全5302件 (5302件中 1-50件目)

源氏物語〔34帖 若菜 57〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。姫宮は院の言葉に従い、素直で、返事も教えられたことをそのまま繰り返すだけで、自分から言葉を生み出すことはない。かつての自分であれば退屈に思い、愛想を尽かしてしまったかもしれない。しかし今の院は、完全なものなど得られないのだと知っていた。欠けた部分は心で補い、平凡な相手に満足すべきだという人生の教訓を積み重ねてきたのだ。だからこそ、この姫宮をも妻の一人として受け入れられる。世間の人はきっと「好ましい結婚相手を得た」と見るだろう。そう思うと、長年ともに過ごした紫の女王の価値があらためて胸に迫り、自分が与えた教育の成果を認めざるをえなかった。ただ一夜離れただけで、翌朝にはその人の恋しさで胸がいっぱいになり、すぐに会えない時間がもどかしくてならない。院の心は結局、紫の女王へと傾いていった。なぜこれほどまでに思い詰めるのか、自分自身を疑うほどに、院の愛情は深まっていった。朱雀院はやがて出家して御寺へ移ることになっていたので、このころは六条院へたびたび手紙を送っていた。
2025.11.26
コメント(17)

源氏物語〔34帖 若菜 56〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。他の女性の手紙なら、院は辛辣な感想の一つも口にしただろうが、宮の身分を思ってそれは控え、「安心していてよいのだ」とだけ女王に声をかけた。その日、院は昼間に宮のもとを訪れた。特に念入りに化粧を施した院の美しさに、初めて間近に接した女房は興奮していた。年老いた女房の中には、「どう見ても幸福なのはあちらの奥方だけで、この宮は不快な思いを味わうのではないか」と密かに考える者もいた。姫宮はまだ子どもらしく、小柄で、立派な部屋の調度品と釣り合わぬほどに素朴で無邪気な姿であった。衣に埋もれるように座るその姿は愛らしく、格別に恥ずかしがるわけでもなく、人見知りのない子供のように扱いやすく思われた。朱雀院は学問の奥義には通じていないと人から言われたが、芸術的な感性は豊かで優れている人物だった。それなのに、どうして愛娘をここまで凡庸な姫に育ててしまったのだろう、と院は残念に思った。それでも愛情が湧かないわけではなかった。
2025.11.25
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 55〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院と女王が梅の花を前に語り合っていた。女王は「花ならこれほどの香りを持っていたいものね。もし桜がこの香りを持っていたら、他の花はみんな忘れ去られてしまうでしょうね」と言う。夫人は「今は梅が唯一の花だからこそ良いと思えるのですよ。春に百花が咲きそろったとき、他の花と比べてどう思えるかしら」と答えた。そんなやりとりの最中に、宮からの返事が届いた。紅い薄紙に包まれた手紙が目を引き、院は思わずどきりとした。幼い宮の書きぶりは当分女王には見せたくない。隔てなく心を向けているとはいえ、あまりに拙い文字を見せれば、宮の身分にかえって傷をつけることになりかねないと院は思った。しかし隠してしまうのも女王には不快だろうと考え、結局は半ば見せるようにして手紙を広げた。女王は横になったまま横目でそれを見た。「はかなくて上の空にぞ消えぬべき風に漂ふ春のあは雪」宮の文字はやはり稚拙であった。十五にもなればこんなものではないはずだが、と目にとめつつも、女王は見ないふりをした。
2025.11.24
コメント(19)

源氏物語〔34帖 若菜 54〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。今朝の雪で身体をこわしそうになり、苦しいので、しばらく気楽なところで養生しようと思います」という文を乳母に伝えさせたが、返事は「そのとおりにお伝えしました」というだけだった。朱雀院がこれをどう思うだろうかと気がかりで、しばらくは朱雀院を立てるように振る舞わねばと考える一方、それを実行する苦しさに耐えきれず、悲しみに沈んだ。女王もまた、「あちらに思いやりが欠けているのではないか」と感じ、自分の立場に苦しんでいた。次の日も院は自室で目を覚まし、宮へ手紙を書いた。晴れやかな気持ちを抱く相手ではなかったが、白い紙を選び筆をとって、「中道を隔つほどはなけれども心乱るる今朝のあは雪」と詠み、梅の枝に添えて侍に持たせ、「西の渡殿から参上せよ」と命じた。院は縁に近い座敷に座り、庭を眺めながら梅の枝の残りを手に弄んだ。白い衣をまとい、雪の残る庭を前に、紅梅の梢で鳴く鶯の声を耳にして「袖こそ匂へ」と古歌を口ずさみ、梅の花を持った手を袖に引き入れながら外を眺める姿は、院という高い身分の人とは思えないほど若々しかった。やがて寝殿からの返事が遅いのを気にして、院は居室に戻り、梅の花を手に女王のもとを訪れた。
2025.11.23
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 53〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院は庭に積もる雪の白さを砂子の散りばめられた模様と見分けがつかないほどだと眺めながら、女王のいる対へ向かい、口の中で「残れる雪」とつぶやいた。格子を叩いて入ろうとしたが、夜明け近くに訪れることなど久しくなかったので、女王に仕える女房たちは腹立たしく思い、すぐには応じず、しばらく寝たふりをしたのちにようやく格子を上げた。院は、「外で長く待たされて身体が冷え切ったのは、私があなたを恐れて気がねした心のせいで、女房たちに罪はなかったのだろう」と言いながら女王の夜着をそっと引き寄せてみると、下に着ている単衣の袖が涙で少し濡れていた。それを隠そうとする仕草が美しく、院の心に深く響いた。しかし女王の心にはどこか打ち解けきれないところがある。それがかえって上品で艶やかな趣を漂わせてもいた。院は、完璧に整わぬところを残したこの女性の姿を前に、新妻の宮と紫の上の二人を思い浮かべ、心の中で比べていた。そして、二人がたどってきたこれまでの道を振り返るように話しかけ、恨みを捨てきれない女王をなだめて、その日は一日中そばを離れずに過ごした。夜になっても宮のもとへは行かず、手紙だけを届けさせた。
2025.11.22
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 52〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。近くに仕えている女房が自分の寝返りの気配を感じ取って心配するのではないかと思うと、それもまた気がかりで、寝床の中でじっとしていることさえ苦しく思われた。やがて一番鶏の声が響くと、その声は胸に沁み入るようで、女王の孤独やつらさをいっそう際立たせるものになった。女王はただ恨みだけに心を傾けていたわけではなかったが、彼女の苦しむ思いが通じたのか、院は夢の中で女王の姿を見て目を覚まし、不安に胸騒ぎを覚えた。鶏の鳴き声を聞きながらじっとしていたが、声が止むとすぐに宮殿を出て女王のもとへ向かった。しかしまだ若い宮であるため、そばには乳母たちが控えており、院が妻戸を開けて外に出るのを見送った。夜明け前で、しばし暗さが増すころ、雪の光に照らされて院の姿がぼんやり浮かび上がった。衣からただよう香りが濃く残っているのに気づいた乳母たちは、「春の夜の闇はあやなし梅の花」と古い歌を思わず口にした。
2025.11.21
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 51〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。彼女は「この無常の世で、夫婦愛にそれほど執着しているわけではない」と思おうとするが、それでも心の底から寂しさが湧いてくる。夜更けになり、眠らずに過ごしている自分の姿を周囲が不自然に思うのも嫌で、紫の上は帳台に入る。女房が夜着を掛けてくれると、ようやく「人から哀れまれているように、確かに自分は孤独なのだ」と思い、噛みしめているものは苦さだけで他の味わいではないと実感する。同時に彼女の心には、須磨に源氏が流された頃の記憶も蘇り、あの時も深い孤独の中で、遠く離れていても源氏が生きていることだけを心の支えにして過ごした。そして「あの時の悲しみで、もし源氏や自分が死んでしまっていたなら、それから後の幸福は味わえなかったのだ」とも思い直し、今ある境遇の中で自分を慰めようとする。夜は風が吹き、冷え込みも厳しかったので、女王はなかなか眠ることができなかった。
2025.11.20
コメント(20)

