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2026 サフランモドキ236前回の中古レコードの話のつづきだけど、あの後、メールで送られてきた査定結果を見て、ちょっと意外な感じを覚えた。トータルの買取り金額はだいたいこちらの予想どおりだったが、1枚だけ予想と全然違う結果が出たのだ。それはあのバナナジャケットの『ベルベット・アンダーグラウンド&ニコ』だった。いかに名盤とはいえ、ジャケットの一部はハゲているし、帯もついてないとなれば、よくて¥100くらいの値しかつかないのではないかと思っていたレコードである。それが何と、¥2,500 (30%UPキャンペーン中のため実質の買取額は¥3,250)の査定額になっているではないか。なんでそうなるの?である。答えは簡単。スミスのところでも書いたけど、要は需給のバランスに過ぎない。それを欲しがる人が異様に多いのに、供給量が極端に少ない。今回のケースもそれに該当するようだ。調べてみた結果、わしが持っていたレコードの型番MV2060は、国内盤としては初版(オリジナルプレス)にあたるという。これは後年の再発盤(リイシュー)に比べて流通量が圧倒的に少なく、コレクターズアイテムとしての希少価値が非常に高いレア盤らしい。仮にジャケットの傷みもなく、帯も付いていたらどのくらいの額で取り引きされるのか。試しに調べてみると、こうなった。メルカリ ¥66,800 Sold Outヤフオク ¥40,500 落札なるほどね。この型番のレコードは、現在では市場に出回ること自体が稀ということみたいだから、わしが持っていたあのレコードだって、¥10,000くらいの値をつけて出しても即売れてしまうのかもしれない。やっぱり、コアなファンはあのシール仕様のバナナジャケットを部屋に飾った上で、オリジナルプレスの音をじっくり聴き分けてみたいのだろう。237レコードの次は本の整理でもするか。まずは手始めにと、スマホを使っての査定をしている最中に、ボードリヤールの『消滅の技法』に手が伸びた。パラパラとページをめくる。前半が写真論(40ページほどのテキスト)、後半が写真集(本人が世界各地で撮影した約100点のカラー写真)という体裁の本である。暇に任せて、写真だけを一通り眺めてみる。うーむ。これは売るわけにはいかんなあ。 笑他所ではめったにお目にかかれないような、まあ、言うなれば、わしのタイプみたいな写真がわんさか収めてある。他の人がどう思うかは知らん。けど、わしにはけっこう刺さる。まるで、ロラン・バルトの「プンクトゥム」やな。 笑参考までに、いくつかお見せしよう。Patagonie 1995海岸なのか、川岸なのかはわからないが、流木の廃物感が素晴らしい。近頃はアクアリウムやインテリアの素材として流木が利用されたりしているが、この写真に写っている流木はもうこれ以上は使えないというほどに廃れきっている感じがしてグッとくる。 笑また、その枯れ木の質感と水の色合いがとてもよくマッチしているのも見逃せない。Bogota 1996これは一体何なのか。一見、建物の壁面のように見えるが、左隅に写っているバッグのような物との関係がうまく掴めない。こんなふうに、ボードリヤールは「意味を持たない物や風景の写真」を多く残した。この人は何故こんなものを撮ったんだろうと思わせながらも、光と影、あるいは色彩や形態が際立っているために、それらは見る者の目を釘付けにする。「モノそのもの」の純粋な姿がこちらに迫ってくる感じ、とでも言えばいいのかな。Floride 1986これはパッと見、何だか変なフレーミングのような気がする。音楽で言うと、オフビートや変拍子みたいな感じかな。なんか、リズムがふつうと違うんだよね。けど、慣れてくると、逆にそれがよくなってくるから不思議。この写真に関して言えば、壁面の青緑と電柱(あるいは幹)の黒褐色と車の白という色彩のコンポジションが独特なリズム感を生んでいるのかもしれない。New York 1993これも何だかよくわからない。が、ドラム缶を積み上げただけのゴミ捨て場にしては、ちょっとカッコ良すぎではないだろうか。ドラム缶自体が白いペンキでグラフィック仕立てにしてあるし、それらにワイヤーを通したり巻いたりして一個の巨大なオブジェのように見せているって感じ。これ、ひょっとしてジャンクアートみたいなモノじゃないかな。大竹伸朗みたいなアーティストがニューヨークにはごろごろいて、広大な自宅の敷地を作品置き場にしていたりもするのではないか。 笑まあ、とにかく、この写真はカッコ良すぎるって。以上。本当は上にあげた写真を手がかりにボードリヤールの写真論を手際よく紹介してみたかったのだが、そういう芸当はやはりハナから無理だった。笑かわりと言っては何だけど、またしてもAIにまとめてもらってお茶を濁すことにする。「ボードリヤールの写真は、現実をコントロールしようとする人間の主体性を消滅させ、人間的な意味や記号にまみれた世界から、事物そのものの純粋な存在感を引き剥がそうとする試み(消滅の技法)であったと言えます。」
2026.10.02
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終活への助走?それとも、断捨離の一環?あるいは、単なる気まぐれなお片付け?なんのつもりかはよくわかんないけど、昨日、100枚近くのLPレコードたちが2箱の段ボールにぎゅうぎゅう詰めにされた状態で、佐川急便のあんちゃんによって運び出された。もうすぐセタガヤレコードセンターに到着して、やがて査定という名の厳しい選別が始まるだろう。もう二度とわしの元には戻って来ない懐かしのレコードたちの中から、話のネタに丁度いいやつを5枚選んでみた。これは、今は亡きルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの記念すべきファーストアルバム、The Velvet Underground & Nico である。まあ、いわゆるロックの名盤と言われているものの中の一枚ではある。が、名盤だからといって、あぐらをかいているわけにはいかない。中古レコードの世界では、上のジャケットのように、一部に損傷が認められたりするのは致命的。たとえレコード盤自体に問題がなくても、こいつの商品価値は大きく下落する。さらには、日本人コレクターによって非常に重要視される帯がついてない!いかに名盤と言えども、これでは二束三文の価値しか付けてもらえない。(例えば10円とか)場合によっては、買取り不可(0円)になるおそれもある。こんなトホホなジャケットを選んだのは、ひとえに若かりし頃のちょっとした失敗談を懐かしむためである。今思い返すと、当時はひょっとして、ベルベットの音楽よりむしろアンディ・ウォーホルによるデザインで有名なこのジャケットに惹かれていたのかもしれない。Peel slowly and see (ゆっくりと皮を剥いて中を見てごらん) という指示に従って、わしは購入後にさっそくシールの皮を剥き始めた。シールだからなめらかにペロンと剥がれて、きっと中からバナナの実(果肉)が現れるに違いないと思っていたのだが、結果は悲惨だった。少し剥がしたところで、ごらんのように下の紙ごとビリっと破れてしまったのである。そこで、もう手が止まってしまった。これはもともと剥がせるものじゃないんだと思い諦めた。でも、おかしいな。たしかにバナナの絵はシール状になっているし、剥がして見るようにとの指示までつけて、これは一体何なんだ。剥け剥け詐欺か? 笑謎は氷解しないまま時が流れ、後日、雑誌か何かでキレイに皮が剥けている写真を見て、呆気にとられた。バナナの実はクリーム色ではなく、ピンクだった。さすがウォーホル!これは洒落がわかる人以外は見てはいけないものなのかもしれない。国内盤で高値がつくのは、初回プレスの盤に帯やライナーノーツなどの付属品がすべて揃った美品に限られる。また、帯にもいろいろあって、レアなものには当然プレミアがつく。上のアルバムはキング・クリムゾンのサードアルバムにあたる Lizard である。セタガヤレコードはこいつに¥50000の値をつけている。わしもこのレコードを持っていたので、一瞬、やったぜベイビー(古〜)と思ったが、帯なしは一気に価値が下落する(たぶん¥200くらい)ことを思い出し、その理不尽さに身悶えした。 笑まさに、たかが帯と侮るなかれだ。普通の人ならすぐ捨ててしまう付属品が長い時間を経てもちゃんと残っていること自体が貴重なのだという。さらに、上の帯のように限定的で珍しいやつは価値が跳ね上がる。これは「花帯」といって、1970年代にワーナー・パイオニアが展開した「ロックエイジ・キャンペーン」などで採用された特殊なデザインの帯なんだそうな。そういえば、わしも昔、どこかでこれを見かけたような覚えがある。でも、まさかこんなペラペラの紙切れに将来こんな値がつくなんて思ってもみなかった。まあ、今にして思えば、ただ単にコレクターの才覚がなかったにすぎないのだが…昨日送った100枚のLPレコードの中で、帯つきのものはわずか6枚。そのうちの1枚は事前にLineで仮査定してもらった。それが上にあげたザ・スミスのSTRANGEWAYS, HERE WE COME である。「ほれ、刑務所に着いたぜ」といういかにもスミスらしいガラの悪いタイトルのついたこのレコードには、¥1000でもつけば上出来と思っていたのに、なんと結果は¥7000〜¥10000と出た。ウッホホーイ!意外なところにお宝が潜んでいるもんやな。でも、なんでスミスにこんな値がつくん?そう思い、AIに尋ねてみると、こういう回答が返ってきた。「活動期がCDへの移行期と重なりオリジナル盤の流通量が少ないことに加え、世界的なアナログ盤ブームと根強いコレクター需要が重なっているためです。」なるほど。そもそも初回のプレス枚数から足りてないんだ。その上、買った人がなかなか手放さないが故に、市場での流通量が極端に少ないのだろう。ということは、CD世代のコアなファンにとって、わしみたいなジジイが自宅のケースの中に眠る古いレコードを市場に戻してやるのは、実にありがたいことなのかもしれない。先程から言っているように、日本の中古レコード市場においては、帯なしはほとんど価値がない。ゴミ同然とまでは言わないまでも、名盤レベルのレコードですら、100〜200円で売れれば御の字。では、もともと帯がついていない輸入盤はどうか。試しに1枚、仮査定してもらった。上にあげた after the heat は、ブライアン・イーノがドイツのアンビエントシーンをリードしていたCLUSTERのメンバー、メビウス&ローデリウスと組んだアルバムで、いまだに高い評価を得ている一枚である。で、査定結果は「800〜2,500円 *プレスによる」というものだった。初回プレスだと、最高で2,500円か。思ったとおり、かなりの高値である。では、初回プレスかどうかはどうやって確かめるのか。これはレコード盤の内周(レーベルのすぐ外側の音溝がない空白部分)に刻印された英数字のコード(マトリックス番号)を見るとわかる。例えば、上の after the heat の場合は、ST SKY021 - A1 とある。この 「A1」とか、レコードによっては「S1」などと表示されているコードの末尾の数字が小さいほど初回プレスの可能性が高いらしい。というわけで、上のレコードはMade in Germanyの初回プレス盤であることが判明したので、他に減点材料がない限り、¥2,500で買い取られる公算が高い。トーキング・ヘッズのアルバムジャケットはどれもアーティスティックでかっちょええけど、どれか一枚と言われたら、このMore Songs About Buildings and Food をあげる。わしは長い間、このポラロイド写真をグリッド状に並べたフォトモザイクふうのイメージを、この前亡くなったデイヴィッド・ホックニーのパクリだと思っていた。ところがである。このアルバムを手放すにあたって、ちょっと気になったので、いちおうネットで調べてみたところ、まるっきり逆だということが判明した。トーキング・ヘッズがこのアルバムを発表したのが1978年。一方、ホックニーが「ジョイナー」と呼ばれるポラロイドを使ったコラージュ作品を本格的に発表し始めたのは1982年頃だという。明らかにトーキング・ヘッズの方が先駆者で、ホックニーの方が彼らのアルバムジャケットにインスパイアされ、それを発展させたのではないかと指摘する声が多い。では、この夥しいポラロイド写真を並べて一つの大きなイメージを合成するという技法は誰が思いついたかと言えば、何とバンドのフロントマンであるデイヴィッド・バーンらしい。バーンがアイデアを出し、ジミー・デサナという人が写真を撮って一枚の絵に仕上げたという。まあ、プロデューサーのブライアン・イーノ同様、デイヴィッド・バーンもアートスクールの出身だし、やっぱりそのへんのセンスは並のミュージシャンとは全然違うってことかな。ついでの話だけど、Speaking in tongues の初回盤の写真なんかもネットに上がっているので、試しに見てごらん。クリアヴィニールの盤面にあのラウシェンバーグのコラージュをプリントしたシートが被さって、 art-mindedな人であれば、音を聞く前にノックダウンされること間違いなし。 笑
2026.09.20
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234ニレケヤキ 2019 5/7撮影パキプス mimulk_jp さんのスレッドより上の2枚の写真を見て、勘のいい人は、わしがこれから何を言い出すか、おおよその見当はついているのではなかろうか。そう。久しぶりに何かと何かが似ているシリーズである。ニレケヤキとパキプスが似ていると感じるには、当たり前のことながら、両者を共に知っていなければならない。シニアの人であれば、ニレケヤキの盆栽は知っていても、2010年代から流行り出したパキプスのことは知らないケースが多いのではないか。逆に、パキプスにハマる若い世代の人がニレケヤキを知らない可能性はけっこう高いかもしれない。わしの場合は、庭にたまたまニレケヤキの鉢植えがあったので、これは知っていたわけだが、パキプスのことは、つい最近まで知らなかった。塊根植物(コーデックス)で以前から知っていたのはその代表格であるパキポディウム・グラキリスくらいかな。なので、オペルクリカリア・パキプスが「コーデックスの王様」であるなんてことなども、SNSで珍奇植物の画像を漁り始めるまではほとんど知らんかったもんね。ただ、初めて見た時から、パキプスにはなんとなく懐かしい感じを抱いていた。たぶん、一目見て、あっ、これ、ニレケヤキじゃん、と思ったような気がする。まず、葉っぱがよく似ている。それから、盆栽チックな樹形や細い枝が折れ曲がりながら伸びている感じもそっくり。以後、パキプスの画像を見るたびにニレケヤキのことを思い浮かべてきた。たぶん他の人もそう感じているのではないか。ふとそう思い、先日、AIに尋ねてみた。すると、思ったとおり、やつもそれを肯定した上で、両者の類似点をいくつか挙げてきた。そして、終いに、植物好きの間では、ニレケヤキをパキプス風の盆栽に仕立てて楽しむ人が増えている、というようなことなども教えてくれた。この話はひょっとしてハルシネーションかもしれないが、実際のところ、パキプスが高級品過ぎて庶民にはなかなか手が出せないのは事実。けど、わしは期せずして、もうすでにニレケヤキを似非パキプスに仕立ててしまっているので、あとはめっちゃリッチな気分に浸るだけでいいのだ。 そうすれば、気分はきっとバカボンのパパなのだ。 笑235これは、ついこの前、ほたみね(ほたるみねらる)さんがインスタグラムで動画配信したラバール鉱山(フランス)産のフローライトである。あれ?ラバール鉱山って、もうとっくに閉山しているはずなんだけど…まあ、でも、たまにこういうこともあるらしい。どうやら、現地のコレクターや許可を得た採掘チームが新しい鉱脈やポケットを発見し、限定的な再発掘を行なっているみたいだ。今回、ほたみねさんがずらっと並べたラバール産のフローライトは2025〜2026年にかけて産出されたおニューなものだという。ちなみに、上の石は速攻で売れたようだ。わしもラバール産のフローライトを一個持っているが、それに比べると、この青蛍はずいぶんと淡い空色が特徴的。薄ければ薄いほどいいという人にとっては、たまらなく愛しいのではないか。また、動画配信の前に店主がこの石につけたコメントもなかなかチャーミング。共鳴する人もきっといるのではないかと思い、一部カットした上でコピーしてみた。「この空色が店主を狂わせる…!あああ最高です…!!澄んだ空色の蛍石は、店主が石沼に落ちるきっかけとなったもので、とても思い入れが深いです。それはLa Barre鉱山の蛍石ではなく、7歳くらいの頃に買ったイリノイ州の八面体フローライトでしたが、この空の色に魅入られたといいますか。心揺さぶられる色なのです。」店主の鉱物愛がストレートに伝わってくるようで、なんかとってもいいなあ。それにしてもだ。ふつう、7歳の少女がイリノイ州の八面体フローライトを買うか? めっちゃ早熟じゃん。 笑やっぱ、こういう筋金入りの愛好者が将来鉱物屋(いしや)になるんだろうな。いや、そういう人にこそ、鉱物屋になってほしい。この話、プチ気に入った。気に入ったついでに、いつかどこかで使いたいと思っていたバシュラールの文を、その7歳の頃の少女にプレゼントしよう。(「サファイア」を「フローライト」に、「空の紺碧」を「澄んだ空色」に置き換えて読んでね。)「諸君はサファイアの青をあたかも石が空の紺碧を集めたかのように、《大気的に》夢見ることができる。」(『空と夢』ガストン・バシュラール著 宇佐見英治訳 )イリノイ州 Cave-in-Rock 産 八面体フローライト エヌズミネラルよりわしが持っているラバール産フローライトペンライトの光を当てて、明るめに写してみた。
2026.09.08
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231Traveloka よりSunset Sanato Phu Quoc よりここはベトナム、フーコック島の観光名所。ダリの絵から飛び出してきたような象のオブジェが見られる Sunset Sanato Beach Club という浜辺。 果たしてここは本当に3次元なんだろうか。ひょっとして、異次元の世界に紛れ込んだんじゃないだろうな。 そして、あなたは思う。俺はやっぱ、観光目的で地球にやって来た宇宙人にちげえねえ。 今あなたがいる世界は、さまざまな喜怒哀楽をゲーム感覚で体験できるアトラクション型の遊園地。これ、スピ系の人が大好きな世界観。 でも、ポジティブ疲れっていうのかな、そういう世界観に飽きてしまう人もいるのではないか。 飽きてしまった人は、その真反対みたいな世界を覗いてみてはどうかな。 「この世は牢獄(刑務所)」みたいな説は昔からいくらでもあるでよー。 笑232『牢獄』(7) 跳ね橋 ピラネージ版(第2版)国立西洋美術館蔵 ジャジャーン。廃墟好きな人は知ってるかもしれないけど、これは18世紀の版画家ピラネージの代表作『牢獄』の中の一枚である。 初版は14図、第2版は16図からなるこの作品の中では、たぶんこの第7図が一番有名なのではないだろうか。 ちなみに、澁澤龍彦も「螺旋について」(『胡桃の中の世界』に収録) というエッセイの中で、この第7番(初版)を掲載している。さて、今、この絵の中に突然放り込まれたとしたら、あなたはきっと途方にくれるだろう。 どこに向かって歩き出しても、終着点が見えてこないのだから。 「どこへ行っても、同じ廊下、同じ階段、同じ手すり、同じアーケードが無限に長く伸びているだけなのである。」 こうしたピラネージ空間、すなわち、悪夢チックなこの空想の牢獄で、わたしたちが味わわなければならないのは、まさに迷宮の感覚だ、と澁澤は言う。つまり、あなたは出口の見出せない空間をぐるぐる歩き続けるしかないってこと。 そして、この後に続く一節がベケット読みの心にひそかに響く。 「おそらくピラネージにとって、囚人であるということは、反復を強制されるということ、休憩もなく目的もなく、ひたすら歩かねばならないということだったにちがいない。いくら歩いても牢獄の外に出ることはできず、むしろ逆に、歩くことが牢獄そのものなのである。牢獄とは、したがって内部でも外部でもなく、ただ永遠の歩行なのである。」 あ、これは、なんちゅうか、次に控える『クワッド』への呼び水じゃなかろうか。233Quad ⅠQuad Ⅱ「歩くことが牢獄」とくれば、真っ先に思い浮かぶのが、これ。 サミュエル・ベケットが75歳の時に書いたTV用のマイム劇『クワッド』である。You Tube で簡単に見られるので、暇と興味がある人はまず、動画を見てもらうとして、そのどちらもない人のためには、その概要を以下でざっと説明しておくことにしよう。 と言っても、わしがまとめると要領を得ないので、ここは専門家である森尚也さんの文をまるまるお借りする。 「四人のプレーヤーと照明と打楽器のための小品」というこの作品は、すべてのベケット作品のなかで最もフォルマリスム的、幾何学的構成をもつ。台詞は一切ない。薄暗い光が正方形の枠を照らすなか、頭から足まですっぽりと衣に包まれた者が四人、入れ替わり、立ち替わり、すべての辺と対角線上を歩き回る。歩みに合わせて打楽器が鳴る。彼らは正方形の中心を回避しつつ、規則的な歩みを続ける。ソロ、デュオ、トリオ、さらにカルテット。次に一人ずつ抜けていき、先の逆。これが一つのシリーズで、四つのシリーズが繰り返される。だがこの20分ほどの時間が本当の始まりと終わりでないことが作品には暗示されている。 これで何となく雰囲気だけはつかめてもらえただろうか。まるでミニマルな構造だけがむき出しになったような作品ではある。それでいて、このメカニカルなパフォーマンスが思いっきり刺さる人だっているだろう。あのドゥルーズだって、この作品に魅了された者のひとりだったかもしれない。たしか「消尽」というタームを用いて、この作品を論じたのではなかったか。試しにAIにこの「消尽」について訊いてみたところ、こんな答えが返ってきた。「空間や可能性のすべてを反復によって完全に使い尽くす行為を指します。意味や物語を排した幾何学的な歩行の反復により、可能態をゼロにするプロセスです。」何言ってるのかイマイチようわからんけど、それでもやっぱり、さすがはベケットはんやな。 人だけではなく、空間や可能性までをもゼロに持っていこうとしているのか! そんなん、根こそぎやんか、ひどすぎるー。 笑ところで、今、「人」って言ったけど、果たしてこの4人のプレーヤーたちは人間なのだろうか。 ベケットの登場人物にしては、あまりにも動きが正確無比すぎて、まるで機械仕掛けのように思われるのだが。どうやら彼らはポストヒューマンというか、人類後に現れるヒューマノイドロボットの進化形、あるいはサイボーグみたいなものだと考える方がしっくりくるのではないか。それは『クワッドⅡ』という続編を見るとよくわかる。 こちらは第1部の動きをさらに減衰させ、モノクロームと足音のみで反復する無機質な終末的空間になっている。 そして、ベケットはこの世界を「第1部から10万年後」というふうに設定していたらしい。つまり、あの4体のプレーヤーたちは10万年かけてもまだ終わらない罰ゲームを延々と続けていることになる。えっ、これ、罰ゲームなの?そう考えた方がベケットは喜ぶと思うよ。 実を言うと、彼は今流行りの反出生主義の代表格みたいな作家なんだよね。まずはそれを忘れてはならない。人が生まれること自体が罪であり、その人生は一種の罰ゲーム。 この世は牢獄みたいなものだから、できれば早く死んだ方がまし。 というか、そもそも生まれないことが一番いい。 そんな感じの徹底したペシミストなので、ポストヒューマン的な存在ですら『クワッド』のようなスーパーエントロピー的なシステムの中に閉じ込めて、容赦のない罰ゲームを課してしまう。 ふふふ、緩めまへんでえ。おそらく、これはベケットにとって、ほんのささやかな気晴らしだったのではないかと思う。
