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久々にブログを書くね。二ヶ月ぶりだ。 俺の本質。 それは、「孤独」である。 人の話を聞くのが好き …自分の話を聞いてもらいたい 掬い上げるのが優しさ …掬い上げて欲しい どうしてそう思ったのか、と感情にスポットを当てる …自分の感情にスポットを当てて欲しい 大きなことを望んではいない。 俺は、俺という存在自体を認めてもらいたい。 家族にすら俺は心を開けない。 あの人たちは俺の部屋を乱暴に叩いてくる。 開きかけたドアには目もくれず、見えてるものだけで色々言ってくる。 家族、がどういうものか知らないが、俺はこの家庭に特別な幸福感を覚えない。 俺の人格、価値観を形成したこの家庭環境。 自分のことを知れば知るほど、その事実は残酷だ。 俺は、孤独だ。 人間不信の、孤独だ。 精神的な、孤独だ。 もう、、、 人の話を聞くのも無意味な気がしてきた。 俺は何のために傾聴をしているんだろう。 疲れてしまった。 ……彼女がまだ好きかもしれない。 けど、報われない。 報われることを目的としているわけではないが、どうしてこんなに辛いのか。 2人の姿を見てるだけで、俺は腸煮えくり返る気分だ。 悔しい。悔しいよ。 俺の方が幸せに出来る、って信じているのに。 独りよがりの傲慢、か。 時が解決してくれる、と聞くが、そんなんじゃ遅いんだよ。 早く辞めてしまいたい。 遠くに、遠くに行きたい。2人が目に入らない所まで。 毎週、どうしようもない虚無感と嫉妬心に駆られる。 笑顔を見るのが辛い。 目を見て話すのが怖い。 LINEでのやり取りが切ない。 早く別れちまえ。 不幸になれ。 笑顔を消してしまいたい。 そんなふうに思っても何も心は救われなくて…。 やめだ。 寝よう。 こんなのが内省になるかは分からないけど、今日も自分の心の声に耳を傾けられた。それだけで満足だ。
2016.05.24
バイト先でめっちゃ怒られた。机をガッツーン!と叩いて怒鳴り散らしていた。中々味わえない感情だから、ここに書いておこうと思う。心が閉ざされていく感覚だった。心が「部屋」だとしたら、その扉が絞まっていく感じがした。光を開け放っていたが、その光は小さくなった…。もう、あそこで表情を変える事もないだろう。無表情で仕事をしていくだろう。何を言っても、しても、色々言われるのだから、感情を殺して過ごせばいい。ちゃんと仕事をしていれば問題ないのでしょう?最近は色々な事が積み重なって、心が辛い。新歓の事や、彼女の事や、今日の事…。きみよ。俺はお前が思うほど立派な人間じゃない。ダメでどうしようもないやつで、社会不適合者なんじゃないかって思うよ。憧れとかそういう事言わないでおくれ。起業したい。というか、自分がやりたい事、好きな事を突き詰めていきたい。それを仕事にしたい。どうして、誰かに飼われている状態で意識高く仕事に取り組めようか。環境のせいなのか。あいつは他責しかしない、と言ってもこれ自体が他責だ。自己開示について。俺に自己開示を求めてくるが、「人に求める前に、まず自分からだろ」って思ってしまう。今日分かったが、相手から信頼を得られる自己開示には条件がある。1.嘘がないこと2.その時だけでなく継続的な開示であること3.トラウマや弱みといったネガティブなものであること俺は、施しは受けない。仕事上での協働はする。会食など、人間的な付き合いもする。だが、パーソナリティには侵入させない。俺は本音を求めらる立場ではない。
2016.03.21
こんにちは。いや、こんばんわの時間帯か。ん?考えようによってはおはようか。このブログ、PCで見るとテーマとか背景が暗すぎるので、どうもネガティブな内容を書きたくなります。が、今日は雰囲気に負けないで楽しそうな話題を書けるよう頑張ります。…。ダメだ、書けません(笑)書きながら内容考えていこうと思ったんですけど、ダメですね。たぶん、今まで色々なことがありすぎて、このブログの読者の方に文脈なしで説明するのが無理だからだと思います。それくらいこのブログ更新してないですもんね。結局、今の僕の大学生活について書こうとしても、その事柄の背景だとか事情を書かなければいけないわけで、それを面倒だと感じてしまったらもう書けないんですよね。あまり自分の私生活についてここで書く気はないって事なのかもしれません。それに比べて、自分の心情やらこうやって考えてる事を書くのは苦ではありません。なんでなんでしょうね。
2015.07.20
18,19,20,21... いくつになっても、俺は同じことで悩み苦しむ。 心にナイフを突きつけられている気分になる。 でも、確かに痛みを伴っているから、これは刺さっているのかもしれない。 最近気づいたが 精神的に弱ってる時、俺はこの状態に必然的に陥る。 そこに絶対的なリアリティを持って立ち現れるモノが、どうしようもなくやり場のない気持ちに1つの「間違った」解を示してくれる。 それは間違ってるがゆえに、いくら責め立てあげようと解決にはいかない。 それどころか、これは自傷行為にしか過ぎない。 俺は俺をいじめることで、生きることのどうしようもなさとか矛盾に応えようとしている。 こういう状態になった時は、、、 人に会うのが一番効く。 自傷行為は人に隠れて行わなきゃ意味がない。 ただ、今は早く寝てしまおうと思う。 単純に眠いしな(笑) でーは。
2015.06.30
人の話を聞くのが好き。人に感謝されるから好き。その人の考えがどんどんクリアになっていって、落とし込んでいく様を一緒に体感するのが好き。対話の限界はきっと、まだまだある。
2015.05.19
・「マネジメント」っていう言葉が嫌い。なぜなら、人を人としてじゃなくて「対象」として捉えているから。・そういう側面があるのは否定しないけど、大学生のサークルでそこま必要なわけがない。・ここはサークル。大学のサークル。俺たちは同じサークルの人っていう括り。・俺はいわゆる巷に溢れてる「マネジメント本」が役に立つのは、土台・前提としての「人と人」の繋がりの深さが一番大事だと思う。・その人と親密な仲を築けているなら、極論、マネジメントなんかいらない。と思う。・根拠もないので、今度マネジメント勉強します。
2015.05.14
ブログより日記の方が好き勝手書けるのかな。今度試してみようかな。そんな、21の夜。相変わらず自分がどこに向かっているのかが分からない。目的地は明確のようでボケている。ドッド絵みたいな未来像。ハッキリしそうでよく見ると何も分からない。足元をちゃんと見て、そろそろ顔上げて遠くを見てみたい。新たに入会して来た「芽」たちを見てて思う。
2015.05.05
Hello, Mr you.僕は元気ですよ。
2015.03.24
好きな人からの返信を待ってる時って、どうしてこんなに長く感じるんですかね。
2014.12.01
こんにちは。最近、「優しさ」とは何か考えることが多くなりました。殊に友人との関係において、です。StrengthsFinderとか、周りの人から自分のパーソナリティへの評価から鑑みるに、僕は「優しさ」であったり「社交性」「親密性」を強みとしている人間だそうです。僕自身、人間関係に敏感なせいで必要以上に人を気遣うようにしていますので、そういう点を評価されたのだと思っています。ただ、じゃあ、なんで?なんで僕は人に優しくするのか。答えはすぐに出ました。全て自分のためです。自分が満足したい、自己満足を意図して人に優しくしているのです。なぜか。振り返ってみれば、僕の人生で誰かに優しくした時はいつも自分への何らかしらの見返りを求めいた気がします。その見返りが、物質的なものでも精神的なものでも。例えば。集団で遊びに行ったとき、皆の和に入れないで困惑してる(ように自分からは見える)人には自ら話し相手になったり。会話している時に中々発言していない人(発言したそうに自分からは見える)に話を振ったり。これらは一般的に「優しさ」と評価される行為です。しかし、僕の場合これらが自己満のように感じざるを得ない。僕はその場の「和」をとても大事にする人間です。自分が「期待している通りの」場の雰囲気になっていないととても嫌がる人間です。僕はその場が自分にとって嫌な空気になっていたら、自らそれを変えに行く。上記の例で示した二つの行動のように。そう、世間的には「優しさ」と評価されている行為も、僕にとっては自分の欲求を満たしているだけでしかない。もちろん、困っている人のためにも動いているのでしょうが、それが全ての動機ではないんです。