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2012.02.04
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正面土塁

(壬生城の正面。本丸跡の土塁だど)



天正7年(1579) 壬生城を納めていた周長が、倒れた。

 後を継いだのは、前城主・綱雄の息子、壬生義雄だった。

 義雄は、宇都宮一族から、自立しようとしてた人物でな。

 本拠を鹿沼城に移して、小田原の北条氏と手を組んだんだと。



 北条氏の援助を得た義雄は、ぐんぐんと、勢力を伸ばしていった。

 だども、ここで、最大の戦がはじまんだ。

 豊臣秀吉の『小田原城攻め』だっぺ。





 壬生義雄は、北条氏側に参陣してたんだ。


 こんとき、宇都宮城主だったんは、宇都宮国綱。

 宇都宮国綱は、豊臣秀吉側についた。


 またもや、壬生氏と宇都宮氏は、敵対関係になっちまったんだ。




 小田原城攻めで、勝利を収めたんは、豊臣秀吉だべな。

 宇都宮国綱も、秀吉のもとで、活躍したらしいっぺ。


 壬生義雄は、戦で死ななかったらしいけんど、壬生城は接収されちゃったそうだど。


 義雄が亡くなったあとは、壬生氏を継ぐ者もなくってな。





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最終更新日  2012.02.04 23:51:43
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