2026.08.27
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10日ほど前だったかな。我が家に久しぶりの新入りがやって来た。パッと見はサボテンのように見えるかもしれないが、これはユーフォルビアという多肉植物の仲間。世間では「ホワイトゴースト」という名前で通っている。ちょっと地球離れしたユニークな外見から、ついつい「ユーフォルビア星からやって来た白い幽霊くん」というSFファンタジーふうのイメージを抱いてしまう。では、何故こんな姿をしているのか?バンザイしてるようなこの独特なフォルムは、もともとユーフォルビア・ラクテアから引き継いだもの。この種族の特徴の一つと言える。ホワイトゴーストはラクテアの突然変異種で、葉緑素(クロロフィル)がほとんどないために、こんなふうに白っぽく見えるのだという。要するに、こいつはインテリアのアクセントとして、屋内で人に見られてナンボの植物ではないかと思われる。会計の際に、店の人から「直射日光には当てないで下さい」と言われたが、それは色素が少ないために光合成の機能が弱く、強い光を浴びると葉焼けを起こしてしまうからだそうだ。また、寒さにも弱いらしい。耐寒温度は5〜10度くらいみたいなので、冬場は必ず室内に置いてあげなくてはならない。そのかわり、乾燥にはすこぶる強く、少々の水切れにはびくともしない。逆に、水のやり過ぎによる根腐れには注意しなければならない。以上のことさえわきまえていれば、育てるのは割と簡単な部類に入るらしい。まあ、サボテンを枯らす人でない限りは大丈夫じゃないかな。でも、ウチの冬の寒さには耐えられるだろうか。暖房の風に当ててはいけないとか、日照不足にならないようにとか、風通しのいい場所を選んで、など他にも色々と細かい注文がついてきたりする。日に何度か置き場所を変えて対応するしかないのだろうか。今から心配しても始まらないので、冬になったらまたその都度考えよう。うわっ!これ、なかなかエグイわー。この標本は石にあまり興味のない人にも、ちょっとしたインパクトを与えうるのではないか。あたかもキュービック型のフローライトを突き破ってクォーツの結晶が外に出て来た、みたいな感じに見えるからである。おそらく、石沼に深くはまりこんでいる人たちの間でも、この造形美は高く評価されるのではないか。「おたく、珍しいもの持ってまんなあ」珍しいのは、フローライトとクォーツの組み合わせということではない。要は、その両者のくっつき方とかプロポーションの妙が、市場であまり目にすることのない類いのものだということである。では、こういう形というのはどうやって形成されたのか。AIの助けを借りて、ちょっと素人なりに推測してみよう。まずは、フローライト。これは主に地下の岩石の裂け目や空隙の中で、フッ素とカルシウムを豊富に含む熱水が冷えて結晶化することで形成される。そうやって長い時間をかけて一旦キュービック状に出来上がったフローライトの一部が、やがてなんらかの衝撃を受けて欠損する。その後、熱水の温度や化学組成が変化し、シリカ(二酸化珪素)を豊富に含む流体が供給されるような環境へと移行する。そこで、フローライトの欠損部分を基盤として、今度はシリカが結晶化してクォーツが成長していく。たぶん、こういう流れで、上のような共生鉱物が出来上がったのではないか。ちなみに、この石の持ち主である hal さんは、他にも数々の珍奇鉱物をX上で惜しげもなく披露しておられる。そればかりではない。様々な空模様をバックにした、鉱物×空のフォトブック ( 『MINERAL SKY 』) を近々リリースされるらしい。その中に入っているかどうかはわからないが、次の一枚は、わしがX上で目にしたシリーズの中で、特に印象に残ったものである。こちらは鉱物どうしのコラボではなく、鉱物と光による共演である。夕焼けの光がクォーツの内部を透過することで、これほどまでにデリケートな図柄が描かれるとは!まさに天然のアート。これぞ自然が刻むリズム。ここで、ふとクレーの抽象画のイメージが頭に浮かぶ人もいるのではないか。参考までにあげると、「高速道路と小道」とか、「パルナッソス山へ」などの雰囲気に近い。今日のオマケはこれ。「わん」さんがX上にあげておられたクォーツ&アナテースの写真。青みがかった金属光沢を放つ両錐形(八面体)の結晶がアナテース。これはチタンの酸化鉱物で、ルチルやブルッカイトとは「同質異像」の関係にある。「同質異像」とは、同じ化学組成を持ちながら、結晶構造は異なる鉱物どうしのことらしい。そして、アナテースというのは、幾つかあるそうした「同質異像」の鉱物の中でも、かなりレアな部類に入るという。小野塚さんの本の中にも、上の石とよく似た標本が載せてあったが、それはノルウェー産ということだった。なので、おそらくこちらも同じ産地ではないかと思われる。ついでにその小野塚さんの文章を引用すると、「当地のアルプス型脈で採れた鋭錐石(アナテース)と水晶の共生標本には、土地の冷気がこごったような趣きがある。」ということらしい。なるほど。上の写真でもたしかに「土地の冷気がこごったような」質感が感じられるなあ。同時に、これは未来派の料理とか、分子ガストロノミーなんかで出てくるデザートの氷菓を思わせるところもある。調子に乗って、「北極圏でフリークアウト」なんて料理名でもつけてあげようか。 笑
2026.08.14
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ひょっとして初登場か? ワインレッドのグラジオラス229あれはたしか7月24日だったかな。夕食後に食器を洗った後、風呂に入って、歯磨きも済ませて、さて、ニュースでも見るかとTVをつけたら、何やら変てこなおっさんが変拍子のリズムにのせて、酔っ払いの独り言みたいな歌詞をアップテンポのポエトリーリーディングみたいな調子でまくし立てていた。🎵 ボールにいっぱいのポテトサラダが食いてえなんか、そんな歌だった。「報道ステーション」の前の番組であるMステがまだ終わってなくて、その日のトリを務めるゲストが熱演中だったのだ。サイドスーパーにはたしか、「ポテトサラダ('12) ZAZEN BOYS 」「唯一無二のバンドがMステ初登場」という文字が並んでいたような気がする。何じゃ、こりゃ。日本のバンドにしては、あまりにオルタナ過ぎるんとちゃうか?呆気にとられて見惚れていると、ノリまくったおっさん(向井秀徳)はやがてカニ歩きみたいなパフォーマンスをおっ始めた。あっ!これ、デヴィッド・バーンのタコ踊りと同じノリじゃん。そう言えば、ファンキーで複雑なリズムといい、エキセントリックなボーカルスタイルといい、なんとなくトーキング・ヘッズっぽいところが他にもたくさんあるよなあ。そう思って、番組が終わってから、早速AIに尋ねてみた。「ZAZEN BOYS とTALKING HEADS は何か関係があるか? 」すると、こんな答えが返ってきた。ZAZEN BOYS(ザゼン・ボーイズ)とTALKING HEADS (トーキング・ヘッズ)は、ミニマルでファンキーな反復ビートや、緊張感のあるギターリフを多用する音楽性において、しばしば深い音楽的リンクや影響関係が語られる組み合わせです。そして、この後、「ZAZEN BOYSのフロントマンである向井秀徳は、かねてよりトーキング・ヘッズの大ファンであることを公言しており、…」と続いていく。やっぱり、そうか。これを読んで、一時期トーキング・ヘッズにかぶれた経験のあるポポイさんは、 ZAZEN BOYS に対して急に親近感が湧いてきた。それで、他の曲もいくつか聴いてみたりした後で、さらに、このバンドのファンが書いた記事などにも目を通してみた。それらの中でピカイチだったのが、「音楽ナタリー」というサイトの「永井玲衣が語るZAZEN BOYS」。なかなか痺れるような言い回しを連発してくれているので、お暇な方は是非一度、全文をお読みいただきたい。まあ、でも、「あんたみたいな老人じゃあるまいし、そんな暇なんてねーんだよ」と言う人がほとんどだという気がするので、面倒くさいけど、めっちゃサービスして、ハイライトの部分(わしにとっての)を二箇所ほどピックアップしてさしあげよう。 (あんたがそうしたいだけだろう 笑)まずは、一箇所目。「Sabaku」という曲の中のフレーズ、「心臓に刺さってる赤くさびた釘を早くぬいて」を例にあげ、その詞に寺山修司の「血は立ったまま眠っている」という言葉を重ね合わせて、永井さんはこんなことを言っておられる。「なんでそんな言葉が出てくるのかまったくわからないけど、完璧だと感じてしまう。」これは人がアートに接して、たまに体験することを一言でまとめたもの。共感とか、理解できる、というレベルを超えた作品、説明不可能な強度を備えた作品に出会った時に感じること。つまり、「わけわからんけどカッコイイ」というあの感覚。あの感覚のことを永井さんは言っておられるようだ。二箇所目でも、言葉は違えど、同じようなことか、その延長みたいなことを言っておられる。当該箇所を、長くなるけど、そのまま抜き出してみよう。「私とはまったく関係がなく、わからない仕方で、ただ美しくそこにある」みたいなことに驚けるのが好きなんです。例えば、そこにある木も、私がみじめであろうが幸福であろうが、そんなこととは関係なくそこに生えている。そう考えると、「ああ、よかった」と思えるんですよね。世界って、まだこんなにもわからなくて、めちゃくちゃで、自分とは関係なく存在しているんだなと思える。ZAZEN BOYSのライブを観ていると、そういう気持ちになれるんです。つまり、ZAZEN BOYS って、めっちゃ変てこりんで意味不明なんだけど、何故かしらカッコよくて、そんなバンドが分かりやすさ優先の世の中にちゃんといてくれることが、私はとても嬉しい、というようなことを永井さんは言っておられるのではないか。「え?私、別にそんなことは言ってないんですけど…」と本人はおっしゃるかもしれないが、わしはそういうふうに受け取った。それとも、ここはあえて分かりにくくまとめた方がカッコいいのかな?同一性より多様性を!共感より不条理を!なんてどうだろう。こっちの方がZAZENっぽいのかな? 笑230この前、またBRUTUS を買ってしまった。しかも、2冊。一つは、「珍奇鉱物 HANDBOOK 3 」。もう一つは、「合本 珍奇植物 / 総まとめ」。この世界には、まだわしの知らない変わった石や植物がこんなにもワンサカ存在しているんだ、ということにただただ感心したいがためにこういう雑誌を買い求めているのかもしれない。できれば実物を購入したいのだが、超絶貧乏なので、それはままならない。仕方なく、ネットや雑誌で、カッコいい石や植物を漁りまくっているというわけ。漁りまくってどうするのかってか?気に入ったやつは、スマホにストックして、暇さえあれば、それらをボーっとながめるだけだ。これがわしの健康の秘訣ですたい。笑今回は、最近見つけたとびきりスタイリッシュな石と植物を二つずつ紹介しようと思っていたのだが、前の記事が予想外に長くなってしまったので、石の方はまたの機会に回すことにした。スティグマトドン リマエ BRUTUS のウェブサイトよりスティグマトドン ブラシコイデス BRUTUS のウェブサイトより上の二つは珍奇植物の中で、今わしが一番気に入っているスティグマトドンというブロメリア科の植物である。いずれもブラジルの断崖絶壁みたいな岩場に着生する希少な植物で、流通量は極めて少ないという。たぶんビザール好きな人なら羨望のため息が漏れ出てくるのではないか。いや、中には意味不明な鼻血を垂らす人だっているかも。 笑まあ、見てのとおり、それほど美しい、というか、反則的なまでにカッコいい。リマエの方は灰色がかった硬質肉厚な葉と全体のフォルムが抜群やね。ひょろっと伸びた花序の先には蕾がついているが、これらはやがてサルファーイエローの花を咲かせるらしい。一方、ブラシコイデスの方は内側にめくれまくった葉の色合いと質感がなんだかメタリックな感じがして、たまりまセブン。 笑結局、植物自体の魅力もさることながら、写真のクオリティが相当高いのかもしれない。
2026.08.01
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我が庭に忽然と現れたオレンジ色のグラジオラス227これは先日、Google ニュースをスクロールしている時に拾った写真である。見ての通り、ニュースにしては扇情的な要素を全く感じさせない、どちらか言えば癒やし系の写真である。記事の内容を簡単に説明しておくと、ある会社の趣味グッズブランドがこの度、上のような植物ぬいぐるみクッションを販売することになったという、まことに平和過ぎて欠伸が出るようなニュースではある。 笑こんなもん、買う奴おるんかい?この世に植物なんて存在しないかのように生活している無骨な人なら、きっとそう思うのではないか。でも、植物に少しでも関心がある人なら、これがけっこう売れそうだと直感的にわかるのではないだろうか。まず、大前提として、ぬいぐるみやクッションが大好きという人間が世の中にいかに多いかを忘れてはならない。次に、インテリアとして部屋に観葉植物や多肉植物を飾っている人の数が、一般に想像されている以上に多いということも覚えておいた方がいい。加えて、現在、ビザールプランツが空前のブームを迎えているという世情を押さえると、上のような植物ぬいぐるみの類いが売れないわけがないのである。また、居住環境や仕事の都合など様々な事情から現状では植物を育てることが困難ながら、潜在的には植物好きという人だってかなりいると思われる。さらに、さらに、である。そういう人も含めて、世の中に遍く存在する植物愛好家たちへのユーモア溢れるギフトとしても、これらのぬいぐるみは重宝がられるのではないか。因みに、この植物ぬいぐるみ、お値段の方はいかほどなものか。左から順に紹介すると、アンスリウム・クリスタリナム ¥7800パキポディウム・グラキリス ¥8800ビカクシダ・リドレイ ¥8800パキポディウム・グラキリスとかビカクシダ・リドレイは今や大人気の品種みたいだけど、育てるとなると、かなり難易度が高いような気がする。もちろん、実物は値段ももっと高いだろう。でも、ビカクシダのまるで鹿の角のような「胞子葉」なんて、写真で見るだけでもめっちゃカッコイイよなあ。そう思っている人には¥8800のぬいぐるみがちょうどお手頃に感じられるかもしれない。ビカクシダ・リドレイ メルカリより228この2枚の写真はどちらもXにポストされていたものである。上は小野塚謙太さん、下はmiho(@rhodoritemee)さんのポスト。ただし、最初の写真はイラストとのカップリングで、描かれた女性の足元には「2023 non」というサインが入っている。どうやら、この絵はXにアカウントを持つnonさん(@nonnon4410)という女性が描いたものらしい。さて、小野塚さん、nonさん、mihoさんの関係は?というより、画像的には、鉱物、女性の絵、手織りのマフラーの関係は?というべきか。勘のいい人なら、この三者の色合いから、すぐさま何らかの関係性を嗅ぎとることができるかもしれないね。もう一度、一枚目の写真に戻ろう。この鉱物は、小野塚謙太さんの『美しい共生鉱物の図鑑』という本に掲載されている標本で、頁の頭には「リチア電気石、リチア雲母、水晶」と記されている。英語名で言うと、「エルバイト(トルマリンの一種)、レピドライト、クォーツ」ということになる。トルマリンの産地として名高いブラジルのミナス・ジェライス産らしいきらびやかな石である。その華やかさを小野塚さんはこう表現しておられる。この標本は内部が赤で外側が緑。「ウォーターメロン」と呼ばれているものだが、さらに全体をリチア雲母で飾り、根元には水晶をつけて、舞踏会の夜にドレスアップの魔法でもかけられたような姿をしている。この「舞踏会の夜にドレスアップの魔法でもかけられたような姿」を見事に具体化してみせたのが、nonさんのイラストではないか。ご本人がこの石を見て描いたと言っておられるように、イメージがドンピシャなんだよね。描かれた女性はまさにこの石の化身、いや、この石の精というしかない。と、ここまで説明すれば、手織りのマフラーの方も自ずと察しがつくだろう。miho さんも例の図鑑の熱烈な読者であり、この本に収めてある石の色合いに配色のヒントをもらってマフラーを編んでおられるらしい。2枚目にあげた写真は、nonさんと同様、「リチア電気、リチア雲母、水晶」から着想を得て編んだマフラーだそうだ。エルバイトの緑とレピドライトの赤紫を基調にしながらも、よく見ると、多彩な色合いの糸を微妙に織り交ぜて編んでおられるのがわかる。それでいて、モチーフとなった石のイメージが損なわれることなく、高い抽象度を保ちながら表現されているのはさすがと言うしかない。なんだかどっかの評論家のモノマネみたいな調子になってきたなあ。ちょっと恥ずかしい気分になってきたので、そろそろお終いにしようか。まとめると、鉱物というのは、それ自体が天然アートであるばかりではなく、別の新たなイメージを生み出す源にもなり得るというのが今回の話の骨子かな。それとも、nonさんやmiho さんみたいに指先を器用に使う趣味を持っている人は羨ましいなっていう話だったのかな。 笑
2026.07.23
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ガマズミの花 4/28撮影この写真を初めて見る人は、「これ、アートみたいなもの?」と思うかもしれない。でも、商標らしきロゴが入っているし、ちょっと違うかも。UNITED COLORS OF BENETTON .これを見て、「お!ベネトンか、懐かしいなあ。」と思える人はたぶんわしと同じくらいの世代ではないだろうか。一方、若い人にとっては、「ベネトンなんて言われてもなあ」かもしれない。念のため言っておくと、1990年代頃に一世を風靡したイタリアのファッションブランドである。恥ずかしながら、今では貧相な身なりのポポイさんも、当時はアルマーニのスーツにベネトンのネクタイを合わせたりしていたのだった。( えー、うそー。) 笑というわけで、上の写真はそのベネトン社の広告ディレクターだったオリビエロ・トスカーニによって撮影された一枚である。見てのとおり、この人の広告写真には商品など一切写っていない。写っているのは、当時の通念からすれば、かなりラディカルなイメージのものばかり。「広告はまやかしの幸福を描くのではなく、企業の社会的姿勢を示すものであるべきだ」という自らのポリシーに従って、彼は人権をはじめとする様々な社会問題をテーマにした一連のキャンペーン広告を展開していたのだった。その結果、彼が手がけた写真の多くはあちこちで物議を醸すこととなり、今日でもその手の広告写真の代表例として、さまざまなメディアで取り沙汰されている。上の写真も、最初はたぶんファッション系の雑誌などに掲載されていたのではないかと思われるが、わしが最初に見たのは、港千尋の『考える皮膚 触覚文化論』という書物の中でだった。この本を読んだのはもう30年くらい前のことなので、内容自体はもうほとんど覚えていない。ところが、どうしたことか、最近、TVでマイケル・ジャクソンの映画の宣伝を見ていた時、ふとこの本のことを思い出した。正確に言えば、「色素政治学」という章の中で、マイケル・ジャクソンの整形手術のことが話題になっていたのを思い出したと言うべきか。けっこう面白い話だったので、この部分は覚えていたのだと思う。それを今回もう一度読み返している時、数ページ前に掲載されていた例の広告写真(白黒)に再会し、何故かしら、こちらの方に妙に惹かれてしまった。思うに、マイケル・ジャクソンはきっかけにすぎず、宇宙が見せたかったのはどうもこちらのようだ。その後、ネット上でこの写真の原型であるカラーヴァージョンを目にして、改めてその魅力を再認識してしまった。好き嫌いを超越して、これは何故か記憶に残るイメージなんだよなあ。まあ、何というか、ヴィジュアルジョッキータイプの感覚を妙にくすぐるとでも言えばいいのかな…もちろん、この写真を見て、何を感じるかはその人の自由である。中には「肌の色が違っていても、私たち、こうして仲良くなれるんだよね」みたいなメッセージを、この写真から受け取る人もいるかもしれない。けど、仮にそう見るとすれば、ちょっと気になることがあるのもたしか。左の女児は微笑んでいるのに、右の女児は何故笑ってないのだろう。「君は笑っちゃいけないよ」とカメラマンのおじさんから指示が出されていたのだろうか。たぶんそれもあっただろう。カメラマンのおじさんに、初めから仕掛けを施す意図があったとすれば。もちろん、黒い肌の女児の髪型だって、そうした仕掛けの一つと考えられるだろう。そして、その仕掛けに気づいた評論家みたいな人たち、あるいは謎解きが大好きな人たちによって、ある一定の見方が提示される。ここで、似通った代表的なコメントを二つ紹介しよう。◉ ヨーロッパ系のこどもをエンジェル、アフリカ系のこどもをデビルと見立て、金髪で青い目のエンジェルのステレオタイプなイメージを皮肉っている。( 「クロ箱index 」というサイトより)◉ 白人と黒人の少女が肩を抱き合っている。問題はメーキャップで、白人は金色の巻き毛であるのに対して、黒人の少女は左右に編み上げた髪が二本の角になっている。明らかに白人天使と黒人悪魔の図である。 ( 港千尋のコメント)西洋の絵画に描かれた天使像を思い起こすと、確かに金髪の巻き毛、白い肌、青い目を持った幼児に羽が生えたイメージが圧倒的に多い。対して、悪魔には二本の角が生えているというのも図像学的には正しい。よって、上のような見方が成立するのも十分納得できる。 しかしながら、にもかかわらず、である。この写真を撮ったトスカーニ自身は、是非そのように見て欲しいとは一言も言ってないのである。(誘導はしているかもしれないが)この写真のタイトルとして流布している Angel and Devil にしても、それはあくまで誰か他の人がつけた通称であって、本人は言語による説明など一切していない。私たちの目の前には、ただ一枚の魅力的な写真があるだけなのだ。言うまでもなく、それをどう見るかはこちらの自由ということになる。例えば、頭の中でデビルちゃんにこんな吹き出しをつけてみても、もちろんOKなのである。「ねえ、みんな知ってる?エンジェルちゃんって、見かけによらずめちゃくちゃ意地悪なの。いつだって意地悪されてるのはわたしの方で、だから、デビル、今ほんとに困ってるの。」 笑
