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Dog photography and Essay
アモイ旅情2
「アモイ旅情18」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
写真の像の鄭成功は長崎県平戸で生まれ7才まで平戸で過ごす。
1631年、7歳の時に父の故郷である福建に連れて来られる。
鄭成功は1661年に台湾を占拠したが、彼自身の目標だった、
清朝を倒し明朝を復興させる「反清復明」を果たす事無く死去。
彼の死後、福建省でも台湾からも民族的英雄として描かれる。
船は、コロンス島に建つ鄭成功像の近くを航行し金門島へ。
船の中では退屈そうにしている人や居眠りをしている人など、
何もない単調な海上では仕方がないが、私は甲板の上に立ち、
薄っすらと霞んで見える金門島を見ていた。
間もなく金門島付近とのアナウンスがあり、私が甲板に上がり、
10分もしない内に、どんどん人が甲板に上がってきた。
船のエンジンが低速に落ちたと感じたとき、金門島へ着く手前、
300m付近でエンジンを停止させ、徐々に舵を切り方向転換。
カメラに望遠レンズを装着し素早くシャッターを連射したが、
300mの空間の霧で金門島は霞んで見えていた。
私は上の写真の「三民主義統一中国」のスローガンの撮影に必死で、
ふと他の人を見ると、霞んだ金門島をバックに記念撮影をしていた。
まだ30年ほど前まで、この海峡で大砲の打ち合いが続いていたとは、
想像していた光景とは違い、記念撮影場所に変わった台湾海峡に、
軍事衝突など起こりえない平和な台湾海峡を見る事が出来た。
「アモイ旅情19」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
アモイ市内のホテルをネットで予約をしておいたが、
厦門旅行社の女性ガイドとメールのやり取りで、
決めてあったのは、8日間のスケジュールのみだった。
アモイへ着いて私の予約したホテルの部屋へ入ってより、
ガイドより携帯に連絡が入ったが、ホテルはどのように、
予約を取ったのかとの電話の内容であった。
ホテルの予約は、ネットで調べて予約を取ってあり、
ネット銀行よりは振り込んでいないことを告げた。
さらに、ガイドより電話のあったホテルには2日分の、
ホテル宿泊料金を先に支払ってあることも告げたところ、
宿泊条件が良くないので、ガイドの方でホテルを、
用意するので暫く待ってくださいと電話は切れた。
10分ほど経ったころ、ガイドより連絡が入ったが、
フロントに代わって下さいと代わったが、福建の言葉で、
詳細な内容は分からないが、大きな声をあげていた。
フロントの女性から、何か話があるそうよと携帯電話を、
渡され、聞いてみると、ホテルを換わるように言われた。
電話は切らずに、2日間分のホテルの前払い宿泊料金は、
返してもらえるかどうか聞いたところ、キャンセルは、
出来るが、宿泊料金は全額頂きますと言われた。
ガイドが慌てて用意したホテルも当然宿泊料金が発生し、
ダブルで払うような、お人よしではないので既に2日分、
支払ったホテルに宿泊することにしガイドにまた電話した。
何ともドタバタ騒ぎで、ホテルのフロント嬢も気分悪そうな、
表情を浮かべていたが、何とも疲れてしまった状況だった。
ガイドと言っても、私を直接案内する女性ではなく、アモイの
旅行社の支店長補佐のような仕事をしていたが、このような、
状況に陥ってしまうとガイドに頼まずに、すべて自分の責任で、
手配した方が良かったとも思うが、何とも難しいところ。
写真は、ホテルの屋上からホテル付近の夜景を撮影した。
手持ちでスローシャッター撮影で画像は手ブレを起こしている。
写真に写っているフランス資本のスーパーカルフールへ、
買い物に行ったが、品数が多く何でも揃っていた。
「アモイ旅情20」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
最近のニュースでは、ノーベル化学賞で、
鈴木章さんと根岸英一さんが受賞し、
気の毒に思えるほどのインタビュー漬けである。
