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目指すはこのまま、軌道にのると信じていたビジネスが、提携会社の送金経路に問題があり提携会社が摘発!その代理店として機能していた私が所属していた会社も摘発、表の社会にでてまで、逮捕されるとは!事情聴取には私も応じていたが、自分自身最初から悪いことをしようとおもったわけでないので、そこだけはガンとして警察には立ち向かった。朝日新聞夕刊一面に摘発されたうちの会社が掲載され、役員は逮捕。もしかすると自分の前歴が前歴なためと思い、家から離れていたら、予測通り、家に刑事がきた。警察に連絡をして、悪いことをしたとは思っていないので、自首するつもりはないと伝えると条件だしてきたよね!一種の脅かし!自分が行かないと、自分の部下を調べると!部下は皆女性で、就職情報にて入ったスタッフ。何も非はない!でもそれでも調べると・・・悔しかった!でも女性スタッフの経歴を少しでも汚させるまいと、自分は自首つもりはないから迎えにこいと伝えた。家でもね近所の目があるから、JR港南台駅、18:00の約束で警察を待った。刑事さんは時間きっちりしていたね。ちゃんと待っていました(笑)
2008.03.06
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通信衛星を利用した大学講座もコンサル終了。またあらたなプロジェクトが飛び込んできた。一歩間違えれば、賭博開帳図利だが、イギリスのブックメーカー(国公認)を通して合法にできるとのことで、そのビジネスの本部機能する総務部として勤務。やっとくるところまできたかという思いだった。上司は弁護士とも綿密に打ち合わせをし、着々とプランをたてていった。このときも日々仕事に没頭し、生き甲斐を感じていた。
2008.02.14
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仕事を手伝って欲しいと!任侠の世界を離れてからお世話になった方より声がかかる。職場は池袋のサンシャインシティ57Fのフロア。この自分が勉強したこともないのに、通信衛星を利用した大学講座を開設したある塾の事務局で!いよいよ人生に芽がでてきたとシャカリキにこのときはなっていた。家にもほとんど帰らず、いつも上司からの書類作成に没頭して、残業代はなかったが近くのサウナに週4回は泊り込み。酒は上司がご馳走してくれるし、サウナには毎日泊まれる、ボディーガード役からも離れて、負債はあったが、生き甲斐を感じていた。
2008.01.20
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自分が営業?知人から声をかけていただき、表の社会で挑戦してみるかと。まぁせっかくいただいた機会。精神的には不安定ではあったが、今まで裏の社会にいた自分にしてはいい勉強になるかと思い、お願いする。そこは浄水に関する中小開発メーカーで、新たな輸入機器の販売に伴い、営業部門を設立していたときだった。部署には元プロ野球選手、俳優など代わった面子もいた。ただ金銭に対しては何とか負債を帳消ししたいあまりに、ポツポツためたお金で(まぁ50万くらい)先物取引をした。自業自得だね!ものの2週間で結局、さらに8万円支払うはめになり、また負債を負う。
2008.01.06
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連帯保証人ひっかかる。1200万。経営者ならどったことない金額だが、自分にとっては・・・パニくり、自分を一時失う。
2008.01.04
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知人のつてで入った会社6ヶ月足らずで倒産。主な仕事は事務関連だったが、給料もままならず、仕事終わってからは、JRの神田駅前で新聞や、週刊誌を販売するバイトを仕事関連の取引さきの方より頼まれて手伝っていた。さすがに自分も落ちるとこまで落ちたかという感覚。そのわりには、堅気の世界に順応しておらず、何か相手が通りに会わない言動を発すると、追い込みかける癖はまだまだとれなかった。仕事をしない訳にはいかないので何とか自力で、アルバイト誌をみて、決めた先が○マ○運輸の夜間仕分け。まさかここに、有名作詞家・歌手の息子さんがバイトしているとは思わなかった。その息子さんと親しくなり、仕事終わればポーカー三昧の日々、息子さんから話を聞くいたところ芸能界も色々と複雑らしい。その息子さんは、父親から、目黒駅数分のマンションを1つもらっただけで、親子の縁をきられたとか。まあ、女遊びが激しかったらしい。
2008.01.04
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任侠の世界を辞めてから、見覚えのある携帯電話番号が。組長(親父)さんだった。辞めたあと組長が拘留されていたとき、面会に行き。色々なことを話した(内容は伏せます)まっ最後に組長は『自分で決めた道だ、それも良いだろうでも、この世界にはもう戻ってくるなよ!堅氣で真面目に仕事をするように』とありがたい言葉をいただいた。俺は、面会室にて土下座をした。電話に戻るが、親父さんが誰かと変わった。総長の姉さんだ。その瞬間涙があふれてきた。それもJR中央線の車内で。辞めた本当の理由などは絶対言えなかった。ただただ良くしていただいたことに対して、このような結果になったことを謝るばかりだった。姉さんはお子がいなかったので、自分を子供のように可愛がってくださった。ときにはワガママいう姉さんだったけど(笑)ご飯も美味しいし、総長や組長に叱られたときは、陰で励ましてくれた。そんな姉さんだからこそ、もう涙がとまらなくて・・・それは通勤ラッシュの中だった。姉さんの言葉は真面目に堅氣の世界で生きなさいと優しいお言葉だった。
2008.01.03
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恐喝未遂容疑での逮捕、腹黒い土木業の社長がいた。酔った勢いで組長の頭をポンと触れ組長激怒、事務所に呼び出し、その場所に立ち居合わせたところ、恐喝未遂で逮捕。結局は、不処分で出れたが、出る際にすでに俺は任侠の世界を辞めることを親戚の刑事に話をしておりその刑事の後輩の方と部下が、不処分釈放後すぐに地元から離れるようとある駅まで護送していただき、そのまま第二の故郷にもどった。話によると、その後、事務所は大騒動だったらしい。なぜならば俺は第二の金庫番だったから。かなり兄貴は熱上げて、俺を見つけてけじめとらせることに必死だったと地元の堅気のかたより伺った。たいした兄貴だ。こんな兄貴のために痛い思いをして指詰めるなんザ、本当にばかばかしいことだ。でも当面はおとなしくしていないと、何があるかわからなかったので油断は許されなかった。
