Dog photography and Essay

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「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-3



「満足しているようだと思っている」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



先帝の四十九日が終わって、七月になった。
殿上にお仕えしていた兵衛佐(ひょうえのすけ)は、まだ年も若く、
悩みなどありそうもなかったのに、親も妻も捨てて、比叡山に登って、
法師になってしまい、その妻がまた尼になったと聞く。



これまでも文通などしていた仲なので、
とてもかわいそうで意外だったからお見舞いをする。

おくやまの 思ひやりだに 悲しきに またあまぐもの かかるなになり
奥深い山に入られた兵衛佐さまのことを思うだけでも悲しいのに、
あなたまでが尼になってしまわれたとは。



姿は変わっても筆跡はそのままに、返事をくださった。

山深く 入りにし人も たづぬれど なほあまぐもの よそにこそなれ
山深く入った夫を追って尼になりましたけれど、
女では比叡山に登れなく、今でもやはり遠く隔たったままですとある。



とても悲しい思いだったが、中将になったとか三位になったなどと、
喜びが重なったあの人は、離れて住んでいては、いろいろと支障があり、
都合が悪いので、近くにふさわしい家を探し、私をそこに移らせて、
あの人も世間の人も、私が満足しているようだと思っているのだろうか。


「そこにあった色紙に和歌を書いて」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



十二月の末頃に、貞観殿さまがわたしの邸の西の対に宮中から、
退出して来られた。大晦日の日になって、追儺(ついな)をして、
災いを追い払おうというので、まだ昼のうちから、がさがさばたばたと、
騒ぐものだから、つい一人で笑ったりしてしてしまっていた。
貞観殿とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。



夜が明けて元旦になると、昼頃、お客さまの貞観殿さまのほうは、
年賀の男客など訪れてこないので、のどかである。

わたしも同じで、隣のあの人の邸の騒ぎを聞きながら、待たるるものは。
あらたまの 年たちかへる あしたより 待たるるものは 鶯の声
新しい年に改まった、その朝から、ひたすら待たれるのは鶯の鳴く声である。



元旦の朝の晴れ渡っているのは気持ちがいい。
大晦日の、それも除夜の鐘の音に向かって高まっていた世間の物音が、
この朝ばかり申し合わせをしたかのようにいっせいにひそまって明ける。

あの動から静への移り変わりが、何とも言えない快よさで迎えられるように、
青空の正月にもまた、その都度の新鮮さがある。まして、朝のうちに、
鶯の鳴き声を聞こうものなら、めでたさもひとしおに思われる。



などと言って笑っている時に、そばにいた侍女が、手慰みに、かいくりを、
糸でつないで贈物のようにして、木で作った下僕の人形の片足に、
こぶのついているのに担わせて、持ち出してきたのを引き寄せて、
そこにあった色紙に和歌を書いて端を人形のすねにはりつけ、
貞観殿さまにさし上げたが、その和歌は、、。


「片恋はどんなに辛いでしょう」

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かたこひや 来るしかるらむ やまがつの あふごなしとは 見えぬものから

片足が尰(こい)浮腫んだ状態になるのは、どんなにか苦しいでしょう。
山里の男なら朸(おうご)荷物を肩にかつぐ棒がないとは思えないのに、
お会いする機会がないとも思えないのに、片恋はどんなに辛いでしょう。



などと申し上げると、海藻の干したものを短く切ったのを束ねて、
天秤棒の先につけ、さきほどのかいくりの荷物と取り替えて担わせ、
細かったほうの先にも別のこぶをつけて、それも前よりも、
大きなこぶにしてお返しになった。朸(おうご)天秤棒のこと。



山賤の あふご待ちいでて くらぶれば こひまさりける かたもありけり

山里の者がやっと朸(おうご)を手に入れてみると、前よりもさらに、
尰(こい)こぶが増えています。やっと恋しい人に逢って比べてみますと、
あなたのおっしゃる片恋よりも、さらに勝っている恋もあるのです。



陽も高くなり、あちらではおせち料理などを召し上がっているようで、
こちらも同じようなことをして、十五日にも例年のごとく餅粥を食べたりで、
三月になった。餅粥(米・粟・黍・小豆など七種の穀類を煮たもの)

お客さまの貞観殿さま宛のあの人の手紙を、間違えて持って来てしまった。


「わたしが気にするはずはないのに」

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お客さまの貞観殿さま宛のあの人の手紙を、間違えて持って来た。
手紙を見ると、ありきたりの内容ではなく、近いうちに伺いたいと。

私ではないと思う人があなたの近くにいるかもしれないのでなどと。
ふだん親しくしているので、こんな事も平気で書くのだろうと思うと、
そのまま見過ごすことはできず、とても小さい字で書き留めた。



松山の さし越えてしも あらじ世を われによそへて 騒ぐ波かな

あの人がそちらへ伺っても、わたしが気にするはずはないのに、
じぶんが浮気者だから、よけいな気をまわしているのですねと書いて、
あちらのお方にお渡ししてと言って使いを返した。



