「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.11.13
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カテゴリ: 美術館・博物館
アメディオ・モディリアーニは、イタリア人で病弱なダメンズですがイケメンだったそうですよ

アメディオ・モディリアーニ
​Amedeo Modigliani​


絵を描くためには、

私に向かい合っている

生きた人間を

見ることができなければなりません。

​[モディリアーニ]​

20世紀の初頭。

パリのモンパルナス界隈には、

世界中から、

若い芸術家が集まって、

貧しくも自由に暮らしていました。



その中で、

特定の主義は掲げず、

個々の作風で活動した芸術家を総称して、

​「エコールド・パリ(パリ派)」​




ロシアのシャガール、

ポーランドのキスリング、

日本の藤田嗣治、

といったビッグネームが並びます


もっとも「らしい」画家と言えば・・・

やはりイタリア出身の モディリアーニ に尽きるでしょう手書きハート







アメディオ・クレメンテ・モディリアーニ
​Amedeo Clemente Modigliani​

1884年7月12日〜1920年1月24日(35歳没)

イタリア人画家・彫刻家。



エコールド・パリ(パリ派)の画家のひとり。


【モディリアーニのプロフィール】

流派= エコール・ド・パリ。

得意なモティーフ= 人物(風景は数点しか描かず)。

尊敬する芸術家= エコール・ド・パリの画家が集ったモンパルナスの

 共同アトリエ「蜂の巣(ラ・リュッシュ)」で、



家族・恋愛= 別れたベアトリスは、

 5歳年上のイギリスの詩人でジャーナリスト。

 ジャンヌは、出会った当時18歳の学生。

裏話= 病気や売れないつらさを、

 酒と麻薬で紛らわせる弱い人。

 でも、そこがダメンズ好きな女子たちの

 母性本能をくすぐってやみませんクール


『子供とジプシー女』

【モディリアーニの年譜】​


1884年7月12日、 イタリア、トスカーナ地方の港町

 リヴェルノに生まれる。

1901年、 結核が発病。

1903年、 ヴェネツィアの国立美術研究所に入学。

1906年、 パリに出てモンマルトルに入学する。

1909年、 モンパルナスに移る。

1914年、 イギリス出身の詩人:ベアトリス・ヘイスティングと出会う。

1916年、 生涯、支えてくれた親友で画商:ズボロウスキーと出会う。

1917年、 19歳の画学生:ジャンヌ・エビュテルヌと同棲を始める。

 個展を開催。

1918年、 結核が悪化。南仏で静養する。ジャンヌが女児出産。

1920年1月24日、 パリで死去。



『シャイム・スーティンの肖像』

子どもの頃から彫刻家に憧れ、

パリに出てからも30歳頃までは、彫刻を制作。

しかし虚弱で、

彫刻は肺に悪いという理由で断念。

本格的に絵に転身してから、

5年で死去。



モディリアーノは、どうして目玉を描かないのか?

瞳を描かない独特の画風は・・・

彫刻家出身のモディリアーニが、

アフリカ彫刻から学んだもの。


個性や表情がもっとも表れやすい瞳を

あえて描かないことで、

モデルを日常性から切り離し、

時を超えた神秘性を与える効果を狙ったともいわれます。



生前は、まったく作品が売れず・・・

酒と麻薬に溺れながら、

似顔絵描きで食いつないでいたモディリアーニ。


『青いクッションの裸婦』

33歳の時に開いた生涯でただ一度の個展も、

裸体画が、

猥褻だと批判されて

即刻中止に


そんな絶望の淵から救ってくれたのが、

他ならぬジャンヌです。


モディリアーニは、

彼女の肖像を何枚も描いていますが、


これは、同棲2年目の作品。

ジャンヌのお腹には、

彼の子どもが宿っています。

けれども、

画家は持病の結核が再発し、

幸福が続かないことを知っていました。

暖かな黄色に包まれたジャンヌの表情に、

どこか切ない哀愁が漂うのはそのせいでしょう。



翌年、

モディリアーニは35歳の若さで病死。

ジャンヌが、

ビルの窓から身を投げて跡を追ったのは、

その2日後でした。



モディリアーニは・・・イケメンだったのか?

ルックスがよくて生涯も劇的となれば、

人気が出るのも当たり前。


映画でも・・・

​1958年の『モンパルナスの灯火』​

では、ジェラール・フィリップ、

2004年の『モディリアーニ真実の愛』

では、アンディ・ガルシアが演じているくらい

イケメンだったわけですから。

病弱で繊細な内面を、

チョイワル入ってた美貌で包み、

酒と麻薬で、やつれさせた感じ。


世間がイメージする「破滅型アーティスト」

そのままで、絵になります。



作品も、

変に難しい主義を振り回さず、

情緒に訴えかけてくるから、

わかりやすい。


昔のフランス映画のような哀愁は、

日本人の心にも響きますよね。


『​ポール・ギョームの肖像』1915年

絵を描かせて買ってくれたギョーム氏。


生前、売れなかったのが不思議なくらい。

世界中から集まった才能がしのぎを削っていた当時、

パリで頭角を現すには、

モディリアーニの人生は、

短すぎたのかもしれません。


(参考文献:幻冬舎/西洋絵画入門より)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.11.13 00:10:10
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