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2013年01月20日
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カテゴリ: 家庭菜園

「八重の桜」 は、

いわゆる、会津弁 満載で、

標準語になれてしまった地元でも、聞き取りにくいところもある。

まあ、埼玉県生まれの、弟の嫁さんは、

会津に来て、祖母の話す言葉が、何を言っているのか、

外国語のようで、まったく、分からなかった。と、いうから、

そんなもんだべ。

と、そこで、

またまた、疑問が、わいた。

昔は、階級制、  士 農 工 商、

先祖が、農民の私は、祖母の 純然たる会津弁で育った。

そして、農村の言葉は、会津の商人階級の言葉とも、違う。

同じ、会津育ちでも、家人と 私の 言葉使いも 違う。

「そうだべした。」 とか、「そうだげんじょ。」 などと 

農家育ちの私が、連発する言葉を、町育ちの 家人は 使わない。

何故だろう。

こんなに狭い会津盆地で、

と、そこで、

もしかしたら、

士族階級は、庶民とは、言葉使いが 違っていたのかもしれない。

会津士族には、江戸の言葉使いが 交じっていたのかもれない。

何故なら、

江戸に、会津の江戸屋敷があり、殿様や、その家族、奥方様は江戸で暮らし、

また、江戸詰め家老も いたのであるから、

そして、日新館で、論語の素読などで、

教育を受けていたのである。

論語に、「べした」は、使われていない。

士族は、「そうだべした」 などとは、言わず、

「そうであろう。」 と、言っていたのかもしれない。

「ならぬことは、ならぬべした。」 とは 言わず、

「ならぬことは、ならぬものです。」 と 言っていたのだろう。

ということで、  「武士の言葉 会津」 で ネット検索したら、

興味深い記事を、見つけた。

昔のほうが、教育が しっかりしていた。

こんなに 素晴らしい 含蓄のある教えが あったなんて、

地元にいて、まったく、知らなかった。

今の教育に、喝を入れたいくらいである。

暇で、関心のある方は、少々長い文ですが、読んで下さい。

「会津武士」作成レシピ  副題:正しい会津武士になる為の心得書き


会津藩では人間の性格形成に大事な幼児よりしつけが厳しく種々の決まりごとがありました。読みやすいように全文、現代文で掲載します。
さあ、今日から貴方も実践。そして会津武士の仲間入り。

幼年時代:「什の教え」6歳~9歳迄。
毎日什長(年長者)が復唱する。残りの子供は一つごとに「へい」と返事をする。
もし、この教えを破れば軽い罪は「しっぺ」から「無視」まであった。思い違反の場合は親を伴い什長に侘びを入れなければ許してもらえなかった。幼い頃よりてきめんに「罪と罰」を仕込まれるのだ。

一、年長者の言うことは聞かねばなりませぬ。
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
一、嘘を言ってはなりませぬ。
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
一、弱いものをいじめてはなりませぬ。
一、戸外でものを食べてはなりませぬ。
一、戸外で婦人と話をしてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。
以上が俗にいう「什の教え」です。「什」についてはまた違うレポートで後述します。
今は遊びグループとでも思っていてくれたらいいと思います。ちなみに「戸外で話してはならない婦人」には母親、祖母、女兄弟も含まれます。

しかしこれではまだ、終わりません。上級生になると「六行」というの増えます。つまり守るべき6つの「行儀」の事です。
一、親は自分の体の元であり、自分は親の枝である。よく父母に尽くして孝道に励まねばならぬ。
一、弟は兄を敬い、兄は弟達に恵みを与えなければならぬ。
一、わが身を愛するように、家庭親族に親しみ、睦まじくせねばならぬ。
一、外親まで親しみ、睦まじくせねばならない。
一、人に信用される人間にならねばならない。
一、親族や友人が災難や病、貧窮などの不幸に見舞われたときは、救済の手を差し伸べねばならぬ。
会津では子供のころからきっちりと「親の恩に対して孝を。師の恩に対して敬を。また主君に対して忠を。」と教えられて育つ。つまり「親なければこの身は無い、主君なくてはこの身を養うことができない。その恩に報いるためには忠孝礼儀の道を知らねばならないから師の教えに従って聖人に道を学ばねばならない。」この教えは日新館での教育の基本ベースとなっています。日新館で教科書として採用されている「日新館童子訓」という書物は五代藩主松平容頌(まつだいらかたのぶ)公が編纂したもので主にこの3つの恩が主体で書かれています。この内容がまた少し面白いので後日レポートを提出することにします。