ごらんになると、すぐにお返事がある。

松島の 風にしたがふ 波なれど 寄るかたにこそ たちまさりけれ
松島の波が風の吹く方向に打ち寄せるように、兄はあなたに心を、
寄せているから、わたし宛の手紙があなたのところに届いたのです。
なぜならば、わたし以上に思っているからでしょう。



この貞観殿さまは、東宮の親代わりとしてお仕えしていらっしゃるので、
翌日の夕方には、宮中に参内なさらなければならない。

このままお別れするのかしらなどと言われて、何度も少しの間だけでも、  
とおっしゃるので、宵の間に急ぎ参上された。


「朝起きた時には覚えてたはずの夢」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



ちょうどその時、わたしの住まいのほうで、あの人の声がするので、
ほら、ほら、などとおっしゃるが、聞かないでいると、

坊やの兼家が宵のうちから、眠たがっているように聞こえますから、
きっと、だだをこねられますよ。さあ、早くとおっしゃる。



乳母のわたしがいなくても大丈夫ですと言って、ぐずぐずしていると、
家の者が来て、貞観殿さまにしきりに催促申し上げるので、
のんびりもしていられず帰ったが翌日の夕方、貞観殿さまは参内された。

五月に、先帝の喪が終わって、喪服を脱ぐ除服のために貞観殿さまが、
退出なさるので、この前のように、わたしの所にということだった。



不吉な夢を見たなどと言って、あの人の邸に退出なさった。
その後も、しばしば悪い夢のお告げがあったので、夢たがえの方法でも、
あればいいのに、悪い夢を見た時、禍を避けるために祈った。

などと話されていたが、七月の月がとても明るい夜に、こう話された。



見し夢を ちがへわびぬる 秋の夜ぞ 寝がたきものと 思ひ知りぬる

朝起きた時に覚えたはずの夢の物語りをいつしか忘れてしまっている。
悪い夢の夢違えができないで、困っている秋の夜長が、どんなに、
寝苦しいものか身にしみてわかりました。この返事が届いた。


「私の方は、今は何も考えられない」

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亡くなった人が見える所へ近寄ってみると、すぐ消えてしまうそうだ。
遠くから見えるのに、近寄ると消える。どこの国だろうと思った。

「みみらくの島」と言うらしいと口々に話している。
それを聞くと、知りたくなり、悲しみのあまり、こんなことをつぶやく。



ありとだに よそにても見む 名にし負はば われに聞かせよ みみらくの島

せめて亡くなった母がいるというだけでも、遠くからでも見てみたい。
「みみらく」という名なら、どこに母がいるか聞かせてほしい。
みみらくの島よと言うのを、兄が聞いて、兄も泣きながら歌を詠んだ。



いづことか 音にのみ聞く みみらくの 島がくれにし 人を尋ねむ

話にだけきいている みみらくの島 その島に隠れてしまった母上を、
どこを目あてに探したらいいのだろう。



こうしている間にも、あの人は立ったまま見舞ったり、毎日使者を、
寄こしたりするけれど、わたしのほうは、今はなにも考えられない。

あの人は穢(けがれ)のために逢えないのでもどかしいこと、
心配していることなどを、煩わしいほど書き続けてくるけれど、
意識がはっきりしない頃だから、あまり覚えていない。


「虫の音の絶えない野辺となってしまった」

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あの人は心配している事を、自己満足の如く煩わしいほど書き続けてくる。
家にも急いで帰る気はしないけれど、思いどおりにはできないでいる。

皆が寺を出る日になった。ここに来た時は、わたしの膝に寄りかかって、
横になっていた母を、なんとか楽にしてあげたいと思っていた。



じぶんは汗だくになりながら、いくら病気が重くても治るはずと思っていた。
道中も治るものと微かに望みがあったが、あの時と違って今度は一人だった。

牛車に一人でとても楽に、あきれるほどゆったりと乗っていられる。
母の事を思うと道すがら悲しくてたまらない。車を降りて辺りを見渡してみた。



母と一緒に端近に出て、手入れをさせた草花なども、母が病気になってから、
そのままにしていたが、一面に生い茂って色とりどりに咲き乱れている。

その時の母の姿が目に浮かび、更にどうしてよいか分からない程悲しくなる。
特別の供養なども、皆がそれぞれ思い思いにしてくれるのでありがたい。



わたしはすることもなくただぼんやりと沈んでいるばかりしている。

ひとむら薄 虫の音 君が植えし ひとむら薄 虫の音の しげき野辺とも 
なりにけるかな。あなたが植えた一群の薄(すすき)は 今や生い茂って、
虫の音の絶えない野辺となってしまったとつぶやくばかり。


「私の心細さを気遣い頻繁に通ってくる」

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手ふれねど 花はさかりに なりにけり とどめおきける 露にかかりて

