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旅順は日露戦争の激戦地です。
まずは203高地から望む旅順港です。

日本海軍広瀬武夫中佐の話しで現地の皆で盛り上がった。
当時、旅順港に停泊する ロシア艦隊と 当時世界最強 と謳われた バルチィク艦隊が合流する事は
日本海軍としては何とか避ける必要があり、
旅順港の入り口を封鎖すべく、
その港口に運送船を沈める作戦を実施。
第一回は5隻、第二回は4隻、
第三回は12隻が突入した。
敵の探照灯の光芒が交錯し 十字砲火が降り注ぐ中に突入する決死隊でした。
広瀬中佐の福井丸は
明治37年3月27日午前4時に
は旅順港口に辿りつき、
船に爆弾を仕掛けて退去するため
短艇に乗り移ったが、 杉野兵曹長が戻らない事に気づいた広瀬中佐は
三度船上に戻り探したが見つかりません。
短艇に戻った広瀬中佐を敵砲弾が直撃し
壮烈な戦死を遂げました。
出身地大分県竹田市には
広瀬をまつる「広瀬神社」が立っているので
いつか訪ねてみたいと思います。
文化大革命でかなり破壊され
失っている事が分かりました。
203高地の塔は乃木大将が書かれた事もあり
今もしっかり残っていますが
落書きもかなりありました。又、川島芳子の事は
今も中国人からはスパイと軽蔑されていて、
旧宅も汚いままの廃虚をさらしていました。
リフォームしたら良いのにと思った次第です。