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江戸前はアナゴに限る しかも羽田沖が極上である。 アナゴ寿司といえば、根津の池乃が最高である。 羽田沖で獲れたアナゴしか使わない。しかも甘辛く煮詰めるツメが アナゴの出汁が効いて、もう最高に美味。寿司目飯もいい。 ここのアナゴ寿司は日持ちがする。だから海外へのお土産にも最適である。 急に羽田沖のアナゴが食べたくなった。 羽田の渡しの名残が残る穴森駅で降りる。昔の漁師町である。 まだ店は開いていないので、重の湯、玉の湯と銭湯意のはしご。 5時半に食通「ゆたか」に行く。 なんとすでに満員御礼。老夫婦が待っている。
2009.05.12
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あまり知られていないが、大田区は銭湯天国である。 大田区にはざっと数えて、70を超える銭湯が健在である。 しかも天然温泉も多い。うーん、一度足を運ばなくては・・・。 そんな矢先、中学時代の親友の銭湯仲間に声を掛けた。 どうだい、連休中に湯上りの一杯をやらないかい? 羽田沖の獲れたて穴子でも食べにいこうよ。江戸前だぜ。 あなご、アナゴ、穴子。そりゅあ、行こうということになった。 銭湯は相棒に任せ、私は居酒屋を担当することにした。 相棒は東急玉川線の「穴守神社」の銭湯をピックアップした。 穴守神社は江戸末期に建てられた。開運の神様で、羽田の守り神だ。 そのご明治になり、日本初の飛行機が飛んだり、飛行学校が作られた。 地名の羽田が先で、あとから飛行場ができたのである。 戦後になり、羽田空港のど真中にある鎮守様の「穴守神社」が邪魔になった。 羽田空港拡張のために、多摩川のこっち側に穴守神社が移された。 穴守神社から10分も歩かないうちに六郷にかかる大橋にでる。 昔の羽田の渡しである。いまでも船宿が健在だ。昔は江戸前の漁業が 盛んだった村である。 羽田の渡しから歩いて2分のところにその銭湯はある。 なんともレトロな感じが懐かしい「重の湯」である。 ここの湯は、ゆったりしていて気持ちがいい。 大きくはないのだが、すごく落ち着く昔風銭湯なのだ。 なぜかと考えていると、ペンキ絵の奥松島風のどっしり落ち着いた絵。 高い破風天井、ゆったりしたカラン・・・ これが絶妙のバランスなのだ。 この辺界隈は、狭い路地が縦横無尽にめぐっている。 幅1メートルもない路地が百メートルも続いている。 まさにかくれんぼをしたくなる路地だ。 駅のほうに戻る。 もうひとつの玉の湯である。 玄関は立派だ。中は改装してあって、昔風ではない。 薬湯風呂と、低温サウナが特徴だ。 泉質が柔らかい。キメも細かい。さかなかいい湯だ。 さすがに銭湯のはしごをすると、身体がほてってくる。いい湯だな♪ もう、5時半。そろそろ湯上りの一杯と行こう。 昔、ここいらにハゼの卵巣塩辛を手作りする飲み屋があった。 探すが、今は親父さんはダウンし、おばあちゃんがやっている。 カウンターだけの居酒屋「さわだや」だが、暖簾が閉まっている。 仕方がない。 日本一のアナゴを食べさせると言う食通「ゆたか」に行こう。 さあ、江戸前のアナゴだ・・・
2009.05.11
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あまり知られていないが、大田区は銭湯天国である。 大田区にはざっと数えて、70を超える銭湯が健在である。 しかも天然温泉も多い。うーん、一度足を運ばなくては・・・。 そんな矢先、中学時代の親友の銭湯仲間に声を掛けた。 どうだい、連休中に湯上りの一杯をやらないかい? 羽田沖の獲れたて穴子でも食べにいこうよ。江戸前だぜ。 あなご、アナゴ、穴子。そりゅあ、行こうということになった。 銭湯は相棒に任せ、私は居酒屋を担当することにした。 相棒は東急玉川線の「穴守神社」の銭湯をピックアップした。 穴守神社は江戸末期に建てられた。開運の神様で、羽田の守り神だ。 そのご明治になり、日本初の飛行機が飛んだり、飛行学校が作られた。 地名の羽田が先で、あとから飛行場ができたのである。 戦後になり、羽田空港のど真中にある鎮守様の「穴守神社」が邪魔になった。 羽田空港拡張のために、多摩川のこっち側に穴守神社が移された。 穴守神社から10分も歩かないうちに六郷大橋にでる。 昔の羽田の渡しである。いまでも船宿が健在だ。昔は江戸前の漁業が 盛んだった村である。 羽田の渡しから歩いて2分のところにその銭湯はある。 なんともレトロな感じが懐かしい「重の湯」である。 ここの湯は、ゆったりしていて気持ちがいい。 大きくはないのだが、すごく落ち着く昔風銭湯なのだ。 なぜかと考えていると、ペンキ絵の奥松島風のどっしり落ち着いた絵。 高い破風天井、ゆったりしたカラン・・・ これが絶妙のバランスなのだ。
