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シュークリームについて、私は長い年月をかけて研究してきた。 アメリカでシュークリームと言うと靴クリームが出てくるという。アメリカでシュークリームを食べたかったら「クリームパフ」と注文するそうである。「パフ」とだけ言うと、化粧用のスポンジが出てくるから注意する。 元祖フランスでは「シュー アラ クレーム」といい「シュー」はキャベツのことである。かといって注文したらクリームが包まれたキャベツが出てくる恐れはなくシュークリームを食べることができるそうである。もっともこれはケーキ屋さんのことで、キャベツ畑であれば「俺のキャベツのアラを見つけてクレームを付ける気か」と怒鳴られる可能性がある。君子危うきに近寄らずである。 このシュークリームを好む人は多い。文科省財務局食料品管理部緑地課の統計によれば、100人中97人は年間285個以上食べているという。 値段は、豆粒みたいなものを除くと、1個80円から3000円くらいまでと実に幅が広い。驚いたねえ。 しかし長年研究したからといって、3000円のものを食べたと勘違いしないでほしい。あえて言うが、私が食べてきたものは2800円以下のものばかりである。別の言い方をすれば150円以上のものは食していない。ここでは80円程度のものに限って話をすすめていこう。 シューにクリームを入れるには二つの方法がある。一つはシューの頭に横から切れ目を入れて大きく開き、クリームを上から入れる。二つ目の方法は、注射器のようなものでシューの横からブスッと注入する。一の方法をとるのは大抵値段が高い。従って私の研究対象になるのは二の方法で製造したものになる。 シュークリームをレストランで注文すると、他のケーキのようにフォークがついて出てくることはほとんどない。仕方がないので直接手で持ってみるが、これが柔らかすぎてたよりない。おにぎりとは違うのだ。高級品ほど崩れやすい(それなのにおにぎりは100円以上する)。だが急いで口に入れようとかぶりついてはいけない。問題発生の予感がする。この予感を働かせるには最低5年の歳月を要する。 普通飲み物はコップなどのように深みのある入れ物に入れる。大きな固形物は皿に盛り付け、箸やナイフ、フォーク、スプーンなどの小道具をあやつって食する。一方、食べる側の口の構造も器を選ぶ。 イソップ童話では「鶴と狐の食事」でお互いを招待した時、狐は鶴に皿でスープを勧め、鶴が狐に深い壺でお返しをするといった心温まる話が伝えられているが、大相撲で優勝した力士は大杯という大皿状の器で酒を飲むのが通例となっている。見ていると飲むというより口の左右でこぼしているほうが多い。飲食物や口の構造と器の関係をこの童話から理解できていない現状は嘆かわしいばかりだ。 ではシュークリームに関してはどのような食し方が作法にあっているのだろうか。十数年という期間のうち10分を費やして研究に研究を重ね、考えた末、小笠原流にたよることにした。小笠原といってもバットをかまえたあの小笠原ではない。行儀作法を教えるあの小笠原である。 小笠原流には「いづれも時宜によるべし」とある。これを今風にいうと「TPOに添って行動しなさい」ということだ。 さて、小笠原流による食し方をするためにシュークリームを観察した。 コップやカップに入れるにはシューはあまりに固形物である。皿に置くのはいいが、ナイフやフォークで食べるにはクリームは液状でありすぎる。スプーンではシューの扱いが困難である。道理で小道具が付属してこない訳だと納得できる。従って手づかみでかつ、注意深く食べることがいいと判断するのだ。ここまで悟るのに15年の歳月を費やした。 さて第一の注意事項は、注射器のあとを見つけることにある。この穴を指でふさいでかぶりつくのだ。ところがここからが難しい。シューには極端に薄いところがあり、クリームはそこを破って噴出してくる。 小笠原流には「どのような席においても自然に振る舞うこと」とある。 クリームの噴出を素早く発見し、別の指で優雅にかつ自然に押さえなければならない。だが負けてはならじとクリームはさらに別の場所から噴出し始める。シューの底からもふきだしてくる。ったく不届きなクリームである。 小笠原流ではさらに「自信と余裕を持って楽しく食事をする」と追い討ちをかける。 私もさらに別の指で押さえにかかる。だがシューの破れは形も大きさも様々で押さえる指の圧力にも違いが生ずる。シュークリームの形が予想外に変形し、十指に余る箇所からクリームが噴出してくる。このような状態に至れば「やめればいいじゃん」という訳にはもういかない。余裕を持つためには真上を向き精一杯口を開けて食べるしかない。このようなクリームとの攻防戦の末、口と両手をベトベトにしてシュークリームはようやく私のお腹に収まるのである。クリームベットリの口の端と指を一本ずつきれいになめて、楽しく満足する。 最後に小笠原流は 「相手に失礼がなく、ゆとりを持っていただくことこそが食事のマナーです」と追記されている。 おそるおそるあたりを見回し、私の上品かつ繊細な食し方が小笠原流に反していないことに安堵感を覚えるが、ふとテーブルを見るとクリームが「ポタッ」とこぼれている。予想外の多さだ。無視できる量ではない。うかつだった。どこかに油断があったに違いない。 心の中で満足感が急速に痩せ細っていくのがわかる。 指ですくい取りなめてしまうか、このままあきらめて立ち上がるべきか、しばし苦渋の選択の中に身を置いて考える。 ここまで二十年という歳月が私を通り過ぎていた。小笠原流の奥義は極めたが、それにしてもシュークリームは奥深い。 私の研究はまだ十分ではない。
2007/05/22
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久々の記入です。 身辺に色々ありまして何となく書けませんでしたが、これからはまたがんばって書いていこうと思っていますのでよろしくお願い致します。 ロボットを組み立てています。「週間ロボット」の組み立てです。週刊誌の発行予定は来年の夏ごろということなので、完成もそのころになるでしょう。 なるでしょう、というのは完成するかどうか、多分に不安があるからでもあります。 今のところ手も足もない状態ですが、とりあえず、首(上下、左右旋回、赤青黄緑のLED)は正常に動くようになりました。 少しずつ進化していくところを写真で報告していきたいと考えています。
2006/09/30
