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1年前の日記を見ていると、1週間ははやかったなど、面接に落ちたなど、充実した生き方をしていいたいとなどとのた打ち回っている自分がいた。かわんねぇなぁ~・・・進歩してねぇ~(--;;といっても、確実にいえることは、一歳年を取っているということであり、時間を消化したということである。こんな人生もいいもんである。他人にとやかく言われるわけでもなく、自分の責任で自分らしくいきている。こんな人生を送りたかったのかもしれない。あとは、競馬で稼げて、女遊びして、楽しいそうなセミナーに出れて、すきな本を読み、楽しくなるDVDや映画を見れればいうことはないのではないだろうか。進歩がないというより、これが、本当にしたかったことなのかもしれない。楽して、楽しく生きられれば、それでいい。本当に??そんな人生が楽しいのだろうか?競馬で稼ぐには、あとどのようなことをしなければいけないのだろうか?女遊び?キャバクラなどにいっても、本当はこころの底から楽しくはない。ただ、自分が壊れたいと思うときはいい。壊れたときの自分は、私は見たことがない。話に聞くと、どうも人のことを罵り、罵声を浴びせたり、工事中の看板を持っていったり、赤信号を渡り、交通の邪魔をしたり、トイレに立てこもりでてこなくなったり、挙句に、ガードマンさんに外に出され、道路で眠って、タクシーに惹かれそうになったり、カラオケボックスの中で、走り回り、歌い、踊りまくり、コップは壊すは、いすは破壊するは、店の店員の女の子は、ナンパするは、めちゃくちゃらしい。。私は、みたことがない自分なんだけど。目撃者はそう証言している。最近は、やらない。せいぜい、カラオケで大きな声で歌うぐらいだろうか。ん?どこから、そんな話になってのだろう。本やDVDやセミナーは、自分の知性を磨きたいという欲望が自分の中に常にあるからかもしれない。で、一体何をしたいのかということは何にもないのだけれでも。自分のゴールがあれば、非常に役立つことになるのだけれども。私が、持っている自分への悶々なこころは、一体なんだろうか?最近、サラリーマンと呼ばれる人たちを見ると、どうも、話をしたくないなぁと感じてしまう。世の中には、いわゆるエリート街道というものを歩んでいる人たちもいると思うのだが、そのような人たちでも、いつかは朽ち果てる。会社という組織がなくなると、生きていくこともできなくなってしまう。何のために、生きているのだろう?彼らをみると、なんとなくそう感じてしまう。人は、成果・貢献を挙げることで、成長する。私は、どんな成果や貢献をしたいのだろうか?どんな分野で、したいのだろうか?会社とは何だろうか?生きるとは何だろうか?もっと、極めるような生き方をしていきたい。そのために、今の私の課題は、軍資金をどうするということにつきる。私は人に何をあげたいのだろうか?それを、どうやってキャッシュフローに変換するべきなのだろうか?昨日から、ネガティブというかブルーなことを書いているように思う。けれども、大多数の人は、目の前にある気を紛らわすことしかしていない。自分のゴールに向けて、毎日を生きているならば、くだらない事件はおきないのである。なぜなら、それは人のために貢献する。役立つことを目指しているからである。人は、自分が全く行動していないのにもかかわらず、成功している人を見ると、嫉妬するよな構造になっている。マネして、自分もあーあなりたいと感じる人はあまりいない。多くの人は、今の慣れきった生活に不満があるにもかかわらず、変化しようとはしない。自分自身も含めて。するべきことは、こうなるという決断をすることであり、どうして、そう決断したのか他人に説明できる理由が大事なのである。理由がないと、なかなか他人は納得しない。その理由に納得感をもつと、人は動いてくれやすい。ながながと書いているが、1年前の自分は1年前の自分である。1年後の自分に対して、1年後はすばらしい人生を送っていることを期待しよう。いや、必ずなっているのだ。ブログランキングへ登録しています。応援クリックお願いします。ブログランキングベスト10を目指しています。宜しくお願い致します。みなさん、「寄付」ってしたことありますか?ワンクリックで寄付を体験できます。まずは、下記をクリックしてみましょう。
2006.05.12
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