2008.01.01
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俺はもうこの兄貴についていけないと決めた。酔っ払ってチャカいじっていて誤って発砲。幸い事故はなかったが3つの部屋を貫通していた。俺もその場に居合わせていたため、組長(親父さん)から危うくケジメとられるところだった。金は払わねぇ、心身だらしがねぇ、堅氣さんには迷惑をかける。こんな野郎とこのまま一緒なんザ冗談じゃねぇと・・・脱会を決意した。辞めるのにこんな理由でケジメとられるのも面白くねぇからどうせだったらふけることにした。関東の仲間とも連絡をとり、荷物のさんだして日にちを決めて朝方でる準備を計画しはじめた。親族の刑事にも一応報告した上で。それにしても、組長(親父さん)と総長には申し訳ない氣持ちでいっぱいだった。計画した翌月あと数日でふけることを計画したいてところ恐喝未遂で逮捕される。(暴対法が施行された直後に)
2007.12.27
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兄貴は俺が組みの2次金庫番になってから集金の金を納める期限がルーズになってきた。こっちがいいずらいことわかっているのに、俺がいかにも悪いようなことしているみたいに怒りやがる、兄貴の収めない金は俺がたてかえるしかない。自分の凌ぎも事務所番の小遣い銭くらいだ。日ごろ世話になっていた堅気さんが氣にしてくれて、ひとつ凌ぎをつくってくださった(兄貴のだらしのなさは堅気さんにも有名だった)でも恥ずかしいよな。堅気さんが氣をつかってくださる。正直このままじゃ俺がつぶされると思ったので、兄貴を潰すことも考えたが一発で打ちのめさないとひつこいこともあったから、先ずは念入りに計画をしてみたが、良いプランがなかったので、とりあえず断念。この状態、組長(親父さん)や総長に報告すれば、まっ兄貴は指詰めもんだけど、もうそのとき、両手の小指がなかった。良くない出来事はこればっかりじゃない。弟分も失踪(まっ家に帰ったことはきいていたが追うことはやめた)やはり金を持ってね。まっ組の金じゃなくて俺の多くない金だったからそれは見逃した。俺ももっと早く総長や組長に内緒でも、凌ぎをさがし、弟分にある程度の小遣いやれればなと、そんときは反省した。どうしようもねぇ兄貴で痛い目にあっていたからね。下の写真さえない顔してるでしょ。確かこの写真(よく今まであったと思うくらいだ)兄貴に呼び出され、兄貴が俺を肴にし、店の女の子に『俺はすごいんだぞ』というところアピールしてたとこじゃないかな。これかなり自分の感情を殺していたときだと思う。ここで問題起こせば堅気さんに迷惑をかけるから我慢していたときの写真だね。
2007.12.27
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問題の叔父貴、あまりにもヘマばかりしているから組長(親父さん)より『あいつは叔父貴でもなんでもねぇ。兄貴で充分だ』と言われた。そりゃそうだ、組の金は使い込む。堅気さんの店では飲んでも支払いをチビチビしかしねぇ。金にだらしがなかった。酒癖も悪かった。俺にはあたるわ、俺の魂(たま)まで持っていかれる寸前だった。総長と組長ならわかるが、このどうしようもねぇ兄貴のために。他の組長と酒の席(一家の忘年会)でいざこざを起こし、その組長も酒癖が悪い。ケンカになり総長の前ではおとなしくしていたらしいが、俺が総長をお送りしていたさいに、大騒動となる。総長を送り事務所に帰ってやすもうとしたところ、その組長が待っていた。『お前の馬鹿兄貴どこいる』と。兄貴もその時まだ引越したばかりだったので、組長も知らなかった。でもここであわせりゃとんでもねぇことが起きるとおもい、知らないふりを通した。そりゃ知らねぇわけないこと一発でわかる。身内がしらねぇわけねぇからね。丁重に組長にはお伝えした。でもその組長も酒癖の悪さでは天下一品!何度こっちは大変な思いをしたか親父さんと。飲んだ勢いで脅しかけるんだからね。いきなり若い衆のポン中(覚せい剤中毒)野郎にチャカ持ってこいと言うもんだ。酔っ払いにポン中!これはやりかねねぇぞ!と危険を感じた。それから他の若い衆が今度は俺を身動きできねぇようにする。重厚をデコッパチにつきつけられたときは、『もう終わりだ』と感じ、それまでは正直背筋がゾクゾクしてブルっていたが、最後と思ったときはピタッと止まり、腹が据わり今までのことが走馬灯ようによぎって。終わるとおもいきや、そこにタイミング良く、俺が尊敬している、酔っ払いの組長の代行が来られた、代行の一声で俺は助かった。まっその代行も組長のことで苦労していたし、責任感の強いお方で、組長について行けず足をあらってしまってから、どちらに行かれたかは不明。一度死んだ命が、もうその倍生かさせてもらってる。今はホントにありがたい。代行命の恩人です。この場で恐縮ではございますが、感謝の念を申し上げます。
2007.12.24
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総長と姉さんは、こんなはしくれの者に、成人祝いをくださる。そして長距離の旅(義理)には運転手や身辺関係についてつくことをお許しになる。総長は釣りも好きだったので、特殊1級船舶の免許を取得させてくださった。常に、組長(親父さん)は万一の時は、総長の盾になれと言われた言葉は肝に銘じ総長に御付させていただくときも常に、後部左側に自分の体を半分入れ歩いていた。前から何もがきてもすかさず自分が出れるようそして後部からきても自分の体を心臓部分をカバーしていれば先ずは第1難を解決できると思い自分なりの知恵をしぼって考えた対策。このときは自分のことなど二の次だった。自分を信頼してくれる総長、総長姉さん、組長(親父)組長姉さんには感謝した。俺を慕ってきた弟分もでき、一家の2次金庫番にも任命され心は桜咲くころだった。ただ、総長と組長の女性問題では、姉さんから追求され叱られそして総長、組長(親父さん)さんから叱られこりゃつらかったなぁ!姉さんたちの追及がきついもんだから、俺が、姉さんたちの前で『すいません。何もわかりません。』と土下座しちまったもんだから、それを聞いた組長(おやじさん)に『女に土下座するなんざだらしがねぇ格好するんじゃね』とこてんぱんに叱られたときがあったな。そりゃそうだよ。そんな態度俺がだしちまったんだからね。今思うとその態度は『はい総長、組長(おやじさん)はいま、メカケのところに行ってます』言っちまったみたいなもんだからね。総長、組長が紳士だったから、自分も紳士的に振る舞いながらも一番勢いがあったときだった。バッジもいただき、手柄をたてて懲役行くぞと、俺の番はいつだと興奮していた。
