オランダ・ベルギー(21)



マルクト広場からロイヤルデルフト工房へはすぐ近くで、10分もしない
うちに着いた。 窓越しに大きな壺が見える。

入り口を入ると正面に、大きな四角い陶板がある。 1653年創立時の
ブランド印であろうか。

中世期の面影が残っている中庭の回廊を通って工房に向かう。 工房内は
新しい陶磁器工場といった感じである。 工場の一角で、白生地に昔なが
らの手法で絵付け作業を行っている。 気が遠くなるような根気のいる作
業のようだ。

ロイヤルデルフト工房

 12世紀ごろスペインのマジョリカ島を経由してイタリアに持ち込まれた
 陶器は、まぎれもなくラスタ-彩を中心にしたイスラム陶器そのものであ
 った。やがて彼らはそのラスタ-彩陶器に改良を加え、さらに独自に完成
 した錫釉陶に、ラスタ-技法で学んだカラフルな鳥や草花文を器形に配す
 ることによって「マジョリカ陶」を誕生させることに成功した。(ラスタ
 ー彩=金彩に似た輝きを持つ9~14世紀のペルシャ陶器、錫釉=白色不
 透明なうわぐすり。)

 16世紀になるとマジョリカ陶はルネッサンスの影響を受け、一層写実的
 要素を深め、芸術の一分野としてヨ-ロッパの人々に愛好され、東洋陶磁
 がヨ-ロッパに普及するまでの期間ヨ-ロッパを代表する焼物として君臨
 していた。

 オランダは、17世紀初頭には、盛んにマジョリカ陶器の模造をおこなって
 いが、東インド会社の活躍が活発になるに従いマジョリカ風の陶器から東
 洋陶磁器の模造へと変化していった。そのきっかけを作ったのが1602
 年である。

 ポルトガル船サンジャゴ号がオランダ船に奪われた。サンジャゴ号には、
 万暦窯(1563-1620)の磁器皿28包・小皿14包が積み込まれていた。その2
年後に同じポルトガル船のカテリ-ナ号が拿捕され、アムステルダムに連
行された。この船には、約60トンの万暦窯の染付磁器が積まれていた。

 この磁器を求めてヨ-ロッパ各国からバイヤ-たちがオランダに集まった
 といわれる。このことがあって、中国磁器はヨ-ロッパにおける王侯貴族
 のあいだで、極めて珍重され、重要な輸入品として求めるようになった。
 輸入に満足でなくなったオランダでは、17世紀のなかごろビ-ル工場を改
 造し、1653年陶磁器を専門に焼くロイヤルデルフト工房を設立した。

 設立当初錫釉陶器を中心に焼造していたが、中国が明から清へ移行する混
 乱期となり、生産が減少し輸入が困難になると、自から磁器の研究にかか
 り、他の国々に先駆け、いち早く中国風の染付磁器や、伊万里焼を写した
 磁器の模造をおこない盛んに焼かれるようになった。

 デフルトで焼造された磁器は、ぼってりと厚く軟質の素材に白色の錫釉を
 掛けた斬新な作品が多く、彩画を施したマジョリカ陶器に慣れ親しんでい
 たヨ-ロッパの人々に大きなインパクトを与え、すごく新鮮に写った。

 -つづく-

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