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旅に出よう(海外:その3)「バナウェイ」■ ライステラス ■ バナウェは、バギオの東北に位置する町で、そのライステラス(棚田)で有名である。1995年にはユネスコの世界遺産に登録されている。 「バギオからバスでどのくらいかかったのだろう?」と調べてみると、7時間から9時間ほどバスに揺られなければならないようだ。距離的には、「マニラ-バギオ」間よりはかなり近いような気がするが、その辺は道路事情がかなり違うのだろう。今では全く記憶にない。 さて、ここバナウェではユースホステルに宿泊している。かなり立派な建物だったような記憶がある。現在でも存在しているようで、ネットで調べてみると「バナウェホテル・ユースホステル」となっているので、ホテルも兼ねているために規模が大きかったのかもしれない。 それで、今でも鮮明に覚えているのだが、この「バナウェホテル・ユースホステル」は町の外れにあって、そこに行くには町の中心地、つまり、バスターミナルから少し歩かなければならなかった。「歩く」ということに関しては、何十分も歩くわけではないので特に問題はなかったが…。 問題は、犬であった。野良なのか、放し飼いされた犬なのかは分からなかったが、とにかくけたたましく吠えられた。ただ、遠くから吠えられる分には一向に構わないのだが、鎖などでつながれていないわけだから、「あいつはよそ者だ!」と分かると、走って近寄ってきて数匹に囲まれる始末である。 実は、事前情報として、フィリピンは狂犬病の発症率が非常に高い国であるということを得ていた。その辺の事情は現在でも変わらないようだ。よって、旅行前には狂犬病と肝炎の予防接種は済ませておいた次第である。 だからと言って、「噛まれてもへっちゃら!」などと言う気持ちにはもちろんなれない。目の前で吠えかかっている犬に対して、「シッシ、あっち行け!」と追い払うこともできないし、ダッシュでもして突破しようものなら、足をガブリとやられることは容易に想像ができた。こういう場合は全く無力である。ただ、立ち尽くすしかなかった。それでも、「このよそ者!」と言う感じでひとしきり吠えると、飽きたのか民家の方へ戻って行ってくれた。 犬たちの後姿を見て、思わずため息ものである。「やれやれ」と胸をなでおろして、再び歩みを進めた。すると5分も歩かないうちに建物が見えてきた。チェックインを済ませた後、荷物を下ろしてフロントに戻ると、「食事は町の食堂でとってくれ」とのこと。つまり、それは、またあの犬たちに囲まれなければならないことを意味する。気が重くて仕方がなかった。 名ばかりの食堂に置かれたイスに腰掛けて「さて、どうしたものか。1食抜くという手もあるが…」と、少し落ち込んでいると、一人の西洋人が「ハイ!」と声を掛けてきた。最初は、「どこから来たの?」とか、「バナウェには何泊の予定なの?」など、初めてあった旅人同士にありがちな内容のものであったが、私が、先程の犬の件のことを話すと、「それだったら一緒に食べに行こう!」と声を掛けてくれた。 彼は、確かデンマーク人だったと思ったが、マニラからフィリピン人のガイドとドライバーの3人でバナウェまで来ていて、「ちょど、これから町に食事に行くところなんだ」ということであった。私にしてみれば、「断る」理由などは全くないわけで、「サンキュー」と言ってお言葉に甘えることにした。 しかし、どうでもいいが、その車はもの凄い旧型のメルセデスで、「ちょっと、フロントライトが故障しているから、この懐中電灯で前の道路を照らしてくれ!」と手渡され、ドアから身を乗り出して懐中電灯で前の道路を照らさなければならなかったのを記憶している。 食事中に、「明日はライステラスを見学してマニラに戻るので、乗って行くか?」という提案をしてくれたので、再びお言葉に甘えることにした。もちろん、それは「タダ」の訳はなく、結構払ったように記憶しているが、フィリピン人のガイドがいたお陰で、ライステラスを所有する農家の家屋などを見学することができたので、それなりに満足はしている。しかし、私が払ったお金は、ガイドと運転手で山分けしたのであろうか…。 ⇒ 上段の真ん中の写真と同じアングルで撮った現在の写真(トタン屋根が目立つ)⇒ 違うアングルだが、現在の集落の様子が分かる写真を掲載しているサイト※上の張りつけたサイトでは、もしかしたら下にスクロールする必要があるかもしれない。
2012.06.16
日記「日々雑感」■ 体 調 ■ 9日間も身体を動かすことができなかった。もちろん横になっていなければならないほどではなかったが、「よし、今日は動かすぞ!」という気にはなれなかった。喉の痛みに始まったカゼの症状が未だ治らず、現在は咳が出ている状態。 昨日は軽く汗をかいてきたが、9日間も空いてしまうと「ボチボチやっていこう!」という感じになり、筋トレも有酸素も流して行ってきた。しかし、今日も咳は出ていて、これだけ完治するのに時間がかかるということは、もっと別の悪い病気なのかもしれない…。 ■ 昔の思い出 ■ 押し入れの奥の段ボール箱から昔の写真がたくさん出てきた。祖父母、両親、自分のものなど色々である。親戚もたくさん写っているので、「このまま段ボールに入れておくのももったいない!」ということで、何とか共有できないものかとスキャナーでスキャンしているところである。 しかし、両親と写っている小さい頃の写真を見ると、「頑張って育ててくれたんだな~」と涙が出てくる。
2012.06.14
旅に出よう(海外、その3)「バギオ(その2)」■ 少しは可能性を信じたが… ■ バギオには植物園(Bauio Botanical Gargen)があるので行ってみた。園内を適当に歩き回り、ベンチの上に腰かけて休憩していると。年齢的に言うと22、23歳といったところか、アベックが私の隣のベンチに腰を下ろした。何となく会話が始まり、「園内を一緒に回ろう!」ということになった。 一通り回ると、彼らから「夕食でも一緒にどうですか?」と誘われた。特に怪しい御誘いにも思えなかったので、「いいですよ」と答え、私の泊まっている宿で待ち合わせることにして、一旦彼らとは別れた。 彼らは、ほぼ約束した時刻に宿にやってきた。3人で通りに出ると、男性の方が「どこかいいレストランは知っているか?」と聞いてくるので、もちろん「初めての町なので分からない」と答えると、「じゃあ、僕が知っているのでそこへ行こう!」ということになった。 それで、そのレストランに向けて歩いているときのことである。彼が、「あっ、いけない。銀行のATMへ行ってお金を下ろさないと」と言い出し、私たちは近くにある銀行へ向かった。 現在は、ATMは銀行だけでなく、駅や街中でもよく見かけるが、当時は恐らく銀行くらいだったように記憶している。それで、銀行に行くと、サービスの時間外でATMを利用することはできなかった。 彼は、「いや~、困ったな!どうしよう?」と言いだし、私にこう提案してきた。 「ここで食事は止めてもよいのだが、せっかく知り合ったし、いろいろと日本の話も聞きたいので、必ず明日返すので食事代を立て替えてくれないだろうか?」 私は、「さて、どうしたものであろうか?」とちょっと悩んだが、一応彼の言葉を信じて、OKとうなずいた。ただ、念を押しておいた。「立て替えるのは構わないが、もし、お金が戻ってこなければ、旅を続けることはできないので…」と…。 彼は、「絶対返すよ。宿泊している宿だってしっているんだから、心配しないでくれ!」と断言したので、私たちは再びレストランへ歩みを変えた。 レストランは、高級とは行かないまでも、そこそこのレベルのレストランで、中央ではダンスショーなども行われていた。正直言うと、どのような料理を食べたのかはもう記憶にない。 私たちは、一通り、食事やショーを楽しみレストランを後にした。もちろん、会計は私が済ませ、日本円で合計5,000円近く支払ったように記憶している。そして、3人で「楽しかったね!」などと会話をしながら、再び私が宿泊している宿へ向かった。 そして、宿の前で「じゃあ、明日、必ずチェックアウトの時間までには返しに来るから」という彼の言葉を信じて、彼らと別れた次第である。 翌日、私は北部のバナウェに移動するために、宿を11時にチェックアウトしなければならなかった。「来るかな~」と少しは可能性を信じたが、彼らは現れることはなかった。もちろん、そういうことも十分にあり得るとは思っていた。私は、バックパックを背負い宿を後にした。 しかし、「彼らは、最初に植物園で私に声を掛けたときからそのつもりだったのであろうか?」とか、「それとも、最初はそのつもりはなかったが、たまたまそうなってしまったのか?」、または「最初からそのつもりだったのであれば、これからもそういう人生を送るのであろうか?」などといろいろと思い巡らしてしまった。 いずれにしても、まあ、授業料としては、決して「安い」とは言えなかったが、勉強させていただいた次第である。もちろん、彼らの分の食事代が戻らなかったからと言って、旅が続けられなかったわけではない。
2012.06.13
日記「まあ、どうでもよいことなのだが…」 親戚や知人であれば別だが、よくテレビの番組でも「芸能ニュース」などのコーナーがあり、誰々が結婚したとか離婚したとかいうニュースを流したりすることがある。私は、そういうのには全く興味が持てないく、「けっ、騒ぎすぎ!放っておけば…」などと思ってしまうわけである。 最近も、ある夫婦の離婚問題が話題になり、芸能ニュースなどでは毎日のように取り上げられている。旦那さんは俳優、奥さんは元モデルで日本人でなかったように記憶している。もちろん特に興味があったわけではなかったが、たまたまニュースで、その裁判の様子を取り上げているのを見てしまった。 旦那さんは、「奥さんはストレスの根源で元の生活に戻ることはあり得ない」と主張している。一方、奥さんは「会えて嬉しい。元の夫婦生活に戻れると確信している」と主張し、正反対の意見になっている。「通常は」とう言い方が正しいかどうかは分からないが、「通常はお互いの欠点を挙げ、非難し合う」ような気がするのだが…。 まあ、これも本人たちの問題だし、私がどうのこうの言うことではないのだが、ただ、正直、ちょっと思ってしまうわけである。人それぞれだが「あれほど旦那さんに嫌われているのに、元の夫婦生活に戻りたいなどと言うのであろうか?」と…。野田総理と小沢一郎の意見がまとまるくらい、どう考えても無理っぽい。どうも、奥さんは計算をして演じているような気がしてならない。まあ、どうでもよいことなのだが…。
2012.06.13
旅に出よう(海外、その3)「バギオ(その1)」■ ひと儲けしないか?!■ バギオは、首都マニラがあるルソン島の北部の都市で、マニラから約250キロ北に位置する。記憶にはないのだが、恐らくバスで移動していると思う。調べてみると、マニラから5時間半から6時間半ほどかかるようだ。 ここバギオでは、安宿に宿泊している。恐らくユースホステルがなかったのであろう。安宿の情報も、「地球の歩き方」を持ち歩いていれば特に問題はない。 バスターミナルでバスを降り、地球の歩き方を片手にバックパックを背負って歩いていると、30代半ばくらいの男性が声を掛けてきた。例によって無視するのが一番である。 英語で話しかけられても、決して英語で答えてはいけない。とにかく「オレ、英語分からないだけど」とか「今、宿探しで忙しいんだけど、何の用?」などと日本語で適当に通すしかない。5分くらいはついて来たが、会話が全く成立しなかったので、それ以上やっても無駄だと思ったのだろう。諦めてどこかへ行ってしまった。 「やれやれ」と思ってしばらく歩いていると、また別の男が話しかけてきた。一難去ってまた一難である。今回も、日本語で通していたのだが、ポロット英語が出てしまったのである。「しまった!」とは思ったが、もう遅かった。「なんだ、英語が話せるんじゃない!」と言うことになってしまった。 目的としている宿まで英語で適当に会話をしなければならなかった。それから10分も歩いたであろうか、目的の宿が見つかったので、「じゃあ、悪いけど、オレは今日ここに泊まるので…」 と「さよなら」をしようとしたのだが、「オレ、ここ知っているよ!」と言い出す始末である。 ビルの2階の部分が宿となっていて、2階まで階段を使ったが、当然、彼もついてくる。フロントでバックパックを下ろし宿泊したい旨を告げると、OKとの返事で、早速、宿泊の手続きを取った。 「それでは、~号室を使ってください」と、部屋の鍵を渡されると、例の彼は、「荷物は重たいだろうから、オレが持って行ってあげるよ」と、部屋までついてくる始末である。部屋に入り、私は荷物をベッドの脇に下ろし、ベッドに腰掛けた。そして、いつまでも付きまとわれては困るので、彼に言った。 私:「で、一体何の用なの?」 彼:「オレの伯父が日本について知りたいと言っているんだ」 私:「伯父さんが?」 彼:「そう、ここからタクシーで10分くらいのところに住んでいるんだけど、一緒に来てくれないか?」 私:「ん~」 彼:「お願いだよ」 私:「分かったよ。じゃあ、行こう!」 今から思い返すと、なぜこのとき「分かったよ」などと言ったのかが全く分からない。どう考えても怪しい話にしか思えないのだが…。 私は、デイパックだけを背負って、彼と一緒に通りに出た。彼がタクシーを停め、私達2人は乗り込んだ。10分も走っただろうか、タクシーは閑静な住宅街で停車した。 彼が、「ここが伯父の家だよ」と指さした家は、そこそこの広さのある一軒家であった。彼がチャイムを鳴らすと、50前後の女性が現れ、応接間に通された。ソファに腰を掛けていると、やはり50前後の痩せた男の人が現れた。彼に「この人が僕の伯父さんです」と紹介されたので、私は立ちあがって握手を交わした。 その伯父と交わした会話は、「日本のどこに住んでいるのですか?」とか「バギオの次はどこに行きますか?」などのように、旅行者と現地の人と間に成り立つありきたりなものであった。しかし、突然、彼がこう話題を変えてきたのである。 伯父:「実は、私はカジノで働いているんだ」 私:「へ~、カジノですか」 伯父:「そう、ホテルのね。そこでいい話があるんだ」 私:「いい話?」 伯父:「そうだ。どうだ、二人で組んでひと儲けしないか?」 私:「ひと儲け?」 伯父:「そうだ、あなたがカジノに来てくれれば、勝たせてやる。で、儲けた分を山分けしよう!」 この手もよく聞く話である。最初は勝たせておいて、結局、最後は負けて借金が残るという結果になる。 私:「いや~、ギャンブルは好きでないし、それに、現金のほとんどはマニラにいる友達に預けているので 手元には100ドルちょっとしかない。これは旅を続けるのに必要なお金なんだ」 伯父:「またまた、本当はたくさん持っているんだろ?!」 私:「いや、本当だ。たくさん持ち歩くのは危険だからと友達に言われ、彼に預けたんだ」 会話を続けていると、最初に応対してくれた女性がビンビールを持ってきてくれた。手に取るとギンギンに冷えていて、上部が凍っているほどであった。 この手のドリンクも危ない話をよく聞いている。つまり、差し出されたドリンクには睡眠薬が入れられていて、飲んだのは良いが、気が付くと、身ぐるみはがされていて道路にうずくまっているというパターンである。 ちょっとためらったが、ビンには栓がされていて、私は3本あったビールのうち任意のものを選んだので、「恐らく大丈夫だろ」ということでゴクゴクやってしまった。 伯父:「残念だな~、二人で手を組めば必ずもうかるのに…。」 私:「いや~、それは残念だ!」 それ以上押しても無駄だと思ったのか、彼の伯父が「じゃあ、オレはそろそろ仕事の準備をしないと…」と言い出したので、私達は、再びタクシーで来た道をホテルまで戻った。事なきを得た次第である。
2012.06.11

