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男坂を上っていくと大本堂が見えてきます。大本堂の周りにも、たくさんの菩薩像などがありますが、ここではとばして大本堂裏手に存する不動明王の本地仏、「大日如来(胎蔵界)」をご紹介します。1638年に制作とのこと、当時は堂の中に坐していたそうです。大日如来は二つのあらわれ方をします。如来に内在する理徳の面を示す胎蔵界大日如来と、外に表現される智徳の面を示す金剛界大日如来です。その四方を「多聞天」「持国天」「増長天」「広目天」が守護しています。さて、実はここが一番の問題だった場所、地主神が祀られていたのですが意外にパワーが一番強い場所でした。この丘が縄文弥生時代から保存されている場所らしいので、古墳かもしれませんね。本堂は撮影不可のため、簡単な紹介で留めます。本尊不動明王は五大明王の中心をなす明王です。密教においては大日如来が根本であり、すべての如来や菩薩といったものは大日如来の化身、ゆえに不動明王も大日如来の化身のひとつと考えられています。不動明王があのような恐ろしい出で立ちをしているのは、救いがたい衆生を何がなんでも救うという強い決意のあらわれとされ、どうしようもないバカを積極的に救おうとする金八先生のようなものと言えるかもしれません(-_-)しかしながら、目黒不動尊が有名になったのはそんな不動明王信仰がきっかけではなく三代家光が自分の鷹がいなくなって、不動明王尊の前で見つけてお願いと頼んだらあら不思議、鷹が見つかったと・・・そんなわけでそれ以降将軍家がたびたび参詣するようになり庶民も将軍様が参るならこりゃいいことがあるかもと参詣スポットになったようです。明治時代には東郷元帥が参って日本海海戦勝利!う~ん、そういうお寺なんですかね。ちなみに家光が天海の助言により五色不動を選び、天下泰平、江戸の鎮護を祈願したといいます。その五つは目黒、目白、目青、目赤、目黄(すべて東京23区内です)。また行く機会があれば、他の不動尊もご紹介したいと思います。(ご参考品)不動明王 総白檀5寸 大仏師作不動明王 純金打ち出し76.5g 一点もの
2015年02月08日
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江戸五色不動のひとつ、「瀧泉寺」です。こちらの宗派は天台宗であり、ご本尊は不動明王。瀧泉寺HPより「大同三年、十五歳の慈覚大師は、伝教大師最澄のもとへ赴く途上、当地に立寄られ、霊夢を見ました。面色青黒く右手に降魔の剣を提げ左手に縛の縄を持つ誠に恐ろしい形相の神人が枕上に現れて『我この地に迹を垂れ魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。来つて我を渇仰せん者には諸々の願ひを成就させん。』と告げられました。夢覚めた後その尊容を自ら彫刻されたのが、御本尊目黒不動明王です。堂宇建立を決意された大師が、法具の獨鈷を投じると、そこに泉が湧出。「獨鈷の瀧」と名づけられたこの霊泉に因んで、当山を「瀧泉寺」と号されました。貞観二年には清和天皇より「泰叡」の勅額を賜り、爾来「泰叡山」と称します。」以上抜粋。大同三年は808年です。結構古いですね。門をくぐって左前方に「獨鈷の瀧」があります。ここで本来は自分が滝に打たれるのですが御不動さんに変わって打たれてもらいます・・・ありがとう御不動さんm(__)mここから右にスタスタと移動すると阿弥陀堂がございます。自分は戌年なので、阿弥陀様へのご挨拶はかかせませんね。少し小さめの観音堂と大きな阿弥陀堂・・・菩薩と如来の違いですかねえ。少し開いた戸から賽銭を入れ、阿弥陀様へご挨拶をすると左側のロウソクの炎が激しく揺れました。まあ、すきま風でしょうが・・・なんか嬉しい(´・ω・`)おん あみりた ていせい から うんさて続いて観音堂と地蔵堂の間にある「精霊堂」へ。賽の河原で石を積む子供たちへの慈悲が痛いほど伝わってきて泣けます、ホントに。そういえば、父が病に伏してふたりで思い出話を病室でよくしていたのですが、「お前は小さい頃、どこに行ってもお地蔵さんを見かけると『まんまんちゃ』って手を合わせてたぞ」って笑いながら話してたのを思い出しました。最近さぼってるな・・・まんまんちゃってしないとな(´・ω・`)それにしても何故ここまで「不動明王」は人気があるのでしょうか。怒られるかもしれませんが、自論は「かっこいいから」以上です。なまく さまんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらた かんまん次回は階段を上がった先をご紹介します。追記:真言を唱えるときは印も結びました。阿弥陀如来の印しか覚えていませんが|д゚) 久しぶりのアップでこの程度の量で下書き何回も押してお茶休憩しまくりですわよ。
2015年02月02日
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