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新鶴丸機の導入の時、写真00005 まだ新しいのに壊れたものが多いシート posted by (C)たそがれの写真家クラスjのシートには、ボトルポケットが付いているのに、教えないものだから皆このポケットにボトルや紙コップを入れてしまうものだから、簡単に壊れてしまうんです。ボーイング787の導入の遅れのため、代わって入れられた767-300シリーズの国内線機材のクラスjに新しいシートを入れました。これは小糸製作所が作っていた前のクラスjのシートに問題があったため使用を停止し、またこれ以降に導入した737-800シリーズは、オールエコノミーとされていたため、導入されたシートで、1.最初から不自然にリクライニングされているため、食事がしづらかったり、前のシートからの圧迫感があった。1.座面の腰の位置が工作が不自然で、お尻が痛くなるため、枕とブランケットを背当てに使って対処せざるを得なかった。1.洋服掛けがフックからボタンに変更され、とても使いづらくなった。1.背面のポケットがお粗末なため、5/21に熊本行きにアサインされた機では、写真のように早くも変形していた。1.下につけられていた、スーツ抑えが無くなりだらしなく吊るすだけになった。1.下端の処理がとてもお粗末なので、早くも壊れている。などの欠点だらけのシートでした。今年から鳴り物入りで採用されたSKY NEXTなるシートですが、6/2 jal602便にsky nextでアサインされた737-800が、CAさんは座席間隔が広くなった新しいJALをと案内したのですが、私の座る15Aの間隔は前のまま、そして恐ろしいことにクラスjのシートは革に張り替えただけでした。つまり以前のシートで露呈した欠陥はそのままにしていたのです。写真00002 sky next のはずなのに皮を張りかえただけのシート posted by (C)たそがれの写真家こんな乗客だましはもう止めませんか?急ぐことは無いので、真摯にお客様と向き合いませんか?
2015年06月05日
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発見は約300年前とされる。アイヌの人々が利用していた。 大正3年に標津岳に入山した西村武重が温泉を発見し、6年がかりで温泉使用の許可を受けた後の大正9年、温泉旅館「養老園」を開業。しかし開湯当時は利用者がほとんどいなかったといわれる。昭和に入り標津原野が開拓されるに従い、湯治客が増加。昭和4年に根室町の坂本与平が「第一旅館」を、昭和5年(1930年)に小山卯作が「小山旅館」(現・ホテル養老牛)を開業。 しかし、戦争激化により、昭和20年までに西村・坂本の各旅館が廃業。戦後は、小山旅館と第一旅館が営業を続ける。 昭和32年に藤村敏一が「花山荘」を開業し、昭和40年に「養老牛青年の家」設立。時を前後して藤林テルが温泉旅館「藤屋」(現・旅館藤や)を開業。 昭和47年に長谷川松美が、「第一旅館」を「大一旅館」(現・湯宿だいいち)と改めて開業。 のち、湯宿だいいちが花山荘を買収、現在、養老牛温泉にはホテル養老牛・旅館藤や・湯宿だいいちの3つの宿があったが、平成26年(2014年)旅館藤やが経営者の健康上の理由から廃業し、平成28年10月現在宿泊施設はホテル養老牛と湯宿だいいちの2つになってしまった。アイヌ語の「エ・オロ・ウシ」(頭=山鼻がいつも水についているもの)、または「イ・オロ・ウシ」(それをいつも水に漬けているもの)が由来とされている。後者だとすれば、近隣のアイヌ民族の女性が繊維を作るため、シナノキやイラクサの皮を温泉水に漬けて柔らかくしていたことにちなんだものだろう。現在の正式な地名は「ようろううし」だが、地元周辺の人は「ようろうし」、「よろうし」等短縮して呼ぶ事もある。・・・wikipediaから現役時代、弟子屈に用があり朝早いため、前泊が必要で当時まだ古い木造旅館だった大一旅館に泊まったことがあるが、三の膳まであって驚いたことがあります。その割には料金が安くて。ただし何年だったか全面改装をして、ホテル大一となるに従い、設備は綺麗になったがその分料金も上がったので、群馬県太田時代女性役付き二人と停まってからは行っていない。その代りにと言っては失礼ですが、時間の関係で養老牛に泊まるようになった時、前回隣にホテル養老牛があったのを覚えていて、ここに泊まることにしたのですが、まさに川の脇にある露天風呂や家族経営による親しみやすさ、料理の多すぎずでもとてもおいしかったために、以降もここを定宿としています。ちなみに私が帯広に赴任していたとき、養老牛温泉は芸能人がお忍びでよく来る温泉と言われていたのですが、その後この温泉付近で、「釣りバカ日誌」の最終回のロケが行われ、打ち上げがホテル養老牛で行分けたり、宿舎として使われた陽らしいですよ。