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愛とはお互いに見つめあうことではなく、お互いが同じ方向を見つめることである。というような意味のコトバを読んだことあるな、うろ覚えなんですが。言った人は覚えている、星の王子様の作者サンティジュペグリ。ことしは結婚10年目だった。1994年に一緒になった。この10年、あっという間だったし、でもいろいろなことがあった。わたしたちにとって、いちばんかけがいのない経験だったのが、一緒にお店を切り盛りしたこと。雨の日も、台風の日も、猛暑の日も、大雪の日も、お互いに支えあって一緒に乗り切ってきたのが、とても貴重な経験だった。このときにカラダに沁みこんだ体験が、いまのわたしたちを支えている、といっても過言ではない。わたしたちは喧嘩をショッチュウしている。喧嘩の合間に平和と安らぎがある、といったほうが適切なくらい。でも、それは、お互いに「好かれ」と思って、勃発するわけで。お互いを見つめ合う時代はとっくに過ぎたが、行く末を見つめ合うことは、しばらく続きそうだ...この一年ありがとうございました。ペコ。来年もよろしくお願いします。ペコ。
2004.12.31
熱き指導者を得て、スタートしたわたしの仕事も、なかなか結果には結びつかなかったが、ようやく小さな商談成立を達成することができた。じぶんでは何もしていない。ただ、いい環境を与えられて、それにそって動いているだけですが。2004年いろいろなことを経験した。思い切って勝負に出た、と周囲からは思われるかもしれないが、そんな大げさなことだとは、あまり思っていない。流れからして、とうぜんこういうことをしないと、いけないな。ということが本心。来年が、むしろ大きな節目のときになる、ような気がします。わたしとしては、わたしのできるだけのことをしていきたい。そして、わたしの枠を少しでも広げていきたい。わたしのテーマとして打ち出した、ビジネスとしての農産物と環境。これを、いかに、より分かりやすく、さまざまな分野と連係させていけるか。2004年は雲をつかむような話からスタートしたが、2005年は現実的な話が中心になるということにわれわれ自身に期待しています。
2004.12.30
体系的なコトバの編集ということでなく、きょうは、上海で生活を始めてみてから、初めて耳にしたコトバの響きを、連ねてみます。中国に来る前、中国語を勉強したことは、ほとんどありませんでした。強いてあげれば、ザ.100円ショップで買った基本会話の小さな本。とCD。これを勉強しようと、思ったな。思っただけで、勉強よりも経営していた店を片付けるので精一杯。毎日深夜2時まで営業していたし、直前は整理に毎夜明け方近くまでかかったのです。上海に来る途中(神戸から船で来ました)、最初に聞いたコトバ。同乗していた駐在員の奥さまから飛び出たコトバ。古北(グーベイ)。これは上海の日本人が多く住む地域ですが。このコトバだけでも、さっぱり何を指しているのか知りませんでした。近くにカルフールがあるところですよ、と聞き...何か迷ったら、ここに行こうと、考えました。外灘(ワイタン)。上海でもっとも有名な観光スポット。ワイタン、ってコトバの響きも慣れるのには時間かかったな。「ワイ」っていうのがどうも耳に馴染まない。地下鉄やバスに乗っても、そのひとつのコトバの響きも馴染むのに時間かかるし、何を意味しているのか、って当然わかりません。地下鉄で「チョンクー ニーハオ」 これはご乗客ありがとうございます、のような意味だと思うけど、最初「中国へようこそ」だと思ったからね。中国(チョンゴウ)と乗客(チョンクウ)紛らわしいったらありゃしない。バスはプリペイドカードでピッと乗れますが、そのとき機械的な発声がある「アークァイ」。これが何なのかすら、わからない。結局わたしの頭の中には、中国イコール人民元の元という単語しか知らなかったから、クァイが貨幣の単位をあらわす塊の中国語だということがイメージできなかった。アーは2。そうだよ、バスはだいたい2元だもの。赤子同然の状態からスタートして、いまはどうか。...まだ生後6ヶ月ですので...大目に見てやってください。バブバブ。