「偽善」この言葉が一番お似合いかもしれませんね。それで、最初に戻ってくるわけですが。「優しさ」とは何か。もちろん僕が考察、目指したいものは、偽善ではなく純粋なる善です。私的な感情が含まれない完全なる善。そんな優しさとは何なのか。というわけです。さて、ここで引用したい歌詞があります。曲はBUMP OF CHICKENで『ひとりごと』。~ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよきっとさ 君に渡そうとしたら 粉々になるよねぇ 君のために生きたって 僕のためになっちゃうんだ本当さ 僕が笑いたくて 君を笑わせるだけなんだ ごめんね人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らないねぇ 心の中に無いよ 僕のためのものしかないよそうじゃないものを 渡したいけど 渡したい僕がいるねぇ優しさってなんだと思う さっきより解ってきたよきっとさ 君の知らないうちに 君から貰ったよ 覚えはないでしょう皆 良く思われたいだけ 自分自身を売り込むだけ優しくなんかない そうなりたい 僕が一番ひどい頭ヘンになったかも いやいや至ってまともだよ望みは望まない事 僕が知らないうちに 君のためになれる事ああ うん 言われなくたって気付いてる 僕ちょっと考え過ぎありがとう 笑ってくれたおかげで 僕も笑えるねぇ 優しさって知ってるんだ 渡せないのに貰えたんだきっとさ 人と人との 心の外の中だけに 在るんだひとりごと君に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ優しくなんかない なれやしない なりたいと思わない一人では無理な事だから 誰かとの間に在るからどちらのものでもない 名前のない それだけに出会いたいねぇ 優しさってなんだと思う もう考えなくたっていいや本当さ 僕ら知らないうちに 僕らで作ったよ二人で出会ったよ~ちょっと長くなって申し訳ない。けど、一部だけ抜粋しても意味ないと思ったので。この曲はまさに今日のテーマに合うわけですが、最終的にやさしさとは心理的なものではなく行為そのものに対する評価、と結論付けていると思います。この辺は解釈がそれぞれあるだろうけど。この曲のメッセージを借りて僕なりの結論を出すのであれば、それは「偽善でも何でもいいから行動する事が優しさ」である、です。鋼の錬金術師で「やらない善より、やる偽善」という言葉がありますが、まさにその通りなのでしょう。心で何を思っていようが、実際に動ける人がやはり評価される。行動する偽善者。僕はこれからもそういう人でいいし、もっと動ける偽善者でいいのかもしれない。今日はこの辺で。でーは。
2014.11.25
また「いつもの」が来た。それは突然やって来る。いきなり来たかと思えば、俺から生きる気力を奪っていく。死にたい。いや、消えたい…?ううん、死にたい。死ぬしかないじゃないですか。でも、死ねない。
2014.09.29
最近思うんだけど。 今、男子より女子の方が知り合いが圧倒的に多い。 さらに言うと、初対面の場合は女子の方が接しやすいし、自分の振る舞い方が自分に合っている。 なんでだろう。 まぁ、ちょっと考えればすぐに分かる事だったけど。
2014.09.25
「何もかも自分のためにやってる事だろ?」 と聞かれた時、 答える事が出来なかった。 ぜーんぶ、自分本位。
2014.09.06
どれだけ頑張っても満たされる事は1度たりともない。
2014.08.20
やっぱり、メモで書き留めて更新する形がいいわ。・死にたいというより消えたい。・今日はとことん毒を吐く。・幸せそうにしてる人たち全員をぶっ殺したくなる時がある。・落ち込む事は簡単だが、立ち直る事はとても難しい。・落ち込むという事は現実を直視するという事である。・死にたい。・誰かと比べていかなきゃ生きていけないけど、比べてると死にたくなる。・いったい死ぬまでにどれだけ苦しめばいいんだろう。・大学に行ってこの暗い性格は変わったと思ってた。受験の影響で落ち込んでるだけだと思ってた。でもそれは違った。現実は何も変わっちゃいない。俺はそこに目を向けないように逃げてただけだ。・人は誰もが他人に知られたくない心の領域がある。そこに踏み込むのは避けるべきである。今日はこの辺で。でーは。
2014.07.26
上手く立ち回れているのか分からないけど、今のサークルでの自分の立ち位置にはとても満足している。こういう場所に立ちたかったわけではないけど、居心地が良い、とそう感じる。そこにいる人たちも含めて環境がいいんだろうな、きっと。
2014.07.23
今がとても楽しいはずなのにたまにどうしようもないくらい消えてしまいたくなる時がある。その「たまに」はいつも決まった時に訪れるのだけど。
2014.07.15
こんにちは。前、僕の中でブログを更新する優先順位が低いと言いました。これについて少し補足させてもらいます。端的に言えば、今がとても忙しい。大学の授業が付いて行けないとかそういう事ではないんです。サークル。これが一番の要因でしょう。他にも、バイトとかがあるんですが、サークルの忙しさに比べればまだ可愛いもんです。以上のような理由で、ブログを更新する時間がなかったんです。一応。ただ、何事においても「時間がない」というのは僕は言い訳にしか過ぎないと思っているので、これは言い訳になります。本当は更新する理由を見失っていたんです。何の為に更新するのかが分からなくなったんです。つまり、優先順位が下がっていった。ということです。で、なんで今更新する気になったかと言うと、ブログを更新する理由が出来たからです。その理由まで説明するのは面倒なのでしませんが、兎にも角にも、今こうやってタイピングしなければならない理由があります。さて、今日は友達と緩く約束していた、例の講演会の感想をFBという形で書いていきます。いつの話だよって思って、今資料読み返してみたら5月の終わりに開催された講演会でした(笑)そもそもどんな講演会なのかを簡単に説明すると、今僕が通っている大学の卒業生で社会に出て活躍しているOBを招いてその体験談を聞くというものです。この講演会自体は「キャリアデザイン講座Vol.1」と位置付けられて、3つあるキャリアデザイン講座の内の最初の一つ、ということになります。当日招かれたのは、山内 隆裕さん。どういう人かは、ネットで調べてみるといいと思います。こっからは講演を聞きながら取ったメモを参考に書いていきます。特に印象に残ったのが山内さん独自の「帝王学」ですね。⒈新人こそ巧遅拙速⒉大局観と嗅覚を磨く⒊学習レバレッジを最大化させよ⒋大志に本気になれ⒌身近に目標を創れ⒍反骨精神と素直さを磨く⒎不可能を可能にしろ⒏ベストプラクティスを探せ⒐チャンスに慣れるな⒑とことん一番に拘れこれら一個一個について山内さんから解説があったのですが、そのどれもが「なるほどなぁ」と唸らせられるものばかりでした。例えば1の「新人こそ巧遅拙速」では、ミスや上司を恐れて質問などをしないで独断ですすめていく人より、ミスしてもいいから積極的に質問していった方が良い。それが新人の特権なのだから。という趣旨の事をお話ししていて、自分にも当てはまる事があるなぁと感心しました。新人の時期だからこそ質問していくべきであり、その時期を通り過ぎてしまったらそう言う事をするのをなおさら憚られる。当たり前の事ではありますが、実際に現場で躊躇する事は意外とありました。意識して気をつけてはいますが、中々難しいです。新人の強みは「知識」「経験」とかではなく、「勢い」「素直さ」だともおっしゃていましたが、これも斬新なようで実は当たり前の事なんですよね。僕のサークルで1年生だけのミーティングをやる時でも、「知識」も「経験」もない僕らにそれらを求めるのはお門違いなので、自ずと求められてくるのは後者の「勢い」とか「素直さ」になるんですよね。新人の僕らは活動についてまだ何も分かってません。だからこそ、上司である先輩たちが出せないようなアイデアを引っ張り出す役目もあると思う。どんどん意見を出していって、空っぽの頭にどんどん詰め込んでいって、議論を大いにかきみだしていく。そうやって着地点が良いものになればいい、と思う。今回のセミナーは間違いなく、僕の今後のサークル活動を行う上で役にたったと言えます。今日はこの辺で。でーは。
2014.07.05
ブログを更新する暇がないのか、ブログを更新する事はもはや僕の中では優先順位が低いのか。結構自信を持って言うなら、後者です。