2007.12.22
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飲食店では、悪質な客に対して、警察に通報できない店もある。そんな時は、俺が先ず連絡受けた店へ行く。従業員や他のお客様にトラ(酩酊者)がだいたい大きくなりやがって、どっかの組の名を出し吠えていることが多い。こっちも店内で他のお客様がいるので中では従業員になりすまし丁重にトラを扱う。手は相手が出してくるまでは勿論出さない。店の外に行き素直に退散するようであればそのまま返すがトラにかぎって吠えて、物をちらつかせてみたり『俺はどこどこの組長に関係するもんだ』とか言ってきやがるもんだから、処理に困る。まっその組長の名前を聞き、この場で電話しろと言えば殆どしないけどね。自分が不義理起しているんだからね。そんなのに立派な組長が顔つっこみゃ、恥さらしってもんだからね。地元はよそ者が多かったからそんなことが多くあった。そんな中で知らず知らずうちに、体売していたタイの女の子とであった。当時まだ15歳。心開いてから聞いた話、親父がたまにゃ遊んで来いと褒美をくれるもんだから、その子を選んだ1回だけね。そのとき言葉が少ししか通じなかったけど、色々と話をして朝は家に送った。その店には月に1回集金に行っていたからその女の子にも会う、するとマスターがたまにわ連れて行って欲しい。頼むからと言われ、しょうがねから金を払って行った。まっ俺もやることはしっかりとやってるんだからたいしたことは言えねぇけど、その彼女が自分の大切にしていた金の指輪を俺にくれてね。(普通反対だろ)何か、その子の姿勢に対して惚れてしまい、その後マスターも金はいらないから彼女の精神的なケアにも月一回はどこか連れていってあげて欲しいと言われたので、稼業に似合わず、開いてる時間をみて(夜中)一緒にデートしたっけ。まだ15歳。家族のために自分の体を売り、生活にあてている。複雑。でもそうでもしなきゃ家族全員が皆死ぬくらいのせっぱつまった状況。俺にできることなんざたいしたことはできなかったが、自分なりに人として大切にはつきあった(人身売買でましてや他国からきている女の子たちはモノとして乱暴に扱われるケースが多い)でもそれも2ヶ月。不法入国で入っているため、警察の手入れ情報が先に入ったらしく、どこかにそのまま消えてしまった。
2007.12.21
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地元の暴走族が客人の若衆とケンカになり頭を勝ち割った。それも22:00ころ。近くの大病院じゃ面倒のため、知っている小さな病院の先生に応急処置をしてもらい隣の市の病院へ車で搬送。小さな病院じゃ先生しかいねぇから看護士代わりに自分が手伝い流石に肉の内部が見えたときはやっぱ自分の頭も痛かったね。市の病院へも客人の車で俺が運転していった。帰り途中で叔父御(後格下げ兄貴)もういいから先に帰れと、まぁいつものことだが、イイトコドリばかりしやがる叔父御でなっ。帰れって言われたって足はねぇしタクシー帰りゃ3万くらいかかる。まだ部屋住みだからシノギはねぇし朝の始発で帰ろうと、駅前で寝てたよ。夏だからよかったが。そしたらね、俺は汗かきだから汗かいて寝ていたら、フィリピンの男性が、『大丈夫』って起してくれて。冷たい缶コーヒーをくれるんだ。俺はヤクザながらもこの情がなによりも嬉しいかった。異国にきて、路上に寝ている輩に声をかける。なかなかできるこじゃない。仕事の帰りだというから少し話ししていたら、仲良くなり、朝まで家で寝ていけと。シャワー浴びて。申し訳ないからいいと断ったが連れて行かれた。すると奥さんがいてね。軽食をつくって待っていた。今じゃもう家族そろってフィリピンに帰ったようだけど。この心は嬉しいかったな。許せねぇ叔父御の怒りの心をこのフィリピンの家族は360度ひっくりかえしてくれた。俺がヤクザであることもわかっていながら。そして朝、電車に乗って地元へ帰った。そんときゃまだプライド持っていたからね、電車に乗って帰ったときゃ恥ずかしいかったな。金もねえし地位もねえし、仕事はいつも目立たねぇ月見草なもんだよ。本当にフィリピンのご家族には今でも感謝してます。ありがとうございます。この出来事のおかげで国は違っても同じ人間だ、仲間だということ痛感した。
2007.12.20
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すこしづつであるが信用をしていただき、ある程度の行事については総長の運転を勤めさえていただけるようになった。でも気は抜けない。万一のことがどこでいつあるかわからないからだ。返事はひとつ「はい」に限る。体調が悪くても、飯に一緒にいけば食べ、もう食べれませんなんて言えないからとにかくはらに一度収めて、総長の安全を確認しさりげなくトイレに行き吐いたりしたこともあったな。わがままに生きてきた自分にはかなり過酷だった。でもどうせ、たま(命)とられるんだったら親子のように可愛いがってくれるところで死にたいというのが本能だったな。組長は組長で総長の用事がないことを確認しては飲ましてくださる。また地元の堅気さんを大切にしていた。飲食店に行っても混んでくれば、自ら席を立ち気をつかっている組長の心には感動した。「世話になっている店が混んできたら、居座るのではなく自らたて」というのがうちの組長の教えだった。この時期やっと、デカイ携帯電話がでてきたあたりの時代かな?じょじょに自分の仕事も増えてきたころだ。まぁこの稼業の世界は仕事面の管理には大変だったな。
2007.12.19