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多くの災害をもたらした梅雨もようやくその終わりを見せ始めました。 あとは暑い、暑いが連続の夏ですが、何とか乗り切りたいものですね。 ここで以前暑いさ中に行なった実験についてのお話をしましょう。 暑さも利用次第で有益なものになる、という例でもあります。最後までお楽しみください。『五月蝿』と書いて『うるさい』と読む。昔は五月のハエはうるさかったのだろう。最近は暖房が行き渡ったせいか、真冬にもハエがいて、特に厳寒期2月のハエはうるさい。暖房を入れると、ヨタヨタとどこからか出てきて、追っても追っても寄り付きうるさい事この上ない。近年は『二月蝿』と書いて『うるさい』と読ませたほうが妥当だと思うがいかがだろう。 私はこのハエが大嫌いである。ハエは何にでもたかり、『赤痢』や『疫痢』を媒介すると聞いたからである。 ハエはあの吸盤のような足で、縦でも横でも逆さまでも、とにかくどんな格好でも好きなところに止まり、口吻といういやらしい口で何でもベロベロとなめるのだ。考えるだけでもおぞましい。 その上、ハエの幼虫は『卵―ウジムシーサナギ』となって親になるまで、便所の中で人糞をくらい育つのだ。「うー」ここまで書いて背筋が寒くなってきた。 このしつこいハエが、いざ『叩きつぶすぞ』と構えるとナカナカ捕まらない。こちらはハエタタキを持って止まったら叩こうと見構えるのだが、今度は止まらない。止まってもコップのふちだったりして叩くに叩けない。実にやっかいである。仕方ないので空中戦を挑むことにするが、やつらは結構速い。さらに飛ぶ方向を何の造作もなくヒョイと変える。こいつらは『慣性の法則』を無視しているとしか思えない。 物理の絶対真理を無視するなどとんでもないムシである。「ゆるせん!」と桃太郎侍はハエには負けじとブンブンとハエタタキを振りまわすことになるのだ。 こんなに嫌いなものをナゼ?ここに書くのだ?「憎いやつほどかわいらしい」「かわいらしいほど憎たらしい」いやいやそんなことではない。「憎くてもやっぱり、しっかり憎たらしい」のがハエである。 さて、ある時トイレで座っているとブーンとハエの羽音が聞こえた。ン?と見るといつ入りこんだのか一匹のイエバイがいる。夏のことでちょうど手元にうちわが在った。 ?!名案はこんな時に生れるものらしい。 実験である。題目は「ハエの『ノンストップ耐久飛行時間』について」と決めた。 さて研究主題も決まったので、まずハエをしっかり観察した。ヤツは今窓の縁でノンビリしている。これから我が身に振りかかる恐ろしい運命も知らずに(知るわきゃあないか)、まるでメガネのレンズを磨いているときのように、右手(というかどうか知らないが)と左手で交互に目玉をクルクルこすり手を擦り脚を擦り擦りしている。このまま観察を続けると、小林一茶の世界に入ってしまうので休憩はそこまでとし、わたしは時計をはずし目の前に置いた。右手にはうちわをしっかと握りしめた。 私は時刻を確認してからうちわを振った。ハエはブンと羽音をたてて舞いあがった。狭いトイレの中である。便器と少々の本の他には天井に電球があるだけである。ハエに逃げ場は無い。私もハエを見失うことは無い。 しばらくブンブンと飛びまわっていたが、ハエも少し疲れてきたようだ。壁に止まろうとする。さあ、うちわの出番だ。私はさっとハエをあおぐ。ハエは驚いてまたブンブンと飛びまわる。「飛べ飛べどんどん飛べ。くたばるまで休ませんぞ」心の中で叫ぶ。自分がこんなに非情な人間だとは思わなかった。 ハエはまた休もうとする。うちわで扇ぐ。またブーンと舞いあがる。そしてまた休もうとする。また扇ぐ。ハエの飛んでいる時間がだんだん短くなる。私も忙しくなってきた。そのうちハエは、うちわが部屋(といってもトイレだが)の中ほどで振られており、天井近くにとどいていないことに気が付いた? 私とて完全に自由の身ではない。最初からハエをうちわで扇ごうとしてトイレに入った訳ではない。別の目的があってトイレで座っているのだ。しかし、この崇高なる実験を始めてしまった今となっては、途中でやめることはできない。私はズボンを途中まで下ろし、尻を出し、中腰のまことに中途半端なかっこうでうちわを振り回しているのだ。崇高な実験には少々不謹慎な姿勢でもある。 ハエは、どーもその辺を察知したに違いない。うちわの届かない電球のあたりを周回しはじめた。すきを見せればすぐにでも止まりそうな気配である。私は右手、左手と交互に忙しくうちわを振り回し、その合間に必死で身繕いをした。 ようやく姿勢を立てなおした我輩(突然エラソーニ)は、立ちあがった。電球近くまでうちわを振れるようになったのだ。 このころになるとハエの飛ぶスピードがガクンと落ちた。どこかに止まろうと必死であるが、飛ぶ方向やスピードのコントロールが利かなくなってきたようだ。フラフラの状態である。不幸なことに扇いだうちわと衝突し、そのまま墜落死してしまった。残念、もう少し注意深くうちわを振るべきだった。 気が付けば、私も汗ダクのフラフラ状態。窓外から見れば『トイレでバカが盆踊りしてる』の態であったが、とにかく真夏のトイレは暑い。一歩間違えば私が倒れていたかもしれない。 飛行時間は思いのほか短く、十二分半であった。思わぬアクシデントで飛行時間が短縮された感もあるが、初めての実験としてはほぼ満足の内に終了である。 結論 = 実験と称した限りは結論を出さねばならないが、何分突然始まったことなので、あまり断定的に述べるわけにはいかない。『ハエがノンストップで飛行できる時間は12分前後』 というところがとりあえずの結論となろう。 さて、今後の見通しであるが、金に、銀、大きいのに小さいイエバエと何種類か分類し、さらにサナギから生れたばかりの若いヤツ、年取ったヤツ(どの位生きるのか知らないが)など、各300匹ずつ位を対象とし、計画をきちんと立てて実験を行えば、立派な結論が導き出せるかもしれない。 その際、ハエのスピードを測定することができれば、『ハエのノンストップ耐久飛行距離』という別の結論を引き出すことも可能である。 また、その運動エネルギーがどのような仕組みで提供されているかを探ることが出来れば、効率のいい省エネ動力の開発につながり、どこかの大学から博士号を授与されるかも知れないし、ハエの運動能力をそのまま生かした超精密なロボットを作ることができればノーベル賞の候補となることも不可能ではない・・・と思う。 このように様々な研究材料は目の前にいくらでもある。大切なことは疑問をそのままにせず、興味をもって行動することである。疑問を自分の力で解決することは、大きな快感であり、次の疑問を手繰り寄せることも出来るのだ。 残念なことは私が若くなく、しなければならない事がまだ山のように残っており、この研究への時間が取れないことである。この研究は若い人(だれでもいい)に譲る決心をした。 吉報が届くことを心より期待している。 尚、今後、「団扇とトイレでダイエット」なる旨のダイエット方法が巷間にあふれ、それで利益を得るものがいたら、それは私のアイデアと経験の盗用である。利益の5%を私に還元してほしい。
2006/07/29
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ウ、ウ(涙) うれしい、「オモロイ」「暇つぶしにもなる」 たった一人ですがお褒めの言葉をくれる人がいたことがとてもうれしくて感涙にむせぶ私です。 今まで、一日 0~3人位の人しか見てくれず、何の感想もなかったのに ウ、ウ(涙) これからもっともっと力を入れて「オモロイ・暇をつぶしても見る」という感想を言われるよう頑張る予定です。(是非「お気に入り」に登録してください) 今日は手紙など、別の予定が入っていますのでここまでですが。次回をお楽しみに!
