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Dog photography and Essay
広東汕頭潮州旅情
「汕頭旅情1」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
アモイは福建省の南側に位置し、汕頭は広東省の、
東側に位置していおり、距離にして250キロほど、
離れているに過ぎず、高速で2時間半ほどで着く。
朝6時にアモイを出発し、福建省と広東省の省境の、
サービスステーションでトイレ休憩をとった。
目的地へ着いた時刻は9時過ぎであった。
道路案内の看板には、広東省と福建省へと、
矢印で示されており、省境と言うこともうなずける。
先にトイレを済ませた後、10分間の休憩の間、
運転手に呼ばれるまで、辺りの撮影を続けていた。
撮影をしている間に脳裏をよぎった事柄は、
昔の中国のトイレ事情だった。
私が25年ほど前に中国へ旅行した折に、
良い感じがしなかった事柄は、
トイレのプライバシー侵害と道路事情だった。
道路と言えば、高速道路であっても、
工事中の箇所が多く、高速を降りて脇道を、
通ったら、舗装もしていなく車両の重みで道路が、
凸凹になっており、気分の悪くなる人もみられた。
先輩に聞いてみたところ、日本では50年前でも、
道路の極端な凸凹は見られなかったと言う。
トイレともなると、中国へ来る前にガイドブックで、
読んだにもかかわらず、思っていた事とまるで違っていた。
トイレには、隣りとの仕切りもなく、当然扉もなかった。
一度、腹の調子の悪い時に、用を足したくトイレに入った。
だが、ズボンを下ろそうとベルトを緩めたときに、
前の人が頑張っている姿を見ながら、尻から物が落ちるのを、
見たときに思わず後ろを振り返ると、やはり頑張っている。
私も後ろから見られるのかと思うと、腹の痛みも、
和らぎ用を足さなずにホテルへ着くまで我慢した。
これは、女子トイレも同じ作りだったが、中国人に聞いても、
それが当たり前なので、なんとも思わないようであった。
水は溝へ流れるが、前から水が流れ、自分の股の下を、
前の人の物が順に流れてくる光景は目を覆いたくなる。
写真の「?歸」と書かれた「母が子供を抱えた像」だが、
福建省から広東省へ、また広東省から福建省へと、
働きに来ている子どもたちも多く、帰りを待ち望むという、
意味の言葉が、母子像の下に書かれている。
「?歸」の「?」は望むという意味で、「歸」は、
帰りをとの意味になり、一つの標語なのだろう。
やはり中国でも母が子供を抱く姿は微笑ましい。
「汕頭旅情2」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
アモイより3時間ちょっとで汕頭へ着いた。
遼寧省瀋陽から広東省湛江を通り越し海南島への、
フェリー乗り場の海安まで高速で行けれる。
全長5千キロ以上で、日本が2つ入る長さの道路も、
今では舗装された幅の広い道路が続いており、
マカオで高速に入り汕頭までの単調な道であった。
ほとんど仮眠状態だったが無事に来れた。
単調な高速を降りて、市街地へと入った。
道路事情や車の性能も良くなったものの、
運転をする中国人のクラクションを、
鳴らし続ける癖は直らず、交差点辺りは煩い。
最近は少なくなったが、少し前は交差点の、
ど真ん中であっても、車から降りて、
つかみ合いの喧嘩をしており、それが始め二人が、
いつの間にか6人で殴り合いをしている事もあった。
目的地を間近にしてトイレ休憩で停車した所には、
24時間営業のスーパーがあった。
中国で24時間営業が広まりだしたのはコンビニの、
進出が大きく影響をしているが、まだ10年ほど前の事。
アメリカ資本のコンビニが中国大都市に出店し出したのが、
15年前の事で、私が生活していた広東省広州でも、
街角に海外資本のローソンなどが姿を現した。
現在の中国の繁華街では、200m間隔にコンビニがある。
勿論、内陸部の農村地帯には、その光景を見る事はない。