2004.12.29
上海の街は買い物帰りの男どもが行き交う。買い物、それは日用雑貨であり、食材であり、油だ。油のタンクを両手に持って、一目散に歩いている姿、日本では見かけない。漢方薬を特有の茶色の紙袋で大量に買い込んでいる人々も目立つ。こちらに来た当初、スーパーでしばしば目にしたのだが、買うとき同じような商品を大量に買う傾向があるんですよね。紅茶味の飲料水をパックで「仕入れか?」と思うくらい買うし、何もそこまで「いま」買わなくてもというような買い方をするんですね。上海に来たら男は、だまって料理をつくらなければならない。上海の女性は何もしないぞ。(けっこうマジで)きょうは、うちのタイタイも何もしなくなったぞ。タイタイ、きみの料理の復活を願っている...また喧嘩したんです。
2004.12.28
前回に引き続き・・・さて、ご馳走が出てきました!!上海の家庭料理・・・白菜の漬物に、酢を加えて炒めたもの、豚肉と野菜のピリカラ炒め、きゅうりのサラダ風漬物、大根の炒め物、中国菜の炒め物、春菊(日本のものと違う)の炒め物、スープは、筍のスープ。入っているのは、若竹の塩漬け、竹の内側にあるという膜みたいで薄いもの、それらを放し飼いにして育てた鶏肉でだしをとり、何回かこしたスープに入れたもの。(う~ん、結局どんなもの?)竹の膜は乾燥していて、朝鮮人参より栄養がよく、高級。10グラム~50グラム単位で計算するとか・・・その味はあっさり味の品のある味・・・でも竹だからシャキシャキしている・・・料亭でいただくような感じで、なんだかレンゲをつかんでいる指も、小指がいつの間にか立ってしまっている・・・そして、天然の上海ガニ(どこで見分けるんだろう・・・?)足を甲羅から離すとそこには、みそと、カニの持つ油が・・・(タイタイ初めて食べます)これはなんとオスとな!今の時期はオスが美味しいらしい。 メスは別の時期に・・・なんとも不思議なネットリ感・・・です。それをくろ酢に付けて食べます。 美味しかったー・・・!そして最後には、白玉の中にゴマとあんこが入っている2種類の温かいデザート。“一人、二個ずつですよ。”とお友達。ということは、 《おかわりがない》 ということですね・・・(もうちょっと食べたい~っ!)というわけで、次回はわたしが彼女のお家に行って、日本の家庭料理を作ることになりました。いまのアパートには機材がないですからね。何にしよー。
2004.12.27
...12月8日。ちょっと前になるけれど。わたしたち夫婦の上海での生活の様子が、上海ではかなり人気のある、ある新聞に取り上げられた。上海に住んで活躍されている日本人の方々は何万人もいらっしゃる。そんな中、何でよりによって白羽の矢が立ったのか。たまたまなんですが。でもけっこうニュースになる材料はある。この6月まで日本で個人経営の店をやっていた。駐在員の方々とは違い、何の保証もないまま、ほとんど何の確たるあてもないまま、異国に乗り込んできた、ということ。しかも若くない夫婦が。勢いで来た、ということは確か。でも、勢いで来ないと、来られない。おそらく。いままでの立場なら。でもじぶんたちなりに軽重を問い、この経験を味わいに来た。東京の親と電話で話す。「新聞に載った」と。親父は「出世が早すぎるぞ」といつものはぐらかした調子の返事。いつもお世話になっている先生から、今回の取材は、センセイたち(わたしたちのこと)の最初の取材ですね、将来は取材の予約でいっぱいになりますよ、と何の根拠もない、持ち上げすぎのコトバを貰った。...きのう、横断歩道であやうく轢かれそうになった。轢かれて新聞に載らぬように、しないといけないね。まずは。