日記「もう全て充電式」 現在、家の中をプチ断捨離でいろいろと片づけているのだが、押し入れの奥の方から引っ張り出した段ボール箱からは「もうこれは使えないな!」というものが色々と出てくる。それは「家電」というほど大袈裟なものではないのだが、かなり前に購入した懐中電灯であったり、小型ラジオであったりするものもある。 それらの中には、もう放電しきってしまった乾電池が収められている場合がほとんどである。本体自体はまとめて、よく回ってくる廃品回収業者に出すが、乾電池は市の回収業者にお願いしている次第である。 前々から「この使用済みの乾電池、本当にどうにかならないものだろうか?」と思っていた。少し変な言い方かもしれないが、歯ブラシと同じようにそのほとんどはゴミとなっている。つまり、新品時を100とすると、使用して廃棄するときには97、98くらいは残っていてゴミとなっているのでは、と勝手に思ってしまっているわけである。 そこで、ちょっと「電池」について調べてみた。まず、大きく、金属化合物などの化学反応を利用して電気を起こす「化学電池」と、光や熱などのエネルギーを利用して電気を起こす「物理電池」の二つに分けられるようである。 そして、ここで問題にしているのは前者の化学電池である。その化学電池は、さらに使いきりタイプの「一次電池」、再充電が可能な「二次電池」に分けられる。また、最近、盛んに研究が進められている「燃料電池」は、そのどちらにも属さないみたいである。 そして、リサイクルに関して言うと、「(一般社団法人)電池工業会」のサイトには以下のような文章が見られる。■ リサイクルの現状 ■「2009年の使用済みのリチウム一次電池を含む乾電池は、年間約4万9000トン※と推定されており、殆どが一般廃棄物として自治体によって回収・処理されています。この内、自治体で乾電池を分別されている場合は、大半が野村興産(株)と東邦亜鉛(株)等で処理・リサイクルされています。その他の分別されていないものは自治体で、主として不燃ゴミとして安全に処分されています。」■電池のリサイクルに対する考え方■「1)「(1)環境に対して健全で、(2)資源の再利用が有効に実施でき、(3)その利点 がコストに釣り合う」という場合において支持できるものと考えています。2)リサイクルを実施する場合は、これらの点に関するアセスメント(事前評価)が実施され、明らかにされる必要があります。3)乾電池は、水銀を使用していない場合、現在の技術においては全てを回収・リサイクルすることは適切ではないと考えています。これは、次の日欧米三極電池専門家会議の公式見解と基本的に同じ考え方であります。 」 ⇒ 参考サイト「Panasonic 電池なるほどアカデミー」※なるべく正確な内容を心掛けたが、場合によっては間違った部分もある可能性が無きにしも非ずなので、その場合はご指摘いただければ幸いである。 以上が現在の主な状況のようである。つまり、充電式の二次電池は稀少金属を含むためリサイクルが活発に行われているが、使いきりの一次電池である乾電池は、コスト面なども考慮され積極的にはリサイクルされていないようである。 さて、我が家だが、まだ以前購入して使用していない一次電池は多少残っているが、現在、使用しているものはもう全て充電式である。つまり、二次電池ということになる。ちょっと前までは、懐中電灯などには一番大きな単一の電池を使用したこともあったが、現在ではそのほとんどは単三か単四となっている。このまま充電式の電池を使用していけば、ゴミの減量に少しは貢献できることであろう。
2012.06.11
旅に出よう(海外、その3)「マニラ(その2)」・映画を観た・繁華街に行ってみた■ 映画を観た ■・洋 画 夜、「退屈だな~」ということになり映画館が数館並ぶ場所に行ってみた。その内の1つで、洋画を上映していた。映画館の壁に掲げられた大きな看板には、タンクトップを着た男の人が機関銃のようなものを抱えた絵?が描かれていた。 「まあ、何かよく分からないけど観てみるか」ということで、チケットを購入した。館内はかなり込んでいたように記憶している。映画の内容であるが、クリスマスの時期に、単身赴任中の男性が家族の元に帰るのだが、直接、家には戻らず、まず妻の勤める会社を訪れるところから始まった。 それはとても高いビルで、訪れたときは社内でクリスマスパーティーの真っ最中であった。彼が妻のオフィスにいると、テロリストがビルに侵入し、社員たちを人質に取るのである。彼は、孤軍奮闘でテロリストたちと戦い、最後にはビルを彼らから奪還するという内容であった。 全く映画に対しての予備知識はなく、「どんな映画だろう?」と何気なく観てみたものの、これが結構面白かった。ストーリーが単純だったので、英語がそれほど堪能でもない私にも内容は理解できた。 帰国してのことだが、この映画が「ダイ・ハード」であることが分かった。日本でもかなり話題を呼んだようで、雑誌などには、映画を観ようと、映画館の前に長い行列を作っている写真などを掲載されていた。 ・アダルト映画 アダルト映画に行ってみた。館内に入るとほぼ満席状態で、2階にしか空席を見つけることは出来ないような状態だった。私は、映画館にアダルト映画を観に行くという趣味はない。日本でも、「1回も行ったことはありません!」とは自信を持って断言はできないので、恐らく、1回や2回くらいは観ているのかもしれないが、それがいつかは全く思い出せない。 まあ、日本の場合も、幕が上がってスクリーンに映された映像が、いきなり男女が裸で絡み合っているというようなことはないと思うが、ここマニラで観たときも、その始まりは「これがアダルトなの?」と疑ってしまうほど、ごく普通の映画であった。 しかし、いつまでたってもメロドラマのような映像が続くので、「もしかしたらアダルトと勘違いしたのだろうか?」と思ったほど。あと10分か15分くらいで上映時間が終わってしまうというときに、突然、客席から拍手や指笛があちこちで起こったのである。 「何事だろう?」と思っていると、突然、今までのメロドラマのような映像が、全く関連性のないアダルトの映像に変わったのである。現在はどうなっているのかは分からないが、何とも不思議なアダルト映画であった。 ■ 繁華街に行ってみた ■ マニラにも観光する場所はあると思うが、全くその記憶が残っていない。そして、その写真もアルバムには1枚も張られていない。「デパートと映画にしか行かなかったのだろうか?」と思いだしてみると、観光地ではないのだが、夜、繁華街を歩いたことを思い出した。 飲み屋なども軒を連ねているようなところで、店先には客引きが立っているわけだが、とにかく彼らはしつこい。そういうところでは、まともに道をまっすぐ歩けるものではない。まず、通りを歩いていると、真正面に立ちはだかってくる。 それだけなら横によければ良いが、女性の客引きなどは、手をつかむと放そうとしないこともあった。「今、忙しいから!」と言っても「ビール1杯だけでいいから」と店の中に引きずり込まれそうになるほどだ。あまり、しつこいので「分かった!分かった!じゃあ、ビール1杯だけ」と言って店に入ったが、出る時も大変だった。 また、そのような繁華街ではないが、街中を歩いているときもたびたび苦労をする。それはやたらとしつこく話しかけてくるのである。主に英語でだが、「こんにちは」「日本人?」、または「お元気ですか?」などの片言の日本語の場合も多い。 この手の情報は、「地球の歩き方」などにも「注意事項」として載っているので、無視をするのが一番である。その手の輩は、「単に挨拶をしたい」というよりは、ほとんどが「何とかカモにしてやろう!」とたくらんでいる連中である。 彼らは、そう簡単には引き下がらない。とにかく会話を成立させてはならないので、仮に簡単な日本語で話しかけられても、それ以上は日本語は話せないので、それからは英語となる。こちらは、終始、日本語で対応しなければならない。少しでも英語で話そうものなら、「こいつとはコミュニケーションが取れるな!」と思わせてしまうので注意をしなければならない。 彼らが話しかけてくるのは、「いい女がいるぞ!」とか、「カジノで一緒に金儲けをしないか?」というような話ばかりである。この手の輩に慣れるまでには、少し時間がかかってしまうわけである。
2012.06.09
日記「そろそろ出てきたようだ」そろそろ出てきたようだ。嫌われものの蚊である。昨日辺りは、一匹私の部屋の中を力無げに飛んでいたので、「成敗してやる!」と電撃ラケットを用意したが、どこかに行ってしまった。 この「電撃ラケット」だが、最近では通販などでも購入できるので、目にしたことがある人も多いと思うが、私が初めて目にしたのはタイである。おそらく2回目にタイを訪れたときのことで、10年近く前のことだと思う。 カフェでビールを飲んでいた時のことであった。オカマのウエイターが、ときどきテニスラケットのようなものを店内で軽く振っているのである。何をしているのか全く見当が付かなかったので、彼?に「何をしているの?」と聞くと、「蚊をやっつけちゃっているの!」との返事であった。 「そのラケットで?」と言うと、「そうよ。ほらっ」と言って、ちょうど私の前を飛んでいた蚊に向けてラケットを振ると、バチッという音と共に青白いせん光が一瞬見えたかと思うと、何かが焼けたような臭いが漂ってきた。 彼は「見て、見て」と言って、ラケットを私の前のテーブルの上に置いた。すると数匹の蚊が金属製のネットに絡まっていて、もう全く動きはなかった。どうやら電気ショックで蚊を殺す道具のようであった。「へ~、こんなものがあるんだ!」とちょっと感動した次第である。 「これ、どこで売っているの?」と彼に聞くと、「あら、あっちこっちで売っているわよ」とのことで、カフェを出た後、通りの沿いの出店を覗いてみると、今までは全然気が付かなかったのだがけっこう置いている店は多かった。まあ、多少目に留まっていても「子供のおもちゃ」くらいにしか思わなかったのかもしれないが…。 値段を聞くと、この辺はかなりうる覚えなのだが、確か日本円で300円から500円くらいだったと思う。早速、私は自分の分とお土産用も含めて4本くらい購入し、それは現在に至っても活躍している。 最近のテレビコマーシャルを見ていると、蚊用の殺虫剤はワンプッシュ式のものがあるようで「電気不要」「効き目は12時間」などを謳い文句にしている。ある程度密閉された部屋であれば良いのであろうが、私の部屋などでは、夏場は窓を全開にして扇風機を使用しているので、そう言うところには向かないであろう。 さて、今年も、起きているときは常に近場に電撃ラケットがある夏がきそうである。
2012.06.09
旅に出よう(海外、その3)「マニラ(その1)」■ ユースホステルへ移動 ■ タクシーでお世話になった人の自宅に向かった。もう、マニラのどの辺りだったのかは記憶にないのだが、そこはちょっとしたアパートの一室であった。確か、奥さんとは、彼女が大学生のころに知り合って結婚していると聞いていた。まだ、23、24歳くらいの若くてチャーミングな人であった。 私には、彼らの寝室をあてがわれた。寝室の隅に置かれたテーブルに目をやると、夫婦、2人が写っている写真が写真立てに入れられ、「~、I love you!」という文字がマジックで書かれていた。まだ、お子さんはいらっしゃらなく、結婚して何年だか分からなかったが、もしかしたら新婚気分が続いていたのかもしれない。そこをお邪魔して、申し訳ないことをしてしまった。 翌日には、お世話になったお礼を告げ、マニラにあるユースホステルへ移動した。フィリピンであれば、安い宿もいろいろとあるのだろうが、ユースホステルがある場合は、なるべく利用するように心がけた。何となく「ユースだと安心できる」というところがあった。 チェックインをすると、デパートに向かった。それは、持ち歩いた「地球の歩き方」には、「安い宿を利用して旅行をする場合は、モスキートネットを購入する必要がある」と記されているからである。「モスキートネット」とは、いわゆる「蚊帳」のことだ。 私が小学生のころ、母方の田舎である群馬に夏休みを利用して遊びに行ったころには、夜は蚊帳の中で、うちわなどで仰いでもらって寝たものである。それ以来、蚊帳などは目にしたことがない。ここ、マニラで購入した蚊帳は、私が田舎で見たものほど大きなものではなく、ベッド1つ分のサイズである。それを、ベッドの4隅の柱にくくりつけて利用する。そうしないと、とてもではないが、夜は蚊の攻撃を受けて眠ることは不可能となる。 ユースホステルでは食事は提供していなかったが、恐らくマニラのユースホステルだと思うのだが、通りに面した入口にはカウンター式の食堂があって、食べる分にはわざわざ他の場所を探す必要はなかった。大きめの皿の半分くらいにライスが盛りつけられ、おかずは、惣菜屋で惣菜を購入するように、ガラスケースの中にある惣菜が盛られた大皿から好きなものを2,3種類選んで、お皿に盛ってもらった。 おかずの方は、野菜炒め、チキンの空揚げなど、どれも日本でも目にするもので、「一体これは何だ?」と言うものはなかった。味も、十分に合格点が付けられるものであった。ただ、「ライス」に関しては、いわゆる私たちが日本で毎日のように食しているジャポニカ米ではなく、細長くてパサパサしたインディカ米だったので、最初の頃は少し違和感は感じた。 それから、食事に付き物のビールだが、フィリピンであれば、これはもうサンミゲールビールである。 「あれっ、他の銘柄ってあったかな?」と思ってしまうほど、いつもサンミゲールビールを飲んでいた。とにかく「安い!」ということだけははっきりと記憶に残っていて、値段が思い出せないのでちょっとネットで調べてみると、350ccほどのビンのボトルで23ペソくらいで、日本円で約51円となる。味は、バドワイザー系で、さっぱりしていて飲みやすかったように記憶している。
2012.06.07
日記「日々雑感」■ 体 調 ■ 先週の木曜日にのどの痛みから始まったカゼの症状だが、月曜の今日になっても結局引きずっている。のどの痛みはかなり楽になったが、耳がときどきツーンとするのと、頭がボーっとしてい状態である。もちろん、4日間身体は動かしていない。ちょっと今日も無理そうだ…。 ■ 歯間ブラシ ■ 4月23日の「日々雑感」で書いているが、あれから歯科医に何回か通っている。肝心の欠けた部分の治療はこれからなのだが、「この際だから…」と思って、歯茎の状態の検査と歯垢の除去をしてもらった。磨き残しがどうしてもあるようで、特に上の奥歯は歯垢が多少あったようで、歯茎からの出血も確認された。 普段、鏡を見ながら歯ブラシをする習慣がないし、どうしても利き手の右手を中心にブラッシングをしているので、なかなかまんべんなく磨けていないのかもしれない。ただ、良い習慣としては、ブラッシングの前には必ず歯間ブラシを使うようにしている。歯と歯の間に食べたものが引っかかっていると気になって仕方がない。本当は、デンタルフロスあたりも併用するとよいのだろうが…。
2012.06.06
