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ケータイを機種変して、動画を撮っていないことに気づいて、火曜日に撮ってみました。
ジョイフル本田からイオンモールむさし村山ミューへ向かっているときのものです。
面白みは全くありません・・・。
クルマ酔いできそうな動画になりました。
ナビ(ごりぃーらぁー・たかた社長ふうに)の位置を動かしたい…が狭くて無理・・・。
衣替えの十月ですね。
早く寒くならんかな~。
寒くなったほうが眠れるから・・・冷え性じゃないしね。
あたしは、東京23区内生まれ、八王子育ち。
あたしくらいの年齢(アラフォー)の方たちで八王子育ちというと、
必ず小学校で日光に行ったことがあるのが当たり前?に近いくらいなんですが、
以前もブログに書きましたが・・・
あたしはまだ日光へ行ったことがありますぇん!
日航ホテルなら26日に行ったぞ。
それだけでもなんかショックなのに、もうひとつ ショッキング
なことを発見した・・・。
昨日は 「
都民の日
」
でした。
小中学校の時は休みで、あとはあまり関係ないから、そんな日があるのを忘れていた。
それはいい。それはいいんだ・・・。
が・・・
カッパは許せない。
メロスは激怒した。
ヒロコングは激怒した。
宿六(四つ上)は「カッパのバッジ」、あったよねー、と言ってたが・・・
カッパのバッジってナンデスカー!?
カッパのバッジ (ウィキペディアより)
1956年の大東京祭以降、東京都は都民の日を記念したバッジ「大東京祭記念徽章」を毎年発売した。当初は彫刻家の朝倉文夫がデザインしていたが、1959年からは漫画家の清水崑によるカッパをモチーフとしたデザインとなった。カッパが採用された理由としては、隅田川にカッパの巣が多くあったとする伝承によるものだとされている。その後、バッジのデザインは、1976年から漫画家の小島功に引き継がれ、カッパのモチーフもそのまま受け継がれることになった。
この
バッジは都営施設の無料入場を認める際の目印として用いられ、都内の各区市町村の窓口や宝くじ売り場などで一般販売を行った他、都内の小中学校などでも組織購入が行われた。
このため、1960年代から1990年代ごろまでの間に都内で幼少期を過ごした世代には、カッパバッジとして広く親しまれることになった。
しかし、1970年代頃からプラスチックケースに入った色違いの5個セットで販売されるようになり、子供が購入するには高価になりすぎたこと、また、無料公開される施設が減少するなどバッジの目的が薄れたため、1997年の都民の日を最後にバッジの販売は行われなくなった。 全国的に販売が行われたわけではない東京ローカルのバッジのために都民以外にはまるで知られていなかったが、漫画こちら葛飾区亀有公園前派出所に登場したことで昭和にかつて存在した東京文化として広く知られるようになった。
・・・こんなの知りませんよ・・・。
ネット検索すると、都民けっこーみんな知っているものらしいことがわかった。
・・・あたしの小学校では存在しなかったぞ・・・。
あたしが過去の都民の日にバスに乗っていたら…損してたってこと?
金返せー!
←?
カッパバッジにはがっくりきたね。
ずるい大人がいたもんだな。 ←??
ってか、カッパ?
今度作るなら「タマちゃん」(以前いた多摩川のアザラシ)にしてくれい・・・。
そんなわけで…ちょいと「都民?」な疑惑がもたれそうなオイラです。
今日勤務先で「カッパバッジ知ってますか?」データを集めようと思いましたが、 あまりにも悔しいので
(大人げない)、やめました・・・。
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