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お久しぶりでございますパソコンが壊れてから 再開しようと思っておりましたらパスワードが分からないマ、聞けば教えてくれたでしょうが面倒だったので 現在「花の 四日市スワマエ商店街」に引越しさせていただいておりますえいっと 思いつくままパスワードを入れたら ログインできました(コレッテ オサボ)優ちゃんをはじめ 全国の皆様には ご心配をおかけいたしましたもう一度引越しするかは 迷っておりますかしこ
2008.09.25
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辻さんの説明にはこうあった昭和30年5月中旬 近鉄四日市駅前中央通の区画整備工事中 右上端の家は堀木菓子店(現堀木ビル)正面には二年後近鉄四日市駅が建つ雨上がりの中央通り 水溜りで遊ぶ子ども達どこでも どんなところでも そこは遊び場だった
2008.07.22
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近鉄四日市駅が完成する2年前昭和30年5月 中央通りから東を望む戦後間もなくここで農業博覧会が開かれたその後 草ぼうぼうの空き地が広がっていた近鉄駅完成に合わせて通りができていく前を1号線が走る 遠くに市役所の時計台が見える楠木はまだ植えられていないここを渡って浜田小学校に通ったが 鈴鹿おろしがきつかった
2008.07.18
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二階の東海ストアでは 四日市の町を展望する人でいっぱいだ駅前の中央通りは 舗装が完備されておらず 楠の若木がひょろひょろと並んでいる程度だったに違いない玩具売り場で ブロックのおもちゃを買った記憶がある色は白一色 今ほどカラフルでも 形にバラエティがあるわけでもなかった奥の食堂では お子様ランチを食べた西側の窓からは プラットホームが望めた
2008.07.15
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昭和三十二年四月 近鉄四日市駅が完成一階南が改札口 北の一階と二階が東海ストア二階の南が食堂だった四日市の街が大きく変わることになる駅前に諏訪新道からオカダヤが移ってきたこうして現在の1番街が形成される駅前の舗装は出来てないぬかるみを大勢の人が押し寄せたそれは暗くなっても続いた
2008.07.13
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山路昭雄氏のホームページ「よっかいち写真の館」からお借りしました。諏訪新道の「港まつり」の様子です。伊勢湾台風までは、夏は「港まつり」秋は「四日市まつり」と分けられていました。それにしても七夕飾りの凄いこと。昭和30年代でしょうか? 壮観デス!
2008.07.10
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同じ日の神社前鳥居の風景。子どもの写真を撮っている。正面に見えるのが 吉田酒店 でアリマス
2008.07.08
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昭和30年7月 諏訪神社の鳥居に茅の輪が取り付けられた夏の暑さを健康で乗り切るため 毎年6月30日に行われる神事だ僧侶が忙しそうに横切る 四日市の旧市街は新盆で 7月13・14・15日がお盆にあたる子どもたちは やがて来る夏休みが待ちきれない
2008.07.06
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同じく諏訪新道水害の図ですミゼット走っております広告塔もはっきり見えます岡本総本店 家具を買うなら必ずこのお店へ出かけました
2008.06.28
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梅雨明け直前にやってくる豪雨中心商店街はその都度 浸水被害が出た昭和35年7月9日 諏訪新道は水浸しとなるいろんなものが流れてきたお袋は 喜ぶオイラに「汚いから触るんじゃない!」と注意していた広告塔とゴミ箱が見える広告塔は頭にスピーカーがついていた
2008.06.25
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10年ほど飛びます昭和四十二年七月 諏訪新道の七夕まつりの様子伊勢湾台風以来 秋のまつりがなくなり8月の港まつりが「大四日市まつり」となったと 記憶いたしております諏訪新道の七夕飾りは スバラシイものがざいました車止めになった道の両側には からくりの舞台がずらりと並んで毎年楽しみにしていました
2008.06.22
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昭和三十三年三月十五日公園を歩くのは アベックかと思いきや どうやら子どもらしいこうえんの北側から撮られた写真雨降る諏訪公園 辻さんの撮られた写真の意味がよく分からない
2008.06.21
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昭和33年7月24日現在の すわ公園交流館の西側 公園入り口あたりから 辻さんはカメラを向けました遠くに藤棚が望めます恥ずかしそうに走り抜けようとする女子学生さん中野小鳥店の看板が見えますロワジール四日市ホテルの道をおいて西に 中野小鳥屋さんがありました通学途中に前を通ると 叔父さんが店頭の水道を行き来して小鳥の水を変えていました懐かしい風景です
