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先日レビューした中山康樹氏のマイルス4部作の第3作「マイルスの夏、1969」はビッチェズ・ブリューにまつわるドキュメントです。 レビューでも書きましたが、事実を丹念に拾い集め、再構築していく様は、あたかも謎解きを見るように知的興奮に満ちていて、その手腕は見事です。例えてみれば、レンガを一つ一つ積み上げていって、出来てみると壮大な建築物が出現していた、みたいな気分を味わえます。そして、マイルスが素材を掘り起こし、最適なメンバーを集め、録音し、テオ・マセロがテープをツギハギして完璧な作品に仕上げるまでの大河のような流れを読者に理解させる筆力も只者ではありません。あたかも、一つの一つの駒が必然性を持って集められ(集まり)、メンバーが何をやっているかも分からないままに、マイルスの意のままに操られ、出来あがったものは、自分たちが演奏したものであることも分からないような作品に仕上がっている、こんなことがマイルス以外のジャズ・ミュージシャンに出来るとは考えられません。そういう意味で、オーガナイザーとしてのマイルスのすごさを描いた書物とし、これほどのものはなかったと思います。そして、これらの作品が聴衆の耳に届いたころには、当のマイルスは既に別な地点に行ってしまっているという現実、とうてい現実とは思えない出来事ですが、「事実は小説より奇なり」を地で行くような物語です。こういうことが伝えられるのはジャズやロックの分野で多く、クラシックでは全くと言っていいほどありません。原因は良く分かりません。クラシックの場合は、アーティストが普通の人とちょっと離れているように感じているのかもしれません。それに反して、少なくともジャズ・グレイトは、パーカーをはじめとして、エピソードに事欠かない連中がうようよいる世界で、それに親しみを覚えるのかもしれません。彼らの音楽に、彼らの人生が投影されているのは確かですが、そのような人間たちがジャズやロックに関わっているとも考えられます。ここでは、多くのアーティストが関わっていますが、直接の関係がなかったとはいえ、ジミ・ヘンドリックスの影響がかなりあったことは収穫でした。それを考えると、二人のリハーサルが何回もあったにもかかわらず、彼らの共演がアルバムに結実しなかったのは返す返すも残念でなりません。この書籍では、私にとって数々の未知の出来事を知らされますが、サウンドのかなめがベニー・モウピンのバス・クラリネットという指摘には、目を開かれた思いがしました。また、ジョン・マクラフリンに関する記述が多いことは意外でしたが、彼のその当時の状況を把握できて嬉しかったです。この書籍で登場するマイルスのアルバムは「イン・ア・サイレント・ウエイ」、「ビッチェース・ブリュー」そしてサブ的に「マイルス・イン・ザ・スカイ」「キリマンジャロ娘」などです。巻末にはマイルスの諸作のほかに、「ビッチェズ・ブリュー」などに吸い寄せられていくミュージシャンの関連アルバムも記載されていて、マイルスの諸作の理解に役立ちます。 ということで、マイルスの1978年を理解する上でなくてはならない著作として絶対のお勧めです。 中山康樹著 マイルスの夏、1969 扶桑社新書 2010年2月1日第1刷発行
2011年01月31日
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1曲目は、ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」。 コールアングレのソロは最初良かったのですが、それが最後まで持続しなかったのが残念です。テンポは妥当でしたが、、ベルリオーズ特有のダイナミックで、スピード感あふれる進行が感じられず、物足りなかったと思います。最後の盛り上がりもいまいちでした。リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番はシュトラウス18歳の作品ですが、若書きとは思えないような完成度と、何よりも青春の息吹の感じられる、清々しい作風が特長です。ホルン吹きにとっては定番の曲で、個人的には最も注目していた曲です。このホルン協奏曲を生で聴いたのは、故千葉薫氏が東京佼成の演奏会でソロを担当したのを聞いて以来ですが、今回はあまり出来がよくありませんでした。独奏者はポーランド生まれのダリウス・ミクルスキ氏で、まだ40歳前で、指揮者としても活動をしているようです。お顔が誰かに似ていると思いましたが、その時は思い出せませんでした。帰りの車の中でやっと思い出しました。それは、今日まで開催されていたサッカーのAFCアジアカップのホスト国であるカタールの代表監督ブルーノ・メツ氏でした。瓜二つで、大男の大変貫録のあるお方です。氏のソロは、出だし大きな音で、期待が持てたのですが、進んでいくうちに失望に代わっていきました。まあ音をはずすのは仕方ない(それにしては多かったのですが)のですが、速いパッセージががいい加減だったり、第3楽章後半の下降句の最低音を落としたりしたところはちょっと見逃せなかったです。それに、それほどいい音ではありませんし、フレーズの最後の音符が短かったりするところがあり、この方の音楽に対する姿勢が疑われても仕方がないような感じがします。また、フレーズをふくらましたりするのも今時はやりません。