手入れもしないのに花は盛りになってしまった。
母がこの世に残していった恵みの露を受けてなどと心の中で思う。



身内には殿上に出仕する人もいないので、薄の穢を避ける必要がなく、
皆が一緒に喪に服すことにし、それぞれ部屋を仕切ったりして過ごしている。

わたしだけは悲しみの紛れることもなく、夜は念仏の声を聞き始める時から、
ずっと泣き続けて夜を明かし四十九日の法事は誰も欠けることなく家で行う。



あの人が大部分のことを取り仕切ってくれ、多くの人が弔問に訪れた。
わたしの供養の品として仏像を描かせたが、皆それぞれに引き上げて行った。

なおさらわたしの気持ちは心細さがつのって、いっそうどうしようもなく、
あの人はわたしの心細さを気づかって、以前よりは頻繁に通ってくる。



寺に行った時に取り散らかした物などを、何をすることもなく整理していた。
母が日常使っていた道具類や、また書きかけの手紙などを見ると、
母は息も絶えだえに筆を運ばせていた時に容態が悪くなったと思った。

母が臨終の時に僧の兄が袈裟を掛けて下さったが、その袈裟が出て来た。


「空の煙となって旅立たれるとは」

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僧侶が母へ掛けて頂いた袈裟は葬儀の折に他の所へ置いていたのだろう。
母が亡くなってより、ほかの物に紛れ込んでいたのを今偶然に見つけた。

この袈裟をお返ししなければと思い、まだ暗いうちから起きた。
筆を取り、この袈裟をなどと書き始めた途端に涙がこぼれ落ちてきた。



はちすばの 玉となるらむ むすぶにも 袖ぬれまさる けさの露かな

母は今頃極楽の蓮の葉の玉となっていることでしょう。今朝、袈裟の紐を、
結びながら悲しみをそそられ、私の袖は一層涙の露に濡れていますと書いた。



この袈裟を掛けて下さった僧の兄も法師だったので、祈祷などして頂いた。
とても頼りにしていたが、急に亡くなったと聞いて心が乱れた。

この弟君の気持ちはどんなだろう。わたしもほんとうに残念でならない。
わたしが頼りにしている人ばかりがこんなことになってしまう。



この兄君は事情があって、雲林院(うりんいん)にお仕えしていた人である。
四十九日などが終わってから、こんな歌を送った。

思ひきや 雲の林を うちすてて 空のけぶりに たたむものとは
思ってもいない事でした。兄君が雲林院をあとに、空の煙となって、
あの世に旅立たれるとは、私は侘びしいばかりで野でも山でも彷徨いたい。


「喪服を着た時よりも悲しみがつのる」

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母が亡くなってより、心細いながら秋冬も過ごした。
同じ屋根の下には、兄が一人と叔母にあたる人が一緒に住んでいる。

叔母を親のように思っているが、やはり母の生きていた昔を恋しく思う。
泣きながら日々を過ごし、年が改まり、瞬く間に春夏も過ぎてしまった。



一周忌の法事をすることになって、母が息をひきとったあの山寺で行う。
あの時の事などを思い出すと、ますます胸がしめつけられ悲しくてならない。

導師が、お集まりの皆さまは、ただ単に秋の山を見に来られたのではなく、
故人が亡くなった所で、経義を悟るためにお越しになったのですという。



導師の言葉を聞いてるだけで、意識が朦朧としてくるだけで、
その後のことなどは上の空で何もわからなくなっていた。

決まりの法事が終わって帰って来て喪服を脱いだが、鈍色の物は、
喪服から扇にいたるまでお祓いなどをする時に和歌を詠む。



藤衣 流す涙の 川水は きしにもまさる ものにぞありける

喪服を川に流してお祓いすると、それを着た時よりも悲しみがつのる。
流れる涙によって川水は岸にあふれる思うとさらに涙があふれる。


「心細いなどという言葉では表しきれない」

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命日がすんで、例のごとくすることもなく、弾くというほどではないが、
琴の塵をはらってかき鳴らしたりなどしながら思いを巡らせていた。

もう喪はあけたというのに、何故こんなに寂しくはかないとはと思う。



いまはとて 弾きいづる琴の 音をきけば うちかえしても なほぞ悲しき

今はもう喪があけたと弾きはじめた琴の音を聞くと、昔のことが、
思い出されて、いっそう悲しくなりますとあり、特別なことが、
書いてあるわけではないが、母のことを思うと、なおさら泣けてくる。



なき人は おとづれもせで 琴の緒を 絶ちし月日ぞ かへりきにける

亡くなった母はもう帰って来ないで、わたしが琴の緒を絶った日の、
母の命日が再びめぐってきた。



こうしている間に、大勢の兄弟姉妹の中でも頼りにしている姉が、
母の喪があけてから遠い夫の赴任国に行かなければならなかった。

夏までにはと延ばしていたので、近々出発することになった。
姉との別れを思うと、心細いなどという言葉では表しきれない。


「夜空を見上げると月がとても美しい」

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いよいよ姉が夫の赴任先へ出発という日、姉の家に行って会う。
裝束を一組ばかりと身の回りの品などを硯箱一揃いに入れて行った。