2004.12.26
わたしたちの住んでいる石門一路駅付近は、上海のど真ん中といってもいい場所です。きょうも仕事の調査を兼ねて、タウンウォッチングがてら、この石門一路駅から近い「伊勢丹」に行ってきました。アパートからとても近いのに、本格的に入店してみたのは、今日が初めて。詳しく言えば梅龍鎮伊勢丹というところです。ちょうどクリスマスということもあって、いつにも増して人の流れがあるのでしょう、カップル、家族連れ...溢れかえっていました...時間をかけてじっくり観察。もちろん値段は他のお店と比べてみると、高めの値段ですが...でも、雰囲気、陳列商品はそれだけに、先日のIKEAと同じく、かなりクオリティーが高いですね。エスカレーターでどんどこ上って行くうちに、日本なら、もう二子玉か新百合のアッパークラスのお客さんでもじゅうぶんに対応できる水準じゃないのかなぁ、って思っちゃいました。何階かでタイタイがベーカリーを発見!クリスマスだし、奮発してさっそくケーキとパンを買って、その味をチェック... 「う、ま、い」。だれだ!上海においしいケーキ屋がない、パンがまずい、と思っていた人間は!あっ、オレか。こりゃー、ケーキは相当なレベルですよ。わたしの記憶が正しければ、こりゃ鉄人クラスですね。けっこうウマイモノ探しがかつては楽しみの一つだったから、舌だけは肥えていて、けっこうウルサイ。総じていうと、日本のデパートは今はご年輩のご婦人などが多い。それに対して、上海のデパートは若い家族連れと、若者が多い。この違いが鮮明に感じ取れます。ここも上海に来られたかたのための、アテンドコースに入れないと。豫園や新天地、東方明珠タワーや外タンもいいけれど、こういうところも入れないと。上海がどこに進もうとしているのかが、良く分かるのでは。
2004.12.25
・・・・タイタイ(太太…中国語で奥さんの意味)です。先日、中国人のお友達に、ご夕食の招待を受けました。彼女は、日本語学校の方です。ご主人と会うのは初めて・・・ご主人は、彼女と10歳くらい離れている方。上海の方ですが、日本で知り合い結婚し、日本の大学を卒業しています。“何が食べたいですか?“ と聞かれたので、“家庭料理が食べたい” と伝えておきました。彼女の家には、(中国語で家政婦さんのことを「アイ」と言いますが)住み込みのアイさんがいます。家のことは彼女が全てやるので、彼女がいないと何がどこにあるのか、エアコンのつけ方さえ分からないご様子。彼らの日本での思い出、そしてわたし達が何の目的で上海にいるのかを、長時間に亘って食事を囲みながら話しました。・・・・まずお茶が出されました。そのお茶の美味しいこと!中国で美味しいお茶は?と上海人に聞くと、必ず「龍井茶」(ロンジンチャ)と答えます。しかし、「龍井茶」と書かれた中でも比較的高めのものを買って飲んでみても、ウーロン茶の薄いバンのような味で、わたしには今ひとつ・・・でしたが。やはり日本の玉露が一番!と思っていました。みなさんご存知のように、中国雲南省のプーアール茶も、中国茶の代表銘茶の一つで、年代物は何十万円、何百万円(ほんとう?)するものもあるそうですが、出していただいたお茶は日本の玉露の味そのものです。中国に来て初めて美味しいと思えたお茶でした。彼女もお友達から頂いたもので、何というお茶か分からないそうです。 中国のお茶には間違いないようですが、茶葉は日本の茶葉と違い、少しくるくるっと回っている葉でした。お茶ひとつでも、何ていろいろな感動ができるんだろうか。次回は上海の家庭料理のお話でスタートです・・・
2004.12.24