ポーランド生まれのせいか、ちょっと古いタイプの奏者のように思います。おそらく、指揮者の紹介によるものと思いますが、在京のトプオケの首席のほうがはるかにうまいと思います。大体、最近のオケの演奏会などを見ると、まずミスが極めて少ないです。それを考えると、日本人の方でも良かったように思います。バックはまあまあでしたが、ソロが勝手に走ったりするので、ずれが生じるのは致し方ないでしょう。最後は、フランクの交響曲。最近殆ど取り上げられることも少なくなったように思いますが、私の思いこみでしょうか。暗く陰鬱な作風は、現代の時代にはあまりマッチしていないのかもしれません。しばらくはフランク不遇の時代が続くのかもしれませんね。この曲は3曲のうちでは一番まとまっていたと思います。弦(特にヴァイオリン)も頑張っていたと思います。木管のアンサンブルが良く、オーボエやコールアングレの音色が美しかったです。第2楽章のコールアングレソロは従来のIさんのイメージを覆すような、ちょっと硬派な感じで良かったのですが、3楽章で2楽章の旋律が戻ってきて、指揮者がもう少し強くしろと再三指示しているのに、Iさんが指揮者を見ていないので、強くならず、笑えました。また、第2楽章の第2主題の踊るようなフレージングは、この曲には場違いのような気がします。ホルンは弱音で高い音が出る箇所があり大変ですが、Yさんが頑張っていたと思います。この交響曲ではローブラスの粘り気のあるサウンドが特徴ですが、それはちょっと聞かれませんでした。トランペットの音色もフランクにちょっと合っていなかったように思います。コルネットは使っていたんでしょうか?私の今の感覚では1楽章のテンポが遅く、今時こういう解釈は流行らないように思いました。また、第1楽章の展開部はこの交響曲でも聴きどころのひとつで、ぞくぞくするところなのですが、あまり躍動感が感じられませんでした。3楽章で音量を下げるよう「し!」と指揮者が何回も言ったり、膝を折り曲げて小さくなっていましたが、その努力もむなしかったです。指揮者は今回で7回目ですが、練習不足なのか分かりませんが、いまだに意思の疎通がうまくいっていないのは問題があります。アンコールは、何故かフランクの3楽章の途中からでした。なぜこうなったのか分かりませんが、観客としては別の曲を聞きたかったですね。岩手県民オーケストラ第62回定期演奏会1.ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」2.R・ストラウス:ホルン協奏曲第1番3.フランク:交響曲ニ短調ダリウス・ミクルスキ(Hr)今村能(指揮)岩手県民オーケストラ2011年1月31日岩手県民会館大ホール
2011年01月30日
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ラトルのくるみ割り人形の全曲盤が海外で発売になったので、購入しました。 国内盤はDVDつきですが、映像は昨年のジルベスター・コンサートのライブで見ていたので、CDのみの海外盤を購入。 いつものPrest Classicalで17.49$、一枚だと送料込みで21.44$、1$85円と見積もっても、邦貨で1800円あまりで購入できます。全体の印象は第2幕を見た時と変わりありません。収録が29日から31日となっているので、30日まで全体を通して、31日で良かったところを差し替えたというところでしょうか。テンポは早めですが、語り口がうまく、すんなりと入ってきます。進行がスピーディーなことと、メリハリがついているため、聴きやすいことは確かです、バレエ音楽の場合には、実際のバレエに合わせたテンポで演奏する場合と、バレエと無関係なテンポで演奏される場合の2通りがありますが、ラトルはおそらく前者です。バレエとして演奏する場合には、テンポに制限が加わるため、完全に自由に演奏することはできないと思います。しかし、この演奏では、子供たちに、物語を聞かせるみたいな優しい語り口で、バレエのシーンを思い浮かべそうになることもしばしばです。あまり馴染みのない曲でも、よく知られた曲との落差をあまり感じさせず、物語の中にすっぽりと納めているあたり、大したもんです。第1幕は2幕に比べて有名な曲が少ないですが、とても楽しめました。今まではゲルギエフのアルバムを聞いていたのですが、第1幕の素晴らしさには迂闊にも気付きませんでした。今まで何を聞いていたんでしょうか???第1幕の最後にリベラをフィーチャーしていますが、あまり作品にあっていたとは思えません。うまいことは確かですが、作品よりも、演奏者が表に出てきてしまうためです。第2幕も、流れは1幕と同じです。どこまでもソフトでまるでベルベットの手触りのような感触が感じられます。特に終曲はアゴーギクが絶妙で、とても良い演奏だったと思います。少し気になった点もなかったわけではありません。例えば、「アラビアの踊り」のオーボエソロは、少しためた歌い方をしていて、曲にフィットしていません。「花のワルツ」のハープ独奏の前で、オーボエが念を押すようにテヌート気味に演奏するところとか、後半ぐっと弱くして脱力するところ、そしてリタルダンドしすぎのエンディングなど、少し作為的な感じがします。ティンパニに少し叩き過ぎの部分があり、不謹慎にも猿のおもちゃを思い出してしまいました。このように、多少気になった点があったとはいえ、曲の良さが十分に堪能できたと思います。ベルリン・フィルはこういう良く知られた曲を演奏すると、その腕前の素晴らしさがダイレクトに伝わってきます。それに、しなやかな動きと軽やかなサウンドで、かえってカラヤン時代のゴーゴーとなる重低音(今回の演奏でもその片鱗は見え隠れしていましたが)が懐かしく思い出されてしまったほどです。Rattle:Tchaikovsky The Nutcracker(EMI 6 46385 2)Tchaikovsky:The NutcrackerDISC11.ACT 1DISC21.ACT 2Libera(ACT1 Walts of Snowflakes)Berliner PhilharmonikerSir Simon RattleRecorded 29-31,December,Philharmonie,Berlin
