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源氏物語〔12帖 須磨 6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。道中でも夫人の面影が消えず、源氏は胸を痛めたまま船に乗り込んだ。時期は日が長く、風にも恵まれて午後には須磨に着いた。生まれて初めての旅に心細さと新鮮さが入り交じる源氏は、荒れ果てた大江殿の松を見て、自分が遠い唐国に名を残した平安朝の歌人のように、将来が見えないと感じる。波が寄せては返す姿を見ながら、ふるさとへの恋しさを詠んだ歌が口をつき、人々もその歌に心打たれた。遠く霞む山々を見ると、千里の旅路を詠み、涙を浮かべた中国詩人の心境が重なり、寂しさが募る。須磨の居所は、都の屋敷とは異なり、茅葺きの風情ある山荘で、垣根や珍しい建材が見慣れぬ趣を醸していた。見晴らしも美しく、ただの旅ならば面白く感じただろうが、源氏は仕方なくここでの日々を過ごす。領地の人々を呼び、家の整備を進めさせ、都に仕えるような生活とはほど遠い状況にもどかしさを覚えたが、山荘は次第に落ち着きある居所に整っていった。そうして迎えた五月雨の季節、源氏は京に残した愛しい人々を思い、孤独と悲しみに沈んだ。夫人、東宮、そして無邪気に遊ぶ若君のことを考えると京のことが恋しくてたまらない。源氏は京へ手紙を送ることを決め、夫人に対し、「松島の漁師もどんな気持ちで須磨の海に涙を流しているのか」と哀しみをこめて書いた。尚侍には中納言を通して「昔を懐かしむにつけ、会いたい気持ちが募る」と伝え、二条院、入道の宮、若君の乳母にもそれぞれ思いを託し、源氏の心は京へ向かった。京では、須磨からの使いが源氏の手紙を届けると、多くの人々が動揺に駆られた。二条の院の女王はその知らせに心を乱し、体調を崩して起き上がることもできず、泣き続ける彼女を女房たちはなだめるのに苦労していた。源氏の愛用していた品々や衣服の香りは、まるで亡き人の後を思うかのように女王の心を乱し、身近な存在を失った悲しみが彼女を襲った。その様子を見かねた少納言は、北山の僧都に祈祷を頼み、源氏と女王の幸福を仏に祈願した。
2024.11.26
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「救急隊が来た時に妻は全裸状態だった」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。温泉へ行く時間帯は区々だがホープが居た頃は冬でも連れて行っていた。ホープの時には温泉へ連れて行っても私を探して呼ぶように吠えていた。「もも」が来てからも温泉へ連れて行き車で待たせているが大人しい。2011年8月25日中国から一時帰国してホープの散歩をしていた。中国へは8月31日に中部国際空港からフライトの予定で妻も動いていた。不運は8月30日の早朝妻がキッチンで倒れていたことから始まった。妻は嘔吐しており救急隊が来るまでホープも私も気が気ではなかった。動かす事も出来ずに救急隊が来るまでに妻の汚れた服を脱がせていた。救急隊が来た時には妻は全裸状態で隊員は妻の名前を大きな声で呼んでいた。担架に乗せサイレン音を立て救急病院へと走り私は後を追って行った。ホープはこの時点で11歳半になっており老犬でもあり驚いた事だろう。妻は手術後一命を取り留めたがホープは置き去りになり分離不安症を発症した。ホープが吠えている事など全く知る由もなく妻が居る集中治療室へ通った。妻が2回目に倒れた時には10通の苦情投げ文が入り回覧板を配るほどだった。あの時からホープを車に乗せ病院へ行ったり温泉へ行ったりもしていた。「もも」は私が居なくても一度も吠えず温泉へ連れ出す事もない程である。つづく
2017.04.28
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源氏物語〔12帖 須磨 5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。源氏は出発の前、上から下までの女房たちを西の対に集め、生活に必要な絹布類を豊富に分け与えた。また、左大臣家にいる若君の乳母たちや花散里にも実用的な物品を贈った。そして、人目を避けながら尚侍にも別れの手紙を送った。源氏は京を去ることに悲しみを感じ、彼女に対する未練の歌を詠んだ。尚侍も涙を流しながら別れの歌を返したが、源氏は彼女との再会を断念し、手紙だけで別れることにした。出発前夜、源氏は院の墓参りのため北山へ向かい、その前に入道の宮へも挨拶に行った。宮は別れを悲しみながらも、東宮の未来に対して不安を抱いていた。源氏も東宮が無事即位する事を願うと述べ、別離の悲しみを交えながら話した。源氏は供の数を減らし、少人数で院の墓へ向かった。途中、右近衛将曹がかつての華やかな時代を思い出し、加茂の社に拝礼した。源氏も悲しみに浸り、歌を詠んで別れを告げた。墓に着いた源氏は、かつての皇帝との思い出に涙を流しながら祈った。月が雲に隠れる中、森の暗闇の中で、源氏は皇帝の幻影を見たかのような不思議な体験をした。