2026.07.11
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白いサツキ225約半年ぶりに石を買った。ほたみねさんのところで売れ残っていたエチオピア産のオパールである。特にオパールに興味があったわけではないが、いちおうわしの誕生石なので、一つくらい持っていてもいいかと思い、軽い気持ちで購入した。写真で見るとエクレアふうのコミカルな標本に見えたのだが、送られてきた実物は一目見て、なんだかとってもいい感じに思えた。ほたみねさんとこの石はいつもそうなんだよね。アクリルベースを手に持って動かすと、オパール特有の遊色効果が思っていた以上に楽しめる。また、サイズもかわいい上に、形もなかなかかっこいいではないか。右に90度動かすと、影からもわかるように、シャープな石器のような形になる。しめしめ、また、残り物には福がある的な買い物だったか。 笑226久しぶりに中沢新一さんの本を買って読んだ。週刊誌に連載されたエッセイふうの記事をまとめたものらしく、タイトルや著者名から連想されるような学術的な感じの本ではなかった。むしろ中身はカバー写真のイメージに近いかな。これは「2023年8月14日、ポケモンバトル世界大会の最終日に、横浜みなとみらいのけやき通りでおこなわれたパレード」の写真だそうだ。これを表紙にもってくるところが中沢さんの編集者的嗅覚の鋭いところかもしれない。これだけで、もうこの本はそこそこ売れちゃうんだよね。「え、なんで?」と言う人は、ちょっと考えてみてほしい。日本だけで、ポケモンのユーザーは推定1500万〜2000万人近くいるとされる。これだけいれば、中には、ポケモン関連グッズはすべて集めるというコアなファンも相当数いるのではないか。そういう熱狂的な推しの人なら、表紙にピカチュウが写っているというだけで、この中沢さんの本は即買いだと思う。中沢さんのことを知らなくても、本の内容がどんなものであろうとも、そんなの一切関係なし。 もっと言うと、中には買っても中身は読まない人だっているだろう。 笑おそらくそうしたマニアが、どんなに少なく見積もっても、何千人かはいるはずである。この本が講談社選書メチエの一冊でありながら、発売初日からいきなり店長推薦のコーナーに平積みされていた理由がこれで分かってもらえるだろうか。何を隠そう、ポケモンのゲームなんてやったこともないこのわしですら、この写真には少なからず惹きつけられたくらいだ。見ていて何となく楽しいのである。「人生はパレードだ」という記事の中に掲載されたピカチュウの写真の下には、こんなキャプションが付いている。「ポケモンがいるからという理由だけで/楽しいのではない。/ パレードの構造そのものが/人間に喜びを与えるのだ」筆者によると、パレードはカーニバルと同様、ミトロジー(神話)と深く関わりがあるという。「真夏の季節は、人類的な規模で、死者が生者の世界に立ち返ってくるミトロジカルな時間で、この世に戻ってきた死者たちは、列をなして群行してくる。これがパレードというものの原初形である。」なるほど。人間は昔から、霊的な存在や異界の存在をこの世に迎えて、それらと一緒に行進したり、踊ったりするのが大好きだったのかもしれない。リズミカルな阿波踊りやサザンの「勝手にシンドバッド」のライブ映像を見て、ウキウキ楽しい気分になるのは、人類の無意識の最古層に眠る記憶が甦っているからかもしれんな。てな感じで、中沢さんは日常的な事象の中に潜むミトロジー(神話/神話的思考)に光を当てていくわけだが、その筆の運びは、いつもながらに闊達だ。いわゆる「中沢節」は老いてなお健在ってところか。例えば、駅弁を話題にした「地霊を食らう旅の友」から、こんなのはどうか。幕内弁当は、一種の「食べる曼荼羅」であった。白い米の真ん中には、しばしば赤い梅干しが埋められており、まるで大空に輝く太陽のようである。この梅干しの大日如来を中心として、周囲には美味を誇るおかずの眷属たちが、整然と配されている。その複雑な構造が、すっきりとした箱に収められると、そこにはえも言われぬ秩序の感覚が生み出される。なにごとも小さな入れ物の中に、上手に、かつ美しく入れ込むのが得意な日本人にとって、幕内弁当は俳句と並んで、その持てる才能を存分に発揮する、職人的舞台となったのである。「食べる曼荼羅」「梅干しの大日如来」「おかずの眷属たち」… この見立て、笑っちゃうよね。取り立てて目新しいことを言ってるわけじゃないけど、やっぱり中沢さんが語ると、ポエムっぽくなって面白さが増してくる。ついでにもう一丁、「所ジョージという謎」からの一文を抜粋しておこう。お笑いタレントのように、無理やり気の利いたことを言ってみせるわけでもなし、他人の会話に割り込んで自説を語り出すわけでもなく、しれっとした表情であたりを見回しながら、「どうでもいいじゃん」と言い出しそうな雰囲気をたたえている。そうかと言って、ニヒルというのともちがう。まわりでおこなわれていることを、上から目線で批判的に見ているわけでもない。一言でいって、この人には、「自我」というものが感じられないのである。「所ジョージ」という容器だけがあって、その容器はいつもチェシャー猫のようにニヤニヤしているのだが、容器の中はからっぽで、そこにだいじな自我なんてものが詰まっていない。このたたずまい、まるで禅僧のようではないか。うーん、これは「すんごいですね」だね。こんな短い文章で、所ジョージの本質をすべて言い尽くしている。というか、所ジョージの本質がすっかり分かったような気にさせてくれる。 笑これが中沢節(中沢narrative)の真骨頂か。この後、所ジョージの人気の秘密は、彼がラジカルな平等思想を体現していることにある、みたいな結論が導き出されるのだが、これも、何の根拠もない話ながら、何となくなるほどなという気にさせられるから不思議だ。
2026.06.27
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今日のカバー写真はこれです。久しぶりにわが家のサツキをあげてみました。えっ、これ、バラじゃないの?ええ、一見するとバラっぽく見えるけど、れっきとしたサツキの品種です。数日前に剪定をしてあげたばかりです。その時はもう花が梅雨時の雨に打たれて、ドロドロに溶けたようになっていました。なんだかホラー映画に使うと雰囲気出そうな感じだったので、それを写真に撮ってアップしようかなとも考えましたが、そういうのに不快感を覚える人もいるかもしれないと思い、やめにしました。その代わりに、ピーク時の写真にシルバートーンのフィルターをかけて、彩度を思いっきり落としてみました。すると、どうでしょう。まるで貧血ちゃうかと思わせるような褪色モードに仕上がりました。花の写真って、いつもフレッシュで鮮やかなものばかりが出回っていますが、たまにはこんなジミーなやつを見るのも、また違う趣きがあっていいんじゃないでしょうか。今年もSさん家のエキノプシスが凄いことになってます。6月1日、約60あまりの花が一斉に開花しました。これだけの数が咲くと、圧巻というか、見応え満点ですね。同じ日に20mくらい離れたわが家のエキノプシス(3枚目の写真)も第一弾がシンクロして咲きました。去年は、露地植えのサボテンとシンクロしましたが、今年はどうしたことか、その露地植えのやつが不発でした。代わりにSさん家のエキノプシスと同調開花したってわけです。これはSさん家で育てられているオオベンケイソウで、もとはわが家のものを株分けしたものです。5月の半ば頃にはもう花が咲いていました。園芸植物に詳しい人であれば、そう聞いて、あれ?と思うはずです。たしかベンケイソウって、秋に花を咲かせるんじゃなかったっけ?そうなんですよ。ウチのベンケイソウは毎年、9月下旬から10月にかけて開花します。ネット情報によると、どんなに早くても8月下旬頃からだそうです。つまり、Sさん家のベンケイソウは物凄いレベルのフライングをやらかしていることになります。笑俗に言う狂い咲きってやつですが、それにしては全く悪びれた様子がありません。ふつう、狂い咲きの花というのは、「あっ、間違えました」みたいな風情で、控えめに咲いているものですが、これはあまりにも堂々と咲きすぎています。まるで間違っているのは季節の方だとでも言わんばかりです。 笑また、栄養が豊富なのか、葉っぱもウチのと比べると、デッカすぎな感じがします。環境が違うと、植物って、こんなにも違ってくるものなんですね。いや、植物に限らず、これは生き物すべてに言えることかもしれません。それにしても、このベンケイソウのやんちゃぶりにはちょっと驚きを禁じ得ません。この写真は先日、妹から送られてきたものです。撮影場所は福山市のバラ公園だそうです。撮影者は誰だかわかりません。妹自身は今年はバラ公園には行ってないという話だったので、おそらく彼女のお友達が撮ったものではないかと思います。それを勝手に借用し、トリミングを施した上に、またしてもシルバートーンのフィルターをかけて色合いを大幅にいじり回してアップする。そんなこと、してもいいんですか?たぶん構わないと思います。 愛とリスペクトがあれば。 笑これはいかにも薔薇が嬉しそうに歌っているかのように撮れている素敵な写真です。本来はそのビビッドなピンク色をそのままお見せした方がいいのかもしれませんが、たまたまかけてみたフィルターの効果がちょっと新鮮だったので、こちらを採用してみることにしました。ところで、この色、何というんですかね。ワインレッド?マゼンタ?うーん、赤紫系なんだろうけど、ぴったりの言葉が見つかりません。色はいつだってアバウトです。
2026.06.15
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アルストロメリア (ユリズイセン)5月から6月にかけてはGⅠレースが目白押しなので、競馬ファンにとっては毎週がお祭り気分ではなかろうか。わしはダービー以外はほとんどケンなので、調子こいて素寒貧になるおそれもなく、純粋にええもん見せてもらってるって感じ。特に先週のオークスはめっちゃ面白かった。報道番組等でもスポーツコーナーの枠外で大々的に取り上げられたので、ご存知の方も多いかと思うが、今村聖奈騎手とジュウリョクピエロ、カッコよかったなあ。G1であんな気持ちいい追い込み、久しぶり見たわ。4コーナー回ってあの位置(14番手)だったら、ふつう外に進路を取るところだが、今村騎手のジュウリョクピエロは果敢に馬ごみの中に突っ込んで、スルスルっと上がっていき、最後はあのルメールの馬をクビ差で差し切った。ベテランジョッキーでもあんな肝の据わった騎乗はできないって。それを弱冠22歳のGⅠ初騎乗の女性が見事にやってのけたわけだが、彼女、実は東京2400mのレース自体が初騎乗だったらしい。うーん、陣営もすごいなあ。そんな経験の浅い若手を大一番でも乗せてくるとは!でも、馬主の近藤健介氏はハナから乗り替わりは考えてなかったという。えっ?近藤健介?ソフトバンクの近藤健介が馬主だったのか!と誰しも思うところだが、実は同姓同名の別人らしく、本人は「偽近藤健介」を自称しているという。 笑いやあ、このジュウリョクピエロ&今村のコンビに関しては他にもツッコミネタが満載なので、どれをピックしようか迷ってしまう。まあ、でも、やっぱり馬名かな。ジュウリョクピエロ。出走馬の中ではダントツで一番目立つ名前である。と同時にふざけた感じがするので、「こんな変な名前の馬がGⅠで来るわけない」と人を油断させる名前でもある。初めからそれを狙って名づけたのだとすれば、馬主はなかなかの策士である。でも、実際のところは、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』が馬名の由来とされている。面白いのは、オークスでジュウリョクピエロが勝ったその日だけで、この本に5000冊の注文が入ったということ。翌日には即重版が決定したという。どうやら、重力というのは重い現実を表しており、ピエロというのは、その重力を無視して軽く飛び回る存在の象徴のようだ。なるほど。4角を回ってからのジュウリョクピエロの走りはたしかに重力を無化するほど軽かったなあ。 笑でも、レースが始まるまではこの馬が勝つと予想した人は少なかったのではないか。パドックでは入れ込んで大量に発汗するし、返し馬でも子鹿のバンビみたいにピョンピョン飛び跳ねていた。穴狙いでこの馬に投票した人も、あれを見て、ダメだこりゃと思ったのではなかろうか。でも、そうした一連の動きがすべて最後の大ドンデン返しにつながるフェイントだったとは!さすが規格外の大物オルフェーヴルの娘だけあって、なかなかの役者じゃのう。そう考えると、ジュウリョクピエロという名前自体もけっこうイケてるのではないかと思えてくる。というか、GⅠを勝つとどんなに変な馬名でもそれなりにサマになってくるものである。オレハマッテルゼ、キングカメハメハ、マツリダゴッホ、ティコティコタック、レッツゴードンキ、モズカッチャンなどなど、今となってみればどれも競馬史に残る名前である。今村聖奈が騎手を目指すキッカケになった馬は、同じオークス馬のメイショウマンボらしいが、これなんかも、名前のつくりとか、後ろがコミカルな点がなんとなくジュウリョクピエロに似ているように思える。その主戦騎手だった武幸四郎調教師が今村騎手に送ったアドバイスがなかなか味わい深い。「本当に馬が強ければ、騎手はただ乗っているだけでゴールまで連れて行ってもらえるのだから、心配しなくていい」たぶん今村騎手は馬の力を信じて、ゴーサインを出す以外は余計なことを一切しなかったのがよかったのかもしれない。 笑
2026.06.02
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吉備津神社のイチョウ222昔と違って今はニュースも好きに選べる時代。見たくないニュースをどんどんスルーしていると、いつの間にかこんなもの↑ばかりが残ってくる。笑フランスのある醸造所が売り出したレモン風味のビールのラベルに思わず笑ってしまった。Lemon の前に John を持ってきて、似顔絵までつける。そりゃ、オノヨーコから警告を受けても仕方ないか。届いた通知の内容は、商品の販売中止か、ロイヤリティの支払いを要求するものだったという。これに対し、醸造所のオーナーは交渉の末、7月1日以降はこの商品名を使わないことを条件に、それまでの期間で残り5000本を販売する許可を得たという。面白いことに、このニュースが流れると、残りのビールがバカ売れしたそうだ。念のためにちょっと付け加えておくけど、レノンはLenon ではなく、Lennon が正しい綴りである。このnnを合体させてmにするところがミソで、簡単そうにみえてなかなか思いつかないアイデアではある。響きが似ているからといって、レノンからレモンを連想したことなど、少なくともわしに限って言えば、今までに一度もない。223なんだ、この地味ーペイジな石は。 笑たしかに表面だけを見ると、ファインミネラル市場では用無しかもしれない。けど、こいつを割って、切断面を研磨するとこうなる。おや、この鮮やかな群青色はひょっとして…そう、まさにこれは古代より「神聖な石」として崇められ、顔料としても重宝されてきたラピスラズリの色ではないか。だから、何なんだ。ラピスラズリって、供給量が多いこともあってか、今日では、さほど珍しい石でもないんじゃないかな。確かにそうなんだけど、この石はある定説を覆したがために、ニュースとなって私たちの目の前に現れたわけである。わしは2月に2回(産経新聞社と文化庁の記事)、そして、5月になってもう1回(産経新聞社の別の記事)、このニュースに遭遇した。それで、なんだかこの話を拡散すべしと宇宙から促されているような気がしてきて、今この記事を書いている次第である。では、この石が覆した定説とは何か。それは、つまり、ラピスラズリは日本では採れないという説である。ラピスラズリといえば、昔からアフガニスタンが主な産地と決まっていて、これまで日本国内での産出の記録はないとされてきた。なるほど。ということは、つまり、この石は国産ラピスラズリ第一号ってことですな。まあ、言ってみれば、単にそれだけのこと。 笑鉱物ファンの人は、ここからご自分でそのニュース記事に直行し、よりマニアックな知識を得てもらうとして、そうでない人のためには、次のようなオマケを用意した。この石がラピスラズリであることがいかにして判明したか、その経緯を述べたニュース記事の完全コピーである。 「このたび、新潟県糸魚川市内で拾われたラピスラズリは、2名の方が長年趣味として収集してきた、地元の岩石(主に翡翠)の中に含まれていました。両氏が亡くなられた後、それぞれが収集された岩石は、翡翠などを扱う小滝物産(代表:伊藤加奈子氏)がまとめて引き取りましたが、その中に青い石があったため、国立科学博物館において化学組成分析とX線解析を行ったところ、ラピスラズリであることが判明しました。」224競馬で「ケン」と言えば、お金を賭けずにただレースを観戦することを意味する。同じように、石の世界でも、石を買わずにただ眺めるだけというスタイルがあってもいいと思う。わしの石禁は今も継続中であるが、その間スマホのフォトライブラリやインスタなどに保存した石の数は半端ない。 笑その中から、今回は最も印象に残った石を一つあげてみた。これは3月頃にHappy Gift さんのオンラインショップに新着商品として上がったコーンウォール産のフローライト&ガレナである。たしか28万円くらいだったので、そんなに簡単には売れないだろうと思っていたが、一か月くらいであっさりと誰かさんのもとに嫁いで行っちゃった。やっぱ、このレベルの別嬪さんは、見つかったら最後、すぐ持っていかれるなあ。コーンウォールにしては透明感溢れすぎなフローライトの結晶と、青みがかった渋めのガレナが見事にマッチしていて、この産地のファンにとってはまさに垂涎級の絶品と言えるだろう。ところで、「コーンウォールってどこ?」という人もいるかと思うので、これからちょっとオマケの蘊蓄でも傾けてみよう。ザックリ言うと、イギリスの南西部に半島のように突き出た地方があるけど、あの辺がコーンウォール州と呼ばれているみたい。ケルト文化が濃厚に残る土地柄で、産業革命の時代には世界有数の鉱業地帯として栄えた場所だという。スズや銅を採掘した跡地群は「コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観」として世界遺産に登録されており、わしみたいな廃墟趣味の観光客の興味をかき立てているようだ。ケルト、鉱山、廃墟というだけでもワクワクものなのに、さらにさらに、コーンウォールにはもう一つ目玉がある。かつて井村君江がここに住み、水木しげるもここを訪れたということから推測できることは?え?ひょっとして妖精?ピンポーン!実はコーンウォールって、妖精伝承が色濃く残る地方でもあるのだ。一番有名なのはピクシーだと思われるが、鉱山と結びつくのはノッカー(knocker)かもしれない。これはウェールズ地方のコブラナイと同様、岩盤をコンコンと叩く音で人間に良質の鉱脈を教えてくれる妖精なんだそうな。そう言えば、日本にも似たような話がある。コレクターに人気の尾去沢鉱山では、山や谷を歩き回る美しい女(遣い姫)が若者に金山を見つける方法を教えたという伝説があるそうだ。うーむ、面白い!さて、こういう話をどう考えるか。ここから怒涛の妖精論を展開したいところだが、非力な老人ゆえ、そろそろエネルギーが尽きてきた。ということで、それはまた、気が向いたら別の機会に…
2026.05.17
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花の広場の入口付近には、動物を象(かたど)ったモザイカルチャーが3体(ウサギ、タヌキ、キツネ)置かれています。え、これ、トピアリーじゃないの?ええ、トピアリーって、樹木を剪定したり、刈り込んだりして造るじゃないですか。でも、これ(モザイカルチャー)はそうじゃないんです。どうやら、こいつは金属のフレームの中に土を詰め込み、そこにいろんな植物を植え込んで造る立体花壇みたいなものだそうです。ちなみに、上のウサギは斑入りのワイヤープランツを植えて造ったものなんだとか。どうでもいいけど、この写真、やけに不細工なフレーミングやね。ええ、だけど、仕方ないんです。スマホを替えてからというもの、遠景の写真はことごとくそのままのサイズではUPできなくなりました。こんなふうにトリミングしてなんとか凌いでいる次第です。他にいい方法があれば誰か教えてくれないかなあ。まあ、そんな自己言及的な話は置いといて、肝心な話をしましょう。さて、上の写真は何を狙ったものでしょうか。展望台?ブーです。本人的には、紫や臙脂色のパンジーと共存している勿忘草を撮っているつもりです。(言わなくてもわかるってか? 笑 )忘れな草か。英語でForget-me-not。いい名前ですね。クローズアップすると、こんな感じの可愛い花です。可愛いらしいと言えば、他の花たちもすべてそうなのかもしれませんが、最終的にどれを選ぶかというのは、まあ、好みというか、趣味の問題ですね。花の広場の広大な花壇には、他にも色とりどりのポピーや花菱草、フクロナデシコ(桜ナデシコ) 、チューリップ、ネモフィラ等が植えてありましたが、もう一つわしの気を引いたのはこの花です。マーガレットによく似たこの花はローダンセマムというキク科の多年草です。仏花で馴染みがあるせいか、キク科の花って素朴でいいなって思います。以前ノースポールを育ててみてわかったのですが、この手の花は手がかからず、しかも長持ちします。たぶんこのローダンセマムも「ほったらかし派」にはもってこいの花ではないかと思います。また、シルバーリーフと呼ばれる銀白色の葉も花と同様に鑑賞の対象になるみたいです。寄せ植えにも向いているんじゃないですかね。最後にオマケとしてこの花をあげておきます。庄原の円通寺という山寺の山門近くで見つけたオドリコソウです。久しぶりの再会になります。以前、帝釈始終で「日本一のコナラ」を見た時に出会って以来です。再度、名前の由来を言っておくと、花が輪生した様子が笠をかぶって踊る踊り子に似ていることから、ということです。また、「野に咲く天然のシャンデリア」と表現されることもあるそうです。なんとなく品があって、なおかつ華やかな、忘れがたい山野草です。