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某県○○会故○○会長直参舎弟○○総長の事務所にて運転手兼事務所番を命ぜられる。礼儀もろくに知らない自分は任侠道映画を時間あるときは見つつ学んだ。組長や総長に恥をかかせることは絶対に許されない。でも部屋住みしていた組長には優しさを感じた。朝6時に起床し、トイレ掃除、玄関掃除を自分ながらしていると『ikiteそんなに力むなできる範囲でいいぞ、その代り総長には恥をかかさぬよういつも頼むな』この言葉をいただいた時は、本当の親父かと錯覚したくらいだ。良い親父さん(組長)だった。姉さんの料理もうまいし、温かいファミリーを感じた。朝10時~夕方5時まで事務所番を行い、そして夜中1:00には親父が経営していた店のスタッフの送り迎えは通常稼業だった。他空いている時間はだいたい、総長の運転手もしくは親父の運転手。でも親父は俺が疲れていそうなときは親父が運転する。(頭下がる思い)いつでもいざというときは飛び出る覚悟は決めていたね。叱られることも礼儀作法で多々あったが、本当の家族のように思えたくらいの雰囲気だった。ただねびっくりしたのがその地域を管轄していた刑事が実は俺の別れた実父の従姉妹の子とは知らなかったね。15年ぶりの再会で一方は警察官、俺はヤクザだかね。小さいときにはよくその警察官になった兄ちゃんのとこに遊びにいった面影はあった。
2007.12.19
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それは社長(オヤジ)の大事なお客ということで、夜呼び出され、自宅まで客人を送っていくよう指示された。2人いてひとりは堅気の客人ともうひとりは任侠の客人。約1時間くらいの道のり。お送りしている途中に、『若いのうちに来るか?』と言われ躊躇することなく『はいっ』と返事をした。そしたらそこから大騒動!任侠の親分が、うちの社長(おやじ)に『お前のとこの若衆がうちの若衆になるがもらっていいかと』電話をした、そしたら社長と兄弟、蝮の三兄弟がかけつけてきて、一番下の兄さんからいきなり電話機で殴られ、目上がぱっくり割れて流血。軽々しく返事なんかしやがってと大騒動状態。でも男が一度吐き出した言葉は撤回できないと、自分が社長に伝えたら、社長は『おまえが単純に返事をしたなら俺の指を親分に渡せばどうにでもなるから本当のこと言えと』そんな社長の指を落とさすことなんざ出来ねぇし、社長には『すいません。自分の勝手をどうかお許しください』と涙ぐみ土下座する。他兄弟の兄さんからは翌日まで説教。実の母も呼び出され新幹線にのり4時間かけてきたが、パニック状態。結果任侠の世界に入ることになった。母も勿論考えなおせといわれたが、その当時はやけぱっちになっていたから、そのまま任侠の世界に入った。まぁきったはったの世界ということは、話に聞いていた。まぁ鉄砲玉代わりだから、いつどうなるかわからないことも覚悟していた。ここから更に部屋住みの生活がはじまった。
2007.12.15
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車の免許を取り、早速(社長)オヤジの車をひっくり返しそうになる。オヤジ、ハッタおされてボコボコにされると思いかなり当時の言葉でビビッタ。でもそのまま、ふけるわけにもいかない、先ずは恐れ恐れ電話で報告。声のトーンは低い。車はとりあえず、放置。オヤジの前では歯をくいしばっていたが何もお咎めはなし。注意は勿論されたが。でも俺の気持ちがすまなかった。まさか指詰めることしたらオヤジにそれこそひっぱたかれるし、それに痛いしつい最近あったニュースじゃないけど丸坊主(若いうちってスキンヘッド嫌なもんなんだよね)オヤジには何も言わずしたら、オヤジは笑ってくれた。『何故お前こんなことした』と聞かれ、『すいません。せめてもの自分の反省のために』と・・・笑顔だったオヤジ。確かに自由がなくきつかったけど、オヤジのところでは精神的に鍛え上げてもらった。人間関係を学ぶ俺の専門学校だったな。なんせ賭け事がスキだったんだよな、このファミリーは年齢関係なく容赦しないからね勝負の世界は、俺なんか一日でビリヤードをファミリーでやって15万円持っていかれたからね。俺の給料1.2か月分を!まっ社会の厳しさも教えてもらったかな、人生そんなにあまくねーぞと!
2007.12.13
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まっガキの悪あがきしかしていないけど全く自由がきかない(社長)オヤジのところにきたおかげで保護観察処分はとれた、でもな(社長)オヤジの兄弟は昔地元じゃマムシの三兄弟と言われていて、人のこと言えないどえりゃいことしていたらしい。ケンカか何かで人を換金し、(社長)オヤジは少年刑務所に行き次男の兄さんは、少年院送致になったらしく、まっ俺のこと言えないよね。でも尊敬できたこともたくさんある特に(社長)オヤジは、生まれつきの障害者で、そんなことも苦にせず、大悪にまでなったが、自営業をおこした。誰よりも根性ある人だったな。そんときは、何故俺から自由を奪う意味がよく理解できなかったが、今になってその当時の話をふりかえると納得することだ。
2007.12.11
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わがまま放題してきた俺に新たな試練がきた。季節商売(冬は山 夏は海)の社長が鮮魚センターでバイトをしているとき仕事っぷりを見て、『うちに来い』と誘われた。そんときの俺は単純だった社長(オヤジ)に『うちに来て悪さしたらズタ袋に入れてボコボコにしてやる』言われたので社長(オヤジ)に『わかりました。じゃ1ヶ月間時間をください!後悔することなく悪さして足を洗いますから』と言って1ヶ月間猶予をもらった。ところがオヤジの家に住み込みになったら悲劇が始まった。自分の自由な時間は一切なし。オヤジの仲間はマージャンが好きで、俺が寝る部屋では仕事が終われば、朝までマージャン大会。俺は眠れず(ウトウトしていると怒られる)やれラーメンつくれとか、灰皿交換しろとか最悪の日々、眠る場所さがして、ボットン便所(水洗じゃないよ)周りにコの字になって寝ていたときもあったぐらいキツかった。まっフテクサレルにはちょうどよい環境だったな。親はもういないと自分に信じ込ましていたからどうにでもなりやがれと・・・
2007.12.09