2008.06.18
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昭和三十三年七月二十四日 諏訪公園に建つ「市民壇」われわれの遊び場のひとつだった。舞台に立つと、気分が良くなる。一席演説をぶちたくなった。今日から夏休み。気分はウキウキ。この日は、野外映画館がはじまる。暗くなるのを待ちきれず、みんなで席を確保する。ニュース映画で始まり、チャンバラが多かったかな?秋葉さんでも野外映画を観た記憶がある。
2008.06.15
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昨日のことです。優ちゃんとサンシの前で会いました。私のブログがエロサイトの宝庫になっていますよ、とのご忠告。ずいぶん長い間お休みをいただいておりました。その間、いろんな書き込みがあって、ずいぶん賑やかになっていました。優ちゃん、ありがとうございました。整理をして再開でございます。昭和31年9月4日の諏訪公園。手前に見えるのが出店でございます。二軒あって、幼稚園から帰って10円もらい、ここでお菓子を買うのが楽しみでした。
2008.06.14
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昭和三十三年三月十五日今まで公園に向かっていましたが この写真は後ろを向いて南向きに撮られた写真近藤薬局の交差点から見た風景です左 今の神戸スタイルさんあたりに食堂の「のんきや」がありました突き当たりの踏切を越えて右に曲がると「諏訪駅」がありました
2008.04.27
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昭和30年代 映画黄金期のポスターを当店の横に展示した通りすがりの方が 懐かしそうに覗いてくれる東映の 一心太助 赤穂浪士 鞍馬天狗大映の 赤胴鈴之助 坂本九ちゃんなどが並ぶ場所は 表参道スワマエの中央 水谷仏具店南側 であります
2008.04.20
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前回 公園通りアーケード工事の日付が間違っていました正しくは 昭和三十三年十月十五日これでつじつまが合いますこの写真も 前回と同じ日に撮られたものです右に近藤薬局が見えますちょうど現在の神戸スタイルあたりから諏訪公園に向かって 辻さんがシャッターを押しました完全な通行止めにすることなく 工事は進められたはずです
2008.04.16
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昭和三十三年一月十五日 諏訪k公園南大通り(現在の公園通り)でのアーケード建設の様子辻さんのところに写真がなく コピーされたものを複写した記憶がある不鮮明なため申し訳ない前回の写真では まだアーケードが出来ている様子がない日にちが合わない どちらかの日時記載が間違っているアーケードは何時建てられたのだろう公園通りは通りが広いため 建設は大変だったと想像される台風で一度 アーケードが倒れたことを覚えている伊勢湾台風のときだったっか???
2008.04.15
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昭和三十三年三月十五日 現在の公園通り南から 諏訪公園に向かって撮られた写真左に竹屋さんが見える シキシマパンの看板正面が諏訪公園で 突き当たりに すわ公園交流館 が望める当時は図書館だった戦時中一時 病院だった市立病院は当時 現在のロワジールホテル四日市のところにあった先日の中部中学校同年会の役員会で 市立病院の裏 現在の三重銀行の場所に 結核の隔離病棟があったことを聞いた
2008.04.14
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昭和三十二年五月十三日 諏訪公園南側に並ぶ屋台夕闇迫る頃 五月の陽気にしては風が強く寒々とした風景だ開店準備を整え 一息ついた女性「雨が降らねば良いが」と西の空を見ている戦後の混乱期から立ち上がった女の たくましさを感じさせる写真だ
2008.04.12
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昭和三十二年二月 辻さんは諏訪公園南側に並ぶ屋台の様子を写真に撮った屋台は 諏訪公園南と北側 大正館前にも並んでいたスワパズルパーキング建設の際 屋台撤去に苦労されたことを 諏訪西振興組合の山本さんから聞かされたここの屋台撤去も ご尽力があったと想像される
2008.04.11
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前回の大橋さんの写真から 後ろを振り向いて西方向に撮られた辻さんの写真昭和三十三年三月十五日諏訪神社南の通りには 屋台が並びます
2008.04.09
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エキサイト四日市・バザール2008会場で、市制111周年を記念し、ブログでご紹介の「昭和30年代の諏訪栄の街」の写真展を開かせていただきました。80数枚の写真をパネルに貼り、三滝通りステージ前で公開したところ、予想を上回る好評をいただきました。ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。