2009.05.10
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ここのところ三日間脳味噌が 酒漬け状態であった。 話はさかのぼる。 連休最後の日、BBQパーティの招待状が届いた。 西荻窪から少し奥にはいった閑静な住宅街である。 周りには武蔵野の雑木林がまだ残っている。 その大邸宅のところだけ緑に囲まれているのである。 そこでのガーデンパーティ。 浮き浮きと夫婦で出かけた。 うまくいくと我がダッチオーブン料理の腕の見せ所である。 しかも我が最大の趣味、焚き火三昧ができるのである。 しかしである。 運命の神は気まぐれである。 到着するやいなや、雨が降り出した。 火起こしするも、ベランダの軒下でのバーベキューと相成った。 仕方がない室内でのワインパーティだ。 庭一面のガラス戸に映る深緑が雨に打たれて綺麗だ。 よく冷えたシャンパンがうまい。 やはり泡ものはシャンパンに限る。 ポンポンと3本が空く。その銘柄もそれぞれ個性があり旨い。 それからメドックのシャトーワインが続々登場。 バーベキューもうまいが、ご夫人達が持ち寄ったご馳走がこれまた 格別の味である。 調子に乗ってよく食べよく呑んだ。 おお、脳味噌がスキップを踊りだした。 まだ8時と言うのに珍しくダウン。 脳味噌が酒漬け状態になったようだ。 タクシーを呼んでもらってあえなく退場。 こういつときに妻と一緒なのは心強い。 9時に就寝。ああすでに夢心地・・・。
2009.05.09
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私は若い頃、学生時代の友人の結婚式の司会を18回やったことがある。 一番最初は心臓ドキドキ、口パクパクであった。 次第にリズムが分かり、人を笑わせるのが面白くなった。 真剣に司会業をやるのもいいかと思ったこともあった。 でも最近、結婚式にはとんとご無沙汰である。 4日の横浜コンチネンタルホテルの結婚式の招待状がきた。 アントレプレナー塾一期生の結婚式である。 こんなに嬉しい結婚式はない。 わくわく気分で出かけた。 綺麗でしかもハートナイスな素敵な花嫁である。 新郎は、アントレプレナー塾の一番弟子。 在学中に老人介護紹介の会社を立ち上げた。 本も出版した。「だまされるな老人介護施設」 クリエーターズネクストのCEOである。 二人の馴れ初めがまた半端じゃない。 彼は25歳。彼女は一回り上である。 彼女は彼の大学の生協のお姉さん。 新入生で一目見て彼はくらくらきたそうだ。 それからの一回り下の彼のアタックがまた凄い。 なんと顔を覚えてもらうために彼女のレジに、一日で十回消しゴムを 買いに行ったそうだ。 わたしは、前に彼から「恋愛とマーケティングの関係」について聞かれた。 「恋愛もマーケティングだ。ポリシーをもって、顧客満足させろ。相手を喜ばせる ことをやり続けろ。マーケティングとは愛だ」と。 結婚式の主賓テーブルに着くと、新郎からのメッセージが置いてあった。 「塾長 私は塾長に二つの約束をしました。 ひとつは『世界を変える起業家になること』。 もうひとつは、『塾長の作品として恥ずかしくない男になること』 そして今日、もうひとつの約束をさせて下さい。 大きな会社を作って必ず恩返しをします。 塾長、大好きです」 嬉しさと涙がこみ上げてきた。 男冥利に尽きる。 72回、手弁当の寺子屋塾、アントレプレナー塾を72回続けていて 本当によかった。 望君、塾生たちよありがとう。
2009.05.06
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最近、学生時代の思い出にふけることがある。 わたしの場合、前だけをみて突っ走るタイプなので、過去を振り返る ことはほとんどなかった。うーん、年輪を経てきたせいかもしれない。 渋谷道玄坂でスラムドック$ミリオネアーをみたあと、恵比寿に急ぐ。 6時半。改札口で二人に逢う。 いつもお店は私の担当である。さあ、どこにしようか・・・ ちょっとお洒落にイタリアン・バールにする。 ここは早くしないとメチャ混む。 一皿300円から千円の小皿がうまいのだ。 新鮮野菜をニンニクソースでつけて食べるバーニャカウダも800円と お手ごろ。パルマ産の生ハムもうまい。 話は今年のイベント企画。 