2011年01月29日
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石井宏氏の第13回山本七平賞受賞作品の文庫化である「反音楽史」、長い間積読になっていましたが、入院を契機に読了しました。 今まで音楽史と言えば、バッハから始まるドイツ音楽の歴史というのが日本の学校教育での常識でした。ご多分にもれず、私もその偏った歴史に洗脳されていた人間の一人です。遅ればせながら、この本を読んだおかげで、音楽の真の歴史が、音楽後進国ドイツの涙ぐましい?努力により、ドイツ音楽礼賛の歴史に改竄されていたことを知りました。この本ではその歴史が如何に捻じ曲げられてきたかが詳しく書かれていて、まさに目から鱗です。ドイツ人の改竄に要した努力は、現在の中国、韓国のでたらめぶりの上を行く凄まじいものです。今では、神聖で侵されるべきではないと思われているバッハも、当時全く無名でした。ドイツ(当時はプロイセン)はイタリア、フランス、イギリスなどと比べ、全く国の体をなしておらず、小国の一つに過ぎませんでした。その頃のヨーロッパの支配階級の会話はフランス語やイタリア語で、イタリアに留学することがステータスであった。音楽もイタリアオペラが興隆し、現代でもイタリアオペラは歌劇においては欠かすことのできない演目です。その頃の音楽がなぜ廃れたか、それは廃れたわけではなく、ドイツ音楽至上主義のシューマンに代表されるドイツの音楽愛好家たちの歴史の改竄によるものでした。結局、絵画や文学など芸術分野でのイタリア、フランスなどに到底追いつくことができなかったプロイセンが、追いつく可能性があったのは哲学と音楽しかありませんでした。彼らの黒を白に言いくるめる努力の跡を振り返ると、最近ご活躍の隣国の振る舞いとだぶって見えてきます。筆者はシューマンの楽曲の批評に対する判断基準として4つ上げています。1.形式(曲全体、部分などの構成)2.作曲法(和声、メロディー、知識、スタイル、技量)3.作曲者が特に表現しようとした狙い4.精神性これによると、まずフォルムが整っていなければならない。精神の入れものであるフォルム(容器)が大きければ、その中に入る精神も大きくならざるを得ない。そうすると、作品規模が最大の交響曲が最も優れているというのが彼の論法です。一見もっともらしいですが、精神性という最もわけのわからないものが、最上位にあると言っているようなものです。また、上記の判断基準によると、楽曲の良しあしは譜面でわかるということになります。この考え方は、現在でも譜面審査という試験方法として残っています。ところが、筆者はこれに異議を挟みます。音楽とは譜面と演奏者、それに聴衆の3つがそろっていなければならず、譜面だけでわかるなズがないというのがその主張です。私も、常日頃、譜面だけでよく音楽が分かるなと思っていました。ピアノでスコアを弾いて見れば、そのアウトラインはわかるかもしれません。しかし、正規の編成で演奏されたものを聞くのでなければ、本当のところは分からないのではないかと思っていました。かの、シューマンもベルリオーズの「幻想交響曲」を批評する際に参考にしたのは、ピアノ用に編曲したもので、分析途中でこんなことを言っています。「ベルリオーズの偉大な変化に富んだ音の効果やコントラスト、音色の組み合わせなどを頭の中で完全に思い描くことは、どんな想像力の発達した人にとっても極めて困難である」要するに、分からないといっているのです。そうすると、現代の譜面審査は明らかに稚拙であるとか、用法のあやまりなどしかわからず、それ以外のことは実際に聴いてみなければわからないということになるのではないでしょうか。ことほど左様に、現在のクラシック界は「ドイツ音楽史観」に犯されている、というのが、筆者の言いたいところだと思います。私も、イタリアやフランスの音楽をドイツの音楽より一段低いものとして見ていました。考えてみれば、音楽に高級と低級などの区別はありません。聞いて楽しいかどうかしかないわけです。まさか音楽を修業のために聞く人はいないと思います。「音楽」とは「音」を「楽しむ」と書きますが、本当によく言ったものです。私も、患者として、少しは偏見から解放されたと思います。今後、意図的に葬り去られた作曲家の作品を積極的に聞いていこうと思います。とりあえず、ヴィヴァルディ周辺の作曲家あたりから攻めていこうと思っています。石井宏著 反音楽史 新潮社 平成22年10月1日 発行
2011年01月28日