日新館入学後:「日新館心得」10歳より。
一、毎朝早く起きて手を洗い、口をすすぎ、髪を整え、衣服を正して父母に挨拶し年齢に応じて家の掃除をしなさい。
一、父母や目上の者には朝晩、食事の給仕をしなさい。父母と一緒に食事をする時には父母が箸を取ってから食事をしなさい。早く食事をする時は、その理由を告げなさい。
一、父母や目上の者の出入りには必ず送迎しなさい。
一、家を出るときは、父母に行き先を告げ、帰ったときも報告しなさい。
一、父母や目上の人の前では立ちながら物を言ったり、立ちながら物を聞いてはならないい。寒くても手を懐に入れず、暑くても扇を使ってはならない。肌を見せたり、衣のすそを上げたりしてはならない。
一、父母や目上の言いつけは謹んで承り、呼ばれたときは、速やかに答えて走って行きなさい。
一、父母から重ね着を命ぜられたときは、寒く感じなくてもその命に従いなさい。新しい衣服を賜ったときは好みでなくても謹んで頂きなさい。
一、父母がいつも座る畳に座ってはならない。道の真ん中は身分の高い尊者(そんじゃ)が通る道なので片側を歩きなさい。
一、身分の高い人に出会った時には道の傍らに控えて礼をしなさい。
一、人を謗り、人を笑い、あるいは戯れに高いところに登ったり深いところへ行ったりしてはならない。
一、学習する際は顔を正し、自分はへりくだり相手を敬ってその業を受けなさい。
一、人に逢う時は不敬不遜な態度をとってはならない。どんなに親密に交わっていても言葉を崩したり野卑な言葉を使ってはならない。
一、父母がいるときは、贈り物の類を自分のものにしてはならない。「父母が喜ぶでしょう。」といってこれを拝受しなさい。
一、父母の助けになることは労を厭わずまめに務めを行いなさい。
一、身分の高い人の見えたときには、立って出迎え、帰るときも立って見送りなさい。
一、客人の前ではいかなる人をも叱ってはいけない。たとえ犬猫でも叱ってはならない。
一、身分のたかい人が問うた場合は、周りをよくみて、先走って答えてはならない。
一、酒宴や色欲も慎まなければならない。特に色欲で一生を誤るときがあるので、みだりに色欲の話をしてはならない。また人と争ってはならない。

・・と、ある。どうだろう。お子様をお持ちのご家庭では是非にでも壁に張って一家で実践をしてみたら如何だろう。子供は素直に育つかグレるかのどっちかになると思うが・・・。ちなみに私はこのレポートは絶対に親には見せない。(うちの親は図に乗りそうである。)
それからまだある。今度はちょっと大人向けであるが、やっていけない事「八則」である。
一、言行を慎まず、父母に迷惑をかけ物事に率直ではなく、人の死に際して悲しみを知らず怠けてはならぬ。
一、薄情であってはならぬ。
一、兄弟を愛し、師を尊敬し、年長者を侮ってはならぬ。
一、言行不一致ではならぬ。
一、心が残忍であってはならぬ。
一、みだりに風説を流してはならぬ。
一、徒党を組み、他人を誹謗し、政令を批判し、己の智謀を誇り弁舌で物事を破壊してはならぬ。
一、他人を妬み、みだりに偏執の心を抱いてはならぬ。