ここのところ毎年一回は泊まり込みの同窓イベントをやっている。 最初は旅行会、最近はイベント。かれこれ十数年続いている。 その幹事役がN君と私とK君。 昨年は熊谷まで出かけて、太田裕美と伊勢正造のアコースティック コンサート観戦と日本近代化の父・渋沢栄一探求の旅であった。 実を言うと、この仲間たちは学生時代音楽ビジネスサークルを 一緒に立ち上げた草創期のメンバーなのだ。 恐らく当時としてははじめて、学生だけの手で、コンサート企画、販売 運営も手開けたサークルであった。 当時我々が実施したコンサートは今思うと凄い顔ぶれだった。 谷村新司などのアリス、さだまさしなどのグレープ、荒井(松任谷)由美、 オフコース・・・・・・ これらの交渉から、チケットの販売、当日の運営をすべてやっていたのだ。 まあ、今風に言えば音楽ベンチャーを学生時代に立ち上げていたような ものである。 会場はお金がなかったので、昭和女子大のひとみ講堂や、青学講堂 などを低料金で借りた。 チケットは自前で刷って足で売り歩いた。 懐かしい青春時代である。 今年は秋に、そのアリス復活コンサートを鑑賞し、縁会という企画だ。 さあ昔の仲間が何人集まるか? このごろ皆、本業が忙しい。生き残りをかけているのだ。 そろそろゆとりをもって仕事をしたいのだが・・・・ まあ、今のご時勢だからなぁ。
2009.05.05
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最近、学生時代の思い出にふけることがある。 わたしの場合、前だけをみて突っ走るタイプなので、過去を振り返る ことはほとんどなかった。うーん、年輪を経てきたせいかもしれない。 渋谷道玄坂でスラムドック$ミリオネアーをみたあと、恵比寿に急ぐ。 6時半。改札口で二人に逢う。 いつもお店は私の担当である。さあ、どこにしようか・・・ ちょっとお洒落にイタリアン・バールにする。 ここは早くしないとメチャ混む。 一皿300円から千円の小皿がうまいのだ。 新鮮野菜をニンニクソースでつけて食べるバーニャカウダも800円と お手ごろ。パルマ産の生ハムもうまい。 話は今年のイベント企画。 ここのところ毎年一回は泊まり込みの同窓イベントをやっている。 最初は旅行会、最近はイベント。かれこれ十数年続いている。 その幹事役がN君と私とK君。 昨年は熊谷まで出かけて、太田裕美と伊勢正造のアコースティック コンサート観戦と日本近代化の父・渋沢栄一探求の旅であった。 実を言うと、この仲間たちは学生時代音楽ビジネスサークルを 一緒に立ち上げた草創期のメンバーなのだ。 恐らく当時としてははじめて、学生だけの手で、コンサート企画、販売 運営も手開けたサークルであった。 当時我々が実施したコンサートは今思うと凄い顔ぶれだった。 谷村新司などのアリス、さだまさしなどのグレープ、荒井(松任谷)由美、 オフコース・・・・・・ これらの交渉から、チケットの販売、当日の運営をすべてやっていたのだ。 まあ、今風に言えば音楽ベンチャーを学生時代に立ち上げていたような ものである。 会場はお金がなかったので、昭和女子大のひとみ講堂や、青学講堂 などを低料金で借りた。 チケットは自前で刷って足で売り歩いた。 懐かしい青春時代である。 今年は秋に、そのアリス復活コンサートを鑑賞し、縁会という企画だ。 さあ昔の仲間が何人集まるか? このごろ皆、本業が忙しい。生き残りをかけているのだ。 そろそろゆとりをもって仕事をしたいのだが・・・・ まあ、今のご時勢だからなぁ。
2009.05.05
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時間が余ったので映画を見ることにした。 5月1日、仕事が休みなのに、同窓会の打ち合わせを夜に入れてしまった。 うーむ、時間が中途半端だ。 そうだ。1日は映画デーである。 仕度もそこそこに家を飛び出す。渋谷に直行。 レッドクリフをみたかったが、どの回も満員。 スラムドック$ミリオネアーにする。 アカデミー賞作品賞など8部門を獲得したインド映画の名作だ。 テンポがいい。スリルとサスペンスの連続。 物語はスラム街で育った少年が数奇な人生を経てクイズ番組で ミリオネアーを獲得する。 少年は何があってもあきらめない。 夢はかならず実現するのだ。 おっと6時20分。恵比寿で6時半待ち合わせ。 これから学生時代の悪友達と会うのだ。 さあ、今日も楽しい飲み会・・・・
2009.05.04
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