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2014.07.21
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クラウンライター、西武の前身である旧太平洋クラブライオンズの歴史を振り返って
みたいと思う。

昭和48年(1973)
西鉄が球団経営を放棄してこの年誕生した太平洋クラブライオンズは、しかしそのスタートからして前途多難だった。親会社がある他チームとは違ってこのチームは、中村オーナー個人が所有し運営する、いわゆるスポンサー方式の野球株式会社に過ぎなかった。球団の主な収入はホームゲームでの売上げぐらいしかない上に、スポンサーの太平洋クラブからの出資金も、折からの石油ショック不況で滞りがちだった。
 しかしオーナー自らが手掛けた大規模なチーム改造の結果、チームは3年ぶりに最下位から浮上し、観客動員数も前年までの平均の倍増を記録した。赤と青の原色をふんだんに使ったユニフォームも大きな話題を呼んだ。

昭和49年(1974)
前年4位で最下位を脱出した太平洋は、更なる補強を目指して大リーグの本塁打王であるフランク・ハワード選手を鳴り物入りで迎え、乏しい資金を投じて名門・早大から楠城徹と鈴木治彦を獲得した。
 ロッテオリオンズとの"遺恨試合"が話題を呼んだのもこの頃で、実は観客数を増やしたい太平洋が、ロッテの金田監督と仕組んで意図的に演出したものだった。それほど太平洋球団の経営状態は苦しく厳しいものだった。
 しかしそれでも若手選手をアメリカに野球留学させるなど、チームの将来を視野に入れることも忘れなかった。そのメンバーには、後の真弓明信・若菜嘉晴も含まれていた。


昭和50年(1975)
この年太平洋は、江藤慎一を監督兼選手として迎え、近鉄から土井正博、日本ハムから白仁天をトレードで獲得するなど、積極的な戦力補強に取り組んだ。その結果前期は2位に食い込む大健闘、後期は4位に終わるも通算では3位、初のAクラス入りとなった。投げてはエース東尾が23勝を挙げて初の最多勝利投手となり、打つ方も土井が34ホーマーで初の本塁打王に輝き、白も打率.319で首位打者を獲得するなど、中村オーナーが「どんたく打線」と名付けたほどの活躍ぶりだった。
 戦力補強の結果のこの好成績を見た太平洋は、更にチームを飛躍させるべくシーズン終了後にAクラスの江藤監督を解任し、大リーグの超大物監督であるレオ・ドローチャー氏を監督に招聘したが、翌年の開幕直前に健康上の理由により契約を破棄、一度も来日することなくドローチャー監督は幻に終わった。

昭和51年(1976)
ドローチャー監督が幻となった太平洋は、鬼頭政一ヘッドコーチを監督に昇格させ、ゴタゴタが続いた気分を一新するためにユニフォームも「和」を意味する中間色のワインカラーを主体としたものに変わった。胸マークの代わりに背番号を胸に大きくつけたアメフトスタイルはいかにも奇抜だったが、チームはかつての新人王・加藤初を放出したツケが大きく響き、ルーキー古賀正明の奮投にも拘らず4年ぶりの最下位に沈み、観客動員数も前年比マイナス43%となった。
 そんな中で吉岡悟がプロ入り9年目で初の首位打者、大田卓司も前期三冠王の活躍で最優秀指名打者に選ばれた。3年目の鈴木治彦も、規定打席不足ながら吉岡を上回る高打率.311を記録した。
 この年の大幅な観客数減で球団経営が困難となった太平洋は、10月12日クラウンライターとして再出発することになった。

当時吾輩は福岡のとある大学生であったが、旧西鉄ライオンズからの熱狂的な
ライオンズファンであった。中学高校生時代は西鉄ライオンズの不遇な時代
を見てきた吾輩にとっては優勝は夢のまた夢であった。太平洋クラブライオンズ
の誕生はまさに夢に見るAクラスを目指せる戦力をトレードで獲得し、現実のも


中日から江藤プレーイングマネージャーを始め、近鉄から土井、日ハムから
白仁天、大リーグからヒット製造マシーンのアルーや元々西鉄からいた、
基、竹之内、太田卓司、若菜、真弓、ドンビュフォード、投手では東尾、
加藤初、永射等そうそうたるメンバーが揃い、野武士軍団と呼ばれていたのが
懐かしく感じる。

竹之内は阪神に、加藤初は巨人にトレードに出されてそれぞれが移籍先でも
活躍した。

今のきめ細かい戦術はなく、力の野球であったような記憶があるが、今でも
吾輩の記憶に留まっているのは豪快な野球だったからなのではないだろうか?
西武も森監督時代、リーグ優勝、日本一を何度も成し遂げたが記憶に留まる
ことがないのである。当時面白くない野球を批判もされていたような記憶が
ある。
ファンにとっては面白い野球を見せてくれれば負けても納得がいくのである。
いや違う!勝ってこそ面白いとおっしゃる方も多いと思われるが、時代を経て
記憶に残っているかの違いなのかもしれない。

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最終更新日  2014.07.21 14:55:47
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