2014.07.03
大学で自分にピッタリのサークルに入ったおかげで、今が本当に楽しい。このサークルで良かった。こんなに熱中できるものに出会えて、よかった。
2014.05.31
こんにちは。今、多忙を極めているので更新する余裕がありません。サークルがほんとに楽しい。けど忙しい。楽しいから一向に構わないんですけどね。これからは司みたいに、短くてもいいからブログを書いていこうかな。それでは、今日はこの辺で!でーは。
2014.05.20
こんにちは、コウです。お久しぶりです、コウです。こんなに間が空いてしまったのは、ただもう自分が力不足だっただけです。(作家風)浪人してた頃の記録をつらつらと書いていたのですが、予想以上に時間がかかっていて、6000字以上書いていますが、未だに終わりません。大学が始まるまでには投稿しようと思ったのですが、怠惰をバックボーンに生きている僕には無理でした。そして、大学が始まったら始まったで「忙しいから」と言い訳してほとんど書いていませんでした。で、大学生活始まって1ヶ月が経ちそうな今、そろそろ何かしら更新をせねばと思い、今タイピングをしております。そうですね、大学生活の話でもしましょうか。今日は特に交友関係に絞って話しましょう。大学生活が始まってすぐに皆が動き出したのは「友達作り」でした。それはもう面白いくらいに皆必死でした。かく言う僕も必死でした。最初の方は。「最初が肝心だ」そういう言葉も聞きました。僕もそう思っていたので、浪人の頃とは比べ物にならないくらい活発に動いていたのですが、ある日を境に急に冷めてしまったんです。いつだったのかは覚えていません。そんな前ではなかったと思います。ところで、大学というのは出会いに溢れています。無論、ある程度行動していればの話ですが。そして、出会いの数が多い分、仲を深めていく人も限られていきます。当たり前の話ですが、全ての人と仲良くなれるわけではありません。例えば「うちら仲良いよねー!」という趣旨の発言をしているグループがあるとして、人数設定を3人以上としましょう。この場合、トライアングルとしての仲は良くても、マンツーマンとしての仲は深まっていかない。AさんBさんCさんの3人が仲良くても、AとB、AとC、BとCが仲良いというわけではない。そこにはまた別の人間関係が構築されているんです。これに気付いてない人は意外と多い。皆と仲良い=個人間も仲良いって勘違いしている人が。グループで話すことと1対1で話すことは全然違いますよね。で、なんでこんな話をしたかと言うと、上記のような事を思い出したおかげで、僕は冷静になれたってことを言いたかったんです。無理して群れをつくったり、群れの中に入っていくのは止めて、泰然自若としているのが良いと思ったんです。友達は自然と出来ていくものだと信じたいです。考えてみれば、大学は始まってまだ1ヶ月も経っていない。そんなに焦ってどうするんだと。4年もあるのよ、4年も。だから、最近はいわゆるボッチです。と言っても会ったら話したり、昼飯を一緒に食うくらいの「知人」はいますが、友達なんていないし、基本的に1人で行動しています。図書館に入り浸っていることが多いし、サークルの遊びにも全然行っていない。だってあそこはもうグループが出来上がっているから。そんなところに入っていく勇気なんかない。だけどまぁ、出来て1ヶ月程度のグループですから、意外と簡単に入れるかもしれないですけど。でも、行かない。やっぱり勇気がない。疲れそうだし。僕個人としては、あんな見せかけの緩い絆なんかぶっつぶしてやりたいんですけどね。今日はこの辺で。でーは。
2014.04.30
こんにちは、コウです。大学受験も終わり、結果発表も全て出て、進学先が決定いたしました。まず、合否結果を書いていきましょうか。早稲田大学 文学部 ×同大学 文化構想学部 ×慶應大学 文学部 ×立教大学 社会学部 ◎(進学)明治大学 情報コミュニケーション学部 ○法政大学 社会学部 ○中央大学 文学部 ○駒澤大学 社会学部 ○明治学院大学 社会学部 ○どうやら僕は早慶とは縁がなかったようです。立教に進学します。立教か明治なら妥協できると思っていたので、両方受かって良かったです。明治にしなかったのは、リバティタワーが好きになれなかったのと学部の問題です。手応えとか出来栄えで考えると、早稲田は受かったんじゃないかなと試験後に思ったのですが、やはり厳しかった。国語(特に現代文)はペンが乗りに乗りまくっていたから、自信あったんだけどな…。受かったから言える事ですが、MARCH含め、その下に書いていった大学は試験中にいつも寝ていて、早慶ほど真面目に受けてはいなかった。「絶対に行きたくない」って思いながら試験受けていました。いや、正確に言うとそうやって「無理やり」に自分を叱咤していました。受験勉強をすればするほど、学歴コンプレックスに捉われているのに気付いて、「自分はなんて狭い世界観なんだろう」って恥ずかしくなって情けなけなくなりました。でも、そのままの心境だと絶対に受からない。だから「絶対に早慶に行く」って自分に言い聞かせていたんです。それが功を奏したのかは分かりませんが、去年では考えられないような結果にはなりました。慶應の受験の日は、ちょうど大雪で交通機関が乱れた日で、東横線の列車の事故がありました。試験時間が3時間遅れるアナウンスはあったんですけど、僕はそれに間に合わず、さらに1時間遅れての別室受験でした。試験会場に着くまでが試練とはまさにあの事でした。着いた時にはクタクタだった…。色々あったんですけど、書くの面倒なんで割愛します。家に着いたのは夜の11時でした。試験日が続いてなかったのが幸い。大学受験が一通り終わったので、次は浪人時代を振り返る記事でも書こうと思います。でーは。
2014.02.27
gooメールの無料版が来月の10日に終わるということで、長くgooメールを愛用していたのですが、拠点を変える事になりました。そこで、過去のメールを保存する作業をしていたのですが、なんと今から6年前のメールも残っていました。6年前というと…中学2年生ですね。実に興味深かったので、興味本位で読んでいたのですが…。笑いが止まらない(笑)文が稚拙過ぎてもう…。「こいつの頭には何が湧いていたんだろう」「きっと何か悪いものでも食ったんだ、そうに違いない」そう思わずにはいられないくらい酷いものでした!でも、6年も前のメールを読めたのは中々楽しかったですよ。当時は携帯を持っていなかったので、PCでメールしていましたから、あの頃のメールのやりとりの全てが残っているわけで。自分を振り返る、という意味ではこれ以上はないくらいの貴重な材料ですね。まず「書き言葉」でもあり「話し言葉」でもあります。純粋に書き言葉にも見えるけど、どうやら意識して会話風なやりとりを目指している節があるんですよね。このブログとは違って、形式ばっていない文を読める機会は恐らくメールだけでしょう。暇なときにでも、ちょくちょく読んでいこうかなと思います。そして明日が最後の合格発表。でーは。
2014.02.25
明日、初陣の日。 といっても、2月半ばまで本命の大学がない上に滑り止めみたいな受験が続くので緊張はしませんが。 ではでは。
2014.02.02
ドラム叩きたい。
2014.01.23
〈1/12〉 あと一ヶ月とちょっとで受験も終わるわけだけど、遺書って万年筆で書いた方がいいよね、やっぱり。 万年筆を使うべき本来の場面とか知らないけど、自分の遺書くらいはボールペンより万年筆の方が見栄えもいいかもしれないしね。 って事は買いに行かないとなぁ。
2014.01.12
〈12/26〉 高校の友達に「生まれ変わったら何になりたい?」って聞いたら、「木」と答える人がいた。 「なんで?」って聞いたら彼は、「自我がいらない」と答えた。 このやり取りは今でも良く覚えている。 今年、その彼に同じ質問をしてみた。 そしたら、 「生まれてきたくなかった」 と答えた。 正直ちょっと嬉しかった。 自分と同じような事を考えてるとは思わなかった。 そう。 自分、とか 誰か、とかじゃない。 生まれてきたくなかったんだ。
2014.01.05
こんにちは。2014年になったというより、センターまでもう2週間ちょっとしかないよっていう危機感の方が大きいです。正月って気分でもないし…。2013年と地続きな気がします。色んな人から応援のメール頂きました、ありがとうございます。また落ち着いたら報告できればいいな、と思っています。ではでは!