源氏物語〔34帖 若菜 50〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。普通なら、同じ身分か自分より下の女性が愛されれば嫉妬や不愉快な気持ちになるものだが、相手の女三の宮は高貴な出自であり、また不遇な事情で源氏の妻として六条院に迎えられたのだから、紫の上としては「せめて自分がその人に悪く思われてはいけない」と努めている。彼女は自分の感情に流されまいと気を配り、相手への思いやりを第一にしようとしているのである。それをそばで聞いていた女房の中将や中務は、互いに目を見交わしながら「女王様は思いやりがありすぎる」とひそかに言う。彼女たちはかつて源氏の愛人だった。須磨に流された時期から紫の上に仕えるようになり、深く彼女を慕っている。そのため、紫の上の無理な自己抑制を痛ましく感じているのである。さらに他の女房の中には、「私たちは最初から愛されないことを覚悟しているから平気だけれど、誰よりも愛されてきたあなたが今の状況をどう思っているのだろう」と慰めの言葉をかける者もいた。しかし紫の上にとってそうした同情はむしろ辛く、自分の痛みを改めて意識させられるものとなる。
2025.11.19
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 49〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。「これまで他の女性がいても、あなたと競い合えると思う人はいなかったから安心だったのに、今度ばかりは紫の上をも眼中に置かないほど高貴な宮様がいらしたのではどうなるのだろう。これほどの方に劣ってしまうことは耐えられないはずだし、また宮様の側からすれば紫の上が気に病んでいるように見えても、大げさな事と軽く扱われるかもしれない。そうなれば必ず争いや心労が生じ、奥方はつらい思いをなさるに違いない」と。そのような周囲の心配や嘆きにも紫の上は顔色を変えず、にこやかに皆と語らいながら夜更けまで座敷に出ていた。女房たちの不安が外に漏れて、源氏に不快に思われるのを避けるために、むしろ自ら前向きな言葉をかける。「院にはこれまでも多くの女性がいたけれど、理想的な配偶者と胸を張って言えるほどの人はなかった。だから物足りなさを感じておいでになったのだろう。けれども宮様を迎えられて、これでようやくすべてが整い、完全になったのだ」と。紫の上は、自分がまだ大人として達観できていない部分を自覚していて、まだ子供っぽい気持ちが抜けきらず、源氏とただ楽しく一緒に過ごしていたいと思うのに、周囲の人が私の気持ちを思い量り、かえって関係を難しくしてしまう。
2025.11.18
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 48〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。特別な私たちの契りは」と書き、彼女への誠意を示すが、実際にはそのまま出かけることをやめようとはしない。やがて紫の上が「遅くなっては体裁が悪いでしょう」と促すと、源氏は直衣を改め、香を焚きしめた衣に着替えて出かけていく。その姿を見送る紫の上の心は、とても平静ではいられなかった。これまで源氏は、時に新たな妻を迎え入れようとする素振りを見せることはあった。しかし、そのたびに思い直し、実際には行動に移さずにきた。そのため紫の上は「これからも平穏に幸せが続いていく」と信じて疑わなかった。ところが今回はついに女三の宮が正妻として六条院に迎え入れられ、紫の上のこれまでの安定した立場が揺らぐことになった。彼女は「この世には永遠に変わらないものなどなく、これから先どんな運命に出会うかもわからないのだ」と考えるようになり、心の底に不安を抱える。だが、紫の上はその動揺を表に出さず、いつも通り穏やかにふるまっている。けれども女房たちは不安を隠せずにささやき合う。
2025.11.17
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 47〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。彼は紫の上に向かって「あと一晩だけは世間並みの義理を果たすために女三の宮のもとへ行かせてほしい。その後もあちらばかりに通うようなことをするなら、自分自身を軽蔑することになるだろう。しかし紫の上はどう思うだろうか」と苦しげに語る。その姿は痛々しいが、紫の上は少し微笑んで「ほらご覧なさい、ご自身の心だって定まらないのですもの。道理のある方が強いとはおっしゃっても、それを貫けないのでしょう」と答える。これは諦念と皮肉が入り混じった言葉であり、源氏は恥ずかしさを覚えて頬杖をつき、うっとりと横になる。紫の上は硯を引き寄せて和歌を書きつける。「目の前に見えるものですら移り変わるこの世に、行く末までも頼りにしてしまったのだなあ」と記し、さらに同じ趣旨の古歌も書き添える。源氏はそれを手に取り、彼女の気持ちに胸を打たれ、憐れみを感じる。そして自らも和歌を返す。「命が尽きても絶えることはないだろう、定めなき世の常とは違う。
2025.11.16
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 46〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。この姿に六条院も深く感激していた。一方、女三の宮はというと、あまりにも幼く、子どもっぽさしかない存在であった。六条院はかつて若き日の紫の上を二条院に迎えた時のことを思い出し、比較してみる。紫の上はその年頃でも才気が見え、話していて楽しい少女であったが、女三の宮にはそうした生き生きとした魅力がなく、ただ子供らしいばかりだった。六条院は「これならば、あまりに出過ぎたことをせず、慎み深いだろう」と自分に言い聞かせて好意的に見ようとするが、それでもどこか張り合いのない新婦だと感じ、内心で落胆していた。その三日の間、六条院は新妻のもとに通うが、紫の上にとってはこれまで経験したことのない孤独な時間であった。心の底から寂しさが湧いてきて、どうしようもない。六条院が女三の宮のもとへ向かうための装束に薫香を焚かせながら、物思いに沈む紫の上の姿は、憂いを帯びてひときわ美しく映っていた。源氏は「本来なら自分は妻を二人持つべきではなかったのに、このことだけは断り切れず、心の弱さから受け入れてしまったために、紫の上にこんなつらい思いをさせてしまった」と深く悔やみ、自分自身を恨む気持ちで涙ぐむ。
2025.11.15
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 45〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。これは天皇の入内の儀式でもなく、また親王夫人の婚礼とも異なる、特別な性格を持った婚礼の場であった。この出来事には、六条院の立場の特異さ、また彼の人生の円熟と新しい局面が示されている。婚礼の三日間は、婿側である六条院からも、舅である朱雀院からも華やかなおもてなしが行われ、邸内は大勢の人々で賑わい、祝いの雰囲気に包まれていた。だが、そんな華やかさの中で紫の上はひとり寂しさを覚えていた。彼女自身は、六条院との夫婦関係がこれによって不安定になるとは思ってないし、これまで誰よりも愛される妻として確固とした地位を保ってきた自信もある。だが、まだ幼いとはいえ内親王という高貴な身分の女性が新しい妻として迎えられたことを考えると、どうしても自分が退いていくような気がし、心の奥で羞恥や寂しさが湧き上がってしまう。それでも紫の上はその気持ちを押さえ、むしろ大らかに、女三の宮が移ってくる前の支度を六条院と共に進めるという健気で可憐な態度をとった。
2025.11.14
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 44〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。実父である太政大臣への親子としての情はもちろんあるものの、実際に自分を育て導き、今の幸福な境遇を与えてくれたのは六条院であるという感謝の念が強く、年月が経つほどにその思いは深まっていた。しかし、玉鬘が六条院のもとを訪れても、長居せず早く帰ってしまうことがあり、六条院はその態度をどこか物足りなく感じていた。ここには、親子や養父子という関係を超えた、複雑な絆と距離感が描かれている。やがて二月十余日、朱雀院の娘である女三の宮が六条院に入る日がやってくる。六条院の邸宅でもその準備が整えられていた。先日の若菜の賀で使われた寝殿の西の対に帳台が立てられ、さらにその周辺の部屋や渡殿も女房たちの居所として割り当てられ、華やかな婚礼の場が整った。形式は入内に準じるもので、朱雀院からも婚礼道具が運び込まれ、列の行列はきらびやかで、随行する者の中には高官も多く混じっていた。その中には、かつて姫宮を正妻にと望みながら叶わなかった大納言の姿もあり、彼は心の中で涙を飲みながら従っていた。そして行列が六条院に到着すると、六条院自らが出迎え、姫宮を車から抱き下ろすという前例のない行動をとる。
2025.11.13
コメント(26)