北京や上海、広州や深センなどの繁華街でのコンビニの、
進出はこの5年ほどで急成長したと言えよう。
写真は、目的地近くなので、港の風景であるが、船に、
コンテナを載せ終わったところで、クレーンが沢山、
設置されており、広東省東口の貿易港の一コマ。
これより第一目的地の清の康熙年間に沙汕頭砲台として、
造られた石砲台公園へ向け走り出した。
「汕頭旅情3」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
アモイよりバスに揺られること3時間余りで、
スワトウ刺繍でも知られる汕頭へ着いた。
最初の目的地であるアヘン戦争時代に、
造られたという石砲台である。
アモイの胡里山砲台とはまた違い、
小規模なコロシアムと言った感じだろうか。
入場ゲートを潜り中へと入っていったが、
石砲台前は、ちょっとした広場になっており、
ローラースケートなどできそうな感じがした。
200年は経っているのではと思われるが、
保存状態は、それほど崩れてなく良いと思った。
中国の皇帝の使う黄色の旗に龍の絵柄が、
描いてあり、3m間隔で立ててあり、
旗に目が行き、石砲台の影が薄かった。
写真は石砲台に入って行く前に、花越しに、
石砲台の一部を切り取ったが、花にピントを、
合わせた一枚と石砲台の壁にピントを合わせた。
堀の上に架かる鉄筋コンクリートで作られた橋を、
渡って石砲台の中へと入っていったが、
円形状に造られた石砲台の通気口の設備も、
考えて造られており中は息苦しくは感じなかった。
「汕頭旅情4」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
広東省汕頭市中心から海岸沿いに走ると、
清朝乾隆年間に造られた石砲台が見えてくる。
堀に架かる橋には清朝皇帝を象徴するかのような、
黄色の旗が橋の欄干の上に掲げられていた。
中国で、象徴する色は、貨幣を象徴する色の、
黄色であり、黄色は黄金の色でもある。
中国で、黄色といえば皇帝にのみ使用が、
許される特権的な色である。
中国文化の影響により朝鮮や台湾の王も、
黄色の服を着ており、深い黄色の服を、
正装として着用するようになった。
中国の僧やインドの僧も、黄色は仏教の、
僧の衣に使われる聖なる色とされている。
その反面、ポルノの事を「黄色」と言うなど、
中国語で「黄」のつく言葉には悪い意味の、
言葉に使われるようになって行った。
はじめ「黄色片」と中国人から言われても、
何の事かピンと来なかった事があるが、
どうして黄色片と呼ぶのか意味は分からない。
「汕頭旅情5」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
第一次アヘン戦争は1840年から2年半ほど続いた。
清国は国内に蔓延するアヘンに対し厳しく対処し、
アヘン密輸に対する取り締まりを行った。
1839年、イギリス商人が持つアヘン1400トンを、
没収し焼却処分しアヘン商人たちを港から退去させた。
39年11月、林則徐による貿易拒否の返答を口実に、
イギリス軍は戦火を開き、清国船団を壊滅させた。
イギリス議会では「麻薬の密輸拒否」の開戦理由に対し、
反発が強く、野党保守党(現自由党)は猛反対した。
理由としては、本国イギリスでも法律に触れるほどに、
人を害すアヘンの輸入を断られたと言って開戦するとは、
「こんな恥さらしな戦争はない」などと反対の声。
だが、清に出兵する予算案は賛成271票、反対262票の、
僅か9票差で承認されイギリス東洋艦隊を編成し派遣した。
イギリス艦隊は、広東省や福建省へは出撃せず天津沖に出現。
清国は急ぎ林則徐を解任しイギリスに対し弱腰になった。
「汕頭旅情6」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
アヘン戦争は第一次と第二次の2回勃発している。
1840年11月、イギリス艦隊は清政府に対して、
香港割譲などの要求を出すが清政府はこれを拒否した。
