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渡辺謙さんが、早期の「胃がん」からの復活されたと聞き・・・すぐにニューヨーク・リンカーンセンターで、ミュージカル『王様と私』を観てましりました(^-^)V謙さんの事を調べてみました♪
渡辺 謙
わたなべ けん
1959年10月21日~(56歳)
日本の俳優
本名同じ。「謙」は越後の戦国武将、上杉謙信に因む。
新潟県北魚沼郡広神村(魚沼市旧広神村)出身。
演劇集団 円を経て2002年からケイダッシュ所属。
日本国内・日本国外双方において映画を中心に
テレビドラマ、舞台、テレビコマーシャルと幅広く活躍する俳優の一人。
身長184cm、体重80kg、てんびん座
父の渡辺亮一は画家として活動している。
【デビューまで】
新潟県北魚沼郡広神村にて共に教師をしていた両親の元に生まれる。
両親の転勤で幼少期を入広瀬村、守門村(ともに魚沼市)、高田市(上越市)で過ごす。
新潟県立小出高等学校在学時には吹奏楽部に所属し、
幼少の頃から親しんできたトランペットを担当。
高校卒業後の1978年、東京の武蔵野音楽大学進学を目指す。
しかし正規の音楽教育は受けておらず、
また渡辺が中学生の時、父・亮一が病に倒れ仕事が出来なくなったこともあり、
学費捻出の困難などの問題から断念。
同年、芥川比呂志演出による演劇集団 円公演『夜叉ヶ池』を観劇して感銘を受け、
翌年に同劇団附属の研究所に入所。
アルバイト先で知り合った猪俣公章の紹介で唐十郎作、
蜷川幸雄演出『下谷万年町物語』のオーディションを受け、
研究生ながら主演の青年役に抜擢された。
1982年(昭和57年)、演劇集団 円の劇団員に昇格し、
『未知なる反乱』でテレビデビューを果たすと
1984年には『瀬戸内少年野球団』で映画デビュー。
その後も『タンポポ』、『海と毒薬』などの映画に相次いで準主役級で出演。
1986年(昭和61年)のNHK朝の連続テレビ小説『はね駒』にも出演した。
【独眼竜 政宗、藤枝 梅安と闘病】
1987年(昭和62年)のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で主役(伊達政宗役)を演じ、
39.7%という大河ドラマ史上最高の平均視聴率を獲得。
一躍全国的な人気を獲得、スターダムにのし上がる。
また、その頃から歌手としても1992年頃まで活動していた。
以降、舞台・テレビドラマなどで次々と大役を演じ、
前途洋々に見えた1989年、
映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。
再起はおろか生命も危ぶまれたが、
約1年の闘病の後、
治療を続けながらも俳優業に復帰。
定期的に入院治療を続けながら、
仕掛人・藤枝梅安を中心に活動するが、
大きな仕事は、できなかった。
経過は良好に見え、
一応治療が終了した1993年、
NHK大河ドラマ『炎立つ』に再び主演、
完全復活をアピール。
しかし、発病から5年経過した1994年に再発。
再治療を行い、経過は良好となって、翌年無事復帰を果たす。
【方向性の模索】
病気再発を経て再復帰した時期と前後して、
初の本格的娯楽時代劇シリーズドラマ『御家人斬九郎』、
2時間ドラマでは『わが町』『鍵師』などが
当たり役となりシリーズ化されたが、
渡辺はあまりにも強烈な「政宗」のイメージと、
俳優としての評価以前にまず病気のことを持ち出されることなどに悩んでいたという。
30代の終わりを機にこれらの人気シリーズを全て終了させるとともに、
従来彼のイメージにはなかった悪役・ダメ男役・格好悪い役柄などを積極的に演じるようになる。
2000年には、
『池袋ウエストゲートパーク』に出演。
2001年、
久々に演劇集団 円の公演『永遠 Part2』で舞台に立つが、
これが結局「円」での最後の舞台となった。
2002年元日をもって演劇集団 円を退団、
所属をケイダッシュに移す。
【世界進出と映画初主演】
日本国外映画初出演となった
アメリカ映画『ラストサムライ』(2003年公開)で、
渡辺は、同年度の
第76回アカデミー賞助演男優賞ならびに
第61回ゴールデングローブ賞 助演男優賞、
第30回サターン賞 助演男優賞にノミネートされる等高い評価を得る。