2006/07/27
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虫が鳴いている。コウロギか?鈴虫か?クツワムシのようだ。だんだんうるさくなってきた。セミの声かもしれない。 電話が鳴っている。だれか出てくれ。うるさくてかなわん。速く出てくれよ。心の中で叫んでいるうちに目が覚めた。 耳の中がギーンと鳴っている。耳鳴りだった。 このところ元々あった難聴に加え耳鳴りに悩まされている。小さな声や物音が良く聞こえない。逆に大きな声で話されると頭の中でグワーンと反響しかえって分からなくなる。「中耳炎で病んでいるときのようだ」と簡単に判断するのは以前、十年前後も中耳炎で同様な症状に苦しんだ経験があったからである。 小6の夏、プールで小石を拾う遊びをしていた。競ってもぐった瞬間頭を蹴られた。そのとき刺すような痛みと共に鼓膜が破れ、耳の奥に冷たいプールの水が入った感触があった。 耳の奥には三半規管という身体の平衡をとる器官がある。そこに急に冷たい水が入ったら機能が狂ってしまう、ということも聞いたことがあるような気がした。天地が分からなくなったらどうなるだろう。私の呼吸器は水の中では正常に働かない、要するに溺れてしまうだろう、と感じた私はその痛さや冷たい水の感触を味わう暇もなく、急いでプールから這い上がった。 その時は一週間ほどの通院で直ったように思えたが、丁度一年後、中耳炎が再発した。耐性菌の巣となった中耳の炎症は今度は簡単には治らなくなってしまった。この慢性の中耳炎は、二十歳ころまで私を悩ませた。 このような経緯で、私の持病は腰痛だけではなかったことを認識している昨今である。 ところで、この耳鳴りのような症状はたびたびあり、二、三日で治る事がほとんどで気に留めていなかったのだが、今回はしぶとい。一ヶ月以上続いている。 中耳炎が再発したのならきちんと治さなくては、昔と違っていい薬も出来ていることだろう、と意を決して診てもらうことにした。 「長いこと病んでいましたね」耳を一覘きして医師はすぐに言った。すごい医師だ。だが見ただけで分かるほど痛んでいたのか、と我が耳にも同情し、「今度こそきちんと治してやるからな」 と耳にささやいた。聴力(能力ではない)検査のあと、 「長く病んでいたので、菌が中耳から内耳に進行し、中耳から内耳への組織を破壊しているかもしれない。もし慢性中耳炎を病んでいなければ純粋に神経系の病として脳の腫瘍を疑うところだ」とまで言われた。私の脳が腐り始めていることまで知られてしまったのだ。 中耳炎といえば、発熱、痛み、難聴、膿(耳ダレ)などいやなイメージがある。しかし中耳炎を内耳炎、内耳炎を脳腫瘍、脳腫瘍を、腐り脳、と言い換えてもイメージは改善されない。 3種類の薬が処方され 10日間飲んだが症状は改善されない。「こうなればステロイドを使うしかない」と医師は重い口調で語った。ステロイドとは副作用で悪名高きあの「「副腎皮質ホルモン剤」のことである。「副腎皮質ホルモン剤」をステロイドと言ってもイメージは良くならない。 副作用を調べると、吐き気、下痢、円月症(円月殺法とはちがう)に始まり、ありとあらゆる症状が出ていて驚きあきれてしまう。身長が伸びるとか若返る、スパイダーマンに変身できる、といった好感のもてるものはほとんどない。だが「多幸症」というのもあった。何でも幸せに感じることの出来る症状なのだろうか。私のようにペシミステックな人間には好都合かもしれない。また他にも「増毛」とあって一瞬喜びかけたがその次の項目に「脱毛」とある。いったいどっちなんだ。印象はともかくこの症状を改善しなくては仕事に障る。困ったことになった。 以前、病院でにこやかに元気でたむろしている老人たちおの多さにあきれていた。病気がそんなにたくさんあるのか、そんなに命が惜しいのかと、だが、自分を省みると、腰痛、歯痛、不眠などで結構多くの薬をもらっている。ここでさらに耳の不調が重なって薬の数が増えてしまった。 今更命は惜しくはないが、虫歯は痛い、眠れないのも困るし腰痛は苦しい、難聴ではTVの漫才のオチが分からない。 命はどうでもいいがこれらの症状を改善するためには生きなくてはならない。生きて薬を飲まなければ治らないのだ。 病気の巣の中で生活していた私だ。せめて死ぬときぐらいこれらの症状から開放されてから死にたいものと考えている。私の死に対する唯一の望みなのだ。そのためにも元気で生きなくてはならないのに 困ったことになった。 困ったことに!