2026.05.05
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お花畑満開の季節になりましたね。わしのスマホも花の写真でいっぱい。今回は最近撮りためたものの中から、何枚か選りすぐってUPします。まずは、GW前に撮った我が家のツツジです。相変わらず元気ですねー。こっちは年々老化していってるのに、この子らは10年前とそんなに変わってないような気がします。どうなっとんじゃー。でも、1週間もすれば、雨に打たれ、風に吹かれて、花自体は少しずつ散っていきます。本当はそこでまたシャッターチャンスが訪れるのだろうけれど、いつもその機会を逃してしまう。枯凋衰滅もまた面白いのにねえ。「ああ、もっとエントロピーを!」ってか。 笑先週、Mさんと庄原の国営備北丘陵公園に行って来ました。みのりの里のネモフィラがお目当てだったのですが、開花状況はピークまでもう一息というところでした。まあ、でも、長閑な春の陽射しを浴びながら、どこか妖精チックなお花畑を散策していると、気分はすっかりあちら側、まさにヘヴンリーって感じでした。 笑それから、ところどころに白いネモフィラがアクセントのように混じっているのが印象的でした。向こうに見えるとんがり帽子みたいな木は、たぶんメタセコイアだと思います。これは花の広場の手前で見られるオオデマリの花です。アジサイに似た鞠状の花が密集して咲いています。もっとクローズアップの写真でもよかったのですが、びっしり感を見てもらうためにあえて引いた写真を持ってきました。それにアップの写真は2015年の「山野草の里再訪1」という記事の中で、一度上げているんですよね。ああ、山野草の里か、懐かしいなあ。ちなみに、当時85歳くらいだったご主人の田辺さんは数年前にお亡くなりになったそうな。ご冥福をお祈りします。
2026.05.05
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いつもの散歩コースに咲いていたツツジ。毎年、この時期にはそこで見かける花だ。けど、なんだか今年は印象が違う。初めて見るような気がするのは何故だろう。単なる気のせいだろうか。いや、確かにちょっと違う。もっと濃いオレンジ色だったような気がする。昔撮った写真と見比べてみようと思い、家に帰ってスマホのフォトライブラリをチェックしてみたが、このツツジの写真はどこにも見当たらなかった。すでに削除してしまったのかもしれない。あるいは、写真を撮ったという記憶自体が怪しいのかもしれない。いずれにせよ、今となっては確かめる術もなし。まあ、わしの記憶もツツジの花の色も移ろって劣化の一途を辿っているだけかもしれんな。それもエントロピー美学の一端だと思えば、風流ですらある。風流ついでに、この写真に音楽を被せてみようか。この手のツツジには何となくギターの音色が合うんだよね。例えば、ナルシソ・イエペスが10弦ギターで奏でるバッハの「プレリュード&ブーレ BWV 996」なんかどうだろう。いや、もうちょっと音密度が高いやつがいいかもね。じゃあ、村治佳織が1954年製のマルセロ・バルベロで奏でるアルベニスの「アストゥリアス」なんてどうだろう? 笑これも先日、散歩の折に撮った花。この時期の花壇ではよく見かける花だが、はたして名前がすぐさま出てくるだろうか。何となくポピーっぽいなと思った人は正解!英名はカリフォルニアポピー、和名は花菱草というらしい。「花菱」というのは、「四つの菱形を花弁のように配した、伝統的な模様や家紋のこと」。このポピーは花の形がその花菱紋様に似ているということのようだ。でも、この濃いオレンジ色を見ると、陽光燦々ってイメージなので、カリフォルニアポピーと呼んであげた方がいいような気がする。また、そうしたイメージどおりの花でもある。上の写真のように機嫌よく花が開いているのは日の光が当たっている時だけで、雨や曇りの日、あるいは夜間になると、この花は閉じてしまう。ウチの庭で言うと、原種チューリップ(クルシアナ系シンシア)がこういうお日様大好きタイプやね。 ヘリアンフォラ Charm よりティランジア・テクトラム Gardeners' World よりパキポディウム MAINE のShop-List より上にあげた三つの植物は、本来なら、食虫植物、エアプランツ、コーデックス(塊根植物)と、それぞれ違う種類に分類される植物である。それをあえて一つに括ってしまえば、ビザールプランツ(珍奇植物)ということになるだろうか。もっと平たく言うと、「変態植物」。そして、世の中にはそういう変態植物(とっても変な植物)ですらこよなく愛する人たちが、やはり当然の如く、相当数いるんだよねえ。 笑先日、そんな変態植物ラヴァーの生態を扱った短尺のYou Tube動画を、ひょんなことから覗いてしまった。タイトルは何のひねりもなく、そのものズバリ、『変態植物倶楽部』。 笑今どき、そんなニッチなコンテンツ、誰も見んわと思ったら大間違い。第1話の再生回数が26万回なので、そこそこは視聴されているドラマなのである。というか、植物ラヴァーって、やっぱり侮れないくらいそこらへんにフツーに棲息しているんだ、と改めて実感したってところかな。さて、今、ドラマって言ったけど、別にストーリー仕立てというわけではない。まるでミニ植物園みたいな部屋に寝起きして、植物に奉仕しながら生活している感じの副島(一ノ瀬ワタル)という男が、毎回、首都圏の植物専門店を訪れて、同類みたいな店主の話を聞く。その後、植物と謎のダイアローグを交わして、それを購入するというのが主な運びかな。第1話のロケ地は東京恵比寿にある食虫植物の専門店、Cherry Radish Plants さん。そこで店主による簡単な食虫植物講義を受けた後、副島は¥32,750のヘリアンフォラを買ってしまう。たまたま高級品を掴んでしまったか、それとも、高級品ばかりの店なのか、それはわからない。 笑第2話は東京浅草橋にあるティランジアの専門店、「ティランジアガーデン」さん。雑誌BRUTUS にも紹介されているその道の第一人者である店主が、独特なエアプランツ愛を披露する。ここで副島はティランジア・テクトラムを¥4,000でゲット。副島に限らず、大方の植物ファンが手に取ってみたくなるようなこの植物が、わずか¥4,000だなんて、安すぎないか?第3話は千葉県印西市にある多肉サボテン類の聖地、「グランカクタス」さん。副島は調子の悪そうな自宅のユーフォルビアをここに持ち込んで、店主に育て方のポイントを教えてもらう。ついでに、目に留まったパキポディウムを¥25,000で購入。第4話は、ショップではなく、近頃ビカクシダを育て始めたひょうろくという芸人のアパートを副島が訪問し、そこでお互いの変態ぶりを確認し合って喜ぶという、フツーの人からすると、ちょっと気色悪い展開。 笑この後、『変態植物倶楽部』は一ノ瀬が多忙という理由でとりあえず終了し、代わって「花畑」役で出演したひょうろくがこれを受け継ぐ形になる。わしは暇なので、この後、ひょうろくが兵庫県川西市にある「花宇宙」を訪れて、店主の西畠勲造さんと話したり、変態植物カップルの自宅を訪問する動画まで観てしまった。個人的な感想として言うと、変態植物系キャラとしては、ひょうろくの方が一ノ瀬より向いてるかもしれない。ただ、10分くらいの動画なので、コアな植物ファンにはちょっと物足りないかも。
2026.04.16
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トキワマンサクえぇっと、今日は何の話をするんだっけ?忘れた。 笑実は、もう、ブログなんてとっくにどうでもよくなってるんだけど。じゃあ、さっさとやめればいいじゃん。まあ、そりゃそうなんだけど、なんか、斜め上の方からわしを観察している存在が、まだやめちゃいかんって言いよるし、そう簡単にやめるわけにもいかんのじゃ。ふーん、何かよくわかんないけど、とりあえず、話の取っかかりがいるみたいやね。そうかもしれん。じゃあ、お聞きします、おじいちゃん、今日の昼は何食べた?えっと、今日は、自分で作るのが面倒だったんで、コンビニでおにぎり2個とカップ入りの惣菜を買って来て、それで済ませた。たまにそんなふうに軽めの食事になってしまうことってあるよな。ヘンリー8世やバルザックみたいな大食漢、あるいはルイ14世やロッシーニみたいな美食家であれば、毎食が全力投球かもしれないけど、そんな人間ばかりだと、世の中の食材はとうの昔に底をついているって。 笑つましい食事で満足する一般庶民がいるからバランスが取れているのとちゃう?中にはニュートンやキュリー夫人やアインシュタインみたいに、食にほとんど興味がないような人たちだっているしね。えっ?会ったこともないのになんでそんなことがわかるのかってか?換言すると、その情報、どこで手に入れたかってことやな。じゃあ、説明しよう。Facebookのリール動画にReal Meals シリーズっていうのがあるんだけど、知ってる?そっくりさんを使って、過去の偉人が何を食べていたかを再現してくれてるやつ。あれを見ると、上に挙げたような有名な科学者が、いかに質素なものを食っていたかってことがわかるよ。どうやら食に時間を割くこと自体がもったいないと考えていたみたい。まあ、それでも、彼らはまだその気になれば美味いものだって食えたはずだし、時には滋養食だって口にしただろう。けど、生活苦のため、それすらままならないような人が、偉人と呼ばれる人たちの中にも紛れている。例えば、Vicent Van Gogh (ゴッホ)。この人の食卓は本当に侘しすぎる。動画は最晩年の1888-1889年頃を再現している。Dawn : Plain bread Black coffee Empty plateMidday : Plain bread Black coffeeNight : Absinthe glass Bread pieceもうこの頃には、ジャガイモ料理とかオニオンスープのような粗食すら食卓に上らない。夜明けと昼は、パンを齧りながらコーヒーを啜るだけ。夜になると、ちぎったパンをアブサンで流し込むだけ。 そのわずかな燃料だけで、絵に対する情熱の炎を燃やし続けたところが凄い。とは言え、このシリーズの短尺動画の中で、個人的に一番気に入っているのがゴッホというわけではない。それを挙げるとすれば、やはり、Leonardo da Vinci (ダ・ヴィンチ) ということになるかな。(1518年、France )とあることから、こちらも最晩年ということになるが、さっそくそのメニューを覗いてみよう。Morning : Bread olive oil Vegetable soup Wine Midday : Chickpea (ひよこ豆)stew bowl Dressed greens Fresh fruit Night : Roasted chestnuts (焼き栗) Walnut (クルミ) pieces Wine 率直に言って、今のわしには、これが一番美味そうに見えた。ベジタリアンということで言えば、ガンジーの動画もあるが、そちらはあまり食べたいとは思わなかった。ダ・ヴィンチの食卓の方が何故だか食欲をそそるんだよね。食器や場の雰囲気、食べ方などが影響しているのだろうか。それとも、豆類やナッツ類のせいだろうか。これ、わしの好物なんだよね。子供の頃から好きだった。たぶん、その人の食の好みって、子供時代に食べたものである程度決まってしまうんじゃないかな。わしは別にベジタリアンではないけど、ベジタリアンの食卓にはものすごく惹かれてしまう。これも子供時代の食生活の名残りが影響しているのかもしれない。昔は冷蔵庫もなかったし、肉なんてめったに食べることがなかったような記憶しかないんだけど…それに、肉をうまいと思って食べた記憶もない。老年になって、豆類や野菜や果物が恋しくなってきたのには、健康志向という理由以外の要因も関与しているのかもしれない。歳を重ねるにつれ、徐々に原点回帰というか、味覚が子供時代に戻っていくみたいな。そう言えば、近頃は、ゴリラが野菜や果物を食べる動画を見ても、郷愁を感じるんだよね。G town Gorilla ってやつだけど。本当に美味そうに食べるので、ついつい見惚れてしまう。肉食獣の人もこれを見ると、きっと野菜を食べたくなるのではないかと思う。そして体型とか歯の造りなどから、自分がライオンよりはゴリラの方によく似ていることを思い出すのではないかと思う。 笑
2026.04.05
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ハナキリン今、韓国では「テキスト・ヒップ」なるものが流行っているらしい。なんでも、文章を読むことがカッコいいというトレンドのようで、若者たちはSNSで文学書や好きなフレーズを投稿することに熱中しているという。そういう風潮の社会であれば、上にあげた本などもちょっとしたファッションアイテムとして取り沙汰されたりするかもしれない。この表紙の絵なんか、人の目に触れる所に置いておけば、そこそこ興味の的にはなるのではないだろうか。ノーパンにシースルーな女性が人気(ひとけ)のない浜辺を裸足で彷徨っているように見えるが、彼女、一体どうしたんだろう。空にはカモメが飛んでいる。ブックカバーのそでの部分にはタイプライターの絵が描いてあり、その上の方にこんな宣伝文が印刷してある。「地上から人が消え、最後の一人として生き残ったケイト。彼女はアメリカのとある海辺の家で暮らしながら、終末世界での日常生活のこと、日々考えたとりとめのないこと、家族と暮らした過去のこと、生存者を探しながら放置された自動車を乗り継いで世界中の美術館を旅して訪ねたこと、ギリシアを訪ねて神話世界に思いを巡らせたことなどを、タイプライターで書き続ける。彼女はほぼずっと孤独だった。そして時々、道に伝言を残していた…… ジョイスやベケットの系譜に連なる革新的作家デイヴィッド・マークソンの代表作にして、読む人の心を動揺させ、唯一無二のきらめきを放つ、息をのむほど知的で美しい〈アメリカ実験小説の最高到達点〉。」なんかちょっと風変わりな感じの小説っぽいな。設定的にはポスト・アポカリプスSFみたいな印象を持つ人もいるかもしれないが、決してSFではない。とあるブックレヴューで「ベケットとウィトゲンシュタインの『論哲』が衝突事故を起こしたような小説」と評していた人がいたが、むしろそっちの方が近いような気がする。でも、決して身構えるほど難解というわけではない。とは言え、そこは実験小説と銘打っているだけあって、語り手の語りそのものが癖ありすぎ〜って感じ。まあ、そこが面白いところでもあるんだけど、そのへんのことは他の人が色々と説明してくれているので、興味のある人はそちらを覗いてみてほしい。個人的には芸人の矢部太郎がラジオのインタビューで語っているやつと、Hatena Blog の「logical cypher scape2」という方の記事がわかりやすくてオススメ。そんでもって、この記事の方は別のアングルからアプローチしてみようかと思っている。なにせ、この小説、ツッコミどころ満載で、どこにフォーカスするか迷いまくってしまうほどなのでR。でも、この小説の最大の特徴を一言でまとめてしまうと、やはり「芸術トリビア小説」ということになるのではないだろうか。別にそんなカテゴリーがあるわけではないが、もしそれに該当する小説があるとすれば、この小説がその代表格と言えるかもしれない。まあ、それくらい、芸術(哲学・思想も含む)関連のトリビアで溢れかえっている。何故そうなのかと言えば、語り手のケイト自身が画家である上に、もともと有名人が好きなディレッタント気質という設定になっているからと言うしかない。もっと言うと、作者であるマークソン自身がそういうタイプの人だからというのが正解かもしれない。ああ、もうそんな余計なこと言ってる場合じゃない!早いとこ、紹介しなはれ、どうせ、そんな流れでっしゃろ。 笑そう、そう。その山ほどあるトリビアの中から、今回は絞りに絞ったネタを二つほど紹介しようと思っていたところ。まず一つ目は、何度も出てくるブラームス関連のエピソードから。「ブラームスが何度もキャンディーを与えていた子供の一人はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインだった可能性が高いという話をするのは、ひょっとするとこれが初めてだったかもしれない。しかしながら、誓って言うが、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが幼かった頃に、ブラームスがウィーンのウィトゲンシュタイン家を頻繁に訪れていた。だから、ブラームスが子供のいる家庭を訪れるときにはいつも、子供に与えるためにポケットにキャンディーを忍ばせていたことが知られているというのが事実なら、彼がキャンディーを与えていた子供の一人がルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインだった可能性が高いことは間違いない。」聞くところによると、ブラームスに限らず、当時の芸術家の多くがパトロンであるウィトゲンシュタイン家を訪れていたという。つまり、ウィトゲンシュタインって、大富豪の家のボンボンだったという話。でも、この人、奇人としても飛び抜けているだけあって、その遺産をすべて放棄したり、哲学をやめて修道院に篭ってみたり、小学校の先生になって子供用の辞書を作ってみたり、ちょっと凡人には真似のできない一生を送っているみたい。どうやらそういう生き様に惹かれる人も多いようだ。この本にはウィトゲンシュタインが鳥好きで、カモメを飼っていたというエピソードも出てくるが、諸隈さんというウィトゲンシュタインオタクの方がXのツイートでその話は誤りだと指摘しておられた。まあ、どうでもいい話だけど、さすがオタクだけあって、よく調べたなって感じ。 笑では、このへんで、二番目のトリビアに移ろう。今度は候補が目白押しの美術界から、他の有名どころをすべて差し置いて、独断的にピエロ・ディ・コジモとウィリアム・ターナーをピックアップする。「ただし、繰り返しになるが、ピエロ・デラ・フランチェスカをピエロ・ディ・コジモと混同してはならない、後者は雷が鳴るとテーブルの下に隠れた人物だ。実は、もう一人のピエロは誰にも仕事中の姿を見せたがらないという点で、ターナーよりもひどい恐怖症を持っていた。そしてしばしば、食事の心配をしなくてもいいよう、画材に使う糊を作るのと同じ鍋で、一度に五十個のゆで卵を作った。」このエピソードは澁澤龍彦が『幻想の肖像』という本の中で紹介している内容とほぼ同じなので、マークソンも澁澤と同様、ヴァザーリの『美術家伝』を種本にしているものと思われる。芸術家の中には、仕事に没頭するあまり、食事や身の回りのことに無頓着な人が多いが、ミケランジェロやピエロ・ディ・コジモはその最たる者で、前者は生涯一度も風呂に入らなかったというし、後者は「室内を決して掃除せず」、「死後になって初めて、この画家が人間よりも動物に近い生活をしていたことが分かった。」という話である。ターナーは彼らほど不潔ではなかったが、それでも、コジモと同様、「誰にも仕事中の姿を見せないという恐怖症のような奇癖があった。」そうである。もともと変人で、秘密主義的なところがあったようだが、仕事場を見せたがらない最大の理由は、自らの実験的、独創的な技法を模倣されたり、批判されたりするのを避けるためだったと言われている。えっ?ターナーってそんなテクニックの持ち主だったの?実はそうだったみたいやね。ターナーと言えば、漱石の『坊ちゃん』の中でも言及されているように、昔から名前は広く知られている方だと思われるが、絵画史的にその偉大さを知る人は案外少ないのではないか。そこで、最後にちょこっと啓蒙ぶりっこさせてちょうだい。 笑これは「ノラム城、日の出」(1835年〜1840年頃) というターナーの晩年の作品である。朝靄に煙る水辺の景色を描いたものだが、太陽も城も動物も輪郭がぼやけ、すべてが淡い光の中に溶け合って和んでいるようなこのゆるゆるの空気感… ソリッドな形状ではなく、見た目の雰囲気(印象)をそのまま表現しようという意欲が漲っている。印象派より30年も早くこの境地に達しているのは驚くべきことではなかろうか。もっと言うと、印象派を突き抜けて、抽象画の世界にたどり着いてさえいるような感じ。よく言われるように、ロマン主義から印象派を経て抽象画に至るまでの絵画史100年の歴史をひとりで駆け抜けた天才なのかもしれない。
2026.03.24