ノーベル平和賞で、最有力候補だった中国の、
劉暁波さんが受賞したと発表があった。
劉暁波さんと言えば、1989年の天安門事件から、
「08憲章」へ 中国民主化のための闘いと希望との
著書を発表寸前に逮捕される。
2008年、08憲章発表の直前に逮捕され、
国家政権転覆扇動罪で懲役11年の判決を受けた。
それまでも、民主化運動で、何度も逮捕されている。
世界からみれば、共産党独裁政権にある中国に於いて、
投獄中でありながらも民主化運動を続けてきた、
劉暁波さんのノーベル平和賞受賞は喜ばしい事である。
だが、中国政府に取っては、首脳陣失脚をも、
連想させる壮絶な事柄になってしまった。
ノーベル平和賞決定を報じたNHK海外テレビ放送の、
ニュース番組中、突然画面が真っ黒になった。
やはり、こんな事が中国国内の民主化活動家や、
国民が見れば、どのような事になるか恐れたのだろう。
天安門事件では、1万5千人?以上が射殺された・・。
中国人も南京大虐殺ほど多くは語らないが、
天安門事件も虐殺と同じではないかと思う。
写真はアモイ港近くの道路から街路樹や花を撮影した。
「アモイ旅情21」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
アモイ港からフェリーに乗ってコロンス島へ向かった。
フェリーといっても立ったままで、押し競饅頭状態。
港では「執勤」の赤い腕章をした人民解放軍の警備員が、
誘導しても誰も指示に従わないので困った様子だった。
中国語で「執勤」とは職務を執行するとか当直の意味。
フェリーは5分に1回のローテーションで出港していた。
アモイ港からコロンス島までは500mほどの距離しかなく、
通勤ラッシュほどの混みあいだったが、5分ほどで着いた。
フェリーの中では、すし詰め状態だったものの私が、
乗ったのは最初であり、窓越しに撮影が出来た。
フェリーより早い高速船やモーターボートが追い抜き、
次から次へとフェリーのすぐ近くを走り抜けて行った。
また海の深さを示すゲージの目盛りは4mを差していた。
軍艦などあまり大きな船は入って来れないのかも知れない。
コロンス島についての説明は次ページでしていきたい。
下の写真のバックに見える洋館造りの建物は、数十台の、
オルガンが展示されており、パイプオルガンもある。
「アモイ旅情22」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
8時にホテルを出てアモイ港へ着いたのが、
8時45分だったので、45分ほど掛かった計算。
アモイ港からコロンス島へはフェリーで5分間。
ホテルからアモイ港まで車で15分。所要時間は、
20分ほどで残りの25分は待ち時間ということになる。
朝8時という時間も手伝い思いの外、早く着いた。
写真は、コロンス島の港付近の高台より撮影。
下の写真は、コロンス島のコロンスの中国語で、
「鼓浪?(gu3lang4yu3)」読み方はグランユイ。
楽天ブログでは、中国語の簡体字は文字化けする。
ゆえに写真の港のビルに掲げた中国語違う。
鼓浪?の?の文字であるが、写真とは違う。
簡体字では文字化けするので、実際に書くと、
?(yu3)だが、文字化けというより「?」マーク。
鼓浪?の?の意味は、小さい島という意味である。
「アモイ旅情23」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
アモイ港から500mほど離れた所にあるコロンス島。
ガイドブックには、コロンス島は1.7平方キロと、
島を一周しても、6キロから7キロほどの広さでしかない。
またコロンス島では、ガソリン車やディーゼル車などの、
車の走行は禁止されており、電気自動車でも許可証を、
持っていないと走行が出来ないようになっている。
現在でこそエコロジーのエコにやさしい、環境保全を、
念頭においた物づくりが、当たり前のようになっている。
コロンス島では島を挙げて、環境保全の意識が高く、
ゴミなども、中国本土のように散乱はしていない。
私は、朝から午後4時過ぎまでの7時間ほどかけて、
のんびりと島の中を歩いてみて回った。
島には、中国本土に比べ猫が多いように感じた。