2008.04.07
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前回の場所より 前方 東に進みます諏訪公園の南入り口あたりになりますか・・・エフエムよっかいちのタウン誌に 大橋哲也さんの撮られた「スワ神社南通り」の写真が掲載されていました後日 大橋さんに連絡を取ろうと思っています昭和40年代の頃通りが現在と比べてずいぶん狭く感じられますこのあと左の神社さんの土地である店の並びが建て替えられます手前の「れんさとん」の食堂 その向こうにある木造の店で サツマイモを揚げ砂糖を絡ませて黒ゴマをかけたポテトを販売していました
2008.04.02
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昭和三十二年五月十三日 諏訪公園の南通りを東向きに撮った写真。遠くに「スワ神社南通発展会」のアーチが見える。その左に公園のサルの檻が建つ。ここのサルは、脱走のたび麻酔銃で戻されていた。当時は、諏訪公園を背に屋台がずらりと並んでいた。右に麻生医院、性病科・皮膚科の看板がある。雨は止んだのか、夕刻、勤め帰りの二人が通る。
2008.04.01
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昭和32年5月の夜諏訪公園西側の通り。今のまっさんあたりを撮る。4月には売春禁止法が出された、にもかかわらずここは赤線の雰囲気が色濃く出ている。一階ではアンちゃんがチンチロリンに夢中だ。階下でおばさんに話をつけて2階へ上がると、小部屋が並んでいてナニが行なわれていた・・らしい。この並びに教会があって、南の築山から南方向に港楽園の建物・・・竜宮城の様に見えた・・が望めた。こっそり侵入しては遊ばせていただいた。諏訪公園西側が「春告園」西に「港楽園」の赤線地帯が広がっていた。その後、このあたり一帯は東海地区でも指折りの飲み屋街に発展する。30年ほど前になるが、渡瀬恒彦が映画のロケに来ておりました。
2008.03.29
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「こうらくえん」の字が間違っておりました。正しくは「港楽園」であります。昭和33年7月24日。辻さんが撮った写真。売春禁止法が施行されて1年以上経っているから、この女性はスナックの方々ということになる。昭和33年10月頃、ホッピングに代わり「フラフープ」が大流行。やりすぎると腸ねん転を起こすという風評が立ち、12月には下火となった。流行というものは恐ろしい。私、ホッピングもフラフープも買っていただいたことは記憶に残っている。よほど嬉しかったのだろう。今思えば、奇妙なものに熱中したものだ。フラフープは現在でも売られております。
2008.03.28
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昭和32年4月1日 売春禁止法が施行されたこの写真は 今のすずらん通りから西に突き当たったあたりになる後楽園と呼ばれていた地帯だ子供の野球に加わるお姉さん方 明るい雰囲気でありますこの年「ホッピング」が流行翌年の夏にはすでに下火となったこの後「フラフープ」が流行する
2008.03.26
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昭和32年2月2日。諏訪駅から西方面を望む。辻さんはこの場所から何枚も写真を撮っていた。辻写真館さんの話前回、ここは川村鉄工所の実験農場と記載したが、実験農場は、ジャスコA館跡地から中央通りあたりに広がっていたらしい。川村鉄工所は耕作機などの農業機械を手がけていて、機械の試験をするために農地を持っていたそうだ。したがって、諏訪駅跡地から西に広がる土地は、伊勢電鉄の引込み線や車庫があったところになる。写真の右に建つ堀田パーマや水谷食堂は、諏訪駅北口沿いに並んでいた。この奥が現在の2番街、通称「後楽園」で、赤線地帯の通りになっていた。
2008.03.23
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先日の諏訪駅跡地から西を見た写真そこから少し右方向を撮った写真がある昭和三十二年三月二日 パーマ堀田の店 映画の看板が並ぶそして水谷食堂 辻さんの説明では 川村鉄工所跡試験農場 とあった名古屋方面へ向かう線路がはずされただけでは広すぎるこのあたりは試験農場だったらしい何の目的で どんなものが作られていたのか辻さんに聞いてみるか
2008.03.21
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答は諏訪駅跡から西を見たところでございました
2008.03.20
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同じ景色 昭和32年2月11日雪が降ってきたこの広い通りを 右から左 左から右へと人が行きかうさて ここはどこでしょう
2008.03.19