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カネノナルキ 2025年撮影219ジャクソン・ポロック 「秋のリズム」ゲルハルト・リヒター 「にんじん」上の二つの画像はいずれもFB(フェイスブック)に投稿されていたものである。近頃、この手の写真をよく見かける。つまり、壁に展示された絵画の前に佇む女性の写真を、ということである。注目すべきはそのファッション。どういうわけか、それらは彼女らが眺めている絵の色調とシンクロしているように見える。これが流行りなのだろうか。特にリヒターの絵の前に立つ女性は露骨だ。このワイドパンツは最初からこの絵の前で撮影することを前提にしているとしか思えない。 おまけに、ポニーテールが左側に靡いているように見えるのだけど、これも演出だろうか。 あるいは、この画像自体がそもそもフェイクだったりして。 笑 220これはこの前ほたみねさんのツーソンシリーズ第3弾で登場した中国産ロードクロサイトの標本で、通称「鮭おにぎり」という石である。いやあ、それにしても、この擬態はあまりにもリアルすぎないか? こんなのがキッチンのテーブルに置いてあったら、幼児が間違ってかぶりついて、前歯折ってしまうで。 笑しかし、ようこんなのを見つけてきたなあ。さすがほたみねさん。いつも思うのだが、この店主、こうした変わり種やいわゆる「可愛い」系の石を探すことにかけては天下一品かもしれない。それ一辺倒というわけではないが、どちらかと言えば、サムネイル〜ミニチュアくらいの小さめのサイズに的を絞り、顧客のハートを射抜くような石を次から次へと繰り出してくる。ただ、新着商品のライブ配信では、「可愛い」を連発するものの、ご本人の趣味は意外と渋めだったりするのかもしれない。でも、そこは商売人。顧客の好みを知悉した上で、出来うる限り多彩な品揃えを心がけながら、最終的には「可愛い」に収束させていくその手際の良さは見事である。渋めの石だって、この人の中では「しぶかわ(渋くてかわいい)」なのかもしれない。 笑仮にその可愛さをうまく説明できなくても大丈夫。「これ、刺さる人にはめっちゃ刺さる石だと思います」(ほたみね店主の常套句の一つ)これ、けだし万能のフレーズである。 笑221うーむ。これは久しぶりのアムネシア物件やな。はて、アムネシア物件とは?例えば、今、道端に自転車の残骸が転がっているとしよう。ふつうの人であれば、ハンドルやら車輪やらサドルを見て、それが自転車であることをすぐに認識するだろう。ところが、急性のアムネシア(記憶喪失)を発症した人には、それが何なのかさっぱりわからない。このように、アムネシアの人によって見られている時の物体が放射している半端ない正体不明感と同じような感じをこちら(健常者)に抱かせるような物体を「アムネシア物件」という。まあ、わしが勝手にそう言っているだけの話だが。 笑さて、上の物体だが、これはウチの庭に植えてある枝垂れ梅の根元付近に付着していたものである。何だろうと思って、つま先でちょっと突っついてみたところ、幹からぽろっと離れてしまった。形状的にはキノコっぽいのだが、触ってみると、石のように硬い。サルノコシカケの仲間だろうか。昔、こいつのデッカいやつが他の幹に生えていたのを思い出した。たぶん、お仲間に違いない。それにしても、こうやって写真に撮ると、これも一丁前のオブジェみたいな風情を纏う。わけのわからない形状もさることながら、汚れとかひび割れとかうっすらとへばりついた地衣類の色とかが通り過ぎた年月を物語るようで、それなりの趣きを感じさせる。こういうのに魅せられる感じって何だろうな。一言でいうと、やっぱり「渋い」って感覚かなあ。「渋い」っていう美意識が働いているのかなあ。いや、ちょっと違うような気もする。もっと原初的、根源的な感覚につながっているような気がする。ひょっとして、こいつが化石っぽく見えるからだろうか。
2026.03.11
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217一口に石好きと言っても、まさに十人十色。上にあげた本の著者である「石の人」さんなどはぶらっと海辺に出かけて行って、自分が気に入った石を拾い集めるタイプの人。こういう人が巷にはけっこういらっしゃるという話である。まずもって、潮風なんぞに吹かれながら、自由気ままに海辺を散策するっていうのがいいよね。自然に浸りながら思いっきりリフレッシュ感満喫!あたりには市場価値ゼロの石がほぼ無尽蔵に転がってまっせ。その中から、自分の感性にフィットする何かいい感じの石を黙々と探す。黙々と言ったって、気張った感じは微塵もない。寡黙ながらも、あくまで脱力モードはしっかりキープしている。で、集めた石はどうする?「石の人」さんは20〜30個くらい拾ったら、それらを砂浜に並べて吟味し、厳選した数個の石だけを残して後は捨てるそうだ。持ち帰った石は各人のやり方で愛でるといい。終日眺め暮らすもよし。握り石としてストレス解消や瞑想に活用するもよし。時には見立て遊びをしたり、いろんな並べ方を試しながら写真撮影をしてみるもよし。飽きたら、また自然に戻してやればいい。あるいは、「石の人」さんみたいにエリート中のエリートみたいな石を集めて小図鑑を編んでみるのも一興かと思う。そうすれば、わしみたいな物好きがその本を買ってくれて、「この石、ええなあ」と言いつつひとときの多幸感に浸ってくれるかもしれない。つまり、他人の幸せに一役買うってことにもなったりするのである。たかが海辺で拾った石ころと侮ることなかれ。実際のところ、これがけっこう素朴ながら味わい深かったりするのだ。せっかくなので、『海辺の石』に載せてある数多くの石の中から、特別に2個だけピックアップしてみよう。これは 「chapter 01 石の小図鑑」の中に入れてある石で、わしのような青灰色に惹かれるタイプの石好きにはたまらん一品である。罅のように走る濃い青色の脈もなかなかアーティスティックでクール。分類すれば、これはチャートなんだそうな。チャートというのは「石英質の殻をもつプランクトン(放散虫)や海綿骨片が海底に堆積してできた堆積岩の一種」で、「二酸化ケイ素が90%以上含まれているため非常に硬い」のが特徴らしい。こんなふうに、地質学的な説明も簡潔に添えてあるので、ちょっと石の知識が欲しい人にも親切なつくりの本になっている。「chapter 02 石の見立て」は海岸で拾ってきた石を森羅万象の何かになぞらえるという体裁になっている。「サバ」「ゴマフアザラシ」「チョコレートクッキー」「木星」など、誰が見てもすぐわかる見立てもあれば、見立てた著者独自のセンスが全面に出たものまでいろいろあって楽しめる。上にあげた「霧が立ち込めた静かな湖」というのは後者の例だが、言われてみるとなるほどと思う。見立てもさることながら、なんといっても、石自体が渋すぎる。 笑218これは同じ石を異なるアングルで撮ったものだ。これが何なのかはよくわからないが、どうやら長い間我が家の庭に潜んでいたように思われる。そう、庭の片隅で、雑草に覆われながら、おそらく15年近い年月をひっそりとやり過ごしてきたのではあるまいか。この石に気づいたのは、たしか去年の秋口だったと思う。何か妙な感じの石だなあと思い、持ち上げてみると、ずっしりと重かった。そして、底面は研磨されたかのようにツルンツルンだった。ひょとして、これ、鑑賞用の石じゃなかろうか。いわゆる水石ってやつ。横から見ると連なった山のように見えるし、そう言えば、昔、家の中にこんな石が飾ってあったような記憶がある。気になったので妹に訊いてみたところ、これは父が誰かにもらった石で、父の死後、妹が庭に置いたのだそうだ。そうか。宇宙から飛んで来たわけじゃないんだ。 笑水石の世界には「養石」という概念があって、石を「外に置いて雨ざらしにしたり、日に当てたりして風化させ、石の表面に味わいが出るのを待つ」のだという。我が家の石も庭に放り出されることで、期せずして、時代をつけてもらったわけだ。そう思って見ると、なんだかずいぶん古びた感じがしないでもない。おまけに質感がなんとなく※珪化木のような趣きを呈してもいる。それとも、もともと珪化木の水石だったのだろうか。門外漢なので、そのへんの見分けは全くつかない。まあ、でも、見分けがついたからといって、どうなるというわけでもない。問題はそういうことではない。要するに、長い間外に放置し、すっかり庭の景色に馴染んでしまったこの石を今さら家の中に入れるというのもどうだろうか、という話である。この石自体がそれを望んでいないような気がする。おそらく宮沢賢治の「楢ノ木大学士の野宿」に出てくる石のように、「この小屋の中に居たって外に居たってたかが二千年も経って見れば粘土か砂のつぶになる」というようなことをボソボソと呟いているような気がする。そういうわけで、他の不思議な石と共に、この石も玄関脇にさりげなく置いてあげることにした。※ 珪化木(けいかぼく)とは、地層に埋もれた樹木にケイ酸成分を含む地下水がしみ込み、年輪や細胞構造を保ったまま二酸化ケイ素(石英やメノウ)に置き換わった「木の化石」のことです。
2026.03.01
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これはスペインのアラニア(アラーニャ)洞窟の壁画を模写した絵である。実物はかなり劣化が激しく、写真では判別しづらいという。よって、ネット上で流通しているのは壁画を忠実に模写したこの手の絵ばかりだと思われる。専門家の見解によると、この絵は片手に籠のような入れ物を持った女性が蜂の巣に手を伸ばして蜜を採ろうとしている姿を描いたものらしい。彼女のまわりで飛んでいる生き物を蜂と考えると、そういうふうにしか見えないよね。ただ、蜂の巣がある場所に関しては見方が分かれるかもしれない。上下に伸びた3本の線を木の幹と考えると、当然この女性は樹上にある巣の位置まで登っていることになる。一方で、この縦の線を崖の上から垂らした蔓植物と見れば、彼女はそれを伝って巣がある岩壁の穴の位置まで降りてきていることになる。いずれにしても、この女性はかなりの危険に身をさらしていることになるのではないか。足元の安全はどうやって確保しているのだろうか。それに複数の蜂に刺されたりしたらどうするんだろう。大丈夫、大丈夫。新石器時代の人間は現代人とは比べものにならないくらいの身体能力(バランス感覚)を有していたってか?それに、当時の人間は女王蜂の羽音と瓜二つの音声を口唇と喉を使って発する術もマスターしていたので、働き蜂たちはこの女性を巨大な女王様と勘違いし、決して攻撃してくることはなかったってか?まあ、一万年ほど前のことなので、実際のところは誰にもわからない。が、少なくともこの絵を見ると、そんな大昔から人間が蜂蜜を採集していたということ自体は確かなことに思えてくる。では、この貴重な壁画のことをわしはどうやって知ったのか。ラスコーやアルタミラなら知っていたが、アラニアなんて今まで知る機会がなかった。先日、『秘密のおこない』という蜂飼耳のエッセイ集を読むまでは。この本の中には、「絵画十選『虫と人間』」と題されたエッセイが収めてあり、その一発目が「蜜蜂の壁画(アラニア洞窟)」に関する文章になっている。それにしても、これを書いている人が蜂飼という名前だなんて、なんか面白いなあ。鵜飼とか犬飼という苗字の人がそれぞれ鵜や犬を飼っていたように、蜂飼姓の人の遠い祖先は蜂を飼っていたのだろうか。そんなことを思いつつ、蜂飼耳の名前のことを調べてみたところ、これは本名ではなく、ペンネームとあった。本名は非公開らしい。お勤めの大学でも、蜂飼耳で通しているそうだ。知人ですら彼女の本名は知らないという。みんながその本名を知らないのであれば、逆に「蜂飼耳」という名前が本名みたいなものではないか。笑というより、本当は「蜂飼耳」こそが彼女の本名なのに、あえてそれをペンネームと偽っていたりして。あ、これ、冗談だからね、真に受けないでね。あるいはまた、本名に「蜂」がつく人なのかもしれないぞ。蜂谷とか、蜂須賀とか、養蜂とか。なので、ペンネームにも「蜂」という字を入れてみたくなったのかもしれない。少なくとも、この人、蜂に対して少なからぬ愛着を感じているのではないか。というのも、数少ない短編小説の中でも、彼女は蜂を飼う女性を登場させたりしているのだから。『紅水晶』という短編集の中に、「六角形」という短編が収めてある。これは「姉妹の距離感を、蜜蜂に照らして描いた」作品で、「六角形」というタイトルは蜂の巣のハニカム構造のことを表すと同時に、不思議ちゃんの姉がせっせと築いているマイワールドのメタファーにもなっているような気がする。まあ、それはさておき、この小説の冒頭の部分で、お隣さんである峰子という老婆が自宅の庭で蜂を飼っていることが紹介される。この女性自体は話が始まるや否や老人ホーム送りとなり、すぐに姿を消してしまうので、大方の読者にとっては影の薄い登場人物かもしれない。せいぜい、今流行りの週末養蜂を趣味にしている物好きな婆さんか、みたいな印象ではなかろうか。しかし、わしはこの蜂を飼う婆さんにビビビときた。ここで、もうひとりの蜂飼い婆さんのことをふと思い出したのだ。リチャード・ブローティガンの『芝生の復讐』という短編集の中に、「サン・フランシスコの天気」という掌編が収めてある。3ページほどの短い話だが、わしの中では完璧と言えるほどイカした話だ。まずは、その書き出しの部分でも読んでもらおうか。ある曇った午後、イタリア人の肉屋はひどく歳をとった女性に一ポンドの肉を売った。だが、老婆が一ポンドもの肉をなにに使うのか?それほど多量の肉を使うには、彼女は歳をとりすぎていた。もしかしたら、蜂の巣箱に入れるのかもしれない。家ではからだに蜜をいっぱいためこんだ五〇〇匹の黄金の蜂たちがその肉を待ちわびていたのかもしれない。「もしかしたら」とわざわざ断りながら、この後、ブローティガン特有の妄想が炸裂する。肉屋との珍妙なやり取りの末、一ポンドのレバーを手に入れた老婆は、それを持ってよろよろと坂の上にある自宅まで戻り、奥にある部屋へ歩をはこぶ。そして、締めはこうだ。部屋には、ところかまわず、隙間もないほど多くの蜂がいた。椅子の上に蜂。死んだ両親の写真の上にも蜂。カーテンの上にも蜂。かつて一九三〇年代に耳をかたむけていた古いラジオの上にも蜂。櫛やヘアブラシの上にも蜂。蜂たちは彼女に寄ってきていとしげにとりかこむ。彼女はレバーの包みをあける。そして曇った銀の皿にそれを置いたとたん、皿はたちまち晴れの日に変った。やるなあ、婆さん。どうせ飼うなら、このくらいのスケールの放し飼いがいいね。ほとんどペットだよね、これ。 笑ただ、肉を餌としてあげているということは、この蜂たちはペットには不向きな感じのアシナガバチとかスズメバチの類いということになるのだろうか。でも、おかしいな。「からだに蜜をいっぱいためこんだ黄金の蜂たち」というフレーズからはミツバチをイメージしたいところだが…まあ、そのへんはブローティガンにきいてみないとわからないが、彼はとっくの昔に死んでいるので、どうにも気になって仕方がないという人は訳者の藤本和子に尋ねてほしい。 笑とりあえず、ここでは肉も食べる新種のミツバチということにでもしておこうか。 笑いずれにせよ、蜂さんたちのうるさいまでの羽音を耳にしながら、ひとり恍惚の笑みを浮かべている老婆の顔だけはありありと思い浮かぶ。
2026.02.14
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キンカンの実 2026トモエくんを顕微鏡の前に座らせる。ミジンコを見せる。マスカラをつけない睫毛が、音を立てずに打ち合わさる。ぼんやりと透きとおる体は、心臓も腸も卵巣もさらす。花のかたちをした眼に、人のすがたは映らない。ミジンコたちは、内部の仕組みを見せるつもりなどない。結果として、人に見られているだけだ。スケルトンの時計の部品のように慎ましく、麗しい。透明な時間を紡ぎながら殖えていくものたち。トモエくんは感心しているようだった。( 蜂飼耳 「崖のにおい」より )Wikipedia よりトモエくんは顕微鏡で見ているけど、ミジンコって、大きいのになると2ミリくらいあり、肉眼でも見える。主に田んぼや池のような流れのない淡水に生息する微生物で、ウチの睡蓮鉢の中でもうじゃうじゃ泳いでいる。こうして拡大してみると、ヒヨコっぽくて可愛いらしく見えるが、分類上はエビやカニと同じ甲殻類なんだそうな。まあ、でも、そんなこと全部、人間サイドの関心事であって、ミジンコ自身には全く関わりのないこと。そもそも、彼らは人間に見られていることすら気づいてないだろう。同じように、わたしたち人間も、人間以外の何かに観察されていることに気づいていないのかもしれない。そう考えた場合、人間を観察するその何かってやつは、やはり高次元の存在ということになるのだろうか。だとすれば、わたしたちは心の中まで透け透け状態で見られているのかもしれない。しかも、彼らはそれ(私たちの心の中)を瞬時に図像変換して楽しんでいる可能性もある。たとえば、ある建築家が頭の中で幾何学的思考を巡らしているとしよう。それが彼らにはこんなふうに見えたりする。放散虫 Wikipedia より葉緑素をもつ植物プランクトンは日光を利用して、海水中の単純な無機物質から複雑な有機分子をつくる。動物プランクトンがそれを食べる。彼らの小さな体は炭酸カルシウムや二酸化珪素の殻に包まれていて、その殻は実にさまざまな奇怪で絶妙な形をしている。何本もの尖ったトゲをつけているもの、雪の結晶のようなもの、正確な正何十面体をしたもの、ビルマの仏塔に似たもの、中世の城壁崩しに使われた鋭い錐みたいなものを一方に突き出したもの、釣鐘状のもの、無意味としか言いようのない装飾をまとったもの。とくに放散虫類のオパールの精密に放射状の殻は、この地球上で最も美しい形のひとつだ。オパールは二酸化珪素が宝石状になったもので、砂や石英の主成分である。つまり放散虫は生きている水晶、比類ない美的センスをそなえて水中を浮かび漂う砂の微粒である。彼らは川から流れこむ二酸化珪素を使って精妙極まるガラス細工状の体をつくり、短命な生涯を終えると静かに海底に降り沈んで堆積岩の材料になる。土中の微小生物たちは岩石の細片と共存しているだけだが、海水中のプランクトン類はより自由に無機物との境界を往き来している。なるほど、私はもうあと十年ぐらいしか生きないつもりだが、今度生まれてくるなら、放散虫になりたいね。この宇宙で恐らく最も美しい姿。透きとおって、静かに冷たくきらめいて。放散虫以上に生命は進化すべきではなかったのかもしれない。あるいは究極まで進化した知的生命体、超意識存在は、きっと放散虫の形をとるにちがいないと思ってるよ。( 日野啓三 「放散虫は深夜のレールの上を漂う」より )というわけで、私たちを観察しているかもしれない存在というのは、別に高次元存在である必要はないのかもしれない。放散虫のような形をした超意識存在が私たちと同じ次元に存在しながら、密かに私たちを観察していると考えてみるのも大ドンデン返しっぽくて面白いかもしれない。 笑
2026.02.01
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マサキの実 2026215近頃、FBでキーファーの作品がよくUPされる。その中から一つ、特に印象的なものを選んでみた。タイトルは A.E.I.O.U. というらしい。どうやら、ドイツ語のある文章に使われている五つの単語の頭文字を並べているようだ。その文章とはハプスブルク家のモットーである「オーストリアが全世界を支配する」というものらしい。かつてヨーロッパで権勢を誇ったそのハプスブルク家も歴史の表舞台から姿を消して久しい。この作品から読み取れるテーマがあるとすれば、「歴史の記憶、権力の興亡、そして知識の集積と崩壊」といったところではないだろうか。この作品は荒廃した大地の上に置いてこそサマになるような気がする。本棚に並べられた60冊の鉛の本はいかにも凄まじい戦火に晒されたという趣きである。その本のあちこちからモロッコあたりで生えていそうなトゲのある枯れ枝(アカシアの類か?)がはみ出してきている。これはおそらく忘却の象徴。気の遠くなるような時が経過しているのかもしれない。今、世界中の大都市にある図書館もいずれはアレクサンドリアの図書館と同じ道を辿るのではないだろうか。ふとそんな思いが脳裏をよぎる。メメント・モリという言葉があるが、キーファーの作品はさしずめメメント・エントロピーといったところか。その圧倒的なまでに廃(すた)れ燻(くす)んだ色合いはエントロピーを忘れないために、つまり、この3次元がエントロピーの世界であることを忘れないために、折に触れて目にする必要があるのかもしれない。やがてそのうち、それを見慣れた人の中から、エントロピー美学に目覚める人も出てくるだろう。 笑216この石はわしの所有物ではない。Happy Gift さんのショップサイトでこれを見つけた時にはすでに売れていた。自分にとってどんなにタイプの石であっても、縁がなければ手に入れることはできない。そんな当たり前のことを痛切に思い知らされた物品である。何故この石にそれほどまでに惹かれるのか。これが人気の(ナミビア)オコルス産フローライトだからか?いや、それはあまり関係ない。たとえこれがドイツ産とか中国産であっても、それはどうでもいいこと。それにオコルス産といっても、ピンからキリまであるしね。じゃあ、結晶の形とか、標本としての全体的なバランスとかがいいのか?まあ、それもあるけど、一番はやっぱり色合いだね。グリーンとブルーとパープルが夢見心地に混じり合っている。まるでカラーレスのフローライトにセザンヌが水彩で色づけしたみたいな感じだ。トドメはブルーのゾーニングかな。これはちょっと珍しい。これは CRYSTAL STAGE さんが2023年にXにおいて出品された標本である。産地はコロラド州スウィートホーム鉱山。ロードクロサイトとフローライトとクォーツの共生鉱物で、なかなかお目にかかれない逸品である。現在、わしは石禁中の身なのだが、それでも、もしこのタイプがどこかのショップで出品されたりしたら、即飛びつくと思う。まあ、憧れの石ってところかな。でも、たぶん、そう簡単には手に入らないだろう。まず、第一に、このタイプを狙っているコレクターがあまりにも多いということ。きっと、わしが見つける前に他の誰かの手に渡るだろう。もし速攻で売れないとすれば、それは誰もがおいそれとは手を出せない価格だということ。実際、ロドクロの標本で100万超えなんてザラに見かけるし…たとえサムネイルサイズのものだとしても、上にあげたスウィートホーム産みたいな石は相当な値段がつくはず。所詮これは憧れるだけの高嶺の花なのかもしれない。では、この石のどこがいいのか?そう問われたら、やはり、取り合わせの妙と色合いだと答えたい。ロドクロと言えば、南アフリカ産の鮮やかな赤が思い浮かぶが、コロラド産はご覧のとおり、淡いチェリーレッドというか、ほぼピンクに近い色をしていて、なんだかゼリーのようにみずみずしい。さらにフローライトがアイスブルーやアイスパープルの透明感溢れる色合いのところに持ってきて、氷柱のようなクォーツが絡みまくり、涼しげなこと極まりないって感じ。要するに、こんな石はスウィートホーム産以外にはないのだが、残念ながら、この鉱山も2024年9月に2度目の閉山が発表された。ますますもって、この貴重な石はわしから遠ざかっていく…
2026.01.20