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実業之日本社文庫の堂場瞬一スポーツコレクション第2弾は2008年10月に出版された箱根駅伝を描く「チーム」の文庫化でした。 今まで、個人的には、箱根駅伝には全く関心がありませんでした。一昨年に、偶然に東洋大の柏原という化け物がいることを知り多少興味を持ちました。それに、子どもの通っている学校が、何回か優勝している(最近は低迷している)こともあり、少しだけ関心を持ち始めたところでした。そのためか、今年の復路を何気なく見ていて引き込まれ、ついつい最後まで見てしまいました。個人的には東洋大を応援していて、20秒差で2位だったことは残念です。この小説の存在は知っていて、たまたま病院の売店で見つけたので買ったのですが、大変面白かったです。この小説では、箱根駅伝の本戦にエントリーすることができなかった学校から、タイムの良い連中を選抜してつくられたチーム「学連選抜」の活躍を描いています。14名の選手が選ばれ、監督、コーチ、それに若干のサポートがつきます。僅か4日(2日間の合宿を含む)の練習で、本番に臨まなければなりません。その限られた時間の中で、チームとしてまとめることの難しさが良く描かれています。この「学連選抜」はその年だけのメンバーで、次の年には全く違ったメンバーになってしまいます。その中でモチベーションを持つにはどうすればいいか。ある者は、区間新記録を作ることを考えます。言いかえれば、自分のために走ることをモチベーションにします。ある者は、記録が悪いので、早々と出場をあきらめて、サポートに徹することを考えます。そういう選手たちをまとめるキャプテンは大変です。監督はチームをまとめるためなのか「優勝」を公言します。大会直前の故障者の発生とメンバーの入れ替え、大会1日目での思わぬ快走とアクシデントによる負傷など、色々なことが起きます。最後はハッピーエンドとは行きませんでしたが、感動的なゴールシーンが描かれています。登場人物は、特に個性的な人物たちではありませんが、強い印象をもたらします。前回の本選で自分を見失ってしまい、本戦に出ることができず、リベンジを誓うキャプテン浦。天才と言われ、4年連続区間新記録を狙う北城。名選手を幾人も育て上げながら、ついに本戦に出場を果たせなかった吉池監督。出場をあきらめサポートすることを誓っていたのに、思わぬことから出場することになり、快走する門脇。多彩なキャラクターが物語を彩ります。この小説で特徴的なのは、走っている選手のモノローグで小説が進行することです。走りながら色々なことを考えていることが分かります。(巻末の対談でも先週の心理がよく描かれていると対談相手が話しています)その、言葉の端々から、コースの様子や、選手の心理状態が窺え、いやがおうにも臨場感が増して、じつに秀逸な構成だと思います。この小説では「学連選抜」が快走を見せますが、他の大学の背負っている伝統の重さもきっちりと描いています。伝統の重さによる重圧と、背負うもののないことによる目的意識の欠落、どちらが大変なのかよくわかりません。おそらく、どちらも大変であることは確かです。この小説を読んで、箱根駅伝を目指す人たちの気持ちと箱根駅伝の人気の秘密がちょっぴりわかったような気がします。ということで、大変面白い小説なので、是非ご一読いただければと思います。堂場瞬一著 チーム 堂場瞬一スポーツコレクション (株)実用之日本社 2010年12月15日 初版第1刷発行
2011年01月25日
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数ヶ月前に見逃していたチャーリー・ヘイデンのNaim Audioレーベルのデュオ作品を二つ購入しました。 その中の一つ、ジョン・テイラーとのデュオ作品「Nightfall」をレビューします。ジョン・テイラーの演奏は初めて聞きました。ジョン・テイラーは1942年9月25日、英国マンチェスター生まれ。アラン・スキッドモア、ジョン・サーマンとのの共演、クレオ・レーンの伴奏やヤン・ガルバレク、ジョン・サーマン、ギル・エバヴァスなどとも共演しているようです。音数はあまり多くなく、朴訥としたタッチです。バックに回った時も積極的にソロに絡むこともありません。ヘイデンもあまり動き回らずどっしりと構えています。そのせいか、全体的に静けさが濃厚です。アルバムの中では表題曲の「Nightfall」が素晴らしい曲です。続く「My Love And I」の静謐な雰囲気もとてもいいです。殆どがゆったりとしたテンポですが、「Windfall」は3拍子で、テンポが少し早くなります。それに伴って、ピアノ、ベースとも少しづつ動きが出てきます。短いベースソロが入ります。ウォルトンの映画「ヘンリー5世」から間奏曲「Touch Her Soft Lips and Part」。最初スタンダードとばっかり思いこんでいたのですが、この項を書くにあたって調べてみたら、ウォルトンの作品でした。この曲特有のしみじみとした情感の感じられる演奏だったと思います。テイラーのピアノは殆どアドリブがなく淡々と弾いていますが、「曲をして語らしめる」みたいな風情が感じられ、なかなか感動的です。「Songs for the Wales」はヘイデンの不安をかきたてるような序奏から始まります。テーマが終わった後のアルコ・ソロはクジラの描写だと思いますが、鳴き声などあまりにも実物に似せようとしていて(その実あまり似ていない)かえって作為的に感じられます。テーマそのものも暗く陰鬱で、あまり気持ちのいいものではありません。