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母にはたびたび電話で話をしていたのですが、私が全く電話をしなくなったので、母から「元気にしてる?」と電話をしてきました。その時に迷いましたが「乳がんになった」と言うと母は非常に驚き、状況を聞いてきたので検査の結果などを話しました。母は「おかあさんが支えるから、なんとか治療がんばらないと」と言い、治療をした週末には自宅に来て世話をしてくれました。毎日多い時には2度、3度と電話をし、今の状況を伝えました。「どうしているだろう」と心配させる前に毎日の身体の状況を伝え、話し相手にもなってもらいました。
話は戻りますが、外科医院を出て職場へ向かいました。そのまま家に帰ってしまったら二度と外へは、出られないような、気がして一人になるのも怖かったのです。
目は真っ赤でフラフラと事務所に入ると同僚にはビックリした様子で「大丈夫ですか?」と言われ、今思うと酷い顔をしていたのだと思います。
地に足がついていない状態といいますか、今の状況が現実であって現実でないような夢を見ているようなフワフワした状態のまま、仕事をしていました。仕事をしたと言っても何をしたのかほとんど覚えていません。
仕事を終えて家に帰り、食事の支度をし主人を待ちました。主人が帰ってから、ガンと告知された訳ではありませんが、これからの事を話し合いました。口数の少ない主人から一言「ガンで死ぬ場合もあるのか?」と言われ、私は「絶対に私は死なない」と言い、できる事は努力して必ず良くなるからと告げました。
主人も仕事が一番忙しい時期でしたので、彼には彼のやるべき事があるので、難しいとは思うけど今まで通り普通にしていて下さいと、お願いしました。自分が病気になった事で夫婦の距離や関係まで変わってしまうのではないか?という心配はありました。主人も、しばらくどういう態度をしていいのか、わからなかったし心配を通り越して生きた心地がしなかったと後で言いました。
大学病院んで初めての診察がありました。仕事の合間に病院へ行き診察をしていただき針精研をし、組織を調べていただき後日乳ガンである事がはっきりしました。詳しい検査で十二指腸にポリープ、子宮に筋腫、一番怖かったのが肝臓に腫瘍のようなものがあるという事で再検査をしましたが、その結果良性でした。
職場では上司とこれからの仕事の事などを話合い、抗がん剤治療が始まるという事で仕事を続けるのは無理だと思いましたし、長期休暇で他の人に迷惑をかけるのも申し訳なくて退職を決めました。退職が決まり片づけておきたい仕事をこなしながら、病院へ行き検査や診察をしていただき、とても忙しい日々が続きました。退職後も職場の仲間には随分励まされ、助けてもらいました。
その後、検査の結果主治医、以外の先生から詳しいお話がありました。ガンは胸の4分の3を占めリンパへの転移も見られ三期B、3年生存率40%という事でした。その時ショックというより、一瞬頭に血がのぼりました。私の解釈では3年生きられるのは40%の確率だと思いました。
「まだ治療も始まっていないのに生存率ってどういう事だろう」と怒りがこみ上げました。
私の想像では全ての治療を終えて最終的に生存率を言われるものだと思っていましたので、驚きましたし、曖昧に命の期限をきられた気がしました。でも怖くて全く質問することができずに、ぼんやりと先生の話を聞いていました。これからの治療方針として半年間抗がん剤治療を続け、その後手術という事でした。抗がん剤を一日も早く始めたいと言われ焦りました。「半年も抗がん剤を続ける」と聞いて途方もなく気の遠くなるような話だと思い、抗がん剤治療をやりたくないと戸塚先生に告げ、抗がん剤を続ける精神力が自分にはあるのか?それをきっかけに前向きに考えられず、鬱のような状態になってしまったらどうしよう、髪も抜ける、など不安でいっぱいになり、胸は全部取ってもいいから、抗がん剤だけは嫌だと言い、先生もなんとか私の意見を尊重するよう考えていただきましたが、進行性のガンでリンパにも転移が見られ全身にガンが散らばっている状態という事で抗がん剤治療は避けられないという答えでした。一日も早く治療を始めないとという、先生のお話でした。