源氏物語〔34帖 若菜 43〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。やがて夜が明け、玉鬘の尚侍は自邸へ戻ることとなる。その際、六条院から贈り物が与えられ、祝宴の余韻を残しながらこの一夜の華やかな出来事は締めくくられた。 六条院が四十歳を迎えて賀宴を開いた後の、彼自身の心境の吐露と、その後に続く朱雀院の女三の宮入内の場面が描かれている。まず六条院は、自分がもう世の中の表舞台から退き、好き勝手な隠居のような生活をしているので、月日の流れを意識することも少なくなっていたと語る。ところが、周囲の人々が四十歳という年齢を祝い、年を数えてくれることで、改めて老いが自分の身に迫っていると実感し、急に心細さを感じたのだと述べる。そして、気軽に訪れて昔と今を比べるように自分を見に来てほしいと頼むが、今の立場では自由に人に会いに行けない不自由さもあり、自分から会いに行くことができずに寂しく思っている、とこぼす。この言葉には、老いを意識しながらも、まだ人との交流や愛情を求める六条院の人間的な思いがにじんでいる。その一方で、玉鬘の側もまた複雑な感情を抱いている。
2025.11.12
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 42〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。この琴は、かつて宜陽殿に納められ、代々第一と称されてきたもので、先帝の晩年には御長皇女が愛用し、下賜された由緒ある楽器であった。今回は賀宴のために太政大臣が借り出してきたものであり、その音色は六条院に、父帝の治世や姉宮の思い出を深く呼び起こした。六条院はその響きに身を沁み入るように聴き入り、兵部卿宮もまた感情を抑えきれず、酔いながら涙を流すほどであった。やがて宮は院の意向を伺い、琴を御前へ移すと、院もその場の気分に抗しきれず、自ら珍しい曲をひとつ弾いた。そのため、決して大規模な演奏ではなかったが、趣のある音楽の夜となった。楽器の演奏が終わると、階段のあたりに集められた声のよい若い殿上人たちが合唱を行い、「青柳」が歌われる頃には、すでにねぐらに帰っていたはずの鶯さえ驚いて鳴き出すかと思われるほど華やかでにぎやかな響きが広がった。宴は形式上は左大将の主催であったが、六条院自身の側からも纏頭の贈り物が用意され、場の盛り上がりをさらに際立たせた。
2025.11.11
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 41〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。若者は父譲りの技を見事に発揮し、予想以上の腕前を披露した。その演奏は人々を驚かせ、父から子へと芸が受け継がれることの稀有さを思わせた。特に和琴は中国から伝来した楽器と違い、清掻きだけで他の楽器を統率する難しいものであるが、右衛門督の爪音は澄んで響き渡り、場を圧倒した。六条院の四十歳の賀宴における音楽のやり取りが詳しく描かれている。まず、二つの和琴が用いられた。父である太政大臣が弾いた琴は、絃をやや緩め、柱も低くして余韻を深く重々しく響かせるように調整されていたため、音は落ち着きと深みを持っていた。それに対して息子の右衛門督が弾いた琴は、華やかに音が立ち上がり、甘美で親しみやすい響きを奏でた。その優れた演奏は人々を驚かせ、親王たちでさえ「ここまで上手だとは思わなかった」と感嘆するほどであった。さらに、兵部卿宮が宮中の名器である琴を手に取った。
2025.11.10
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 40〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。自分の孫である左大将の子どもたちが紫の上の甥としても、主催者の子としても場にふさわしく動き回っている姿を見て、世代の移り変わりを感じざるを得なかった。祝宴では、料理や贈り物も整えられていた。枝に籠詰めの料理が四十添えられ、折櫃に詰められた品々が四十、それらを中納言をはじめ若い親族たちが運び、院の前に並べた。院の席には沈香の木で作られた盆が四つ置かれ、上品な杯台などがささげられた。朱雀院がまだ病から回復していなかったため、専門の楽人は招かれなかったが、音楽の準備は周到であった。玉鬘の実父である太政大臣が担当し、選び抜かれた名器が並べられた。その際、大臣は「この世に六条院の賀宴以上に高雅な集まりはないだろう」と語り、心を尽くして楽器を揃えた。和琴は大臣が秘蔵してきた逸品であり、かつて名手が弾き込んだために扱いにくいと敬遠されていたが、院の強い求めで右衛門督が演奏することになった。
2025.11.09
コメント(15)