2014.01.01
「ここが踏ん張り所」って台詞、毎日言ってる気がする。
2013.12.22
〈12/10―1〉 潜る。 息が途絶える、その瞬間に向かう過程は至福のひと時だ。 何も考えなくていい。 酸素を欲して苦しむ自分を感じるだけでいい。 果たしてこの苦しみの先にある「死」というのはどれほど素晴らしいものなのだろう。 今から考えただけでも楽しみだ。 死とは「解放」の事なのかもしれない。 自分に巻き付いている鎖を一気に外す手段とも言えるのかもしれない。 それは魅力的な事だ。 死ぬ理由を探している。 どうしようもない自分を「死」へと後押ししてくれる理由を。 〈12/10―2〉 気が付いたらキッチンに向かっていた。 もう我慢ならない。 ぶっ殺してやる。 戸棚から包丁を取り出して、単語帳に思いっ切りぶっ刺した。 「ドスンッ」 初めて聞く鈍い音がした。 心地好い響きだった。 「ドスンッ、ドスンッ」 何回も力を込めて刺した。 ふとその時に思った。 この力で人に刺したらどうなるんだろう。 そう考えたら少し嫌気がさした。 自分には人を殺せないな。 結局、俺は自分も含めて誰も殺す事が出来ない。 恥ずかしい。 そして辛い。 穴が開いた単語帳を眺めながらそう思った。 〈12/15〉 もったいなーい
2013.12.15
〈12/08〉 「生まれて来て良かった」より 「生まれて来なきゃ良かった」って思う事の方が多く感じるのは何故だろう。 前者を最後に思ったのはいつだろう。 後者はいつも頭の中にあるのに。 「生きる意味」とか「人生の目的」より 「死なない理由」を探す方が凄い楽だと思う。 僕は今は受験があるから死ねない。 だから、生きる。 終わったらまた理由を探す。 もしその時に「死なない」理由がなかったら…。 ま、その時は潔く。ね。
2013.12.08
〈11/25〉 夜、月を見ていた。 大好きなバンドの1番好きな曲を聞きながら。 冷たい風が頬を撫で、耳には幸せな音が広がっていた。 月は半月。 晴れていたから星も見えていた。 …あれ、視界がぼやけている。 その時、なぜか泣いていた。 どうして泣いているんだろう。 …そうか、歌詞に感動したのか。 彼らの曲はいつだって僕の傍にいてくれる。 あの時だってそうだった。 だから、今日もそうなんだろう。 どうしてあんなに素敵な曲をつくれるんだろう。 どうして彼らの歌詞はこんなにも心に響くんだろう。 スッと心の中に入ってくる歌詞。 まるで僕に向けて歌われているような曲。 やっぱり大好きだ、このバンド。 『If the world is ending tonight, can I take off this heavy armor? If so, what will this war continue for? And if I could just vent all my regrets, Would the pieces of me come together?』 〈11/30〉 25日に泣いたのは歌詞が原因だと言った。 もうちょっと詳しく説明すると、彼らが「代わってくれた」のです。 彼が僕の代わりに、その歌声に歌詞を乗せて世界に向けて投げつけてくれたんです。 ギターを掻き鳴らしながら。 歌が、周りの演奏までもがあの月に向けて飛んで行った。 僕は他でもない自分から飛んでいくそれらを眺めてた。 あの月には届いたのだろうか。 雨を降らすだろうか。 変わった景色に花は咲いているのだろうか。 分からない。 ただ、彼らのおかげであの日は前を向けた。 ―Moonlight said, "How was today? Did you have a great time?"― 〈12/01〉 12月。 センターまであと少し。 私大入試もすぐそこまで来てる。 逢着しているものとのリベンジ戦が始まる。 今度は、負けない。
2013.12.01
〈11/18〉 死にたくてどうしようもなくて勉強が手につかなかった時、強烈なデジャヴュを感じた。 あぁ、そうだ。 俺はこれで昨年落ちたんだ。 だから紙に自分に向けて言葉を書いた。 「どんなに自殺したくても、今は死んじゃいけない」 「受験が終わってからでも遅くはない」 「生きるのが辛いなら机に向かえ」 「お前の人生に比べたら受験なんてこれっぽっちも辛くない」 自分を叱咤するつもりで書いた。 机が面している壁に貼り付けて、いつでも目に見えるようにした。 あの時は凄い励まされた。 自分だからこそ心に響いた。 でも今は…。 〈11/18〉 髪型を変えたあの子も、 プールが好きなあの子も、 通過はしていない。 持ってはいないんだ。 俺だけが通り過ぎてた。 何を恨めばいい? 〈11/23〉 死にたいって思うのも、 自分の事がたまらなく嫌になるのも、 いつだって一人の時。 だから潜る。 深く、長く。 「剥がれ落ちてしまえばいい。」 「何がしたいのか。 どこを目指してるのか。 もう分からなくなるくらい、遠くまで来たんだね。」 誰にも邪魔されない世界に、今日も沈んでいく。 〈11/24〉 うつ度チェックというものをやってみた。 「プチうつ・プチ不安に対象するのを支援するサイト」 と説明があったサイトで(名前忘れた)、無料で診断出来るものである。 「簡易抑うつ度尺度」と呼ばれる方法で、世界10ヶ国で使われている方法らしい。 ネットで質問に答えるだけで簡単に分かり、点数で重症度が分かるのが特徴である。 結果…。 27点満点中/16点 重症度/重度 (コメント) このサイトをご利用される前に、医療機関の受診をお勧めします。 この結果は浪人生という環境のせいなのか、果たして。 浪人が関係ないとしたら、俺はうつ病って事なのだろうか。 まさか、ね。
2013.11.24
〈11月初め〉 「町」ってどこだろう。 どこからどこまでが「町」なんだろう。 自分の住んでいる「町」とは何ものなのか。 〈11/13〉 「ネガティブになりたい」って言っている俺自身が一番ネガティブの事を分かっていないのかもしれない。 〈11/14〉 ポールマッカートニーが日本に来てるのに、俺は一体何をやってるんだろう。 今すぐ身体を音楽の海に投げ出したい。 でも、先生の「逃げないでください。」の一言が強く、強く響く。 箴言は短ければ短い方が分かりやすい。 今逃げても、自殺しても、後になって辛いだけだ。 〈11/15〉 夕焼けを見た。 あそこまで真っ赤な空を今年見た記憶がない。 夕方という、昼と夜の狭間に一瞬だけ現れる景色。 無我夢中で追いかけて、そして消えて。 綺麗だった。 身体が凄い軽くなった。 〈11/17〉 潜る。 音は消えて、酸素はなくなる。 目を開けると、視界はぼやけている。 心地好い。解放されている気分だ。 無反射のなんと素晴らしいことか。 願わくば 自分の部屋の中で、いや、今ここで溺れ死にたい。 じゃないと、間に合わない。
2013.11.17
〈10月下旬〉 疲れた 人一倍努力はしてきた でも、悉くそれを否定される上に、「早く死んでしまえ」と自分を死へと誘う 普通が良かった 大きな幸せなんていらない あの子とかその子みたいに 普通が良かった 自分を好きになれない いや、好きになる必要はないが、それでもどんどん嫌いになっていくのは何故か悲しい …悲しい? いや、悲しくはない ただ、呆れるているだけだ 普通じゃない自分とこの世に呆れているんだ 死んだら こんな悩みもなくなる この世で苦しむ必要もなくなる。 〈11/5〉 色々思った事があっても、それをリアルに思い出す事が出来ない。悔しい。 まるでファストフードのように消化していくしかないのか。 〈11/6〉 恐らく、その時の感情を精一杯に味わうしかない。 もう戻ってこないなら、その瞬間に全力を注げばいい。 全力で笑って、全力で苦しめばいい。 というか、それしか出来ない。 〈11/7〉 見えている景色がゲームみたいに第三者の視点だったら、どうだろう。 眼前に広がるのは全て作り物。 自分はどこかでコントローラーを握っている。 〈11/10〉 人生の目的は「いかに納得して死ねるか」だと思う。 遅かれ早かれ人は死ぬのだから、いつ死ぬにしても悔いを残さないで死ぬ事が肝要だ。 そういう意味では、自殺が出来ない自分は未だに人生に気掛かりな点があるようである。 それが何かは分からないが、そう遠くない未来に解消されるだろうと確信している。 長生きはしたくない、ではなく出来ないのだ。 メモ帳に書いてあったのを一気にまとめてみました。 他人のブログって冗長的だったりすると読む気なくすんですけど、僕だけでしょうか。 冗長的なブログを書いてる張本人がそんな事言うんじゃねぇって自分でも思いますが。 「自分のブログなんだから自由に書いていいんだ」 って言う人は別にブログにこだわらなくても、日記に書けばいいんだし、日記が嫌ならパスワード付きのブログにすべきだと思います。 だから、ブログをやるっていうの事は読み手を欲する気持ちも付随してくるものなんだと思う。 誰かに読まれたいから、書く。 誰でもいいから聞いて欲しいと思う。 潜在的にこんな意識が働いてると思います。 少なくとも僕はそうです。 まぁ、だったらもうちょっと上手く文章書けよって話ですけど。 文章力には自身がないので、暖かい目で見てやってください。 今日はこのへんで。 でーは。