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213男はその日、あるスーパーで日用雑貨品を3点ほど買った。その後、コンビニで昼飯用の弁当と惣菜を買い、レジで支払いを済ませた時、ふと気づいた。あれ?926円って、さっきのスーパーの時とピッタシ同じでねえか?たまたまポケットの中にレシートが残っていたので、チェックしてみると、そこにはやはり926という数字が並んでいた。まあ、でも、たまにはそんなこともあるよな。男の家は長い坂道を登り切る手前の小高い丘の上にある。いつもの地点で右折して、しばらく走ったところの十字路で男が一時停止した時、向こうから対向車がやって来た。黒い軽自動車だった。ふとナンバープレートを見ると、そこに並んでいた数字はなんと、926だった。さすがにこれはちょっと気になるな。男は翌日、ふだんめったに買うことのないナンバーズ3を買ってみることにした。926をストレートとボックスで。そして、その帰り道でのことだった。前日とほぼ同じ場所で、今度は白い軽自動車とすれ違い、またしても926というプレートナンバーを目撃してしまった。うわっ、これ、やりすぎちゃう?もうこの時点で、男にとってナンバーズは当たったも同然だった。ところがである。その日の抽選結果を見て、男は愕然とした。大外れだったのである。上の方からケケケケケという笑い声が聞こえてくるような気がした。しかし、あのナンバープレートはどう考えるべきか。ただの偶然?男は全然納得できなかった。中世人や近世人ならそれでもいいかもしれんが、わしはれっきとした現代人であるぞよ。そこで男はこう考えることにした。今、わしが生きているこの世界は、石器時代の3次元世界からすると、少しばかり進化した3.1〜3.2次元ってところか。だが、その0.1〜0.2の次元上昇だって馬鹿にはできない。今やAIがカスタマーの嗜好を読み取って、ピッタリの商品を勝手に勧めてくるような時代だぜ。非物質的高次元存在がわしの胸中を探って、戯れにホログラム映像を送ってよこすくらい朝飯前に決まってるやないか。まあ、でも、こんなこと、人に話すのはやめとこう。なにしろ、地球人って自分で経験したこと以外はまともに考えられない生き物だからな。 笑214さて、ここらで石でも吸うか。近頃は一息つく時に、傍には必ず石がある。見て触れる石以外にも、スマホの中にはあちこちのサイトから集めてきた美品、珍品が目白押し。お陰でずいぶん目が肥えた。目は肥えたけど、財布は痩せる一方。もっと長いスパンで石禁する必要がありそうだ。これは去年の11月頃、小さな星雲さんのオンラインショップで買ったフローライトである。背面にカルサイトがびっしり貼りついているので、ラベルには「カルサイトonフローライト」とあるが、それは約束事みたいなもので、メインはやはりフローライトである。ブルーにイエローのバイカラー。これはやはり、イリノイ州の Cave-In-Rock 鉱業小地区特有の色合いではないだろうか。いや、バイカラーというより、トリカラーと言うべきか。ドットが散らばっている部分はほんのり紫色が滲んだように見える。ちょっとしたそばかす美人かな。 笑巷で見かけるイリノイの蛍石に比べると、ずいぶん儚い色調の石だが、わしとしてはその点にこそハートマーク❤️をつけたい。これは昨年末、エヌズミネラルさんの30%offに釣られて購入したオコルス産のフローライトである。春にミネラルマルシェでゲットした石に続いて、2個目のオコルスということになる。さすがに2個目ともなると、こちらの目も肥えてきたからか、ちゃんとオコルスっぽいやつを選んでいるなって感じ。まず、第一に、パッと見てすぐそれとわかるグリーンとパープルの迷彩色。そして、もう一つがクォーツとの共生。フローライトの結晶はエッジがシャープで、貫入の具合も端麗。また、照明用光源に目一杯近づけると、もっと鮮やかなバイカラーが楽しめる。エヌズミネラルさんとこの石はセールス用の写真と微妙に違って見えることもままあるが、クオリティ自体はやはり高いなと思った。
2026.01.09
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211これはお守り代わりに買いました。なんか縁起が良さそうに見えたんです。黒っぽい板状の鉱物はスペキュラーライト(鏡鉄鉱)といって、ヘマタイト(赤鉄鉱)の一種なんだとか。写真では物が映っているので、やや灰色がかって見えますが、見る角度を変えると、黒々とした金属光沢を帯びているのがわかります。個人的には、モノリスの超ミニチュア版といった見立てです。どこかのサイトで、「宇宙的な意識や高次の情報とつながり、ライトワーカーのサポートにも用いられる」と書いてありました。一方、金色に輝く針状の束のような結晶は、クォーツとの共生でもお馴染みのルチル(金紅石)です。金運を呼び込むという、あのルチルインクォーツのルチルです。この鉱物はもっぱら水晶のインクルと思い込んでいる人もいるかもしれませんが、実はこんなふうに別の鉱物とタッグを組んで、そのゴージャスな姿を惜しげもなく外気に晒すことだってあるんです。 笑上の標本はブラジルの Bahia 州にある NovaHorizonte 鉱山で産出されたものですが、ここはルチルの産地としては、けっこう有名な場所です。日光に当てて撮影LED照明下で撮影この標本にはいろんな鉱物が共生しています。天藍石、水晶、菱鉄鉱(シデライト)、アウゲル石、この四つはショップの担当者が言うのだから間違いないとして、もう一つ、カルサイトっぽい鉱物も混じっていたりします。なんだか賑やかな集まりですが、メインはやはり天藍石です。これはリン酸塩鉱物のグループに属す鉱物で、石好きの間ではとても高い人気を誇っています。上の写真でもなんとなくわかると思いますが、天藍石の特徴の一つはその多色性にあります。見る角度によって青系の色合いに変化が生じます。それがよくわかるように、ここではとりあえず当てる光を変えてお見せしています。ふつうのLED照明の下では、全体的に黒光りしているような濃紺色に見えるのですが、ペンライトで強い光を当てたり、窓辺で日の光に当てると、青緑色に見えます。本来は、そうした色の変化が一粒一粒の結晶を見る角度によって生じてくるというわけです。また、個々の石による違いも大きいようです。一般的に地色を決めるのはマグネシウムと鉄分のバランスで、鉄分が多いほど色が濃くなり、透明度の高いものほど強い多色性を持つのだそうです。まあ、色の濃淡や鮮やかさに違いはあれども、現在、市場に出回っている天藍石の大半はカナダ産のものです。カナダのユーコン準州に、ラピッド・クリーク( Rapid Creek ) という天藍石の有名な産地があります。「鉱物たちの庭」というサイトによると、「産地周辺は深く浸食されたクリーク(入り江)とゆるやかにうねる丘が連なり、平均高さ100〜200mの峡谷に、険しいテラス(段丘)が形成されている」そうです。文章だけではちょっとイメージしづらいかもしれませんが、写真で見ると、ヘリコプターをチャーターしない限りアクセスできないような景色が広がっているのがわかります。また、雨季にはスコールが何時間も続いたり、崖くずれが頻繁に起こるといいます。それだけではありません。このへんはカリブーやムースやグリズリーベアなどの野生動物が生息する場所でもあるので、ライフルを持った見張りを置いての採掘となるのだそうです。そんな人を寄せつけない大自然の中で、悠久の時を経て形成された石が、今、遠く離れた島国の片田舎に住む爺さんによって愛でられているというこの不思議に乾杯!…なんかよくわからないけど、そんな気分です。 笑212すぐ前の記事で話題にした天藍石の英語名はLazulite と言います。そして、これから話題にする青金石の英語名はLazurite です。どちらもカタカナ表記すると、「ラズライト」。紛らわしいので、天藍石の方を「ラズーライト」と記すこともあるそうです。さて、ここから話はさらにややこしくなりますが、この青金石という言葉は昔からラピスラズリの別名(ほぼ同義語)みたいな扱い方をされてきました。ラピスラズリ( Lapis Lazuli )というのは、ウルトラマリーンブルーの原料として古来より重宝がられてきた石です。ウルトラマリーンを使いすぎて莫大な借金を抱えてしまったというあのフェルメールが愛したのもラピスラズリ由来のブルーでした。そのラピスラズリの主成分とされてきたのが青金石という鉱物です。ところが、2021年に青金石の再定義が行われた結果、ラピスラズリの主成分は藍方石(アウイン)であり、青金石は微量、もしくはほとんど含まれていないということになってしまいました。えー、いまさらそんな…みたいな話です。何故こんな話をしたのかというと、先日、恒例の年越し小説として読んだ山尾悠子の『ラピスラズリ』という連作短編集の掉尾を飾る「青金石」という短編の中で、作者が「青金石」という単語に「ラピスラズリ」というルビを振っているのを発見したからです。こんなふうに、ちょっと前までは世間一般的に青金石=ラピスラズリだったわけです。それが今ではお互い何の関係もない石だなんて、ちょっとどうなんって話ではあります。いや、何の関係もないというのは言い過ぎかな。今でも世間一般的には、ラピスラズリの和名としての青金石は生きているのかもしれません。ただ、鉱物学的に言うと、ラピスラズリを複数の鉱物の集合体として考えた場合、青金石はその主成分には入らないということです。なんか面倒くさい話ですね。まあ、でも、この話は本題に入る前の前菜みたいなものなので、そろそろやめにして、なんて言うと、えー、まだ話すんかい、もう今の話で腹いっぱいじゃと思われるかもしれませんが、この記事の真の狙いは「青金石」という短編について触れることだったんです、実は。でも、前菜が長すぎて、話し手も腹一杯気味なので、残りはテキトーに流して終わりにします。「青金石」という小説は10ページ余りの掌編ですが、読む人によっては実に holy な印象を受ける作品ではないかと思われます。話をギュッとまとめると、生涯最後の年をアッシジ近郊にある庵で静かに過ごす聖フランチェスコのもとに、ひとりの若者が頼まれものの人形を届けにやってきて、しばらく聖人と言葉を交わすという、たったそれだけの話です。これから抜粋する箇所はこの若者がある廃墟で見た奇跡について述べるくだりです。ちょっとナイーブかもしれませんが、なかなか清らかな空気が立ちこめています。一年間積もった心の垢を年の瀬に洗い流したいと思っている人に、ひょっとして役に立つイメージかもしれません。では、どうぞ。ー 最後に何か食べたのは去年のいつのことだったか覚えてもいない、呼ばわっても応える者はいません。するとそれを見ました。視界にほのめく青。梁を漉して頭上から落ちかかるひかりの筋が数を増し、色に染まり、気づくとそれは青い宝石の色の滝となって聖所の闇を満たしつつありました。驚くよりも、ただその不思議に眼を奪われたのでした。塵芥に埋もれ朽ちた十字架の突端をひそやかに照らし、草萌えの廃墟にあって冴えざえと我のみ青く、それは天上の青、いたって貴重な顔料である*青金石の青でした。天が裂けてこぼれ落ちてくる光 ーそして草の上にいたおれはそのみなもとの方角へと顔をあげ、輝く雲間から尖塔に降りてくる天使を見たのです」*ここに「ラピスラズリ」というルビが振ってある。
2025.12.25
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先日、成羽美術館で開催されている「#もっとタグコレ」展にMさんと一緒に行ってきました。一昨年に続いて、今回で2度目のタグコレです。前回に比べると、展示されている作品の数が少なく、また、知っているアーティストの数もほんのわずかでしたが、現美の野次馬にとっては、充分楽しめるコレクションでした。せっかく写真をたくさん撮ってきたので、その中から特に印象に残った作品を3点ほど紹介させてもらいます。これは会田誠の「灰色の山」という絵です。3×7mのかなりでっかいサイズです。遠くから見ると、霧に煙る山並みを山水チックに描いた風景画みたいに見えるのですが、近寄って見ると、いきなり現代美術の本性があらわになります。 笑なんと、この山はサラリーマンの死体が堆(うずたか)く積まれた山だったんですね。みんなスーツを着た男たちばかりです。あちこちにOA機器や椅子なども散らばっています。血糊や傷痕などが全く確認できないことから、おそらく彼らの死因は過労死でしょう。企業戦士、あるいは社畜として、働いて、働いて、働いて、働いて、働いたあげく、ある日バッタリと倒れ、そのまま廃棄物として捨てられた人たちです。まるでヒューマノイドロボットみたいなものです。顔がのっぺらぼうなのは彼らが没個性であることを表しているのかもしれません。あるいはまた、これはSF漫画の世界だと思ってみるのも面白そうです。今人間がやっている仕事のすべてをサラリーマン型アンドロイドが代行する近未来社会。『ブレードランナー』のアンドロイドのように、彼らの耐用年数は5年に設定されており、5年経ったら使用済みのジャンク品としてゴミの山に捨てられる。いずれにせよ、画面全体を支配するびっしり感(稠密感)とか廃物感は半端ないくらいの熱量を帯びています。これはそうした周波数が好みの人にとってはたまらない絵かもしれません。 笑特にびっしり感に関して、ついでに言えば、愛好家は絵画よりはイラストや漫画の世界でこの感覚をよく味わっているのではないかと思われます。ここで、パッと思い浮かぶのは「ウォーリーを探せ」ですが、実はこの絵の中にもそのウォーリーが潜んでいるんですよ。もし展示場でこの絵を初めて見て、ウォーリーの存在に気がつくとすれば、あなたは超人的に目敏い部類の人間ということになるでしょう。私はただの凡人なので、全然気づきませんでした。 笑作者の会田誠は何かとセンセーショナルな面ばかり取り沙汰されるきらいがありますが、その卓越したユーモアのセンスも見過ごしてはならないような気がします。この人の作品は、一度人間の視点を離れて、天使や精霊の目で見てみると、けっこう笑えたりします。あと、「灰色の山」に関してもっと深読みしたい人は藤田嗣治の「アッツ島玉砕」と見比べてみるのも面白いかもしれません。どうやら、会田誠は「アッツ島玉砕」へのオマージュとしてこの絵を描いたという話ですから。お次は名和晃平の 「PixCell-Deer #51」 という作品です。鹿の剥製が無数のガラス・ビーズで覆われている、そんな奇抜な彫刻です。ガラス玉には鹿の毛並みや周辺の景色が歪曲されたり拡大されたりして映っています。それらはまた、見る角度によってもその都度変化します。要するに、「モノ」(ここでは鹿)がビーズ(=セル)で覆われることによって、本来の物質としての質感は消失し、画像や映像=情報(光)の集合体へと変容する様を表現した作品なんだそうです。え?ちょっと何言ってんのかわかんない、ですか?もっとざっくり言うと、「常にスマホやパソコンを通してものを見ている私たちの状況を表している」そうですよ。まあ、そんなふうにむりやり意味付けしなくとも、この作品はそのままで充分魅力的です。なんだか生命体が鉱物化してキラキラ輝いているようです。この前、SNSで、上半身裸の少年の背中にでっかい水晶がニョキニョキ生えているイラストを投稿している人がいたけど、こうしたイメージに萌える人ってけっこういるはずです。熱狂的なファンを持つJ・G・バラードの『結晶世界』の中にも、人間が鉱物化する場面が描かれています。ということで、やっぱり、周波数が問題なんですよね。最後はこれです。ホセ・ダヴィラというメキシコ人アーティストの「共同作業 ( Joint Effort ) 」という作品です。現代美術において、ガラスという素材はけっこうよく使われている方だと思います。古くはデュシャンの「大ガラス」。最近では、ゲルハルト・リヒターの「14枚のガラス/豊島」など。また、バランスというか、均衡をテーマにした作品もけっこう見かけます。例えば、フィッシュリ&ヴァイスの「均衡」シリーズなど。ということで、上の作品もそうした系譜に連なるものと言えるでしょう。ちょっくら、プレートの説明文を引用してみます。「本作はガラスやベルト石といった建築によく用いられる材料を用いていますが、その不安定なバランスは、ある点に少しでも触れてしまえば全てが崩壊するような緊張感をこの空間全体に湛えています」そんなふうに言われると、その「ある点」とやらにちょっと触ってみたくなりますよね。 笑
2025.12.15
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JC(ジャパンカップ)も第1回から観ているけど、今年で45回目なんだってさ。わしが爺さんになってるのも当たり前だよなあ。長年見てると、いろんな名勝負に出くわすものだが、今年みたいに話題が盛り沢山のJCも珍しい。まず、スタート直後にアドマイヤテラの川田騎手がいきなり落馬。波乱の幕開けとなった。この段階でカラ馬となったアドマイヤテラは競走中止扱いになるのだが、そんなこと馬にわかるわけもない。その後、ドンケツから少しずつポジションを上げながら走り続け、しまいには上の写真でもわかるように、先頭でゴールイン。カラ馬がレースの最後まで走り続けるのは、まあ普通の出来事だが、GⅠのようなレースで先頭を切ってゴールインするのはちょっと珍しいのではないか。後でVTRを見てみると、この馬のポジション取りはなかなか見事だということがわかる。これなら、騎手なんかいらないのではないか。 笑しかも、最後の直線なんか、一旦、勝ち馬と2着馬に抜かれながら、もう一度差し返す勝負根性まで見せている。まあ、58キロ背負ってないのだから、差し返す余力も十分あったにせよ、やはり調教を積んできた競走馬というのは大したもんだなあと思わせるシーンではあった。で、落馬の話はふつうはこれでおしまいのはずなんだけど、このレースにはオマケがついていた。なんと、ゴール板を通過後、カラ馬を避けようとした2着馬(マスカレードボール)が3着馬(ダノンデサイル)と接触して、両馬の騎手がともに落馬。日本を代表するトップジョッキーである川田、ルメール、戸崎の3騎手が同一レースで揃って落馬するという、おそらく今後二度と見られない前代未聞の珍事を7万人の観衆は目撃することになった。ルメールと戸崎はレースの決着がついた後なので、結果に影響はなかったものの、レコードタイムの表示点灯と相まって場内はどよめいた。とにかく始めから終わりまでいろいろありすぎて、観ている人は情報処理が追いつかない、そんなレースだった。わしもその情報の整理がいまだにできていない者のひとりだ。次に何を話せばいいのか、今ちょっと混乱している。 笑そうそう。レコードタイムの決着だったんだよ、このレース。セイウンハーデスがハイペースで逃げたせいもあってか、勝馬カランダガンが叩き出したタイムはなんと驚きの2分20秒3。自身の持ち時計を7秒近く、そして、アーモンドアイが持つトラックレコードを0秒3縮める、2400mの世界新記録である。アタマ差2着の同タイムで走ったマスカレードボールも賞賛に値するが、この馬は日本馬なので地の利は少なからずあったと思う。一方、唯一の外国馬であるカランダガン(フランス馬)にとって、初めて走る東京競馬場は異様に軽い馬場だったはずである。しかも、不慣れな多頭数でのレース。そうした点も危惧されての4番人気だったのか。欧州の有名なGⅠを3連勝中で、世界ランキング1位の馬なんだから、本来なら1番人気に推されてもおかしくないはずなのに、何故ここまで軽く見られてしまったのか。ふだん競馬を見ない人のために、ここでちょっとだけ知ったかぶりしちゃおうかな。 笑昔、ジャパンカップが始まった頃は、日本の一流馬たちが海外のニ、三流馬たちにコテンパンにやられていたものである。ところが、その後、徐々に時は移り変わり、一流の日本馬と一流の外国馬がガチンコ勝負する時代が訪れる。そして、ついにはアルカセットが勝った20年前を最後に外国馬がまったく勝てない時代が始まる。あまりにも日本馬の独壇場が続くので、この10年くらいは来日する馬の数もめっきり減ってきた。鳴り物入りでやって来たスターホースが惨敗する姿しか見ていない若い世代の間では、ああ、また人気だけ吸って着外に終わるのがオチの外国馬でしょ、みたいな感覚が一般化していたのではないかと思われる。今回のカランダガンにしても、「マスコミが強い強いと煽ってるだけで、また来る来る詐欺でしょ」と思われての4番人気だったのではあるまいか。ところが、どっこい。こいつはホンマに強かった。やっぱり、ジャパンカップはたまに外国馬に勝ってもらわないと、JRAとしても困るんだよね。そういう主催者目線で見ても、今回の結果はめでたし、めでたしだし、勝馬投票券を買った一競馬ファンとしても、めでたし、めでたしだったかな。なぬっ、その言い方だと、お主、今回のジャパンカップ獲ったんか?うーん、獲ったというより、獲らせてもらったと言った方がいいかな。しかも、今回はいつもの白猫ではなく、カエルに教えてもらってのゲット。うわー、また訳わからんこと言いやがって、ホンマに腹立つのう。 笑では、最後にその訳わからん話をちょっとだけさせていただこうかな。あれはたしか、ジャパンカップの枠順が決まる二、三日前のこと。庭の水やりをしている最中にふと思った。久しぶりにサボテンにも水やっとこうか。それで、ジョウロに水を入れて、サボテンの鉢に水をかけようとしたんだわ。ところが、どうしたことか、ジョウロを傾けても水が出てこない。あれ、おかしいな。不思議に思って、細口の注ぎ口から筒部の中を覗いてみると、何かが詰まっているのがわかった。最初は葉っぱかなと思ったのだが、枯れ枝を差し込んでみると、なんだか柔らかい生き物みたいな感触だった。何度か突っついてやると、ついにそいつが筒部からジョウロ本体の水の中に姿を現した。なんと、茶色いカエルが泳いでいるではないか。何年か前、春先から梅雨時にかけてカエルが庭に現れたことはあったが、晩秋に現れるとは一体どうしたことだろう。冬眠の場所として、ジョウロの筒部を選んだのだろうか。まあ、何はともあれ、カエルは幸運を運ぶ縁起物だというし、JC前なので、わしとしてはサインと受けとめるのが正解のような気がした。白猫の際は直感的に白帽の1枠というのがわかったけど、このカエルに関しては色ではなさそうだった。それで、カエルの数霊をチェックしてみた。か(6) え(4) る(43) = 53こういう数字を競馬に利用する場合は、シンプルに考えるのが一番。たぶんこれは馬番のヒントに違いない。それでわしは5+3=8 か 5×3=15 のどちらかだと思った。で、枠順が決定した時、あっと驚いた。15番に1番人気が予想されるマスカレードボールが入ったからだ。ひょっとして、これは2頭いっぺんに教えてもらってるのかも。そう思い、最初は8-15の馬連一点でいくことも考えた。が、しかし、JCはいつも3連複で当たっているので、今回も8と15の二頭軸からダービー馬3頭と人気薄2頭に流すことにした。で、結果はと言うと、3着に3番人気のダノンデサイルが入り、安目ながら、何とか有馬記念の資金は確保することができた。実際のところ、やっぱりカエル君は8-15の馬連一点でドカンと勝負することを勧めていたのではないかという気もするが、それはレースが終わった後だから言えること。今のわしの能力では買い目までバッチリ特定するのはまだ無理。 笑せいぜい、サインに気づくことくらいが関の山。それで、ついでに言っておくと、来週Mさんと食事することになっている「テキサス」も数霊53なんだけど、これも何かラッキーなことが起こる徴(しるし)なのだろうか。
2025.12.05