これを機にロサンゼルスに居を構え、
『バットマン ビギンズ』や
『SAYURI』など
日本国外映画に立て続けに出演。
当初通訳を要していた英会話に関しても猛勉強の末、
殆どの会話を自らこなしている(現地での生活ぶりや
英語学習の様子は「AERA English」に掲載中)。
2005年には
米国のTIME誌の表紙にグラビアが掲載されたり
ピープル誌が企画する
「最もセクシーな外国人男性」に選出されたりするなど、
米国における知名度が高い日本人俳優の一人である。
日本映画では2006年に、
荻原浩の小説『明日の記憶』映画化作品で映画初主演。
同作品の映画化に当たっては
各映画会社の駆け引きがあり、
渡辺を含む複数の日本を代表する
大物俳優達が候補に挙がったが、
自らも闘病経験があり
原作に人一倍の共感を持てた渡辺が、
荻原に映画化を熱望する旨の手紙を直接送付したことで
(荻原は最初誰かの悪戯だと思ったが、
紛れもなく渡辺本人からのものだと知り仰天したという)、
渡辺の主演で映画化された。
白血病の発症以降、
患者役や医療関係者役、
難病を扱った作品は避けてきたが、
この作品で
若年性のアルツハイマー病に冒されていくという主人公を演じている。
また、映画公開と同じ時期に発表した
自らの著書『誰? - WHO AM I?』で、
かつて白血病の治療中頻繁に受けた輸血(主に血小板輸血)が原因で
C型肝炎ウイルスに感染し、
『明日の記憶』の撮影は
その治療の副作用に悩まされながら敢行していたことを告白。
現在は
急性骨髄性白血病・C型肝炎ウイルス感染ともに
問題のない良好な状態を保っているという。
更にこの作品で初めてエグゼクティブ・プロデューサーを兼任。
映画の普及とアルツハイマー病への理解を促進するため全国各地を奔走した
(ただし、渡辺本人は
「自分はプロデューサーというよりも
『イントロデューサー(紹介者)』である」と述べている)。
2006年には、
クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』に、
栗林忠道役で日本国外映画初主演。
他の主要日本人キャストは
オーディションの末選出されたが、
渡辺だけは監督から直接出演要請があった。
外国語映画賞を受賞したゴールデングローブ賞の授賞式において、
壇上のクリント・イーストウッド監督は
「偉大なるケン・ワタナベに敬意を表したい」と渡辺に言葉を贈った。
2007年2月25日(日本時間26日)、
第79回アカデミー賞授賞式に出席し、
カトリーヌ・ドヌーヴと2人で非英語圏の俳優代表として舞台に立ち、
賞が設定されて50周年を迎えた外国語映画賞の歴史を紹介した。
2008年2月に撮影開始された映画
『ダレン・シャン』にも、サーカスのオーナー、Mr.トールで出演。
また、『バットマン ビギンズ』で仕事をしたクリストファー・ノーラン 監督の新作サスペンス
『インセプション』で再び起用されている。
2009年10月、
山崎豊子原作の映画『沈まぬ太陽』に恩地元役で主演し、
第33回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、
第34回報知映画賞主演男優賞を受賞。
映画公開初日の舞台挨拶にて作品・撮影の厳しさを語り男泣きした。
2014年には、
新たに製作されたハリウッド版『ゴジラ』にメインキャストの一人として出演。
この作品の中で「ガッジーラ」という英語の発音を拒否し、
「ゴジラ」と日本語の発音にこだわったとインタビューに答えている。
釜山国際映画祭では日本人として初めて開幕式の司会をした。
2015年、ミュージカル『王様と私』で
トニー賞・ミュージカル部門主演男優賞にノミネートされる。
2016年2月9日、
早期の胃がんが発見され手術を受けたことを明らかにした。
2時間弱の手術と4日間の入院後、自宅療養を経て、
3月5日に渡米し、
再び『王様と私』で、ブロードウェイミュージカルに出演を果たす。
【栄誉賞】
2014年11月1日、魚沼市制施行10周年記念式典で『名誉市民称号』を授与。
2015年9月2日、新潟県民栄誉賞授与。
【人物】