だからと言って、猫にえさ付けをしていると言うのではなく、
路地にも食べ物が産卵している光景は見受けられない。
写真は数え切れないほどの、赤いちょうちんが、
路地の3mほど上に吊り下げられていた。
みやげ物店の多さは、観光客がいかに多いかを察し出来る。
若い中国人女性の姿も向けられたが、熟年夫婦の姿や、
日本で言うところの婦人会のツアーも多く見られた。
「アモイ旅情24」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
コロンス島に着いてより、緩やかな上り坂を歩き、
アヘン戦争後に各国の領事館が広東省や福建省に、
作られたが、コロンス島にも多くの国の領事館があり、
女性ガイドの説明を聞きながら歩いた。
道なりに歩いて行くと「海天堂構」へ着いた。
現地ガイドと共に歩いてきたが暫しの間はぐれてしまった。
旅行の1ヶ月前から、アモイの旅行社のガイドと、
メールでコンタクトを取りながら決めたコースだった。
団体パックツアーではなく、ほとんどがフリーだったが、
ガイドをつけてもらい、ツアーの2割増しの料金で、
8日間の費用をネット銀行から振り込んであった。
8日間の中で私一人のためにガイドが着いた日が、
1日だけ私一人にガイドがついてくれた。
その他の日は、多くて8人、少なくて3人ほどで、
ガイドが1人ついて案内してくれた。
コロンス島へは、6人のグループに私は同行した。
私以外は皆さん中国の人で、福建省以外から来ていた。
昼食になり、ガイドが連れて行ってくれたレストランに、
入ったものの相席と言う事も出来ず、私一人でメニューを
見て注文しようと思ったが、最低で80元(1200円)だった。
人が込みだしたので、ウェイトレスに手を挙げて、
私は外で食べると言い置き、5人の旅行者に挨拶し外へ出た。
中国での一人旅で困ることの一つに、食事をする事だった。
中国料理の1品を頼むとボリュームがあり、1品だけでは、
なんとなく殺風景なので、あと1品とスープを注文すると、
スープだけで腹いっぱいになるほど大きな器に入っている。
野菜なども大きな皿に山盛りでほとんど残してしまう。
3・4人ほどで注文するとちょうど良い量である。
「アモイ旅情25」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
コロンス島の食堂街で昼食をとったが、ガイドに、
連れて行ってもらったレストランのメニューに、
書いてある高い価格を見て、私だけレストランを後に、
安いメニューのレストランの所に行った。
外で探したたレストランでは半額以下の価格で、
食べられ満足しながら、同行の旅行客が食事中の、
レストランへ入って探したが見つからなかった。
私が、外へ出て何軒かのレストランに入り安い所を、
探す時間に15分ほど掛かり、皆より遅れてしまった。
ガイドへ携帯から電話を入れた所、皆は買い物しているから、
貴方も買う物があれば1時間の自由行動にしますが、
あまり遠くへ行かないようにして下さいと電話は切れた。
食事前に皆で集まった時にも、私が外で食べるとガイドに、
伝えた時にも自由行動の事を話していなかったので、
食事中か食事終了後に皆に話したのだろうと思った。
昔、初めて中国にて1人食事をしたとき、メニューを見ても、
どんな料理なのか分からないので、4品とスープを頼んだが、
ウェイトレスから、これだけで良いですかと聞かれ、
少ないのかなと思い、あと1品注文すると、ウェイトレスは、
これくらいですねと言ってカウンターへ戻って行った。
暫くすると、テーブルに5品のおかず類とスープが並んだ。
私は、それを見ただけで腹一杯になったような錯覚に陥った。
照れ隠しに鞄へ入れてあった新聞を広げて顔を隠しながら、
その新聞の脇からおかずを箸でつまんでは、口に運んだ。
ウェイトレス達は、この人はこんなに注文して一体どうやって、
食べるのかと興味ありげに私のテーブルの周りに集まって、
来ており、中には可笑しいのか手で口を押さえている人までいた。
1皿の大きさは直径25センチほどあり5皿全部山盛りだった。
スープはと言えば、直径30センチほどあろうかと思うほど、