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ヒイラギモクセイ209そうか。ニール・ヤングも1945年生まれだったか。今月の12日前後、FBは彼の80歳の誕生日を祝う投稿で賑わった。20代で Old man を歌った若者が、今や正真正銘の爺さんになってステージに立つ。けど、名前は相変わらず Young 。 笑上のイラストは中年から初老にかけてのイメージだけど、ロイ・リキテンスタインふうの絵柄が面白いという理由だけで上げてみた。実際は、もっと老人らしい老人になっておられる。すなわち、むくみがちの顔には深い皺が刻まれ、帽子の縁からは薄くなった白髪が申し訳程度にはみ出している。それでも、今もなおエレキギターの爆音を響かせながらエネルギッシュに歌っておられる。わしがティーンエイジャーだった頃から歌い続けて、いまだにバリバリの現役というのが凄い。「バリバリの」というのはちょっと語弊があるかもしれないが、少なくとも、レジェンド級のロッカーとして、今もなお多くの支持を集めていると聞いている。というか、昨今は環境保護活動家(+慈善活動家)みたいな側面がクローズアップされることが多いような気もする。でも、それは若い頃からずっとそうだったんじゃないかな。なにせ、この人は60年代カウンターカルチャー真っ盛りの頃のロッカーでっせ。エンタメ色よりは、反戦、体制批判、エコロジー、スピリチュアルなどのメッセージ色の方が強いのは当然と言えば当然。それでも、ふつうは老いと共にそうした傾向にも翳りが見られるものだが、この人は違った。拍車をかけたのは、彼が70歳を過ぎてから伴侶となった女優のダリル・ハンナかもしれない。あの『ブレードランナー』のプリス役を演じたダリル・ハンナがニール・ヤングと結婚したというニュースを聞いた時、みんな意外な気がしたのではないか。一体、どこに接点があったんだろう?今にして思えば、環境保護が二人の接点だったと言えるかもしれない。というのも、ダリル・ハンナって、知る人ぞ知る過激な環境保護活動家という話じゃないか。シー・シェパードの活動にも参加して、逮捕されたこともあるんだそうな。うーん、ニール・ヤング、大丈夫か?ダリル・ハンナに知名度を利用されているんじゃないか?そう案じる声も多いという。まあ、でも、ニール・ヤングだって、もともと過激なところがあるし、たぶん、波長がピッタリ合っただけじゃないかな。それどころか、お互い気が合い過ぎて、老いらくの恋なんて言葉では言い足りない程のラブラブ状態なのかもしれない。 笑調子に乗って、二人は映画まで作ってしまったようだ。『Paradox』というダリル・ハンナ監督、ニール・ヤング主演の映画がNetflixで公開されている。わしはただの通りすがりなので、わざわざ全編観てみようとは思わないが、予告編を覗いた限りでは、何となくオフビートふうというか、アンチクライマックスふうというか、けっこう面白そうな感じだった。Netflixの公式サイトの説明によると、「ニール・ヤングと無法者の一行が西部の荒野で気まぐれに興じる突飛な悪ふざけと音楽を通して創造性と命の種をまく。ダリル・ハンナ監督の新感覚ウェスタン」というものらしい。出来を云々する以前に、たぶんニール・ヤングのファン以外は誰も観ない映画ではあるまいか。でも、わしにはなんとなくフィットしそうで、そのへんが我ながらちょっと恐いところではある。 笑210この前、福山市のビッグローズで開催された「ミネラルザワールド in 福山」という展示会にMさんと一緒に行ってきた。主催者がどちらかと言えばジュエリーメインの会社なので、原石標本の店はそれほど出店してないのではないかというこちらの勝手な思い込みに反して、そちらもかなり充実したラインナップだった。全部で55くらいの店が出店していた中で、最初にわしの気を惹きつけたのは「小さな星雲」という店だった。小田原市に実店舗を構える鉱物屋(いしや)さんで、ちょっとふくよかな感じの女性が親切に石の説明をしてくれた。途中で自らに関する四方山話も混じる。どうやら彼女は先日もミュンヘンに買い付けに行ってきたばかりで、今、買ってきた石の整理と値付けで忙しいらしい。ほたみねの店主と同様、買い付けから店舗運営、オンライン商品の発送に至るまで、すべてひとりで切り盛りしているようだ。まあ、でも、この業界はそれが一般的ではあるけどね。いろんなショップを回って数々の美品を拝ませてもらったけど、結局は、「小さな星雲」さんとこの石を2個購入することになった。この店が一番自分好みの石を並べていたからだ。上にあげたのは、ダイアナマリア鉱山のフローライトで、ちょうどこんなのが欲しいと思っていたところだった。ダイアナマリア鉱山というのは、フローライト標本専門の鉱山として有名なあのロジャリー鉱山(2019年閉山)のすぐ横にあるサトクリフ鉱脈にある鉱山で、2017年から掘り始められて、今もなお数々のポケットが操業中である。中でもGreedy Hog Pocket は2023年から採掘が始まったばかりの今が旬の晶洞らしい。店主のNさんはこのポケットのことを「あれもこれも欲しい欲張り豚さんのポケット」と言っておられた。彼女はダイアナマリア鉱山の見学もしたことがあるそうだ。そう言えば、Happy Gift のYさんも、インスタグラムでこの鉱山を見学した時の写真を上げていたなあ。 鉱物屋(いしや)の間ではブームなんだろうか?まあ、現役で操業しているフローライトの鉱山ってあまりないので、いしやさんはみんな行きたがるんだろうな。Greedy Hog Pocket の標本ラベル(裏に詳細が記してある)そして、もうひとつの石がこれ。大分県豊後大野市緒方町にある尾平鉱山、晶洞谷坑の水晶である。俗に「かき揚げ水晶」と呼ばれている。たぶんどこかの業者さんが戯れに言い始めたのが広まったんだろう。それぞれのポイントがばらばらな方向を向き、折り重なるようにしてくっつき合っているその様は、まさにかき揚げ天ぷらに似ている。ネパールのガネーシュヒマール産のクォーツも見応えのあるかき揚げだが、国産でこうした水晶が出るのはこの尾平鉱山くらいだと言われている。本来、この尾平鉱山は蛍石や斧石の産地として知られている。特に淡い色合いの蛍石は絶品で、なかなかお目にかかることすらない。たまたまオンラインで見つけても、速攻で持っていかれる。そもそも国産でクオリティの高い石って、供給量が極端に少ないので、ゲットするのは至難の業かもしれない。まあ、でも、そこそこの標本なら、時々、別々のショップでほぼ同時に上がってくることもある。先日も、ほたみねさんとこで、この尾平鉱山のかき揚げ水晶が相場よりちょっと高い値段で売られていた。本当はそれを買う予定だったのだが、たまたま「小さな星雲」で同種のものを見つけてしまった。しかも、値段はほぼ半額。ラッキーとばかりに飛びついた次第である。やっぱ、展示会場で現物をじっくり見て買うというのが、石ゲットの王道じゃなあ。 笑
2025.11.17
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コウヤボウキ 撮影 by Mさんサンザシの実 2025 この標本はテネシー州のエルムウッド(Elmwood/ニレの木)鉱山で産出されたものです。ここは前回のミネルバ鉱山と同様、蛍石ファンの間では人気の高い産地ではないかと思われます。もともとは亜鉛やゲルマニウムを採掘する鉱山だったのですが、蛍石(フローライト)や方解石(カルサイト)などの美しい標本が出るということで、本来はオマケであるはずのそうした標本用の作業員まで投入されることになったのだそうです。上にあげた石は、この鉱山の売りである三つの鉱物がバランスよく共生したものです。まず母岩の位置に「ルビージャック」と呼ばれている赤褐色の閃亜鉛鉱(スファレライト)。その上に、エッジがシャープな紫色の蛍石が乗っかっています。さらにその上には、「ゴールデンカルサイト」とも呼ばれる飴色の犬牙状方解石がゴージャスに散らばっています。うーん、なかなか見応えのある景色でござんすなあ。フローライトとスファレライト、あるいはフローライトとカルサイトの組み合わせはよく見かけるパターンですが、三つとも揃っているのはけっこう珍しいみたいです。少なくとも、現在ではほとんど流通していません。ただ、目ざといフローライトマニアの人からは、こんなコメントがいただけるかもしれません。エルムウッドにしては、結晶面がつるんとしすぎじゃない?そうなんですよ。エルムウッドと言えば、やっぱりあのデコボコ感がたまらんという人が多いのではないかと思われます。蝕像といって、熱水の侵蝕などで結晶の表面が溶解してできる凹凸がエルムウッド産フローライトの特徴でもあるんですよね。これがあるがために、エッジのラインも歪み、スファレライトのダークな色合いと相まって、なんとなく不気味な印象が醸成されることになる。小野塚氏はその著書(『美しい共生鉱物の図鑑』)の中で、このエルムウッド産のフローライトに触れて、こう述べておられます。「各結晶の姿といい、米国南部という産地といい、どこか、アメリカ・ゴシック小説の雰囲気を感じさせる標本である。」うん、うん、なんとなくわかるような気がする。典型的なエルムウッド産のフローライトって、まるでフォークナーの短編小説みたいな雰囲気を纏っているんですよ。フローライトマニアにとっては、その独特な雰囲気がいいんですよね。そういう観点からすると、上にあげたウチの標本は少しお上品なのかもしれません。でも、逆に、そのエルムウッドらしからぬ点がまた珍しくていいという見方だってあるかもしれませんよね。 笑
2025.11.07
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ベンケイソウ 2025207今年のノーベル文学賞はハンガリーのクラスナホルカイ・ラースローに決まったが、受賞の知らせを受けて、彼は冗談半分に「これはまさに、災難以上のものです」と語ったそうだ。英語にすると、たぶんmore than a catastrophe と言っているのではないかと思われる。キーワードはもちろん、catastrophe ということになる。これは1969年にノーベル文学賞を受賞したサミュエル・ベケットが受賞の知らせを受けた時に発した言葉だとされる。正確には、電話口で受賞の知らせを聞いた妻のシュザンヌの言葉らしいが、それはベケットの心中を代弁する言葉だったに違いない。What a catastrophe !(なんちゅう災難か!)ベケット夫妻にとって、ノーベル文学賞受賞はまさに迷惑この上ない災難だったようだ。たぶん殺到するインタビューとか、授賞式への出席とか、そういうゴタゴタが煩わしかったのだろう。当時、転地療養を兼ねてチュニジアに滞在していたベケット夫妻は、マスコミの追跡を逃れるべく長いことホテルの部屋に潜伏していたらしい。結局、ベケットは賞は受けたものの、授賞式には代理人に行ってもらい、自らは欠席している。これとよく似た例が2016年の受賞者ボブ・ディランである。彼も受賞の発表から数日間は姿をくらましていたというか、連絡がつかない状態だったみたいだし、授賞式にも予想どおり欠席している。公には受賞を光栄なこととしながらも、果たして彼がそれを心から喜んでいたのかどうか、どうも疑わしい。まあ、変人として名高いボブ・ディランのことだから、ひょっとすると別格級の変人みたいなベケットの顰(ひそ)みに倣ったという線も考えられる。 笑では、クラスナホルカイ氏の場合はどうなのか。「これ(ノーベル賞受賞)は、まさに災難以上のもの」というのは、裏返すと、「これは、単なる災難ではない」ということになる。おそらく彼は自らの驚きが相当なものだったことを表現すると同時に、受賞が自らにとって意義深く喜ばしいことであるということを簡潔に述べたかったのではないか。そして、もう一つ。おそらくベケットのエピソードを連想させる「災難」という言葉を使うことで、自らもその偉大な作家の系譜に連なることを暗に示したかったのではないか。代表作の『サタンタンゴ』の邦訳すらない現状では、この作家のことを知る手がかりはほとんどないが、映画に詳しい人なら、タル・ベーラ監督の映画を通して、クラスナホルカイ氏の名前くらいは知っているかもしれない。その作風を表す言葉をいくつか羅列すると、「破滅的」、「不条理とグロテスクな過剰さ」、「終末(黙示録)の巨匠」、などなど。これ、絶対俗受けしないよなあ。 さすがノーベル賞の選考委員たちが推すだけのことはある。 笑ちょっと興味のある人は『ニーチェの馬』という映画を観てみるといいかも。もっと時間を節約したい人はWikipediaでその概要とストーリーを読むという手もある。これを読むと、スウェーデンアカデミーのお偉いさん方の趣味の一端をほんの少しだけ窺い知ることができるかもしれない。 でも、それはわしのこの記事を読むのと同じくらい、たぶん何の役にも立たないだろう。 笑208ブルー系の石で人気があるのは、一般的にはラピスラズリとかサファイアとかタンザナイトあたりかな。もっと希少なやつを挙げると、カレドニア鉱、ユークレース、ベニト石、ボレオ石、べゼリ石、リロコナイト、スコロダイト、エレミヤ石、カバンシ石、といったところか。そして、上にあげたカーレトン石もそうした希産鉱物の一つに数えられている。この石が珍しいのは、カナダのモントリオール郊外にあるモン・サン・ティレールでしか産出されないという点だろう。ゲゲゲっ!そんなレアなものをなんでボンビーなお前さんが持ってるんだよー、と訝る人もいるだろう。確かに、発見当時(1971年)はずいぶん高価だったらしいが、その後ボナンザも発見されて、価格が落ち着き、今ではわしのような年金生活者でもちょっと無理すれば買えるレベルになったみたいだ。でも、内側が青くて表面が透明な四角柱状の結晶になったものは、今でもちょっと値が張るのではないか。そういうタイプはほとんど流通してないので、よくは知らないが、いかにも高そうな気がする。こいつの産地が何故一箇所に限定されるかは、その複雑な組成を見るとなんとなくわかるような気がする。化学式だけ見ると、頭の中が沸騰するくらいゴチャゴチャしている。言葉だけでスッキリまとめると、カリウム、ナトリウム、カルシウム、炭酸を含む珪酸塩鉱物ということになるが、それでもなんだか難しそうなやつに思えてしまう。ただ、見かけはしごく落ち着いた感じで、まあ、フツーのブルーである。なんだかよく見かけるものに喩えることができそうな気がして、それをずっと思い出そうとしているのだが、まだ思い出せないでいる。 笑これもある意味、希少な石には違いない。イリノイ州のミネルヴァNo.1鉱山という、フローライトファンなら誰でも知っている有名な産地の石だからである。この鉱山はすでに閉山しているため、新たな標本が市場に出てくることはない。よって、コレクターの放出品や業者のストック品にはかなりの高値がつく。クオリティの高い石であれば、イリノイ州ミネルヴァ鉱山というブランド名が付くだけで、数万円から数十万円が上乗せされるのではないかと思えるほどだ。上の石はこの前、エヌズミネラルさんから購入したばかりの標本。だいぶ迷ったが、30%オフに釣られ、清水ダイブして手に入れた品である。ああ、ついに我が家にもミネルヴァ産のフローライトがやって来たかと思うと、なんだか妙に感慨深い。そういうわけで、光の加減によっていくらでも変化するこの石を飽きもせず眺め暮らしている今日この頃である。上の写真からもわかると思うが、色合いの変化は歴然としている。普通にLEDの照明の下で見ると、真ん中の写真のように見える。ジャパンブルーって言うのかな、ちょっと藍色っぽいブルーだ。これをもっと光にかざすと、一番下のように、やや透明感のある水色に見えてくる。そして、一番上の写真は業者さんが撮影したもので、この色合いは素人ではなかなか出せない。淡いブルーの奥にパープルが滲んでいるように見えるが、実際、光の種類や当て方によってはこういうふうにも見えるのではないかと思う。白色灯でカラーチェンジするタイプみたいなので、今度そういうペンライトを手に入れて試してみようと思う。
2025.10.16
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ヤブラン 2025今日は久しぶりに競馬の話をしよう。この前の日曜日(9/28)、中山競馬場で行われたスプリンターズステークス(GⅠ)の結果が実に衝撃的だったので、ちょっとそのことを報告しておきたくなった次第。ここ何年か、わしはダービーとジャパンカップと有馬記念しか競馬はやらないことにしている。よって、秋のGⅠシリーズの第一弾を飾るスプリンターズSも当初は見るだけのつもりだった。ところが、その3日前に変な夢を見た。昔の同僚のNさんがしきりにわしを誘っているような夢だった。「よく当たる水晶玉占いだそうですよ。一緒に話を聞きに行きましょうよ」連れられて行ったのは、怪しげな小部屋。髭を生やした小柄な老人が水晶玉の中を覗きこみながら、問われもしないのにこんなことを言う。「女性の名前がついた馬が逃げて、それを宝石の名前がついた馬が追いかけておる」ああ、競馬の話か。でも、これは一体どのレースのことを言ってるんだろう。そう思ったところで、目が覚めた。不思議なのは翌日、そのNさんがスプリンターズステークスの予想をラインで送ってきたことだ。ただ、その予想は共通の知人であるKさんからのもので、Nさんはそのままその買い目に乗っかるつもりだという。Kさんが自らの予想をNさんに送ってくるというのは、よほど自信があるからではないか。ストレートに言われたわけではないが、「あなたも一緒に乗りましょうよ」とNさんから誘われているような気がした。まるで夢の続きを見ているようなものだ。まあ、これも何かのサインかもしれない。天からのお知らせというか、「ちょっとしたプレゼントが届きますよ」というメッセージかもしれない。そう思ったわしは、Kさんの買い目にそのまま乗っかって、ちょっとだけ金を賭けることにした。それで、一応、レースの前日に出馬表をチェックしてみて、おやっ?と思った。夢の中で水晶玉占いの老人が見ていたレースはひょっとしてこのスプリンターズSだったのではないか。言ってることがちゃんと当てはまってしまうのだ。まず、女性の名前がついた馬は3頭いる。ナムラクレア、ママコチャ(女神)、ジューンブレア。このうち、逃げて勝ったことのある馬は13番のジューンブレアのみ。これは昔のアメリカ人女優の名前らしい。さらに大外16番のウインカーネリアンもドンピシャだ。冠名ウインの次にカーネリアンという宝石の名前がついているではないか!でも、ジューンブレアは7番人気、ウインカーネリアンに至っては10番人気以下。まさかなあ。それに、あの老人はこの2頭が先行すると言ってるだけで、そのままゴールするとは言ってない。Kさんは一応、ジューンブレアを押さえているが、ウインカーネリアンはノーマーク。それもそうだよなあ。ウインカーネリアンって8歳馬だし、しかも大外枠だぜ。(中山1200mの大外枠は不利とされている)さらに、さらに、鞍上はJRAのGⅠレースに126回挑戦して、いまだ未勝利の「世界的名手ミューラー」こと三浦皇成だぜ。 笑あるわけねえよなあ。おそらく世の競馬ファンの多くがそう思っていたはずである。だからこそ、最終の単勝オッズが11番人気だったわけだ。ここまで読んで、勘のいい人はこう思うかもしれない。「相変わらず、ポポイさん、下手くそやなあ。もうこの時点で結果がほぼ丸見えじゃない?」そのとおーり!蓋を開けてみると、なんと、なんと、レースは武豊に導かれた13番のジューンブレアが逃げて、三浦皇成のウインカーネリアンが2番手を追走するという、夢のお告げどおりの展開。スローペースゆえに、4コーナーを回っても両馬の脚色(あしいろ)は衰えず、そのまま直線で叩き合って、最後はウインカーネリアンが頭差抜け出したところがゴールだった。うわー、ここで三浦か!デビューから18年目にして、悲願のGⅠ初制覇。「おめでとう。長かったな」これがゴール直後に三浦が大先輩武豊にかけてもらった言葉らしい。本人は言うまでもなく、まわりの関係者やファンもこんなに時間がかかるとは思っていなかったに違いない。というのも、三浦皇成って、昔は武豊の持つ新人年間勝利数の記録を大幅に更新し、天才扱いされていたジョッキーだったのだから。当時は、そのうちすぐにGⅠも勝つだろうと思われていたし、本人もそのつもりでいたのではないか。ところがどっこい。現実はそう甘くはなかった。惜しいレースもあったが、何故かしら運に見放されたまま、中年になり、そのうち落馬による大怪我で1年間の休養を余儀なくされたりもした。それでもめげずに馬と真摯に向き合い続けたその努力がやっと今回報われたというわけだ。しかも、ウインカーネリアンという、まれにみる不屈の馬を相棒にしての快挙である。鞍上と同様、この馬も蹄葉炎という致命的な故障を克服して走り続けた結果、8歳にして初めてのGⅠ制覇と相成った。8歳といえば、人間に換算すると、36歳くらいに相当するそうで、喩えると、まあ、サニブラウンがその歳で100mの全日本チャンピオンになるようなものかもしれない。 笑さて、レースは11番人気と7番人気のワンツーということで、配当的にも破壊力満点の結果となったが、果たしてこれは絶対に予想不可能なレースだったのだろうか。いつものことながら、終わってみれば、いろんなことが見えてくるもの。当日のトラックバイアスと連対した馬の脚質を考えると、こうした結果も十分あり得ると考えられたはずである。では、何が予想する人の目を曇らせたのか。ファン以外の人の盲点は何だったのか。ウインカーネリアンに関して言えば、最初にも言ったように、8歳で、しかも大外枠というのはキツイという考えが大方の人の先入観としてあったと思われる。でも、その先入観を取っ払って、ニュートラルに馬柱をチェックしてみると、むしろこの馬は買いだということがわかる。マイル戦を主戦場としていたウインカーネリアンが初めて1200mに使われたのは、7歳になってからだった。GⅠの高松宮記念で11番人気の4着に好走している。今からすると、これが人気薄のGⅠで穴をあける戦犯ホースの片鱗を見せた最初のレースといえる。そして、その年の秋からは本格的にスプリント戦にシフトしていき、2、3、2、5着と安定した走りを見せている。中でも注目すべきは、前々走。初めての海外GⅠとなったアルクオーツスプリント(メイダン競馬場)で10番人気ながら逃げ粘って僅差の2着になっている。これを動画で見た人は、おそらくこの馬が近いうちにまたやらかすことを確信したのではないだろか。戦犯ホースというのはそういうふうに何度も人気薄で爆走する癖があるのだ。前走の1番人気での5着は休み明けということもあるが、これはどちらかと言うと、戦犯ホースがよくやるフェイントとも言える。本来叩き2走目タイプのウインカーネリアンにしてみれば、人気の下がったGⅠスプリンターズステークスが狙いすました本番だったわけだ。しかも、もともとこの馬は中山競馬場を得意としており、さらに三浦騎手曰く「願ってもない最高の枠」に入ってしまった。他馬にとっては最悪の枠が同馬にとっては最高の枠だったわけだ。こうして見ると、条件はすべて整っていたと言うしかない。それなのに11番人気だったのは、やはり馬齢とか実績等からくる先入観が大きく働いていたのだろう。ちなみに、2着のジューンブレアだって、中山1200mは3戦3勝でありながら、上位人気馬に比べると格下と見られての7番人気だったのではないか。まあ、でも、こんなことは全部、レースが終わった後だから言えること。また、仮にレース前にこの2頭をピックアップできていたからといって、それで馬券が的中するとは限らない。それはまた別問題なのである。わしの場合も同じこと。実際のところ、夢のお告げどおりになったわけだから、本来ならそれに従っておけばよかったものの、そうせずにKさんの予想に乗っかったあんたは大馬鹿者だとあなたは思うかもしれない。でも、仮にわしが夢のお告げどおりに買ったとすれば、たぶん結果はKさんの予想通りになっていたのではないか。それが競馬というものだ。これは実際にやってみるとよくわかる。当たる時というのは、自分が当てているのではなく、実は運の女神に当てさせてもらっているだけなのである。 笑
