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本当に不思議な事ってあるものです。自分は子供の頃から人に迷惑をかけず、良い事をしていれば絶対に自分の思いどうりの人生で居られると、信じていました。妻が癌になった事で、自分の信じていた信念はひび割れて。毎日、腹痛と闘いトイレに通い続ける妻を見ては、そんなうすっぺらな信念も、粉々でした。子供の頃からそう信じて自信を持って生きて来たはずなのに、自分はただの過信屋で、自分に都合の良い、勘違い人間だったのではと、何度も挫折感を味わい自分の弱さを嫌と言うほど思い知らされました。本当に、そんな、ちっぽけな自分でした。ところが、11月3日の出来事以来、そんな自分にばっかり都合のいい考え方自体が一変してしまいました。奇跡への階段の始まりです。気功の先生の所へ妻を連れて行くと、痛みは全てエネルギーです。成仏出来ない霊エネルギーが身体の波動の低い所に集まって、痛みを出しているんですよ。と言われたので、成仏していない霊の憑依という事ですか?と質問してみた所、その通りです。との答えでした。本当に驚きました。ネットで宇○美という霊能者に見てもらった時は、意味不明な文章で、霊など憑いていないと言っていたのに。1時間ほど治療してもらい、妻に腹痛を聞くとだいぶ良くなったといいました。1時間も施術をしてもらったので、どのくらいボラれるのか、恐ろる恐ろる料金を聞いてみると、3000円ですよ。と笑顔で言われました。ボラれる覚悟でしたので、逆にビックリでした。その事もあって、自分の仕事の休み日に予約を入れようと相談した所、その日は講習会がある日なので予約が取れないとの事でした。妻の腹痛が軽減した施術の方法にすごく興味があったので、その講習会に参加をする事にしました。1回目の講習会で自分の父親が亡くなっていることを話すと、先生が、じゃあ、降ろしてみましょう。と言い、女性の方に、はいと手を当て、イタコさんと同じよに降ろして話を聞く姿を目の当たりにして、これがもし自分に出来たら、妻が亡くなっても、いつでも話が出来るし、これは凄いと思い、その日から霊界通信は絶対に出来るようになると、心に誓い深夜にリビングに電気を消したまま一人で座り、死んだじいさんを呼び、肩に乗ってみてなど頼んだり、真剣に馬鹿な事ばかり勘違いしながらやっていました。
2009.01.24
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本当に、元々凝り性な性格なので、毎日、毎日、霊的な事ばかり考え、先祖様となんちゃって霊界通信ごっこを繰り返していました。今、思えば、本当におバカな、なんちゃって体験記でした。ただフォローするなら、それほど、妻の事を愛していたし、妻の存在が自分の全てだった事は大袈裟な事ではありませんでした。気功の先生の講習会に1回行って、ちょうど2週間位たった日の事でした。妻が抗がん剤の治療のため、新橋にある大学病院で入院していたので、面会するのに、病院に向かう電車の中の事でした。病院までは電車で1時間以上かかるので、暇つぶしに先生から習ったばかりの遠隔治療もどきを、チャレンジしている最中でした。頭の中で、妻のお腹には霊が憑いていますか?憑いていませんか?と頭の中でイメージを何度も繰り返していると、霊が憑いているで寒気がして。霊が憑いていないの時は寒気がしませんでした。結果は何度やっても同じで、YESの時は寒気。NOの時は反応なし。ということが、本当に偶然だったんですが、はっきり自分でも気づく事ができました。そして、その小さなきっかけが、不思議な不思議な奇跡の世界への第一歩であった事は確かでした。その日以来、おもしろいように心霊エネルギーの反応を確かめる事ができました。そして、講習会で先生に習った事の中で最も凄かったのが、それら全ての成仏されていない心霊エネルギーの浄化を、あるイメージを持つことで、ある理由があって成仏できない心霊エネルギーを、ほぼ100パーセントの確率で浄化する事が出来た事が本当に驚きでもあり。本当に凄いことでした。霊的エネルギーのYES,NOの確認が出来る、出来ないは、最初は偶然でしたが、かなり重要で、霊界チャリンコの補助車が取れて、霊界チャリンコに乗れる事くらい、重要な出来事でした。そして、ついに、妻との霊界通信的別れの準備ができました。
2009.01.25
