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Traveloka より
Sunset Sanato Phu Quoc より
ここはベトナム、フーコック島の観光名所。
ダリの絵から飛び出してきたような象のオブジェが見られる Sunset Sanato Beach Club という浜辺。
果たしてここは本当に3次元なんだろうか。
ひょっとして、異次元の世界に紛れ込んだんじゃないだろうな。
そして、あなたは思う。
俺はやっぱ、観光目的で地球にやって来た宇宙人にちげえねえ。
今あなたがいる世界は、さまざまな喜怒哀楽をゲーム感覚で体験できるアトラクション型の遊園地。
これ、スピ系の人が大好きな世界観。
でも、ポジティブ疲れっていうのかな、そういう世界観に飽きてしまう人もいるのではないか。
飽きてしまった人は、その真反対みたいな世界を覗いてみてはどうかな。
「この世は牢獄(刑務所)」みたいな説は昔からいくらでもあるでよー。 笑
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『牢獄』(7) 跳ね橋 ピラネージ版(第2版)
国立西洋美術館蔵
ジャジャーン。
廃墟好きな人は知ってるかもしれないけど、これは18世紀の版画家ピラネージの代表作『牢獄』の中の一枚である。
初版は14図、第2版は16図からなるこの作品の中では、たぶんこの第7図が一番有名なのではないだろうか。
ちなみに、澁澤龍彦も「螺旋について」(『胡桃の中の世界』に収録) というエッセイの中で、この第7番(初版)を掲載している。
さて、今、この絵の中に突然放り込まれたとしたら、あなたはきっと途方にくれるだろう。
どこに向かって歩き出しても、終着点が見えてこないのだから。
「どこへ行っても、同じ廊下、同じ階段、同じ手すり、同じアーケードが無限に長く伸びているだけなのである。」
こうしたピラネージ空間、すなわち、悪夢チックなこの空想の牢獄で、わたしたちが味わわなければならないのは、まさに迷宮の感覚だ、と澁澤は言う。
つまり、あなたは出口の見出せない空間をぐるぐる歩き続けるしかないってこと。
そして、この後に続く一節がベケット読みの心にひそかに響く。
「おそらくピラネージにとって、囚人であるということは、反復を強制されるということ、休憩もなく目的もなく、ひたすら歩かねばならないということだったにちがいない。いくら歩いても牢獄の外に出ることはできず、むしろ逆に、歩くことが牢獄そのものなのである。牢獄とは、したがって内部でも外部でもなく、ただ永遠の歩行なのである。」
あ、これは、なんちゅうか、次に控える『クワッド』への呼び水じゃなかろうか。
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Quad Ⅰ
Quad Ⅱ
「歩くことが牢獄」とくれば、真っ先に思い浮かぶのが、これ。
サミュエル・ベケットが75歳の時に書いたTV用のマイム劇『クワッド』である。
You Tube で簡単に見られるので、暇と興味がある人はまず、動画を見てもらうとして、そのどちらもない人のためには、その概要を以下でざっと説明しておくことにしよう。
と言っても、わしがまとめると要領を得ないので、ここは専門家である森尚也さんの文をまるまるお借りする。
「四人のプレーヤーと照明と打楽器のための小品」というこの作品は、すべてのベケット作品のなかで最もフォルマリスム的、幾何学的構成をもつ。台詞は一切ない。薄暗い光が正方形の枠を照らすなか、頭から足まですっぽりと衣に包まれた者が四人、入れ替わり、立ち替わり、すべての辺と対角線上を歩き回る。歩みに合わせて打楽器が鳴る。彼らは正方形の中心を回避しつつ、規則的な歩みを続ける。ソロ、デュオ、トリオ、さらにカルテット。次に一人ずつ抜けていき、先の逆。これが一つのシリーズで、四つのシリーズが繰り返される。だがこの20分ほどの時間が本当の始まりと終わりでないことが作品には暗示されている。
これで何となく雰囲気だけはつかめてもらえただろうか。
まるでミニマルな構造だけがむき出しになったような作品ではある。
それでいて、このメカニカルなパフォーマンスが思いっきり刺さる人だっているだろう。
あのドゥルーズだって、この作品に魅了された者のひとりだったかもしれない。
たしか「消尽」というタームを用いて、この作品を論じたのではなかったか。
試しにAIにこの「消尽」について訊いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「空間や可能性のすべてを反復によって完全に使い尽くす行為を指します。意味や物語を排した幾何学的な歩行の反復により、可能態をゼロにするプロセスです。」
何言ってるのかイマイチようわからんけど、それでもやっぱり、さすがはベケットはんやな。
人だけではなく、空間や可能性までをもゼロに持っていこうとしているのか!
そんなん、根こそぎやんか、ひどすぎるー。 笑
ところで、今、「人」って言ったけど、果たしてこの4人のプレーヤーたちは人間なのだろうか。
ベケットの登場人物にしては、あまりにも動きが正確無比すぎて、まるで機械仕掛けのように思われるのだが。
どうやら彼らはポストヒューマンというか、人類後に現れるヒューマノイドロボットの進化形、あるいはサイボーグみたいなものだと考える方がしっくりくるのではないか。
それは『クワッドⅡ』という続編を見るとよくわかる。
こちらは第1部の動きをさらに減衰させ、モノクロームと足音のみで反復する無機質な終末的空間になっている。
そして、ベケットはこの世界を「第1部から10万年後」というふうに設定していたらしい。
つまり、あの4体のプレーヤーたちは10万年かけてもまだ終わらない罰ゲームを延々と続けていることになる。
えっ、これ、罰ゲームなの?
そう考えた方がベケットは喜ぶと思うよ。
実を言うと、彼は今流行りの反出生主義の代表格みたいな作家なんだよね。
まずはそれを忘れてはならない。
人が生まれること自体が罪であり、その人生は一種の罰ゲーム。
この世は牢獄みたいなものだから、できれば早く死んだ方がまし。
というか、そもそも生まれないことが一番いい。 そんな感じの徹底したペシミストなので、ポストヒューマン的な存在ですら『クワッド』のようなスーパーエントロピー的なシステムの中に閉じ込めて、容赦のない罰ゲームを課してしまう。
ふふふ、緩めまへんでえ。
おそらく、これはベケットにとって、ほんのささやかな気晴らしだったのではないかと思う。
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