2013.11.10
レインボーブリッジのレインボーさがアクセント。 受験生になって、落ち込む事が増えた気がします。 まぁ、一貫して同じ事で落ち込んでるんですが。 そんな時、回復の仕方は色々あったんですけど、 エネルギーをくれたのはいつだって周りの人達だったなぁと思います。 それは友達だったり知り合いだったり好きなあの子だったり、あと家族だったり様々です。 音楽に救われた事もありました。 もしかすると、いや前から気づいてたのかもしれないけど、僕一人ではエネルギーだとかパワーなんて大層なものを作り出せないのかもしれない。 自分を受験に向かわせてる原動力みたいなものも、何も影響を受けないで自分一人で生み出したものなのだろうか。 違う気がする。 落日の自分を引っ張りあげたのは本当に自分だけの力だったのだろうか。 違う、違う。 克己して乗り越えていく強さも必要だけど、いつでも一人で打ち勝てるわけじゃないから。 この画像の景色は友達と見ました。 前にも出てきた「彼と彼女」です。 やっぱりあの時も僕は貰ってばっかりでした。 僕は何も持っていないので、受け取る事しか出来ない。 何かを生み出すような人間になりたいわけではないです。 だって「材料」がないから。 何かを作るには、その元になる材料がいるけど、僕はそれすら持っていない。 これは悲観すべき事ではなく、単なる事実。 とか言ってるわりには、こうしてブログを書いてるんですけどね(笑) 自家撞着とはまさにこの事なり。 …… 僕の分裂した心が静かに戦争を起こす。 どちらが正しいかなんて誰にも分からないよ。 僕の心から沸いて来る感情がお互いに殺し合うんだ。 後悔して気づいた。 もう戻れない、どんどん僕らしさを失っていくって。 … 英語勉強してて良かったなぁって思うのは、好きなバンドの英語歌詞を和訳見なくても理解出来る事ですね。 眠くなってきたので風呂入ってきます。 でーは。
2013.11.03
空が凄い綺麗だった。 こんにちは。 10月も終わりますね。 今年もあと2ヶ月で終わりかぁ。 毎年言ってる気がしますが、「今年も早かったなぁ」 来年は今ほど勉強しないで生活していればいいな。 間違いなく勉強はしてるけど、もうちょっとゆったりとやりたい。 あと自殺とか何かの事故で死んでなければいいな。 いつ死ぬかなんて分からないから。 「大学生が楽しみ!」なんてことは思わないけど、受験生の身分のせいで行動が制限されてるのは辛い。 早く好きなだけ寝ててもいい日が来てほしい。(笑) あとちょっと踏ん張っていきます。 ではでは!
2013.10.27
さっきの記事の後半の方ですが、見苦しい書き方ですみませんでした。胃痛が凄くて、凄くて。ストレスのものかもしれない。さっきの記事は帰り道に歩きながら携帯で書いてたんですけど、胃痛のせいで頭もろくに回らなくなって、「今の気持ちをありのままにとにかく書いてみよう」と思い、夢中で携帯のボタンを押した結果があれです。ストレスで身体に異変をきたすのは今回が初めてではないんです。前にも腰が痛くなったり、肩が痛くなったりもしました。昨日は腹を壊しました。今回はたまたま胃だったのでしょう。今は体調は安定してます。ネガティブ周期も脱したかもしれない。さっき、旧友とご飯を食べてきたからだと思います。やっぱり友達と一緒にいると、ネガティブな事を考えなくなりますね。再確認させられました。皆といると暗い気持ちにならない。「もっと皆と生きていたい」そう思えてくるんです。だから別れた今、ちょっと悲しいです。でも、元気をくれた皆へ感謝してます。今年は、色んな人に感謝しぱなっしだなぁとにもかくにも、明日からもまた、精一杯頑張っていきます。このブログ見てないだろうけど、皆ありがとう!今日はこの辺で。でーは。
2013.10.20
夜が好き。夜は静かでそして暗い。暗い場所が好き。静かな場所が好き。人ごみとかは好きじゃない。出来れば避けたい。だから夜が好き。夜に静かで誰もいないところを歩いてる時は至福の一語に尽きる。でも、昼が嫌いなわけじゃない。隅っこが好き。何かの真ん中は落ち着かない。目立つのは嫌だ。遠くのものが近くかんじるあそこにある建ものがつまめそうなくらいちかいでもすぐに目のまえにくるあめがうるさいかさでうるさいいがいたいあるいてるのかすすんでるかいきがしづらいこきゅうはやいつかれたあしおとうるさいきょうははやくねようただいまただいま
2013.10.20
「受験終わったら、まず何やりたい?」 「一つあるけど、言いたくない。秘密。」 「えー」 「言っちゃうと空気悪くなりそうだしさ」 「いつか機会があったら言うよ」 「とか言って、そんな機会ないんだろ?そう言うって事は」 「…」 別に言っても良かった。 でもやっぱり言えないよね。 「遺書を書きたい」なんて言えないよね。 一応言っておくと、別に自殺するために遺書を書きたいんじゃありません。 むしろその逆で、自殺を思い止まるために遺書を書くんです。 「死」 そう聞いて人は何を連想するのでしょうか。 僕にとって「死」は、少なくとも今は、「とても甘美な響きを持つ」言葉。 死ねばきっと今悩んでる事からも解放される。 それは、とても素敵な事だと思った。 昔からそう思ってきた。 何度も死にたいって思った。 そのどれもが、辛酸を舐めるような辛いものだった。 自殺の方法を調べた。 「水死」が一番自分に向いてる事が分かった。 洗面器に水溜めて、顔を突っ込んだ時もあった。 死ぬ気はなかった。ただ苦しみたかった。 「死ぬ」ってどういう事かギリギリのところまで、とりあえず体感したかった。 家の屋上から飛び降りの一歩手前までやった事もあった。 あと一歩が踏み出せなかった。 遺書の中身を考えた。 遺産なんてないから、死後の自分の所有物の処理、友人への伝達の有無、葬式の規模…など色々考えた。 まだ紙に書き出してはいない。 死ぬのは魅力的だ。 けど、それ以上にやっぱり怖い。 だから死ねない。 何だかんだ言って自殺出来なかった自分が情けないし、嫌い。 自分が嫌い。 醜い自分にうんざりする。 でもそんな自分の命を一番大事に思ってるのが、また落ち込ませる。 自殺志願者を思い止ませるのは、人生は素晴らしいと思い込ませる「明るい言葉」だけじゃない。 むしろ、自殺の方法を示す事が有効に働く時もある。 僕は自殺の方法を調べて安心出来た。 遺書の内容を頭で作り上げて、ホッとした。 「これで、いつでも死ねる。だったら今じゃなくていいや」 ただ、出来るだけ早く人生に幕を降ろしたい気持ちは変わらない。 前は60まで生きてればいいかなと思ってたけど、最近はどんどん若くなっていく。 自分が嫌い。 どうすればいいのか分かってるのに、その方法を採らない自分が嫌い。 「俺は不幸だ」って思って逃げようとする自分が… 嫌い。 幕を降ろしたいのに、その勇気がない。 観客は終演した舞台には用はない。 今日はこの辺で。 でーは。
2013.10.13
<ストイックでなければ跳べない>自分の道を見出し、孤独に、しかし力強く進み、誰も及ばぬ遠くにまで飛翔し続ける人を見てみたまえ。彼は多くの人とはまったく違う。細々としたものを引きずってはいない。異様なほどにストイックだ。多くのものを断念し、多くのものを捨ててきたからだ。だから彼は非情にも見えよう。諦念の人にも見えよう。けれども彼は跳ぶために、もっと遠くへ跳ぶために捨ててきたのだ。重いしがらみを捨てて身軽にならなければ、より高くへと飛翔できないからだ。『超訳 ニーチェの言葉』より良い言葉だったから、心に留めておくことにした。でーは。
2013.09.15
Time is running out...No time to think...Get ready!Let the race begin!!!まさに、こんな気分。ではでは!
