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久恒啓一

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エリザベス・サンダース・ホームを創立した澤田美喜の記念館は、神奈川県大磯の駅前の深い緑の中にあった。1901年生れの美喜のことは、東京上野の旧・岩崎家住宅見学の時に知った。そのため、大磯にある記念館を訪ねた。

駅前の道路を渡ると、ホームの敷地に直ぐに入れる。右がホームのあったところ、左側の石の階段を登り切ると記念館に着く。その直前に90歳にならんとする男性が草を刈っていた。この人がこの記念館を守っている鯛さんである。ノモンハン事変の生き残りだそうだ。ネクタイをして背筋がピンと伸びたかくしゃくとした人である。「ここにくると元気になる」という鯛さんは、ママちゃまと呼ぶ美喜のもとで長い間、働き、その人柄と使命感に深く影響を受け、一生尊敬の念を抱き続けている。最初は1時間強のつもりだったのだが、結局は3時間以上の滞在となった。

三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎の息子・岩崎久弥の娘であった美喜はお転婆で家族を困らせ、令嬢にあるまじき行為で見合いを破綻させていたが、外交官で後に初代国連大使となる澤田廉三と結婚する。若い頃はアルゼンチン、中国、イギリス、フランス、アメリカと夫について世界をまわるが、イギリスのドクター・バーナーズ・ホームでのボランティアが、美喜の運命を変える。

建物の2階が教会で、1階が澤田美喜が集めた隠れキリシタンの遺品を集めた記念館となっている。40年間にわたって激務の傍ら集めた1000点の品々。九州長崎の島々を巡って集めたものも多い。親交のあった遠藤周作は16・17世紀の資料が貴重だとのメッセージを寄せていたし、三浦朱門・曽野綾子夫妻は「今日をいかに生きるかに悩む人々、未来の原型を過去に見出す能力を持つ人々、殊に若い人々に、このコレクションを見て欲しいと思う」と記念館の入り口にメッセージを残していた。

2階の教会は、三宅よしろうという人の建築で、日本初の免震構造の建物だそうだ。
「ママちゃまは、昼はオニばば、夜はマリア様だった」
「坂本九の上を向いて歩こう、が好きだった」
「テレビの水戸黄門が好きだった」

2005年11月2日につくったプレートには、104名の逝去者の名前が刻んであった。

アブラハム:澤田廉三
エリザベス:澤田美喜
ピーター:澤田久雄
エリザベス・サンダース
ステパノ:澤田晃
パウロ:田実渉

昭和30年には、天皇・皇后両陛下はみえている。その記念に大きな日の丸の旗が飾ってあった。

一階の記念館。昭和11年から集めた隠れキリシタン関係の品々が並んでいるおごそかな空間である。阿弥陀仏に模したマリア像、大友宗麟の鉄地蔵、細川ガラシャ夫人の遺品、高山右近手製のマリア像、ド・ロ神父考案の天国と地獄図、綾部焼、白萩焼、日本最初の版木の踏絵、キリシタン大名ゆかりの品々、キリストの姿が映る魔鏡、、、、。

鯛さんは特別にシーボルト作の母子像を抱かせてくれた。


記念館を訪問したのは7月だったが、鯛さんの予告にあったとおり、8月15日には、「女の一生シリーズ」の中で「2000人の孤児の母・澤田美喜」という番組が日本テレビで放映された。美喜を演じたのは松坂慶子、夫の廉三は江守徹、父の岩崎久弥は児玉清という配役である。

併設する聖ステパノ学園は、戦争で亡くした息子・晃のクリスチャンネームから名づけたものだ。
財閥解体で国に物納してしまった多い曽野別荘を買い戻した美喜は、日本人、アメリカ人双方の無理解、妨害の中、小さな善意に助けられながら事業を展開していく。口癖は「顔を上げよ」だった。
米兵に強姦されてできた子どもを捨てた母親、そして妊娠したその子どもとの再会のシーン。誰が母親で、誰が父親だったのか、なぜ自分がいまここにいるのかに苦しむ子供たち、、
なぜこのような事業をやってきたのかという問いには「啓示。天から使命感が降ってきたとしか」と美喜は答えている。
昭和55年(1980年)、「海外に出した養子たちも落ち着いてきたし、子どもを置き去りにする人もいなくなったし、私の仕事は終わったのかも、、」と述懐した美喜は最後の海外旅行にでるが、スペインのマヨルカ島で亡くなる・享年78歳だった。










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Last updated  2006/11/19 09:40:48 AM
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