旅に出よう(海外:その3)「フィリピンの空港にて」■ 先が思いやられる ■ しかし、税関の前でのことだが、「これから税関だ!」ということで少し緊張したのか、トイレに行きたくなった。マニラはフィリピンの首都である。そこの国際空港なのだから、もちろん設備もそれなりだし、清潔感は保たれていた。 私は、荷物を目の届くところに置き、小便器に向かって放水を開始していたのだが、いきなり私の両肩を揉んでくる輩がいるのである。「何だ?何だ?」と振り向くと、どうも清掃員のようであった。一瞬、状況がつかめなかったが、放水を急に止めることはできなかったし、そのまま振り返ると、あらぬところに放水しそうだったので、とにかく急いで貯水タンクを空にし、ホースを格納したが、この間もずっと私の肩は揉まれた状態であった。 とりあえず、振り返ってみると。清掃員はニコニコして、「ハロー」などと話しかけてくるではないか。右手は出していなかったが、その笑顔が何を要求しているかは理解ができた。もちろん、頼んでもいないのを勝手に向こうがしたわけだから、相手にしなくても特に問題になることもないはずである。でも、私は、「しょうがね~な~」と呟きながら、右手をポケットに差し込み、硬貨を1枚取り出した。 それは50円硬貨であった。そえを彼に渡したが、本人は50円硬貨を手に取り「何じゃ、これは?」と言う感じのリアクションであった。きっと価値が分からなかったのであろう。どうでもいいが、「こんな国際空港、他にあるのであろうか?」と思わざるを得なかった。 無事、税関を通過し、フィリピンに入国することができた。そして、入国者を迎える通路のところで、一人の男性が「Mr.~」と私の名前を書いた紙を掲げていたので、歩み寄って、「~さんですか?私は、~さんに紹介された~です」と挨拶をすると、「ようこそ、いらっしゃいました!」との答えが返ってきた。 年齢で言うと、30半ばくらい、細身のメガネを掛けた「いかにも子供たちに勉強を教えている」と言う感じの男性であった。彼が「タクシーを呼んできますから、ロビーを出たところで待っていてください!」というので、「分かりました」と答え、そのままロビーを出て少し待っているときのことであった。10歳にもならないような現地のガキ、いや、子供が英語で話しかけてきた。 「どこから来たの?」「フィリピン初めて?」、または「これからどこへ行くの?」などと聞いてきたので、適当に答えていると、彼がタクシーを呼んできてくれた。 私は荷物をトランクに入れ、タクシーに乗り込んだのだが、先程の子がタクシーの窓越しにしきりに何かを訴えているのである。何を言っているのか分からなく、「はっ?」首をかしげていると、隣に座っている彼曰く、「話し相手になったのだからチップをくれ」と言っているとのこと。 「話し相手って、一体何を言い出すんだ、このガキは!」と思わざるを得なかった。一向に諦める様子がなかったので、再びポケットに手を突っ込んで適当に硬貨を取りだすと、10円玉が2枚であった。それを、彼に、「ほら」と渡すと、それを見るなり「こんなもの要らない!」と返してくる。そして、今度は「ドル、ドル」とドルをくれと言っている。 もちろんドルを彼にあげる気持ちは毛頭なかったので、横の彼に「もう行きましょう!」と言うと、彼も「そうしましょう」ということになり、タクシーを発車させた。しかし、フィリピンは、先が思いやられる旅になりそうだ。
2012.06.05
日記「遠隔操作」 5月6日の日記「日々雑感」で書いているが、光回線をKDDIからNTTの方に変更した。一昨日はその工事予定日であった。当初は「13時から17時の間にお伺いします」ということであったが、当日は雨で、別のところでのケーブルの敷設工事に手間がかかってしまったのであろう、結局、工事の人が来たのは19時近かった。 まあ、私のところは、「工事」と言っても前にNTTを使用していた時のケーブルが残っていたので、モデムとルーターの交換だけで済んだ。それでも20分ほどかかった。そして、翌日、NTTから送られてきたCD-ROMで設定を行ってみたのだが、これがまた大変だった。 送られてきたCD-ROMをパソコンの方にセットしたのだが、2画面目くらいで「このCD-ROMはあなたのパソコンの環境に対応していません」という画面が出てきて早くもお手上げ状態となった。そして、前々から「設定が自分でできないようであればサポートセンターに連絡をしてください」と聞かされていたので、早速、電話を入れた次第である。 いくら大きな会社とは言って、どうせ「ただいま電話が大変混み合っています。このままお待ちいただくか、しばらくしてからおかけ直しください」くらいのアナウンスが流れるのだろうと思っていたが、すんなりオペレーターにつながった。 女性のオペレーターが対応してくれたのだが、私の不手際(KDDIのルーターをそのままつなげていた)などもありなかなかルーターをネットに接続することができず、結局、正常につなげるのに1時間以上もかかってしまった。 オペレーターの人が行ってくれたことの中に「遠隔操作」というのがあった。つまり、全く別の場所にいるオペレーターがあたかも私のパソコンを目の前にしているかのように扱うことができるのである。オペレーターの人の「これから遠隔操作をしたいと思います。私のパソコンの画面がそちらのパソコンの画面に置き換わりますので、問題ないでしょうか?」の問いに、ちょっと一瞬「あれっ、大丈夫だよな」と思ったが、見られて気まずくなるような画面も開いていなかったので、「大丈夫です」と答えた。 「はい、置き換わりました。じゃあ、ちょっと設定の方を確認してみます」と彼女が言うと、私のパソコンの画面にあるカーソルが勝手に動き出した。「遠隔操作」なのだから、まあそういうことになるのだろうけど、「いや~、これって楽チン!」と思った。何もしないでただ画面を見ているだけでよいのだから…。 それまでは、操作上何か分からないことがあっても、電話で指示を受けることしかできなかったので、「画面、左下の…をクリックしてください」と言われても、「え~と、左下の…と言われても」となかなか指示されたものが見つけられないことがあったが、遠隔操作であれば全くそのようなことはなく、双方がストレスなく行える。よって、パソコン初心者には非常に助かるツールとなるはずである。 また、初心者に限らず、パソコンの扱いに慣れている人でも、なかなか使いこなせないソフトウエアは多い。そのような場合でも、遠隔操作であれば簡単に指示することができるので、パソコン教室などに通わなくても在宅で学習することができ、移動する時間も節約することができる。 もちろん、そういう便利さを悪用されれば大変なことにもなる。今回は、遠隔操作をしてもらう場合は「遠隔操作を許可しますか」という画面が出て「はい」をクリックしたし、「まあNTTだから」という安心感もあった。しかし、これから広く普及し、日常生活の中でもごく一般的に用いられるようになれば悪用されるケースも出てくるかもしれない。 パソコンで投稿動画サイトを楽しんでいると、急に自分の銀行のサイトに勝手に画面が変わり、そしてログイン画面が出て、自分では何もしていないのにIDやパスワードが打ち込まれてログインが完了する。次に「振り込み」画面が出て、新規振り込み口座に全く訳の分からない銀行と口座番号が打ち込まれる。「何だ!何だ!」と慌ててキーボードをたたいても全く反応しない。すると「振込金額」に「1,000,000」という数字が打たれていくのである。こうなるとお手上げ状態である。後は「送金」のボタンがクリックされるのを顔面蒼白になりながら見ていくしかない。 物事には、必ずプラス面とマイナス面があるのを肝に銘じておかなければならない。
2012.06.04
旅に出よう(海外:その3)「フィリピンの税関にて」■ とても小心者の私には… ■ 「はじめに」で書いた、セブ島へのダイビングツアーのメンバーの一人が、「いきなりマニラで宿を探して泊まるのはなかなか大変だろうから、知人を紹介してあげる」というのである。まあ、「不安は全くない」といったらウソになるので、お言葉に甘えることにした。 その人は、マニラで、日本人の子供を相手にして進学塾を開いていて、現地の女性と結婚しているとのことであった。それで、「ちょっとその人に持っていってほしいものがある」と言うのである。まあ、よほど大きなものや「ヤバイもの」でなけらば特に問題もないと思ったので、「何でしょうか?」と聞くと、プリンター用のリボンなどのオフィス用品とのことだったので、快諾した次第である。 出発の前日に、「じゃあ、これ頼む!」と渡されたカバンの中には、リボンなどのオフィス用品がけっこうたくさん入っていて、それだけで一つの手荷物となった。本人曰く、「まあ、全部、現地で買えないこともないのだけれど、日本から持って行った方がかなり安いんだ」とのこと。 私はちょっと不安になり、「こんなにたくさん、税関で何にも言われないですか?」と聞くと、「まあ、大丈夫だと思うよ。もし、何か言われたらさ、いくらか袖の下を通せばよいから…」との返事であった。「袖の下を通す」と聞いて、とても小心者の私にはその様なことができるようには思えなかった。 万が一、そのようなことができたとして、税関の職員が「悪いな、OKだ!」と言ってくれればよいが、とても正義感溢れる人だったらどうだろうか?「うっ、何だこれは?オレを何だと思っているんだ!」というような展開になれば、東南アジアへの旅は、1日目にして終焉を迎える可能性も十分にあるわけである。「最悪、ブタ箱行きなんてことにならないだろうな」などと、どうも悪い方へ悪い方へと思いを巡らしてしまうのだが、今さら断るわけにもいかないので、「じゃあ、渡しますから」と引き受けた次第。 当日、税関に差し掛かるところでは、「大丈夫かな?」との不安から心拍数が速くなるのが分かった。だいたい、私の風貌は、とても平均的な日本人のそれではなく、「こいつちょっと怪しいな」と思われても仕方がないものだった。悪い言い方をすると、オウム的、良い言い方をすると、ジーザスクライスト的というか…。 まあ、「大丈夫かな?」などと不安になっていると、どうしても表情に出てしまったりするものである。「ベテランの職員であれば、ちょっとしたことも見逃さないに違いない」と思い、努めて平静を装って職員の前の台の上に荷物を置いた。職員は私の顔をチラチラと見ながら 職員:「仕事ですか?」 私:「いえ、旅行です」 私の私物の方のカバンを開けながら 職員:「何か変なものは持ってないですよね?!」 私:「全然、大丈夫です。」 職員:「じゃあ、いいですよ」 私:「ああ、どうも」 と、結果的には私の私物のバッグは少し開けられて調べられたが、頼まれた荷物は開けられずに税関を通過することができた。ポケットに10ドル紙幣を3枚ほど用意していたが、使わずに済んだ。助かった!
2012.06.04

日記「白髪染め(その2)」さて、「白髪染めによる健康への影響」という文を目にして自分なりに少し調べてみた。まず、「ヘアーカラー(リング)」は以下のように分類できるみたいである。(参考にしたサイト) 私が使っていたものは、染毛剤の中の酸化染毛剤のようである。いつも2つの溶剤を混ぜて使っているのだが、それぞれの溶剤は以下のような有効成分が含まれている。(購入した白髪染めのケースには「その他の成分」としてたくさんの成分名が記載されているが、多すぎてここではそれらを挙げる気にはなれない) 有 効 成 分1 剤・パラアミンフェノール ・パラフェニレンジアミン ・メタアミノフェノール・硫酸メタフェニレジアミン ・レゾルシン2 剤・過酸化水素 私は、化学はさっぱりなので、「1剤」の有効成分がどういうものなのかは全く分からないのだが、「2剤」の「過酸化水素」と聞けば、「オキシドール(過酸化水素水)」を思い出す。それで、少し調べてみると、「育毛法を考える」というブログで「1剤」の有効成分を以下のように説明している。 1ジアミン皮膚への刺激が強くアレルギー反応、皮膚炎、発疹、発熱、発ガン性、ぜんそくの可能性2アミノフェノール皮膚への刺激が強くアレルギー反応、発ガン性、環境ホルモンの可能性3レゾルシン甲状腺機能障害、アレルギー反応、発ガン性物質の疑いあり 頭皮は髪の毛が生えている分、外界に対するバリア機能が他の皮膚に比べると劣っているようで、有害物質を体内に通しやすいようである。そして、体内に吸収された有害物質は肝臓で分解されるので、その分、肝臓に負担を掛けることになる。日々の「アルコールの分解」でただでさえ肝臓に負担を掛けているので、それ以上の肝臓への負担は私にとっては好ましくない。 また、白髪染めには天然成分由来のものもあるようである。まあ、天然にあるものが全て身体に負担を掛けないわけではない。天然のものでもアレルギーが起きるし、毒素として身体に被害を与えるものも多い。それでも、上記の化学物質よりはよいかもしれない。まあ、使う機会があったら、そのレポートを書いていきたいと思っている。 まあ、一番体にいいのは「そのままにしておいたら…」ということにはなるのかもしれない…。
2012.06.03
日記「白髪染め(その1)」 私の頭髪であるが、まあ、若い時に比べればボリュームは落ちてきているのかもしれないが、とりあえず現時点で「薄い」というほどではない。それでも、かなり白髪は増えてきている。もみあげと額の部分の生え際が特に目立つ。 もみあげの下部であれば、髭を剃った時に一緒に剃ってしまえばかなりなくなるが、額の生え際はそういうわけにはいかない。最初は、時折、「だいぶ目立ってきたな~」ハサミで切っていたが、これがなかなか面倒くさく「染めるという手もあるか!」と思った次第である。 かといって散髪時にやってもらえば、「カット+シャンプー+シェイビング」よりも高くつくかもしれない。全体に白髪が生えていればなかなか自分で染めるのは難しいので、いきつけの散髪屋にお願いするかもしれないが、鏡で見る限りは前面の一部のみなので、髪の毛全体の数%ほとだと思われる。 そこで、おそらく3、4年ほど前のことになると思う。ドラッグストアに行ったときに「白髪染め」を買ってみた。確か、700円~800円ほどだったと思う。 使用説明書を見ると、「皮膚アレルギー試験(パッチテスト)の手順」などという項目もあり、「けっこう、面倒くさいんだな~」とも思ったが、いきなり行って頭皮が真っ赤になっても困るので、一応、説明書通り行ってみたところ、特にアレルギーを表すような症状は起きなかった。 実際に行ってみると、染めるのにかかる時間は10分ほどで、それが終わるとお風呂に入ってシャンプーでしっかりと毛染め剤を落とすことになる。服を脱ぐときに、黒いTシャツを着ていれば問題ないが、他の色の場合、毛染め剤が付いてしまうので注意しなければならない。何回か行って思ったのだが、毛染め剤が皮膚に着いた場合、その部分が黒くなってしまうので、これも注意しておかなければならない。まあ、何回か洗顔やシャンプーをしていれば消えては行くが…。 さて、1週間に1回くらいマメに行えば本当はいいのだあろうが、生来そのような性格は持ち合わせていない。月1くらいがいい方なので、700円~800円で買ったものが1年くらいは持つ。2年ほど前、大学時代のクラブ活動の同期を中心に集まりがあり、その時、同期の男友達から「お前、髪の毛染めているのか?」と聞かれたので、「生え際だけね」と答えると、「そんなのは邪道だ!」と言われる始末である。ただし、脇にいた女性陣からは「オシャレね!」と評価していただいた。 まあ、「邪道」かどうかは別として、「オレは老いに任せる」と言うことであれば、それは本人が決めることでとやかく周りの人間が口を出すことではない。お金を掛けることが「オシャレ」ではないとは思っているが、月に100円以内ですむ白髪染めに「オシャレね」と言われてもちょっと困ってしまうわけである。 やっている本人としては、「オシャレ」というよりは、こまめにハサミなどで白髪を切っていくよりは精神的にかなり楽なわけである。1本も残さず黒髪にしていくというのは難しく、よく見るとまだまだ染まっていないものも結構あったりするが、それでも白く目立つ部分がなくなると気持ちのいいものである。 最近、また新しい毛染めを購入したが、「臭い」がかなり少なくなっていた。しかし、ネットでは「白髪染めによる健康への影響」などという文章も見かけたりするので、少しその辺のところは調べていかなければならないような気がする今日この頃である。
2012.06.02
旅に出よう(海外:その3)「はじめに」■「東南アジア」と決めていた ■ 自転車の旅から戻り、2、3日ボーっとして次の海外旅行の計画に取りかかった。この項は「旅に出よう!」の「海外(その3」になるが、実は、社会人になってから仕事関係の4名ほどでフィリピンのセブ島に3泊4日でダイビングに行ったことがある。 よって、正確には、人生で4回目の海外旅行になる。そのダイビングツアーは、セブ島の空港を出ると、すぐに予約を入れておいたビーチのホテルの送迎車が来ていて、車から降りるとすぐにビーチのホテルにチェックインをした。滞在中も、1回ほどホテルから歩いていけるようなちょっとしたレストランに行って、エビや貝などの海産物を食べたが、それ以外は、ホテルの敷地内を出ることもほとんどなかった。航空券の購入や、ホテルの予約も他の人にお任せしていたので、とても「旅」と呼べるものではなかった。 さて、今回は「どこにしようかな?」と迷うことはなかった。恐らく、自転車の旅に出る前から「次は東南アジアだ!」と決めていたはずである。まずフィリピンに渡り、次にタイを訪れ、マレー半島をシンガポールまで下って、再びタイに戻ってから帰国する計画を立てた。よって、「成田-マニラ」「マニラ-バンコク」、そして「バンコク-成田」の3種類の航空券を購入した次第である。さて、どのような旅になるであろうか?楽しみだ!