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毎日、毎日、抗がん剤治療の副作用で、肉体的にも、精神的にも、痩せこけて行く妻を見ながら、毎日、子供の食事を作り、毎日、8キロの洗濯をして、仕事へ行ってその日、その日を受け止める事しか出来ない明るい未来など想像も出来ない日々の繰り返しでした。友人は何か力になれる事があったら、なんでも言ってね等、暖かく見守ってくれましたが、超現実の日々の世界では、その言葉さえも、力にはなりませんでした。そんな地獄とも言える日々の中に、なんの前振りもなく、その日はやって来ました。妻は4月の手術後より、抗がん剤の副作用と癌の進行で腸の癒着があったようで、激しい腹痛が毎日のようにあり、鎮痛剤を服用しても、痛みは治まらず、毎日、トイレで激しい腹痛と戦っていました。いつも、自分が仕事から帰って来て一番に、妻の居場所確認します。台所に居る時は、体調が良い時で(*^_^*)ベッドで寝ている時は、まあまあな時(+_+)トイレにいる時は、最悪でした(T_T)妻の居場所で自分の気持ちが最高にも、最悪にも簡単になりました(T_T)そんな光のない日々の中、あの日はついにやって来ました。平成16年の11月の3日の事でした。いつものように仕事から帰って来て、妻はトイレに居ました。本当に最悪な時間でした。その時にふと、上京してから亡くなった先祖の事が頭に浮かびました。先祖様なら、もしかして妻が癌である理由や今後どんな定めなのか、教えてくれるのではないか?子供の頃から、霊感はありましたが、先祖様とどうやって交流できるのか、ましてや霊に対しては恐怖感のほうが強いのに。今思えば、人間、極限まで追いつめられると何でもできます。4人の先祖様の写真を枕元に置き、先祖様が本当に存在するなら、夢でもいいから出てきて下さいと、恐怖感はありましたが、念じて寝てみました。ところが、まったく出てきませんでした。朝、起きて、やっぱり、霊は存在しないのかと落胆な気持ちで、居たところ、妻を見ながら、ふと、気功だったら、もしかして、痛みが治って、もしかして、奇跡も起きるのかな?と思いました。すぐにネットで、調べてみると、すぐ近所に3000円という格安で気功の店が検索できました。少しうさん臭い感じがしましたが、いつもは気功とか全く信じない妻が、治療に行ってみると言った時には、とても驚いた事を憶えています。奇跡はその時から始まりました。
2009.01.23
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妻が癌になったのは5年前の12月の事でした。卵巣癌の進行で直腸、肝臓に癌が転移して、なかなか癌の場所が特定出来ず、手術をしたのは、4月になってからでした。外科医の説明では、直腸の癌を切除するのは簡単だから、大丈夫との説明でしたが、手術後のコメントは、肝臓に3箇所、転移が見つかりました。直腸から、肝臓への転移ははっきり言って今の医学ではお手上げです。ただ、婦人科系の癌発症なので、抗がん剤がかなり進歩しているので、それにかけましょうでした。はっきり言って、目の前が真っ暗になりました。手術後の妻になんと説明していいのか。親類やいろいろな人に電話して、力や勇気をもらおうと思いましたが、電話するたびに現実感の認識が強まり、現実逃避も出来ず、悲壮感でいっぱいになり、立って居るのもやっとだった事を、今も憶えています。その日からが地獄の始まりでした。
2009.01.22
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12月18日の23時ころでした。私は、ある暖かい感触になりました。妻がついに私の所へ来てしまいました。妻の生態エネルギーは悲しみをこらえながら、今までありがとうね。子どもたちの事をよろしくね。と言いました。私はお前には甘えてばかりで苦労ばかりかけちゃったね本当にありがとう。今まで本当に辛かったけど、みんなのために良くがんばったね。と感謝しました。妻は、ううん、私も大好きだったから。と最後の別れの言葉を残し、戻っていきました。すぐに、妻の死が近い事を、北海道の親と姉達に電話しました。今、冷静に考えれば、何も根拠もないのによく電話してしまったと思います。19日朝4時過ぎに病院から妻が危篤であると電話が来ました。子供たちをすぐに起こして車で新橋の病院に向かいました。ちょうど新宿のあたりでフロントガラスに、何か風の塊のような黒いものがドンと当たりエネルギーに聞いてみたところ、霊界からの迎えであるとの事でした。ちょうど死亡時刻でした。病院に着きエレベーターに乗った時に、すでに成仏している妻が私の左肩に乗り、今までありがとね。と言いました。私は、お前、一人で成仏出来たの。凄いじゃんと妻を心から誉めました。病室に入りましたが、妻の遺体があるだけで、妻のエネルギーはそこにはもういませんでした。