2013.09.06
こんにちは、コウです。今日、というか今さっき髪切ってきました。いつもの店で。いつもの人に。そしたら彼女にタイトルのように言われました。「え…?」「今月一杯で辞めるんだ。だから、来てくれて良かった。」状況が全く呑み込めないまま席に着き話を聞かせてもらったところ、結婚するんだそうです。しかも国際結婚!(゚ω゚;)美容師の仕事ももう辞めてしまうです。「え、じゃあ俺これからどこに行けばいいんですか(゚∀゚;)」「私が他の人紹介しておくからまたこの店おいでよ!」と言われたものの、やはりショックが大きいです。思い返してみれば9年間も彼女に切ってもらっていたので、仲も良かったんです。色々な事を話しました…。恋バナが一番多かったかな。高校生の時は、僕は恋愛とは無縁だったので世間話が多かった。彼女は自分よりずっと大人なので、大人の空気で包んでくれるのが嬉しかった。居心地が良かった。今日は、雑誌もあまり読まないでずっと話していました。僕が今まで話さなかったこととか、彼女の話とかも聞いて。たくさん話したかったんだけど、今日は客が僕とあと女性が一人だけだったのであっという間にカットは終わってしまいました。なんかもっと聞きたい事あったはずなんだけどなぁ…彼女からは終始、「受験、頑張って!」と言われました。だから僕もずっと「幸せな家庭を築いてください!」って言いました。最後に握手をしました。僕に付けたワックスが手についててベタついてたけど、しっかり握ってお別れの気持ちと感謝の気持ちを込めました。僕が歩き出したら、彼女が深くお辞儀してしばらくそうしていました。それを見て何故か…とても切なくなりました。手を振ったけど、それ以上そこにいたくないって思って走って帰りました。「切ねえ…切ねえ…」そう言いながら帰りました。三○矢サイダーやけ飲みしても、母親に愚痴っても、落ち着いて考えてみても、まだ信じられなくて悲しくて、でもおめでたいことで…。9年間って長い。なんか失恋した気分だ。今日はこの辺で。でーは。
2013.08.30

大好き。だから今日はちょっと気分が良い。今日はポジティブとネガティブについて書きます。あくまで僕の場合ですが、ある程度の間隔を空けてポジティブとネガティブがやってきます。先週まで割とポジティブだったのに今週はもうどうしようもないくらいにネガティブ、とか。「割とポジティブ」って日本語がおかしいのでちょっと補足させていただきます。高校生の時から今にかけて「根暗」とか「暗い」って言われる事が多かったので、基本的に、つまり性質的に僕はネガティブに分類されるんだろうし、自分でもそうだと思っています。そんな僕でも朗らかな気分で生活している時もあります。具体的にどういうことなのかと言われると説明が難しいんですが、気持ちが普段より陰鬱な事を考えてない状態、と言いますか。その時は「割とポジティブ」って僕は思っています。自分についてちょっと話します。他のネガティブの人がどういう風に物事を考えているのかは分かりませんが、自分の癖として・普段は下を向いて生活している・人と話す時は目を合わせられないというのが中学時代からあって、部屋に引きこもっているのが一番気分が落ち着きます。外に出るのも結構辛いんですが、それ以上に辛かったのは原宿に行った時でした。休日に南青山にちょっと私用で出かけて、帰りに表参道を歩いて通って原宿駅から帰ろうと思ったのですが…。歩いてて頭がおかしくなりそうになったんです。いや、これ比喩だとか誇張でも何でもなくて文字通りの意味で「頭がおかしくなりそうに」なったんです。休日でたくさんの人が歩いている中を一人で歩いていたのですが、最初は平気だったんです。最初は。歩いていく内に動悸が激しくなりだしました。ちょっとヤバイとは思ったのですが、とにかく早く突っ切ってしまおうと思っていつも以上に早歩きになりました。太陽が暑い、暑い…。でも、今度は心臓が締め付けられるような気分になって、その痛みと苦しさから唇を噛み締めました。必死に耐えました。「もう少し、もう少しだから…」ここは怖い、怖い…。ipod聞いてたのですが、音楽の音も周りの音も何も聞こえなくなりました。もちろんこれは比喩です。何も音がしない表参道を暑い日差しが差していて、ちょっと上を向いたら余計に混乱しました。自分がちゃんと歩けているのかが不安になった。人の笑顔は見ていられない。視線が揺れる、揺れる…気付いたら背負ってたリュックのショルダーベルトをぎゅっと握りしめて、視線には自分の足しか映らなくなっていました。「あ、これはダメだ」「このままだと頭がおかしくなる」信号待ちしている時にそう思いました。表参道と原宿駅の間にある大きい交差点にいました。「ここから先は到底進めない」「もう、歩けない。歩けない…。」気付いたら来た道を引き返していました。帰りは来た道とは道路を挟んで反対側から戻ったのですが、そっちは人が少なかったので随分気持ちが楽でした。そして表参道からメトロに乗って帰りました。今年の事でした。あれから夜の表参道は歩いたのですが、その時は人も少なかったので平気でした。人ごみがダメなんだと思います。というかダメだという事がよく分かりました。昔は平気でした。むしろ意気揚々として原宿を歩いて、ショッピングを楽しんでいました。普通の人が出来る事が出来なくなっていました。もう、原宿でショッピングなんて出来ないかも。これがネガティブと関係あるのかは分かりません。ただ、ポジティブな人には絶対に分からない苦しみなのは確かです。もちろん、この拙い文章で苦痛が伝えきれないのも確かです。本当に辛かった。「根暗」だと言われるよう振る舞いは他にもあるんですが、キリがないのでこの辺にしときます。ポジティブ、ネガティブなのは物事の捉え方次第なのかもしれないけど、やっぱり人は性質的にどちらかの属性を持っているんだと思います。親の遺伝、時間をかけて形成された性格、周りの環境、その他諸々の要因でどちらかに決まる。面白い事に、その属性は変える事が出来る。変えようと思えば。僕は変わった。時間はかかったけど。ポジティブからネガティブへ。小学生、中学生の前半を境に気が付いたら変わっていた。でも、完全なネガティブになろうとして意図的にネガティブになろうと思った。遺伝的なものを超えようとした。そうしなきゃ生きていけなかった。話がそれそうなのでこの辺にしますが、ネガティブは僕にとって逃げ道でもあり支えだったんです。世間では「ポジティブ最高!ネガティブな君たちは早く目を覚ましたまえ!」という風潮ですが、ネガティブにも良い面はあるんです。例えば、物事を冷めた目で見れます。「これは本当は何を意味しているのか」「本当は違う意味を含んでいるんじゃないのか」安易に決定することはなくなる。悲観的になりすぎるのもよくないんでしょうけど、慎重になることが出来る。「そんな綺麗事なんかあり得ない」「現実はもっと辛いんだ」物事を一つの見方だけで見るのはとても危険だと思います。一つの事象を膨らみのあるものとして見る事が出来ない。何も考えずに一本道を進むとどうなるか。例えば、「生きてれば良いことあるよ!」という言葉を平気で吹聴するようになります。頭が悪いとしか思えません。そりゃ人によっては効果を発揮する言葉でもあります。でも、だからこそ逆に、人を傷つける言葉でもあるってことを知るべきです。言葉の受け取り方は100人いれば100通りある。「好き」という言葉でも言われた相手次第で感情は大きく変わる。こんなことも分かっていない無神経な人があのような事を言い触らして得意顔になっていると思うと溜息しか出てきません。言うべき相手をちゃんと選んでほしい。ネガティブの僕には全く響かない言葉だから。ポジティブとネガティブ。どっちの方が良いって事はないと思います。どっちにも良い面と悪い面がある。片方の良い面がもう一方の悪い面に。片方の悪い面がもう一方の良い面に。二つはコインの表と裏みたいな関係なんです。両方を上手く使いこなすのが大切なのかもしれないですね。今日はなんか僕についての話が多かったですね、すいません。でーは。