その後、二条の院に戻り、東宮にも別れの挨拶をし、中宮へも最後の手紙を託した。源氏が出発の日、桜が散りかけた枝に手紙を添え、別れの思いを東宮に伝える。東宮は幼いながらも手紙を真剣に読み、「しばらく会えないだけでも恋しいのに、遠くに行ったらもっとつらくなる」と返事を書かせた。命婦は源氏の若い頃の恋を思い出し、過去の苦労を思い、自分に責任を感じて胸が痛む。返事には「何も言うことができない。寂しそうな様子を見て自分も悲しい」と書き、その後、「咲いてすぐ散るのはつらいが、再び春の都を訪れ、桜の花を楽しめることもあるだろう」と添えた。女房たちは東宮の殿で泣き交わし、源氏が不運な旅に出ることを皆が惜しんだ。源氏を慕う者は多いが、政府の圧力に恐れ、表立って同情を示す者はいなかった。みな源氏への感謝と無念を抱え、陰で政府を批判していたが、誰も動かず、源氏もその無力さに悲しみを覚えていた。当日、夜遅くまで夫人と語り合い、簡単な旅装で出発しようとしていた。
2024.11.25
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「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像6」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。道隆の長女 藤原 定子(ふじわらのさだこ)高畑 充希(たかはた・みつき)道隆の長女。一家の繁栄を願う父の思いを一身に負い、年下の一条天皇に入内(じゅだい)する。清少納言らが集う、才気にあふれたサロンを作り上げ、一条天皇の最愛の妃(きさき)となるが、悲運に見舞われる。道隆の嫡妻 高階 貴子(たかしなのたかこ)板谷 由夏(いたや・ゆか)藤原道隆の嫡妻。宮仕えの経験があり、はきはきした知的な女性。道隆のあとを継ぐ息子たち、そして天皇への入内(じゅだい)が見込まれる娘の定子(さだこ)の教育に力を入れる。六十六代 一条天皇(いちじょうてんのう)塩野 瑛久(しおの・あきひさ)66代天皇。道長の甥(おい)で、幼くして即位した。入内(じゅだい)した道隆の長女・定子を寵愛(ちょうあい)するが、のちに道長の長女・彰子も入内し、世継ぎをめぐる政争に巻き込まれる。『枕草子』の作者 ききょう/清少納言(せいしょうなごん)ファーストサマーウイカ 歌人・清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘。才気煥発(かんぱつ)。一条天皇に入内(じゅだい)した定子の元に女房として出仕し心からの忠誠を尽くす。道綱の母 藤原 寧子(ふじわらのやすこ)財前 直見(ざいぜん・なおみ)藤原兼家の妾(しょう)。一人息子の道綱を溺愛している。和歌にたけており、兼家との日々を『蜻蛉日記(かげろうにっき)』として残した、才色兼備の女性。まひろ(紫式部)も幼いころから、『蜻蛉日記』を読みこんでいる。道長の異母兄 藤原 道綱(ふじわらのみちつな)上地 雄輔(かみじ・ゆうすけ)道長の異腹の兄。知性豊かな母を持つが、本人は一向に才に恵まれず、父の兼家からは、嫡妻の息子たちより格段に軽く扱われている。性格は明るくお人よしで、憎めないところもある。 兼家の妹/懐仁親王の乳母 藤原 繁子(ふじわらのしげこ)山田 キヌヲ(やまだ・きぬを)藤原兼家の妹。兼家の娘・詮子が懐仁親王(やすひとしんのう)を出産すると、乳母(めのと)に任じられた。 道長のもう一人の妻 源 明子(みなもとのあきこ)瀧内 公美(たきうち・くみ)藤原道長のもう一人の妻。父の源高明が政変で追い落とされ、幼くして後ろ盾を失った。のちに、まひろ(紫式部)の存在に鬱屈(うっくつ)がたまっていく。 六十五代 花山天皇(かざんてんのう)本郷 奏多(ほんごう・かなた)65代天皇。東宮(皇太子)のころから、まひろ(紫式部)の父・藤原為時による漢籍の指南を受ける。即位後、藤原兼家の孫である懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)が東宮となったために、早々の譲位を画策され、大事件が起きる。 散楽の一員 直秀(なおひで)毎熊 克哉(まいぐま・かつや)町辻で風刺劇を披露する散楽の一員。当時の政治や社会の矛盾をおもしろおかしく批判する。その自由な言動に、まひろ(紫式部)と藤原道長は影響を受ける。一方で、本性のわからない謎めいた男でもある。 藤原 斉信(ふじわら の ただのぶ)の妹 藤原 忯子(ふじわらのよしこ)井上 咲楽(いのうえ・さくら)花山天皇の女御(にょうご)。寵愛(ちょうあい)を受けるが早逝(そうせい)。天皇の出家のきっかけとなる。花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)高橋 光臣(たかはし・みつおみ)花山天皇の叔父。若い天皇を支える役として急速に出世する。しかし藤原兼家の謀略によって天皇は退位し、出家。一夜にして権力を失うはめになる。 次回より源氏物語の紫式部日記に戻る予定で進行。
2024.02.03