大きな器に並々のスープが入っており、小皿に取り飲んだが、
大き目のレンゲで何回となく、よそったものの中々減らなかった。
結局、ビールとスープで腹が膨れ5品のおかずは殆ど減らずに、
当時弁当が3元(45円)の時代に、240元(3850円)の勘定を払い、
その苦い経験が、その後の中国生活の中で大いに役に立った。
写真は土産物屋に並ぶ、いろいろな土産物類の画像である。
「アモイ旅情26」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
旅に出る前夜は中々寝付かれなく時間ばかりが、
どんどん過ぎて行き、いつも旅行当日は睡眠不足。
前夜に忘れ物はないかと考えてみるが、床についてから、
思い出すものの翌朝にバッグへ入れればよいと動かない。
特に冬の寒い夜は布団から出たくなく、そのままになり、
朝6時出発という事もあり、慌しく部屋を出て忘れてしまう。
今までに何回ともなく旅に出ているが、毎回持って行く物を、
同じようにチェックしているから自分でも、おかしくなる。
普段旅には三脚は重たいので持参しないが、今回の旅には、
一脚を持参したものの全てを自由行動にしないと少人数の、
現地ツアーでも決められた時間での行動には限界ある。
土産物屋では女性用の布袋を買い、その中に一脚を入れた。
肩から提げる布袋は定価60元(900円)を28元(420円)で買った。
写真は土産物屋の店先で売られていた操り人形だが、
福建省泉州や?州、広東省の潮州また台湾で人形劇として、
現代に伝わっており、布袋人形劇で使われる操り糸人形だ。
1750年ごろから布袋劇が巷に流行しており、人形の頭部や、
手足部は木製で出来ており、身体部は布製の衣服を着せた。
元々、手を人形衣装の中に入れて操作するが、操り糸を、
巧みに操り劇を演出して行ったが、布製の袋を使って、
劇をしていったので、布袋劇という名前がつけられた。
福建省?州は昔から、生活が不安定で、災難に見舞われ、
天を敬い巫女を尊ぶという風習が盛んであったので神秘的な、
人形劇が民間でひろく流行していた。
清朝や中華民国時代には、人形劇を演じる小屋も多くあり、
娯楽の少ない時代の中にあっても、相当盛況であった。
中国では人形劇に関する記述が非常に多く、紀元前900年頃、
西域の人形使いが王朝に芸人を連れて人形劇を行った。
福建省の泉州の指人形劇では、人形は手で直接操られる。
指で直接人形を操る方法も盛んに行われていたという。
長い歴史の中で人形芸術は次第に豊富になっていった。
またより完全なものを求めて、操作方法も多くなって行った。
現在においても、人形劇は各地で行われているが操作方法は、
場所や劇団により、糸で操る人形や手を入れて操る方法、また
棒で操る人形や指人形などと種類も多くなっている。
糸で操る人形は、全長30センチ前後のものが多く関節も動き、
そのため、関節など動く部分には、操るための糸がつけてある。
一つの人形に20本以上の糸がつき、すべての糸は操るための、
板に繋がれており、操る人は板をつかみながら、糸を操作する。
京劇の人形などの動きは複雑で操る糸の数も多くなっている。
「アモイ旅情27」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
アモイ港からフェリーで5・6分の所にあるコロンス島。
みやげ物屋さんが建ち並ぶ通りでは貝殻の首飾りや、
装飾品として多く売られていた。
風が吹くと吊るされた貝殻の打ち鳴らす音が響き、
さわやかな音が心を清々しくしてくれた。
通りには多くの貝殻が吊るされる店が連なり、
貝殻の鳴り響く光景がいつまでも続いていた。
アルバイト料が幾らなのかは分からないが、
海岸で貝殻を拾い、錐で穴を開けタコ糸で、
つなぎあわせるのも根気の要る仕事である。
貝殻をつなぎ合わせるのは島民の、
アルバイトでまかなわれているとのこと。
みやげ物屋さんの店の隅には、花売り娘たちの、
こけし人形が売られていたが、手に取って見ても、
手間が掛けられ作られていた。
だが現在では、写真のコケシのような花売り娘は、
ほとんど見ることが出来ない。
日本人形とは趣が違うが見ていても飽きない。