18411月、イギリス艦隊は攻撃を開始し虎門の戦いでは、
イギリス側は完全に制海権を握り、勝利を収めた。
1841年5月、広州に上陸したイギリス軍は略奪や、
暴行事件を起こして民衆の怒りを買っていた。
清国も手が出せず、周辺の一万余の民衆が決起し、
「平英団」を名乗り、イギリス軍を包囲して攻撃した。
天が味方したのか豪雨降り続き、イギリス軍は火器が、
使用できず、刀や矛で襲いかかる住民の攻撃に対して、
銃剣で防戦するも、英軍は全滅し何とか脱出した。
だが、兵器に優れたイギリス軍が勝利を収め1842年8月、
両国は南京条約に調印し、阿片戦争は事実上終結した。
清は多額の賠償金と香港の一部をイギリスに譲渡した。
また清は広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認めた。
イギリスと清との不平等条約に他の列強諸国も便乗し、
アメリカ合衆国やフランスとも条約などが結ばれた。
日本との戦争以前に、清国は煮え湯を飲まされたが、
まだこれは第一次アヘン戦争で、第二次では更に悲惨だった。
「汕頭旅情7」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
第二次アヘン戦争をアロー戦争と呼んでいる。
1857年~1860年にかけて清とイギリス軍や、
フランス連合軍との戦いが行われた。
アヘン戦争が終結したものの、イギリスとの戦いが、
続くという形で第二次アヘン戦争と呼ぶことも多い。
第一次アヘン戦争後、国内での反英運動により、
イギリスは期待した商業利益を上げれず、再び戦争を、
起こし条約の改正をとの意見が強くなってきた。
そんな折、絶好の口実ととなったのがアロー号事件である。
1856年10月、清の海上警察はイギリス船籍のアロー号に、
臨検を行い船員12名を拘束、うち3人を逮捕した。
イギリス船籍に対する清警察の臨検は不当であると主張し、
イギリスに対する侮辱であり、3人を釈放しろと抗議した。
だが清国は交渉に応じようとはせず事実上決裂した。
これが引き金となり第二次アヘン戦争が勃発してしまった。
今の尖閣諸島問題に似ているが、日本は直に釈放した。
イギリスと中国の衝突により第二次アヘン戦争が勃発した事は、
理解できるが、なぜフランス軍までが参戦したかというと、
フランスの宣教師が逮捕斬首された事を口実として出兵した。
戦争の引き金となるのは、いつの時代も戦争を起こしたいが、
きっかけがなく出来ずにいる。しかし、ちょっとした事が、
縁になり戦争につながっていることが多いようである。
だが、香港がイギリスより返還され、マカオもポルトガルより、
返還された今、中国政府は日本に強硬な態度で接している。
日本が侵略したのは歴史の通りだが、いくら中国共産党中央を、
守る為でも、歴史教科書の日本の侵略戦争に関する内容を、
毛沢東やトウ小平時代の教科書内容に戻してほしいと願う。
「汕頭旅情8」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
福建省で思い浮かべるのはウーロン茶である。
次に連れて行かれたのは、お茶の専門販売店。
だが、店の中を見渡しても烏龍茶コーナーは、
小さなスペースしか取っていなく、雲南省の、
お茶が所狭しと並んでおりおかしかった。
雲南省へ旅した折に購入したプーアル茶は、
紅茶味で砂糖を少々入れると美味しく飲めた。
普?茶をプーアル茶と読み、中国元代以後の明代に、
雲南が領有され、中国でも知られるようになった。
清代ではプーアル茶が雲南からの献上品に指定され、
朝廷で愛飲され、貴族たちにも多く愛飲された。
だが、文化大革命で、手間の掛る製造方法が、
文化大革命の大躍進主義に反すると否定された。
因って、多くのプーアル茶が香港、台湾に持ち出され、
現在では雲南のプーアル茶より台湾の方が知られる。
「汕頭旅情9」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
写真は、お茶販売店の裏庭に通されて撮影した。