看護師さんからもう少し早ければ、別れが告げられたのに。とお悔やみを言われましたが全然、悲しくありませんでした。逆に、妻に対して、お前えからのタスキはしっかり受け取ったよ。お前が生んでくれた子供たちを悲しませないように、お前えとの別れを後悔させないように、しっかり、育てるからね。と力強く心の中で妻に言うことができました。子供達も泣きじゃくる事もなく、妻との別れを受け止めていました。当時小学1年の末っ子が、母ちゃんは何処に行ったの?と聞きました。私は妻に、お前えは今何処に居るのと霊界通信すると、霊界だよと言いました。子供たちに理解できるかはわかりませんでしたが、子供たちに妻の居場所を教えたいのと、妻が今、苦しんでいない事を伝えたいために、妻に頼んで、子どもたちの頭に手を置き、妻が今居る霊界のエネルギーを送ってもらいました。子どもたちはサワサワして気持ちいいよといいました。私も同じ感覚でした。3人の育ちだかりの子供。妻が居なければ何も出来なかった夫。を支えようと激しい腹痛にも耐え、激しい副作用、髪の毛が抜けてボーズになっても、抗がん剤で完治しようと努力した妻は私にとって、本当に素晴らしい女性でした。そんな素晴らしい妻に支えられたからこそ、今もこうして、悲しみの念や後悔に縛られることなく4年間過ごす事ができました。奇跡の階段に感謝です。妻は今、横で、そうかなー?と笑って言ってますが。。。ここをクリックしてねにほんブログ村にほんブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.01.25
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妻が他界して、自分のこの4年間を振り替えってみて、本当にいろいろな事がありました。不思議な体験は講習会に一緒に参加した方々や、職場の同僚もたくさんの人たちが一緒に体験できました。これから、それらの承認付き体験をこの日記に載せようと思っています。霊界はそれぞれ全ての人たちに平等に存在します。それに気づく気付かないは、その人、本人の生き方しだいな事は確かです。文章を書くのは本当に苦手ですが、これからも、がんばって日記を書こうと思います。
2009.01.24
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ZARDの坂井泉水さんが亡くなってからもう2年も経つんですね。当時、私が坂井さんの亡くなったニュースを見て霊視した事について書きたいと思います。ニュース記事より2007年に急死したZARDのボーカル、坂井泉水さん(享年40)の三回忌にあたる5月27日に復刻盤「素直に言えなくて」を発売することが6日、分かった。91年12月発売のシングル「不思議ね…」のカップリング曲で、坂井さんが作詞作曲。復刻盤は現代風にアレンジし、歌手の倉木麻衣(26)がコーラスで参加し隠れた名曲に新たな息を吹き込んだ。「素直に言えなくて」は、91年12月25日に発売されたシングル「不思議ね…」のカップリング曲。坂井さん自らが作詞作曲を担当した。 ZARDの楽曲すべてで作詞を手掛た坂井さんだが、作曲したのは4曲のみ。なかでも同曲は、ロックテイストが色濃く反映された哀愁漂う作品で、初期のZARDの隠れた名曲としてファンの間で人気が高かった。同曲は昨年5月、テレビ朝日系の一周忌特番でエンディング曲として使用された。放送が終了するやいなや、同曲の存在を知らなかったファンや視聴者から、テレビ局や事務所に問い合わせが殺到したという。あまりの反響の大きさに、所属事務所のスタッフは坂井さんが生前「再度、この曲をライブっぽくアレンジして世の中に出したい」と話していたことを思い出し、三回忌の記念シングルとして発売することを決めた。復刻盤は彼女の遺志を受け継ぎ、原曲のボーカル音源を使いつつ、所属事務所の後輩で坂井さんを尊敬する倉木がコーラス参加。4人組バンド、Naifuのギター、森下志音のうなる演奏を新たに加え、疾走感あふれる楽曲に仕上げた。また、三回忌の追悼ライブのゲスト歌手も決定した。5月15、16日の大阪・堂島リバーフォーラム公演には、GARNET CROWの中村由利ら、同27日の東京・日本武道館公演には倉木やDEENの池森秀一(39)らが参加。倉木は、生前の坂井さんの映像や音源と一緒に武道館でもデュットを披露する。生前の未公開映像も披露される。→ZARDの坂井泉水さんが亡くなってからもう2年も経ったんですね。 坂井泉水さんの唄はとても大好きでした。少し悲しげだけど、なんか頑張って と応援されているような唄が多くて、本当に繊細で優しい方だったんだなと思います。 