源氏物語〔34帖 若菜 39〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。祝儀として出された若菜は、沈香の木で作られた四つの折敷に形式的に少しずつ盛り付けられただけであったが、そこに象徴的な意味が込められていた。六条院は杯を手に取り、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき(小松の林の末のほうにある若木の松は、やがて年を重ねて立派に成長していく。その松の年齢に引き寄せられるようにして、野辺に芽を出したばかりの若菜も、これから年を重ねていくのだろうか。つまり、松の長寿になぞらえて、若菜もこれから年を重ねて成長していくように、自分たちの縁も長く続き、共に年を重ねていきたいという思いを込めた歌)」と歌を詠んだ。これは、自らの年齢を松の齢に重ね、若菜のように年を重ねていきたいという思いを表したもので、集まった人々に深い印象を与えた。高官たちは南の外座敷に着座し、やや気まずさを抱えながらも式部卿宮も出席した。彼は六条院の娘婿でありながら、祝宴の主催者が玉鬘を妻とする左大将であることを見て、内心では不快を覚えたに違いなかった。
2025.11.08
コメント(9)

源氏物語〔34帖 若菜 38〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。その光景を前に院は、「年月というものは自分の心には長く感じられず、若々しい気持ちは昔のまま変わらぬのだが、こうして孫たちを見せてもらうと、急に年齢を意識させられて恥ずかしい気持ちになる。中納言にも子ができているはずだが、私を疎んでいるのかまだ見せに来ない。あなたが誰よりも早く私の年を数えて子の日の祝いをしてくれるのは、ありがたいが、少し恨めしくもある。もう少し老いを忘れていたいのだがね」と言い、年齢を重ねることへの複雑な思いを洩らした。その一方で玉鬘は、かつて以上に美しさを増しているように見える。玉鬘は、落ち着きと風格を備えた立派な貴婦人となり、その姿は院の栄華と世代の移り変わりを象徴するもののように見えた。六条院の四十歳の賀の宴がいよいよ本格的に始まる様子が描かれている。まず、式典の中で若菜にちなんだ歌が詠まれる。参列者の一人が「若葉が芽吹く野辺の小松を伴い、今日こうして根元の岩に祈りを捧げる」という趣旨の歌を披露した。
2025.11.07
コメント(9)

源氏物語〔34帖 若菜 37〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。玉鬘夫人は芸術的な感覚にすぐれた女性であり、院のために新たに誂えた工芸品はいずれも一流の出来映えで、華美に陥らず、かえって奥ゆかしい品格を示すものであった。全体の雰囲気も、ただ目立たせるのではなく、質素さを装いながらも実のある祝宴に仕立てられていた。やがて院が客人と対面するために座敷へ出てこられ、そこで玉鬘夫人と顔を合わせる。ふたりの間には過去の出来事や様々な思い出が去来し、院の心には幾重もの情が浮かんだことだろう。院の容貌は依然として若々しく、四十の賀を迎える年齢には到底見えなかった。なにか数え違いではないかと思わせるほどの艶やかさを保っていた。その姿は、とても玉鬘夫人の養父であるとは思えないほどであり、久しぶりに対面した玉鬘も恥じらいを覚えた。昔のように親しい言葉を交わし、傍らには尚侍となった玉鬘の幼子がいて、可愛らしい容姿を見せていた。玉鬘は続いて生まれた子どもたちを披露することをためらっていたが、夫の左大将はせっかくの機会だから見せておかねばと考え、兄弟たちを同じくらいの年頃に振り分け髪を結い、直衣を着せて連れてきたのである。
2025.11.06
コメント(10)

源氏物語〔34帖 若菜 36〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。表向きは控えめに装われたものの、左大将家が主催しただけにその行列は立派で、六条院へ出仕する玉鬘夫人の従者たちの姿は華やかで人目を引くものだった。南の御殿の西の離れ座敷に六条院のための席が設けられ、そこに賀を受ける場が整えられ、屏風や壁代の幕はすべて新調された。儀式の形式を過度に整えぬよう椅子は立てなかったものの、地敷きの織物が四十枚も敷かれ、褥や脇息などはすべて左大将家から選び抜かれた品々で、趣味の良さと美しさに満ちていた。さらに、螺鈿の置き棚二つには院の衣服箱が四つ並べられ、夏冬の衣装をはじめ、香壺や薬箱、硯、洗髪の道具、櫛の具箱に至るまで、いずれも芸術的に優れた調度品ばかりがそろえられていた。ここでは、六条院の四十歳という人生の節目に重なる「若菜の祝」が、豪華でありながらも院の性格に沿って過度に形式張らない形で行われたことを示している。六条院で催された四十の賀の場面が細やかに描かれている。祝いの席に備えられた御挿頭の台は、沈香や紫檀といった最上級の木材で作られ、飾り金具も色ごとに使い分けられ、上品でありながらも華やかな美を放っていた。
2025.11.05
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 35〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。けれども紫の女王は、その愁いを胸に抱きながらも、あえて大らかな態度を崩さず、気丈にふるまっていたのであった。春を迎えて朱雀院の姫宮が六条院に入る準備が整い、世間の注目が集まっていたことが描かれる。これまで姫宮に求婚していた人々にとっては失望の出来事だった。また帝も後宮に迎え入れたいという気持ちを持っていたが、ついに六条院との婚姻が決まったと聞き、それを断念した。六条院自身はこの春で四十歳を迎えることになり、本来であれば内裏から盛大な賀宴を行うべきであった。帝も年明けからそのことを心にかけ、世間の人々もこぞって華やかな祝賀を望んでいた。だが、六条院は昔から自分のことで大げさな儀式を行うのを好まず、勧められるたびに断り続けてい。ところが正月二十三日の子の日、左大将の妻から若菜の祝宴を献じたいという申し出があった。周囲には秘密裏に準備されていたため、六条院に辞退する暇もなく受け入れざるを得なかった。
2025.11.04
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 34〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。実際に起こってもいないことに思い悩み、私を恨んだりするのはやめてほしい、ただあるがままを受け入れてくれればよいのだと院は語る。この言葉を聞いた紫の女王は、表面だけでなく心の中でも納得したように見えた。もともと院自身の自由な恋心から出たことではなく、避けることのできない事情によって結ばれた婚姻の話である。ゆえに、嫉妬しても無駄であり、たとえ不満を言ってもその事実を覆すことはできない。そんな中で無意味な噂を立てられるのは耐えがたい、と彼女は感じた。また、継母である式部卿宮の北の方が常に自分を悪く言い、今回の左大将との結婚の件もあたかも自分の責任であるかのように中傷していることを思うと、今回の出来事もその呪詛が実ったのではないかとさえ思えてしまう。温和で穏やかな性格の彼女であっても、心の奥底ではそのような考えを抱かずにはいられなかった。しかし同時に、これまで自分は幸福であることを当然のように信じ、思い上がって日々を過ごしてきたが、今やその幸せに陰りが生じ、これから先はどのような屈辱を受け入れて生きねばならないのかと不安に思う。
2025.11.03
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 33〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。源氏は、紫の上が嫉妬深い性格で、ちょっとした恋の問題にも傷つく人だと知っていたから、この話をすればどう感じるだろうと心配しつつ告げたのである。ところが紫の上は驚くほど冷静で、「これは親としての愛情から出たお頼みなのでしょう。私が不快になど思うはずはありません。ただ、宮のほうで私を失礼な女だと思い、なぜ遠慮して身を引かないのかと責めることがなければ、私は安心しています。あちらのお母様の女御は私の叔母にあたりますから、その縁で私を大目に見てくださるでしょう」と、自分を卑下するように言った。院が紫の女王に対して諭すように語りかける場面が描かれている。院は、あまりに寛大すぎるあなたの態度は、かえって私を不安にさせるのだと冗談めかして言いながらも、互いに思いやりを持って平和を保てるならば、私はますますあなたを尊敬するだろうと告げる。そして、人の中傷や噂というものは多くの場合根拠がなく、誰かが面白がって広めるものに過ぎないから、それに振り回されて不必要に心を乱すべきではないと教え諭す。
2025.11.02
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 32〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。六条院は紫の上とこれまでのことや将来の事をしみじみと語り合った時、源氏は「院の病気が重くて衰えている様子を見舞いに行って、心に染みることが多かった。院はまだ女三の宮のことを心配しておられて、私にこう託してきたのだ」と言い、源氏は朱雀院から頼まれたことを詳しく紫の上に話した。あまりにも気の毒で断ることができなかったが、これを世間は大げさに噂するだろうね。私はもう若い女性と新しく結婚するような気持ちはなく、最初に人を介して話があった時には口実を作って断っていたのだが、院に直接会って、あまりに強い親心を目の当たりにしてしまうと、冷たく拒むことはできなかった。院が郊外の寺へ入る時に宮をここへ迎えようと思う。あなたは味気ないと思うかもしれない。そのためにどんなに苦しいことが起きても、私があなたを思う気持ちは少しも変わらないから、不快に思わないでほしい。宮にとってはかえって不幸なことだと私もわかっているが、表向きの体裁は整えてあげるようにする。そして双方が平和な心でいてくれたら私は嬉しいのだと話した。
2025.11.01
コメント(20)