花器の参考商品を調査するため、上海体育館駅からほど近い家具兼生活用品専門ショップ「IKEA」に行きました。ここはスウェーデン(瑞典)の会社。平日だというのに、かなりの人手。それより何より、この中は、ほとんどヨーロッパですね。渋谷のロフトにも雰囲気が近いし、有明の大塚家具ともあまり遜色ない商品も取り揃えられており、とてもオドロキました。で、けっこうみんな買ってる買ってる。わたしたちは、よーく考えよー、というのが上海生活の習性になっていますから、間違ってもめったなものは買い(え)ませんが、3元の取り皿一個買ってお会計。ちょうど出口のうまいところにホットドッグ(熱狗)とアイスクリームが売っていて、これが3元と1元なんです。ちっちゃーいんですが、意外とイケる味で、まあ、これはこの広大なショップの入場料代わりってところでしょうか。上海の視点は確実に世界の標準に踏み込んでいます。
2004.12.23
トンネルを抜けると、昨年までは一面の雪だった。福島飯坂から米沢に向かう栗子峠は、われわれにとって、とても思い出深い場所だ。ここを行ったり来たり。たくさんのコミックを積んで、あの場所この場所駆けずり回った。今は、トンネルを抜けると浦東新区の超高層ビル群だ。きょうトンネル内の両面のライトを虚ろに見ながら、ふと思い出した。上海に来てちょうど半年が過ぎたところだが、まるで何年も前から上海に居るような気になるのが不思議だ。米沢の空気も、ひとの温情もよかった。ソバは美味しかったし、一時の豪雪以外は住みやすいし、店も順調だった。それだけなら、何の不満もなかった。ただ、いまの上海で味わうような刺激を受けずに人生を終わっていたら、もったいない、そんな気さえするのはちょっと言いすぎであろうが、こんな感じで毎日生活をしています。毎日新たなトンネルをくぐり抜けています。。。
2004.12.22
営業で金茂タワー内に初めて入った。展望タワーは、観光客でも上るけれど、この中の企業を訪ねて入るのには、入り口フロントで外国人の場合パスポートを提示しないといけない。「○○社へ」と言って、パスポートを渡し、小綺麗な姉ちゃんからカードを手渡され、ちょうど地下鉄の改札のような感じで中に入る。そこからエレベーターに乗ったが、みごとな未来空間。フロアを歩く自分は、ほとんどスタートレックか、映画の世界のような雰囲気。打ち合わせが終わり、下に降りたら、入り口でサンタクロースの衣装をまとった従業員がクリスマスプレゼントを配っていた。わたしも負けじと、サンタの袋に手を伸ばし、中を探ったが「舌きりスズメ」の例もあるように、控えめなものを選ぶに限ると、一番小さいモノを手にしたが、それは1くちキットカットだった。なんでこんな時に舌きりスズメの教訓が出てきたのか、まったく可笑しな話だが、金茂の思い出はまさにいまここから始まる。。。
2004.12.21
年末ということもあるからだろうか、グリーンサービスの営業アポイントを取ろうと目ぼしのありそうな企業あてに電話をかけるが、先方キーマンの出張などが多く、なかなか直接お会いすることができない。また企業にとって、グリーンを入れることにどの程度のメリットがあるか、具体的に数値などでデータがわからないと、どうしても導入ということには踏み込めないようだ。とくに日系企業の場合、おそらくどんな分野でも本社の御うかがいを立てないと前に進まないことがほとんどなので、そういうタイムラグも仕方がない。きょうは、日本からの郵便物を取りに行った。当然宅配してくれるものだが、2回不在だと、近くの(遠かったが)郵便局の保管庫まで取りに行かなければならない。家内の実家から冬物の衣料が送られてきた。こちらで買えば日本の物価からすれば安いものだが、やはり着慣れたものが届けられると、うれしい。年内は無理であったが、なるべく早期にこちらに遊びに来てもらえるような状況にしたいものだ。
2004.12.20