私も随分、感動をいただきました。 坂井泉水さんが若くして亡くなった事は本当に残念でした。 坂井さんが亡くなった時のテレビニュースで、私は思わず坂井さんと霊界通信を してしまった時の事でした。 坂井さんに亡くなった理由を聞いてもまったく返答がなくうつむくだけのイメージ だったんです。 坂井さんが亡くなって居る事をイメージで伝えても、階段の中段位の所に うつ伏せのまま横になっているだけで、返答をしてくれなかったのです。 そのため、私は坂井さんが亡くなっている事を何回か伝えたのですが、 あるエネルギーが邪魔をして霊界通信自体ができませんでした。 その邪魔をしていたエネルギーは、坂井さんが12,3才の時から憑いていた 自分が亡くなっている事に気がついていない、坂井さんの母方のおばあさんと 言われる方でした。 私は、そのおばあさんにイメージを当て浄化しようとしましたが、さらに先祖代々の イメージが邪魔をして、私のイメージに焦点が当たらないようにしているのです。 そのため、先祖代々のイメージに深く入って行き、おじいさんやいろいろな不浄化霊を 浄化しました。 そしてたどり着いたのが、家を守らなければというイメージでした。 これは母方の先祖代々のイメージでした。 この方々を浄化するとようやく坂井泉水さんのエネルギーと霊界通信する事ができました。 坂井泉水さんには全然関係のない因縁のようですが、坂井さんに対してその先祖代々の 負のエネルギーが、期待と言うのではないのですが、自分たちが浄化される希望のような イメージを持たれていたイメージです。 それほど、坂井泉水さんはいろいろな事に才能があったのではないかとイメージされます。 坂井さんが何故、亡くなったのか?聞いてみますと、もうダメだと思ったとイメージを 伝えます。(何かショックを受けているイメージです。) 何がダメだったんですか?と聞くと、病気、未来、絶望。と伝えて来ます。 苦しかったんですか?と聞くと、5年ほど前から、自分のいい時に戻れなかった。 前は苦しくてもいい自分の時があったのに、そこに戻る事が出来なかったと 返答します。 私が一番聞きたかった、坂井さんが唄を作るイメージはなんですか?と聞くと 優しさと、大きさと、自分を守ってくれる願望のような愛という形と返答します。 たぶん私が思うに、ずっと寂しさで満たされない人生だったんだと思います。 もし、もう一度人生をやり直せるなら?と質問しますと、坂井泉水でいいと言います。 私の信憑性のない霊視浄化の世界ですが、坂井泉水さんは先祖の因縁が浄化された 途端に、一番いい笑顔とというか、とてもいい人生のイメージを持たれました。 坂井泉水さんは、自分の生前の長いトンネルのような自分の人生の中に 時々トンネルの隙間から、大きな希望という光が差し込んでいるのを見ていたようです。 でもその光を実感する事は一度も出来なかったようです。 それは、自分の弱さからと伝えて来ます。自分の弱さ、 そしてそれは生きることからの逃げだったと言います。 唄や人望で自分の弱さを克服しようと努力しましたが、また自分の弱さに 戻るだけだったようです。 すべての因縁が取れた今、切なさも孤独も辛さも自分の弱さもすべて受け止められる 強い自分がいたようです。ですから、もう一度、坂井泉水でいいそうなのです。 そこには後悔も苦しさも悲しみもありませんでした。何千人ものファンの前で 力強く唄っているZARDの坂井泉水さん本人のイメージしかありませんでした。 坂井泉水さんの霊視浄化から、もう2年が経ちました。でもその時と変わらない 優しくとても力強いイメージを伝えて来ます。 本当に唄が上手くて美人でスタイルが良くて、どこも欠点がないような方にも 平等にいろいろな人生があるものです。自分ももう少し頑張らなくちゃと思います。 5月27日は偶然にも私の誕生日でした。私の誕生日プレゼントだったのでしょうか(笑) そんなバカなことを考えながら、さっそくCDを買って自分の癒しデイにしようと 勝手に思っています。ここをクリックしてねにほんブログ村にほんブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.04.09