源氏物語〔34帖 若菜 31〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。人々の胸に迫る思いを歌に詠んだが、その詳細は省かれている。夜が更けて源氏は退出し、従者たちはそれぞれ位階に応じた衣装を賜った。別当大納言は源氏を送り、六条院まで同行した。朱雀院は雪の降る日に無理をして起き上がったことでまた風邪をひいてしまったが、女三の宮の婚約がまとまったことで安心を覚えていた。だが一方で六条院(源氏)は、新しい婚約を引き受けた責任の重さと、紫の上との夫婦生活のあり方を変えざるを得ないという苦しみが心の中で交じり合い、悩みを抱えていた。私はこの人への愛情を少しも減らすどころか、むしろ深めていくだろう。しかし、その気持ちが伝わる前に、この人は疑って自分を苦しめるのではないか」と思うと心が落ち着かない。今では二人の間には隔てなどなく、すべてを打ち明け合って生きてきた夫婦であったからこそ、この話を隠しているのが源氏には苦痛でありながら、その夜は言い出せずに床についた。翌日も雪が降り続き、空は身にしみるように寒々しい色をしていた。
2025.10.31
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 30〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。もっと早く、たとえば権中納言(柏木)の独身のころに話を持ち出していればよかったと思う。だが太政大臣(源氏の娘の婿=頭中将)が先を越してしまったのが悔やまれる、と心情を吐露した。これを聞いた源氏は答えた。権中納言は誠実で忠実な夫になりうるが、まだ若く位も低いので、姫宮の後ろ盾としては力不足だろう。自分が深く愛情をもって世話をすれば、朱雀院のもとにいるのと変わらぬ安らぎを与えられるはずだと思う。だが自分もすでに年を重ねており、途中で死に別れる可能性が大きいのが不安である、とも述べた。こうして最終的に、源氏は女三の宮との結婚を引き受けることになった。その夜は遅くなったため、朱雀院に仕える高官も、源氏に従ってきた高官も、それぞれに饗応の席についた。料理は正式な饗宴ではなく、精進料理を風流に仕立てた趣あるもので、場は居間が用いられた。朱雀院の膳は、漆器ではない浅香の懸盤の上に仏家の作法で鉢にご飯を盛るものであり、在俗のころとはまるで違う光景であった。その姿に列席者は皆涙を流した。
2025.10.30
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 29〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。天皇という存在はあくまで「公の君」であり、政務に心を砕くことはあっても、私的な場で妹である内親王の面倒を細かく見続けることは難しい。女性にとってはやはり結婚によって、離れがたい縁で結ばれた男性の支えを得ることが最も確実で安全だと言える。もしどうしても心残りがあるのなら、密かに婿を選んでおくのがよいだろうと周囲の人々は進言した。それを受けて朱雀院は言った。自分もそう思うが、それがまた困難なのだ、と。昔の例を見ても、天皇の内親王が結婚することは多くあったが、自分のように出家し、すでに力の衰えた立場の者の娘にふさわしい配偶者を得ることは難しい。だからといって誰でもよいとは言えず、思い悩むばかりで病は重くなる一方、時は取り返せず過ぎていくので焦りばかりが募る。そこで朱雀院は、頼みづらいことではあるが、自分の娘である幼い内親王を光源氏に特別の厚意で預かってもらい、ふさわしい相手と縁組させてほしいと切実に頼んだ。
2025.10.29
コメント(18)