姉の家はひどく取り込んでいて騒がしかったが、わたしも旅立つ姉も、
目も合わせないで、ただ向い合ったまま涙にくれていた。



まわりの者が一同に、どうしてそんなに泣かれるのですかと聞いてくる。
そして、我慢してください。旅立ちに涙は不吉ですなどと言う。

今からこんな事では、牛車に乗るのを見届けるのも、どんなに辛いだろうと、
思っていると、姉から早く入ってと言ってきたので、車を寄せて乗った。



その時、旅立つ姉は二藍の小袿(こうちぎ)を着ていて、後に残るわたしは、
薄物の赤朽葉色(あかくちばいろ)の小袿を着ていたが、お互いに脱いで、
交換して別れたが、それは九月十日過ぎのことである。



家に戻ってからも、あの人が、どうしてそんなに泣く。縁起でもないと、
非難するほど、ひどく泣けてならなかったが、今日には関山辺りかと思う。

夜空を見上げると月がとても美しいので、眺めながら物思いにふけっていた。
叔母もまだ起きていて、琴を弾く手を止め、涙に濡れてますと言ってきた。


「泣かれるとよけいに苦しくなる」

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ひきとむる ものとはなしに 逢坂の 関のくちめの 音にぞそほつる 

逢坂の関が人を引き止められないように、わたしも姪を引き止められなくて
ただ琴を弾いて涙に濡れています。

この叔母も、わたしと同じように姉のことを心配する人なのだと思った。



思ひやる 逢坂山の 関の音は 聞くにも袖ぞ くちめつきぬる

今頃は逢坂の関を越えているだろうと思いながら、
弾かれる琴を聞いていると、涙で袖が朽ちてしまいそうです。

などと姉のことを思っているうちに、年も改まり初春を迎えた。



三月頃、あの人はわたしの所に来ていた時に苦しみだした。
どうしようもなく苦しんで、もがいているのを見て大変な事になったと思う。

言う事といえば、ここにずっといたいけれど、何をするにしても、
なにかと不都合だから、邸に帰ろうと思うが、薄情だと思わないでくれ。



急に余命いくばくもないような気がして、とても辛い。わたしが死んでも、
思い出してもらえるようなことを何一つしてないのが、ほんとうに悲しい。

などと言って泣くのを見ると、わたしも意識が朦朧として、またひどく、
泣いてしまうので、泣かないで。泣かれるとよけいに苦しくなると言う。


「病状はますます悪くなってきた」

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あの人は、何より辛いのは、思いがけない時に、こんな別れをする事だ。
わたしが死んだらどうなさるのだろう、きっと独り身ではないね。

そうなったとしても、わたしの喪中には再婚しないでほしい。
たとえ死ななくても、会うのはこれっきりだと思う。



生きていても、この体ではここへ来られない。私がしっかりしてさえいれば、
どんなことをしても邸に来ていただきたいと思うけれど、このまま、
死んでしまったら、これがお会いできる最後になるだろう。

そんなことを、横になったまま、しみじみと話して泣いている。



侍女を呼び寄せて、私がこの人をどんなに大切に思っているかわかるだろう。
こうして死んだら、二度と会うことができないと思うと、たまらなく辛い。

などと言うと、皆泣いてしまう。わたしはなおさらなにも言えず、
ただ泣くばかりで、こうしているうちに、病状はますます悪くなってきた。



牛車を寄せて乗ろうとして、抱き起こされ、人に寄りかかってやっと乗る。
こちらを振り返り、わたしをじっと見て、ひどく辛そうである。

わたしのせつなさは言うまでもないが、兄が、何故そんなに泣くのです。
縁起でもない。たいしたことはないでしょう。早くお乗りくださいと言う。


「あの人の病状が心配でならない」

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何故そんなに泣くのかと言った兄も乗って、抱きかかえて行ってしまった。
心配でならない私の気持ちは言いようがない。一日に何度も手紙を送る。

わたしのことを憎いと思う人がいるだろうと思うけれど、仕方がない。
返事は、侍女に代筆させて自分で返事ができないのが辛いと書いてある。



あの時よりもっと容態が悪くなっていると聞くと、あの人が言ったように、
私自身が看病する事もできなくどうすればと嘆いている内に十日以上経った。

読経や加持祈祷などして、いくらかよくなったようで、思っていたとおり、
あの人自身からの返事があり本当にどうしてなのか、病気がよくならない。



すでに何日も過ぎたが、こんなに苦しんだことは今までなかったせいか、
あなたのことが心配でなどと、人のいない隙をみて、こまごまと書いてある。

気分がよくなってきたから、公然というわけにはいかないが、夜に来なさい。
会わないで何日も経ったからなどと書かれてあったが人はどう思うだろう。



わたしの方もまた、あの人の病状が心配でならないし、折り返し、
同じことばかり言ってくるので急ぎ、牛車を寄こして下さいと伝えた。

牛車に乗り行ってみると、寝殿から離れた渡り廊下のほうに、
とてもきれいな部屋を用意して、あの人は端近の所で横になって待っていた。


「しとみ戸-風雨や寒さを防ぐもの」

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(通過した電車を目で追っている)