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癌の手術の後に抗がん剤の治療に入りました。最初は1か月に1週間の入院で抗がん剤治療をしましたが、効果を期待する採血の腫瘍マーカーの結果は倍々の数値となって、採血の結果を聞くたびに、どん底の気持ちになり、2人で気持ちを盛り上げる努力の毎日でした。今でも、はっきり憶えています。起きている時も妻は癌で、寝て、夢の中でも癌で、悪夢から目覚めて、気持ちを安心しようと妻の寝顔を見ても、現実は癌で。一度、誰もいない時に、思いっきり泣いてみましたが、それでも癌でした。自分の生き方が間違っているのか?スピルチュアル的に考えて、パチンコも、ゴルフも、異姓と遊ぶのもやめました。自分の行いを正す事で、軌跡を信じてみました。ところが、結果はNOでした。義姉の紹介で宗教にも毎日のように通いました。でも結果は変わりませんでした。お寺に行ってお祓いをしてもらいました。でも結果は同じでした。ネットで宇○美と言う霊能者に家族写真を送って、霊視をしてもらった事もありました。でも、意味不明な1000年以上前の前世と言う人の名前を出し、本当に、困っている人に当てはめるようなコメントで、こんな心ない、お金儲けの仕事があることを勉強させられました。
2009.01.23
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霊体験は子供の時からありました。6歳の時に壁の絵から女の人がそのまま出てきたり、金縛りはちょくちょくあって、赤ちゃんが乗って来たり、ベットの下から手が出て来たり。子供の頃からずうっと、一人で眠れないくらい霊体験は沢山あって、怖い物だと思ってました。4年前、あの日が来るまでは・・・・・4年前に妻が癌で他界しました。その出来事の後の人生は、自分でも経験した事のない出来事ばかりでした。自分には子供が3人居て、愛妻が癌で他界した事は誰がみても、男一人どうやって3人の子供を育てて行くのだろう、大変だろうとか、悲しいだろうとか、マイナス的なイメージしか持てない物だと思います。自分自身も当時はそう思ってました。ところが、この4年間を振り返ってみても、悲しいどころか、発見と前向きな出来事ばかりでした。それと言うのも、実は、4年前から、他界した妻と青森のイタコさんのように話が出来るようになったからなんです。
2009.01.22
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私の大好きだった、尾崎豊さんの記事を霊視してみたいと思います。尾崎豊さんのニュース記事歌手の故尾崎豊さんの未発表音源などを特集する「Kakiiin×尾崎豊」が30日午後7時半から、TBSラジオで放送される。デビュー前のライブやオーディションの音源などが初公開される。尾崎さんは83年にシングル「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」でデビュー。心の叫びを表した歌い方や歌詞などが同世代を中心に共感を集め、カリスマ的な人気を獲得した。「卒業」「I LOVE YOU」など数多くのヒット曲を生み出したが92年4月、26歳で急死。その後もドラマ「この世の果て」(94年)の主題歌に「OH MY LITTLE GIRL」が起用され、96年には歌手の中島美嘉さんが「I LOVE YOU」をカバーするなど、人気は衰えていない→尾崎豊さんの記事の中にイメージが入っていましたので、霊視してみたいと 思います。 尾崎豊さんは本当に心で歌を伝える歌手でしたよね。 カラオケとか当時かなり歌わせてもらいました。 特にI LOVE YOUは私の中では、名曲中の名曲だと思います。 本当に尾崎豊さんが亡くなった当時はとても悲しい思いをしました。 当時は突然死の原因が薬物の噂もあったと思います。ここで、霊界通信を して、イメージを通じて本人に聞いてみたいと思います。 尾崎豊さんの死んでしまった原因はどういう原因ですか?と質問すると 苦しい。息が・・・・のイメージを伝えて来ます。 肺炎のような状態で寒い雨のような中、眠ったように息を引きっとっている イメージを伝えて来ます。 薬は飲んでいたんですか?の質問に対して 精神安定剤のイメージを伝えて来ます。麻薬系ではなくスピードのイメージを 伝えて来ます。気分をハイにしたかったというイメージです。 気分をハイにしたかった理由は? 何をやっても気持ちが癒されなかった。最愛の人と居ても、一緒に居れば居るほど 辛くなり、酒に逃げていたが、もっと辛くなって、薬を数多く飲むようになって しまった。とイメージを伝えます。 尾崎豊さんの生前のイメージはとてもシャイで、とても優しいイメージです。 気持ちがあまりにも優しすぎて、好きな人の全てを叶えてあげたいという気持ちが強く 無理難題で壁に当たっても、人に相談したり、外には吐き出す事が出来なかったようです。 そして、自分の中で消化しようとすればするほど、どんどん底なし沼にはまっていく イメージがあります。 