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今日はクイズを出します「ここはどこでしょう?」ヒント時は 昭和32年2月方角は西向きに辻さんが撮りましたさて ここはどこでしょうか?コメントでお答え下さい正解の方には 景品が出ませんあしからず
2008.03.18
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昨日の写真から、方向を変えて南東に撮られた。現在は大阪屋さんが建つ。踏み切り跡を、朝の通勤の人が通る。三泗百貨店在庫一掃セールの看板の後ろには、歯磨きの親子の姿がある。だんご屋の親子だろうか。狭い通路の向こうに見える建物が「中川印刷」か。その向こうに「主婦の友」の看板があるから「白揚書房」だ。つづいて「田中産婦人科」「あかもん」「精養軒」と並び、諏訪劇場前に出る。線路跡は1番街の通りになって、文字通り県下一の商店街が形成されていく。
2008.03.17
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昭和三十二年二月。寒い朝。線路跡で親子が歯を磨いている。現在の1番街通り。パチンコホームランあたりから東方面を望む。前の石畳は、踏み切りの跡だ。線路を背に店が並び、その前に三泗百貨店があった。諏訪駅取り壊しを機に、スーパーサンシに生まれ変わる。今、閉店セールが行なわれている。「早ければ良い品が 山と積まれ オソクナルトダンダン 値段が安くなる参加売り場は、紳士用品・婦人用品・カバン・ハンドバック・洋陶器・人形・靴・アクセサリー・婦人服地・メリヤス肌着」一月二十九日から二日ごとに1割ずつ値引きされ、最終の二月七日には7割引となっている。「売り切れで、無いかも知れません ゴメンナサイ」と看板にある。昨夜降った冷たい雨は上がった。今日は一日曇り空。
2008.03.16
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昭和三十五年十二月二十日。辻さんはスワマーケット解体状況を写真に撮る。戦後すぐ建てられたスワマーケットは、小さな家の集合体だった。JR前の三和商店街が、同じような建て方だ。それぞれの店舗を通路でつなぎ、あたかも一軒のショッピングセンターのように屋根で囲う。作業中の屋根の下では、ボタン屋さんが営業中だ。新しい諏訪百貨店開店に向けて準備がすすむ。屋根の向こうに、白揚書房が見える、その向こうに建つのが草野洋服店だ。
2008.03.15
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昭和三十五年十二月二十日。同じ日、辻さんが撮った写真ではスワマーケットの解体が始まっていた。このボタン屋さんは、ぎりぎりまで営業を続けていた。たくさんの在庫。狭い店内には目いっぱい商品が積まれている。「お客さんがみえるから商売を続けさせていただいてるんですよ」そんな声が、お店の方から聞こえてきそうだ。通路にむけて電話が置いてある。来客にも使っていただけるようになっているのだろうか。活気がある。
2008.03.14
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昭和33年7月21日スワマーケット中にあった「なかむら」さんの店「なかむら」さんがマーケットのどの位置にあったのか記憶にない並ぶ商品は下駄がほとんど奥さんが何か作っている下駄の鼻緒は よく切れた上から紐を通して 裏側で結び目を作り金具を打つ直された覚えのある方もみえるはずだ
2008.03.11
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スワマーケット入り口に凌霜書房さんがある。右側から店内に入ったところの写真。通路右に「まつ屋」さん。アルバム・額縁のポップがみえるから、文房具屋さんだったのだろう。2階があるのか窓が覗く。スワマーケットはひとつの建物ではなく、たくさんの家屋の集合体だった。左側には「資生堂石鹸」の看板。化粧品や日用雑貨を扱っていたのか。ここに入った記憶ははっきりしない。西瓜の切り売りをしていた八百屋さんがあったような気がする。
2008.03.10
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昭和35年12月2日。スワマーケットの正面写真。取り壊しの話がすすんでいるのか、閉店の店が目立つ。大きく諏訪百貨店の文字が建物に書いてある。右の凌霜書房さんはすでに店を閉じている。建物両側に入り口が見えるが、スワマーケットはコの字型に通路があり、両側に店舗が並んでいた。中はどうなっていたのだろう?辻さんは内部の写真も撮ってみえた。
2008.03.09
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昭和二十年代の表参道スワマエです。カサキ前から南方向を見る。商工会議所に勤めてみえた山路昭雄さんからお借りしましたが、撮影者不詳です。夜の諏訪前。商店の明かりは煌々と灯る。アーケードは未完成。当時はほとんどの店が居住していて、夜の九時頃まで店を開けていた。交代で食事を済ませ、家族の団欒を楽しみながら店の番をした。家路に急ぐ自転車が通る。明日も寒い一日になるのだろうか。
2008.03.08
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昭和33年7月18日 シャッターを押す、辻さんの影が見える。スワマーケット前から、東方面の風景。明るい日差しの活気ある写真だ。右に、凌霜書房がある。左の諏訪駅はすでに撤去移転されている。