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源氏物語〔12帖 須磨 2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語 12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。源氏は須磨への出立を前に、別れの悲しみに満たされていた。妻や情人たちは、共に行きたいと願うも、須磨のような人里離れた地に連れ立つことは、源氏自身にも彼女らにも耐えがたいものになると考え、一緒に連れて行くことはやめた。源氏のことを支え守られていた人々は、その決断に寂しさを抱いていた。左大臣も源氏の去りゆく運命を嘆き、「昔、院に愛されていた頃が嘘のようだ。何もかもが末世の中で、あなたの失脚は私にとっても悲嘆に耐えない」と述べ、源氏に寄り添った。源氏は己の運命を悟り、過去の愛憎や宮廷の複雑な事情を振り返りながらも、遠い地でその罰を引き受ける覚悟を示した。三位中将が加わり夜も更けると、源氏はかつての恋人である中納言の君に別れを告げた。翌朝、源氏は都を出発し、花々の咲き残る庭を眺めながら、女房たちとの別れに心を痛めた。彼の息子の若君や、左大臣家の人々の涙を見て、源氏はその離別の哀しみを深く噛みしめた。左大臣夫人からも惜別の言葉が届き、源氏は彼らへ歌を詠んで別れを惜しんだ。宮もまた悲しみの中で歌を返し、左大臣家は彼らの別れの歌が余韻を残し、女房たちの涙で満ちていた。源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房は宵からずっと歎き明かしたふうで、所々に かたまって世の成り行きを悲しんでいた。家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について 行くはずで、その用意と、家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれ もいない。家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、訪ねて来ることは官辺の目が 恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないので ある。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。食堂の大食卓なども使用す る人数が少なくて、半分ほどは塵を積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。
2024.11.22
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「髪の様子が引き立ち美しく見える」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。女房たちは、薄物の表着の腰から裳(も)をつけ、唐衣を着て、頭には釵子(飾り具)を挿し、白い髪の髻(もとどり)を結び束ねる紐(ひも)をしている。そのため髪の様子が引き立ち美しく見える。若君にお湯をかける役は宰相の君。その介添え役は大納言の君(源廉子)お二人の湯巻姿が、いつもとは違い風情がある 若宮は、殿がお抱きになり御佩刀(皇子誕生の際、帝から賜わる刀)は小少将の君が虎の頭は宮の内侍(ないし)が持って、若宮の先導役をつとめる。宮の内侍の唐衣は松笠の紋様で、裳は大波・藻・魚貝などを刺繍で織り出して大海の摺り模様に似せてある。裳の大腰は薄物で、唐草の刺繍がしてある。小少将の君は、秋の草むら蝶や鳥などの模様を、銀糸で刺繍して輝かせている。
2022.09.28
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〔67〕人々の容姿と性格 賢い過ごし方「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。人々の容姿と性格 このついでに、人々の容姿のことをお話ししたら、遠慮がないということになるだろうか。それも現在の人のことを。顔をあわせる人のことは、差し障りがあるし、どうかと思われるような、少しでも欠点のある人のことは、言わないことにする方が賢い過ごし方なのかも。宰相の君は、豊子様でなく、北野の三位(藤原遠度)の娘のほう、彼女はふっくらして、とても容姿が整っていて、才気ある理知的な容貌で、ちょっと見たより、見れば見るほど、格段によくて、かわいらしくて、口元に、気品がただよい、こぼれるような愛嬌もそなわってる。立居振舞いもとても美しく、華やかにみえる。気立てもとてもおだやかで、可愛らしく素直で、こっちが気おくれしてしまうような気品もそなわっている。小少将の君(源時通の娘)は、なんとなく上品に優雅で、二月ごろの初々しいしだれ柳のよう。容姿はとても美しく、物腰は奥ゆかしく、性質なども、じぶんでは判断できないように内気で、ひどく世間を恥ずかしがり、見てはいられないほど子どもっぽい。意地の悪い人で、悪しざまにあつかったり事実とはちがうことを言う人があれば、それを気に病んで、死んでしまいそうなほど、弱々しくどうしようもないところが、頼りなくて気がかりです。