2006/06/25
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端午の節句子供の日として子供や孫にサービスするお父さんおじいちゃん、ご苦労様です。 今では子供も希少価値になったと言うなら分かりますが、既に十分以上に大切されている子供たちばかりです。今更子供を大切にと言わずとも、結構な気がしています。 少ないから大切なのでしょうか。我々団塊の世代は、多すぎて競争ばかりで大切に扱われず、老後の年金もままならないようですな。 僻み根性はこの位にしてお菓子でも食べて「端午の節句」を祝うことにしました。 手前左は 菖蒲の花 左奥は 兜 ですね。真ん中は 鯉 のようで鯉幟を写したものです。右奥は 蓮の花 でしょうか。右手前は 虹 のようです。五月の空に虹、何か清清しくていいですね。 今の和菓子は甘みスッキリでおいしくいただきました。 どれも同じ味だったのには少しガッカリ。
2006/05/05
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ようやく桜が咲きました。峠は少し過ぎたかな?我が家の枝垂桜です。
2006/05/05
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何年来かの寒い冬も三月下旬になってようやく持ち直し、全国各地から花の便りが伝えられていた。ここ諏訪でも未だか、未だか、未だかいな、と首を長くして待っていたが、四月も下旬に入ってやっと桜の開花が見られるようになってきた。だがすでに全国レベルの開花の話題が遠ざかって久しく、時代の流れに乗り遅れた自分と重なってなにやら侘びしい。 しかし春風に誘われて桜の連なる土手を散策すると、薄桃色の桜の花はみごととしか形容できない美しさで広がっている。西行法師もこの美しさに酔って「願わくは花の下にて春死なん その如月の・・・」と詠ったのであろう。それにしても日中に望月(満月)とは欲の深い人でもある。 土手のコンクリートに腰を下ろして見上げれば、折り重なる花を透かして青空が広がり、その澄んだ青さはまぎれもなく春である。ゆっくりと空を見るために寝転んだ。そこには春の日差しが運んだ暖かさと心地よい幸せでゆるやかに流れる時がしみ込んでいた。 ここまで読んで読者諸兄は「何やらいつもの調子と違うな?」と気付いたことであろう(気付いて下さい)。 そう、今回は少し文学的に書いてみようと、挑戦したのである。 私が普通のことを普通に言ったり書いたりするとそれは文学ではないと人は言う。私 「なぜ土手が暖かいか分かるかい?」我が家のエイリアン 「ア! また何か変なこと言おうとしてる」「そうじゃない、土手というか、物質が光によって暖められる ということについて説明しようとしているだけだ」「春になったからでいいじゃない」「それも確かなことだけれど」「ね、それで十分でしょ」「いや、不十分だ。光には単純に分けて三つの種類があり、その一は「紫外線」、その二は「可視光線」、その三が「赤外線」なんだよ」「私は桜を見に来たのよ。光の種類なんかどうでもいいわ」「よくない、その桜を見ることができるのは「可視光線」があるからなんだ「紫外線」や「赤外線」は目に見えないんだよ」「見えるからいいわ、「可視光線」ありがと、これでいいでしょ」「まだ終わっていない、もうちょっと言わせてくれ、「紫外線」の働きには、殺菌、漂白など科学的変化を起こさせる働きがある。これを肌に長時間当てると皮膚がんを作るとも言われている」「桜を見に来て暖かい土手に座って皮膚がんの心配をしろって言うわけ?」「いや話はこれからが本題なんだ。最後まで聞いてくれ、「可視光線」は読んで字のごとく、我々が普通に見る七色の光のことだ。もう一つ「赤外線」は物体に当るとそこで熱を発生させる。土手が暖められた原因は正にこの赤外線の持つ性質によるんだよ」「もう十分、お花見に来たのよ。どうしてそう情緒がないの? 私帰る」「待て、冷蔵庫に団子が入っているのを見たぞ、花より団子という顔をしている」「どんな顔でも結構よ。そろそろ「紫外線」が気になってきたから帰るとするわ」 このように私が正確に物を言ったり書いたりすると、味がない、面白くないと言われ続ける。これは私にとって不名誉である。不本意ではあるが、この文学的ということについて少し考察することにしよう。「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。夜の底が白くなった・・・」 これはチョウ有名な川端康成の「雪国」の冒頭。立派な文学である。なんてったってノーベル文学賞受賞者の文であるからして、これを疑うことはできない。さらに「智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ・・・」(草枕 夏目漱石)どうにも不思議な表現である。「夜の底」とは何? 「情に棹差す」とは何のことだ? 形容できないものを形容し、修飾できないものを修飾し、働かないものを働かせれば、それが文学なのか。ドーモ文学には、絵画の抽象画のような何だか良く分からないところに価値があるらしい。貴重なことを学んだ気がする。 少し心に浮かんだ文学的表現を、短いフレーズではあるが書き出してみよう。まんじゅう怖い(落語)、船頭多くして舟山に登る(国会)、雨の降る夜は心が濡れる(美川健一)、悲しみよコンニチワ(サガン)、このスープにはコクがあってキレがある(ラーメンの広告)、一週間に十日来い(五月みどり)・・・不条理な表現がいいのだ。 時が二人を追い越して行く(シクラメンの香り)・・・アインシュタインが聞いたら目を回すかも知れない。 表現の自由とはこのようなデタラメを自由に言っても良い、ということなのか。新しい解釈もできた気がする。 私が書く正確無比の文に価値がなくて、デタラメとも思える表現に価値を見出す世の中は「私の心にムチを打ち、命を凍らせて死に追いやる状況」 と思えるが、いかがなものであろうか。
2006/04/25
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桜の開花がニュースになって久しく、桜前線が通り過ぎた今、まだ花が咲いていません。桜の蕾を写しましたがもう興味のある人はいませんね。 代わりにナズナの花を載せることにします。小指の先くらいの小さな花ですが、今のところとてもかわいい花です(後で雑草として繁茂してくるので大変になります) 花の中にてんとう虫がいますが分かりますか。もうちょっとポーズをとってくれないかと依頼をしたのですが、思うように動いてくれません。 ちょっとつついたら手足をおりたたんで死んだフリをします。モデル代が必要だったんでしょうか。 以前菊の花に蜂が止まっているいい絵が撮れたんですが、秋にでも乗せる事にしましょう。
2006/04/13
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パバロッティのCDを買いました。 プリシラドミンゴの声も好きなのでどちらにしようか(予算の関係)と迷いましたが、例のオリンピックのとき パバロッティが歌ったことを思い出してこちらにしました。 3曲目に荒川静香さんで有名になった トゥーランドット が入っていました。何とこのアリアの題名は「誰も寝てはならぬ」だったんですね。知りませんでした。彼女が金メダルを取ったとき、私はしっかり寝ておりました。 彼女がトゥーランドットを選曲したことは知っていましたから、開会式のときこの題名を聞いていれば起きていたのに、申し訳ないことでした。
2006/03/18
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蕗の薹寒い信州にもようやく春の訪れです。寒い冬でした。長かったなー。ようやく春という実感が湧いてきました。今夜は「蕗ミソ」で一杯です。
2006/03/08
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前日とはうって変わってものすごい霧の中です。前の車のテールランプがたよりです。夜でなくてよかった。以前夜中に霧中を走ったことがあります。私ともう一台の車が走っていましたが、お互いに左にウインカを出しては追い抜かせ、後をついて走る、といった経験をしました。このような譲り合いの精神が、他の場で発揮されないのは残念なことであります。
2006/02/17
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久々に暖かい?いや夏のように暑いくらいのドライブになりました。富士山がクッキリです。富士スピードウェイの側(東側かな)から写しました。
2006/02/17
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暖かい風に招かれて、正月以来念願の散歩に出ました。3.6キロも歩きました。湖面を渡る風は相変わらず冷たかったけれど、何枚か写真を撮りました。 鵜がいました。この冷たい水にもぐっています。もぐった位置と浮かび上がる位置が20~30メートルも離れています。もぐりの時間は10秒以上です。オリンピック候補ですね。この写真のどこかに鵜がいるはずなんですが。向こうに写っている山は八ヶ岳です。分かりますか?