さあ、そろそろ嫌気がさしてきたかもしれない。しかし、よく読むとちゃんと現代社会にも通用する内容となっているのに気が付かれると思う。繰り返し繰り返しこの内容を見聞きしていく間に会津藩士は見事な「清廉潔白」さを身に着けて成長するのだ。

そしてとどめの会津の憲法とも言うべき「家訓15ヶ条」。藩祖保科正之公により1668年、制定されました。しっかりと幕末会津でもこの家訓は生きていたのです。何故か会津では「家訓(かくん)」と読まずに「家訓(かきん)」と発音します。この理由をご存知な方は是非、掲示板にご一報を。咲耶は特に疑問にも思わずにそーゆーモノだと覚えてしまいました。

一、徳川宗家(将軍家)に対して忠勤を励むこと。他所の藩がそうだからといって同程度で忠義を済ませてはならない。会津藩はそれ以上に尽くすべきである。もし将軍家に対し二心を抱かばわが子孫にあらず。部下の面々は決してそんな藩主に従ってはならない。
一、武備は怠ってはならない。士を選ぶのを本筋とすべきで上下の分を乱してはならない。
一、兄を敬い、弟を愛すべし。
一、婦女子の言、一切聞くべからず。
一、主人を重んじ、法を畏れよ。
一、家中では風儀を励むべし。
一、賄賂のやり取り、媚を売ってはいけない。
一、面々、エコヒイキをしてはならない。
一、武士を選ぶには口先の達者なもの、正直でないものを採用してはならない。
一、賞罰には家老以外の者を参加させてはならない。その地位以外の者がいたら厳しくたださねばならない。
一、近侍のものに人の善悪を告げてはならない。
一、政治には利害関係で道理を曲げてはならない。会議には私意を挟んで他人の言を拒んではならない。思うところはかくさずに争うべきだが我意を超えてはならない。
一、法を犯すものを許してはならない。
一、社倉は人民の為に置き、将来永遠の利益となるものである。凶作の折、民を救う米であるから他用してはならない。
一、もし志を失って遊楽を好み、驕奢に流れて武士と人民とにその安住の地を失わせたらなんの面目があって封印を頂き、領土を領しておられようか。必ず藩主の職を辞し退隠すべきである。
右、15条の精神は堅く守り、その後の同職の者に申し伝えるべきである。
                      保科正之 印

毎年正月11日、歴代の藩主は家訓の拝聴会を行います。読師は大目付、学校奉行、もしくは学校奉行添役で藩主、読師も正装で「御家訓」と読み上げると藩主は平伏低頭して謹んで聞く事になっていたそうです。
また家臣にあっては藩の重役に任命されると政庁の奥の間の土津神君(正之公の尊号)の肖像画の前で御家訓を出され、決して違反しないと誓詞に自署し血判を押したとの事です。四つ目の「婦女子の言、一切聞くべからず」に対して「引っかかるなー。」と思っているそこの綺麗なお嬢さん。「時代が時代だしね。」というわけではありません。実はこれには深いわけがあるのです。事情があるのです。今はただ「単なる男尊女卑の言葉ではない。」とだけ、書いておきましょう。これはまた長くなるので後ほどレポートをまとめることにしましょう。

さて、つらつらと書いてきましたがどーです?なかなかの心得書きでしょう。会津では教育水準の高さもさながら、礼儀作法でも他藩に負けずとも劣りません。そういった藩風が幕末の戊辰戦争で色濃く出ていると私は思います。つまり質実剛健、清廉潔白そして頑固者。以上が「正しい会津藩士育成レシピ」でした。まだまだ会津レポートは続く・・・

                  レポート ばーい 咲耶:2002年9月8日
(参考文献:「保科正之公と土津神社」「幕末における会津藩」「白虎隊と会津武士道」)






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最終更新日  2013年01月20日 20時22分39秒
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