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久恒啓一

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新国立西洋美術館の「愛と創造の軌跡」展と、サントリー美術館の「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展は、いずれも六本木で開催されている。

まず、「魂のポートレート」展を見てきた。ピカソの本質に迫る自画像と自己を投影した作品60点を、六本木ミッドタウンの隈研吾設計の木の香り豊かなサントリー美術館で堪能した。フワイトオークの木の床が気持がいい空間を紡いでいる。

19歳から25歳までの「青の時代」は、自我の崩壊の危機と隣り合わせの時代だ。

失恋からピストル自殺をした親友の死を描いた「カザジェマスの死」(1901年)は、蝋燭に照らされた青白い顔、こめかみに残る銃弾の跡などを描いている。

1901年に描いた「自画像」は、この企画展のパンフレットに選ばれているが、当時20歳のピカソはメランコリックな青を背景に老成した顔だちで描かれている。一点を見つめる強い目線、こけた頬、あごひげ、などは人かどの人物を連想させるが、しかし若さはない。

1904年頃から始まる「キュビスムの時代」には自画像は少ない。この冶ダウ\いはバラ色を用いてピカソの分身である芸人や道化を描く。25歳の時の「自画像」は、短く刈上げた髪、裸の上半身、顔の部品は20歳の自画像と同じだが、視点はやや横を向いており挑戦的な兆しはない。

1907年の「男の胸像」では、右が普通の目、左は白というように両眼が異なった描き方になっており、遠近法の写生とは明らかに違うキュビスムの方向へと踏み出したことがわかる。このキュビスムは対象をあちこちから見た姿を部分として組み合わせて全体像を描くという手法だ。3次元の対象を2次元空間の中に表す描き方である。断片を再構成して、形状としては奇妙ではあるが確かな実在感を感じさせる。

35歳の「自画像」は、やや横向きに構え画面を見る人に見据えるような強い視線を向けている。自信にあふれた自画像である。このころ、ピカソは画家としての名声とロシアのバレリーナ・オルテガと出会い結婚する。これ以降、ピカソは画風を変えて古代世界を扱う「新古典主義」へ向かう。この時代は1917年の35歳から1927年まで続く。「牧神パンの笛」などの明るい作品が多い。



「自伝を書くように私は絵を描く。私の絵は日記のページなのだ」というピカソの言葉は、ピカソの作品が女性の登場によって一気に異なる世界へと入っていくという画風の転換の意味を納得させる。

第二次世界大戦の2年前に描いた「ゲルニカ」は、残念ながら今回は日本の二つの企画展では見ることができない。

「影」(1953年)という作品がある。横たわる裸の女性をのぞいている黒い影。この女性はフランソワーズ・ジローらしいが、常に恋の勝利者であったピカソを捨てた唯一の女性である。

ピカソは80歳の時、はジャクリーヌ・ロックと再婚している。

最後の自画像「若い画家」は、老成した自画像として登場したピカソが、70年の歳月を経ていまだ枯れない愛欲と才能をきらめかせているようにみえた。

結城昌子は「ピカソ 描かれた恋」という本で、次のように言っている。

「オルガ(ロシア貴族の末裔)は精神に異常をきたし、マリー・テレーズ(従順な協力者)はピカソとの子どもを産みながら生涯日陰のまま、やがてピカソの後を追って自殺。ドラ・マール(才色兼備の写真家)は「泣く女」に変えられ、精神衰弱に陥ったと伝えれている。娘のマリーナも精神科の医の助を借りてようやく生き延びてる。ピカソの親族だけでも自殺者は3人も出ている。ピカソにかかわった女性はみな翻弄されるが、フランソワーズ・ジロー(40歳年下)だけはかろうじてピカソに一矢を報いてピカソの人となりをさらけだす書籍を出版している。

「私は、他の人たちが自伝を書くように絵を描いている。私の絵画は、完成されてようがそうでなかろうが、私の日記の頁のようなもので、日記としてのみ、価値があるんだ。、、、。私は、絶えず流れ続ける大河のようなもので、流れによって根こぎにされた木々や、死んだ犬や、あらゆる種類のごみ屑や、そこから湧いてくる瘴気を押し続けている。こういうものを全部、引き連れて流れ続けているんだ。私に関心があるのは、絵画の運動、一つのヴィジョンが別のヴィジョンに変わるような劇的な努力だ。、、、、私は、自分の思考の運動の方が思考そのものよりも興味深く思えるような、そういうとろに到達しているんだね」



ピカソの絵画の歴史は、ピカソの自分史である。





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Last updated  2008/10/12 02:27:02 PM コメントを書く


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