1996年に刊行された社会派映画監督熊井啓の著書「映画の深い河」では、深く渡辺について言及している。熊井の「海と毒薬」に起用するかどうか判断するために初めて渡辺と会った時に感じた独特の雰囲気は、「初めて石原裕次郎や小林旭、赤木圭一郎、吉永小百合らを見た時に感じたスター性と同じものを感じた」と記している。また、スター性だけでなく「海と毒薬」の製作過程で長尺のアフレコを行った際のあまりにも正確な仕事ぶりに感心し、三船敏郎に劣らない卓越した集中力を持っている俳優であると激賞。そして、いつか渡辺主演で映画を撮りたいと述べていた。
1983年(昭和58年)に結婚した前夫人とは2年に及ぶ調停の末、2005年3月に離婚。時を同じくしてテレビ東京のサスペンスドラマの共演を機に知り合った女優の南果歩と本格的に交際を開始し、同年12月3日に再婚。二人の交際に関しては日本の芸能マスコミもノーマークで、AP通信配信の写真で渡辺が映画『SAYURI』のニューヨークプレミアに同伴した「未確認ゲスト」の女性が南と判明すると同時に、二人の結婚が公表された。南が前夫の辻仁成との間に儲けた1子(男子)とも養子縁組(次男)し、一時は南と次男と共にロサンゼルスを生活の拠点にしていた。仕事で世界各地を飛び回る渡辺と、より家族の時間を多く持てるよう考慮して、家族の生活の拠点は日本においている。当初、結婚式などは挙げなかったが、2010年8月、結婚5年目の節目としてロサンゼルスで挙式したことを公表した。
前妻との間に儲けた第1子(長男)の渡辺大は俳優として、第2子(長女)の杏は女優・ファッションモデルとして活躍している。2008年8月には長男の大に第1子が誕生し、渡辺は48歳の若さで初孫を持つ身となった。
趣味は乗馬やゴルフ、料理など多岐にわたる。無類の蕎麦好きで、テレビ番組に出演した際、十割蕎麦を「ケレン」と評するほどのこだわりを持ち、特に故郷新潟名物の「へぎそば」を好む。スポーツではプロ野球の阪神タイガースの熱狂的なファン(下記参照)であり、ラグビーの神戸製鋼ファンとして知られる。
上記のアカデミー賞のプレゼンターを一緒に務めたカトリーヌ・ドヌーヴが、約2週間後の3月13日に「フランス映画祭2007」の代表団長として来日。東京都港区のフランス大使館での記者会見の時に渡辺の印象について聞かれ、「彼の英語は素晴らしいと思った。非常に才能があって、すてきな方ですね」と語った。また、出演している作品の吹き替え版でも『バットマン ビギンズ』を除くすべての作品で渡辺自身が声を担当している。
2009年5月29日付東京新聞の一般投書欄へ渡辺自身が投稿していた。具体的には、日本の方向性を示しきれない政治家へ苦言を呈すると共に、麻生内閣が決定した補正予算の中の「アニメの殿堂(国立メディア芸術総合センター)」について「文化発信に繋がるという妄想は止めて、即座に予算から削除するべき」というものであった。 また、2015年7月8日には、自身のツイッターに2020年東京五輪開催に伴う新国立競技場の建設計画に関して、「不思議なニュース」とコメントしている。
2013年、東日本大震災の被災者たちを支援しようと、宮城県気仙沼市に自身がプロデュースしたライブカフェ「K-port」をオープン。オープニングイベントとして11月24日に1日だけのスペシャル企画として、南果歩と朗読劇「ラヴ・レターズ」 を上演している。
出演作品を選ぶ基準について「自分の心の針が振れるかどうかで素直に選んでいますね」と述べている。
【阪神ファンとして】
プロ野球の阪神タイガースの熱狂的なファンであり、阪神の試合結果はハリウッドに活動拠点を移した後でもインターネットなどで随時情報収集しており、渡辺自身も多忙な中、2005年9月19日と9月20日には阪神甲子園球場に駆けつけ、阪神×中日戦を観戦。20日には関西ローカルの独立UHF局のナイター中継『サンテレビボックス席』に5回までゲスト出演した。日本にいるときは精力的に甲子園球場にタイガースの応援に出かけて行く。野球解説者の福本豊と友人で、試合観戦後は福本と甲子園球場近隣の庶民的な居酒屋でにぎやかに野球談義に花を咲かせていた。
ヘビースモーカーであり、移動や上記の阪神タイガースの応援の際のぞみ号・東京駅・新大阪駅・甲子園球場等の喫煙ルームや喫煙エリアに突然一人で姿を現し、周りを驚かせたこともある。
・・・・・・・・・・・・・・・・ウィキペディアさまより・・・・・・・・・・
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