長く聞いていると少し飽きてきます。「Bittersweet」はラフマニノフの第2交響曲第3楽章のテーマを使った曲です。この主題はスタンダード化しているのでしょうか、このアルバムの雰囲気にピッタリです。原曲の情緒纏綿とした感じはなく、すっきりと演奏されていて嫌みがありません。最後は「Silence」。この曲も深く沈潜していくような感じがします。そのためか、救いようがない感じで終わってしまい、落ち込んだ時に聴くべきではないです。最初の「Chairman Mao」は毛沢東のことを描いた曲で、他の曲とは雰囲気が違って、乾いた感じがします。テイラーは弦をはじいたりして、他の曲とは違ってアグレッシヴなプレイで悪くないです。Charlie Haden & John Talor:NightFall1.Chairman Mao2.Nightfall3.My Love and I4.Au Contraire5.Windfall6.Touch Her Soft Lips and Part7.Song For the Whales8.Bittersweet9.SilenceCharlie Haden(b)John Talor(p)
2011年01月24日
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昨日やっと退院しました。 今回の入院は思いもかけないものでしたが、原因がはっきりしていません。その中で出た結論は意外なものでした。わたしは5年ほど前からペースメーカーを付けています。そのペースメーカーのペーシング(心臓を正常なタイミングで動かす)がきちんとできていないため、血栓ができてそれが、脳の血管で詰まったのが、今回の脳梗塞の原因と予測されるとのことでした。心臓のエコーを取った時に心房細動が発生していることが発見されたため、ペーシングが出来ていないことが分かったのです。エコーを受けていた時には、特に息苦しかったりしなかったのですが、言われてみれば思い当たることが無きにしも非ずです。それは、トレッドミルで走っているときに、500mくらい走ると苦しくなって、それ以上走れなくなることが、昨年の後半にたびたびあったことです。以前なら、普通の日で4km、週一回は8kmくらい走っていたのですが、走るのがつらくなり、筋トレ主体にならざるを得ませんでした。これが関係していたのかどうかわかりませんが、10月ころにペースメーカーをチェックした時には問題なかったので、なぜそうなったのか分かりません。先生に話をしても、特に注意されたということもありませんでした。とりあえず、血液を固まりにくくする薬をバイアスピリンからワーファリンに変えて、その量を厳格に調整して、退院となりました。この薬は、納豆が食べられないようですが、私はもともとそれほど納豆を食べないので問題はありません、この治療方法は、今回の脳梗塞の対処療法としては、最善の方法だと思いますが、根本原因を直さないことにな、完治したとはいえません。ペースメーカーを入れた病院は別なところなので、そちらにデータをもっていって、今後どうするかを相談することになりました。ペースメーカーはスクリーニングを何回もしているので、初期故障はなくなっていますが、時間がたってから故障するのはどうしようもありません。また、手術になると、今回だいぶ休んだので、休みも厳しくなりますし、なによりも1月は仕事をしていないので、挽回しなければなりません。それにしても、病気の治療が原因で別な病気になる(それも人為的な原因で)なんて、ついていないと言えばそれまでですが、何ともやりきれません。生来楽天的な性格であまり悩んだりしないのですが、今回はさすがにもしもの時のことを考えてしまいました。幸い、なんとかなったので良かったのですが、今の生活を改めなければならないと考えてしまいました。そういう意味では、良い機会だったのかもしれません。ということで、3週間ほど間が空きましたが、また再開しますのでよろしくお願いいたします。
2011年01月23日
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ハファブラ・ミュージックのマスターピース・シリーズの第6巻は、デレク・ブルジョワのオリジナル2曲とジョゼ・シンスの編曲物4曲という構成。個人的には世界で1、2のウインド・バンドだと思っていますが、今回の新譜も期待を裏切りません。ただ、オリジナルはいいのですが、編曲物の質があまり良くなく、惜しいです。表題曲のブルジョワの「Apocalyse」はブラスバンド作品として、作品187になっていますが、吹奏楽版は公式サイトの作品リストには載っていません。ブックレットに乗っているかどうかは、現物が手元にないので確かめることができません。はっきりしましたなら、後日、アップしたいと思います。常々、書いていることですが、ブラスバンドが原曲の吹奏楽曲の場合、曲の求心力が弱められることが多いと感じています。それは、アレンジの問題、演奏の技量の問題、演奏者の数の問題などいろいろあると思います。今回も、その例にもれないのかと思ったのですが、それは危惧でした。ブラスバンド版の荒々しさは吹奏楽版でもそのまま引き継がれていますし、都会的なジャジーな世界も健在です。アクロバティックな部分が薄められるのはいた仕方ありませんが、吹奏楽版としては参考音源にとどまらない、素晴らしい演奏であり、当分の間この演奏が代表的な演奏であり続けることは間違いのないことだと思います。