2006/02/14
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TVなどでは三寒四温などといっておりますが当地方ではようやく五寒二温程度の状況です。夜には零下10度前後の日が続いています。今朝は雪の朝でしたが、比較的暖かく、少し動く元気が出てきました。遠くに光って見えるのは諏訪湖です。雪だるまも景色もどちらも逆光になってしまいましたが、素人写真です。ご勘弁を。
2006/02/07
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朝起きたら10センチ以上の積雪でした。早速雪だるまを作りました。目は欅の枯葉です。ちょうどアーモンドアイの形になり東洋人だということが分かります。
2006/02/07
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ビックリしました。女性10人に囲まれて生活していたのはスターウォーズのルークのお父さんではないですか。彼はデススターで爆死したはずなのに日本で生きていたんですね。ところでジェダイのフォースとは何だったんでしょうか。今、思い返してもたいした能力があったとは考えにくいものでしたが、女性にもてると言ううらやましい超能力があったんですね。留置場から脱出する能力があるのかないのか分かりませんが、何事によらず、後継者の育成は大切なものです。是非その呪文を私だけには教えてほしいものです。木曽の山林鉄道がヨーロッパ風の建物と一緒に映っています。少しミスマッチ
2006/01/31
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IT長者ホリエモン氏逮捕さる。TVでいろいろ言ってますねえ。つい先日まで飛ぶ鳥落とす勢いの人が暖房の用意もないところで過ごす。これってお気の毒としか言えませんな。まあ頂点に立つということは、何に置いても気苦労なことでありますね。勝ち組、負け組なんて嫌な言葉も流行りましたが、負け組で何が悪いんじゃ、と開き直っていた小生としては、何やらホッとしていますがこれってやっぱしお気の毒。負け組というエントロピーの大きい方に属していた方が安心と言うことですか。自分が少し寂しくはありますが、今夜もお風呂に入って、電気毛布で寝る幸せを味わいたいと思います。外は今夜も零下10度位です。ノンビリ汽車ポッポは私に似合っているかも
2006/01/24
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元日に決心した運動(散歩)は早くも挫折した。2日に腰が痛くなったのだ。元日に張り切って準備体操をやりすぎたのかも知れない。また、暮れにTVで第九をやっていて、その第2楽章から指揮をしたのがいけなかったようだ。特に合唱のところでは張り切りすぎた嫌いがあり、この腰痛は2年越しの様相を呈している。今日4日になってようやく動けるようになってきたが、運動に対して、元日に燃え上がったような気分が帰ってこない。次回運動に対する意気込みが高まってきたら、気をつけてソロソロと始めることにしよう。汽車ポッポもゆっくりのほうがかわいい。
2006/01/04
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あけましておめでとうございます。(数少ない私のブログの読者の皆様に心を込めて)新しき年を迎えて、何か今年こそ、と思うのは毎年のことです。今年こそ、健康的な生活を送るべく、運動をしよう、と考えました。先ず散歩です(一番簡単な運動?ですね)。本日、初日です。張り切って起きましたが、いつものごとく、身体中が痛いのでそれをほぐすために準備体操をしました。ラジオ体操のメロディーを口ずさみ、小学校時代を懐かしみながら身体をほぐしていきます。5分ほど体操をしますと、結構な運動量になり、散歩に出かけるのは少々無理な感じがしましたので、今日はこの辺までということにしました。有意義な年のスタートになった、と思っています。皆様は、この大切な元日をどのように過ごされたでしょうか。
2006/01/01
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昨夜TVを見ていたらCMに谷夫妻が出て「年末年始のTV番組はおもしろいよ」という意味でDon't leave Japan. と合唱した。その瞬間下を向いていた私の耳には、Don't believe Japan. と聞こえた。私には神の声が聞こえたのである…幻聴ならいいんだけど最近の日本と言う国が信じるに足らないことばかりであるのも事実。自分で自分につぶやくしかない。Believe me. Believe myself.でもそんなに自分に自身はないし…
2005/12/19
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花が咲きました。簡単な話ですが私にとってはとてもうれしい開花です。花は「パフィオペディラム」です。一昨年購入しました。去年は大切に育てたのに開花せず残念に思っていました。今回は咲かなかったら捨てるぞ!と気合を入れたところ心を入れ替えて咲きました。来年はもう一度大切にしてみようと思っています。この花は、花茎が伸びだして咲くまで1ヶ月以上かかります。また一旦咲くと1~2ヶ月も咲いています。周囲の温度が低いほど(といって5度以下では問題ですが)時間が伸びるように感じます。
2005/12/14