「アモイ旅情28」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
コロンス島のみやげ物屋さんの通りを歩くと、
同じようなみやげ物を売る店が並んで建っていた。
お茶を売る店や貝の飾り物や鞄や靴など、
同じように集まって商売をしていた。
その店の傍らに赤提灯が吊るされており、
赤提灯には大吉大利と書かれている。
大吉大利の意味は、万事好都合に運ぶ。
また赤提灯には、よく使われる万事如意の文字。
この意味も、万事が思い通りに運ぶとの意。
少し歩くと風車が売られており、時折吹く風に、
喜ぶかのように風車が音を立てて回っていた。
みやげ物屋で唯一買ったものが福建省のお茶。
下の写真のお茶は、ジャスミン茶類である。
茉莉花茶や牡丹秀球、龍珠王や七仙女など。
このお茶は、ブランデーグラスに丸めた珠を入れ、
お湯を注ぎ込むと、花のように徐々に開く。
ジャスミン茶の香りには、鎮静作用があり、
心のバランスを整えてくれ、気持ちを和らげる作用がある。
牡丹茶と呼ばれるものも、作り方は同じで、
緑茶や黄茶を何枚も束ねて牡丹の花のように、
作り上げたもので、ジャスミン茶よりも大きな花が開く。
だが、私が買ったお茶は、烏龍茶で上海に戻ってより、
烏龍茶を飲んだものの旅先で飲んだ香りの良い味はしなかった。
やはり、雰囲気とお茶の入れ方やお湯の温度なども、
関係しているのかとも思ったが、どのようにしても酷があり、
それでいて甘さの残るお茶の味は思い出の中に残った。
「アモイ旅情29」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
アモイ港から見えるコロンス島の150年のあゆみは、
アヘン戦争により1844年アモイにイギリス租界の開設を、
認めさせイギリス人が住むようになり領事館も出来る。
その後、国際管理地域となりドイツやアメリカまた、
旧日本政府などもコロンス島に領事館を建てて行った。
写真の旧日本領事館は1897年頃からコロンス島にある。
他の国の領事館は観光ホテルなどに改築されているが、
旧日本領事館誰も住んでいないような感じがした。
コロンス島の人口は1930年には外国人600人ほど中国人、
2万人ほどだったが、1937年蘆溝橋事件をきっかけに、
旧日本軍は次々と中国各地を占領していった。
1938年にアモイも占領されるとコロンス島の租界には、
多くの難民が殺到し「安全地帯」が治安の悪化をたどった。
旧日本軍も真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発すると、
コロンス島にも上陸してイギリス人やアメリカ人を、
拘束したが、1945年の敗戦の2年前に旧日本軍は、
共同租界を返還し消滅してしまった。
戦争前は、外人専用の居留地に、中国人は入れなかった。
当時の旧日本領事館に設置されていた監獄跡には、
「旧日本帝国主義厦門領事館警察署地下監獄」と、
書かれた石碑があったが、かなり重圧を感じた。
コロンス島の観光は中国人が全体の90%を占めており、
旧日本の生々しい石碑が、中国人の心を逆撫ぜしているようで、
心苦しく、反日思想が、ここを見て更に広がるのではと思った。
幸いなことに旧日本領事館は、少し奥まったところにあり、
興味ある中国人しか目に触れず、一般の中国人は、
知らずに通り過ぎて、中国人ガイドも触れなかった。
今、中国西安やその他の都市でも反日デモが激しく、
日本と関係のある運動具店や料理店などの破壊が続いている。
「アモイ旅情30」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
コロンス島で1900年ごろ建てられた各国の旧領事館脇の、
大通りを徒歩にて、目的地の「海天堂構」まで向かった。
旧領事館の洋館建ての傍らには清朝末期であるが、
西洋の照明灯が設置され、人が住んでいるのか、
吊るされた鉢に花が植えられていた。
コロンス島は1900年以後共同租界地に定められた。
各国の領事館や商社なども次々と建てられていった。
また学校や寺院が建設されていったが、現在は建築物が、
多く残る地域で観光化してホテルなどに変貌している。