誘われて異業種交流会というものに参加した。業種も違えば、年齢も違うし、日本人よりも中国人のほうが多いくらいの会だった。中に1967年以降香港を中心に活動され、2年前に上海に来られた年配の女性と、10年間日中を行き来しながら、こちらで工場を立ち上げられた年配の男性がおられた。総勢何十人であっただろうか、けっこう時間があっという間に過ぎていき、初対面とはいえ、いろいろな話で盛り上がった。中国語を話すチャンスでもあって、会費もそんなに高くないし、いろいろな人のつながりと現地の情報を仕入れるにもこのような会はとても刺激になると思った。わたしは、いまやろうとしている農業ビジネスも一生懸命に紹介した。主催者が、地球環境問題のことに関心があり、今度わたしに一席ぶって欲しいと打診があった。たしかにミドリと環境は切っても切れない話題だが、だからといってわたしにそのテーマを論じる資格は無い。ただ、カルチャー教室の話もあって、できればこの会でハイドロカルチャーの寄せ植え講習会を開催しても面白いのではないか、と思った。このような会はけっこうあちこちで開かれているようだ。こういう会で「ぜひ~してください」と言われるようなことをしていれば、いずれ商売にも結びつくだろう。人の温度を測るためにも、会って話をする、聞くことはやはり重要だ。
2004.12.19
テレビでアニメをみる。ポパイ(派派)をやっていた。今は日本なら100円ショップでポパイのビデオが買える。子供番組でも、コトバはサッパリ聞き取れない。だけど、オリーブの声が中国語でも日本版吹き替えの声とほとんどまったく同じというのは驚いた。あの「ポーパ~イ!」って叫ぶ金切り声である。基準があるんだろうか。アニメの声って声優が変わると、違和感があるんだよね。こんどドラえもんが大山のぶ代から変わるけど、むかしサザエさんのマスオさんの声が突然変わったときは、ボクはそれだけで番組全体の拒否反応を示したからね。ルパン三世だって、山田康夫から栗貫という繋ぎは微妙な違和感があったからね。聞く側からすると、発音の臓器移植も難しいんですね。オリーブはあの音程でなければ。。。
2004.12.18
先日ガッコウの授業で、生徒と酒の話で盛り上がった。中国に来てから、ビール以外は買ったことがない。酒には目が無かったけど、そういうゆとりがなかったので、まったく飲んでいなかった。コトバをベンキョウするにあたり、趣味から攻めるのが一番ですから、わたしにとっての趣味=さけ、でいこうと思っていました。わたしは海量(中国語でお酒のみ)だけど、サケも重要な文化ですから、楽しみながら中国を知ろうと思いました。それで、きょうはとりあえず、近所の家得利(じゃだり)で金六福(アルコール52度)を買ってきました。四川省の五粮液が一番おいしいと、生徒さんが言っていたから、該当するのがどれかわからないけれども、四川ものですから。飲んだ後には、日記は書けない。はずだ。52度だもの。わたしが中国語がうまくなること=酒をずいぶん飲んだ、ということになるかも。
2004.12.17
調子づいて販促カタログ配りまくり。予定していた企業さんの午後のアポが先方の会議で、なかなか取れず、では、連絡つくまで何社でも配ろうではないか、といい気でいたのが、あるT社の前で、インターホンを押したと同時に、手元にもはや配るはずのカタログがないことに気づいて、そのままその場を去りました。。。小心で子供のときにすらできなかった、ピンポンダッシュ。40面引っさげて上海で経験しました。何もカタログなくても去ることなかったんですがね。リズムが狂ったんでしょうかね。ここからはタイタイ(中国語で奥さんの意味)が書きます。日曜日から風邪がひどくなりました。翌、月曜日には声がガラガラになり、火曜日には剣山が喉に張り付いているような激痛・・・縁あって上海にあるお灸のお店に行く機会があり、そこで風邪にも効くからと言われ、お灸を受けることになりました。このお店は、以前にも書いたご婦人方お二人を通して知りました。私はここのお灸は二回目になります。お灸と言っても肌に直接ではないので、跡が残りません。