灯していた提灯を消させて車から降りると、辺りは真っ暗で、
入り口もわからないでいると、どうしたの、ここだよと言って手をとる。

ここへ来るのに、どうしてこんなに時間かかったのと言って、
最近の様子をぽつりぽつりと話しだしたが、しばらくしてより、こう言う。



灯りをつけて。真っ暗だ。あなたはなにも心配することはないと言って、
屏風の後ろに、ほのかに灯りをともした。

まだ精進落としの魚なども食べないで、今夜あなたがいらっしゃったら、
一緒にと思って用意してある。さあ、ここへなどと言って、お膳を運ばせた。



少し食べたりしていると、以前から祈祷の僧たちが控えていて、
夜が更けてから、加持祈祷の護身の修法にと部屋に入って来たので、

もうお休みください。いつもより少し楽になりましたと言うと、僧たちは、
そのようにお見受けしますと言って、出て行った。



(列車が去った方向から見ると残念そうな表情)

夜が明けたので、侍女をお呼びくださいと言うと、まだ暗だろうから、
もうしばらくここでと言ってるうちに東の空が明るくなってきた。

召使いたちを呼んで、寒さを防ぐ、しとみ戸を上げさせて外を眺めた。
庭に植えてある草花が、はっきり見える程明るくなり帰りを急いだ。


「何度も何度も振り返ってしまう」

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庭に植えてある花の周りの草が日の出の陽の光に照らされ目立った。
早く帰宅しようと帰りを急いでいると粥など食べてからと言われた。

帰る頃に、あの人が私も一緒に行こう。またここへ来るのは嫌でしょう。
などと言うので、こうして伺っただけでも、人がどう言うのか心配。



あなたをお迎えに来たと思われたら、とても嫌ですと言うと、
あの人は、それではしかたがない。車を寄せるようにと男たちに言った。

牛車を寄せると、あの人は乗る所までなんとか歩きながら出てきた。
しみじみと愛しく見ながら、お出かけは、いつになるでしょうかと思った。



涙を浮かべていると、あの人は、心配なので、明後日には伺うと言う。
あの人は、ひどく物足りない、寂しそうな様子である。

車を少し外に引き出して、牛を車につけている時に、簾越しに見ると、
あの人は元の所に戻り、こちらを見て、寂しそうにしている。



そんな様子を見ながら車が出ると、わたしは思わず、何度も何度も、
振り返ってしまう。そして、昼ごろ、あの人から手紙が届いた。

かぎりかと 思ひつつ来し ほどよりも なかなかなるは 詫しかりけり
もうあなたに逢うのも最後かと思ってここへ戻ってきたが、
あの時より、今日の別れのほうがかえって辛く感じたとある。


「今日こそはっきり見てとれました」

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あの人は、まだとても苦しそうにしていたので、今もとても心配で。

われもさぞ のどけきとこの うらならで かへる波路は あやしかりけり
わたしも心のどかに床の中で過ごすこともできないで、
帰る道すがら 不思議なほどせつなくなってしまった。



そして、あの人は、まだ苦しそうだったが、我慢して二、三日経って見えた。
こうして徐々に健康を取り戻すと、いつものように間をおいて通って来る。

その頃は、四月で、賀茂の祭りを見物に出かけると、あの人も来ていた。
あの人のようだと思い、向かい側に車をとめた。



行列を待っている間、手持ち無沙汰だったこともあり、
橘(たちばな)の実があったので、葵を添えて詠んだ。

あふひとか 聞けどもよそに たちばなの(五七五)
今日は葵祭で 人と逢う日と聞いていますのに、
あなたは知らない顔でお立ちになっていてと言い、やや時が経ってから、



きみがつらさを 今日こそは見れ(七七)
あなたの薄情さが今日こそはっきり見てとれましたと返してきた。

短連歌〔たんれんが〕という文芸があり、二人で五七五と七七、
あるいは、七七と五七五を詠んでやり取りをする面白い文芸がある。
格調の高い、雅な世界を追求するのではなく、発想のおもしろさや、
突っ込みの鋭さ、頭の回転のはやさを楽しんだ文芸でもある。


「はじめから見せるつもりだった」

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あなたの薄情さが「今日」こそはっきり見てとれましたと返してきた。
何年もずっと憎いと思ってきたはずなのに、どうして「今日」と限って、
言ってしまったのでしょうと言う侍女もいる。

あの人は自分の言ったことをひどくおもしろがっている。



今年は五月五日の端午(たんご)の節会(せちえ)が催されることにと、
世間では大騒ぎである。なんとかして見たいと思うが、見物の席がない。

見たいと思うならと以前あの人が言ったのを聞いていたので、
双六を打とうと言った時、見物席を賭けにして勝負したことがある。



わたしがよい目を出して勝ったので喜んで見物の準備をしていた。
夜中の、人が寝静まった頃、硯を引き寄せて、すさび(勢いに任せ)書いた。

あやめ草 おひにし数を かぞへつつ 引くや五月の せちに待たるる
沼に生えた菖蒲の数をかぞえながら、その根を引く、
節会がひたすら待たれますと書いてさし出すと、あの人は笑って、



隠れ沼に おふる数をば 誰か知る あやめ知らずも 待たるなるかな
人目につかない沼に生えている菖蒲の数は誰にもわからないように、
見物の席もどうなるかわからないのに、無性に待ち遠しいのだねと言う。