写真00189 国道243沿いに posted by (C)たそがれの写真家写真00226 ホテルの境に立つ桜 posted by (C)たそがれの写真家見えているのは、ホテル大一の駐車場 写真00241 ホテル養老牛の建物 posted by (C)たそがれの写真家見えている玄関とフロントは二階になり一階には大浴場・大広間・家族風呂などがある。 写真00245 地名はこの川からという説も posted by (C)たそがれの写真家写真00249 川べりのサクラ posted by (C)たそがれの写真家ホテル養老牛の露天風呂は松の木の後ろにありお風呂から川の様子も見れる。ただこのお風呂からは、「シマフクロウ」は見られない。 写真00255 養老園跡地 posted by (C)たそがれの写真家写真00258 養老園跡地で posted by (C)たそがれの写真家写真00281 養老園跡地で posted by (C)たそがれの写真家写真00292 養老園跡地で posted by (C)たそがれの写真家写真00304 「藤や」の跡にあるエゾヤマザクラを posted by (C)たそがれの写真家写真00311 エゾエンゴサク posted by (C)たそがれの写真家綺麗ですね!! 東北にもかなり咲いているのですが、こんなに色がきれいなものは見たことがありません。 写真00346 牧草地脇にある千島桜 posted by (C)たそがれの写真家写真00352 旧養老牛小学校の校地で posted by (C)たそがれの写真家写真00356 旧養老牛小学校にて posted by (C)たそがれの写真家校内には、とても大きくなったエゾヤマザクラの大木があるのですが、まだ一分咲きにも満たない状況でした。 写真00359 旧養老牛小学校の跡地で posted by (C)たそがれの写真家*ちなみに5/16の夕食のメニューは 1.ワラビのキムチ和え 1.ひじき煮 1.行者ニンニクの醤油漬け 1.標津産ホタテ/マグロ 羅臼産おひょうのお刺身 1.ウドの酢味噌 1.中標津ビーフのすき焼き(牛乳豆腐入り) 1.中標津産椎茸のチーズ焼き 1.母牛の初乳で作った牛乳豆腐のフライ 1.道内産マスのホイル焼き 1.クレソン/フキノトウ/コゴミ/行者ニンニクの天ぷら 1.知床チキンのロースト山わさびマヨソース 1.たくあん/フキの味噌漬け 1.お吸い物 1.中標津ヨーグルトでした。決して特別のメニューではありませんし、近くで取れる(実際朝採ってきたと言うものもいくつかある)ものを工夫して出されているので、とても味わい深く食べさせていただきました。 *桜追人 たそがれさんの桜通信 2017-43 まるで田舎に帰ったような心地のするホテルです
2017年05月20日
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2/13 上五島からの帰り福岡から搭乗したJALの320便、ボーイング777-200早く空港に到着すれば、ファーストクラスにアップグレード(ステータスでもらったもの)しようと思っていたが、一分の差で予定の特急が出てしまい、一時間後となったためそのままクラスJに。滑走路34からの離陸で、海ノ中道あたりから右旋回してなおも上昇を続け、39000フィートくらいまで上がったのではと思っていたら、紀伊半島の上空あたりで機長より39000フィートで順調に飛行中とのアナウンス。なぜこれが想像できるのかと言うと、景色が高ければ高いほど小さく見えるからであり、また同じルートを飛んでいるはずなのに、いつも見えている景色が見れなかったり、通常よりも遠くの景色が見えているからで、これは高校時代に習った「サイン・コサイン・タンジェント」で説明できる。つまり、約12,000メートルの高度とは、窓から12キロ以上離れた所の景色が見えているわけで、細かい物体を撮ろうとすると、往々にしてブレてしまう事にもつながる。普段は、吉野川が見えたりするのですが、このくらいの高さになると見えないし、鳴門海峡ももちろん、いつもリクエストされる、おれっちなんて窓の反対なので、見えるはずもないところ。226.強風波浪注意報の中、佐世保への高速船高速船とのうたい文句ですが、「ジブリ」の漫画に出てきそうな船ですね。座席も8席しかありませんし。228.むき出しのコックピット231.松浦鉄道の気動車232.