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やってみました。DNA抽出実験です。トリとタマネギのDNAを抽出してみました。ここではその報告を致します。まず、簡単なのはタマネギです。とても簡単ですから興味のある方はやってみて下さい。材料 エタノール(500ml 1200円位、薬局で売ってます)、冷凍庫で冷やし ておきます(凍りません)。 当然 タマネギ(1/4個位) 台所の洗剤(食器洗い用) 食塩10g(30mlの水に溶かして食塩水を作り冷やしておく) 氷(5,6粒)道具 ミキサー ビーカー(コーヒーカップでもOK) ろ紙2枚(コーヒーフィルターで間に合います) ロウト(フィルター受け) ハカリ(1gまで量れるもの 特売で1000円位) スポイト シャーレ(底の広いどんぶりでもOK) 竹串(爪楊枝) 酢酸カーミン溶液(50ml/6000円位)…なくても結構書き上げると結構あるものですが、本当に買ってくるのはエタノール位ですね。では、エタノールを1時間ほど冷やしたら実験開始です。1、 タマネギ20gと氷5,6粒をミキサーに入れ中世洗剤を軽く一絞りし て1~2分攪拌します。2、ミキサーノ液をビーカーに移し、上記の食塩水を静かに加え、静かに攪 拌する。3、2の液をろ過する。4、シャーレに冷えたアルコールを100~200ml 位入れておき、スポイトで ろ液を5~10滴ほど垂らして静かにゆする。5、いよいよ DNAの抽出 です。糸状のものがふんわり出てきましたか? これを竹串で引っ掛けて取り出します。6、できたら取り出したDNA を皿にとって酢酸カーミン液をたらしてみて下 さい。 ポイントは4のゆすり方です。DNAは食塩水に溶けています。このままではDNAを見つけることができないので、冷えたアルコールに接するようにすることで(DNAはアルコールには不溶)冷やされた食塩水からDNAが出てくることになります。ですから、シャーレ(どんぶり)をゆっくり前後に傾ける作業をくり返します。 一回の実験ですぐ成功するかの保障はありませんが、簡単な実験ですからすぐ繰り返し行えます。私の経験では4勝3敗です。タマネギを変えると出たりします。 では Merry Christmas 楽しい実験を
2005/12/12
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あまり重い話題は避けているんですが、 大変な問題が起こりましたね。 最初名前が読めず、ニュースの中身より「こんな珍しい名前があるのか!」という感想を持ったのが正直なところです。 技術屋は(私個人の勝手な思い込みですが)人付き合いが得意でなく、従って世渡りも下手で、金儲けもできない、といった人が多いのではないでしょうか。 その結果が、あの人の異常に多い仕事量、生活感の滲み出た玄関先になっているように思われました。 構造計算などという非常に難しい仕事(計算そのものはコンピュータにソフトが組み込まれていて、それほどの労力《能力》を必要としなかったかも知れませんが)に携わりながら、不当に安い報酬に甘んじざるを得なかったことが原因の一つではないでしょうか。 技術屋は(自分を振り返ってみても)仕事の達成感でその不足分を補っている感じを持っていました。 だからこそ、姉歯氏は自分の良心に背いてはいけなかったのです。あのような設計をしたところで、彼の収入が増えるものでは決してなかったはずです。 世間は、一般に販売の方が主導権を持っています。電気製品もその一つです。ここで建築物も表に出てきました。 世の中の利便性に寄与する裏方の技術屋さんたちが、どれほどの報われない苦労をしているか、知っている人は多くないでしょう。 ちょっと話がそれてきましたが、姉歯氏のものだけでなく、また古くに施工された建造物などをも含めると、益々多くの問題が出てくるのではないでしょうか。今後の関係者の対処に注目していきたいものです。 是非ご意見をお聞かせ下さい。
2005/11/29
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先日サーヤが黒田清子さんとなられる婚礼が行われました。オメデトウございます。 TVで報道されるたびに流されている音楽がありました。エルガーの「愛の挨拶」でした。私はこの曲を長い間「朝の挨拶」であるとばかり思っていました。 でも愛にどのような挨拶がいるのでしょうか。それとも挨拶のたびに愛情を込めるのでしょうか。 曲を聴くたびに、私の思い違いしていた曲名の方が適していると、強情にも思ったしだいです。
2005/11/17
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夏に飲みすぎたビールがそのままの形で脂肪に変わった。要はずいぶんと太ってしまった。一番困るのはズボンのサイズ。 今日から諏訪湖の周りを歩くことにした。発見 ジョギングロードにはクッションがある。ビックリだった。周囲は紅葉で真っ赤、カメラを用意しなかったのが残念。次回(何時になるか分からないが)カメラを持って行く。2,4キロ歩いて満足。ベルトが2センチ縮まった。このまま3ヶ月続けると、ウエストがなくなってしまうかも。少し心配。
2005/11/13
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今日、諏訪湖端を車で走っていたら、何かしているカラスを見つけました。このまま行くと轢いてしまうので、クラクションを鳴らすと、何とカラスが道をスキップして逃げました。すずめがチョコチョコ歩くところは目にしますが、カラスのスキップは初めてなので、報告します。証拠写真がないのは実に残念です。こんなの見たことありますか?