2012.06.01
日記「サプリメント」去年の10月1日の日記、「オリジナルドリンクパウダーが効いてきた」で書いているが、私は、主にBCAA、グルタミン、アルギニン、クレアチンという4種類のアミノ酸をブレンドして運動時には水に溶かして飲んでいる。 正確には、それらの4種類のアミノ酸にプラスして食塩、オリゴ糖、そしてクエン酸を少量加えている。4種類のアミノ酸は全て通販で購入し、BCAAとクレアチンは同じところか、それ以外は別々のところから購入している。 先日、グルタミンがなくなってしまったので、前回購入したところから再び取り寄せたが、これが2キロと、かなり内容量が多い。使い切るのに1年以上はかかっているはずである。開封してから1年以上が経過するわけだから、本当は良いことではないのかもしれないが…。 しかし、「いつまでこのようなことをするのだろうか?」と、ときどき思うことがある。一応、「生きている以上は身体を動かし続けるぞ!」という意気込みはあるので、もし70まで生きられたとしたら同じようなことをしているのだろうか?それとも、年齢を重ねることによって、当然、運動量も減って来ることだろうから、「サプリメントは必要ないか」とでも思うのだろうか? まだまだ先のことだが、どうなるのか楽しみである…。
2012.05.31
旅に出よう(国内自転車旅行)「9月18日 無事帰宅」 9月18日、大学時代の友達に別れを告げ、都内を目指した。新宿で、大学時代の先輩が登山用品を扱うお店に勤めていたので、挨拶をするために立ち寄って。先輩には、今回の旅で使用したテントやレインウエアでお世話になっている。 新宿から実家まではわずか30キロほどである。しかし、なかなか車道は交通量が多くて走れないので、歩道が中心となる。都内の道は、バイクで幾度となく通っているので、地図に頼る必要はない。そして、2時間も漕ぐと「ただいま~」と我が家のドアを開けていた。 恐らく4月10日に出発をしているので、5ヶ月ちょっとの自転車の旅はこの日で「完結」を迎えた。とにかく、事故なども起こさず、無事に我が家に帰れたのは何よりである。色々な人に出会い、多くの人にお世話になってしまった。 さて、2、3日はゆっくりして、次の海外の旅の準備をしなければならない。行く先はほぼ決まっている。
2012.05.29
日記「YouTube」 インターネットを利用する人であれば、「YouTubeの投稿動画はまだ見たことがない」と言う人はいないのではないかと思っている。それほど多くの人が好んで見るサイトで、私もよく利用する。それは単にエンターテイメントであったり、またはハウツーものだったりする。 特にハウツーものは、もちろん動画での解説なので非常に助かる。少し前の話になるが、サザエの剥き方などは、動画で解説していた通りに行ったらきれいに剥くことができた。それまでは、地面に置いてハンマーで叩いて割っていたので、後片付けも大変だった。 また、投稿動画は個人が利用するだけでなく、もうすでにご存じだと思うが、テレビ番組などでもよく利用されている。出演者と投稿動画だけで番組が制作できれば、制作費用などもかなり抑えることができるのではないだろうか。 前々から気が付いてはいたのだが、最近、改めて再発見したことがある。それは、明らかに著作権上問題になると思うのだが、映画が丸々1本分が投稿されていることだ。よって、再生時間は2時間近くになるものもある。先日、ブルースリーの映画が投稿されていたので見てみたら、吹き替えはスペイン語であった。「アチョー!ムーチョ・グラシャス!」
2012.05.28
旅に出よう(国内・自転車旅行)「東北から関東へ」 悪行をしてしまった青森のユースホステル以降は、基本的には、「国内バイク・ツーリング」の時にお世話になったは友人、知人のところに再びお世話になった次第である。 そんな中で、途中でテント泊をしたのを今でもはっきりと覚えている。恐らく、宮城県辺りだったと思う、「どこかテントを張れるところはないかな?」と探していると、国道の脇に大きな更地が目に入ってきた。その横に民家があったので、一応、許可を求めるために玄関のブザーを鳴らした。 60を過ぎたくらいの男性が出てきて、「隣の土地にテントを張ってもいいですか?」と訪ねると、「私の土地ではないが大丈夫じゃないか」ということだったので、陽も落ちかけている中、テントを張った。 そして、テントの中で荷物の整理をしてたときのことである。テントを「トントン」と叩く音がするので、顔を出してみると、やはり60を過ぎたくらいの女性が立っていた。その女性からは、「こんなところに張らないで、うちの物置で休みなさい!」という言葉を頂いた。 彼女は、最初に許可を求めた男性の奥さんであった。「はあ、済みません」と私はテントをたたんで、彼女に案内された物置に行ったのだが、物置というには立派で、「明日からでも住むことができそう」なくらいの建物であった。私は荷物を、適当にあちこちに置いていると、「ちょっと、母屋の方に来なさい!」と案内され、奥さんが、台所で味噌汁や焼き魚などを用意してくれていて、「たいしたものはないけど、これを食べなさい」と言ってくれた。 私は、それらを「物置」に持ち帰って美味しく頂いた次第である。次の朝、出発の準備をしていると、旦那さんが来てくれて、「何かあったら連絡をしなさい」ということで名刺を手渡された。今では、その名詞はどこに行ったのか分からないのだが、色々な人のご厚意によってこの旅が成り立っているということをつくづく思い知らされた次第である。
2012.05.28
日記「何事もほどほどがいいとは…」 前々から少し怪しい感じはあったのだが、先週あたりから左肘の内側に少し強い痛みを覚えるようになっている。右肘はほとんど問題ないので、右だけ行っておけばよかったのだが、先週、少し痛いのを我慢してアームカールをしたら、その翌日には当然のことながら激しく痛むようになってしまった。 そして、肘を曲げる筋トレでは必ず痛みを覚えるので、アームカールのみならずローイングなどもほとんどできない状態である。肘を伸ばす時はまだよいのだが、それでも少し負荷を高めた場合、伸ばし切ったところで痛みが出る。 素人ながら自分の身体なので、肘自体に問題があるのではなく原因は他にあるような気がしてならない。いずれにしても、しばらく使っていなければ良くなるような気がする。日常生活での曲げ伸ばしであればほとんど支障はない。つまり、「しばらく使っていなければ」というのは、「筋トレとして負荷を与えなければ」ということになるが、まったく使わないのは難しい。 先週の土曜日、スタジオレッスンでサイドプランクのポーズを肘をつかないで取った。最初は何でもなかったが、「もう我慢の限界!」というところまで姿勢を維持したので、最後の方にはかなり痛みが出てきて、「これだったらやらなければよかった…」と少し後悔したほどである。何事もほどほどがいいとは頭では分かってはいるのだが…。
2012.05.27
旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道を後にして」■ 懺悔します ■ 北海道の最後の目的地の函館まで下ると、フェリーを利用して青森県の大間に渡っている。そこから海岸線を南下して「恐山」を目指した。 「恐山」と聞くと、最近は良く分からないが、私くらいの年齢だと、小学生から高校生くらいの時に、テレビの「心霊番組」などで良く出てくる地名であった。ここには「イタコ」と呼ばれる霊媒師がいて、死んだ人の霊を自分の身体に乗り移らせる(「乗り移る」という表現が正しいかどうかは不明)ことができるということだ。番組では、よく芸能人の亡くなった父親や祖父などの霊がイタコの身体に乗り移る場面があった。 芸能人:「おじいちゃん、あなたは私のおじいちゃんなの?」 イタコ:「お~、そうじゃよ」 芸能人:「おじいちゃん、元気なの?」 イタコ:「ワシは元気じゃよ。そっちはどうじゃ?」 芸能人:「私は元気よ。お父さん、お母さんもみんな元気よ!」 イタコ:「そうか、それは良かった!」 芸能人:「それで、おばあちゃんも元気なの?」 イタコ:「えっ、ばあちゃんか…?え~と、まあ、ばあちゃんとはいろいろとあって…」 芸能人:「いろいろ、って?」 イタコ:「いろいろと言うのはいろいろで…」 芸能人:「えっ、別れちゃったの?」 イタコ:「まあ、そっちの世界ではそういうふうに言うのかもしれないが…」 芸能人:「え~、そっちでは違うの?」 イタコ:「え~と、まあ、同じっちゃ同じかな…」 芸能人:「つまり、バツ1ね…」 イタコ:「まあ、そうと言えないこともないが…」 という会話が成立していたかどうかは定かでないのだが…。 「現在はどうなっているのだろう?」とネットで調べてみると、相変わらず健在のようで、「男の放課後別館」というサイトで以下のような文章を見つけた。ちなみに、イタコが霊を自分の身体に乗り移らせることを「口寄せ」というようだ。「寺の横には、イタコのいる小屋が・・・・。なんと、捨て看板!!料金は10分3000円。なんと、3時間半待ちとのことで、あきらめて地獄めぐりをします。」 さて、私は、別にイタコに会いに恐山を訪れたわけではない。ただ、「テレビでは見たことがあるが、どういうところなのだろう?」とその雰囲気を味わいに行っただけである。 記憶違いでなければ、恐らく恐山を訪れた日だと思うのだが、ユースホステルに宿泊している。それが、伊豆で利用したときのようにお寺のユースホステルであった。ただ、規模的には伊豆のよりはかなり大きく、利用した部屋には2段ベッドがいくつか置かれていた。私以外にも、その日はけっこう宿泊客がいて、ベッドはほとんど埋まっていたように記憶している。 さて、そこで夕食を提供していたかどうかまでは記憶にないのだが、夜、部屋に戻ると小じんまりながらも「酒盛り」が始まった。なぜかその日の私は、好物のビールではなくウイスキーを所持していて、それをチビリチビリやっていたのだが、途中から記憶がプッツンとなった。 気が付いてみると、床の中に入っていて朝になっていたのだが、辺りから酸っぱい匂いが漂ってくるのである。最初は訳が分からなかったが、置き上がって状況がつかめた。「あ~、何て言うことをしてしまったのであろう…」と思った。しかし、こんな経験初めてである。旅の疲れを言い訳にしたくないが、かなり疲労がたまっていたのだと思う。 他の宿泊客からは「冷たい視線」を浴びせかけられたが、そんなのは当然である。みんな、「関わりたくない」と逃げるようにして部屋を後にしたが、私は、しばらく起きることができなかった。午後になってようやく置き上がることができるようになったが、とても、本来なら飲酒が禁止されているところで「済みません。飲み過ぎてしまって…」などととても言い出せるものではなかった。 受付に行ってみると、誰もいなく、デスクの片隅には私の会員証が置いてあったので、それを手に取り部屋に戻った。そして、汚してしまった布団は押し入れの一番下に押し込み、逃げるようにしてユースホステルを後にした次第である。 「後で、匿名の手紙を書き、その中に布団代を入れますから…」と自分に言い聞かせながら、お寺を後にしたが、未だに手紙は書いていない。いや~、我ながら「最低な人間」である。「今でもユースホステルはあるのであろうか?」と恐る恐る調べてみたが、どうも現在はユースホステルとしては存在していないようだ。かといって、それだから私の悪行が消えたわけでない。 どう考えても、私は「極楽浄土」への切符は手に入れることができないと思う。そうすると「じゃあ、地獄なのか?」となってしまうが、地獄だけは勘弁してほしい。とりあえず、これからはしっかりと功徳を積んでいこうと思う。もしかしたらお迎えが来た時に、「よかったら極楽浄土の方にします?」と言われたりすることを少しは期待しているからである…。
2012.05.26
日記「いや~、危なかった」 肩を痛めてからしばらく泳いでいない。もともと泳ぎは得意ではなかったので、余計遠のいてしまった。ただ、疲れがたまっているときは、プールでウォーキングやストレッチをしたり、ジャグジーで筋肉をほぐすようにしている。 頻度としては2週間に1回あるかないかくらいなのだが、毎日、水着やゴーグル等はビニールの袋に入れて持っていくようにしている。水着だが、最初、3着くらいはビニール袋に用意しておくのだが、少しずつ数が減っていく。おそらく、どこかに置き忘れてしまうのだと思う。 そして、ここ1年近くは1着という状態が続いていた。「たまにだし、別に構わないか…」と思い、新たに買い足すこともしていなかった。1週間ほど前、「少し、今日は疲れているな~」ということになり、トレーニングの方も早めに切り上げ、更衣室で水着に着替えてプールに向かおうとしていた時のことである。お尻に手をやると、何と水着に穴があいているのである。「いや~危なかった!」である。気がつかないで行ったら、大変なことになっていたかもしれない。 どうしても「今日は止めておこう!」という気にはなれなかったので、タオルを、その先端がお尻にかかるように肩にかけてプールに通じる階段を登った。そして、ジャグジーまではプールサイドを少し歩かなければならないので、両手で何気なくお尻を隠して歩いた次第である。 「新しい水着を買わないと!」と思い、そこそこの大きさのデパートに行ったのだが、いわゆる「競泳用」としては、全てが同じようなタイプであった。どれも裾が膝上あたりまで来るタイプだった。私的にはあまり好きなタイプではなく「ちょっとな~」と、購入は見合わせてしまった。 私が会員になっているフィットネスクラブにもショップがあり、水着やスポーツウエア、そしてサプリメントなどを販売しているが、水着に関しては、やはりデパートと同じタイプのものしか置いていなかった。「ヤフオクはどうだろう?」と思い、出品されているものを見てみると、やはりデパートで見たものが数的には一番多かったが、その他のタイプのものもあり、自分が欲しいようなものもいくつかあった。 水着を購入するときは、いつも「L」サイズを購入している。以前、ヤフオクを利用して水着を購入したことがあるのだが、「L」サイズにも関わらずきつくて履くことができなかったという苦い経験がある。さて、どうしようか?。
2012.05.25
旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道(その4)」・無料宿泊所・自転車は優遇される・アルバム(残り全部) ■ 無料宿泊所 ■ 8ほど前にオートバイで回っていた時は気が付かなかったが、今回、自転車で回ってみると、よく目にしたのが写真にあるような「無料宿泊所」である。「無料」とあるように、宿泊するのに一切料金は発生しない。写真はテント形式になっていて、中に入ると、畳が一段高くなって敷かれていたように記憶している。もちろん、蒲団までは用意していないので、持参した寝袋で寝ることになる。まあ、当たり前と言えば当たり前の話だが…。 写真には撮らなかったが、ティッピー式のテントにも宿泊した。その時は、たまたまだったのかもしれないが、確か管理人さんがいたように記憶している。もちろん無料であった。そう言うところに宿泊していると、ときどき地元の人が立ち寄ってくれて、「ほら、これ食べな!」と果物などの差し入れを頂いたりすることがある。 また、場所によっては貨車を宿泊所にしているところもあったように記憶している。でも、今から思い返してみると、「あれは一体何だったのだろう?」とちょっと首をかしげたくなるのだが、まあ、「町おこし」くらいに考えていいのであろう。 例えば、個人の敷地に宿泊所だけ無料で提供して、その脇に食料品などを売ったりすれば、宿泊所を利用した人の中には、当然、購入する人も出てくるだろう。しかし、よっぽど人数が多くないと、商売として成立させるには難しいような気がする。それに、「宿泊所+お店」というパターンも見かけなかったように記憶している。 「今はどうなのだろう?」とネットで調べてみると、まだ健在のようだ。後は、「素泊まり1,000円」などと言う格安宿も出現しているようであった。 ■ 自転車は優遇される ■ 平坦な道を走っているときのことであった。後ろから車が近づいてくるのが分かった。特には気にしていなかったのだが、「通り過ぎていくな」と思っていると、スピードを落として私と並んで走っているのである。「何だ?」と思って横を見ると、小型のトラックで、荷台に乗っていた人が、私に「これ、収穫してきたばかりだから」とメロンを差し出すのである。 拒否する理由など一切なかったので、「済みません!」と差し出されたメロンを受け取った。すると、「頑張ってくださ~い!」と、再びスピードを上げて去って行った。こういう思いがけないプレゼントは、本当にうれしい。 また、北海道の道は、車両にとっては走りやすい分、事故も多い。ときどき、「安全運転で!」と道端で、警察の関係者や、おそらくお手伝いのおばさんと思われる人が、ティッシュやちょっとして飲み物などを配っていることがある。 一旦、停車させられて「事故に気をつけてくださいね!」と飲み物などをもらうのだが、「じゃあ、自転車の人は2つあげますね」とサービスされたりしたことがあった。 そして、こういうこともあった。どこの駅かは忘れてしまったが、きっと観光客に「寄ってみたい」と人気のある駅だったのだろう。私もそこを訪れ、日も傾きかけていたので、「さあ、今夜の宿はどうしようか?」と考えていた時のこと。一人の男性が声を掛けてきた。 男性:「旅行ですか?」 私:「ええ」 男性:「今日はどちらに泊まるのですか?」 私:「まだ決めていないんです。早く決めないと」 男性:「じゃあ、うちに泊まりに来ませんか?」 私:「えっ、泊めてもらえるのですか?」 男性:「ええ、構いませんよ。アパートで広くはないですが…」 私:「別にそれは構いませんが…」 最初は、あまりにも突然の申し出に「大丈夫かな?」と言う思いもあったが、海外でないので身ぐるみを剥がされるようなこともないだろうし、こんな熊のような格好をしているヒゲおやじに、まさか「迫る」ようなこともないだろうと思い、お言葉に甘えた次第である。 聞くところによると、たまに旅行をしている人を泊めているとのことであった。彼のアパートに着くと、「これから料理を作りますから、まず風呂にでも入ってください」と汗を流してさっぱりすると、「もう少しでできますから、ビールでも」と目の前のテーブルにはビールが置かれた。 「なんか、飲んじゃっていいのかな…」とも思いながらも、当然、目の前の冷えたビールの誘惑に勝てるわけがなく、「じゃあ、済みません。いただきま~す」と喉を潤していると、テーブルには、鳥の空揚げ、サラダ、味噌汁などの出来たての料理が運ばれてきた。どれも美味しく頂いた次第である。しかし、世の中には、こんな奇特の人もいるものである…。 ■ アルバム(残り全部)■