博多までは特急「みどり」写真00239 耶馬溪ダム posted by (C)たそがれの写真家写真00241 平郡島上空を大分空港に降下しているANA機 posted by (C)たそがれの写真家写真00243 松山観光港に面している興居島 posted by (C)たそがれの写真家写真00244 松山市と松山城 posted by (C)たそがれの写真家写真00246 今治市 posted by (C)たそがれの写真家写真00248 来島海峡大橋 posted by (C)たそがれの写真家写真00255 淡路島東岸 posted by (C)たそがれの写真家写真00258 明石海峡大橋 posted by (C)たそがれの写真家写真00262 大阪城公園 posted by (C)たそがれの写真家写真00265 名古屋港と栄方面 posted by (C)たそがれの写真家写真00268 木曽御岳と乗鞍岳 posted by (C)たそがれの写真家写真00273 中央アルプス posted by (C)たそがれの写真家写真00275 甲斐駒ケ岳と諏訪湖 posted by (C)たそがれの写真家写真00280 南アルプスの山々 posted by (C)たそがれの写真家写真00283 中央アルプスと乗鞍 posted by (C)たそがれの写真家写真00293 伊豆半島沖の富士山 posted by (C)たそがれの写真家写真00312 雲の上に顔を出した箱根の山と富士山 posted by (C)たそがれの写真家相模湾、伊豆大島付近からの撮影です。富士山に西日が当たっているのが、とても良くわかります。後ろ両側に、左手が北岳、右手が甲斐駒ケ岳ですね。山音痴のたそがれさんですが、ようやくこのくらいは判るようになりました 撮影 2013年02月13日
2013年02月15日
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朝の日記ですが、箱根をはさんで、反対の地に位置するチャメお嬢様とhappy gayさんのお二人から、富士山は見えませんとコメントをいただいたのですが、あの傘雲の予言が当たってしまったようです。東海大学の帰り、R246を走ってきたのですが、黒い分厚い雲にのしかかられるように、晴天からトンネルに入ったような暗さに襲われました。ラジオによると、三多摩とか丹沢とかで雨が降り出したとか、この辺ももうすぐかな。と思っていたらマッサージが終わって、送金を兼ねて買い物に小田原に出て、帰ってくるときに雨が本格的に降り出してしまいました。そして私の被害ですが、東海大学の予約時間が11時だったため、45分ほどかかりますので、9時50分に家を出て小田原厚木バイパスに向かったのですが、小田原市内に向かう道路が混雑・渋滞していて、Uターンをして別な道を選んだりして、バイパスの入口まで行ったら、なんと全線で通行止め。またUターンして、東名高速を使って厚木から行ったのですが、途中小田原への国道255号は、車列が続いたままで、この列が東名高速の料金所を越えて、二キロくらいも渋滞していました。たまたまこの時は、海側を走っている西湘バイパスの下り線も通行止めだったので、伊豆・熱海・箱根・小田原に出るには東名から255を通るルート(1号線を走ることもできますが)しかなかったんですね。おかげで40分ほどロスをしてしまい、受付時間が15分遅れてしまいました。また帰りの国道246号も何故か渋滞が続き、時速10キロ以下の走行がやっとだったため、さすがのプリウスも瞬間燃費がなんと5キロ/リットルがやっと。さらに小田原での買い物の後国道255号を北上したのですが、ここも渋滞ばかりでした。246号も小山市内で通行止めだったんですね。普段、通行止めとはほとんど縁の無いところですから、変な所で台風の被害を受けてしまいました。さて、今回の絵は昨日新千歳空港で散策している時、AIR DOの飛行機がたまたま集まっているところを撮影していましたので、青組ではありますがアップして見ます。これらはボーイング737-500で、以前はANAさんの子会社でスーパードルヒィンとして活躍をしていた機です。丸く見えるのは、130乗りと小さな機体だからですね。AIR DO
2011年09月22日
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今回の長崎行き、二つ目の目的は素晴らしいと言われるハウステンボスのイルミネーション。前回行った時も夜のパレードはとても魅惑的なものでしたが、経営が変わってでも施設が変わったわけでもなく、確かにアトラクションが一部変わっていますが、全体的にはそれほどの変化は見られませんでした。と言うことは、前の会社は手抜きをしていたのかと言うとさすがにそこまでは言えませんし、多少でも民事再生により大幅に変わった某航空会社のように親方日の丸的な意識が支配していたんでしょうか。今度の会社は旅行業者の中でも安売りを求めてきた会社ですから、その意識の徹底を図ったのでしょうね。もちろん安売りして、お客様ががっかりして帰るのでは何もなりませんから、いかにコストを下げその資源をお客様に向けられるかと言うことなんでしょう。私は、いつも泊めていただく某航空会社系のホテルにと思いましたが、空室は無く英語で接待することをモットーとする代替わりのホテルのお世話になりましたが、もちろん日本語で十分ですし、ただ入場前のレセプションで荷物を預ける時、外人が扱うので名前はローマ字でと言われましたよ。写真00141 JR大村線のハウステンボス駅 posted by (C)たそがれの写真家長崎からは、佐世保行のシーサイドライナーと言う快速で行きました。