中国で三千年の歴史のある苦丁茶はダイエット上手。
私は10年ほど前に苦丁茶を中国上海地元のスーパーで、
購入して半年ほど飲んだ事があり、その折に体重が、
普通に生活していて苦丁茶を飲み、3キロ痩せた。
だが、苦丁茶の苦さに着いていけれず飲む事をやめた。
その後、2ヶ月で元の体重に戻り3ヵ月後リバウンド。
そのリバウンドは止まらず、苦丁茶を飲み始めた頃より、
4キロも太ってしまった苦い経験がある。
最近、苦丁茶が健康に良いと静かなブームになっている。
苦丁茶は四川省で作られており、日本の商社が入って、
苦丁茶を輸入しているが、四川省の生産地では、
苦丁茶の値上がりにより、販売価格が値上がりした。
庭には殆どが鉢植えで育てられている「お茶の木」だった。
だが、庭の片隅の鉢には立派な「ザクロ」が置いてあった。
ザクロの実が、はじけるまでには少し間があるようだが、
なぜ、お茶の鉢の間にザクロの木があるのかと思った。
その答えは、ザクロ茶を作るための見本の鉢植えだという。
私はザクロ茶は初めて聞いた言葉だったので、店にある、
ザクロ茶を飲ませてもらったところ、甘酸っぱい感じだった。
ザクロ茶には女性ホルモンが多量に含まれているとのことで、
女性ホルモンのエストロゲンが作用することにより美肌や、
更年期障害、生理不順、冷え性などに効果があると言われたが、
私に当てはまるのは冷え症ぐらいかななどと思いながら飲んだ。
「汕頭旅情10」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
汕頭から50キロほど離れた所にある温泉へ向かった。
着いた先は、潮州市潮安にある?山湖温泉度假村。
今回の現地ツアーは、男の私と女性3人の4人と男女2人、
あとはガイド、運転手の合計8人であった。
温泉に行く事は、アモイのホテルを出発する時より、
知っていたが、水着持参という事を聞き逃してしまった。
また男女2人は温泉には入らないという事と、運転手と、
ガイドは控え室で待っているとの事で、私は男湯で、
3人の女性は当然の如く女湯ゲートに入っていった。
入浴料140元(2000円)を支払い中に入ったが、温泉で水着の、
着用が義務付けられているとも知らない私は久しぶりの温泉に、
素早く服を脱ぎ捨て、素っ裸になり中に入ろうとした。
係員が慌てて中に入ろうとする私を制止し早口で水着をと話す。
これから入ろうとする人がいて、その姿はロング海水パンツ。
タオルも何も持っていない私は思わず手で前を押えるのが、
やっとであり、何とも惨めな思いをしてしまった。
20元で水着を貸すと言われたものの、誰が穿いたか分からない、
水着を穿く気持ちになれず、支配人に付き添ってもらい、
お金を返してもらいに行ったが、なんとも情けなかった。
さらに控え室に居るという運転手とガイドを探して頂いたら、
男女2人もガイドたちと一緒にいたが、恥を忍んで訳を話し、
温泉の入浴はあきらめて、外回りの写真撮影をすると伝えた。
ガイドからは、温泉に入りますかって聞いた時、入るとの事で、
ホテルで聞いて水着を持参しているものと思っていましたよと、
申し訳なさそうに話すが、運転手は笑っていた。
その後、温泉の玄関前の駐車場での待ち合わせ時間を聞いた。
3時間後に落ち合いましょうとの事を言われ、運転手と一緒に、
車まで行き、カメラ取り出し一礼をして外へ向かった。
外に出て、何気なくシャッターを押しながらも、温泉の事が、
浮かんでは消えていったが、私も今までに水着を着て温泉に、
入るという事は聞いたことはあったが、私自身経験はなかった。
上海の高級サウナは勿論こと、街の銭湯でも水着を着けて、
入った事は一度もなかったし、日本では全く無かった。
確かに、プールでは水着を着けるのは当たり前でるが、
ある日本の温泉場の露天風呂では水着着用と聞いた事がある。
実際には、入った事もないし水着を着ての入浴にかんしては、
さっぱり感に欠けるのではないかと思ったりもした。