2012.05.24
日記「映画」 テレビではよく映画を見るが、最近はわざわざ映画館に出向くことはほとんどない。最後に見たのは、アバターの3Dなので、一昨年の夏になる。 現在は、そのほとんどは眼鏡をかけて生活をしており、運動時にはコンタクトに変えている。ただ、アバターを見たころは、眼鏡をかけて生活をするという習慣がついていなかったので、最初は良かったが、途中から3D専用のメガネをかけてスクリーンを見ているのが苦痛で仕方がなかった。 よって、右手の中指でメガネを少し浮かせながら見る羽目になってしまった。「立体的な映像で見たらどうだろう?」と思って見に行ったのだが、メガネも辛いし、画質も通常のものに比べると落ちるような気がしてならない。3Dなりの良さはもちろんあると思うのだが、しばらくは「立体でなくてもいいのでは…」と思っている次第である。 さて、テレビの方だが、洋画は良く見る。一応、見るときは、音声は原語(英語)で聞くようにしている。それは、「語学学習」も兼ねてだが、まあ、正直言うと、理解できるのは4割くらいかな…。 邦画は滅多に見ないが、この間、「ガンツ」と言う映画を見た。特に見たかったわけではなく、他に見てみたい番組もなかったので「仕方がない」と言う感じであった。途中で「つまらない」と、電源をoffにしたり、他のチャンネルに変えることなく見終えてしまった。「ねぎ星人」がなんとも印象に残っている。 さて、最近公開しているの邦画に「テルマエ・ロマエ」というものがある。テレビにも頻繁にコマーシャルが流れたので、ご存知の方も多いと思う。題名を最初聞いたときは、「何だ、その題名は?」と思った。ただ、タイムスリップものが好きな私にとっては少し気になる内容であるが、映画館に足を運ぶことはないだろう。 しかし、テレビコマーシャルを見て「阿部寛って、けっこういい身体しているんだ!」と正直思った。「きっと、映画出演が決まってから頑張って鍛えたのだろうな…」と勝手に考えてしまっているわけである。
2012.05.22
旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道(その3)」・キャンプ場 ・アルバム(屈斜路湖まで) ■ キャンプ場 ■ 北海道に入る前は、テントを張るのにキャンプ場を利用したことはなかった。もちろんキャンプ場もいろいろとあったのだろうが、その場所に合わせて走ることはしなかった。よって、テントを張ったのは海岸であったり、河原であったりした。 しかし、どこだったかは良く覚えていないのだが、恐らく北海道ではなかったように思う。陽も沈みかけてきて「早くテントを張るところを探さないと」と少し焦って自転車を漕いでいたのだが、なかなか良い場所が見つからず、完全に陽も沈んでしまった。 ようやく、ちょっとした公園のようなところがあったので、中に入って自転車を停めてテントを張った。そして、夕食の準備に取り掛かった。ほぼワンパターンではあるが、インスタントラーメンである。周りには民家などはなく、辺りは静まり返っていた。「早く沸騰しないかな~」とコッヘルばかりに気をとらわれ、それまであまり気がつかなかったのだが、その公園のような場所の一角に石碑みたいなものが建てられていた。高さは、私の背丈の倍はあった。「何の石碑だろう?」と懐中電灯の光を当てると、「戦没者慰霊碑」などと書いてあるではなか…。 どうも、この手のものには非常に弱く、「霊などは非科学的だ!」と、自信を持って断言できるような私ではない。「まあ、いないとは思うのだけど、科学では解明できないものもあるだろうし…」と非常に中途半端なわけでる。 それで、こんな石碑などを見てしまうと、「ん、今何か物音がしたような…」とビビってしまうのである。それでも空腹には勝てないので、ラーメンの準備をしていたのだが、ふと、手に持ったコッヘルに目をやると、何か白いものが浮かんでいるのである。「うわっ、何だこの白いものは!」と心臓が止まるほど驚いてしまった。それは、私が入れたキャベツだったのだ。小心者はこれだから嫌だ! そして、北海道入りするまでは、同じところにテントを張って連泊したことはなかったが、屈斜路湖の湖畔にある「池の湯キャンプ場」には、非常に居心地が良かったので3連泊してしまった。 湖畔の芝生の緑もきれいだったが、何と言ってもこのキャンプ場の売りは、湖畔にある温泉に無料で入ることができることである。その無料の温泉は、本当に湖畔にあり、数メートルも歩けば屈斜路湖の水に足を浸けることができるほどであった。 連泊したからと言って、とくにそのキャンプ場をベースにしてどこかに行ったような記憶は全くない。何をすることもなく、のんびりと過ごしてしまった。もしかしたら、屈斜路湖くらいは1周したのかもしれないが、周囲は約20キロなので、1時間もあれば事足りてしまう。唯一、このキャンプ場の難点は、ビールの自動販売機があるところまで自転車で少し漕がなければならなかったことだけである…。 ■ アルバム(屈斜路湖まで)■
2012.05.21
日記「ちょっとまずいかな~」いや~、最近、「ちょっとまずいかな…」と思っている次第である。それは、上半身と下半身のトレーニングのバランスがかなり崩れてきている。つまり、上半身中心のトレーニングになりがちになっている。 その理由の一つに、「今日は少しダルイかな…」と言う日が続いているのがある。身体がダルイと、特に下半身のトレーニングは、「辛い!」ということで疎かになりがちになる。本当は、それではまずいのだろうが、どうしても敬遠してしまう。 「上半身を支えているのは下半身だからな~」とは分かっているが、なかなか難しいところである。どうしても、上半身の方が露出する機会が多いのでトレーニングにも力が入りがちだが、「原点に戻らなくては…」と思っているが…。 でも、筋トレと有酸素運動の両方を行い、なおかつ、上半身と下半身ををバランス良く鍛えていくのは、身体を動かすことには慣れている私でさえも大変なことだと実感している今日この頃である。
2012.05.21
旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道(その2)」 ・やっぱり北海道は走りやすい!・アルバム(釧路辺りまで) ■ やっぱり北海道は走りやすい! ■ 本州を自転車で走っていて、何が一番怖いかと言うと、トラックである。特に、トンネルの中でトラックに追い越されるときは「ひかれるのでは…?」と思ったことが幾度となくあった。 よって、長いトンネルに差し掛かると、その入り口の手前で一旦停まり、後方を「トラックは来ていないだろうな」と確認しなければならない。そして、トラックが来ていないと分かると、一気にトンネルを走り抜けなければならなかった。 アメリカやカナダなどでも、トラックによる自転車のツーリストの死亡事故について何回か聞いたことがある。ただし、トンネル内ではなく、普通の道路で起こる事故だ。道もよく、信号などもなければ、当然、スピードは速くなる。よって、場合によっては、向こうでは高速道路でなくても時速100超えはざらのようだ。 その様なトラックが、自転車で旅をしている人のすぐ横を通ると、風圧で自転車を巻き込むとのことである。何とも恐ろしいことだ。 さて、何度となく怖い思いをした本州に比べたら、北海道はまさに天国である。トンネルは、おそらく海岸線には短いものがあったのかもしれないが、内陸ではほとんど記憶にない。仮に、長さのあるトンネルがあったとしても、しっかりと車道と歩道が区分されたものだったのかもしれない。 それに、北海道の道は、比較的平坦で、上り坂で苦しんだ思いもほとんどない。オートバイで回った時も、その走りやすさは実感したが、今回の自転車の時は、その思いは倍増した。 北海道に入って1週間ほどが過ぎたくらいだったろうか、「今日も天気がいいな!」と自転車を漕いでいると、突然、「パキン」という音が聞こえてきた。最初は「あれ何の音だろう?」とも思いながらも、そのまま漕ぎ続けたのだが、5分もたたないうちにまた同じ音が聞こえてきて、後輪がぐらつき始めた。 すぐに自転車を停め、後輪を見てみると、スポークが何本か折れていたのである。すでに、重い荷物を積んで1万キロ以上は乗っているので、スポークの方も金属疲労を起こしたようだ。さすがに予備のスポークなどは携行していなかったし、仮に持っていたとしても交換する術は持ち合わせていなかったので、少し大きめの町に寄り、自転車屋を探し、交換してもらった次第である。 ■ アルバム(釧路辺りまで)■
2012.05.19
日記「訪問者数」ウェブサイトを持っている人であれば、日々どれくらいの人が訪れてくれたのかはやはり気になるところである。私も、やはり気になる。 去年の夏くらいまでは、曜日毎の訪問者の推移は一定していた。かなり大雑把な数字にはなるが、例えば月曜日を100とすると、火曜日:120、水曜日:140、木曜日:160、金曜日:90、土曜日:75、そして日曜日は95くらいであった。 つまり、月曜日から少しずつ訪問者数が上がっていって木曜日がピークとなり、金曜日、土曜日と下がり、日曜日には少し回復するというパターンが3年くらいずっと続いていた。もう、そういうものだと思っていた。 しかし、去年の夏過ぎ辺りから、そのパターンが少しずつ崩れてきている。最近では、曜日的には、日曜日や月曜日が一番訪問者が多かったりすることが多い。なぜなんだろう…?
2012.05.19
旅に出よう「北海道(その1)」・小樽入り・アルバム(宗谷岬から知床半島まで)■ 小樽入り ■ さて、困った。大阪の親戚の家の前で伯父と一緒に撮った写真の日付は「7月24日」になっている。親戚の家や大阪の八尾にあり、その八尾から敦賀まではおよそ150kmほどなので、1日で走ることは可能である。もし、当時のフェリーの出航時間も現在と同じように夜中であれば、そんなに朝早く出発しなくても余裕を持って走ることができる。 よって、日付が変わった25日の便に乗れば、その日の夜には小樽に入っているはずである。それで26日の朝から北海道を走ることは可能だ。北海道で最初に撮ったのは宗谷岬のようで、その日付は「7月29日」である。その間の記憶がほとんどない。 フェリーで小樽に到着して北上しているわけだが、どのようなルートを通ったのか全く思い出せない。まあ、「遠回り」などはするようには思えないので、ずっと海岸線を走ったか、その一つ内陸にあるルートを走っているに違いない。最短距離の日本海の海岸線だと350kmなので、3日あれば、北海道の走りやすい道だと余裕を持っていくことができる。 「最北端の地」の宗谷岬の後は、オホーツク海の海岸線に沿い、網走を経由して知床半島を目指している。知床半島を横断した後も、ほぼ海岸線に沿うように根室、釧路と走り、釧路からは北上して北見に向かった。そして、北見からは、「国内バイク・ツーリング」でも訪れた層雲峡を通って内陸部を目指した。 残念ながらラベンダーの時期を外してしまった富良野を訪れ、帯広を経由して太平洋側の海岸線に出ている。その後、再び海岸線に沿って苫小牧を目指して走っている。 そこから北上しているが、札幌まで走ったかどうかは定かでない。アルバムの中には「サッポロビール園」で撮った写真があるので、恵庭市(えにわし)までは確実に走っている。そして、駅で寝泊まりした写真もあり、「もしかしたら、これは札幌駅なのでは?」という気持ちと、「そんな大きな駅に寝泊まりできたであろうか?」という気持ちが交錯している次第である。 いずれにしても、そこから再び海岸線にでて、本州にフェリーで渡るために函館まで下っている。ルート的には不明な部分も多少はあるが、写真には全て日付がついているので、巡っている観光地などの順番には狂いはないはずだ。ただし、「これ、どこで撮ったのだろう?」というものは結構あったりするが…。 ■ アルバム(宗谷岬から知床半島まで)■
2012.05.17
日記「左右差」 マシンでもフリーウエイトでもそうだが、筋トレは、左右の手または足など片方ずつ行えるものは、なるべく片方ずつ行うようにしている。もちろん両方一緒に行うよりも時間がかかってしまうが、その理由は、左右差を確認するためである。 私は右利きなので、手にしても足にしても、やはり右側の方が左側よりも1割から2割ほど強い。アームカール、レッグエクステンション、ショルダープレスなどどれを行っても右側の方が左側より、より重いもの、またはより多く回数をこなすことができる。 しかし、唯一、左側が強いものがレッグカールである。前々から「なぜレッグカールは左足の方が強いのだろう?」と不思議に思っていた。レッグカールは太ももの裏側にある筋肉群(ハムストリングス)を鍛えるエクササイズだが、どうも私の場合は、左側のハムストリングスの方が強いみたいだ。その理由は不明である。 まあ、理想を言うと、左右差がない方がいいのだろう。そうすると、バランスを取る場合は、右側を落とすか、左側を上げるかのどちらかになる。通常、「落とす」というのは考えにくいので、弱い方を上げていくことになるが、それも結構大変なことのように思う。「まあ、極端な左右差でなければ、多少あるのが一般的なのでは」と思っている今日この頃である。
2012.05.16
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島を後にして」・長居し過ぎた・再び大阪へ■ 長居し過ぎた ■ 波照間島から再び西表島に戻って2、3日過ごした。正直言うと、西表島で長居し過ぎてしまった。当初、西表島の滞在予定は1週間ほどであったが、2週間近く滞在してしまった。また、与那国島や波照間島は当初の計画には入っていなかったのかもしれない。 出発前は「富良野でラベンダーを楽しもう!」と計画していたのは覚えている。あまりにも南の島々の居心地が良すぎて、かなりのタイムオーバーとなってしまった。預かってもらっていた荷物を自転車に取り付けて、お世話になったいるもて荘の人たちに挨拶をし、石垣島行きの高速船に再び乗り込んだ。(またいつか行ってみたいな~) 当時のいるもて荘では 「見送りダイブ」というのがあった。つまり、「行ってらっしゃい!」とか「元気でね!」と言って、見送ってくれる人が港の海に飛び込むのである。もちろん「やりたい人」だけで、全員ではない。 今回ではなく、離島へ行くときにも、よく行動を共にした人たちが見送りに来てくれたのだが、その内の3名くらいが「行ってらっしゃい!」と言ってダイブしてくれた。それで、帰島したときに「あのとき大変だったんだから!」と言うのである。 「えっ、大変って?」と話を聞いてみると、飛び込んだのは良いが、全員、「カツオノエボシ」というクラゲに刺されてしまったということである。ある人は手を、そしてある人は唇を…。「ほらっ、見てよ!」と差しだされた手をみると、見事に赤くなって腫れていた。(写真は直接本文とは関係ありません)「うわっ、痛そう~」と言うと、「痛いに決まっているでしょ。ヒリヒリするわ!」との弁。 カツオノエボシは、大きさの方はほんの10センチ程度なのだが、触手が長く、その長さは数メートルに及ぶ。よって、自分の周りに触手だけがある場合はなかなか気づきづらいので非常に厄介である。場合よっては、ショック死する例も報告されているようでだ。 私も、この旅でではないが、ダイビングを終え、水面に上がったところで刺されたことがある。そのときは、当然、ウエットスーツは着用していたが、ちょうとグローブとウエットスーツの間の皮膚が露出しているところを刺された。触手がほんのちょっと触れただけだったのだが、針に刺されてから電気が走ったような刺激があったのを記憶している。 彼らによると、飛び込んでしばらくすると、誰からともなく「痛い!」「痛い!」と叫び出し、飛び込んでいない人にも手伝ってもらって、慌てて海から上がったそうである。私たちのために飛び込んで、非常に辛い思いをさせてしまった。決して、「海ほたるのときに、オレを先頭で歩かせた罰だ!」とは思わなかったが…。 ■ 再び大阪へ ■ 石垣島からは、フェリーを乗り継いで大阪まで移動している。つまり、「石垣島→沖縄」と「沖縄→大阪」になり、単純に乗船していた時間だけでも50時間近くになる。そして、大阪では再び親戚の家に御厄介になった次第である。(大変お世話になりました) さあ、次の目的地だが、北上して京都の敦賀へ向かっている。目的は、敦賀からフェリーに乗り北海道の小樽に入るためだ。乗船時間はおよそ20時間となる。
2012.05.16
日記「日々雑感」■ 首のトレーニング再開 ■ 4月2日の「まったく、やれやれである…」で書いたが、痛めていた首の痛みも全くなくなったので、首のトレーニングを月曜から再開した。もちろん、無理してもいいことはないので、軽い負荷から様子を見ながら行っているが、同じようにやっていても痛めてしまうときは痛めてしまうので、こればかりは…。 ■ あくび ■ 一日に何回か睡魔が襲ってくる。一度、あくびが出ると止まらないのである。必ず何回か「あ~あ~」とやらないと治まらない。父親がそうなので、変なところが遺伝してしまったようだ…。 ■ だるい ■ 今週はだるい日が続いている。さすがに昨日は、雨が降っているということもあって、運動に行く気にはなれなかった。ただ、夜の在宅時間が長いと、どうしてもカロリーの摂取量が増えてしまう。「何とかしないと」とは思うのだが、自制心が働かない。困ったものだ…。
2012.05.14