旧国鉄塗装のキハ66で、青い専用塗装の列車もあるのですが、各駅停車の本数は少なく、快速主体の路線のようです。写真00143 ハウステンボスの入口・ウェルカムゲート posted by (C)たそがれの写真家写真00144 行った時は仮面舞踏会がテーマで posted by (C)たそがれの写真家写真00145 風車も昔の儘に posted by (C)たそがれの写真家写真00146 跳ね橋とアクションタウンの入口 posted by (C)たそがれの写真家写真00148 園内にはチューリップがいろいろと posted by (C)たそがれの写真家写真00180 ホテルオークラ・JRハウステンボス posted by (C)たそがれの写真家写真00183 オランダを思わせる風車とチューリップ posted by (C)たそがれの写真家写真00193 まずは腹ごしらえ・牛のモモステーキ posted by (C)たそがれの写真家写真00197 デ リーフデ号 posted by (C)たそがれの写真家観光丸は売却されて、長崎港のクルーズに写真00277 私の泊まったウォーターマークホテル posted by (C)たそがれの写真家写真00278 サウザンド・サニー号 posted by (C)たそがれの写真家写真00281 ドムトールン posted by (C)たそがれの写真家写真00282 アムステルダムガーデンの中央には posted by (C)たそがれの写真家写真00284 仮面舞踏会のダンサー posted by (C)たそがれの写真家写真00288 ハーバータウン posted by (C)たそがれの写真家写真00291 アムステルダム広場 posted by (C)たそがれの写真家写真00292 アトラクションタウン posted by (C)たそがれの写真家
2015年03月03日
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アフガンからの有力国の撤退は終わったようですね。ところが日本のアフガンの大使館員たちは、JAICA や日本のために働いてくれたアフガンなどの人たちを、置き去りにしていち早く逃げ去っていたようです。他の国の大使たちは、空港に残って自国と共に働いた同僚や家族のため、ビザの発行に当たっていたようです。その昔「杉浦千畝 大使」が本国からの帰国命令に反し、帰る所のないユダヤの難民たちにビザの発行をしていたのとは、あまりにも違いすぎます。こんな官僚たちですから、忖度は当たり前公文書の書き換え偽造なんて当たり前にできるんでしょうね。自民党総裁の選挙があるようですが、彼らはただの人形にすぎませんから、その人形を操作している官僚たちを全とっかえしないといけないんでしょうね。
2021年08月31日
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そんな大げさなものでは無いのですが、急に高山に行きたくなって、いつもの宿が朝食だけなので朝夕食べられる宿を探し出かけてみたんです。いつもの私なら小松まで飛んで、レンタカーで北陸道と東海北陸道を使って入ろうかなどと考えるのですが、今回はオーソドックスに高山線を使ってみることにしました。名古屋までは、小田原に停まる「ひかり」を利用、これが名古屋までは止まらないという優れもの。10時のひカリで11時には名古屋到着て、お弁当を買ったりして名古屋からは「特急ひだ」にこの列車は岐阜までは東海道線を走り、岐阜駅で走る方向を変え高山本に。と言うわけで、岐阜までは全席が後ろ向きに。IMGP3032 特急ひだ posted by (C)たそがれの写真家IMGP3037 笠松競馬場の厩舎 posted by (C)たそがれの写真家IMGP3039 名鉄とクロス posted by (C)たそがれの写真家IMGP3044 岐阜城 posted by (C)たそがれの写真家IMGP3053 飛騨川 posted by (C)たそがれの写真家高山で一泊し、翌日は「松本行き」の特急バスでIMGP3136 このバスで松本に posted by (C)たそがれの写真家IMGP3144 笠ヶ岳 posted by (C)たそがれの写真家IMGP3149 安房峠だけは高速道路 posted by (C)たそがれの写真家バスは一旦平湯温泉でトイレタイム、また戻りますIMGP3156 上高地への入り口・釜トンネル posted by (C)たそがれの写真家一般車がとおれないのはこ承知の通りIMGP3161 各所でこんな傷跡が posted by (C)たそがれの写真家IMGP3164 奈川戸ダム posted by (C)たそがれの写真家IMGP3168 梓川 posted by (C)たそがれの写真家
2021年10月30日
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