源氏物語〔34帖 若菜 28〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院は、今日か明日かと思うほどの重病でありながら、ただ生き延びていることにかまけて希望の出家を果たさぬまま死んではならぬと、思い切って実行した。命を失えば仏への勤めもできない。だからまず一歩でも出家という形をとり、たとえ大きな修行はできなくとも念仏だけは続けたい。自分がこうして生きているのは、この志を遂げたいと願う心を仏が憐れんでくださったからだと思う。だがまだ何一つ仏の勤めを果たしていないことを申し訳なく思うと言い、さらに続けて院は、心残りは、何人もいる娘たちのことだ。とりわけ母を失い、誰に託せばよいかわからぬ子のことが、私には何よりの苦悶となっていると言った。朱雀院は正面からは名指しせず語ったが、六条院はその言葉を聞き、深く気の毒に思った。同時に心の中では、その娘である女三の宮に対する好奇心も抑えきれず、冷ややかに聞き流すことができなかった。父である自分が頼みとしている姫宮のことを言葉にして託しておけば、疎かには扱わないだろうと考えられる。
2025.10.28
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 27〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。世間から寄せられる尊敬や信頼は並々でなく厚いものであったが、外形にこだわることを避けていたのである。朱雀院はこの訪問を心から喜び、病の苦しみを押して光源氏に会った。儀礼にとらわれず病室にもう一つ座を設け、源氏を招いた。源氏は髪を剃り落とした兄の姿を目にしたとき、世界が暗く閉ざされたように感じ、どうしようもない深い悲しみに襲われた。そしてためらうことなく口を開き、故院(先帝)が亡くなってからというもの、人生の無常を深く思い知らされ、出家を望みながらも、心弱くて何かにつけて思いとどまらされ、ついにはあなたに先を越されてこの姿をお取りになった。自分のふがいなさが恥ずかしい。一人の身であるならすぐにでも出家できるが、周囲のことを思うと実行に踏み切れずにいると語る源氏の姿は慰めようのない悲しみに満ちていた。朱雀院も病の身で心細く、冷静を装うことなどできず、弱々しい声で昔や今のことを語り合った。
2025.10.27
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 26〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院が法服に着替え、俗世と縁を絶つ出家の儀式を執り行うと、誰もが深い悲しみに打たれた。すでに俗世の恩愛を超越しているはずの僧たちでさえ涙をこらえきれず流したほどであるから、まして姫宮や女御、更衣をはじめとする后妃たち、殿中の男女すべてが声を上げて泣かずにはいられなかった。院はそうした泣き声を耳にしながらも、もとは出家と同時に寺に移るはずであった計画を変更せざるを得なかったことを残念に思い、それは皆が女三の宮に心を引かれているせいでそうなったのだと、そば近い者に語った。宮中をはじめとして、多くの人々が病を見舞う使いを寄越したことは言うまでもない。そのころ、六条院(光源氏)は朱雀院の病がやや持ち直したとの報せを受け、自ら見舞いに訪れた。院はすでに帝から譲位しており、形式的には太上天皇と変わらぬ待遇を受けていたが、光源氏はそれを表向きにはほとんど行われず、外出の儀式も簡素にし、立派すぎない車に乗り、随行の高官たちも簡略なかたちで従わせていた。
2025.10.26
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 25〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。返歌としては、思い出を語らず、ただ祝いの気持ちだけを込めて、「次から次へと見る人がいて、万代ののちまでも、この小櫛が神々しいほどのものとなりますように」と詠んだ。しかし病は決して軽くなってはいなかった。無理をして行った姫宮の裳着の式から三日後、ついに院は髪を下ろし、出家してしまった。普通の家であっても、主人が出家する時は家族に大きな悲しみがあるものだが、院の場合は数多くの后妃たちが深く嘆き悲しんだ。とりわけ寵愛の尚侍は、ずっと院のそばを離れずに涙に暮れた。院はその姿を見て、慰めようとしたがどうにもならなかった。朱雀院は出家の儀式を迎えることになった。子への愛情には限度があるはずなのに、身近な者があまりに悲しみに沈んでいるのを見ると、耐えがたい心苦しさを覚え、院も平静でいられなくなる。けれども何とか気持ちを抑え、脇息にもたれてじっと耐えていた。その場には延暦寺の座主のほか三人の高僧が戒師として参列していた。
2025.10.25
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 24〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。人々はこれを「出家を控えた朱雀院が催す最後の盛大な儀式」と受けとめ、帝や東宮も深く同情し、宮中の納殿に蓄えられていた唐物の珍しい品々を多く寄贈した。六条院(光源氏)からも数多くの贈り物が届けられ、それは出席者に配られる衣服や、主賓の大臣への特別な品々などであった。さらに中宮からは、姫宮の装束や櫛の箱などが豪華に調えられて贈られた。その中には、朱雀院が昔、この中宮が入内する時に贈った髪上げの道具が、新しく加工されながらも元の形を損なわず添えられていた。中宮権亮という、院の殿上にも仕える者が使いとして、それを姫宮のもとへ届けるよう命じられた。その贈り物には一首の歌が添えられていた。「昔のことを今に伝えるとすれば、この玉の小櫛は神々しいほどに古めかしくなったものです」これを見た院は、胸にしみる思いがしたはずである。若き日の思い出を呼び起こす縁起の悪いものとは考えず、大切にすべき品と思って、姫宮にお渡しになった。
2025.10.24
コメント(17)

源氏物語〔34帖 若菜 23〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。年の暮れが近づいてきた。朱雀院の病気は依然として重く、回復の見込みもないままだったので、姫宮(三の宮)の裳着の式を急いで準備することになった。これは過去にも未来にも例がないほど豪華で華やかな儀式になる様子で、宮中の人々は皆、落ち着かずにそわそわと騒ぎ立っていた。式は院の栢殿の西向きの座敷で行われ、御帳や几帳などの調度類は、日本風の織物は一切使わず、唐の后妃の部屋を模した飾りつけで、きらびやかで堂々としてまばゆいばかりに仕立てられていた。姫宮の腰結いの役は前もって太政大臣に頼まれていたが、この人物は仰々しく気の進まないふうである。院の願いに背いたことはこれまで一度もなく、厚い忠誠心から辞退できずに参列することになり、他の左右大臣や高官たちも、多忙や病気を押して無理にでも出席した。親王方も八方から参集し、殿上人は数知れず集まり、東宮に仕える者も宮中の奉仕者も残らず出席したので、まことに盛大な式と見えた。
2025.10.23
コメント(15)

源氏物語〔34帖 若菜 22〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。光源氏は「たとえば、先帝のときも皇太后が東宮時代からの最初の女御で、大きな勢力を持っていたが、のちに入内した入道宮様に押しのけられてしまった例もある。しかもその宮の母の女御は、入道宮の妹で、容貌も入道宮に劣らず美しいと評判だった。だから、この三の宮も両親のどちらに似ても、平凡な美しさにとどまることはないだろう」と語った。つまり源氏は、結婚相手として自分を候補にすることには否定的だったが、一方で「三の宮という女性そのもの」に対しては強い関心や好奇心を抱いている様子を見せていた。要するにここでは、朱雀院は「六条院に三の宮を託すのが一番」と考えて固く決めているのに、源氏は「自分が妻にすることは良くない」「無常の世では命の保証もない」と慎重に退けている場面です。しかし完全に拒絶するのではなく、「入内」という別の道を示したり、「美しさ」について興味を見せているあたりに、源氏らしい複雑な心理が滲んでいる場面である。
2025.10.22
コメント(18)