はじめから見せるつもりだったので、宮さまの見物席と一続きで、
二間あった席を仕切って、立派に整えて、見物させてくれた。


「怒って出て行く事になった」

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人から見れば仲の良い夫婦として、私たちの結婚生活は12年が過ぎた。
だが、本当のところは、明けても暮れても、世間普通の夫婦ではない。

そんな事を嘆きつつ、尽きない物思いをしながら暮らしているのだった。
私の境遇と言えば、夜になっても、あの人が訪れて来ない時が多い。



人が少なく心細く、頼りにしている父は、10年あまり、受領として、
地方まわりばかりで、時々京にいる時も、四条、五条あたりに住んでいた。

私の家は左近の馬場の片側に隣接していたので、父の家からはとても遠い。
心細く暮らしている家も、修理や世話してくれる人もいないから、
ひどく荒れていくばかりである。



この家にあの人が出入りしていても、私が心細い思いをしているなどとは、
深く考えたりしないからだろうなどと、さまざまに思い乱れる。

公務で忙しいと言うなんて、まるでこの荒れた家の蓬(よもぎ)よりも、
仕事がたくさんあるみたいと物思いに沈んでいるうちに八月頃になった。



穏やかに暮らしていたある日、ちょっとしたことで言い合ったすえに、
私もあの人も酷い事を言ってしまい、あの人が怒って出て行く事になった。

あの人が縁側の外側の端の方に出て子どもを呼んで、もう来ないと出て行く。
子どもが入って来て大声をあげて泣くので一体どうしたのと子供に尋ねた。


「はらはらする不安な時ばかり」

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子供は返事もしないので、きっとあの人が酷いことを言ったのだろう。
侍女たちに聞かれるのも嫌だし、みっともないから、尋ねるのはやめた。

子供をなだめるが、あの人は六日ばかり過ぎても、なんの連絡もない。
今までになく長い間来ないので、意地でも来ないようでどうかしてる。



わたしは冗談だとばかり思っていたのに、でも私達は頼りない仲だから、
このまま終わってしまうかもしれないと思うと、心細く不安になった。

物思いに沈んで、あの人が出て行った日に使った泔坏の水が目に入った。
泔坏(ゆするつき)の水とは、髪をすくために用いた水を入れる器のこと。



その水面に塵(ちり)が浮いているのを見て、こんなになるまでとあきれて、

絶えぬるか 影だにあらば 問ふべきを かたみの水は 水草ゐにけり

二人の仲は終わってしまったのだろうか、影でも映っていたら、
尋ねる事も、できるのに、形見の水には、
水草が映えて影を見ることもできない。



などと思っていたちょうどその日に、あの人は見えた。
例によって打ち解けないままになった。

このように、はらはらする不安な時ばかりで、
少しも心の休まる時がないのが辛くてならない。


「まだご利益がないような」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



早いもので季節は秋、九月になって、あれこれ思う。
外の景色はさぞ素晴らしいことだろう。どこかにお参りしたい。

このはかない身の上もお祈りして変えようと決めて、密かに、
以前より決めていたある所にお参りに出かけた。



一串の幣帛(へいはく)に、このような歌を書いて結びつけた。
幣帛(へいはく)とは、神道の祭祀において神に奉献する捧げもののこと。

まず下(しも)の御社(みやしろ)に、

いちしるき 山口ならば ここながら かみのけしきを 見せよとぞ思ふ
霊験あらたかな神の山の入口ですから、この下の御社で、
霊験をお示しくださいますようお願いします。



次に中(なか)の御社(みやしろ)に、

いなりやま おほくの年ぞ 越えにける 祈るしるしの 杉を頼みて
わたしは稲荷山を信じて多くの年を過ごしてきました。
家に持ち帰って植えて枯れなければ福がくるという杉の木に期待をかけて。



上(かみ)の御社(みやしろ)に、

かみがみと のぼりくだりは わぶれども まださかゆかぬ ここちこそすれ
上中下の神々にお祈りしようとして、上ったり下りたりするのは、
辛いけれど まだご利益がないような気がします。


「独り寝のような状態で過ごした」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



九月の末に、ある所に同じようにして参詣した。
幣帛(へいはく)の供物は二串ずつ、下の御社には、

かみやせく しもにやみくず つもるらむ 思ふ心の ゆかぬみたらし
御手洗川の流れが滞るように、私の思いが叶わないのは、神さまが、
遮ってらっしゃるからでしょうか、それとも私の心の拙さからでしょうか。



さかきばの ときはかきはに ゆうしでや かたくるしなる めな見せそ神
いつまでも色が変わらない榊の葉に、木綿垂を結びつけてお祈りします。
どうか神さま、わたしにだけ辛い思いをさせないでください。



いつしかも いつしかもとぞ 待ちわたる 森のこまより 光見むまを
いつだろう、いつだろうと待ち続けています。
森の木の間から神さまの恵みの光が射してくるのを。



木綿襷 むすぼほれつつ 嘆くこと 絶えなば神の しるしと思はむ
木綿襷(ゆうだすき)心が解けないで嘆く、こんなもの思いがなくなったら、
神さまにお祈りしたしるしがあったと思いますのになどと、つぶやいた。