2005/10/03
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食器棚を造った。 女房の命令である。買うことも考えられたが、物作りは私の趣味の一つである。日曜大工は、一般に「趣味と実益を兼ねたなかなか魅力的なものである」と言われている。具体的に言うと、注文家具が材料代だけで手に入るのだ。 という訳で、すでに私の手元には、工作に必要な工具がほとんどそろっている。電動工具はドリル、ドライバー、ジグソー、サンダー、丸ノコ、トリマー、ディスクグラインダーとある。さらに作業台やノミ、カンナなどの工具も数えきれないほどある。要はこれらの高価だった(私が買ったときは)工具代の元を何が何でもとらなければならないのだ。 何が何でも造らねばならんのだ。 さて、このような品物を作るとき、まず完成した時のことを考えるのが普通である。 全体のデザインが重要である。様々なチラシやパンフを参考にしてイメージを固めなければならない。余りに多種多様な形があって迷いに迷い、迷いきってしまう。 次に戸棚に仕舞いたい食器や乾物類、トレイ、ゴミ箱など全部書き出してみる。食器の種類の多さ、形状の複雑さにビックリ、適当にやらなければ、作る前にバテテしまいそうだ。 次は設置場所の寸法を測らなければいけない。測定の結果、考え方の順序が違っていたことに気付く。 何と狭いのだ、先ほどまでの食器棚のイメージはすべてご破算となった。もっと小さく1/3位に縮めなくてはならないことが分かった。 もう一度イメージ作りから始めることになった。 現実を直視し、寸法を決め、女房の要求がほとんど無理難題であることを理解させるまで、ほぼ半年を費やした。 収める食器その他を1/5位までに減らして設計。この間猛スピードでやったが約2ヶ月を費やした。 材料の購入である。材料の板を購入したとき、その費用は既に通販の品の値段を超えていた。だが、買ってしまったものは仕方がない。後には引けない。ここで怯んでは男がすたるというものだ。 いよいよ製作にかかる。まずは材料の切断である。切断箇所とその長さが結構ある。丸ノコのスイッチを入れる。グイーンと勢いよく回りだす。これは高級品である。チップソーといって刃先にはダイヤモンドチップが付いている。ちょっと指を当ててみようか、という誘惑にかられるが、自分の指でためすのは少しためらいがある。だれか近くに来たら誘ってみよう。 8割方の切断だけで丸1日かかった。ノコは高級品なのに、まっすぐ切れない。どこに問題点があるかよく分からない。 次は下塗りである。仕上げ塗装は組み立てたあとにするが、その前に材料を少し滑らかにしておきたい。下塗りだから適当にやっておこう、と適当に始めたが、砥の粉からしてうまく塗れない。色もよくない。サンドペーパーをかけてもむらが収まらない。慣れないサンダーに一日つきあったせいか、両手がしびれて言うことをきかない。もう本当に適当にやるしかない。 組み立ての前に、釘の穴あけがある。細いドリルから徐々に太いドリルに変えて穴あけを行う。その前に穴あけの場所を決め、印を付けていく。何と365箇所もある。しかも2枚の板を接続するのだから、穴あけの印を付ける箇所は365×2箇所もある。 気が遠くなりかけた。作業の途中から背中が痛み出した。出来栄えにこだわることは少しやめにしよう。 組み立てに入る。 左右の板に、上と下の板を取り付けるところまでは簡単である。真ん中の板を入れようとすると、板は微妙に大きくて入らない。削りなおしである。板のコバは、削るのに手間がかかる。必死に削って入れようとすると、今度は削りすぎて、パカパカになってしまった。今度は大きくしなければならない。削るのも大変だったが、伸ばすにはドーすればいいのか分からない。これで2時間悩み、削りからみると丸一日無駄骨を折った。ついでに腰も痛い。腰の骨が折れているかもしれない。出来栄えどころの問題ではない。 食器棚には引き出しも必要である。今度はピッタリうまく出来た。そこへは今流行りのスライダーを付けることにした。ところが説明書を見ると、それを付けるには左右にスペースが必要なことが分かり、結局作り直しになった。肩が凝り疲れているのがよ~く分かる。 さらに食器が入る棚の部分に引き戸を付けて、ホコリが入らないようにしなければならない。レールが必要だ。レールは買ってきたが、レールを取り付ける溝を掘ってなかった。やりなおさなければならない。 死にそうなほどの疲れが襲う。出来栄えどころか機能も犠牲にしなければならないことが分かってきた。 製作を始めて早や一ヶ月が過ぎた。このように、完成までに多くの難しい工程が次々と行く手を阻んだ結果、想定外のボロボロの戸棚が出来上がった。だが、おかげで私は多くのことを学ぶことが出来た。 まず第一に、「趣味と実益を兼ねる、日曜大工」というせりふには多くの疑問がある。(部品代が結構かかる、端材が出る分確実に損だ。また部品を重複して購入したり、不要な、あるいは使い方の分からない工具や部品を買ってしまう)ということ。 第二に、出来上がるまでに時間を費やし、疲労が蓄積し、設計図とは無関係な使い勝手の悪い、見るも無残な作品が出来上がる、ということ。(オブジェとして飾るスペースがあれば幸せであるが) 第三に、最近の通販の品物は品質も良く、値段も安く検討する価値が十分あるということ。などである。 これらのことを骨身に沁みて習い覚えた私は、この次にはもっと段取りよく、見栄えと使い勝手のよい、食器棚を造ることが出来る、という自信も持つに至った。 しかし、私は二度と食器棚を造りたくない。
2005/09/28
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イモキンです。暑い夏もようやく終わって、秋を迎えています。暑い、暑いと迷惑気に言っても、この暑い夏をあと何回過ごす事ができるのでしょうか。多くても100回は無理なような気がします。暑い夏を涼しく、寒い冬を暖かく過ごすにはどうしたらよいか、長いこと考えてきました。私の過去の案は、暖気を「何か」に吸収し、冷気も「何か」に吸収させて、それを寒いところ、暑いところで放出させる、というものでしたが、その「何か」が思いつきません。挫折したようです。世の中には、零下100度でも、あるいは水の沸点の2倍、即ち200度でも死なない細菌や、どんな薬でも死なない、ウイルスのようなものもいると聞きました。それに比べ、我々人類はたかが10度20度で寒いの、暑いの、セーターを着ろの、上着を脱げの、と弱すぎると思うのは私だけでしょうか。ここで提案です。この細菌やウイルスの遺伝子を人間に移植し、寒暑に強い人類を創る。あるいは寒暑の温度によって、冬眠、あるいは夏眠できる身体にして、エネルギーの消費を抑える、又は北半球、南半球が交互に冬眠と活動をする、などはいかがでしょうか。皆さんのご意見と、実験賛成者の中から実験献体の立候補を願う昨今です。この9月、何かがザワザワと慌ただしく目前を通り過ぎて行きましたが、何があったのでしょう。たくさんありすぎて整理に時間がかかりそうです。
2005/09/25
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バイバイ