これは、尾崎豊さんに凄く甘えん坊の部分があったからだと思います。 尾崎豊さんが幼少の頃に成仏していない先祖の影響で、寂しがり屋、甘えん坊の イメージがついたようですが、大人になって、周りから頼りにされ過ぎて、 自分自身が満たされず自爆って行ってしまったイメージです。 あんな素晴らしい唄はどういうイメージで作られたんですか?と聞くと 自分の希望がそこにあったと話します。 尾崎豊さんは5年前の4月に成仏しています。信じる信じないの世界ですが、 私が5年前に尾崎豊さんが亡くなった場所の特集のような放送を見た時に 成仏していない尾崎豊さんにイメージを当て霊視してしまいました。 尾崎豊さん何故成仏が出来なかったのかですが、自分が死んだことに気付かず 自分の寂しさを満たすための唄を作るためのこだわりを持っていたため 自分が亡くなった場所に成仏出来ず、座ったままのイメージで居ました。 幼少の頃の先祖様と、そのこだわりを浄化して迎えに来ていた、先祖様に 導いてもらいました。 考えてみれば、今日は3月25日、尾崎豊さんが私のイメージに入って 来たのも、自分の命日に近いからなのかも知れませんね。 たぶん、ファンの方に死んだ日の自分の思いとして、 メッセージを伝えたいのだと思います。(これは成仏した今ではなく、亡くなる直前の尾崎豊さんのイメージです。) その亡くなる直前のメッセージはですが ありがとう。こんな小さな自分を暖かく見守ってくれて、本当に感謝します。 自分がスランプの頃は、何をやってもうまく行かず、全部がむなしく思えた自分が 居ました。でも、ファンの方は自分の支えでした。そんなさなかでの最後でしたが 人生に悔いなしです。これからも、私の生前の希望(唄)を聞いてくださいね。 たぶん、尾崎豊さんは最後の最後まで、唄を本当に愛していたのだと思います。 自分の弱さを伝えていますが、本当は、人一倍、自分の人生を一生懸命に生き抜いた 方なのではないかと思います。本当に凄い才能のある方だったと思います。 あんなに心にしみる唄を自分の人生までかけて作ってくれた尾崎豊さんの冥福を お祈りします。名曲をありがとうございました。ここをクリックしてねにほんブログ村にほんブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.03.26
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相談メールより、足利事件冤罪に関しての霊視をして欲しいとの相談がありましたので、その事件について霊視浄化したいと思います。ニュース記事です17年半ぶりの自由をかみしめた。足利事件で無期懲役が確定して服役していた菅家(すがや)利和さん(62)が釈放された。「本当にうれしい」。4日夕、支援者に見守られて会見に臨み笑顔を見せたが、警察と検察、そして裁判所には激しい怒りをぶつけた。「自分の人生を返してもらいたい」「本当にうれしく思います。私は無実で犯人ではありません」。午後5時前、千葉市内のホテル。会見場に姿を見せた菅家さんは、カメラのフラッシュを浴びながら、緊張した面持ちで切り出した。グレーのチェック柄のジャケットに黒のズボン姿。短く刈り込んだ頭髪に、白いものが目立つ。警察に任意同行を求められたのは91年12月1日。勤務していたことのある保育園の同僚の結婚式に呼ばれていた日だった。17年半の思いを問われると、表情が険しくなった。「犯人にされて、ずっと我慢してきた。当時の刑事、検察官に謝ってほしい」。そう何度も繰り返して強調した。「『間違った』では済みません。絶対に許せません。自分の人生を返してもらいたい」。裁判官にも「謝ってもらいたい」という。支援者から花束を受け取ると、笑顔になった。千葉刑務所(千葉市)の刑務官から「今日釈放する」と伝えられた時は「もう少し先だと思っていたので、びっくりした」。午後、弁護団の佐藤博史弁護士と支援団体代表の西巻糸子さん(59)の2人が迎えに来た。握手を交わすと、3人とも涙で声にならなかった。「いっぱい店があるな」。外に出て街並みが目に入った時、そう感じた。ホテルに着いて飲んだコーヒーは「(刑務所内とは)一味も二味も違った」。所内でのど自慢大会に出場したこともある。「カラオケを歌い、すしを食べたい」とうれしそうに笑った。故郷の足利市に帰って兄弟に会い、事件で殺害された女児にも「おじさんは犯人ではないよ」と伝えたいという。逮捕後、父親はショックで亡くなり、2年前の4月には母も亡くした。「自分は犯人ではないので安心してほしい」。一日も早く墓前に報告するつもりだ。この日午後、千葉刑務所前には十数人の支援者が集まり「おめでとう」と書かれた横断幕を掲げた。