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昔の体育会系ならばどこでもあったと思うんですが、いわゆる「しめ」というものがありました。要するに殴られるということなんですが、たぶん中田君達ぐらいまでの年代になるとなかったでしょう。まあ、納得できるのは監督、コーチから殴られること、これについてはサッカー全国レベルの場合、横パス一本ミスしただけでもう、終わりです。簡単に点を取られてしまいます。監督、コーチからはミス、気合がない、一生懸命やらないと言った点について殴られ、蹴られました。後問題なのは、先輩などから暴力を受けることです。現代ならとっくに体罰だと思うんですが、私の場合特に長野県から出て行ったということで、いつも「メイン」です。「メイン」はまあ主にやられるということで、部室でしたらちょっと高くなっている座敷に上がらされて羽交い絞めにされ殴られます。流血もしょっちゅうです。今考えて見るとただ単に学校が荒れていただけの話で、国体を控えていた韮崎高校はサッカーが上手ければどんなレベルの生徒でも取ったとのことです。その当時の私は「自分がへただからやられるんだ」と自分に課し、とにかく練習しました。私も教員をやってましたが、決して暴力は許しませんでした。とにかくおかしな世界でした。結局国体も勝てませんでした。まあ良かったことと言えば試合に負けたら一番やられるので、練習試合は国見以外には負けなかったということぐらいです。本当の愛のムチは暴力とは違います。
2007.02.14
久しぶりに中田英寿君の母校って私の母校なんですけれど山梨県の韮崎(にらさき)高校サッカー部に居たころのことを書いてみようと想います。私が韮崎にいたころ「練習だけは日本一だから」という練習を繰り返していました。前に書いた、バイクにくくりつけられて1500Mなどを走るトレーニング、タイヤを引く、平均台を両サイドにとび、ダッシュ、その間に10Kの鉄アレイを上下。中田君の時代にバイクはさすがにないですが、平均台とアレイはやったのではないかと想います。その練習の甲斐があって、練習試合では、長崎県の国見高校以外には負けなかったです。国見はその年、全国優勝しました。静岡のグランドで雨が降り、30cmぐらい足が埋まってしまうような状態でした。私たちは想うように玉が蹴れず困っていましたが、国見高校はまったく関係なく、玉をまわし、逆サイドにロングキックしていました。ものすごいパワーです。私は彼らにタックルを仕掛けたのですが、サッカーではすねを守るためにすね当てというものをしています、それが割れました。やはり全国優勝するチームは違いますね。現代に話を戻すと最近は週4回5kmずつ走り、坂道を利用したボールコントロールを練習しています。高校の時勝てなかった選手に、せめて選手歴では勝ちたいと想い継続しています。今の夢は私の所属する長野県の諏訪FCをプロ化することです。づづく
2007.01.29
日記というか自分のサッカー歴を回想する時期かなと思うので書きます。 小学校からサッカーを始めて、時代が古いから今みたいにJリーグもない、海外のサッカーを見る機会もないそんな中でサッカーとは何か、自分が生まれてきた意味は何かと子供のころから強く思って練習してきました。 どうしてもサッカーを極めたいということであの時代まだあまりブラジルへの留学などの情報がなかったし、高校は卒業しなければということで、山梨県の韮崎高校を受験、サッカー部に入りました。 韮崎はすごいところで、グランドに原付バイクが入ってきて、そこに縄がついていました。その輪の中に入り、バイクにくくりつけられて、1500m走、3000mなどを何本も走りました。 私結局教員にもなってサッカー部持ちましたが今の時代そんな練習は体罰になってしまうのでさすがにやらせませんでした。 中田が出る前から韮崎高校は全国の2、3位に入っており、高校選手権への出場は徳島商業についで全国2番目の名門でした。 この高校でのハードトレーニングはやがて大学でのサッカーへつながって行きます。 勝手につづく
2007.01.06
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