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交通事故で全治3ヶ月。陥没骨折。彼女も改心してくれたらしく、40分かけて殆どと言っていいくらい祖母ちゃんが病院にこれないときは、身の回りことをしてくれた(今では更に感謝しています)ただ退院後には、とうとう叔父と叔母にアイソウつかれて(そりゃそうだよな)預けられていた家を出ることに、また出戻りになる予定で新たに買ったバイクだけはアート引越しセンターで送った(とても300キロを改造車両で走るには何度捕まるかわからんので)。でもね彼女とは一応彼女の両親承諾つきで結婚予定だったから、彼女のお母さんがオイラに仕事を紹介してくれてきっかけで、地元に季節商売の社長の家に丁稚奉公することになった。ところがどっこい、彼女の近くにいるのに余計会う機会がすくなるとは想像もしていなかった。暴走族からはアシをあらったけど、また更に表の社会と縁が遠くなることも知らずに・・・
2007.12.07
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やっぱり音がうるさいだけのバイクじゃ面白くねぇ。騒音で近所に起こられちまう!チンドンヤにならなきゃな!(当時は大変一般市民の皆様にご迷惑をおかけしました)仕事から帰ってきちゃ、バイクいじり。当時婚約予定の彼女はいたけど(俺のせいかな?やけに誤解するような遊びをするんだよな!他の男といたりして結果誤解じゃなくて浮氣だったけど)そんなかんだで、オイラはバイクに没頭していた。今のバイクみたいにカーステレオなんざついていないから自分でつけてね。好きな曲を聴きながら、一人で途中おまわりさんに追いかけられながらも、ひと山越えて自家製仕様の愛車のバイクで海に行ったときは一人だったけど幸せだったな。ちょうど海周辺を仕切っている暴走族メンバーがいたけど、鑑別所でそこのリーダーの先輩に可愛がってもらってたから顔パスでいけた!でも、海から帰ってきてから数日後、俺が時間をかけてカスタマイズしたバイクが俺のせいで・・・このバイクともう少し一緒にいたかった・・・
2007.12.06
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俺がどうしようもねぇから家に帰れば迷惑がられる(預けられていたからな)家に俺がいりゃ仲間はあっちこっちからわいてくるし、おまけに俺が預けられていた家の近くで悪さしやがるから警察まできやがる。でも笑い話があったな横浜の悪友がひまだからと言って、はるか300キロ離れた俺が預けられていた家まできた。そいつは無免許で俺のバイクを家の前の国道で乗っていたら白バイに捕まってやんの、白バイも白バイだよね無免許のヤツがモロイカレポンチのバイクに乗っているのに、警察署に仲間がつれていかれなかったのが不思議だった。わざわざ遊びにきて無免許で捕まってるんだからな!あんときは笑った!仲間はブツクサ行って電車に乗って一人で帰ったけど。いい加減な毎日を暮らしていたな。でも地元の人たちは、祭りがやてってくると何故だか温かいんだよな!皆が良くしてくれるそんときは悪もお休み・・・そんときはちょっとちっちゃい頃のココロに戻ったりして・・・
2007.12.05
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鑑別所に入ったって、裁判所の調査官から家に電話入ったんだろうな、母親と叔父が面会にきた。会話は俺はあまりしなかったけどな。ただ3畳に2人はきつかったな。便所もただ板の仕切りが置いてあるだけで、もう一人の同居人が朝飯の時間にかならずトイレに行くんだよ!生理現象かなんだかわからんけど。飯を食っているときに・・・あ~もう朝から撃沈。隣の独居じゃ少年院送致が決まった仲間がいて、夜も泣きっぱなし。オイラはおかげさまで保護観察処分で約21日?くらいでめでだく出れたけど(すいません。今では恥なこってす)でも相変わらず、何も変わることはなかったね!まぁバイク欲しさに仕事はしてたかな!さすがに地方にきて人のバイクかっぱらうと足がつくからね!
2007.12.02
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中学校卒業後、調理師学校入学1ヶ月で辞め。仕事をしても1週間。トルエン吸って酒飲んでプールに入ったら救急車⇒入院。退院だとおもいきや、今までの事件がたまるにたまって家庭裁判所から出頭命令。審判(大人でいえば裁判)には保護者付き添いが必要なのに親や親戚までに愛想つかれて俺一人で出頭。もう行き場所は決まったもの同然。予想通り鑑別所送致!これじゃ彼女にも愛想つかれるはな!彼女は2つ上の先輩と俺と別れてつきあっちゃた。
2007.12.01
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チェッカーズの歌を関係ねぇ~けど恨んだね。本当に歌の展開になっていきやがった。信用できるものと言えば暴走族の一部の先輩かな。前の場所の先輩とは違い、面倒を見てくれて優しいんだ。まるで弟のように可愛がってくれる。楽しかったな!先輩がかっぱらって来いなんざ言わない。車検切れのバイクはくれるし(良い子のみなさん車検切れのバイクを無免許で乗ってはいけません!)特攻服はくれるし、良く可愛がってくれたな。デモ、トルエンを吸っているところを見つかると怒られるから隠れてしていたっけ。亡くなった二人の友は本当に親友だった。聡がそのまま良い子になって教護院にはいってりゃ死ななくてすんだのに。家庭環境が似ていたからなおさら心通う仲だった。もうひとりの勉は格好良くて、女に持てて(また優しいやつなんだ)家計がたいへんだったから、俺が紹介した弁当屋で真面目に仕事をしていた。今頃生きていれば俺以上に苦労していたから、今頃一人前になっているだろうな。この日から勉と聡は俺の守護人になった。聡の骨はどこにもっていかれたかわからんけど、勉の墓だけは命日にはいけなくても、任侠道から外れたときから毎年墓参りに行っている。写真をよーくご覧あれ・・・YOKOHAMAじゃないの? 聡が書いた旗。頭はピカイチ聡はアホだから、英語のスペルなんざ全然わからねェ~聡の家でこの旗を仲間と見たときは腹をかかえて泣いて笑ったな~湘南爆走族の一部にでてくる場面のように・・・勉・聡今ままでも本当にありがとう!感謝していますよ!聡命日のときはまた勉の墓で会おうな。キャビンマイルドもって行ってやるからよ!
