変人555☆答えは自分の中にある☆

2005年01月30日
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テーマ: 『義経』(333)

門



”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

   沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

  驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

    猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”





この世のあらゆるものは変化、生滅してとどまらない。

この世のすべてのことは、儚いまぼろしなのか・・・。



変化は一時的なものではなく、常に静まることなく生じている。

何事も、ある時期を過ぎると不安定になってゆく。



生きることはリスクに満ちたものになり、成功者の影で弱者が生まれる。

そして、不安や絶望が増大し社会秩序が乱れてゆく。

安定していたように見える社会の仕組みも変化し、滅びてゆくのが必定なのか・・・。







平安時代の日本の土地は、荘園という名の私有地制度だった。

そして荘園は、貴族や寺社などの一部の特権階級のみに認められていた制度だった。

そこへ新しく生まれてきた武士という新興勢力が、自分達も土地を所有したいと既得権者へ働きかけていった。

こうして時代は大きく動き出してゆく。

旧いものと新しいものとの権力闘争がはじまったのである。



武士の目的は、土地の所有権を認めさせることだ。

源頼朝の元に武士が集結したのは、「武士の土地所有権を朝廷に認めさせる」ということを頼朝が約束したからだ。

一方の義経は、頼朝に従う武士たちのことが分からなかったのだろうか?

平氏を打倒し、その地位を奪うことしか考えていなかったのだろうか?





頼朝の許しを得ずに、「判官」という官位を受けてしまいます。

頼朝は後白河法皇に対して、武士による自治政権を認めさせ、土地所有権を認めさせることを交渉していました。

そこへ義経は後白河法皇の分断工作にはめられて、頼朝への対抗勢力に祭り上げられてしまうのです。

ことここに到っては、頼朝は義経を追放処分にするしかなくなってしまいます。

義経も反旗を翻しますが失敗し、逃亡、奥州平泉にて滅亡してしまいます。



義経の悲劇の根本原因は、頼朝の政治戦略を理解していなかったことなのでしょうか?

確かに頼朝は、政治の天才だったのでしょう。

義経が優れていたのは、あくまで軍事であって政治ではなかったのでしょう。

それは今となっては、よく分かりません。

しかし、お互いのことをもう少し分かり合っていれば、この兄弟の歴史に残る悲劇は避けられたのかもしれません。

それとも兄弟だからこそ、避けられない運命だったのでしょうか?










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Last updated  2005年01月31日 23時45分38秒
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