「汕頭旅情11」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
広東省汕頭から35キロほど車で行った所に、
東山湖温泉リゾートはあり、潮州市が管轄し、
中国でのAAAAクラスの観光スポットである。
2005年10月に東山湖温泉リゾートが、
オープンされて、福建省や広東省広州や、
深センからの観光客も多く賑わっている。
1400年以上前の隋代に潮州となった都市より、
20キロほど離れた所に2001年より、
開発され4年半の歳月を費やした。
マルコ・ポーロ旅行記によると、
800年前、南宋の首都の杭州に、
ヴェネチアから旅して来たマルコ・ポーロは、
一度に100人が入浴できる大きな浴場が、
多くあったと記している。
また大きな浴場には、召使が大勢控えており、
男女を問わず、客が入るとその沐浴の世話をし、
人々は、入浴する習慣がついているので、
体を洗ってより食事する習慣になったと記している。
私も中国各地を旅したり、出張に行ったりして、
大きな浴場にも入った事はあるが、現在では、
そのほとんどが、サウナとして利用されている。
中国の一般家庭や一般のマンションには、
浴槽は設置されておらず、シャワーのみである。
私は1万元ほどの費用で浴槽を設置して、
肩までお湯に浸かれるようにし癒していた。
「汕頭旅情12」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
広東省潮州と汕頭と掲陽三市の中心に、
東山湖温泉度假村があり、私は温泉で服を、
脱いだものの温泉には入らず、
温泉の外の風景を散策していた。
写真の植物は何という名だろうか?
インド原産の「デイゴ」という花だろうか?
まだ蕾だが、これから花が咲くのだろうか?
花の名前は、無知に近いほど知らない。
代表的な花の名前と花の姿は一致するが、
分からない方が多過ぎるが中々覚えられない。
上の写真は「ソテツ」であるが、日本には1200年前に、
中国より入って来たものということだった。
ソテツの種子や茎幹には、中毒作用を起こさせる成分が、
含まれており、嘔吐やケイレン、肝不全や腎不全、
最悪の場合は死亡に至るとのことであった。
私は、ソテツをまだ食べたことはなかったが、
小さいころに、毒キノコを間違って食べ、
2日間、嘔吐と発熱に悩まされたことがあった。
山へキノコ狩りに行って、麓でキノコを洗って、
焼肉を食べながらキノコを焼き食べた。
どうやら、その中に毒キノコが混ざっていたようだった。
そんなに多くは食べなかったが、私と同級生の、
Aくんも同じ症状で学校を2日間休んだようだった。
「汕頭旅情13」
「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。
東山湖温泉度假村の「度假村」の意味は、
日本語では「休暇村」と訳し保養地である。
景色や環境の良いところに、滞在型の、
バカンスを楽しめるように設置されている。
撮影を続けながらも、今夜の宿は、
久しぶりに豪華なリゾートホテルと思った。
だが、実際には車で40分ほど行った所の、
潮州の街の安宿に泊まることになった。
とにかく時間は2時間半と、たっぷりあるので、
このリゾート地の隅々まで見てみようと思った。
写真は、リゾートホテルの裏側に置かれた石像。
たくさんの石像を見ながら、一体どのように、
彫るのだろうかなどと思いながら歩いた。
学生時代、木の彫りものに興味があり、
長さ15センチ×8センチほどの木材を時間を掛け、
ノミや彫刻刀で彫ったが、顔の描写と手の表現が、
難しく3体とも未完成のままで終わってしまった。
石を彫るのはもっと難しいのだろうし、同じような、
表現に仕上げるためにはパソコンを導入して、
彫って行くのだろうかなどと思った。
今、湖南省永州市では秦の兵馬俑を超える規模の、
5千体の古代石像群が発見されたと発表されたが、
時間とお金があれば、見に行ってみたい。
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