2008.03.07
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地球ゴマをご紹介した以上、日光写真を掲載しなくてはなりますまい。雑誌の付録にもありました。印画紙をネガと一緒に挟み、お日様に宛てて感光を待ちます。できた!と喜ぶのもつかの間、写真は真っ黒に・・・印画紙のヤレ紙(商品にならないくず紙)が出なくなり、昭和50年代に姿を消しました。串間努著「昭和レトロ商品博物館」より昭和レトロ商品博物館は、東京都青梅市住江町で開館されております。
2008.03.04
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地球ゴマで遊んだ方も居ると思う。諏訪神社の祭りで買った。香具師は、紐をかけコマを廻し、綱渡りをさせたり、コマの上にコマを乗せ、曲芸のようにして売っていた。これはインチキでもなんでもなく、ちゃんと遊ぶことが出来た。加藤朝次郎氏は、名古屋で時計を作っていた。時計の設備を使い、しかも簡単な設備で出来る地球コマを発案し、新たに商売を始める。明治11年生まれの朝次郎氏は、寅年だったので、大正10年「タイガー商会」を設立した。ちなみに、母親の名前を「コマ」といった。実話である。 串間努著「昭和レトロ商品博物館」より
2008.03.03
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一昨日の風景から東へづれます。昭和三十三年七月二十一日。同じ日の諏訪駅跡地の様子です。右から、諏訪劇場横へ抜ける路地、辻写真館さんの通りへ出る道ですが、スワ理容があります。焼きそばの柏屋、カメラの光映堂、らくだ洋服店、そして諏訪百貨店(スワマーケット)と並びます。木箱に腰をかけたおじいさんが休んでいます。当時の商品輸送には、木箱が多く使われました。魚も野菜もほとんどが木箱でした。それを壊して風呂の焚き付けに使いました。間に詰めてあった藁(わら)は、焚き火に燃やしたりしました。わらの燃えるにおい。サツマイモを入れて焼き芋にしました。寒い朝、焚き火に入れた石をハンカチに包み、暖を取りながら登校しました。学校で石を出すと、ハンカチは真っ黒に焦げていました。ありゃりゃ!
2008.03.02
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正面にひかりや洋装店の建物が立つ。前回掲載の写真、南向きの場所を、東側から撮った写真だ。昭和三十三年七月二十一日。前回と同じ日。暑い午後。その後夕立があった。スワマーケットの前で、辻さんは写真を撮った。スワマーケットでは、昭和三十九年九月十五日オープンの諏訪百貨店建設に向けて話し合いが進んでいる頃だ。あちこちにできた水溜り。その水溜りをまたいで男性が家路へ急ぐ。多分、新しく出来た近鉄四日市駅を降りた男性は、ジャスコの南を通って日野・八王子線沿いに諏訪駅跡地へ出たのだろう。お好み焼き・焼きそばの看板。氷ののぼりが見える。暑い一日が過ぎた夕刻。ほっとするひと時。
2008.03.01
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昭和三十三年七月二十一日。二年前ここで江田町が「歌のびっくり箱」のイベントを行なった場所だ。諏訪駅の跡地になる。物が散乱してずいぶん荒れている。正面にパチンコ屋が建つ。その向こうに大きく見えるのは諏訪劇場。左にはスワマーケットがあり営業中だ。右端に「ひかりや洋装店」の一部が覗く。旅に出かけるのか、旅行カバンを持った人が通り過ぎる。夏の日の午後。この後、夕立が来る。多分
2008.02.29
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もう一度諏訪駅跡地に戻りましょう。昭和三十一年八月三十日、夏の宵。駅が解体されて間もない頃、諏訪駅跡地で「歌のびっくり箱」「クイズ合戦」という催事が江田町主催で行なわれた。現キタオカさんの二階あたりから、辻さんはシャッターを切る。諏訪駅から西へ伸びる、三重交通 日野・八王子線あたりが江田町西部地域会と呼ばれ、江田町は現在の1番街を包括するほど広かった。正面パチンコ屋さんの路地を日野方面への線路沿いに入ると、オカダヤ東の通りを抜けて、近鉄四日市駅前へ出た。ステージ上には、万惚食堂のちょうちんが下がる。大勢の人が集まっている。最前列を陣取った子供たちがキャラメル欲しさに舞台へと群がる。家にテレビはない。お風呂までの時間を、暑さと退屈さで街へ飛び出す。
2008.02.27
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映画「張り込み」野村芳太郎監督に当時のサーカスの様子が出ていました。九州佐賀市。犯人に会うため出かけた女を、刑事が追います。途中、サーカス小屋の前を通ります。矢野サーカス。小屋の上では楽団が演奏してお客を呼びます。タ~ンタタタ~ンタタ~ン タタタ タ~ンタタン???祭りの前日になると、諏訪公園にも、こんなサーカス小屋が建ちました。当時の雰囲気がよく出ています。巨大な金属のおりの中で、オートバイが二台、回転しました。もちろん、花形は空中ブランコでありました。禿げた象はといえば、臭かった。木下サーカスにキグレサーカス。他にもありましたっけ?
2008.02.26
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