2005/09/14
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コンニチワ
2005/09/13
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夏の思い出 などというタイトルを付けることで、何とノー天気なオヤジだろう、と思われるに違いない。内容を見ればもっと叱られるに違いない。米ではハリケーン、日本でも台風などの自然災害が起こっているし、明日は衆議院の選挙もあります。もっと歳らしいことが言えたり、出来たりせんのか、とお叱りを受けそうですが、あえて言ってしまいましょう。「ハウルの動く城」を作ったんのだ。写真も撮った。サイズの縮め方も分かったのだ。批判を覚悟で載せることにしよう。
2005/09/10
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私は日ごろから物事を正確に表そうと努めている。その結果、微分して考え、積分して行動するようになった。頭の中には常にコンパスと三角定規があり、分度器と虫眼鏡が同居し、さらに爪切りと歯ブラシに育毛剤が加わって、正確無比の表現を行おうとする私自身が作り上げられた。 ドドーンン、ドドドドーンンンン (ド と同じ数だけ ン がある)。 お盆の諏訪の花火はすばらしい。次から次へと打ちあがる。ドドーンン、バラバラバラ、ドドーンン、いくら(金額)かかるのだ? ダイジョブか、オイ、と人事ながら心配するほど打ちあがる。 私の家からも遠目ではあるが見ることが出来る。光の様々な色、模様、デザイン、とにかくすばらしい。 これは、私と、ごく単純な感受性の世界にだけ身を置いているエイリアンのような生物との会話である。「花火の様々な色はどんな工夫で出しているか知ってるかい?」「知らない」「うん、あの青い色は「銅」、あの赤い色は「ストロンチウム」の色なのだ。金属はその種類によって特有の色を出すのだ。逆の言い方をすれば、光を分析することによって、どんな金属が含まれているかを知ることができる。例えば、食塩を燃やすとオレンジ色の炎が出る、このことから、食塩には「ナトリウム」が含まれている、ということが分かるのさ」「フーン」ドドーンン、ドーン!「ほら、あの緑色はバリウムだね。白く輝くような光は「マグネシウム」だ。あのオレンジ色はきっと「ナトリウム」だよ」このように和やかに会話がはずんだのは何年ぐらい前のことだったろうか。いつの頃からか、私の正確な表現に肯定的な素直な反応が少なくなってきた。「あの青い色は「銅」、あの赤い色は「ストロンチウム」だ」「知ってる」「あのオレンジ色はナトリウムの化合物だ」「知ってる」「あの緑色はバリウムだ。白く輝くような光は「マグネシウム」だ」「知ってるってば」「6月は太陽の高度が高いなあ。日射角が大きいから暑いねえ」「日が高いから暑い、でいいの」「温度が25度を超え、湿度が80%超えているから蒸し暑い」「蒸し暑い、だけでいーの」「巧言令色少なし仁 だなあ」「お高くとまってる人は心が冷たい、って言うの」「輝度が高いから美しいのだ」「明るくてきれい、だけで十分よ」「この味噌汁は塩分濃度が高過ぎる」「しょっぱい、だけでいいの、もう」「皿のふちが広すぎて、口までの距離がありすぎる」「そう云うのは 皿が厚い、って言ってよ」「半分、いやもうちょっと少なく 2/5ほど盛って」 「しゃもじでそんな勘定ができる訳ないでしょ。少しって言えばいいのよ、少し、でね」「雨上がりは、空中のほこりや砂がないから空気が澄んでる。窓を開けてくれないか」「色々言ってないで自分で開けてよ」このように正確を求める表現が理解されなくなって時がたった。近年になっては、反論され、揚げ足をとられ、亀裂が生じてきた。ドドーンン「あの青い色は」「銅!」「赤い色は」「ストロンチウム!」「あのオレンジ色は」「ナトリウムの化合物でしょ、緑色はバリウム、輝くのはマグネシウムかアルミね。きれいでいいのよ!、きれい!、だけで」「あのような豪華ですばらしい花火を鑑賞するのに、きれい、という単純な表現だけを用いるのはあまりにも舌足らずで失礼だろう」「だから金属化合物の炎色反応を覚えろ、っていうの?」「そうだ。右脳だけで見るんじゃなくて、左脳も使って花火を鑑賞したほうが感激の仕方にも奥行きが出る、と思うんだが、ちがうかね」「じゃあ、あの金色の光は何の金属化合物なの?」「?? えーっと、光の三原色で何を組み合わせると金色になるのかなあ?」「ほら、分からないことだって多いじゃない」「一つを取り上げて、「多い」と結論付けるのは乱暴じゃないか、それにまだ考え中だ、チョット待ってくれ」「ったくもう!、花火の面白さがなくなっちゃうじゃないの、もう、テレビでも観るわ」この日、夕飯は塩分濃度の高い、味噌味のインスタントラーメンだけであった。かくして、亀裂は決定的なものとなり、私とエイリアンの会話は失われていったのである。 2005年8月15日夜9時37分
2005/09/06
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昨夜諏訪湖で「新作花火大会」が行われた。我が家からも遠望で小さくなってしまうが、見ることができるはずである、ビールやらつまみなどを準備した。あと20分で開始という頃、夕立になった。会場では総立ちであろう。稲光とものすごい雷鳴は、この夏一番というほどの立派なものだ。「こんなに賑やかなら、今夜は十分だ。花火はもったいないから明日にとっておこう」と思ったが、結局私の考えたようにはならず(当然)花火は打ち上げられた。家からは、遠いためもあって、雨すだれと硝煙にかすんで、10%も見えない。地元のケーブルTVで見ると、これは結構見える。TVカメラのレンズに雨滴がついて、これが花火の光をカレイドスコープを覗いたように一層幻想的な光の世界に導いてくれる。後にアナウンサーが謝っていたが、そんな必要性はなかった。花火のバックの空が、稲妻のものすごい光で昼のように明るくなったり、すぐに漆黒の闇に戻ったりと、まさに花火と落雷のコラボレーションである。雨中の見物客にはお気の毒であったが、スサマジク面白い花火大会でありました。
2005/09/04
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先月27日、何ゆえか、私の(いえ、楽天様の)、イモキンのページが失われました。なくなればこそ、「惜しいことをした。本当に残念だった」と心にもない慰めをいただくのは、人が亡くなったときと同じようなものでしょうか。名前と住所を偽って書いたためか、それが買い物をしたときに虚偽申告と分かってしまったのか、名前の読み方を幾通りか偽って、自分が何を名乗っていたのか分からなくなってしまったためか、言い出せばそれらしき理由が山ほど出てきて????の状態となりました。結局作り直すことになりました。また、よろしくお付き合いください。
2005/09/02
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