旅に出よう(国内・自転車旅行)「その他の離島へ(その)」・竹富島・波照間島■ 竹富島 ■ 与那国島から戻ると、石垣島で、Iさんとは別れの言葉を交わした。恐らく彼は、そのまま実家のある秋田に向かったように記憶している。私の方は、もう少し離島の旅を続けた次第である。 まずは、石垣島の目と鼻の先にある竹富島に渡った。距離的には約6km、高速船で10分ほどである。竹富島は、島のほとんどが隆起サンゴ礁でできていて、ほとんど起伏のない島である。その上、日本最大規模のサンゴ礁で囲まれる島で、まさに「サンゴ尽くし」の島だ。 ここ竹富島でも、ユースホステルにお世話になった。どのような名称だったかは全く思い出せないのだが、ネットで「竹富島、ユースホステル」で検索してみると「ユースホステル高那旅館」が引っかかってくるので、そこだったのかもしれない。 アルバムを繰ると、男性3人と女性1人の写真が貼ってあるので、もしかしたら、その日のユースの宿泊客は4人だったのかもしれない。恐らく、夕食は全員ユースで済ませたはずである。そして、私は夕食を済ませると、特に彼らと親交を深めるようなことはなく、私は、少し近くを散歩に出たたような気がする。 すると、どこからか三味線の音色が聞こえてきた。その音色に誘われるように歩みを進めていくと、集会所のようなところで、老若男女集まって練習していたのである。踊っている人がいたかどうかは記憶にないのだが、しばらく集会所の周りにめぐらされた垣根越しにその音色に聞き入っていた。派手さなどは一切なかったのだが、何とも心が落ち着ける音色で、「南の島にいるんだな~」と言うのを実感した。 人間って、妙に変なことを覚えているものだとつくづく思うのだが、私がユースに戻ると、他の宿泊客の姿はなかった。特に気にすることもなく、床についてしばらくすると「おいおい、大丈夫か?」と言う感じで男性陣が部屋に戻ってきた。すぐに「どこかで杯でも交わしていたのだろう」ということは分かった。 彼らもすぐに床に着いたのだが、その一人が飲み過ぎたせいか、トイレに入って「ゲーゲー」やり始めたのである。それは数時間続き、「あんなにゲーゲーやられたら、眠られねえよ!」と思ったのは、今でもよく覚えている。 ■ 波照間島 ■ 竹富島に1泊してから波照間島に移動した。波照間島(はてるまじま)は、西表島の南に位置する島。そして、この島を訪れた理由は、有人島として日本最南端の島だからであった。(沖ノ鳥島は、更にその南に位置するが、そのほとんどがサンゴ礁で、満潮時には島の大部分が海面下となり、かろうじて2つの露岩のみが海面から顔を出しているだけ)また、ガイドブックなどには「日本で南十字星が見れる数少ない場所」などとも書いてある。「南十字星」って何となく響きは良いが、私の場合は、夜空を見てもどれがどれだかさっぱり分からない。つまり、「月以外は、前部、星」なのである。 どうも人間と言うのは、「最~端」と聞くと行ってみたくなってしょうがない生き物である。「なんでそんな端っこが好きなんだろう?」などと思ってしまうが、東西南北という4つの方角の端までたどり着くと、何となく達成感みたいなものが生まれてくるような気がするのであろう。その点に関しては、私も全く同じであった。限られた空間の中で、その隅にたどり着くと「とりあえず行った!」みたいな自己満足があった。 しかし、波照間島までは船で1時間くらのところなのだが、またまた飛行機を利用している。理由は全く分からないのだが、とにかく機体が小さかったことだけは覚えている。乗客は10名ちょっとだったのではないだろうか…。島でどのような行動をしたのかは一切記憶にない。
2012.05.14
旅に出よう(国内・自転車旅行)「その他の離島へ」・与那国島 私は、いるもて荘に一度自転車を預け、その他の離島へ足を延ばしてみた。いるもて荘でよく行動を共にしていたIさんも、「オレも与那国島に行きたい!」と言うことだったので、行動を共にした。 ■ 与那国島 ■ 与那国島は、西表島の北西約70kmの東シナ海に浮かぶ島である。石垣島からは124km、そして台湾までは111kmの距離を置き、日本の最西端となり「国境の島」となっている。実際のところは良く分からないが、当時は、「与那国島まで行けば、台湾のテレビ番組が見れる」と聞いていたほどだ。 もちろん、西表島から直接アクセスすることはできない。まず、一旦、石垣島に移動しなければならなかった。石垣島から与那国島へのアクセスは、海路と空路の2通りあり、私たちは空路を利用した。当時の航空運賃は全く覚えていないが「今はいくらくらいでいけるのだろう?」と調べてみると、安いものだと18,000円くらいから往復のチケットを手に入れることができるようだ。船だと約4時間ほどかかり、片道3,460円となっている。「約4時間」というとそれほど耐えがたい時間でもないと思うのだが、それでも空路を選んだのは、単純に「飛行機に乗ってみたい!」というのがあったのかもしれない。 ・宿 与那国島での宿は、Iさんが「有名な民宿がある!」と言うので、彼に任せた。宿の作り自体は特別変わったものではなかったし、ご主人が一人で切り盛りしているようであったが、そのご主人がユニークな人と言うこともなかった。実はこの民宿は、夕食の「すごさ」でその名が知られているらしい。 夕食の時間になり、私たちが着いたテーブルの上に置かれた皿を見て驚かざるを得なかった。目の前に置かれた大きな皿の上には刺身や野菜炒めなどのおかずが大盛りになっているのである。「すごさ」とは「量のすごさ」のことであった。 その量は暴力的で、「食えるものなら食ってみろ!」というものであった。現在であれば「じゃあ、ギャル曽根連れて行っちゃうゾ!」などと言えるのかもしれないが、当時、大食い番組などはなかったように記憶している。 とても食べ切れる量ではなかった。「完食するまで帰さんゾ!」と言われれば、「済みません。3日ほど猶予をください」とお願いしなければならないくらいの量だった。安く食材が手に入れることができたのでこのようなサービスになったのだろうが、「でも、食べ残したものはどうするのだろう?」という疑問は当然湧いてきた。 ・観 光 50ccのバイクを借りて、島の端から端に行ってみた。これも今でもはっきりの覚えているのだが、バイクを借りてから、行動を共にしているIさんが「この島だったらヘルメットを着用しなくて平気みたいだよ!」と言いだした。「暑いから。面倒くさいか!」ということになり、ヘルメットを前のカゴに入れてバイクを走らせていたが、島の人に「ヘルメットちゃんとかぶれ!」と注意される始末。全くいい歳して、思慮に欠ける行動をしてしまった。 ・ダイビング 与那国島でもダイビングをしているが、ほとんどポイントの記憶が残っていない。あまり大物には出会わなかったのだと思う。ただ、一緒に潜った人の中に、ダイビング雑誌取材班が3名ほどいたのは変に記憶に残っている。 現在の与那国島のダイビングポイントの一つに「海底遺跡」というのがある。1986年、ダイビングショップの人が「新しいポイントを開拓していこう!」と潜っていたら、島の南部の新川鼻沖で、偶然に巨大な1枚岩を発見した。 人が加工されたしたような形状をしていたため、発見当初は「海底遺跡ではないか」とマスコミで騒がれて、多くの人々の興味を集めた。だが、現在に至っても「人工説」と「自然説」のそれぞれを主張する人がいて、実際にどちらなのかは結論に至っていないようだ。 私が島を訪れたのは88年なので、そのポイントに行っていても良さそうなものなのだが…。また冬場は、西崎というポイントにおいて、ハンマーヘッド(シュモクザメ)が見られることも有名で、多くのダイバーが訪れる。
2012.05.12
日記「さて、今回はどうしようかな…」 私は、現在、KDDIの光回線を利用している。おそらく2年近く前になると思うが、それまではNTTの「フレッツ光」を利用していた。代理店の営業の人が回ってきて説明を受け、金額的に月1,000円ほどの差が出たのでKDDIに変更した次第である。 また、今年の前半に、今度はNTTの代理店から「料金の方が下がったので検討してほしい」という電話があった。聞いてみると、ネットの使用が少ない人であればメリットはありそうであったが、私のように「つなぎっぱなし」の場合、料金的にはKDDIに変更する前とたいした変わりはなかったのでそのまま変更はしなかった。 すると、数ヶ月前になると思うが、今度はイーモバイルから「検討してほしい」と電話があったが、料金の方を聞くと現在のままの方がメリットが大きかったので変更することはなかった。 すると、昨日、再びNTTの代理店から電話があった。「今年の始めに電話をした会社ですが、再び料金の方が下がったのでご連絡差し上げました」とのことであった。 最初は、「ちょっと煩わしいな…」と思って話を聞いていたのだが、料金的には、現在のKDDIとほとんど変わりがなかったし、2万円のキャッシュバックがあるとのことであった。まあ、キャッシュバックに関しては、よくあることなのでそれほど驚きもしなかったが、プラスして、「ご希望であれば、中古になるのですが、NTTで使用していたパソコンを差し上げます。ウィンドウズ7が入っています」と言うのである。 代理店もあの手この手で攻めてくる。さて、今回はどうしようかな…。
2012.05.10
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その7)」・ヨナラ水道・バラス島■ ヨナラ水道 ■ 「ヨナラ水道」とは、西表島と小浜島の間にある海峡のことで、幅は500~780m、水深が10~30m、そして長さは約5kmほどある。スキューバダイビングをする人であれば1回くらいはその名前を聞いたことがあるはずである。仲之御神島と並んで「一度は行ってみたい!」とダイバーが憧れるポイントの一つである。 ダイバーの間では「マンタェイ」と呼ばれ、マンタが回遊するところとして知られている。ダイビングに興味がない人でも「マンタ」という言葉は一度くらいは耳にしている人も多いのではないかと思うが、マンタとはオニイトマキエイのことで、大きいものでは身体の横幅が8m、体重が3tに達するものもある。 ダイバーであればだれでも「大きな魚を見てみたい!」と思うのは本音でが、私みたいな小心者は「あまり大きいと何か危害を加えられるのでは…」などと思ってしまうが、マンタはプランクトンを食べているおとなしい魚なので、その心配はない。 ポイントに着くと、船長兼ガイドのお父さんが、「おい、おい、そこにいるのマンタじゃないか?!」と言うではないか。船に乗っていたツアーのメンバーは、みんな一斉に「えっ、どれどれ」と船から身体を乗り出して海の中を覗いたが分からなかった。お父さんがいた操縦席は、私たちの頭と同じくらいの高さにあるので確認ができたのかもしれない。 しかし、大型の回遊魚となると、どこのポイントでもそうだが、「見れる・見れない」はその日の運によるところが大きい。中には「5回行ったけどダメだった」と言う運に恵まれない人だっている。なので、「そう簡単に見れるものではない」くらいの覚悟はできていた。それを、ポイントに着くなり、いきなり「マンタじゃないか」とか言われてしまうと、「うっそー」と半信半疑なのが正直なところであった。 「早く準備して!」の声に、ツアーのメンバーは期待に胸を膨らませながら準備にとりかかった。仲之御神島の時と違って、ほとんど船も揺れてはいなかった。 私も、急いで必要なものを身に付け、最期にフィンを履いて船の縁に海側に背を向くようにして腰を掛けた。着水したときに、タンクからホースによってつながれているメーターや予備のレギュレーターが暴れないように片腕でしっかりと押さえ、もう一方の手でマスクがずれないように抑えて、背中に背負ったタンクから着水した。 空の青さが一瞬見えたかと思うと、「ジャブーン」という多少の衝撃とともに目の前は小さな気泡で包まれた。通常は、最初からレギュレーターを口にくわえることはない。少しでもタンク内の空気を節約するために、最初はシュノーケルを使用する。ただ、着水時にはシュノーケル内に海水が入ってしまうので、まずはそれを「シュッ」と吐き出さなければならない。 履いているフィンでゆっくりと海中をかくようにして体勢を整え、全員が揃うのを待った。そして、ガイド役のお父さんが海の中に入って全員が揃った。お父さんは、拳から親指だけを突き立て、それを海面に向けて何回か上下させた。「潜行」の合図である。私たちは、シュノーケルを外してレギュレーターにくわえなおした。このときも、レギュレーター内には海水が入っているので、一度吐き出さなければならない。 着用しているベスト内の空気を少しずつ抜いてい行くと、身体は沈んで行った。すると20mくらい離れたところに大きな黒い影が確認できた。マンタである。「1本目で見れるなんて本当にラッキーだ!」と思わざるを得なかった。 ここヨナラ水道でも、仲之御神島の時と同じように海底にある岩場につかまってマンタが来るを待つわけだが、潮の流れはかなり弱く、しがみつく必要などはなかった。 私たちは岩場まで潜行したころには、先程見たマンタの影はもうなくなっていた。「いないかな~」とキョロキョロしていると、今まで海面にキラキラと輝いていた太陽に雲がかかり辺りが暗くなった。先程までは雲ひとつない快晴であったので「天気が悪くなってきたのか?」と見上げてみると、マンタだったのである。私たちの頭上を悠々と泳いで消えていった。 再びキョロキョロしていと、ツアーメンバーの一人が私の肩を叩いてきた。振り向くと、少し離れたところを指さしている。目を凝らしてみると、2匹のマンタが並んで泳いでいた。きっとアベックだったのであろう。40分ほどマンタウェイを楽しみ、私たちは船に戻った。船上でタンクなどを外して身軽になると、誰からともなく拍手が起こったのである。 ※YouTubeの張りつけ動画は本文とは直接的な関係はありません。■ バラス島 ■「バラス島」とは、西表島とその北に位置する鳩間島の間に浮かぶサンゴの殻からできている小さな島のこと。ダイビングやシュノーケリングのポイントになっている。私の思い違いでなければ、ヨナラ水道で1本目を潜った後に2本目としてこのポイントに移動している。 正直に言うと、どのようなポイントだったのかほとんど記憶にない。一つだけ記憶に残っているのが、マンタのようなものがこっちに向かってきたので、みんなに指を差して「マンタだ!マンタだ!」(水中だから聞こえない)と知らせてやったが、よくよく見るとビニール袋だということが分かった。どおりでみんな、首をかしげていたはずである。あと、バラス島自体が、周りのコバルトブルーの海に映えて白く輝いていたのも印象に凄く残っている。
2012.05.10
日記「拾得物(その4)+番外編」 この時は、横断歩道のところに落ちていた。手に取ると、明らかに女の子が好んで持つようなものであった。全体的に、ピンク色で、かわいらしいキャラクターがプリントされていたように記憶している。お札は入っていなかったようだが、小銭が少しとカードらしきものが数枚入っていた。 「交番に持って行って、拾った場所とか時間などいろいろと聞かれなければならないのか…」と、ちょっと煩わしい思いは少ししたが、このままねこばばするわけにも元の場所に戻すわけにもにもいかないので、交番に向かった次第である。 そして、交番に到着すると、お巡りさんはパトロールに出ていて不在で、扉にもロックが掛けられていた。「しょうがないな~」と出直そうと思ったが、ふと、交番の外壁に取り付けられてあった郵便受けが目に入ってきた。もちろん、良くないことだとは思ったのだが、郵便受けには鍵も掛けられていたので「面倒くさい」と思い、拾った財布を郵便受けの中に入れてその場を去ったのである。 帰宅する前に、飲みものを買うためにコンビニに寄った。適当に買ってレジに向かうと、私の前に2人ほど並んでいた。私は、背負っていたデイパックを手に取り、外側にあるポケットのジッパーを開けて自分の財布を取り出そうとしたのだが、目に入ってきたものを見て「ガーン!」となってしまった。それは、さっき交番の郵便受けに入れたはずの財布なのである。 すぐに、それが何を意味しているのか理解ができた。「でも、もしかしたら…」と思い、念のためにポケットの下の方を探してみたのだが、見つからなかった。こともあろうに、自分の財布を交番の郵便受けに入れてしまったわけである。こんな、間抜けな人間がいるのであろうか? 私は、買おうと思ったドリンクを元のところに戻し、ため息交じりで帰宅した次第である。当然、その日に交番まで再び戻るエネルギーは全くなかったので、翌日、明るいうちに交番に行くと、お巡りさんがいたので、事の一見を話し、拾った財布を手渡した。お巡りさんは、ちょっと笑いをこらえながら「それはご苦労様です。ただ、郵便受けに入っていた財布はもうここにはなく、警察署の方にありますので…」と言うことだったので、その足で警察署の方に向かったわけである。しかし、自分がこんなに間抜けだとは…。 ■ 番外編 ■ これも、もう10年以上前のことだと思うが、私の母親が遊歩道を散歩しているときにお財布を拾ったことがあった。そして、そのまま交番へ届けに行ったようだった。 交番にいたお巡りさんからは、「じゃあ、一緒に中身を確認しますから…」と言われ、財布の中身を机の上に出していったようである。 お札が数枚、そして硬貨も数枚入っていた。また、ドラッグストアなどのポイントカードも何枚か入っていたようだった。そして、本人確認ができる保険証も見つかった。「もうこれでおしまい…」と思っていると、小さなビニール袋が出てきた。そして、その中には「白い粉」が入っていたのであった。 結局、それは「麻薬」だったようで、母親が言うには「私が拾って届けたのに、家族構成やそれぞれの職業などしつこく聞かれて、頭に来たわ!」とのことであった。まあ、向こうも仕事上、仕方がなかったのであろう…。
2012.05.08