肌から2~3センチ離してやるところは、上海ではここしかないそうです・・・一回目は体験の気分でやったので、どこの部分がこうなったと言うことはなかったのですが、今回はその効果がばっちり出ました。お灸はわたしの人生では必要のないものだと思っていました。風邪に効くって、お灸が?お灸をしてから3時間くらい経ったときです。風邪をひいたといっても薬がなかったので、スーッとする飴をなめていただけでした。なんか体が今までとは違う・・・ちょっと気分がいいというか、軽くなったかんじ・・・そして寝る頃には喉の痛みが取れていいかんじ・・・♪お灸を受ける前は全く信じていなかったけど、本当に効いちゃったーみたいです・・・血の循環をよくして、風邪に関係するつぼを集中的にやってくれたらしい。すごいもんだね。 お灸って・・・おかげで今は鼻水だけとなりました。インエンさん(お灸の店)ありがとう・・・
2004.12.16
森ビルで営業再開。お昼ゴハンだからといって、そんなにゼイタクはできない。しかし、腹いっぱい食べたい。いまは快復期なのだから。高層ビル群の中にあって、庶民的な店はほとんどないところだが、森ビルの裏の路地に回ると、人山ができていた。見ると、弁当屋だ。タクシーの運転手や、港湾付近で働く労働者、それにもちろん工事現場のおっさん、お兄ちゃんがたくさん集まって買い求めていた。このあいだ食あたりになったばかりなのに、衛生面など二の次で、みょうにこーいう食の光景をみると、つい食べたくなってしまう。結局5元の弁当を買い、駐輪場で現場の労働者たちに混じって食べた。おいしい、というよりは量が多くて満足。おいしいものなどいつでも食える。こういう現場で食べることが本当にいい思い出になる。数年後、ここで弁当食べたなぁって思える日が来るのでしょうね。て、あすもまたここで食うか。
2004.12.15
食中毒から生還しました。最初連続嘔吐、その後ひきりなしにゲーリー プレーヤーでしたので、放屁だと思って、いつものように油断していると、お漏らし状態になってしまいかねない。そのくらい、ユルユル状況が続いていました。ときどきヒクヒク胃の部分が痙攣気味でしたけど、いまは何ともなくなりました。安心して屁のできるいまのおなかの調子に乾杯!さあ、本格的に仕事取り掛かるぞ!でも、もう食中毒はこりごりだね。何しろ一時的にしろ気力が失せるものね。万事カラダが資本。だね。
2004.12.14
・・・たいへん遅くなりました。 本日はあっちにかわり、妻である私が書きます。12月18日の深夜、私は約3時間以上の時間を費やしてそのときの情景を思い出しながら、一人でぶつぶつ言ったり、にやついたり、やっとの思いで書いたのに、全て消えてしまいました。あの気持ちは、みなさん経験されている方はわかると思いますが、ガックリきました。 けっこうきました・・・今日は、最近に比べるとちょっと早いので、じっくり書いていきます。あ~、12月8日・・・あの日はブログ立ち上げの記念日でした。 私たち夫婦は、あまりパソコンに強くなくて、前々からたくさんの人にブログを、 “立ち上げなよ” と言われていました。上海でまだ知り合って2週間しか経っていない人に、なかば強引に協力していただきました。(Nさんに手伝っていただいたのに、書き始めたのが今日だなんてスミマセン・・・) その日の夜、あっち(主人のことです。)が学校の授業が終わって帰ってきたのが、夜の10時半頃でした。その顔はまっ白!!! どうしたの? いつもの店(と言ってもまだ1回しか入ったことがない)でラーメンを食べた・・・食べた瞬間に“なにかへん” と思ったけど、とりあえず学校へ行ったそうな・・・そして授業をして1時間後に悲劇がやってきました。 “なんか胃が変だな~” と思ってトイレに行った瞬間に、全部吐いた・・・だって夏でもあたって吐いたことなんかなかったのに、どうして? 今は、冬でしょ?・・・ そうです。 あっちは食中毒になってしまったのです! 帰って、まだ着替えていないのに、吐く、吐く、そして吐く! 