2007.11.30
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いや~とうとう印籠がおりた。島流しというか強制転校。母の実家に。預けられたとたん、じっちゃん、ばっちゃんが服装と髪型はなんとかしろと。いやいや、ばっちゃんの知っている床屋に連れて行かれきられるハメに・・・パーマがかかっている先っぽだけ切ればいいとじっちゃんに言われたから、床屋のおじさんに先っぽだけと、伝えて、トルエンを夜中吸っていて疲れていたせいか、そのまま眠ってしまった!オキルトースポーツ刈り!!!ナンジャーっつと床屋のおじさんに言ったら、じいちゃんからできるだけ短くしろと電話が入ったとか・・・ヤラレタ恥ずかしい・・・3年2学期からの転校新しい中学に行ったら不良連中がやけに俺のあとをついてきやがる。トイレに入れば不良連中がタバコをどうどうと吸っているじゃないか!結果、転校した先の中学校はもっと荒れ狂っていた。最初はケンカも売られたけど、いつの間にか仲間になっていて、一人自由気ままに学校生活を送った。学校にはマジメに行っていたが授業には出ず、自然を満喫しながらトルエンの日々だった・・・でも母は俺を実家に預けわかれるときはおお泣きしていたなっ。当時はこのクソババ野郎扱いしたっけ(今は頭あがりません)俺にとっては最高の中学生活だった。勉強?わからないね!ルート計算なんじゃそりゃ?国道を計算してどうするぐらいの学業レベル。
2007.11.29
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学校に行くのもだるくなった。でもなうちの担任迎えに家までくるんだ!母はどれだけ、頼もしい先生だと思っていたらしいけど、俺にとってはヤブヘビ。部屋まできて先生がきたのを無視して寝ていると、髪の毛ひっぱり『ikite学校だ行くぞ!』と無理やり起こされる。イヤイヤ学校に行っていたけど、内心俺のことをかまってくれる先生がありがたかったりして。土曜日になれば、夜は先輩のパシリ!腹減ったといわれれば、金なんざもっていないから=かっぱらってこい。集会に出るガソリンがないんだけどといわれれば=人の車からガソリンかっぱらってこい。今じゃその先輩は廃人になっちまったけどね(覚せい剤の打ちすぎ:久しぶりに実家に帰ったとき挨拶はしなかったが、かなりやつれ意気消沈していた)まぁこんときのイキガイと言えば、どれだけ注目を集めるかだったかな!どこか歩いていれば知っているおまわりさんがパトカーに乗っているとき拡声器で『ikiteまっすぐ家に帰ろよ』なんていわれてるとピースサインなんかしたりして(今思うとただの恥欠き)トルエンにはびったりつかるわ、どうでもなれのやけっぱち人生だった。バイク欲しさに時給300円で弁当屋でバイトし念願のバイクを8万で買ったが、先輩に皆バイクのパーツをとられ結局1・2回しか乗れなかった(良い子の皆さん15歳での運転は違反です絶対に真似をしてはいけません。あとで苦しみますよ)家に遅く帰れば義父はそんなの家にいれるなってな感じでそんときはドアをケッポッテ、近くの大工さんの作業場のオガクズの中で寝たりして。腹がへりゃ、スーパーの試食コーナーを堂々巡りして食べ周り注意されったけな!でもそんときの価値観でへんな男らしさを持っていた。こんな言葉!男一心硬派とは・・・女一人を守るべし。女一心硬派とは・・・男一人に尽くすべし。今の世の中じゃ死語かもしれないけど、俺はかたくなに守った唯一の自慢かな・・・
2007.11.26
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こんときは、見るもの全て敵だったね。仲間は教護院に預けられるし、今度は自分の番かって!そんなこと考えてたら番がまわってきた、児童相談所の先生が、『ikite君の行く場所はお母さんの実家に行くか、聡君(今は天国にいます)と同じ教護院にいくかどっちしかもうないんだ』と16thの時、母親と一緒に家を追い出されたの発端で、母親の実家じゃ親戚会議よ!俺のことで。とりあえず義父に土下座をしろと。そうすればお母さんだけは戻れるみたいな感じ。まぁ結局心のこもった土下座はしていないけどね俺は。下の写真の思い出は絶対にわすれねぇな。当時、暴力教師で有名だった先生で(心のある先生だったよ!太鼓判)いきなりクラス持ち始めて、いきなり俺の担任!まいったね。3年の進級記念の写真だけど、実は撮影前に先生にボコボコにされた後。極真空手やっている先生だからモロポイントをつくのよ!ぶっ倒れることはこらえたけど、そうだな90センチ四方に血だまりがあったかな?クラスメイトがモップで俺の血を拭いていたもんね。でもさすがにクラクラときたぜ、それだけ蹴りを入れられ、殴られて・・・まっ俺が校則違反していたからしょうがないけど。撮影前に保健室で寝ていたんだけど、先生に引っ張り出されて撮らされた1枚。でもこの先生は愛情を感じたな。授業中に他の中学校に遊びに行っていたら、迎えにきて校内でまたボコボコ。終わったら『ikiteお前、弁当持ってきていないだろ!』って先生が飯を校外に行ってご馳走してくれた。またそれがカレーっ!殴られて口の中切っているのに、どうやって辛いもん食えっての!俺が家をおんだされて転校したときも、先生が『文化祭に遊びに来い!俺のクラスお前の仲間がガンバッタ結果を見に来いと』一応通っていた中学校の先生に欠席届けまでだしてくれて、そして交通費まで自腹で出してくれて(2万円も)俺のことを呼んでくれたときは嬉しかった。まさにGTOというかファンキーモンキティーチャーだったな!しかしこのときの俺の心はまさに荒れ狂っていたな!これじゃ母ちゃんもノイローゼになるわなっ。買い物帰りの途中母ちゃんが横断歩道を渡るのを俺は見ていた!そして母ちゃんと俺は目があった。そしたら母ちゃん呆然とつったたままだった。そりゃそうだよ!パトカーに乗っちゃっているんだもんね!(すいません。今はとても反省いたしております)
2007.11.25
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大黒柱の祖父ちゃんが亡くなってから1年目。家族は蝕まれるように崩壊しつつあった(まぁ俺のせいだけど)俺は野球部に入っていて1つ上の部長が本当に兄貴ように俺の面倒を見てくれて、部長から、『ikite1ヶ月半の夏の練習休まず全て出て来い』と言われた。厳しいが優しい先輩だったから必死になって暑い夏の練習を一時全身痙攣を起こしてまでも通いきった。(顧問の先生がお前等死ぬ気で走れっていうから死ぬ氣で走ったらぶっ倒れて意識なくなり全身痙攣を起こしていたらしい)その時そばにいてくれたのも部長だった。部長の推薦で、野球はヘタクソだったけど、その後、副部長に任命された。嬉しかった。でも何故か顧問の先生からは目のかたきにされ、授業のときもネチネチといやみを言われた。その後、部活にも行く氣は失せて行かず、家じゃくだらない家族喧嘩そのオマケつきに祖母ちゃんは何かあるとオッカアと俺の前で『この子を連れてきて・・・』と連れ子のことをいやみったらしく言う。頭にきた俺が罵声をかけると(そんときはわからなかったが)母がいつも義父と義祖母から色々文句を言われていたらしい。(今は本当に反省しています)家にも帰る時間も遅くなってきて、シンナーを覚え、先輩からは(暴走族)万引きを強要され堕落の人生が始まった。母親も精神的にノイローゼーになりつつあり、あげくお腹にあかちゃんがいたにもかかわらず、俺が原因でおろしてしまった。俺は人殺しも同然の罪を犯してしまった。その後中学2年の春休みにオッカーと俺は家を追い出されてしまった。(今は反省しているとは言え、なんか書いているだけで氣が重くなるな今日のブログは・・・)でも書く!こんな大馬鹿野郎でも今も生きていること、死に急ごうとしている皆が少しでも考え方を変えてもらえれば!根性もねぇくせに粋がっているこの写真。このときの感情は『どうにでもなれ』ってな感じ!
