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2012.12.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類









秋の大手口

 橋を渡って、『大手口跡』を通ると、『本丸跡』に出る。




秋の本丸跡1

 広いな~。


 でも、前に来た時は、もちっと広く感じたんだけど。


 これも、季節が変わったせいなんかな。


 秋って、葉っぱが落ちて、草も枯れて。

 土塁や堀の形が、はっきり見えるけど。



 なんか、ちびっと、寂しい感じも、すんだよな。







勝山城本丸跡2


 これだと、木々が邪魔で、土塁の高さとか

 はっきり見えないんだけど。



 生き生きしてる、っつうんかな。


 活気があって、ひろびろして見える。




 どっちがいいか、っつうと・・・


 どっちも、好きだな~♪



 秋は、静かにゆったり散歩

 夏は、はきはき、ウォーキング。



 楽しみかたは、季節によっていろいろだべな。





 そして、城跡の楽しみかたは、時代によってもいろいろ変わる。



 大正時代~昭和時代の『勝山城』周辺は、




 テニスコートや闘鶏場があったんだって。

 公園周りには、競輪場も、あったとか。



 城跡に、テニスコート!


 って、怒る人もいっかもしんないけんど。

 これは、まだいいほうなんだ。





 大変なんは、この先。




 明治17年。『2の丸外堀』が、国道建設で埋められた。


 まあ、これは、しゃ~ないな。残念だけど。




 昭和30年ごろ。開発の勢いが、どんどん進んでくる。


『勝山城』周辺には、キャンプ場ができたり、観光施設も出来てきた。



 それに伴って、

 城内の危険な場所に柵が出来たり、

 発掘調査が行われたり、

 民族資料館が出来たりした。



 うん。この辺は、歴史好きからみたら、いいことだべな。




 そして、昭和48年。

 不動産業者が、レクリエーション施設を建設するため、

『本丸虎口』周辺を破壊した!



 おいおい! そりゃ~ね~よ~!




 この頃は、今のようにお城や歴史に、興味さある人も少なくてな。

 城跡保存も、あんまし活発じゃ~なかった時代、だかんな。



 しゃ~ね~、っつっちゃ~。しゃ~ね~んだけんど。


 ・・・泣けっちまう所行だべ。



 けんど、これがきっかけで、町やら議員やら、文化財委員の人たちが

 大勢動きだした。



 あ、実際には、もちっとまえから

『勝山城跡を守れ!』って、声は、地元であったらしいんだけど。

 まだ、本格的じゃ~なかったんだな。




 これで、本格的に保護活動がはじまる・・・と思いきや、なかなかうんまくいかないんだな。



 っつうのも、『本丸』周辺を含んだ場所が、私有地だったもんだから。

 保護活動もそっちのけ。破壊活動が進んでいったんだ。




 一番ひどい時期が、昭和50年ごろ。


『本丸西側の土塁』が、埋め立てられる。

『大手口の土塁』が削られ、埋め立てられる。



 そして、さらに。



 埋めた西土塁跡に、『6層の近世様の天守閣』を建てる。

 結婚式場を建てる。

 宿泊施設を建てる。

 プールを造る。



 など、『勝山城』を、痛め尽くした。




 だが。


 破壊活動は長くは続かず。

 昭和54年。

 本丸跡周辺の施設は、経営不振で営業を停止したそうだど。




 ・・・ふ、ふ、ふ。罰さ、あたったなw。

 大事な城さ壊されて、昔の武将たちが、怒ったんだど。きっと。




 この先は、細かく書くと長くなっちまうから、簡単にすっけど。


 業者が撤退した後。保護活動をしていた人たちが交渉した結果。

『勝山城』周辺は公有地になり、公園として整備されることになる。



 公園っつっても。天守閣やプールのあるやつじゃなくって。

 なるべく遺構を残した、自然に近い状態の公園に整備してな。


 埋められた堀や壊れた土塁も、できる限り復元された。




 昨日のブログさ書いた、『大手口前の堀と土塁』が

 そこだけ、みょ~にきれいに整備されてたんは、

 いったん破壊されたものを、復元したからだったんだな。







秋の本丸跡2


 これは、『本丸』の北に残ってた、紅葉した木。

 もう、秋も終わりだな~。



 ここらへんから、西のほうは、土塁がきれいに形作られてたようなきがする。


 ここも、壊された部分なんかな。




 ここまで『勝山城』さ復元すんの、大変だったべな~。

 知らない人がみたっくれ、ただの土の山だけんど。

 大勢の保護活動家が、苦労してんだ。



 こりゃ~、ほげほげと歩いてたっくれ、申し訳ないな。

 と、いって、何も協力さ出来ないけんど。



 じっくりと、『勝山城』の土塁と堀を楽しませていただきました。


 ありがとうございます。

 そして、これからも、ずっと、この景色が残りますように。






・・・こんどは『春の勝山城』さ、見たいな。

 どんな花が咲くんだべ? 

 楽しみだな~。







《参考》


 『廃城400年特別展 勝山城 ~氏家氏 栄光の時代~』

 ミュージアム氏家(現・さくら市ミュージアム ~荒井寛方記念館~)発行図録









 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。


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最終更新日  2012.12.12 01:02:30
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