源氏物語〔34帖 若菜 21〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。もし私が院のあとを追うように亡くなったら、その時どんなに気がかりになることか。自分自身のことを考えるだけでも、執着が残ってしまうようなことで、なすべきことではないと思う。私の子である中納言などは、まだ若くて地位も軽いが、将来は有望で国家を支える人物になる可能性を持っている。だから三の宮が彼に嫁いでも、釣り合いがとれないということはないだろう。ただ、あの子は真面目すぎて、一人の妻と平和に家庭を築いているから、それを理由に院は遠慮なさるのだろうか」と言う。こう言って、あくまでも自分が直接三の宮を妻に迎えることは取り上げなかった。左中弁はそれを見て、朱雀院の側では固い決意でこの縁談を進めようとしているのに、源氏が受け入れないのを残念に思い、朱雀院を気の毒にも思った。そこで「あちらの院(朱雀院)がどれほどこの縁談の成立を望んでいるか」という事情を詳しく伝えると、光源氏はさすがに微笑を浮かべて、「なるほど、たいへんな愛娘なのだろう。だからいろいろと将来を心配しているのだな。でも、宮中に入内させればよいではないか。すでに立派な后妃がいても、望みが全くないわけではない」と言う。
2025.10.21
コメント(19)

源氏物語〔34帖 若菜 20〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。光源氏も以前から、朱雀院が三の宮の結婚問題で心を痛めていることは聞いていたので「お気の毒に思うし、同情もする。だが院が自分の命に不安を感じているなら、私だって同じことだ。自分の方が長生きできる保証なんてどこにもない。たとえ兄が先に亡くなり弟があとに残るのが自然だとしても、それが必ずしもそうなるとは限らない。朱雀院が女三の宮を源氏に託す気持ちを持っていることは紫の上の耳にも伝わっていたが、彼女は「そんなことにはなるまい。あれほど前斎院を恋いながらも強いて結婚しなかったのだから」と気にも留めず、疑うこともなかった。その無邪気さを見ると、源氏は心苦しくて、「この人はどう思うだろう。だから私が何年かでも生き残っている間は、血縁のある姫宮方のことはできるだけ保護するつもりだし、とくに院が心配している姫なら特別に世話もするだろう。でも無常の世の中だから、私の命だって確実に残るとは限らないのだ」と言う。さらに「まして私の妻にしてしまうことは、むしろよくないことかもしれない。
2025.10.20
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 19〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。こうした婿選びの話は東宮の耳にも入った。東宮は、「こうした結婚は目先のこと以上に、後世の手本ともなることだから、よく考えて相手を選ぶのがよい。どんなに立派な人物でも、結局は普通の人でしかない。だから六条院に託すのが最善だろう」と考えた。これは直接院に進言したわけではなく、別の人を通して伝えられた言葉であった。要するに、この場面では「三の宮に求婚する候補者たちの思惑と駆け引き」が描かれているのですね。太政大臣は家の名誉のため、兵部卿宮は失恋の意地から、藤大納言は地位の保障のため、源中納言は揺れる心と妻への遠慮から、それぞれ思惑がある。そして最後には、東宮の冷静な意見が出て「やはり六条院に任せるのが最もよい」という結論へ近づいていく流れです。朱雀院は「なるほど、もっともな意見だ。とても良い忠告だ」と納得して、ますます決心を固めた。三の宮の乳母の兄である左中弁に頼んで、六条院(光源氏)に大まかな話を伝えさせた。
2025.10.19
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 18〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院がかつてはっきりと自分への信頼を示してくれたこともあり、良い仲介者がいて三の宮を望んだら、院も冷たくは扱わないだろうという自信があったからだ。けれども彼には、これまで苦労を共にし、信頼してきた妻がいた。過去には関係を絶ってもよいほどの状況になったことさえあったのに、それでも別れずに添い続けてきた。その妻を差し置いて、今さら二度目の結婚をすれば、妻は必ず心を痛めるに違いない。また相手が高貴な姫であれば、自分の行動はさらに制約され、双方に不満が生じて自分自身が苦しくなるだろうと思われた。中納言はもともと多情な性格ではなかったので、動いた心を押さえて外には出さなかったが、それでも姫宮が他人に嫁ぐことは耐えがたく、大きな心の問題になっていた。朱雀院は、自分が出家して俗世から離れようとしているなかで、最も心残りとしているのは母を持たない幼い内親王(女三の宮)の将来である。内親王といっても、父の強い後ろ盾がなければ、普通の家の娘よりもかえって心細い立場になることが多い。もちろん皇太子である東宮(冷泉帝の子)も立派に次代の帝として天下の望みを担っている。
2025.10.18
コメント(18)

