藤栄作も源田の発言は不謹慎とした。

源田は個人の考え方を述べたもので間違っていたとは思わないと表明し佐藤に国会運営で迷惑をかけたと陳謝、自民党国防部会長を辞任した[278]。

またアメリカの核の傘に入ると言いながら有事も持ち込ませない、領空も領海も入らせないと言うがどうやってその傘は日本を守るのかと訴えていた[279]。

一部に、米空軍カーチス・ルメイ大将の叙勲に、推薦などで関わったとする陰謀論があるが、推薦は防衛庁長官・小泉純也と外務大臣・椎名悦三郎の連名で推薦されており、閣僚ではない源田は、推薦・選考・決定などに参加していない[280][注釈 21]。



はた坊





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最終更新日  2018.04.18 05:19:55
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