しかし、この曲に限らず、ブルジョワの曲での金管は本当に大変です。個人的にこの作曲家の作品を演奏したことはなく、国内でもそれほど演奏されていません。良い曲が多いのですが、演奏がとても難しいということを割り引いても、もう少し演奏されてもいいように思います。 ブルジョワのもう一つの曲は「jurassic corst」(2009)。 これは、イングランド南部のイギリス海峡の150kmに渡る海岸の名前で、2001年に世界遺産の自然遺産に登録された名所だそうです。三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の地表が露出していて、化石がたくさん発見されているところだそうです。主題はコミカルな感じで、題名とどうつながっているのか良く分かりません。曲はこの主題に引きずられて、全体に軽く、ディスニーのアニメをみているような感じがします。主題を聞いていると、何故か「寿司食いねえ」という言葉が浮かんできて仕方ありません。 編曲物は曲が軽いこともあり、それなりの印象を受けました。 最初のウエーバーの「幽霊の支配者」序曲は、おそらく初めて耳にした曲だと思います。編曲はコンパクトにまとまっていますが、面白い曲とは思えませんでした。ためしに、原曲をyoutuneで聞いてみたところ、まるで違います。第1主題はデモーニッシュで迫力がありますし、第2主題も高貴で格調高いです。そして、とてもダイナミックで、迫力があり、さすがに「魔弾の射手」の作曲家の片鱗を聞くことが出来る、なかなかい曲だと思いました。吹奏楽編曲ではスケールダウンして、箱庭的になってしまうことが多いですが、この場合も、それを免れえなかったようです。今回、原曲と編曲の落差が大きいかったのは、演奏の質によるところ(原曲の演奏が素晴らしすぎ!)もあったとは思いますが、ブラスバンドからの編曲も含め、アレンジものを演奏する時には、原曲に当たる必要を痛感させられた出来事でした。 ロッシーニの「クラリネットと吹奏楽のための序奏、主題と変奏」はクラリネットのブラブーラで、さほど面白い曲ではありません。 スペンドンクのクラリネットは、ところどころ高音域で気になるところがあった以外は、むらのない音色と、安定した技巧を楽しむことが出来たと思います。Apocalypse(Hafabra Music 88796-2)1.ウェーバー(arr. ジョセ・シンス):歌劇「幽霊の支配者」序曲 2.デリック・ブージョワ:アポカリプス3.ロッシーニ(arr. ジョセ・シンス):クラリネットと吹奏楽のための序奏、主題と変奏4.サン=サーンス(arr. ジョセ・シンス):交響詩「死の舞踏」5.デリック・ブージョワ:ジュラシック・コースト6.アルヴェーン(arr. ジョセ・シンス):組曲「山の王」より「羊飼いの少女の踊り」ロナルド・ファン・スペンドンク(cl)ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団指揮: イフ・セーハース
2011年01月10日
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アイダフォ?の今にも潰れそうなカフェのウエイターのアリ(クリスティーナ・アギレラ)は、一念発起して、店に見切りをつけ、有り金を持ってロサンゼルスに単身向かう。彼女の武器はパンチの利いた歌と切れのいい踊り。ふとしたことから、ちょっとしたショーをする劇場なのか、ストリプ劇場なのかどうにも怪しいバーレスク・ラウンジという店のレストランバーのバーテンダー、ジャック(カム・ジャガンデー)のアパートに転がり込む。そこを根城に、求人紙片手に、片っ端からオーディションを受けるが、軒並み全滅。仕方なく、ジャックの店に何とかウエイトレスとして潜り込もうと算段する。オーナーは、別れた夫と共同経営しているテス(シェール)。ジャックの助力により、何とかウエイトレスとして潜り込むことに成功するが、本来の目的であるショーへ出演の出演はうまくいかない。舞台監督のショーン(スタンリー・トゥチ)が彼女の才能を見抜き、何とかショーに潜り込むことに成功する。このラウンジでの売りは踊りだけで、歌は口ぱく。それが不満なアリは何回も生で歌うショーの提案をテスにするが、テスはラウンジの経営が火の車であることもあり、彼女の提案に耳を貸さない。アリの起用に不満を持つ店のトップ・ダンサーのニッキはテスと口論の果てに、元夫と寝たと嘘をつき、トップを下ろされてしまう。トップとして活躍するようになったアリにある日、きっかけが訪れる。それは、ショーの途中でニッキがPAのコードを外したことにより、ショーが中断したことから始まった。。。。■あらすじはありきたり 上に書いたように、あらすじはありきたりで、最後もお約束のハッピーエンドで終わります。ただこのミュージカルが一味違うのは、話に不動産ビジネスが絡むことです。こちらによると、『土地の上空の空間の一部を使用する権利契約により設定する空間の上下の範囲を定めて土地を独占的に使用する権利をいい、その法的な形式によって「区分地上権」または「区分地上権に準ずる地役権」に分かれる。区分地上権による空中権は、工作物(例えば空中電線)を所有する目的で上下の限られた空間を排他独占的に使用収益する権利をいう。