2013.08.18
8万アクセス突破しました、ありがとうございます。といっても、ブログの更新頻度が少ないくせに長くやってるだけなんですが。これからもよろしくお願いします。夏季に突入したので、忙しくなってきました。今日も、ちょっと時間つくって更新してます。夏…。「また」きた夏。受験生でいるとたまに怖くなる時があります。景色が狭まり、見えてる場所から先が何もない。大きいけど目では見る事の出来ない壁がそこにはあって、そこから出ることが出来ない。屋上でみた高層ビルが「お前の世界はここまでしかないんだ」と言っているよう。踏み出せば、あるいは逃げ出しちゃえば外に出られるかもしれない。でもダメ。自分の在り所は今の自分なの。だからピントはいつでも近いものにしか合わせない。遠くにあるものを見る事がとても難しくなった気がします。では、また。次がいつになるか分かりませんが。
2013.07.23
現役時代お世話になっていた世界史の先生に先日、こんな質問をしてみました。「先生、世界史の中で特別な宗教を持たないで発展した国ってあるんですか?」先生は「考えたことなかったなぁ」と前置きしつつ「ないと思うよ」とおっしゃっていました。宗教と人間は切り離せないもので、それは人の本質的な営みなんだそうです。確かになぁと思いました。人が何か拠り所にしているもの、それは必ず何かしら持っているはずで、それを糧に日々を生きている。もし宗教を「自分が拠り所としているもの」と解釈してしまうなら、この世に宗教なしで成り立っている国はないことになる。人の数だけ宗教がある。とても有意義な先生との会話でした。こんにちは、コウです。いよいよ夏本番ですね。2週間前くらいが風薫る時期でとても過ごしやすかった。あぁ、まただ…この1週間で考えてた事いっぱいあったんだけどなぁ…。パソコンの前に座ると忘れていってしまう。あ、そうだそうだ。「上手い会話」ってどういうものなんだろう。こんなことを考えた時がありました。昔から僕は、聞き役と話し役がハッキリ区別されているのが上手い会話の条件なんじゃないかと考えていて、これは意外と身に覚えのある人も多いんじゃないかと思うんでちゃんと話します。これから挙げる会話は基本二者間で交わされるものを前提とします。日頃、僕が誰かと会話をしていたり、周りの会話を聞いていても(盗み聞きじゃないですよ)お互いの役割が曖昧なまま話が進行していることが多い気がします。例えば、自分がまだ話切っていなかったり、もっと二人で考えていきたい話題なのに相手が別の話題を提示して流れてしまう。自分が話しているのに相手はどこか上の空で聞いている。相槌を打ってくれていても、その適当さに疑問を抱いてしまう。こんなことが意外と若い僕らの世代には良くある気がします。つまり相手の話を「聞く」というより「流す」ことになっているんじゃないんでしょうか。僕は中学生の頃からそういう経験をよくしました。そう感じたことがある人もきっといるはず。もちろん、自分が加害者側に回っていることに気付くことも。これは会話の役割をはっきりさせていないからだと思います。当たり前の事で簡単そうですが、とても難しいと思います。人間、会話をしている時は自分も話をしたくなるのは当然の事です。ただ聞いているだけで自分は話さない、という状況は会話とは呼ばないと僕は思います。聞き役がいて、話し役がいる。これが会話を会話たらしめているものだと思います。そして、この役割というものが常に変わりながら会話は進行していかなきゃならない。どちらかが独走状態ではダメなんです。会話がキャッチボールに似ていると言われるのは、ここに理由があるんでしょう。つまり、しっかり受け取ってから「次に」投げ返さなきゃいけないということ。たった一行のことですが、これがとても難しい。話し役は聞き役へ。聞き役は話し役へシフトしていかないといけないんです。この場合、話し手の方から「○○君(さん)はどう?」とか言ってきっかけを作る方が望ましいかもしれません。とにかく、お互いが積極的に「聞いて・話す」という動作を繰り替えすことが必要なんだと思います。そして自分の役割をしっかりと自覚することも大切。「相手の言わんとしていることは何なのか?」「相手に自分の話を聞いてもらうにはどうすればいいか?」こんなことをお互いが意識している状態、これが「上手い会話をしている」だと思います。僕の場合、よく自分の話ばかりしてしまう。相手の話を聞かないわけではないんですが、心の中で「俺の思ってる事をもっと伝えたい!」と思い気が付いたら前に前に出て行ってしまっているんです。逆に聞き役に徹しようとすると、というかこの時点で間違ってるんですが、今度は自分が話し役に回らないのでどこか無味乾燥とした会話になってしまう。この「上手い会話」は自分だけでは成し得ない領域にあるんだなとつくづく思います。二人が意識していて初めて到達出来る場所なんでしょう。今日はこの辺で。でーは。
2013.07.07
受験生あるある。「夏なのに肌が白い」こんにちは、コウです。何週間ぶりの更新になるんでしょうか。2週間ぶりか。更新するとか言っておいてしませんでしたね。ごめんなさい。確か、先週は友達と外食に行ってた…はず。予備校で一緒の彼と中学が一緒の彼女と3人でした。3人とも中学は一緒。ただ、どういう繋がりなのかは分かりません。当事者なんですが。彼女の方とは代議員で一緒で、中学卒業してからの方が仲が良い。まぁ彼ともですけど。彼と彼女の関係がよく分からない(笑)前回話すと言っていた「友達」の話は止めておきます。なんとなく、止めておいた方が良い気がする。ネットだと怖い。最近頭の中で考えた色々なものを、今日パソコンを前にすると書けなくなる。というのも「あれ、何書こうとしたんだっけ」て思う。ここで書くほどの事ではなかったのか、書きたくないから忘れてるのか。あ、そうそう。今思い出したことが。自分の愚かさを露呈させることばっかりなら、いっそのこと寡黙であった方が良いと最近思いました。つまりその人から出てくる言葉で人となりの理解を計ろうとした時、「語彙力・文法力・言葉の並べ方・言い回し・使う言葉」これらを見ているのはたぶん異論ないと思う。ここで言う言葉はもちろんブログの記事とか何かの書き込み、さらに言えばツイッター等も問題ない。ネットの上でならブログが一番分かりやすいと思うけど。前も話したけど、言葉はとても重いものです。それだけで人生を決めかねないくらい大きなもの。だから、言葉に対して凄い慎重になるのは当たり前であり、そうあるべきだと思います。前はここまで考えました。でも、当然の帰結としてあるのは「じゃあ黙ってればいいじゃん」ということ。僕は自分が無知だって事に日々痛感させられています。受験勉強に限界がないんだから当たり前かもしれないんですけど。自分がそういう人間だって分かってるからこそ、言葉は怖い。だって使えば使う程自分の未熟さをお披露目してるみたいに感じます。予備校の中では周りをかなり気にしているかもしれない。実際、教室にいる時は無口です。まぁ、話し相手がいないだけですが(笑)でも友達をつくろうとも思っていません。彼がいるおかげで辛いこともないですし、来年には彼らと会うこともないでしょうし。もちろん、同じ大学の同じ学部に行く人もいるんでしょうけど、そういう人たちとはその時に仲良くなればいいかなって思います。だから、口数は自然と少なくなり…っていうのはやっぱり当然な気がします。でも、黙っているのって実は結構難しい。自分の考えはちゃんと伝えたいし、我慢しててもボロボロ言葉が出てきちゃうし…。というか、矛盾してますよね。「会話」は言葉がなければ成立しないのに「言葉」が怖いから使いたがらない。でも、「会話」は成り立たせたいと思っている。難しい。今日はこの辺で。でーは。沈黙は愚人の知恵あり、賢者の美徳である ボナルド