菅家さんが乗ったワンボックスカーが出てくると歓声があがった。菅家さんは、後部座席の窓から右手を伸ばし、その手を大きく振りながら、笑顔で何度も「ありがとうございます」と繰り返した。→この事件は本当に酷い事件ですね。 悪魔が2つ居ますね。一人の悪魔は罪もない女の子を性的な欲求のためだけに 殺害した犯人。 そして、その犯人を作り上げた方々。 何故、こんな事件になってしまったのでしょうか?霊視をして見たいと思います。 当時の殺害された女の子のイメージに入って行きますと、おじさんというイメージを やっぱり伝えて来ます。 このおじさんは知っている人?と聞きますと知らないおじさんと答えます。 前に会ったことはないの?と聞きますと、たぶん同じ場所で1,2度会っている イメージを伝えて来ます。(その日のうちに会った回数かも知れません?) そのおじさんに何か声をかけられたの?と聞くと、大きな魚を釣りに行こうというような 事を言われたイメージを伝えて来ます。 移動のイメージは徒歩や車ではなく、自転車のイメージです。 (これ以上は、かなり悲しいイメージがありますので、やめときます。) この霊視からは、菅谷さんのイメージは全くありませんね。 菅家さんのイメージをこの女の子に聞きますと、知らないおじさんと伝えて来ます。 (バスの運転手さんはおじさんというのは知っていますが、それが菅家さんかどうかは 知らなかったようです。) 菅家さんが何故、犯人にされたかですが、当時、他にも同様の事件があった イメージです。 少しでも早く犯人を捕まえることが先行して、警察もかなり焦っている様子です。 その中で浮かんで来たのが、菅谷さんのイメージです。 何故、菅家さんが怪しいのかのイメージですが、まず、女子児童と面識があり声をかけ たら簡単に連れて行けそうなイメージです。 次に、菅家さんの人相的なイメージがあります。見た目なのか、噂が合ったのかは よく解りませんが、犯行を起こしそうな人物と怪しまれているイメージがあります。 次に捜査に当たった警察関係者の方のイメージが、強引なイメージで証拠に沿った と言うよりも、自分の事件の想像的なシュミレーションイメージに沿った方向に 導いているイメージです。 ここで、やはり一番大きかったのが、DNA鑑定ですね。 ここに何か隠されたイメージがあるようです。 まず、DNAに関しては初めてのというイメージが優先的にイメージされますので、 この事件の担当した方の都合が大きいのではないか?と思います。 ハッキリは解りませんが、初のDNA鑑定による逮捕的なイメージが強いようです。 (これは、日本でなのか、その地域初なのかは解りませんが?) ですから、事件の解決の方向性が、このDNA鑑定に基づいて考えられているのかな? と私はイメージを通じてそう思います。 次に何故、菅家さんが自供をしてしまったかですが、警察のしつこい取り調べもあった かもですが、菅家さんに子供に対しての興味というイメージが出て来ます。 これは、犯罪的なイメージではなく、特に女の子は可愛いようなイメージであったかも 知れません。その部分が、執拗な取調べの中で、自分がもしかしてやってしまったのかも 知れないという自己催眠的なイメージとなり、自分が犯行をしたと自供をしている イメージです。 この自供が、確信となり、現在まで長引いてしまった一番の原因のようです。 ここに菅家さんのお母さんのイメージで、この子は子供の頃からとても温和な優しい子で 自分に自信のなさや弱さの部分が、警察という圧力に押されて、後先を考えずに自供を してしまったというイメージを伝えて来ます。(凄く温かい優しいお母さんのようです。) こんな温かいご両親も、自分の息子が犯罪者のまま他界されてしまったことはとても 無念だったと思います。 しかし、その事をご両親に聞いて見ますと、最後まで自分の息子が犯人でないと 信じていたようです。 世間の方が信じなくて、自分達だけは一緒に人生を共にした息子の事を信じている事が 罪をきせられた息子に対して何も出来ない親としての、せめてもの償いだったようです。 信憑性は本当にありませんが、こんなご両親の息子さんが犯罪者の訳がないと私は 思います。 この事件や当時、同じ地域で事件に巻き込まれた方々、そしてその関係者の方々の 浄化をして、亡くなわれた方々のご冥福を祈りたいと思います。ブログランキング参加中(たくさんの方々に見てもらいたいです)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.06.06