また、区分地上権に準ずる地役権による空中権は、自己の土地(例えば電柱の設置場所)の便益のために他人の土地の空中を使用する(例えば電線を設置する)権利である。』この映画で対象となるのは、どうも「区分地上権」のようです。それがどう関係しているのかは映画を見てのお楽しみですが、なかな目の付けどころがいいと思います。それが発覚してからの話が急展開し、あれよあれよといううちに大逆転。エンディングに向かって突っ走るという展開になります。その過程は、スピーディーでわくわくします。作品のしては小粒ながら、新しい視点が取り入れられていて、それがうまくはまった例だと思います。。■歌はほとんど主人公の独演会主人公の方は知らない歌手の方でしたが、ソウルフルでパンチのある歌が楽しめます。ただ、バラードなどのスローテンポの曲は今一歩改善の余地があると思います。それから、シェールの歌、演技ともさすがの貫録ですが、もう少し歌が多くてもよかったと思います。ミュージカルとはいえ、ナンバーが少なく、ほとんとショーの場面だけでしか歌われないのは、ちょっと生ぬるかったと思います。脇役では、「プラダを着た悪魔」でもいい演技をしていたスタンリー・トゥチの気の利いた演技(ゲイの演技が笑えます )が印象に残りました。主人公の恋人役のカム・ジャガンデーは存在感があまりなかったですね。とうことで、小粒ながら、なかなか楽しめる小品だと思います。公式サイト
2011年01月09日
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3日以来のご無沙汰です。 実は、4日に映画を見に行って、いよいよ明日から会社だという夕方になってビールを飲みながら、本を読んでいたのですが、気分が悪くなってしまいました。そのままにしていたら、今までにない蜂のような耳鳴りが左耳にしました。数分位して何とかおさまったのですが、今度はコップと箸がちゃんと持てなくなりました。その名まなんとか飲み続けていたのですが、ちょっと部屋に行った足を引き摺っていたようです。それに気づいた妻が、いつもの彼女らしくない冷静な判断で、定期的に通っている病院に連絡をしました。病院に行った時には、すでに麻痺はなくなっていて、救急で見てくれた先生は、どうやら一度詰まった後、また流れるようになったようだとおっしゃいました。とりあえず、元に戻ったと一安心したのですが、話をしているうちに嘔吐が始まり、結局ストレッチャーに乗って、そのまま入院となりました。今日で5日目です。最初の2日は歩行もままならなかったのですが、5日目の今日は、自力でトイレに行ったり、売店に行ったりすることもできるようになり、少し落ち着いた状況です。ところで、以前も書いたことがあるのですが、この病気については昨年の2月頃に発症し、結局はすぐ治ってしまったため、一応怪しい部位の血糊を減らすための治療をしてきました。それは以前の診察で、消失していたのですが、今回改めて調べてみたら、何と悪化しています。それに、今回は右手、右足の麻痺なので、いままで観察してたところとは違います。また、わたしはぺースメーカーを入れているので、MRIを使えません。そのこともあり、CTでヨードを使った検査も行いましたが、まだ原因がつかみ切れていない状態です。今後、結果によりどうなるか分かりませんが、仕事も忙しくなるので、なんとか短い期間で退院できることを願っています。ところで、今日はサッカーの高校選手権を見ていました。両方ともPK勝負になったのですが、2試合目の8人まで終わったところで、突然番組が終了してしまいました。地上波なので、仕方ありませんが、いつまでたっても、自分の都合なんですね。。。。そういう点も、地上波でのプロ野球中継の人気の衰えを加速させる原因だと思います。今日妻が持ってきてくれた、「SAPIO」最新号で、ジャパネット・タカタの社長がおっしゃっていました。「メーカーは客の買いたい物ではなく、自分たちの売りたい物を売っている。」いつまでたっても、この体たらくだから、中国、韓国にしてやられるんでしょうね。。。。。
2011年01月08日
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イギリスのInitialの制作によるグローイングアップのノンフィクションの番組を偶然BS1で見ました。原題は、Football's Next Star。全6回をすべて放映していました。2回目あたりから偶然見はじめて、とても面白いので、最後まで見てしまいました。簡単に言うとイギリス全土から選ばれた若きサッカー少年たちが、イタリアの名門インテル・ミラノにプロ契約を出来るまでの過程を追ったドキュメンタリーです。イタリアの風光明媚なモナ湖の湖畔に滞在しながら、パフォーマンスを通じて、徐々に絞っていくという趣向です。選考するのはインテルの育成担当のマルコ。見るのは、サッカーの技術やフィジカルだけではありません。日常生活の態度や、性格も考慮されます。いわば、その人間の丸ごとを審査されているようなものです。落ちる選手はその前日に、危険ゾーンに入ったことを告げられます。そして、次の日の試合で良いパフォーマンスをしなければ、ユニフォームを脱がなければなりません。また、最後の一人になるまでには、怪我などのアクシデントもあり、イタリア語の勉強もしなければなりません。若い人だと16歳ですから、ホームシックにかかったり、人間関係がぎくしゃくしたり、いろいろな出来事が起こります。それを克服するのは大変ですが、たとえ落ちたとしても、かけがえのない経験を積むことができます。その過程では、モウリーニョ監督(当時)や、インテルの選手たち、かつて在籍していたフィーゴとあったり、豪華な避暑地での休日など、プロになると素晴らしいことを経験できるということをも教えられます。最終的に選ばれた選手は、意外な方でしたが、今もインテルに在籍しているということです。印象的だったのは、コーチたちが辛抱強く対応していることです。その場だけで判断しないで、選手の将来も考慮して最善の方法を考えている事が良く分かりました。どのような職業でも厳しさはあるものですが、この世界での厳しさを再認識させられた番組でした。