2007.11.23
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俺を実孫のように可愛がってくれた最愛なる祖父ちゃんが死んだ。食べ物も喉に通らなかった。それなのに大人たちは火葬場で酒飲んだり食ったり。こいつら人が死んだのに正気かと思うぐらい最悪だった。祖父ちゃんが俺の心の基地だった。何故か?●小学校時代、雨が降り俺が傘を持っていっていなところを見ると、時間割を調べ帰る時間には学校の正門に傘を持っていて待っていてくれた。●祖父ちゃんの金を盗み、祖父ちゃんはその行動をすでに知っており、言われた一言は涙ぐみ『ここに財布はいつも入っているからな』と言われたとたん、金を盗めなくなった。●連れ子できた俺を本当に大事にしてくれた。まだまだあるけど、今でもそれを思うと俺は涙ぐむ。そしてこの祖父ちゃんと出会えたこそ、今の俺がこのように生きていられることもつくづく頭が下がる思い出感謝している。祖父ちゃん本当に優しさをいっぱいくれてありがとうと、あの世に行ったら、頭を地につけお礼を言いたい。
2007.11.22
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一番この時期が善行青少年だった。誰も文句なしの子供像だったんじゃないかな!・学校行く前は早朝サッカーの練習。ゴールキーパーでキャプテン。・小学校の運動会では応援団長をつとめ・日曜日には少年野球のキャプテンつとめ・区では警察署から善行青少年に選ばれ表彰・町内会の子供会長つとめまぁ自分で言うのもなんなけど一番の絶頂期だったかもなあっそうだ彼女もいた交換日記したりして・・・まさかこれからすこしづつあんなことになるとは・・・まぁ今思えば自業自得、誰の責任でもない!そっ!全ては俺が選んだやってきたことだから!まっタダの目立ちたがり屋だな!(それを言っちゃオシメイヨ!)
2007.11.19
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何も悩むことなく、野球、サッカー、珠算、友達、家族(たまにゃ夫婦ゲンカじゃなく俺と祖父ちゃん除いた大家族ゲンカはあったが祖父ちゃんが家族をまとめていたから安定したな)ニャンコと幸せだった。先生も厳しくかつ面白い先生だった。午前中の授業中に何したか忘れたけど、何せ先生を激怒させて、それから給食も正座のまんま食べさせられたっけ。授業終わっても正座、皆下校したのにまだ正座。先生俺のこと無視だぜ。最後にゃ置手紙おいて『先生、ソロバンがあるので帰ります』なんて書いて帰ったら、うちの親と先生、大笑い。まっ金銭的な幸せじゃないけど、心は本当に幸せだったな!この写真はある区の子供会(町内会ごと)のソフトボールで優勝したときの写真。最強軍団。敵無し!
2007.11.16
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こんときはさすがにあせったね!チャリンコ(自転車)乗っていたら、いきなりチャリンコごと蹴っ飛ばされ10:1でハガイジメ。細い竹で腿はひっぱたかれ、顔にはパンチ入れられ。ガケから落とされそうになり、おお泣きしたよ!1回きりだったけどね。それから4年後そんときのリーダー格の奴の顔一度も忘れなかった。1対1で勝負しろい!と果たし言葉を仲間に送り、タイマンで勝負つけてやるから指定した場所にきやがれと、言ったがそいつは来なかった。ここに掲載した写真の一番右の女の子は当時の映画『ああ野麦峠』の子役でフィーバーしていた子。あまり学校にきていなかったな。そして一番左の女の子は、そのご15年語に俺が告白した女の子。俺も意を決して、朝の8:30ころ電話で告白したら『えっ今起きたばかりだからあとで』と電話を切られそのまま音沙汰無くなった(大笑)小さな俺の妹を連れ金沢八景シーパラダイスに行ったときには手作りの弁当を持ってきてくれたり、彼女の両親と一緒にご飯を食べたり良い雰囲気だったんだけどねクリスマスイブにも一緒に食事に行ったりしたのに、何故・・・・・・俺のいい加減な人生が原因かもな・・・(苦笑)
2007.11.12
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おいっす!いや~あまりにもいい加減な人生を自分勝手に生きてきたから今頃幸せよりもシワヨセがきちゃて、この3日間会社泊り込みだよ!自業自得だね!まっそりゃいいとしてと・・・都会にきてから2年目だなこんときは。外で遊ぶことは好きだったけど、都会は緑がなくてな!加工品に頼った遊びばっかだったなっ。この写真も何か貼っているような氣がするウルトラマンか???
2007.11.09
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1回目横須賀(特別少年院の近く)に転校(田舎から)2回目横浜(美空ひばりさんの実家の近く)に転校まぁノウテンキな俺だから、神経つかうことわからないまま氣がつくと友達がいた。田舎じゃこんなことはなかった。都会にはお誕生会なんていうもんがあるんだよな!オシャレっていうか品があるっていうか!親の出費が大変だ!ちょっと都会っぽくなった俺?でもよ~義父の母親何かトラブルあるたび、うちの母ちゃんに連れ子(俺のこと)もちだすんだよな?母親はそりゃダーメージ大きかったと思うけど当時ツレゴ?俺はなんの言葉かわからね~かったから氣にはしていなかったなっ。言葉がわかんね~ことも時には、幸せかもなっ!
2007.11.03
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家にトラックがきて荷物をどんどこどんどこ運び出している。俺には何かさっぱりわからねぇ。でも親の顔は沈んでる。そう。離婚っていうやつ。ど田舎から電車に乗ってついたところは大都会人の多さに疲れた。新しいお父さん?わけがわからねぇ。俺はでけぇ荷物持って遠足かと思いきやいきなりの人生転換。
2007.10.31
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どこでどうやって覚えたんだか?いつの間にかスキー場の山頂付近まであがってこれるようになった。もちろんボーゲンだけどね。このあとあんなことなけりゃ・・・今頃はオリンピックに行ってたかもな!まぁ、今もちっぽけな人間だけど、ひとりでいても幸せを感じてるぞい!