秋が終わって、冬は月初めだと思うとすぐに月末になり、身分の上下に、
関係なく忙しく過ごしているようなので、あの人も来てくれず、
わたしは独り寝のような状態で過ごした。


「できないことはないのですね」

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三月の末頃に、卵(かりのこ)(雁・鴨・軽鴨類の卵)が見えたので、
これを十ずつ重ねることをなんとかしてやってみようと思った。

手慰みに、生絹(すずし)の糸を長く結んで、卵を一つ結んではくくり、
結んではくくりして、ぶら下げてみると、とてもうまくつながった。



九条殿の女御さまの藤原師輔の娘、怤子。兼家の妹の所にさし上げる。
これといったことも書かないで、卯(う)の花に結びつけた。

ただ普通のお手紙で、端に、卵を十個重ねるのは難しいと言われます。
が、なんとか、このよう に重ねることができました。そのお返事は。



数知らず 思ふ心に くらぶれば 十重ぬるも ものとやは見る

数限りなくあなたを思っている私の心に比べると、十(とお)重(かさ)ぬるも
十個重なった卵などどれほどのことでもありません。返事をしたためた。



思ふほど 知らではかひや あらざらむ かへすがへすも 数をこそ見め

どれくらい思ってくださっているかわからなければ甲斐がありません。
ぜひその数を見てみたいものです。その後、その卵は、五の宮さまの、
村上天皇の第五皇子、守平親王。後の円融天皇に献上なさったと聞く。


「憂き身も一緒にお墓に入りたい」

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五月になった。十日過ぎた頃に、帝(村上天皇)がご病気ということで、
大騒ぎしているうちに、まもなく二十日過ぎにお亡くなりになった。

東宮が、すぐに代わって帝の位につかれる。
東宮亮(とうぐうのすけ)だったあの人は、蔵人頭(くろうどのとお)になった。



目まぐるしく動いて、帝が亡くなられた悲しみは外向きのことで、
あの人の昇進の喜びばかりが聞こえてくる。

お祝いに来る人の応対などして、少し人並みになった気がするが、
満たされないわたしの気持ちは以前と同じだが、
今までと打って変わったように身の回りが騒がしくなってきた。



帝のお墓のことなどを聞くと、帝の寵愛を受けていらっしゃった方々は、
どんなに悲しんでいらっしゃるだろうとお察し申し上げた。

しみじみとした思いになるが、しだいに日数が経って、兼家の妹に、
いかがお過ごしでしょうなどとお見舞い申し上げたついでに歌を詠む。



世の中を はかなきものと みささぎの うもるる山に なげくらむやぞ
世の中の無常を知って、亡骸の埋もれているみささぎの山を思って、
お嘆きのことでしょう。山とは天皇,皇后,太皇太后,皇太后を葬る所。  

おくれじと うきみささぎに 思ひ入る 心は死出の 山にやあるらむ
亡くなった帝に後れないと、この憂き身も一緒にお墓に入りたいと、
思っている心は、もう死出の山に入っているのでしょうか。


「満足しているようだと思っている」

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先帝の四十九日が終わって、七月になった。
殿上にお仕えしていた兵衛佐(ひょうえのすけ)は、まだ年も若く、
悩みなどありそうもなかったのに、親も妻も捨てて、比叡山に登って、
法師になってしまい、その妻がまた尼になったと聞く。



これまでも文通などしていた仲なので、
とてもかわいそうで意外だったからお見舞いをする。

おくやまの 思ひやりだに 悲しきに またあまぐもの かかるなになり
奥深い山に入られた兵衛佐さまのことを思うだけでも悲しいのに、
あなたまでが尼になってしまわれたとは。



姿は変わっても筆跡はそのままに、返事をくださった。

山深く 入りにし人も たづぬれど なほあまぐもの よそにこそなれ
山深く入った夫を追って尼になりましたけれど、
女では比叡山に登れなく、今でもやはり遠く隔たったままですとある。



とても悲しい思いだったが、中将になったとか三位になったなどと、
喜びが重なったあの人は、離れて住んでいては、いろいろと支障があり、
都合が悪いので、近くにふさわしい家を探し、私をそこに移らせて、
あの人も世間の人も、私が満足しているようだと思っているのだろうか。


「そこにあった色紙に和歌を書いて」

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十二月の末頃に、貞観殿さまがわたしの邸の西の対に宮中から、
退出して来られた。大晦日の日になって、追儺(ついな)をして、
災いを追い払おうというので、まだ昼のうちから、がさがさばたばたと、
騒ぐものだから、つい一人で笑ったりしてしてしまっていた。
貞観殿とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。



夜が明けて元旦になると、昼頃、お客さまの貞観殿さまのほうは、
年賀の男客など訪れてこないので、のどかである。

わたしも同じで、隣のあの人の邸の騒ぎを聞きながら、待たるるものは。
あらたまの 年たちかへる あしたより 待たるるものは 鶯の声
新しい年に改まった、その朝から、ひたすら待たれるのは鶯の鳴く声である。