源氏物語〔34帖 若菜 17〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。太政大臣は、自分の長男である右衛門督がまだ独身でいて「妻にするなら内親王でなければ結婚はしない」と考えているようだ。もし三の宮の降嫁が決まったとき、長男が院の婿に選ばれたら、自分にとってこれ以上ない名誉だと考えた。そこで大臣は、自分の姉である夫人を通じて尚侍に働きかけ、一方では直接院にも懇願していた。兵部卿宮は、かつて左大将の妻に失恋した経緯があった。だから、その夫婦に対して見劣りするような結婚はできないという思いがあり、ぜひとも三の宮を妻に迎えたいと熱心に求婚していた。藤大納言は長い間、院の側近として仕えてきた人で、院が出家すれば有力な後ろ盾を失うことになるので、それを避けるために三の宮との結婚を望み、地位の安定を確保しようと功利的な考えで強く願い出ていた。源中納言もまた、婿候補が次々に現れるのを見ては心を揺らしていた。
2025.10.17
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 16〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。独身を貫き、誇り高い精神を持っていることも評価できるし、学問にも優れ、将来の政務にも期待できる。しかしそれでも、朱雀院にとっては「自分の愛娘の婿にふさわしい相手ではない」という思いが強く、結局は六条院しか考えられなかった。まとめると、ここは朱雀院が「三の宮を誰に託すか」を真剣に悩み、独身の危うさや世間の目を考えた上で、結局は六条院が最も安心できる相手だと結論づける。他の候補者も検討するけれど、それぞれ弱点があり、六条院以外には託せない、という親の切実な思いが表れている。朱雀院は三の宮の将来を思って心を悩ませていた。婿候補は多いが、女三の宮以外の姉宮たちに求婚する者はいない。だからこそ、院が三の宮をどれほど大事に思い、良い配偶者を選ぼうと心を砕いているのかということは、自然と宮中から外にも伝わり、我こそは候補だと意識する男たちが多くいた。
2025.10.16
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 15〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。たとえば兵部卿宮は容姿も立派で人柄も悪くはないが、兄弟である自分が客観的に批評しにくいことを差し引いても、どうにも柔弱すぎて芸術的な趣味に偏っており、世間からの信望も薄い。夫としては頼りないと言わざるを得ない。また大納言は、臣下の礼をもって仕えようという誠実な人物ではあるが、やはり帝王の娘の婿としては釣り合わず、許す気にはなれなかった。昔から帝の婿には何か一つでも抜きん出た人物が選ばれるのが当然であった。ただ都合がよいからという理由で選ぶのは恥ずかしいことだと考えたからである。右衛門督も候補の一人ではあった。尚侍が、彼が結婚を望んでいると伝えてきたのだ。確かに彼は優れた人物で、官位がもう少し上なら大いに考慮してもよいくらいだ。
2025.10.15
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 14〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院はさらに、自分が出家するにあたり、これから先のことも考えざるを得なかった。本当は姫宮がもう少し成長するまで自分の手元に置いていたいと願ってきた。しかし、近ごろの体調ではその願いをかなえることができず、このままでは信仰生活にも入れずに死んでしまうかもしれない。だからやむを得ず出家を決意し、姫宮のことは六条院に託すのが一番安心できると考えた。六条院にはすでに多くの妻がいるが、それを一々気にする必要はなく、こちらが寛大な心を持っていればよいことだ。華やかな時代を過ぎ、今は落ち着いた心境にある六条院であれば、三の宮の夫として最も頼もしい存在だろう。他に適当な候補者は見当たらないのだ、と院は考えを固める。一応、候補者として思い浮かぶ人物はいないわけではなかった。
2025.10.14
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。だからこそ、親として適当な配偶者を選ばずに放っておくのは不安でならないと院は考えた。結婚というのは、たとえ後に良いことも悪いこともあったとしても、親や兄が選んで決めたものであれば、その責任は本人にかからない。しかし恋愛の末に結婚した場合、もし良い結果になっても、最初に噂が立った時には「親の承諾もなく、家の許しも得ずに恋愛して夫を持った」ということが大きな恥として語られてしまう。普通の家の娘ですら軽率だと見られるのだから、高貴な姫宮の場合はなおさらだ。自分の体は自分のものだというのに、無理やり奪われて望まぬ相手の妻になるようなことがあれば、それもまた軽蔑される原因になる。三の宮はもともと少し弱さがあり、隙を見せやすい性質なのではないかと院は心配しており、だからこそ侍女たちが勝手に姫宮を振り回すようなことがあってはならない、そんな噂が広まるのは恥である、と強く釘をさした。
2025.10.13
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 12〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。内親王は本来なら神聖な存在として結婚させずに守るべきだとも考えられるし、高い身分の女性であっても結婚することで家庭の事情が世間に知られるようになり、余計な苦労や悩みを背負い込むことになるのだから、むしろ独身のままの方が良いのではないか、と否定的な気持ちに傾くこともあった。しかし同時に、親や兄が亡くなった後、独り身のままでいることは危ういとも思われた。昔の世の中では神聖なものはそのまま尊重されたが、最近の世の風潮ではそうした神聖さを無視して、強引に結婚を迫るような無道なことを平気で行う男が多くなり、そこから噂の種が生まれる。昨日までは高貴な親の娘として尊敬されていたのに、くだらない男にだまされて浮名を立て、亡き親の名誉を汚すような話はいくらでもある。姫宮といえど女である以上、そうした危険から逃れられるわけではなく、結局は運命がどう転ぶか誰にも分からない。
2025.10.12
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。だから姫宮も不快に感じる可能性は否定できない。姫宮を望む男は他にも大勢いるのだから、よく考えたうえで決めていただきたい、と。姫宮は非常に尊い身分の方だが、今の世の中では毅然として独身を貫き、立派に生きている女性も少なくないのに、三の宮にはどうもその強さが欠けていて安心できない。だからこそ私たち侍女が一生懸命に仕えても、大きな支えにはならない。世間の女性の例に照らしても、異例の独身生活を選ぶのではなく、結婚してこそ安心できるはずだ。特別な後見をしてくれる人物がいないのは、とても心細いことではないだろうか。朱雀院は、三の宮の将来について深く思い悩んでいた。
2025.10.11
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。もしこの縁談が実現すれば、どれほど立派で釣り合いのとれた夫婦となるだろう、と語った。その後、乳母は朱雀院に何かを報告するついでに、自分が前日に兄の左中弁と交わした話を持ち出した。兄は「院はきっと承諾するだろう。六条院にとっても長年の望みがかなう縁談だと考えるに違いない。だから朱雀院のお許しさえあれば、私から伝えよう」と言っていたことを話し、「どうしたらよいでしょうか」と朱雀院に問いかけた。乳母はさらに自分の意見を述べた。六条院は愛人一人ひとりに、その身分にふさわしい待遇を与え、思いやり深い人物であると聞いているけれども、普通の女性であれば、すでに妻のいる男性と結婚するのを幸せだとは思わないものだ。
2025.10.10
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 9〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。文章が長いとのご指摘を受け短くしたのをテスト公開もし姫宮が六条院へ嫁ぐことになったら、紫の上がどんなに優れた奥方であっても姫宮に勝つことは難しいだろう、いや、必ずしもそう単純にはいかないかもしれないが、と左中弁は考えを述べた。そして、院自身も「自分はあらゆる幸福に恵まれているが、ただ恋愛の面では人々から批判も受け、自分自身でも満足できないところがある」と漏らすことがある、と指摘した。確かにそう感じられる節はある、と彼は言う。院のこれまでの妻たちは皆ただの女性であり、皇族である内親王を一人も妻にしていない。だからこそ、院の身分にふさわしいのは姫宮のような高貴な女性であるはず。
2025.10.09
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。心の奥では、かつての尚侍との事件を思い返していた。乳母の中でもとくに中心的な一人の兄にあたる左中弁某は、六条院からの厚い恩顧を受けて親しく出入りしている人物であると同時に、この姫宮を深く敬う一人の伺候者でもあった。彼がやって来た折に、妹である乳母は朱雀院の望みを伝えた。「この話を、もし機会があれば六条院に申し上げてみてください。内親王は本来生涯独身であることが原則ですが、婿として、どのような場面でも力を貸してくれる人物を持つことは、独身の宮様よりもずっと頼もしいと思われ、この宮には院以外に誠意をもって世話してくれる後ろ盾はなかった。私がどんなにお仕え申し上げていても、それは限られたことしかできませんし、私ひとりだけが仕えているわけでもなく、多くの人々が関わっています。誰かがいつ不心得をし、思いもよらぬ事態を媒介して不幸を招くかもしれません。ですから、院がおいでになるうちにこの婚姻のことが決まれば、私はどれほど安心できるかわかりません。どんなに尊い身分の方でも、女性の運命というものは予測できないものですから、不安でたまらないのです。多くの姫宮の中でもこの方は特に大切にされているため、かえって嫉妬を受けることにもなり、私は心配で仕方ありません」と訴えた。左中弁は「話すことはしましょうが、良い結果になるかどうかはわかりません。院は恋愛において飽きっぽいとか気まぐれだとかいうことはない方で、むしろ珍しいほど誠実さを持っています。たとえ愛人にした人であっても、気に入るか否かにかかわらず、それぞれにきちんと居場所を与えてこられました。確かに多くの妻や愛妾を持っておられるけれども、結局は心から愛する夫人はただ一人だけなのです。そのため、同じ院の屋敷内にいながら寂しさを抱いて暮らしている女性も多いのです」と答えた。
2025.10.08
コメント(22)
全5302件 (5302件中 1-50件目)