2007.10.29
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6歳後期の血だらけの帰宅。と言ってもケンカしてきたわけじゃない。ナイタースキーをしてきたんだ。普通夜、子供が家でれば叱られるんだけど家はなんせ忙しい。両親二人で20人くらいの客に対応していたからな。得意げに滑っていたらギャップにつまずき顔面ブレーキをかけた。アイスバンで右目上を切り、泣きながら帰ったっけ。あとは何故か俺は手癖が悪かった。家の金庫の金を1万盗み友達にゲームセンターでおごって、遊んでいたっけ。叱られることなんか何にも考えないで家に帰ったら目ん玉飛び出るほどしかられた!なんで手癖が悪くなったのかも意味不明・・・
2007.10.27
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この歳じゃ氣にしねぇか?周り友達等は家族でどこかに行くことが、まぁそこそこあったらしいが、うちにはそんな祭りはない。でもそれなりに自分なりに一人っ子だけど、楽しんでいたと思う。幼稚園に行けば友達がいる、田んぼ歩けば昆虫がいる、山行けばサイフが落ちている(今はわからねぇけど:リフトの下は小遣い稼ぎだ!)でも親父のチャブダイひっくりかえしだけは勘弁して欲しいかったな。ありゃ子供のころ見せられれば誰でも精神不安になるんじゃねぇの。見てくれ!おかげさまで下の写真みてぇな顔がいつもの顔になっちゃった。(それは冗談)まぁなんに~も考えていなかったな~。1年後には別れがあることなんざ思ってもいなかった。
2007.10.26
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まぁ家族は崩壊中だったような。冬場は旅館をしていたから、俺はお客さんの部屋に行って遊んでいた記憶がある。家族は朝から晩まで接客で忙しいから相手にはしてくれない。お客さんに四の字がためされて大声で泣いたり、スキー場に行って表情が違う(外人さん)人をスキーで追いかけ、物乞いしたりしていたなっ。なんたって、リフトは乗り放題顔パス。地元の子供特権を活用して、それなりに自分で遊んでいたようだ。苦労した感覚はこの歳じゃ何もないが親から聞けばこの時代は思い出したくないようだ。
2007.10.23
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まぁ親父の笑った顔の記憶は全くないなっ。常にブスっとしていたような記憶がある。どこに連れて行ったくれるわけでもないし(親父とおふくろが離婚する前に1度だけ海に連れていってもらったくらいだな)うちの親父もその当時は現代風だったみたいだ!おふくろにたいして、親父があまりにも大事にしないから爺ちゃんが怒って親父を呼びつけ話をしようとしたところ、録音機を持ってきたらしい。会話を録ろうと。素晴らしいアイデア!アホか!血のつながりはないとは言え、なんだそりゃ自分が問題の原因をつくっておいて、録音機!親が親なら子も俺だ!ケンカの和解がちょくちょく成立するたびにタイミングを見計らってよくオモチャを(そんな高額のものじゃないよ:ミニカーとかさ!)買ってもらってたよ!相手の弱みにつけこんで!俺もアッホー!どこでそんなこと身につけたんかな?親の姿を見て生きる術を学び取ったのかもしれんな。よく一人で考えることが多かった(これは冗談)
2007.10.22
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3歳でのインパクトずばり”死”定かではないが、母親の背中におぶられて上越線のトンネルが近くにあり線路付近にいたことはなんとなく覚えているような!これはおっかぁから聞いたことなんだけど俺をおぶって自殺を考えていたらしい。姑にはイジメられ、信頼していら夫にはかばってもらえず。いつの時か忘れたがオヤジが短気起こして、お膳をひっくり返しその手当てを(自業自得でオヤジは怪我して)していたおっかぁを手で振り払う。俺がでかけりゃ、オヤジをボコボコにしていただろうな女に手をあげるなんざサイテイな野郎だ!男の片隅にもおけねぇや。まっこんな性格の形成はこれからはじまるんだけど。おれがちっちぇときの記憶が”死”からはじまるんだからな!数年前に言ってたようちのおっかぁはっ。『自殺をしようと思ったとき背中におぶっていたお前が、かあちゃんあぶないよと言われてふっといけないと思った』とそんとき死んでたら今はいねぇえしこれから話すコワルもできなかったなそう思えば、生きててよかったよ!
2007.10.17
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ん~何を書けばいいか?俺の2歳のときはまだ覚えだせないな。まぁ今になって周囲の叔父御に聞く話では、さんざん姑いびりさせられたとかなんせ俺が腹に入っているときも朝4時ぐらいから朝飯準備までの田んぼ仕事をさせられていたとか。なんせそんな中に俺が生まれてきたもんだからこれこそ今思うと苦しかったことだろうな。まぁコイツが(俺が)そのまま問題なくすくすく育ってくれりゃ、おっかぁも苦労せずに済んだものを。いやこんなこと思い出すとそれこそ。てめぇが(自分)情けなくて死にたくなっちまうよ!いけねぇいけねぇこのブログの目的は生きる価値を見つけるためのもんだから目的それちゃぁ、いけねぇよな!まぁ2歳。全く覚えなし。俺は記憶喪失かぁ?
2007.10.16
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俺は愛されて生まれてきたかもわからねぇし、1歳のときの記憶なんざぁないな。1歳の時はどんなふうにすごしていたのか?まぁ家族の皆に好かれていたことを考えるよっ。まぁ事実とすりゃ俺はラッキーな奴かもしれないなっ!4億分の1の確率だぜ!男が1度に射精するMAXの数は約4億個なんだとさ。それを考えれば4億の仲間の命を俺が引き継いだといっても過言じゃないよな!生まれたことがキセキと言ってもいいんじゃないの?そう考えると生まれた男も女もラッキーだよな!まぁ1歳のときにこのことを考えたわけじゃねぇから、この辺でやめとくけど。1歳のときはどんなだったかは???まぁ一応、雪国の季節旅館の長男として生まれたことは確かだ!
2007.10.15
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生きて欲しいなっ!死にたいって気持ちはいろんな出来事から出てくると思う。俺の経験上。自殺したい時はいつもまわりには誰もいなかった。そんなこと話すことできねぇし。男だからみっともねぇし。(余談だけど殺されそうになったことが1回あったな。)まぁうまく伝えられねぇけど、死ぬこと考えているなら俺のブログみて、『とりあず生きてみるか』でもいいから生きる気持ちが湧いてくれればなと思って、ブログをはじめた。俺は決して若くねぇよ!40歳手前だ!ベビーブーム時代に生まれた社会のゴミ!でもなっ!生きようと思ったのは、ほんのチッポケな夢を見つけたんだよ!別に今の生活は、裕福じゃねぇけど食ってはいける。でも結婚はできねぇけどなっ。(俺のプロフィールを見ればわかるよ)まぁ現在をあまり言い過ぎると、俺の詳細がバレルと今にヒビクからこのあたりで勘弁!まぁだからさ!死ぬことを考えたら、先ずはブログ用のメールでもいいから書き込んでこいって!真剣に考えようぜ!何をどうやって考えれば生きる方法はあるかを!ただし誹謗中傷は書かないでな!俺こうみえてもカラダはバリケード的だけどココロはデリケードだから!最後にオヤジギャグでしめとこっと。死ぬな!生きろ!
2007.10.14
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