日記「拾得物(その3)」 先日、運動後、家に向かって自転車を漕いでいるときのこと、道端にタバコのケースを2回りくらい大きくしたものが落ちていた。「ん、お財布か?」と、少し戻って手に取ってみると、ぬいぐるみのようであった。ただ、その表面にビニールのケースが付いていて、中にはカードのようなものが何枚か入っていた。ただのぬいぐるみであれば、そのままにしたかもしれないが、カードが入っていたので「これは交番に届けた方がよさそうだ」と、いつもその前を通る交番に向かった。 現金が入っているかどうかまでは詳しく確認はしなかったが、正直、「これくらいのことで、住所や名前などいろいろと聞かれるのは煩わしいな…」と思っていた。交番に着くと、ラッキーなことにデスクの上には「ただ今、パトロール中です。」の立て札があったので、拾ったものはそのデスクの上に置いてきてしまった。 さて、もう20年以上も前になるが、私には、この「拾得物」で生涯忘れられない思い出がある。それは、片道約20キロを自転車で通勤していたころのことであった。自分では「何か落ちていないかな?」と、キョロキョロしているつもりはないのだが、1ヶ月の間に3回ほど財布等を拾ったことがある。 1回目は手提カバンであった。結構、交通量の激しい道路の雑草の生えた道端であった。中を確認すると、財布やメモ帳などが入っていてたので、そのまま交番に届けた。何百万も入っていれば、「ちょっと拾得した権利を主張しちゃおうかな」などと思ってしまうかもしれないが、交番で対応してくれたお巡りさんには、「権利を主張する気もないし、わざわざお礼の連絡も必要ないので」と告げ、交番を後にした。 しかし、結果的には、私が不在の間に、落とし主が「お礼をしたい」と家に寄ったようで、気を使ってお菓子を持ってきてくれた。 2回目はお財布で、やはり交通量の激しい道端であった。もし中に何も入っていなければ、わざわざそれを拾って交番などに届けることはしないので、ざっとだが中身は確認した。。中には、1万円札や千円札などのお札が数枚、そしてカードなども入っていた。同じように交番に届けた次第である。この人からはお礼の電話を頂いたような気がする。 そして、3回目もお財布であった…。(つづく)
2012.05.07
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その6)」・仲之御神島 ダイビングライセンスを持っていて、ダイビングをしないで西表島を離れたら、その魅力は半減してしまうと言っても過言ではないほど、西表島はダイビングのメッカでもある。滞在中、2日ほどダイビングに充てた。 ■仲之御神島■ 「なかのかみしま」または「なかのうがんじま」と読み、通称、「オガン」と呼ばれている。西表島の南西約15kmの東シナ海に浮かぶ無人島で、見ようによってはヒョウタンのような形に見える。島の周りの海底にはいくつかの根があり、イソマグロなどの大型の回遊魚が見れるとあってダイバーにとっては憧れのポイントとなっている。 当時のいるもて荘は、「くまのみ」と呼ばれるダイビングショップも併設していた。ペアレントさんのお父さん(旦那さん)の方がガイドも努め、ボートも所有していた。その当時で、50代半ばくらいの年齢だったと思う。よって、続けていればかなりの高齢なのだが、いるもて荘のサイトを見ると、ダイビングショップ「くまのみ」に関しての記載は全くない。よって、現在はいるもて荘自体でのダイビングツアーは組んでいないのかもしれない。 さて、この「オガン」まではボートで1時間ほどかかった。外洋に出ると波はけっこう高く、「これ以上高くなると引き返す可能性もある」とのお父さんの言葉。私は、船には弱い方でもなく強い方でもない。そんな私にとっては「これ以上高くなるとヤバイ!」くらいの海の荒れ方だった。 50分もたったであろうか、お父さんの「見えてきた!」の言葉に、「えっ、どこどこ?」と船が向かっている先の海原に目をやると、小さく島が見えてきた。 それから10分もたったであろうか、島が目前に迫り、その岩肌なども確認ができるようになると「さあ、着いたぞ!」の声。ここは「東の根」というポイントである。根にアンカーを降ろして、ボートを係留した。「さあ、準備、準備!」の言葉に、ダイビングに必要なタンクやフィンなどの機材を身につけるのだが、船が揺れるのでなかなかスムーズに運ばない。ときどき「おっとっと~」と船のヘリに手を添えて身体を安定させないとならない。 しかし、このポイントまでも船は揺れていたのだが、船が進行していたので揺れ方はけっこう一定の揺れだったようだ。しかし、停止してからはいろいろな揺れ方をするようになり、へたをすると酔ってきそうだったので「これは早く潜った方がよさそうだ」ということで、急いで準備をし、海に入った次第である。 海に入ってすぐに分かったのだが、潮の流れがかなり速い。ボートに手を当てながら流されないようにして、船首のアンカーロープの所まで移動し、ロープをつかみながら潜行した。もちろん水中も潮の流れは速く、吐いた空気の気泡が上ではなく横に流れていくように感じた。とてもロープにつかまりながらでないと潜行は不可能なくらい潮の流れは速かった。 根の上はテーブル状になっていて、直径はどのくらいあったであろうか、記憶違いでなければ7、8mくらいはあったような気がする。アンカーはその端に掛けられた。ロープ伝いに潜行をし、根の上までたどり着くと、根の上はほぼ平らだが岩の割れ目などもあるため、その割れ目に指先を掛けて移動していった。 それまでは潜行するのに必死であまり気が付かなかったのだが、よくよく眺めてみると、根の周りをイソマグロが回遊しているのが分かった。全く今までに体験したこともないような景色であった。体長的には、優に2mはこえているものも何匹かは目の前を横切って行った。彼らは、私たちの存在など「また来たか…」くらいに、ほとんど意に介せずに悠々と根の周りを泳いでいたのである。 ちょっと根の下に視線を移すと、大型ではないが、おそらく40から5センチくらいの黒っぽい魚体が群れていた。しかし、ずっと下を見ていると「このまま落ちていったらどうなるのだろう?」という感覚に陥り、少し「恐怖」のようなものを感じた。よって、少し斜め頭上を回遊するイソマグロに集中した。 とりあえず、特に問題もなく1本目のダイブを終え、島岸の波が穏やかな場所に移って昼食の時間となった。お父さんからは「おい、大丈夫か?メシ、食えるのか?」と声を掛けられたが、「いや、別に…」と少し痩せ我慢をして、何とか用意された弁当を胃の中に収めた。 昼食後はしばらく休んで、ボートの周りでシュノーケリングを楽しんだ。大きな伊勢海老なども目の前に出てきたが、さすがに取るわけにはいかない。2本目も1本目と同様に大型の回遊魚を楽しむことができ、私たちは無事に帰路に着いた。しかし、下船してからもその日いっぱいは、ずっと船の上にいるようだった。
2012.05.07
日記「さて、今回はどうしようかな…」私は、現在、KDDIの光回線を利用している。おそらく2年近く前になると思うが、それまではNTTの「フレッツ光」を利用していた。代理店の営業の人が回ってきて説明を受け、金額的に月1,000円ほどの差が出たのでKDDIに変更した次第である。 また、今年の前半に、今度はNTTの代理店から「料金の方が下がったので検討してほしい」という電話があった。聞いてみると、ネットの使用が少ない人であればメリットはありそうであったが、私のように「つなぎっぱなし」の場合、料金的にはKDDIに変更する前とたいした変わりはなかったのでそのまま変更はしなかった。 すると、数ヶ月前になると思うが、今度はイーモバイルから「検討してほしい」と電話があったが、料金の方を聞くと現在のままの方がメリットが大きかったので変更することはなかった。 すると、昨日、再びNTTの代理店から電話があった。「今年の始めに電話をした会社ですが、再び料金の方が下がったのでご連絡差し上げました」とのことであった。 最初は、「ちょっと煩わしいな…」と思って話を聞いていたのだが、料金的には、現在のKDDIとほとんど変わりがなかったし、2万円のキャッシュバックがあるとのことであった。まあ、キャッシュバックに関しては、よくあることなのでそれほど驚きもしなかったが、プラスして、「ご希望であれば、中古になるのですが、NTTで使用していたパソコンを差し上げます。ウィンドウズ7が入っています」と言うのである。 代理店もあの手この手で攻めてくる。さて、今回はどうしようかな…。
2012.05.06
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その5)」■ 海ほたる ■ 誰かが突然、「海ほたるを見に行こう!」と言い出した。私は「えっ、東京に行くの?!」なんて言うギャクは決して発することはなかった。東京アクアラインが完成したのは、約9年後の1997年である。 この場合の「海ほたる」とは、太平洋沿岸に生息する体長3ミリほどの甲殻類で、青い光を放つ夜行性の発光生物のことを言う。その名前は何となく聞いていた。太平洋沿岸であれば、伊豆あたりで見ていてもおかしくないのだが、今まで一度も目にしたことはなかった。 もちろん海ほたるを見るには浜辺まで下りていかなければならない。この辺の記憶は非常に曖昧なのだが、この時下りて行ったのは、フェリーが到着する上原港ではなく、もっといるもて荘に近い浜辺だったと思う。上原港であれば、いるもて荘と港の間は盛んに車の行き来があるので、一部は砂利道のようなところも多少はあったが、ほぼアスファルトになっていたように記憶している。 ただ、この「海ほたるツアー」では一部、草むらの中を通らなければならなかった。「私も行く!」「オレもオレも!」とツアーの参加者は8名ほどになり、もちろん私もその中に入っていたのは言うまでもない。そこでまたまた誰かが言い出した。「誰が先頭を歩くの?」 最初、「なんでそんなこと決めるのだろう?」と発言者の意図が理解できなかったのだが、すぐにその理由が分かった。「そうね~、ハブ怖いし!」と女の子の一人がポロッと言ったのである。そう、ハブも海ほたると同じ夜行性なのである。 どう間違っても、女性に先頭を歩かせられるわけにはいかなかった。そうすると、自分が先頭を歩く確率は1/4となった。「じゃんけんして負けたら仕方がない!」くらいに思っていると、「ヒゲさん(私)なんかいいんじゃないの!」ととんでもないことを言う奴がいるではないか。「えっ!」と突然の発言に驚いていると、「そうね、ヒゲを生やして野生に溶け込んでいる感じだし…」と、ダメ押しをするとんでもない発言が飛び出してきた。「ヒゲ=野生的」という関連性は全く理解できなくもないが、「野性的」と「野生に溶け込んでいる」というのは全く別物である。 「ヒゲさん、どう?」というみんなの視線を感じずにはいられなかった。そこを、「いや、ジャンケンにしようよ!」などという言葉は口から出て来ようがなかった。私は、頬を引きつらせながら「構わないよ!」と言わざるを得なかったのである。 次に「どうやったら草むらをより安全に歩くことができるか」という議論になった。「棒を杖代わりにして、地面をたたきながら歩いたらどう?!」という意見が出た。「なかなかいいアイデアだ!」と内心思っていると、「でも、ハブの習性で、最初に刺激されると攻撃態勢を取って、その次に刺激されたときに攻撃するらしいわよ」という別の意見が出てきた。つまり、「杖で地面をトントンとたたく」ことが第1の刺激で、次に前に踏み込んだ私の足が第2の刺激となるとのことである。つまり、私の足がガブリとやられるわけでだ。もちろんそれは最悪の事態を意味する。 そうすると、杖代わりの棒を使わなければ、私の後ろの人が攻撃目標となる。私にとっては喜ばしいことだ?!「みんなでぞろぞろと歩くわけだから、そう計算したようにはいかないんじゃないの…?」という意見も出てきた。「確かにそうかもしれない」と思った。「棒を杖代わりとして使うべきなのか?使うべきではないのか?」究極の選択を迫られた。「危ないから止めようよ!」など言うものは選択肢に入っていなかったのである。 最終的に、私は、棒を杖代わりとて使うことに決めた。ユースホステルの近くにあった適当な長さの棒を、杖代わりとして草むらに挑み行ったのである。 草むらに差し掛かると、先頭に立った私は、今まで何気なく持っていた棒を「どうかハブだけは出ませんよに…」と、座頭市が自分の杖で地面をコツコツとやるように、草が生えている地面に押し当ていった。そして、私の後ろを、ツアーのメンバー達は、それぞれが肩に手を添えたり、またはズボンのベルトをつかんだりして数珠つなぎになったのである。 幸いにも、特に問題なく海辺に下りることができた。私たちは、その辺にある適当な長い棒を探して、海水を掻き混ぜてみた。するとその流れに合わせて、海ほたるがキラキラと光るのであった。けっこうみんなはしゃいでいたが、帰りのことを考えるとなかなか素直にはしゃげない自分がいたのである。 奄美大島で親戚の家に厄介になっていた時、「ハブセンター」に連れて行ってもらった。生きたハブの展示や「ハブ対マングース」などのショーが行われたが、鮮明に記憶に残っているのがハブの被害にあった人の写真が何枚も展示されていた。みんな一様に、ハブにかまれた部分の皮膚はどす黒くなり、パンパンに腫れていたのである。そのことが思い出されてしまった。さて、小一時間ほど遊んだ後、「もう、戻ろうよ!」ということになった。また、来た時と同じように列になって草むらを進んだ。結果的には何事もなく戻ることができた。 もちろん、ハブは確実にいるし、実際に被害にあう人もいるわけだが、もしかしたらそう滅多にお目にかかれるものではないのかもしれない。事実、いるもて荘のペアレントさんは「ハブはなんて見たことがない!」と言っていたような気がする。
2012.05.05
日記「ミャンマー」 さて、「ミャンマー」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?「軍事政権」、「アウンサンスーチー」、または「ビルマの竪琴」など人それぞれだと思う。 ミャンマーは、現在、日本が注目している国の一つである。国土は日本の約1.8倍。そして人口は約6,200万人である。高い経済成長の続くインド、中国、そしてタイと隣接している。 人口的には日本の半分なのだが、人件費はタイの約1/8、そして、石炭や天然ガスなどの豊かな天然資源が存在し、「アジア最後のフロンティア」などとも呼ばれ、これからの経済成長が期待されている。それに伴いインフラの整備なども必然的に必要になって来る。 現在の電気の供給は水力によるところが多いらしく、一般家庭の3/4には電気が供給されていないと言うから驚いてしまう。そして、首都のヤンゴンでさえ、停電は頻繁に起きているようだ。 私が、2回目にタイに行った時のことである。知人のつてで、普通のタイ人が借りるようなアパート(7,000円/月)を紹介してもらい、3ヶ月間そこを拠点にしていろいろを回った。その時、隣国のミャンマーやラオスにも行ってみようかなと一瞬思ったのだが、「そんなにタイと変わりないのでは」ということで止めてしまった。今から思うと、「あの時、行っておけばよかったな」と、ちょっと後悔している。また、私の隣の部屋の人はミャンマーからの人で、何回か会話を交わしたことがある。 さて、欧米社会はミャンマーへの経済制裁を解除しようとしている。日本はというと、もともと経済制裁を実施していない。そう言う意味では、「企業の進出」に関してはかなり優位な立場にあるようだ。民主化に向けて歩み始めているようだが、まだまだ政治的に安定しているとは言い難い。それが、当然、リスクとなる可能性はあるが、それを恐れていてはいけないはずだ。 そう言えば、「ぼくの名前はミャン坊♪ ぼくの名前はマー坊♪ ふたり合わせてミャンマーだ♪ 君とぼくとでミャンマーだ♪」っていう歌があったような気がしたが…。
2012.05.03
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その4)」・宴・その他■ 宴 ■ さて、「ユースホステルでは飲酒は禁止」と書いたが、ここ、いるもて荘ではそれは食事中のことで、それ以外のところでは「もう高校生じゃないんだから、自己責任で…」と言う感じで黙認されていた。 そうなれば、しばらく「天体ショー」を楽しんだ後は、宴が始まるのはごく自然な流れである。泡盛やおつまみを持ち寄って酒盛りが始まる。見慣れた顔もいれば、「今日、着いたばかりなんです」という新人も交じる。しかし、「あの泡盛はどこで手に入れたのだろう?」と考えたときに、記憶は非常に曖昧なのだが、恐らく昼間のうちに港にある商店などで手に入れているのだろうな…。 ■ その他 ■ どれくらい前のことだろうか?半年?1年?ちょっとその辺の記憶は曖昧なのだが、数年前ということはないと思う。恐らく「テレビ東京かな~」と思っているのだが(違っていたらゴメンナサイ!)、田舎暮らしをしている人を紹介する番組があって、リポーターが実際に訪れて、その生活ぶりをリポートするという企画であった。 数人のリポーターが、日本の僻地?で田舎暮らしをしている人を訪ねるのだが、その一つに西表島に住んでいる男性を訪ねるものがあった。 あまりはっきりとは覚えていないのだが、恐らく年齢的には65歳は超えているような男性で、西表島に移り住んでから10年近くになるような感じであった。それで、彼の住居だが、橋の下に作った掘立小屋なのである。失礼な言い方かもしれないが、東京あたりで言うならば、いわゆるホームレスが河川敷に廃材などで掘立小屋を作って暮らしているのとほぼ同じであるように私には思えた。 もちろん、食事なども自給自足である。その辺に自生している食用になる草花を食べたり、浜辺に出て、波打ち際に打ち上げられた魚や海藻などを食しているような生活であった。もちろん、場合によっては傷んでいる可能性も非常に高いのだが、それらの拾得物を鍋に入れ、1日に2回ほど火を通して殺菌するのだという。冷蔵庫などはあるわけがない。 それを食べては、また拾ったものを足していくと言うことを繰り返しているようで、半年以上は鍋は空になったことがないようなことを言っていた。もちろん一度も具合が悪くなったことはないとのことだ。 一応、番組の設定では、レポーターが、その掘立小屋の横にテントを張って宿泊したことになっていた。そのレポーターが、朝、「おはようございます!」とテントから顔を出すと、少し離れたところに頭部を切り落とされたヘビが、その胴体をクネクネとさせている。それを見てレポーターは「えっ、これ何ですか?」と住人に聞くと、「あっ、これ?ハブ、ハブ。昨夜、用足しをしようと外に出てみると、いたので頭だけ切り落としたわけ」などと言っている。 テレビ番組なので、どこまでが本当なのかは分からないが、でも、正直「逞しいな~」と思った。そんな彼がレポーターと一緒に近くの浜辺を歩いている場面があった。彼は、波打ち際に打ち上げられたものを拾うと、「何だ、まだ食べらるよ!」と言っている。それを聞いて、レポーターは「えっ、何ですか?」と、彼が拾ったものを見ると、恐らく台湾辺りから流れ着いた菓子パンで、一応、ビニール袋に包まれていて中には海水は入っていなかったのだが、賞味期限は数か月前に切れているものであった。 レポーターは、「えっ、こんなもの食べても大丈夫なんですか?」と彼に聞くが、彼の方は「平気!平気!」と言って、その場でビニール袋から出してモグモグやって、「美味しい!」などと言っているわけだ。すると、テロップ「絶対マネをしないでください!」などという文字が流れてくる。 そんな彼にも、家族から便りが届くことがあるようだ。この辺も非常に曖昧なのだが、離婚をしていて、娘さんからの手紙だったように記憶している。「お父さん、元気ですか?こちらはみんな元気にやっています。…」という内容だったり、時には宅配便で荷物も送られて来るようであった。ただ、それらのものが、直接、彼が建てた掘立小屋に届くのか、それとも彼が郵便局などに取りに行くのは定かではないが…。 私はこの番組を見て、西表島にいるときのことを思いだした。まあ、彼ほどサバイバル的な生活はしていないが、西表島にあるキャンプ場には、数ヶ月、あるいは数年単位で暮らしている人がいると聞いていたので行ってみた。砂浜はとても白く美しいところであった。その砂浜に沿うようにして、高さ2~3mほどの樹木が生い茂っているのであるが、そのキャンプ場の長期居住者は、それらの樹木が影を作るところにテントを張っていた。もちろん、声を掛けるようなことなどはしなかったが…。 そして、そのキャンプ所の住人に手紙などを配達する郵便局員さんがいるとのことであった。確か、キャンプ場に茂っている樹木の一つにには郵便受けがあったように記憶している。