2024.03.06
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源氏物語〔10帖 賢木 8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語10帖 賢木(さかき) の研鑽」を公開してます。御修法のために御所に出入りする人が多い時期であり、このような密会が自分の手で行われることを中納言の君は恐れていた。朝夕に見飽きることがない源氏と稀に会えた尚侍の喜びは想像に難くない。尚侍も今が青春の盛りの姿で、美しく艶やかで若々しく、男性の心を強く惹きつける魅力を持っていた。やがて夜が明ける頃、下の庭から「宿直をいたしております」と高い声で近衛の下士が言った。これは中少将の誰かが女房の局に来て寝ているのを知り、意地悪な者が告げ口をしてわざわざ挨拶をさせにやったのだろうと源氏は考えた。御所の庭でのこうした挨拶回りは趣があるものの、源氏にとってはやや煩わしかった。さらに庭のあちこちで「寅一つ」(午前四時)と報告する声も聞こえてきた。尚侍は「心から袖を濡らすこともあるでしょう。明けたと知らせる声につけて」と詠い、その様子はどこかはかなげであった。源氏も「嘆きつつ我が世はこうして過ぎていくのだろうか、胸が晴れる時もなく」と詠い、落ち着かないまま別れを告げて出て行った。まだ朝には遠い暁の月夜で、霧が一面に広がる中、簡素な狩衣姿で歩く源氏は美しかった。この時、承香殿の女御の兄である頭中将が、藤壺の御殿から出て、月明かりに影を落とす立蔀の前に立っていたのだが、源氏はそのことを知らずに近づいてしまった。この出来事が後に批難の声を招くことになるだろう。源氏は尚侍との新たな関係ができたことに喜びを感じていた。中宮が一切隙を見せないご立派な方であることを認めながらも、その恋心がかなわぬことに対して、恨めしく悲しい思いを抱くことが多かった。源氏は御所へ参内することに気が進まなかったが、それでも東宮に会えないのは寂しいと感じていた。東宮には他に後援者がいなく、ただ源氏だけが中宮にとって頼りだったが、源氏は時折東宮に迷惑をかけるような行動をしていた。院が亡くなるまで、その秘密を全く知られずにいたことでも、東宮は大きな罪だと感じており、今また悪評が立てば、東宮には必ず大きな不幸が訪れると心配し、源氏の情熱を断ち切ろうと仏に祈っていた。宮は祈祷を頼み、できる限りの手段で源氏の恋心から身を守ろうとしていたが、ある時、思いもよらず源氏が寝所に近づいてきた。
2024.11.07
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源氏物語〔12帖 須磨 4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語12帖 須磨 の研鑽」を公開してます。源氏は鏡に映る自分の痩せた顔を見て「随分衰えたものだ」と嘆き、夫人もそれを見て涙を浮かべた。親王と中将が帰った後、源氏は花散里の寂しさを察し、彼女に会わねば恨まれるかもしれないと思い、夜遅くになって訪れた。花散里が「別れの際にここを訪れてくれたことが嬉しい」と喜ぶ様子に、源氏は彼女の生活が今後どうなるかを案じた。薄曇りの月が差し込み、広い池や築山が寂しげに見え、須磨の浦の孤独さを思い浮かべた。出発二日前、姫君は源氏がもう訪れないのではと落ち込んでいたが、月明かりの中を歩く源氏に気づき、二人は月を眺めながら語らった。「夜が短いですね。もうこうして一緒にいることもないでしょう。なぜもっと早く、あなたといられる時間を作らなかったのか」と源氏が悔やみ、恋の始まりからの思い出を語った。鶏が鳴き、源氏も世間体を気にして早朝に去らねばならなかった。月が沈むような気分で、花散里の袖に月影が差し、「宿る月さえ濡るる顔なる」という歌のような哀愁が漂っていた。花散里の寂しさがあまりに痛ましく、源氏は「行きめぐり、ついには住むべき月影の、しばし曇らん空を眺めるなかれ」と慰めを歌ったが、別れが儚く涙を誘った。旅支度が整い、源氏は現在の権勢に媚びない忠実な者たちを家司として残し、少人数の誠実な随行者を選んだ。持っていくのは日々必要な物だけで、飾り気のない品々と詩集、琴一つを選んだ。華美な装飾品は持たず、質素な生活を決意している。西の対に家の管理を任せ、所有地や財産の証書も夫人に託し、信頼する少納言の乳母を中心に倉庫や財産の管理を任せる手配を整えた。これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、中務、中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、接近して暮らすことに幸福を認めて満足 していた人たちで、今後は何を楽しみに女房勤めができようと思ったのであるが、長生きができてまた京へ帰るかもしれない私の所にいたいと思う人は西の対で勤めているがいいと源氏は言う。
2024.11.24
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