元旦の朝の晴れ渡っているのは気持ちがいい。
大晦日の、それも除夜の鐘の音に向かって高まっていた世間の物音が、
この朝ばかり申し合わせをしたかのようにいっせいにひそまって明ける。

あの動から静への移り変わりが、何とも言えない快よさで迎えられるように、
青空の正月にもまた、その都度の新鮮さがある。まして、朝のうちに、
鶯の鳴き声を聞こうものなら、めでたさもひとしおに思われる。



などと言って笑っている時に、そばにいた侍女が、手慰みに、かいくりを、
糸でつないで贈物のようにして、木で作った下僕の人形の片足に、
こぶのついているのに担わせて、持ち出してきたのを引き寄せて、
そこにあった色紙に和歌を書いて端を人形のすねにはりつけ、
貞観殿さまにさし上げたが、その和歌は、、。


「片恋はどんなに辛いでしょう」

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かたこひや 来るしかるらむ やまがつの あふごなしとは 見えぬものから

片足が尰(こい)浮腫んだ状態になるのは、どんなにか苦しいでしょう。
山里の男なら朸(おうご)荷物を肩にかつぐ棒がないとは思えないのに、
お会いする機会がないとも思えないのに、片恋はどんなに辛いでしょう。



などと申し上げると、海藻の干したものを短く切ったのを束ねて、
天秤棒の先につけ、さきほどのかいくりの荷物と取り替えて担わせ、
細かったほうの先にも別のこぶをつけて、それも前よりも、
大きなこぶにしてお返しになった。朸(おうご)天秤棒のこと。



山賤の あふご待ちいでて くらぶれば こひまさりける かたもありけり

山里の者がやっと朸(おうご)を手に入れてみると、前よりもさらに、
尰(こい)こぶが増えています。やっと恋しい人に逢って比べてみますと、
あなたのおっしゃる片恋よりも、さらに勝っている恋もあるのです。



陽も高くなり、あちらではおせち料理などを召し上がっているようで、
こちらも同じようなことをして、十五日にも例年のごとく餅粥を食べたりで、
三月になった。餅粥(米・粟・黍・小豆など七種の穀類を煮たもの)

お客さまの貞観殿さま宛のあの人の手紙を、間違えて持って来てしまった。


「わたしが気にするはずはないのに」

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お客さまの貞観殿さま宛のあの人の手紙を、間違えて持って来た。
手紙を見ると、ありきたりの内容ではなく、近いうちに伺いたいと。

私ではないと思う人があなたの近くにいるかもしれないのでなどと。
ふだん親しくしているので、こんな事も平気で書くのだろうと思うと、
そのまま見過ごすことはできず、とても小さい字で書き留めた。



松山の さし越えてしも あらじ世を われによそへて 騒ぐ波かな

あの人がそちらへ伺っても、わたしが気にするはずはないのに、
じぶんが浮気者だから、よけいな気をまわしているのですねと書いて、
あちらのお方にお渡ししてと言って使いを返した。



ごらんになると、すぐにお返事がある。

松島の 風にしたがふ 波なれど 寄るかたにこそ たちまさりけれ
松島の波が風の吹く方向に打ち寄せるように、兄はあなたに心を、
寄せているから、わたし宛の手紙があなたのところに届いたのです。
なぜならば、わたし以上に思っているからでしょう。



この貞観殿さまは、東宮の親代わりとしてお仕えしていらっしゃるので、
翌日の夕方には、宮中に参内なさらなければならない。

このままお別れするのかしらなどと言われて、何度も少しの間だけでも、  
とおっしゃるので、宵の間に急ぎ参上された。


「朝起きた時には覚えてたはずの夢」

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ちょうどその時、わたしの住まいのほうで、あの人の声がするので、
ほら、ほら、などとおっしゃるが、聞かないでいると、

坊やの兼家が宵のうちから、眠たがっているように聞こえますから、
きっと、だだをこねられますよ。さあ、早くとおっしゃる。



乳母のわたしがいなくても大丈夫ですと言って、ぐずぐずしていると、
家の者が来て、貞観殿さまにしきりに催促申し上げるので、
のんびりもしていられず帰ったが翌日の夕方、貞観殿さまは参内された。

五月に、先帝の喪が終わって、喪服を脱ぐ除服のために貞観殿さまが、
退出なさるので、この前のように、わたしの所にということだった。



不吉な夢を見たなどと言って、あの人の邸に退出なさった。
その後も、しばしば悪い夢のお告げがあったので、夢たがえの方法でも、
あればいいのに、悪い夢を見た時、禍を避けるために祈った。

などと話されていたが、七月の月がとても明るい夜に、こう話された。



見し夢を ちがへわびぬる 秋の夜ぞ 寝がたきものと 思ひ知りぬる

朝起きた時に覚えたはずの夢の物語りをいつしか忘れてしまっている。
悪い夢の夢違えができないで、困っている秋の夜長が、どんなに、
寝苦しいものか身にしみてわかりました。この返事が届いた。


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