また、歩きながら思った事は、どこの通りを見ても、
コロンス島には車の往来が極端に少ない。電気自動車でも、
コロンス自治区で許可された車しか走行禁止である。
今、中国では反日感情が露にデモにつながり破壊行為が続く。
中国中央政府の権力争いを、このデモにより中央指導部の、
失脚を狙ったものだと噂されているが嘘ではないようだ。
四川成都でのデモから西安など大きな都市でデモが続いた。
次の土日には、更に大きなデモを予定しているとか。
以前の北京や上海や広州での大掛かりなデモでも日本料理店が、
破壊されたことは記憶に新しいが、四川大地震で日本救援隊の、
功績などで日本人の心を知った筈の中国人だったが、
なぜ、デマメールに踊らされてしまうのか腹立たしい。
「アモイ旅情31」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
コロンス島の「海天堂構」の門の前に辿り着いた。
門を潜り中へ入ってより、振り返りまた門の外へ出た。
門の上に取り付けられた「守り瓦」のデザインを、
撮影したものの日本の鬼瓦とは趣きが違うようだ。
守り瓦の周りには「炎」がデザインされていた。
日本の瓦のような素焼き風ではなく、
石を彫ったような感じにみえた。
軒の彫刻も素晴らしく暫しの間眺めていた。
彫刻というと木材を彫ったようだが、
画像の門の軒は石のような感じだった。
門を潜り中へ入り、門の裏側を撮影した。
「鹿礁千頂」と書かれていたが意味は不明。
私が見つからないので、ガイドが呼びに来た。
ガイドと中に入り、門の方を振り向き撮影した。
ガイドより「5人の人が待っていますよ」と言われ、
先を急いだが「海天堂構」の正面を撮影した。
1921年に建てられた3棟の建物からなる別荘だったが、
10年前に2年の歳月を掛け修復工事を終えた海天堂構は、
フィリピンの華僑の人の所有だという。
「アモイ旅情32」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
コロンス島の「海天堂構」の中に入ると、
先に通されたのが人形劇の舞台がある大広間。
その「海天堂構」の
人形劇
その途中抜け出し、人形の保管してある所を、
ひとり見て回ったが、その後私を探すのに、
ガイドさんが相当苦労したようだった。
その人形が保管してある
人形たち
写真はガイドさんが苦労して私を探し出してくれ、
その後、2階の各部屋を見に行ったが、皆は、
帰った後だったので、私一人の為に照明を点けてくれた。
壁には中国の歴史上の人物の名前が書かれていた。
中国へ来た当時は、中国歴史上の人物のホームページを、
作るのに大変な思いをしていた時だった。
その中国歴史上の人物のページは下をクリックすれば、
見れるので時間・興味のある人は行って見て下さい。
楽天とエンコードが違うので、EUCに変更して下さい。
画面上のページ(P)→エンコード(G)→日本語(自動選択)
「中国歴史上の人物」
「中国歴史上の人物A~R」
「アモイ旅情33」
「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。
コロンス島の「海天堂構」では東洋と西洋の、
良いところを取り入れ、まとめた建物だった。
2階の観音像が安置してあるところでは、
観音像の高さに合わせて天井が高くしてあった。
7mほどあろうかと思うほど背丈の高い観音像。
手には航行の安全を願う舵を持ち海へ向かっていた。
観音というと男性なのだが、後ろ姿は女性で、
しとやかな仕草が観音像から伺えた。
隣りの部屋も見たいと言うと係りの人が案内してくれた。
ガイドは下に降りているからと私と係員だけだった。
写真の楽器は南曲に使われたもので、宋や元時代以降、
南方系の戯曲に用いられた曲調つまりメロディの総称。
中国の南方系の歌曲を主体とする演劇を、北方系の
北曲に対して南曲と呼んだものである。
元々南曲は浙江省の温州が発祥の地といわれる。
明日からの旅の写真は、アモイから250キロほど離れた、
広東省仙頭から潮州の方の写真を公開していきたい。
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