2012.05.03
日記「そんなことどうでもよいことなのだが…」 ここ2、3ヶ月間くらいは、筋トレとしてベンチプレスはだいたい毎回行うようにしている。重さは、正直言うと「情けない」くらいの重さで、60キロが中心である。そして、そこから増やしても、せいぜい75キロが上限となる。 グリップ幅だが、左肩を痛めてからスタンダードな幅では痛みが出るので、ずっとナロウで行っている。だいたい、拳1個分くらいを開けている。そして、バーベルを下ろす時は、だいたい8カウントくらいかけ、一番下に来た時に2カウントくらい静止させて肩関節にしっかりとストレッチをかけ、4カウントくらいかけて上げている。このやり方だと、60キロでも7回しか上げることができない。疲れているときは、5回、6回というときもある。 しかし、先週あたりから8回上げられる日が出来てきているのである。私の場合、筋トレ中心のトレーニングではないし、気持ち的にも「もっと重いものを!」というのが希薄なので、「もう年齢的にもここから下り坂かな…」と思っていたので、ちょっと嬉しい。 それで、ちょっと大胸筋あたりもついてきているような気がする。よく、大胸筋をピクピクさせる人がいるが、私も、もう10年以上も前のことだと思うが、「できるかな?」と思ってやってみたことがある。でも、そう簡単にできるものではなく、少しコツがいる。何回かやっているうちにだんだん動かせるようにはなったが、「別にこんななこできなくても…」と止めてしまった。少し練習を重ねれば、ボディビルダーのようにそれほど大胸筋が発達していなくても動かせるようにはなるようだ。 フィットネスクラブのスタジオには必ず前面に鏡がある。私は、レッスンを受けるときは、なるべく心拍数が上がっている状態で受けるようにしている。よって、レッスンが始まる前は、スタジオ内でも軽くジョギングしたり飛んだりして身体を動かすようにしている。 それで、鏡に映った自分の姿を見ると、もちろん意識して動かしているわけではないのだが、以前よりも大胸筋が上下に動いているような気がする。まあ、そんなことどうでもよいことなのだが…。
2012.05.01
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島(その3)」■ 観 光 ■ 西表島へは自転車は持って行ったものの、2、3時間ちょこっと漕いで「暑くて走っていらんね~」という感じであった。そして、それ以外は、一人で行動するようなことはなく、必ずいるもて荘に宿泊した人と行動を共にした。それが楽しくもあった。 何をすることもなく、本を読んだり、話をしたりとのんびりと過ごすことも楽しかったが、以下のようなところにも行ってみた。 ・NTT鉄塔 このようなことあまりサイトで書くようなことでもないのかもしれないが、ブログ等で同じようなことを書いている人がいるみたいなので書いてしまうわけである。 「朝陽を見に行こうよ!」と誰かが言い出し、「行こう!行こう!」ということになった。どこかの浜にでも行くのかと思っていたら、NTTの鉄塔に登るということなのである。「ええ~、そんなことしていいの?」と聞いてみると「無人だから大丈夫!」との答えであった。 朝陽を見るのであるから、何時に出発したのかはもう覚えていないが、暗いうちに出発しなければならない。しかも距離的には恐らく4km弱位は離れているので、私たちはレンタカーを借りた。サニークラスの車に7名が乗り込んで出発した次第である。 ・ピナイサーラの滝 ヒナイ川の上流にあるのがピナイサーラの滝で、いるもて荘で行っているそのツアーに参加した。ツアーと言っても、それが、いわゆるガイド付きのツアーだったのか、それとも単に希望者が集まって行っただけだったのかは定かでないのだが、いるもて荘から歩いて行けるところではなく、行き帰りはいるもて荘の送迎車にお世話になっているので、有料のツアーだったのかもしれない。 しかし、前夜は泡盛を飲み過ぎて二日酔いの状態で参加したので、難儀したことだけは記憶に残っている。現在ではカヌーなどを使ってのツアーもあるようだが、当時はそのようなものはなくひたすら歩かなければならなかった。 ・マリュードの滝 浦内川の上流にある滝で、30分ほど遊覧船に乗って、その後1時間?ほど歩く形になる。また、近くにはカンピレーの滝もある。アルバムにはそれらの写真は見つからない。 ・星砂の浜 「星砂の浜」とは何ともロマンチックな響きである。文字通り星の形をした砂が見られるのだが、もともとは「砂」ではなく、有孔虫という虫の一種で、生きているうちは岩などにひっついているが、死ぬと岩から離れてその殻だけが残ったものが「星砂」となる。現在では、かなりその数が少なくなっているようだ。 ・その他
2012.05.01
日記「最近の運動」 先週の運動は、「今日は少し疲れているからどうしようかな~?」と言う日はなく、コンスタントに行えた。ただ、今週は、その反動なのか「ちょっと疲れたな~」と言う日があったが、一応、週6日は行った次第である。 特に、「今日は少ししんどいな…」という言う日は、有酸素運動が辛い。トレッドミルで走っていても、「歩く」に毛の生えたようなものになる。しばらく走っていると、少しずつ身体も慣れてくるので速度を上げていくが、今週は、途中で辛くなり減速した日が何回かあった。今までは、あまり途中から速度を落とすことはなかったのだが…。 さて、4月から導入された新しいスタジオプログラムだが、これがきついきつい。特に運動6日目の木曜日に受けているのでそう感じるのかもしれない。内容は、ボディウエイトトレーニング(自重トレーニング)だが、ウォーミングアップなどでスタジオ内を走り回ったりするので、他のボディウエイトトレーニングとは少し趣が異なる。何となく「部活」の雰囲気がある。 まあ、スタジオに入る前に20分から30分ほどの有酸素運動をし、スタジオ入りしてからもなるべく心拍数を落とさないように軽く身体を動かし続けているので、レッスンが始まるときには、かなり着ているタンクトップは汗で濡れている状態。 始まって10分もすると、汗がフロアに滴り落ちるので壁際に置いたタオルで汗を拭き、フロアに落ちた汗を雑巾で拭かなければならない。レッスン前は、「今日は筋トレで下半身もやらないと…」などと思うのだが、45分のレッスンが終わった時点でクタクタ状態となっている。下半身のトレーニングをやったとしても、結局は「手抜き」となってしまう。2ヶ月くらい受けていれば慣れるのだろうか…。
2012.04.30
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島へ(その2)」 食事の時間は、宿泊中の楽しみの一つでもある。もちろん、ホテルなどの食事ほどの贅沢さはないが、それでも夕食の時間が近づくと「今日は何だろう?」とちょっと気になったりする。 夕食の時間は、おそらく17時半から18時くらいだったように記憶している。ここ、いるもて荘には食堂があり、その時間帯でおのおの夕食を済ませることになる。日によっては、「これ、~さんが取ってきたタコよ!」とタコ刺などのおかずが一品増えたりする。 食堂にはテレビがあって、食事中はつけっぱなしになっていたが、当時はNHKしか電波が受信できなかった。よって、ブラウン管に映し出される番組はNHKの総合ということになる。時間的にも「ゴールデンタイム」という時間ではなかったので、ニュースあたりが流れていたように記憶している。食事中は、特に会話で盛り上がるということもなく、どちらかという、ときどきテレビの画面を見ては黙々と箸を進めるような感じだった。 私の記憶違いでなければ、(今はどうなっているのか分からないが)まだ当時のユースホステルでの飲酒は禁止されていた。よって、非常に残念ではあったが、夕食と一緒にビールなどを飲むことはなかった。 夕食後は、おのおの好きな形で時間を過ごすこととなるが、いるもて荘の回りには自然しかないので、「ちょっとコンビニに」などということはできない。港まで下れば、お店は数件あったはずだが、暗い道を20分ほど歩かなければならないので、その様なことをする人は皆無に等しかったと思う。 よって、夕食後は、そのまま食堂に残ってテレビを見たり、自分の部屋に戻って読書をしたりと、各自が思い思いのことをした。私の場合だが、夕食後の過ごし方は雨でない限り決まっていた。 いるもて荘は鉄筋コンクリートの2階建ての建物で、屋上に上がることができた。私の食後の楽しみは、屋上に上がって夜の帳が下りるのを味わうことであった。 夕食を終え、屋上に上がる時間帯は、だいたい水平線に陽が差しかかる少し手前で、まだ辺りは明るかった。「夕食、美味しかった~」などと、しばらく屋上に寝転がって休んでいると、陽は水平線の向こうに沈み始める。残念ながらいるもて荘からでは山々が邪魔をして直接陽が沈むところを見ることはできないが、陽が沈む方向の水平線がうっすらとオレンジ色に染まるので、そのおこぼれくらいは楽しむことができた。 陽が完全に沈み切ってしまうと少しずつ闇夜に包まれるわけだが、どこからともなく何かが羽ばたく音が聞こえてくる。目を凝らして音の方向を見ると、大きな鳥のようなものが飛んでいるのだが、その飛び方は鳥のものではなかった。「八重山大コウモリ」である。夜の帳が下りると同時に「自分たちの出番」とばかりに元気に羽ばたき始める。しかし、数分もすると羽ばたく音は聞こえなくなってしまう。きっと彼らも、ディナータイムを楽しんでいるのだと思う。 そうなると、今度は「天体ショー」の始まりとなり、南国の夜空の星星が満開となる。 屋上で仰向けになり、見上げる分にはもちろん遮るものは何もない。また、起き上がって水平線あたりに目をやると、遠くの島の家屋から漏れてくる光が邪魔をしたりするが、その様な場合、手の平を使って遮ってやると、より一層水平線近くの星星の輝きが増す。高級ホテルなどでは味わえないものがここにはあるような気がする。
2012.04.28
日記「どうも少し足りないのは…」 私には、あまり「物を所有して豊かになろう」という発想がない。まあ、物を購入する元手がそれほどないのもあるのだろうが…。 ちょっと前に「断捨離」という言葉をよく耳にしたせいではないが、最近、少し身の回りを身軽にしようと、いろいろとガラクタを整理している。購買欲がそれほど旺盛でない私でも、「こんなにも買っているのか!」いろいろと出てくるわけである。 服なども、「ファッション」などという言葉には全く興味がない私でも、まあ、「ファッション」と言えるかどうかは分からないが、「買って、何回着たのだろうか?」というもの結構あったりする。 しかし、整理するのもなかなか大変である。そのまま市指定のごみ回収業者に持って行ってもらえるものもあれば、粗大ごみとして有料のものもある。また、時折、軽トラなどで回ってくる不用品回収業者にお願いしなければならないものも多そうだ。 もっと質素に暮らし、つまり、「少し足りない」くらいが本当は良いのかもしれないと思う今日この頃である。どうも「少し足りない」のは頭だけのようだ。いや、「少し」ではなく「かなり」のようだ…。
2012.04.28
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島へ」 さて、とうとう西表島(いりおもてじま)へ渡ることとなった。「西表」と聞くと、「イリオモテヤマネコ」を思い浮かべ、「ずいぶんと遠くへやって来たな~」という感覚に浸らずにはいられなかった。 地図を見ると、石垣島と西表島はすぐ隣同士のように見えるが、おそらく最短距離でも35キロど離れている。石垣島からフェリーが出ているが、その航路には大原航路と上原航路の2通りがある。私は上原航路を利用した。それは、宿泊予定のユースホステルである「いるもて荘」が上原航路の終点の上原港に近いところにあったからである。 ちょっとネットで「石垣島-西表島、フェリー」で調べてみると「八重山観光フェリー」がトップに出てきて、おそらくその運航会社のフェリーをしたものと思われる。船の種類もいくつかあるみたいで、航路により使い分けているようだ。定員も、少ないフェリーで90名前後、大きなものになると190名弱は乗れる。しかし、どれも客船で、もちろん車などが乗せられるようなものではない。私は自転車とともに乗船しているので、自転車はどこか適当なところに係留させてもらったのだろうか?と、その辺の記憶は非常に曖昧である。乗船時間は40分ほどなので、ちょっと景色を楽しんでいる間には着いてしまった。 ユースホステルは徒歩だと港から20分ほどかかる。事前に予約を入れておくと港まで迎いの車が来てくれるみたいだが、私の場合は愛車があるのでその必要はなかった。 私が訪れた日だが、石垣島のユースホステルで撮ったユースホステルの写真の日付が「6月27日」になっている。そして、西表島の写真で一番日付の早いのものが「7月2日」である。 よって、その間、写真を撮っていない日もあるので、おそらく西表島に渡ったのは6月の末だと思う。事前にこの「いるもて荘」に宿泊の予約を入れていたかどうかは不明だが、私が訪れたときにはけっこう宿泊客はいた。 この「いるもて荘」にはトイレの付いた個室もあり民宿も兼ねているようであったが、私が宿泊した部屋は畳みで、確か「3人部屋」だったように記憶している。 宿泊客もいろいろである。学生さんだったり、または社会人であったり、そして私のように時間を掛けて旅をしている人もいた。そして、リピーターも多いようで、毎年この時期になると来ている人もいるようでたった。私はその身なりからだが、すぐに「ヒゲさん」というニックネームが付けられ、最期まで本名で呼ばれるようなことはなかった。 以下の写真は「かっちゃんのお魚ブログ」のご厚意で拝借させていただいた。ありがとうございます!実は「いるもて荘の外観ってどんなかんじだったけ?」とグーグルの画像検索で探していると、良い写真が目に入って来た次第である。クリックすると、ブログに掲載された写真だと分かったり、メールアドレスが載っていたので「借用したい」旨のメールを送ると快諾していただいた。 私もときおり、全く知らない人から「サイト内に掲載しているものを使わせて欲しい」とメールを頂くことがある。その多くは、筋肉を解説したページで使用しているイラストを使わせて欲しいという内容のものである。 私も、「全部、使わせてください!」と言われると、何百時間もかけて描いているので「それはちょっと…」となってしまうが、ほとんどは「とりあえず必要なものだけ」なので、「少しでもお役にたてるのなら」ということで使って頂くことにしている。 去年の11月ころであったろうか、ある女性の方から「バレエをやっていて、使う筋肉の解説をしたいので、立ち上げているブログでイラストを使わせてほしい」というメールを頂いた。一応、ブログの方を確認させていただいたのだが、どうも年齢的には60を超えていると思われる人であった。とりあえず、特に支障もないような気がしたので快諾した次第である。 それ以来、特に連絡はなかったのだが、ちょうどクリスマスの日だと思う。アマゾンからメールが一通届いた。「あれっ、最近、注文はしていないと思うが…?」と見てみると「ギフト券が届いています」との内容であった。 「ギフト券?」と言う感じで全く意味が分からなかった。よくよく見ると「~さんから2,000円分のギフト券が届いています」との内容であった。「~さん」に最初は全く心当たりがなかったが、よくよく調べてみると、「バレエをやっていて、使う筋肉の解説をしたい」と言う人からのギフトだということが判明した。全く予期せぬクリスマスプレゼントであった。 早速私は、彼女に「こんなことして頂かなくても気兼ねなく使って頂ければよかったのですが、送り返すわけにもいかないので、ありがたく使わせていただきます」とメールを送った次第である。結局、ただのちゃっかりものだったのかもしれない?こんなこともあるものだ…。
2012.04.26
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