2013.06.23
「勉強」の意味は「学問などを学ぶこと」です。似た意味の熟語に「学習/学修/学業/勤学/学問」等があります。それで、漢文をやってる時にふと気になったのですが「勉強」という熟語には「学」の字が入ってないにも関わらず「学ぶ」と同じ意味を成しているんですよ。ちょっと不思議に思いませんか?「いやいや、どうせ『勉』の語義に『学ぶこと』みたいなものがあるんだろう」と思って漢字辞典で「勉」の字を調べたところ、次のように出てきました。勉1.{動}つとめる(つとむ)むずかしさを押し切って励む。無理をする。2.{動}はげます。無理を押して、すすめてやらせる。-漢字源- 学研出版 より抜粋(一部省略)ぶったまげました。「学ぶ」の「学」の字すら出てこない。「強制」というニュアンスでしょうか。初めて知りました。たぶん、字義の通り「勉強」という熟語を理解するなら大よそこんな感じでしょう。「無理をして/励み行う」スラッシュで区切った後半は「強」の意味です。言葉の意味は時代と共に移り変わりますから、長い年月を経て今の意味になったのでしょう。いつの時代の時に今の意味になったのかは分かりませんが、果たして当時の人たちの心境は如何程なものだったのか。だとしても「無理をして」というのは驚きです。「受験勉強をする」だったら「まぁ嫌だしやりたくないけど無理をして入試に向けて対策してます」みたいな意味になってしまう。ただ「受験~」に繋がる熟語で「勉強」以外に適当なものがないんですよね。受験学習/受験勉学/受験勤学違和感がありまくりです(笑)だからこうやって語義を知ったとしても、「勉強」という言葉は使い続けます。意味が現代に即して変わっているし、何より馴染み深い熟語ですし。こんにちは、コウです。1週間に1回、この日曜日だけがブログの更新出来る時間がある唯一の日です。というのも1週間の内、日曜日だけが夕方で「勉強」を切り上げようと決めている日なのです。息抜き、と言い換えても良いかもしれません。そもそも、僕が通っている予備校は日曜日は夕方で閉まります。平日と土曜は夜まで空いているのですが、なぜか日曜だけは夕方に閉まります。たまに模試とかで会場に使われたりした時も夕方に閉まります。だから、「どうせ夕方で閉まってしまうなら、それ以降は自由時間にしてしまおう」と思って好きに過ごしているわけです。1週間も時間が空くと、ブログに書いておきたいと思うことはいっぱい出てきます。今日は、「勉強」の話を一番書きたかった。言葉ってやっぱり重いって事を痛感させられました。後、自分の語彙力の貧弱さも。来週は「友達」の話でも書こうかな。気が変わらなければ。今日はこの辺で。でーは。※「明日は待ちに待った海水浴なので胸が『踊る』」これだと実は話し手(自分)が死んでいるんです!(笑)正しくは胸が「躍る」絶対、今まで間違って使ってたなぁ…。気を付けます!理由分からない人は辞書を引いてみてください。胸は踊りません。躍るんです。
2013.06.02
こんにちは、コウです。誰かと会話してる時とか周りの話が耳に入ってくる時に良く感じる事があります。それは言葉が乱れているんじゃないか、ということ。意味を分かっていない言葉なのに平気で使ったり、場面にそぐわないけど他に言葉が思いつかないから使ったりと自分の語彙力のなさを痛感します。「可笑しな単語使ってるなぁ」とか、「明らかにその言葉はその場面に即してないだろ」と思ったりもします。周りの人の語彙力に何か言えるほど立派な人間ではないですが、…ないからこそ自分の言葉には気を付けようと思ってます。使う言葉には気を付けて、話す内容にも気を配るようにしています。でも、それでも良く乱れる。意味を勘違いしていた言葉が結構ある事に最近気が付いた。「貶める・陥れる」は意味が全く違う、とか。「いやしくも・いみじくも・否応にも・弥が上にも」こういう違いは試験で問われます。特に早稲田の現文。あと、中学校時代の先生が使っていた「言語道断」これも、あの先生は少なくとも意味を履き違えている事が先日判明しました。おかげで僕も間違って覚えていました。恥ずかしい。こういう事が浪人し始めたこの1ヶ月間しょっちゅうあります。いや、正確には現役生の時からありました。さらに言えば、受験勉強していけばいくほど良く相対します。自分の無知さに嫌気が差しました。俺は言葉を知らなさすぎる。本当にガキで、馬鹿だと痛感しました。だからもう謹厳実直の姿勢でいいから自分が全てに対して不知だって事を自覚して、粛々と勉強したい。言葉も。無知だって事を自覚出来たら、自然と言葉を重んじられると思う。だって怖くて、言葉を使えないから。自分から発せられた言葉は絶対に誰かが見てる、聞いてる。その言葉に責任が持てないなら最初から外に出さないで心の中に閉まっておいた方が良い。と思う。だから僕は最近、言葉の重さを感じている。言葉は自分というまさに自分自信を表現するのに最も重要なツールなのは明らかだけど、想いを伝えるには力が及ばないかもしれない。これはやってみれば分かるけど、例えば自分が見た絶景を誰かに言葉だけで伝えようとしてみれば良いと思う。その美しかった景色の100%は伝えきれないはず。これがどうしてなのかは昔やった現文の問題で一説が挙げられていました。センターだったかな…すいません、ちょっと覚えていません。ブログもそうですよね。ブログで自分が考えている事は残念ながら書き切れません。当たり前ではありますが、これはいつも悩みの種です。まだまだ書きたい事はいっぱいあるけど、そこで終わらせないといけない。こういうもどかしさはブログを書いているといつも伴ってきます。でも、だからといって言葉に幻滅しているわけではないです。それこそ藤沢令夫「イデアと世界」のミソロゴスではありませんが、言葉嫌いに陥っているわけではないんです。「そもそも人間にとって言葉とは何であるか」の答えも、僕はまだ見つけられてない。だから、期待します。言葉はきっとまだまだ可能性があるとそう思います。だって言葉に感動させられた経験がいっぱいある。悲しませられたこともいっぱいある。人の心を揺さぶれる最も重要なツールもまた言葉だと思うから。自分自身を表現出来てしまうものだからこそ、言葉は重い。安易に使えば、そのしっぺ返しは大きい。その人の人格や責任を問われるはめになる。政治家の言葉は、だから重い。僕ももっと言葉に気を付けていきたい。語彙力も増やさなきゃだけど。今日はこの辺で。でーは。
2013.05.26
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