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さて、自宅に帰って来て私がした一番最初にした事とはもちろん、霊界大戦争で戦死したはずの師匠に電話をする事でした。私は朝から何度も転んでしまいましたが、そんな霊界初心者の自分が無謀にもしでかしてしまった大きな過ちに、師匠まで巻き込みたくはないですものね。すべて私の恐怖感や心の折れた部分をキツネ様が利用して、霊界大戦争という自作自演でストリーを作り上げているイメージも、嘘つきキツネのイメージから感じ取っておりましたので、師匠が実際には生きている事を信じている自分がおりました。そのため自宅に帰ってからすぐに、私は師匠にもらった名刺から電話番号をもう一度携帯に入力をして、すぐに師匠に電話をしてみました。電話の呼び出し音がなっている時は私の心臓が口から出てくるくらいドッキン、ドッキン拍動して、「師匠、生きて居て。」とバカな願いも勝手に想像している自分がおりました。10回くらい呼び出し音が鳴ったでしょうか、師匠が私の電話に出てくれたのです。そして電話に出るなり、いつものように「どうしました?」と優しい返事をしてくれたのです。私にとっては長い漂流生活の1日の中で、やっと美味しい水が飲める感覚に近いような1番嬉しい瞬間でした。私は、とても安心したのと今日の不思議体験を霊視してもらいたくて思わず師匠に言ってしまいました。「今から師匠の家にお邪魔していいですか?」まだ波動整体の門を叩いて1か月しか経っていない、どこの誰とも解らない私に対して私が生涯初めての師と思える大先生が、普通は電話で話を聞いて応対してくれるだけでも凄い事ですよね。しかし師匠は、何のためらいもなく「いいですよ。」と気軽に言うのです。私は早朝から宗教団体の使者と思いこんで居た大物のキツネ様の事もあり、その恐怖たるや本当に困って居ましたし、師匠しか頼れる事が出来ない心の折れた自分がまだまだそこにおりました。師匠の言葉はそんなどん底まで追いつめられた私にとってどれほど尊い言葉だったでしょう。私はそんな師匠の言葉のありがたさを今でも実は大切にしております。このブログでの誰に対しても平等に相談やイメージ更新しているのも、私の生涯の恩師のそんな何気ない優しさの恩恵にある事も確かです。元々、1000人に満たない漁師町出身の私にとって、この師匠の奥行きのある心の深さを経験できた事は、私の生涯の宝物です。私は生涯、この恩を還元できる人間である事を心から誓う勇気を持てた瞬間でした。私は師匠の家に行きました。そしてその日の出来事を師匠に何も隠さずに話しました。すると師匠は「それは大変でしたね。」と少し笑みを浮かべながら言うのです。私は、そんな師匠を見て、私に憑いているキツネは本当に大物なはずなのに怖がりもしないなんて、なんて大きな人なんだと思いました。師匠にしたら私に憑いている大物キツネも、子供のころから私が食べて居るカップめんのキツネとタヌキ並みなのかな?なんて考えて、安心してしまう自分がそこにおりました。師匠はそのキツネに憑いては、自分は関係がないものと思うようにという事だけを私に伝え、キツネに関する浄化はしてくれませんでした。私はこれで大丈夫なのかな?とも思いましたが、これにも実は深い訳があったようです。そのイメージの先には私が考え、そして自分の力一つで切り開くことが今現在の私のイメージに繋がる大きなヒントがあったようです。人ではなくて自分の人生です。自分の人生の道を切り開くのも自分の力一つなのです。師匠が私にしてくれた浄化イメージは、百十の王ライオンは自分の可愛い子供たちを谷底に振り落とすイメージのようです。大きな愛を持って、可愛い子供には自分の人生のための自分でしかできない経験を自分の力で経験させてこそ、この世界に課題を求めて霊界から降りて来た意味があるようです。ゴルさんの勝手な思い込みではあるかも知れませんが、師匠にとって可愛い弟子の一人であった事に間違いはないようです。師匠の家に居る間は、依存心の高いゴルさんにとってはとても癒しの時間となりました。4時間くらい師匠の家にお邪魔して、自宅に帰って私はすぐに妻の遺体が置いてある畳の部屋に行ってみました。何故かしら妻の遺体が見たかった自分がそこにおりました。私は何気なく妻の遺体を置いている畳の部屋に入ってみますと、妻の遺体の方の部分から何やら嫌な感覚のエネルギーが確認できるではないですか。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ここもついでにクリックをお願いします。
2009.12.22
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