2011年01月03日
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2009年のヨーロピアン・ブラスバンド選手権の課題曲であるヴァンデルローストの作品を題名にした、2枚組のハスケのアルバム。先日、コーリー・バンドのニューアルバムのレビューを書きました。そのアルバムに収録されていた「いにしえの時から」の吹奏楽版が、オランダ王国海軍軍楽隊の演奏で発売されました。一聴したときはカスだと思ったのですが、何度も聴いているうちに良い曲もあることに気づきました。ブラスバンドの作品を吹奏楽に編曲すると、往々にして味が薄くなる傾向があります。これは、編成が大きくなることで制御が難しくなる点、ブラスバンドと吹奏楽の演奏者の力量の違い、そしてブラスバンド特有のアクロバティックな演奏効果が薄れる点が影響していると思われます。これは、ピアノの原曲とオーケストラ編曲版の関係に似ているかもしれません。楽器が増えることで色彩的には豊かになりますが、制御の難しさや厚みの不足が目立つ結果になる場合もあります。ブラスバンドはプロ楽団が少ないとはいえ、アマチュアでもプロ並みの技量を持つ演奏者が数多くいます。中には、超一流のプロオーケストラで活躍する方もいます。今回のアルバムを聴いても、その印象は変わりませんでした。録音の影響もあるかもしれませんが、全般的にサウンドに厚みがなく、表題曲の原曲の方が刺激的に感じられました。表題曲では、前半に朝鮮の旋法を思わせるオリエンタルなムードがあり、「チャンスの『朝鮮民謡による変奏曲』」を連想させます。この曲の真骨頂は後半のコラール風の叙情的な旋律にありますが、演奏ではその魅力が十分に引き出されています。ただし、主題が登場するまでの前置きが長く、もったいぶった印象を受けます。最後のエンディングも取ってつけたような印象が拭えません。最初の「ゴルゴダの丘への行進」は「ピーテル・ブリューゲルに捧ぐ」という副題がついています。ピーテル・ブリューゲル(父)は16世紀ネーデルランド絵画史上最大の巨匠です。有名な「バベルの塔」(1563)や「雪中の狩人」など、印象的な作品があります。また、この作品はブリューゲルの「ゴルゴダの丘への行進」にインスパイアされたものです。沈鬱な雰囲気と勇ましい部分が交錯し、5分過ぎにはマーラーの「巨人」終楽章のコーダ前の音楽を連想させる場面もありますが、全体的に惜しい部分も多く感じられました。続くヤコブ・デハーンの「エレジーⅠ」は、嫉妬をテーマにした作品です。イギリスの詩人ジョン・ダンの詩、ムンクの「ジェラシー」、そして16世紀フランスの作曲家ピエール・セルトンのシャンソン「ラララ、それは言えない」にインスパイアされています(参考動画)。八木澤教司の「モーセとラメセス」は古代エジプトを題材にした交響的詩曲で、叙情的な旋律と躍動感あふれる展開が特徴ですが、今回の録音では素材のスケールに対して十分に応えきれていない印象を受けました。最後に、酒井格の「月明かりと渦潮」。この作品は、月明かりを描いた静かな前半と、鳴門海峡の渦潮を表現した後半から成ります。マリンバを効果的に使った前半の叙情的な旋律や、後半の躍動感は印象的でしたが、どこか優しさを感じさせる氏の作風が限界として現れている部分もあるように思えます。総じて、楽曲を知るには十分なアルバムですが、演奏を楽しむにはやや物足りない部分も感じられる中途半端な印象です。とはいえ、出版社の目的が演奏の楽しさよりも楽曲の紹介にあることを考えれば、その目的は達成されていると言えるでしょうFrom Ancient Times(de haske DHR 04-028-3)1.ケヴィン・ホーベン:ゴルゴダの丘への行進 ~ピーテル・ブリューゲル(父)に捧ぐ 2.広瀬勇人:ファンタジー~マリンバと吹奏楽の為の~: 第1楽章 アレグロ 第2楽章 アンダンテ・ミステリオーソ 第3楽章 テンポ・ルバート 第4楽章 アレグロ・エネルジーコ6.ヤン・ヴァンデルロースト:いにしえの時から7.ヤコブ・デ・ハーン):エレジー I8.八木澤教司:吹奏楽のための交響的詩曲「モーセとラメセス」9.ヤン・ヴァンデルロースト:バストロンボーンのためのバラード10.酒井格:月明かりと渦潮リヒャルト・ドルス(マリンバ)ユス・ヤンセン(バス・トロンボーン)オランダ王立海軍軍楽隊、ハルメン・クノッセンRecorded at Van Schaffelaertheater,Barneveld,Holland,during April 20-22,2010
2011年01月01日
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