胃薬を飲んでも吐く! 水を飲でも吐く! “かわいそうに・・・ダイジョウブ?” と私・・・(内心は、 私に対する日頃の行いが悪いから罰が当たったんだよ! と叫んでいる) おかげで、その夜は一睡もできませんでした。(むこうの罰なのに・・・) 夜中、1時間に3回くらい吐いていました。あっちは次の9日には、Tさんと浦東(上海のシンボルタワーがあるほう)にあるMビルに一緒に営業に行く予定だったのが、 “お前だったらダイジョウブ” (エ~! 私が行くの? どこの部分がダイジョウブなのよ?) と言われて急きょ私が行くことになりました。 9日・・・すっごい眠い・・・家の近くからバスで行くため8時30分前に家を出る・・・(上海のバスは、1000本以上あります。 上海の道1つ1つには、中国の都市の名前が全て書かれています。 でも、上海のバスには期待ができません。 どうして? ○ ○路と書いてあってもトッピョウシもないところに止まるので、確実性がないのです。どこで下ろされるかわかりません。 なかには、本数が少ないバスもあるので、時によっては30分くらい待たされる場合があります。 家の近くから浦東に行くバスは本数が少ないのです。 それにトンネルを抜けます。 トンネルは、朝と夕方のラッシュ時にはタクシーは進入禁止です。タクシー以外は走れます。おまわりさんが怖い顔をして立って見張りをしています。)Mビルで9時半の待ち合わせ・・・そして、Tさんと営業。 私はただ横にいるだけ・・・何も力になっていない・・・私の存在価値はない・・・こういう時は申し訳なくてクヤシイ・・・ 上海は今、クリスマスカラーに染まっている。 飾り付けをしていないところは、取り残されている感じで逆に目立つ。Mビルは造花の緑と1メートルくらいのクリスマスツリーが置いてあるだけ。 寂しい感じ・・・なにか、日本の経済を象徴しているかのよう・・・ そのあと、私は念願のTさんの経営する会社へ見学・・・Tさんはバイオテクノロジーとハイドロカルチャーを使って観葉植物、花、野菜を育てています。 約半年振りに踏みしめる土と草。 妙に懐かしさを思い出します。そこで見たものは・・・ たくさんの試験管の中にいる植物の赤ちゃん達・・・大きくなっている姿しか見たことがないけど、植物もこんな形で誕生するということにただびっくり・・・プラス、温室の無農薬野菜、プラス、ポインセチアの赤のじゅうたん、プラス栄養がたっぷりの植物たち・・・上海でこういう仕事をしている日本人がいるなんてビックリ。(日本人も捨てたものではない!がんばれ日本人! チャンスはまだある!) そして、かの有名なH食堂へ・・・まずはH名物のビール。 う~ん、チンタオビールに比べるとちょっと苦いけど、苦味がニガテな私にはおすすめの軽い味。(お酒はハッキリ言って好きではありません。 ただ感想だけ・・・) 料理は細肉と香菜の炒め物、米の粉で作った、透明なきしめんに似たものときゅうりの炒め物、名物の水餃子、エビの味がするポテトチップスの厚いばん、日本のだいがく芋に似たポテトの揚げ物、どれもウマイ! なかでもポテトの揚げ物は、私の好物となりそう・・・ おみやげに、よせ植えの小鉢と、取ったばかりのレタスをいただきました。(何もお力になれなかったのに、スミマセン・・・)よせ植えの小鉢は、早速営業開始にしたいですね。 イイ感じです! 私は足どりも軽く、うきうき気分で家に帰りました。 いつの間にか眠気もどこへやら・・・ そうだ、忘れていたあっちの食中毒! ただいま~。 どうした? 吐くのは止まったけど、今度はゲリ? それもお水状態・・・拭きすぎでお尻が痛いらしい・・・ごくろうさまです・・・そんなこんなで9日が、新鮮レタスで幕を下ろしました。 10日は、私たちの影響で心に火が点いてしまって、アパートまで借りてしまった、ご婦人方お二人の1ヶ月ぶりの顔合わせ・・・私たちの良きアドバイザーとなっています! 私たち以上に中国語が出来ないと思われるお二人、空港からリムジンバスでアパートの近くまで来て、そこからタクシーでアパートに直行? すんごいパワー! 一月に一度、上海に来るペースです。 これからを楽しみにしたいね♪・・・明日は続きを書いていきます。 何しろ毎日の発見が多いのです。 書ききれません・・・ 明日も早いです。 今日は、ここら辺で寝ます。 また明日・・・おやすみなさい・・・スー・・・
