おおさか佳巨 2016参議院比例区候補者 新党改革

おおさか佳巨 2016参議院比例区候補者 新党改革

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

バックナンバー

2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月

コメント新着

天満由美子@ Re:おおさか佳巨【改革・新】短め 郡山駅前交番2016 7 2(07/04) 今日 期日前投票に行ってきました 比例は…
masashi25 @ コメント失礼します☆ ブログ覗かせてもらいましたm(__)m もし…
乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
ドライブ好き@ 風呂入るのメンドクサイ! http://feti.findeath.net/ovj967r/ 今日…
チリチリ@ 次は庭で全裸予定w http://kuri.backblack.net/zzsuast/ ち○…
2010年03月03日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(9)◆

木村忠次・忠成
著者/河野十四生

 木村忠次、忠成親子は、会津藩祖、保科正之に仕えた。忠次は、豊臣秀頼の臣であった木村重成の長男で、重成は大坂夏の陣で壮烈な戦死をするが、忠次はその直後に生まれた。

 寛永11年(1634)7月、信州・高遠城主だった正之が上洛し、京都・柴野大徳寺に入った時に正之に召し出された。同13年、正之が高遠三万石から出羽最上20万石に移封されると、忠次は150石を賜わり、同20年(1643)、正之が会津23万石の大守になると、さらに50石が加増され使番に。


 その子忠成は、父忠次が浪々の身で柴野大徳寺付近に住んでいた頃、忠成は、よく大徳寺で遊んでいた。正之が同寺を訪れた時も忠成がいたので、住職は、忠成にお茶を持たせました。


 ところが、忠成はなんと立ったままお茶を差し出したのです。これには、住職は吃驚。しかし、正之は、その不作法を咎めることなく、「なぜ、立ったままお茶をだしたのか」と尋ねた。すると忠成は「われは豊臣家の家臣である。故に関東の士には膝を屈しない」と、堂々と答えたそうです。


 正之は、忠成が将来、見込みのある器と見込み、「今は世変わり、時も移り、天下の士、みな関東に服している」と諭し、ただ今より、志を得てわれに仕えよ、といって父子ともに召し抱えた。父忠次は150石で、忠成は小姓となる。


 寛永20年(1643)、正之が会津移封されると、名も忠右衛門忠成と改める。














お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年03月11日 03時56分55秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

プロフィール

平和党

平和党


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: