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2013.06.03
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カテゴリ: カテゴリ未分類








『古河城本丸』の周辺地図さ描いて見た。


古河城本丸周辺1


 赤い線が『渡良瀬川』があるとこ。

『古河城本丸周辺』は、すっぽりと、河川の中さはいっちゃってんだ。


 現在は、堤防の上に遊歩道さあって、

『渡良瀬川』沿いに、散策できるようになってるらしいど。


 んで、『本丸跡』近くの堤防上に、『本丸跡の石碑』さあんだと。



 今回は、時間の都合で行かなかったんだけど。



 当時の『古河城』が、どんだけでっかかったか、

 実感できたかもしんないな~。


 なんもない場所でも、実際に歩いてみるって、だいじだど。

 空想だけじゃ、わかんね~ことが、わかることもあっかんね。






 さて、『下河辺氏』の話さすんべ。


 そうそう。上の『古河城地図』なんだけど。

 ありゃ、『江戸時代後期の古河城』の地図さ参考にして、描いたもんなんだ。


『古河城の完成形』ってとこかなw。




 他の城も同じだと思うけど。

『古河城』は、いきなりこったら、でっかい城になったんじゃないんだ。




『下河辺氏の館』さあった、って予想されてんだって。


 こないだの『下河辺行義』が、

 荘園さ構えたとこが、この辺りらしいど。


 曲輪一個分、ってとこかな。ちっこいな。




 んで、この隣に『頼政曲輪』って、名前さついた曲輪があんだけど。




 あ、だども、『下河辺行義』のころは、

 曲輪はなくって、『頼朝神社』だけ、だどもな。





 頼政は『源頼政』のこと。平安時代の武将でな。

『鳥羽院』に、仕え、鳥羽院の寵妃『美福門院』とも交流さあったとか。




『源頼政』は『父親・源中政』が下総守だったとき、

 父親と一緒に、下総国へ下向しててな。


 そん時に、『下河辺行義』と、交流さもったらしいべ。

 んで、その後。

『下河辺行義』は、『源頼政』の郎党になったんだ。




 そして、『下河辺庄』は、『源頼政』の仲介により、鳥羽院に。

 鳥羽院から美福門院に、寄進され、

 さらに、『皇女・あき子内親王』に伝領されて

『八条院領』になった、と。



 あ、『あき子親王』のあきは、日に章って書くんだけど、

 機種依存文字で、出なかったんで、ひらがなにしたど。




『下河辺行義』にとっちゃ、だいじな人だったんだな。


 だから、屋敷の横に、『源頼政』さ祭った神社さこしゃったのかな。



 と、思ったら、神社にゃ、また別の伝説さあるみたいだど





 う~ん。また、脳みその限界さ、きたど~。

 全部いっぺんにゃ、覚えらんないべ。




 ってことで。今日はここまで。

 『頼政神社』の話は、またこんど、な。









《参考》








 『古河城 水底に沈んだ名城』 古河歴史博物館(博物館の特別展示の図録目録)








 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。


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最終更新日  2013.06.04 00:38:16
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