2004.12.13
12月8日夜からの食あたり、との闘いは正直ちょっと、どころか、かなり参りました。新しい仕事の取り組み、さあ、これからという時でしたので、3日間は、ほぼ何もできず、そうとう体力消耗したためか、エネルギーというか、気力というか、からだの内部から湧出る物が欠如したようになっていまして、本調子というわけにはいきません。おかげで、家内に今まで以上に八つ当たり、家内もカゼをこじらせて大変なのに。でも、ウンコが、だんだん「ほっこり」してきたので、とてもうれしい。ウンコで幸せになれる、いまに感謝。
2004.12.12
3時間かかって3日分の日記を書いたのですが、うまく接続できずに、消えてしまいました。もう少しお待ちください!
2004.12.11
じぶんがそこの土地にいるから、我田引水になるのは許してね。ちょっと時間があって、気になるのなら、上海に来て見てよ。古い租界時代の建物も、乱立する高層マンションも、変わりすぎる街のスピードにちょっと戸惑うお年寄りも、所構わず抱擁しあう若者達も、みーんないまの中国。上海だけが中国ではないけれども、上海は、中国なんです。テレビをつければ、京劇からモードまで。雑技もやってれば、新喜劇もやっている。ジーパンがめちゃ似合うスタイルのいいお姉ちゃんがまだ、化粧もしてなくて、でもキレイ。いろんなアンバランスが上海の魅力。中国の魅力。上海からの一日本人夫婦の日記。我田引水許してね。
2004.12.10
わたしたちのアパートは、上海の静安区にあります。面している通りは、茂名北路。茂名南路は、かなり有名なオシャレな通り。そこからすると、こちらはとっても雑然とした一方通行の通り。自動車部品を扱うお店が軒を連ね、部品を運ぶお兄さん方が日がなたむろしている。そんなわたしたちの住まいのとなりは、毛沢東の旧居跡地。記念館になっていて、引っ越した早々に見学に行ったなぁ。国家を象徴する人物のお隣に居を構えられたなんて、とっても名誉なことですよ。人民元の顔ですし。お金に近づいている証かな。そんなことはないか。旧跡と「新跡」が共存している上海の街並み。まだまだいろいろな発見をするんだろうなぁ...
2004.12.09
初めまして中国に来てハンとし。ことし(2004年6月まで)山形県下で自営業(古本屋)をやっていた夫婦が中国発展の熱に当てられて、背水の思いで中国へ移住。コトバも精通せず、たいしたおカネも、現地の人脈も何もないところから、はたしてフツーの日本人夫婦が、チャンスの可能性、夢の支えだけから、中国で生活をしていくことができるのか・・・現に活躍されている方々は、たくさんいらっしゃる・・・わたしたち夫婦も、そういう先輩方に近づくことができるのか・・・日本と中国にある、まだまだ知られざる理解のスキ間をあくまで一夫婦の視点でとらえたい、そう思ってブログを始めようと、思っています。書き記していくことで、じぶんたち自身のことも、もっともっとわかるようになると、思います。異国に住むということは、やはりアイディンティティー、じぶんの存在、ということを考える、たいへん良い機会でしょうから・・・日記を見て、思い当たるふしのある方は、どんなことでもケッコウですので、ぜひコメント下さりませ。これからどうぞよろしくお願いします。(ダンナ & タイタイ)
2004.12.08
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