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天皇皇后両陛下には京都府にお入りになった25日午後、京都大宮御所での御休息の後、東山天皇300年につき、京都市東山区にある「御寺(みてら)泉涌寺(せんにゅうじ)」をご訪問になられました。 泉涌寺は皇室の菩提寺であり、月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇や、江戸時代の後水尾天皇以降~幕末に至る歴代天皇の陵墓がある由緒ある御寺です。 この日、両陛下は夕方4時前、泉涌寺に御着され東山天皇陵に御参拝、約1時間のご滞在を経て京都大宮御所に還御されています。 明日は、午前に野村別邸碧雲荘と河合寛次郎記念館をご訪問になり、御昼食を京都大宮御所でお摂りになったあと、夕刻に京都国際会館で行われる第14回国際内分泌会議オープニングセレモニーへご臨席のご予定になっています。▲16時前、御寺泉涌寺へ御着になる両陛下お車列。.▲奉迎者にお応えになる天皇陛下。.▲御参拝を終えられ御寺泉涌寺を後にする両陛下お車列。.▲奉迎者へお応えになる皇后陛下。.▲多くの奉迎者が両陛下をお見送りしていました。
2010.03.25
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かつては海辺の湿地帯だった汐留は、1603年(慶長8年)江戸幕府によって城下町建設事業のために埋め立てられた土地で、周辺の新橋、銀座、築地などとともに大名屋敷を有する一大「武家屋敷街」を形成していました。 汐留の名前の由来は、江戸城外堀に潮の干満が及ばないように海と仕切る堰があったこと=「汐を留める」からこの名前がついたと言われています。 その後、明治新政府によって屋敷は接収され、1872年(明治5年)日本初の鉄道(新橋~横浜間)のターミナル駅が誕生したのは有名な話です。しかし、1914年(大正3年)にターミナルの座を「東京駅」に譲った後は「貨物専用駅」となりました。1980年代に入り鉄道貨物はトラック輸送に押される形で衰退の一途を辿り、ついに1986年(昭和61年)には汐留貨物駅が廃止されてしまいました。 そこに残った跡地は東京都と民間のプロジェクトにより、1995年(平成7年)から再開発が始まり、2004年(平成16年)に高層ビル群が地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市として生まれ変わり、今日を迎えています。
2008.01.31
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パトカーに先導され、警護の車に守られながら首都高速道路を行く小泉総理大臣の車列です。 大臣級や三権の長などの公用車といえば「トヨタ/センチュリー」であり、今や外資系のイメージが強い日産は避けられてしまっているのでしょうか? 警護車のうちの1台もセンチュリー(首相車の予備車兼用?)なのですが、その運転の機敏さには目を見張るものがあります。必見です!
2006.07.02
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上の画像は「トヨタ/セルシオ」との並び、下は「トヨタ/センチュリー御料車(7料)」との並び。共に大型高級車でありながら、「センチュリーロイヤル御料車」と並ぶと(当たり前ですが)小さく見えます。 それだけセンチュリーロイヤルは大きいのです。 ▲後ろがセンチュリー御料車(7料)。▲3台目が普通のセンチュリーですが、これも御料車。
2008.11.14
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この画像は、平成16年11月18日に天皇皇后両陛下が国賓として来日中のデンマーク女王陛下及び王配殿下をご接遇(ご案内)のため、群馬県前橋市と高崎市を行幸啓になられた時のものです。 群馬県庁前には大勢の奉送迎の人々が集まり、日没を迎えた帰京直前の高崎駅前では、降りしきる雨の中を2台のプリンスロイヤルが颯爽と現れたことを今でも鮮明に覚えています。
2007.04.17
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日本を訪れる国賓や公賓のほか政府招待賓客など限られたお客様が両陛下とご会見になる場合に天皇陛下はその賓客に対して「御料車を差し回す」のが例になっています。 差し回すとは簡単に言ってしまえば「送り迎えの車を用意する」もので、天皇陛下からの歓迎に対するお気持ちを表すためか必ずこのような賓客への「差し回し」には毎回プリンスロイヤル御料車が使われます。この日は両陛下とフェルナンデス・ドミニカ共和国大統領夫妻とのご会見が行われ、同大統領の宿舎である帝国ホテル(千代田区)と皇居の間を往復しました。
2006.07.04
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