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この石像についてですが、嶽南風土記の伊東豪健氏の記事には、天使像と紹介されており、「日ノ江城の役小角の服装に良く似ているが、足を出している。 首のところはローマンカラーをつけ、右手に剣を持っている。」と、書いてあります。私の気になったところは、帯とその下に垂れ下がったものが、タウ十字に見え、手に持った剣が、ペテろロ十字を持っているように見えてしまいます。そして、この祠の周りには、歴史の移り変わりがそのまま残されているような気もします。そう感じるのは、この祠のある八雲神社の横には、天満宮の小さな鳥居があり、八雲神社の裏には室内がからの状態の社があります。そして、この石像の祀ってある祠は、その社の裏にあるのです。
2011年01月13日
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お盆も過ぎ、そろそろ鮎も下ってきています。今年の落ち鮎は、数も少なく型も小さいようです。口の横の方で掠り取るように、石に付いた苔を食んでいる所を、パチリ。
2012年08月17日
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五大の要素と言われる、空、風、火、水、地の文字が彫られた家(イエ)型の墓碑です。この墓碑には、正保五天と彫られています。この墓碑の特徴は、墓碑としてはかなり古い時代の墓碑である点です。この地方の多くの墓碑は、何故か延宝年間以降の物がほとんどで、それ以前の墓碑は、珍しい部類に入るでしょう。延宝の前の寛文年間には、江戸幕府により1月7日 (旧暦)を以て、飾り納めを指示する最初の通達が、江戸の城下に発せられており、「左義長」も禁止されてる説もある様です。その事と、墓碑の普及との関係性は、考えられないでしょうか?それに、この墓碑の戒名には、心、宗、等も使われています。この墓碑のある所から、離れた所に在る、前に紹介した事のある正保年間の墓碑も、立派な造りでした。そこから考えられるのは、寛文年間以前には、ある特定の裕福な方しか、墓碑を立てなかったのではないかと、考えられるようです。
2011年02月28日
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