2025.10.04
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205オンラインショップや図鑑などの写真を通して、毎日いろんな鉱物を眺め暮らしている。その都度、「ああ、地球って、ホンマに美しい星やなあ」と感嘆の溜息をもらす。石を買い始めた当初は自分でもすぐに飽きるだろうと思っていたが、半年ほど経った今も熱が冷めない。逆に鉱物の奥深さを知って、興味は増すばかり。もっと若ければ、自らミネラルハンティングに出かけていたかもしれない。さすがにそこまでの元気はもうないが、擬似体験ならナンボでもできる世の中ってありがたいね。鉱物ハンティング系の本や動画だって、探せばいくらでも手に入る。例えば、こんなのはどうか。『宝石の国』と同様、今年アニメ化された『瑠璃の宝石』という漫画である。内容を簡単に説明すると、主人公の谷川瑠璃という高校生が山で出会った鉱物学専攻の大学院生、荒砥凪に導かれて、鉱物採集の世界にハマっていく様を描いた作品である。いわゆる学習漫画という範疇に入るのだろうが、一種のビルドゥングスロマン(*)としても読めるような気がする。まあ、読み方は人それぞれだが、作者の狙いはあくまでも鉱物採集の楽しさを伝えることにあり、その点は十分に達成されているのではないか。少なくとも、わしはすぐさま次が読みたくなり、次を読むと、またその次が読みたくなった。読み進むにつれて、こちらの地学的関心も掘り起こされるような気になってくる。この石は何故ここにあるのか?この鉱物は一体どういう産状において生成されたのか?そうした問いにやさしく答えてくれる作品になっており、別に石好きでなくとも、知的好奇心さえあれば楽しめると思う。わしとしては、nature に興味が芽生えつつある小学生にぜひとも読ませたい。 笑* ビルドゥングスロマンとは、若い主人公が様々な経験を通して知見を深め、精神的な成長を遂げながら大人になっていく過程を描く小説の一ジャンル。わしはどちらかと言えば、美的な観点から石を見ているが、もっとコアな石好きは全然違う角度からそれを見ていたりする。そういう人が読む鉱物の本というのは、素人からすれば、かなりアカデミックなもので、ちょっと敷居が高いかもしれない。そこまではいかなくとも、その鉱物の産状とか産地について少しばかり知っておきたいという向きには、上にあげたような図鑑が丁度よいのではないか。共生鉱物の生成パターンを大きく三つに分けて解説している図鑑であるが、写真がピッカピカに美しいのは、まあ、この手の本としては当たり前としても、文章までもキレッキレというのは珍しい。特に例えが絶妙というか、まあ、少なくともわしにはドンピシャみたいな例えを連発してくれていて、もうそれだけでこの本は文句無しに星五つ確定! 笑一つだけ例を挙げると、7番目に出てくる「ベリル var. アクアマリン、曹長石」。水色のグラデーションが美しいアクアマリンを白いアルバイトが後ろから包み込んでいるような標本にこんなコメントがついている。「中世、宗教画の題材として盛んに採り上げられた、青い上衣のマリアが雲に包まれて昇天する場面を、連想させるような姿をしている。」ちょっと教養がなければ、こんなことふつう言えないって…これがどんな石か興味がある人は、「エクスナレッジオンライン 美しい共生鉱物の図鑑」で検索してみてほしい。立ち読み動画付きのウェブページに、このアクアマリンの写真もたまたま載っていた。206この石は今、わしの手元にあるのだが、この写真はわしが撮ったものではない。購入先のHappy Gift さん、正確に言うと、たぶん店主のYさんが撮ったものである。なんだか茶色い容器から水が溢れ出している瞬間を撮ったみたいに見えるけど、これはれっきとした共生鉱物なのである。ただ、おチビちゃん過ぎて、わしのスマホでは水のように見えるハイアライトオパールの部分をうまく撮ることができない。えっ、これ、オパール?そうなのよ、これ、オパールなのよ。 笑わしもハイアライト(玉滴石)がオパールの変種だということを今回初めて知った次第。さらに、茶色い方はトパーズだという。トパーズって、もっと透明感があるイメージだったけど、こんな色のマットな質感のトパーズもあるんだね。アクリルケースの上からペンライトの光で照らすと、こんな感じに見える。トパーズの方は一見六角柱に見えるけど、実は八角柱。いろんな意味で変わってるなと思い購入したけど、さっきの図鑑には、こいつの逆、つまり、ハイアライトの結晶の上にトパーズの結晶が2本乗っかっている標本が載せてあり、思わず笑ってしまった。オマケにもう一丁。共生鉱物という話題に乗っかって、いかにも典型的なやつをあげてみた。紅鮭のフレークみたいなやつが重晶石(バライト)。真ん中へんにくっついている生姜飴みたいなとろみのある結晶が白鉛鉱(セルサイト)。そして、黒っぽい鉛色の鉱物が方鉛鉱(ガレナ)である。この組み合わせはだいたいモロッコ産のものが多いと思うが、供給量が多いためか、案外安く手に入る。上の石も高知の鉱物屋(いしや)から、たった¥2900で買うことができた。三つとも比重の高い鉱物なので、手のひらに乗せると、重量感があって、それがたまらなく心地よい。方鉛鉱という、自分としては初めての硫化鉱物に触ることができたのも嬉しい。コレクターの中には、硫化鉱物みたいなメタリックな石ばかり集めている人もいるが、そうした石を集中的に見てみると、彼らがそれらをかっこいいと思う気持ちも何となくわかるような気がする。まあ、相変わらず暇ですなあ。 笑
2025.09.19
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203先日、若い頃に買ったナショナルジオグラフィックの『ザ・フォトグラフス』という写真集のページをめくっていると、最後の方で、こんな掘り出し物みたいな一枚に遭遇した。白黒ツートンのコスチュームにガウチョハットでキメたこのスタイリッシュな老婆は一体誰だ?キャプションの文字をもう少しデカくしてみよう。ニューメキシコ州 1980年ジョージ・F・モブレイアトリエ「幽霊牧場」で自作の「ブラック・プレイスⅢ 」の傍らに座るジョージア・オキーフ。気むずかしいとの評判をよそに、協力的で、自分の人生を熱心に語ってくれた。1980年とあるので、おそらく92歳頃のジョージア・オキーフである。95歳くらいからはさすがに介護が必要になったか、サンタフェに移り住んだようだが、この頃はまだアビキューで暮らしていたようだ。壁に掛かった絵もシックでカッコいいけど、傍らに座るオキーフの凛とした佇まいにも心惹かれるものがある。ステッキを握る左手の甲に注目。長年、直射日光が厳しい半砂漠地帯で生活していたせいか、皮膚の色もこげ茶色っぽくなり、心身ともに鉱物化していたのではあるまいか。 笑ところで、アトリエ名としても使われていた「幽霊牧場」って何だ?英語にすると、Ghost Ranch 。オキーフが住んでいたアビキューに近い荒野一帯を表す地名である。Ghost には「幻」という意味もあるので、「幻影農場」でもいいかもしれない。オキーフはここの荒涼とした景色にかなり魅せられていたようで、最初に購入した家もこの地にあったそうだし、もちろん、絵のモチーフとしてここを再三取り上げてもいる。Ghost Ranch の景色 tripadvisor.jp よりわしも若い頃から、砂漠や荒野みたいな空漠とした風景が好きだった。今でも上のような画像を見ると、どうしてもスマホに保存したくなる。少なくとも、そういう点では、ジョージア・オキーフとはウマが合うかもしれない。204これは8月にほたみねさんから購入したレッド・クォーツである。 俗に「にんじん水晶」とも言われている。ロシアのダルネゴルスク産などを見ると、なるほどと思う。まさににんじんの色をしているではないか。一方、上の標本はペルー産で、クォーツの色がかなり淡く、ブラウニッシュオレンジに近いような感じがする。では、クォーツと共生している海藻色の鉱物は何か。ああ、味付け海苔を瞬間凍結したようなやつね。これはどうやら緑簾石(エピドート)ではないかという話だ。エピドートって、図鑑やオンラインショップの写真で見ると、柱状、塊状、粒状のものが多く、当該標本のような晶癖のやつはあまり見かけない。これをMさんに見せたところ、「ワカメ付きのサンゴみたいですね」という感想をもらった。ほたみねの店主も、動画配信の際に全く同じフレーズを使っていたので、これにはちょっとビックリした。 このタイプの石は他のショップではほとんど取り扱ってないためか、毎回5個くらいずつが新着商品として出るたびに、速攻で全部売り切れる。カートに入れた次の瞬間にはもうSold out である。たぶん販売開始時間から10秒、いや、5秒以内の勝負だ。そんな激しい争奪戦のなか、地方在住で、なおかつスマホで参加しているこのわしが何故この石をゲットできたのか、今もって謎だ。 笑たぶん、この石に限っては、たまたま競合相手がいなかったと考えるしかない。それにしても、この石は、造形的に見て、かなり美しいと思う。オベリスクのようなクォーツがツンツンしながら、海苔のようなエピドートと、バランスよくサムネイルサイズにまとまっているのが、いと可愛いらし。笑これはフランス産のフローライトで、やはりほたみねさんとこにあった石である。ラベルの数字から判断して、買ったのは7月末だから、レッド・クォーツより先にこちらの方がいち早くわが家にやって来たことになる。これを見た人の中には、上に乗っかっている水色の結晶がフローライトで、下の母岩は別の鉱物と思った人もいるのではないか。ところが、実際は、これ全部フローライトなのである。人によっては、地層とかミルフィーユ、あるいはレイヤーケーキに見える部分も、色はそれぞれ違えども、れっきとしたフローライトの結晶である。わし個人としては、この石を初めて見た時、UKのダービーシャー州産の「ブルージョン」と呼ばれているフローライトのことが頭に浮かんだ。「鉱物たちの庭」よりこの由緒ある種類のフローライトは欲しいと思ってもなかなか手に入るものではない。そこで、いつものように、代理品として、ちょっと似のフランス産を買ってしまった次第である。でも、我がおフランス産のレイヤーケーキの方も、よく見ると、そこはかとなくヴィンテージ感が漂っているではないか。え?ビンテージ感?そう、黄ばみだよ、黄ばみ。 笑まだクリーニング技術が発達する前の、ずっと昔に採掘されたかのような黄ばみゆえに、かえってこの標本はオールドストック品の風格を纏ってしまっているのであーる。 ホンマかいな。 笑
2025.09.05
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2018/16 撮影8/16 撮影7/2 撮影最初の写真は露地植えのサボテンである。いや、露地植えというより、勝手に植木鉢から逸出して、地面で増え続けているサボテンと言った方がいいのか。そのへんの経緯はもう誰も知らない。いつの間にか、こうなっていたというしかない。2番目と3番目の写真は今年、近所のSさんからいただいた鉢植えのサボテンである。見てのとおり、最初のやつととてもよく似た花を咲かせている。たぶんどちらも同じエキノプシス系だと思われる。後は撮影の日付けを確認してほしい。上の二つはどちらも8/16に撮影している。ちょうど同じ日に咲いていたからである。よく見ると、どちらも前日咲いた花が萎んでいるのが確認できると思うが、サボテンというのは、基本、朝に開いて、その日の夕方には萎む一日花である。というわけで、上の2枚は第2幕の第2場というわけである。じゃあ、7/2撮影の3枚目の写真が第1幕ってことね。そのとおーり!正確には第1幕第1場だね。で、実はこの日に、露地組の方もちゃんとシンクロ咲きをしているのである。つまり、このサボテンたちは、「いっせーのせ」で咲いているってわけだ。そんなのたまたまだろ。またこのジジイの与太話が始まったワイ、と呆れ顔のあなたは思うかもしれない。そんなあなたのために、もう一つ肝心な話を付け加えておこう。時系列を確認すると、わしがSさんからエキノプシスの鉢植えをもらったのは、たしか5月の下旬頃だったと思う。それからしばらくして、Sさん家のエキノプシスが一斉に開花する。スマホのライブラリをチェックすると、これが6月7日のことである。本来なら、この時、わしがもらった鉢植えも一緒に咲いてもよかったはずである。もともと同じ場所で育っていたわけだから。ところが、どうしたことか、ウチのサボテンはそれから1週間経っても2週間経ってもまったく咲く気配を見せない。花芽はちゃんとついているのに、花茎が伸びてこないのだ。その後、さすがに遅すぎると思ったのか、6月の終わり頃にSさんから指導が入る。「水が足りてないんじゃない?この時期はサボテンでも毎日たっぷり水をやったほうがいいよ」うーん、そうかな。言われたその時は多めに水をやってはみたが、本来サボテンはそんなに毎日じゃぶじゃぶ水をやるものではない。花が咲かない理由が他にあるのではないかと思い、ネットで調べてみると、日照時間のことが書いてあった。開花期のサボテンは、一日に最低でも6時間は日に当てないとダメならしい。そう言われてみると、午前中にあまり日が当たらない場所に置いていたな。さっそく次の日から、置き場所を変えてみた。その甲斐あってか、数日後にスルスルと花茎が伸び始めて、7月2日に最初の花が四つ咲いた。なるほど、問題は日照時間だったか。と、ここでフツーの人は考えるだろう。しかし、わしは見逃さなかった。鉢植えのサボテンの花茎が伸び始めた頃、露地組のサボテンの花茎も同時に伸びていたことを。しかも、鉢植えの花が咲いたその朝に、きっちり露地組の花も咲いていたことを。要するに、鉢植えのサボテンの方が待っていたのではないかとわしは思う。露地組のサボテンとシンクロして、「いっせーのせ」で咲く時を。202先日、久しぶりにマンディアルグの『大理石』を再読した。なんて言うと、「え?また、石の話かよ」とあなたはうんざり顔で呟くかもしれない。けど、大丈夫。今回はあえて石の話は一回飛ばすつもりで臨んでいる。 笑『大理石』という小説は、別に大理石にまつわる本ではない。「大理石の文鎮」とか、「大理石像」という言葉は出てくるけど、大理石そのものがモチーフになっているというわけではない。たぶん、イタリアが舞台だからというので、大理石なんだろう。簡単にまとめると、この本はフェレオル・ビュックという主人公がイタリアの各地をうろつく一種の幻想紀行小説というふうに言えるかもしれないが、今回はあえてその内容には深く立ち入らない。訳者のひとりである澁澤龍彦が言うように、マンディアルグという作家はまさに「イメージの渉猟者」という呼び名がピッタリ当てはまるような人で、読者は次々と繰り出される珍奇なイメージの奔流にひたすら身を任せるだけで充分楽しめる。そして、それらのイメージ創出の源の一つに、この作家の度をこした博物学愛好が挙げられることだけを指摘しておこう。再び澁澤龍彦の解説に頼ると、こうなる。「処女作以来、ピエール・ド・マンディアルグの幻想世界には、あたかも虫眼鏡で眺めたかのごとき細密描写によって捉えられた、昆虫や花や植物や、あるいは海の下等動物、たとえば蟹とか海星(ひとで)とか海胆(うに)とかいった、甲殻類や棘皮動物のイメージが頻々とあらわれるのである。」ふうーっ。これでやっと本題に入れる。 笑実は、今回『大理石』を読み返していて、妙に気になった単語があるんだよね。それは「海松露」という漢字で表されている。ググってみると、「主に海岸の松林の砂中に生える球形のキノコ」とある。うーん、ちょっと違うなあ。というのも、ビュックは海岸から四、五十メートル離れた海中に潜って、岩に付着したこの生物を引き剥がすわけだから。そして、夕食として、その大量の獲物をパンや葡萄酒とともにたらふく食べるのだが、その際に「褐色の藻と苔の生えた石のような殻をナイフの刃で断ち割り、殻のなかの凹みから、血の色をした肉のなかの眼玉のようなものを引きずり出す。」とある。これ、どう考えても、貝類か、もしくはそれに似た生物だろう。それで、こう考えてみた。たしか、珍味として名高いトリュフの和名が「西洋松露」じゃなかったっけ。ということは、「海松露」って、ひょっとして「海のトリュフ」ということじゃないだろうか。で、再びググってみると、「海のトリュフ」→ 「ホヤの別名」ということが判明した。さて、さて、ところで、ホヤって何だ?名前はなんとなく聞いたことはあるが、詳しくは知らない。たぶん食通の人とか酒飲みなら知っていると思うが、わしはこいつを一度も食べたことがないし、見たこともない。それで、またまたグーグルで検索してみた。どうやら、こんな感じの生物らしい。漢字で書くと、「老海鼠」。と言っても、海鼠(なまこ)の仲間ではない。岩などに付着する「尾索動物」の一種で、貝でもないそうだ。ゴツゴツした外見から、「海のパイナップル」とも呼ばれているらしい。では、味はどうか。「鮮度が良いと、さわやかな磯の香りと甘み、そして苦味、塩味、うま味の五味すべてを感じられる珍しい食材」とある。酒飲みが絶賛するのもわかるような気がする。ただ、時間が経つと、臭みがきつくなり、それはちょうどガソリンみたいな匂いだという。というわけで、食べるなら、できるだけ獲れたてのやつをナマでいただくのがいいみたい。日本では、三陸のリアス式海岸で養殖が盛んだそうだ。けど、まあ、わしは東日本には親戚も知人もいないし、珍味好きでもないので、おそらく死ぬまでにこのホヤとやらを食べることなどないだろう。これはオマケにあげてみた。なんだかポットみたいな形で、マジ草。(←若者ぶってみた)入水孔から入って出水孔へと出ていく海水の流れを考えると、生き物って、結局は水の循環マシーンだなと思う。人間とて例外ではない。* 文中に引用した『大理石』(人文書院)からの和訳は澁澤龍彦/高橋たか子 訳 です。
2025.08.27
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これはおフランス産のフローライト。もっと詳しく言うと、La Barre Mine (ラバール鉱山) の青蛍である。フローライトって、色のヴァリエーションが豊富なことで有名だが、にもかかわらず、青色はそれほど流通していないようだ。少なくとも緑や紫ほどポピュラーではない。ピンクや赤ほど希少というわけではないが、ブルーでいいものを探そうと思えば、ちょっと難しい。本当は、イリノイ州のファンタスティックなやつに憧れているのだが、そんなのを手に入れようと思えば、軍資金をたんまり用意した上で、コレクターが手放すのを虎視眈々と狙っていなければならない。なにせ名だたる鉱山はことごとく閉山してしまっているのだから。今、オンラインショップで見かけるブルーフローライトの多くはフランス産か、もしくは内モンゴル産ではないかと思われる。もちろん、フランスの鉱山だって現役バリバリのところはほとんどなく、ラバールだって、とっくの昔に閉山している。つまり、今出回っているフランス産青蛍の大半は、どこかの業者がまとめてストックしていたものと考えられる。それが巡り巡って、岡山の片田舎くんだりまで流れて来てくれたわけである。 笑上の写真は普通のLED照明下で見える青色を念頭に置いて補正を加えたものである。ちょっとルリビタキの羽の青色に似ているなあと思う。同じフランス産で、もっと濃い青のフローライトも売られていたりするけど、それらはべらぼうな額なので、とても手が出ない。というわけで、今、手元にあるこの青蛍は、わしが買えるものの中で一番いい色をしている、と自分では思っている。これにペンライトの光を当てると、透明感のあるライトブルーに変化し、黄色のゾーニングもレモン色っぽくなる。ところで、付け根の部分のこの黄色の発色はどうやって生じているのか?フローライトの発色に関しては、原因が二つあるという。一つは結晶内部に含まれる不純物元素によるもの。そして、もう一つは格子欠陥(カラーセンター)という原子配列の乱れによるもの。問題の黄色に関しては、どうやら結晶内に含まれる微量のマンガンが作用しているらしい。ああ、またちょっとお勉強をしてしまった。笑閑話休題。鉱物の写真を披露しているコレクターの中には、もちろんフローライト専門という人もいる。中でも、Mos's Fluorite さんのブログは凄い。よくもまあ、世界各地からこんな美品の数々をこんだけ集めたなあって感じ。いつか機会があれば、わしが悩殺されそうになった標本のいくつかを紹介してみたいとも思う。なんだ、今日じゃないんかい。ええ、今日はまた別の人の石をお見せしたい気分。これは「趣味の鉱物収集」というブログにあがっていたフローライト。産地は中国のシャンファーリン。ヤオガンシャンと並ぶ有名な鉱山だ。それにしても、これ、透明感フェチの人にはたまらない逸品ではなかろうか。母岩がきれいに透けて見える。これほどの標本ならさぞかし高価なものかと思いがちだが、なんとまあ、これが1000円だというから驚き‼️ある石フリマで、業者ではない普通のコレクターから買ったらしい。さらに、さらに、カラーレスで有名なあのダルネゴルスク産のフローライトをたった5000円ポッキリで手に入れたりしているのだ、この人は。 やっぱ、ミネラルショーや石フリマに行けば、こんな掘り出し物にぶち当たるんだなあ。他にも、eBay やヤフオクなども利用されているみたいで、その体験談などもシロートには大変役に立つ。さて、ここらでちょっとコーヒーブレイク。シャンファーリンのフローライトを見ていて感じた周波数を別の写真に変換してみた。上高地の梓川 veltra. com 残暑見舞い代わりの一枚で、ちょっと体感温度を落としていただいたところで、最後にもう一丁、フローライトの写真で攻めてみる。これはUKの Eastgate Cement Quarry という採石場で採れたフローライトである。イギリスのダラム州にはロジャリー鉱山を筆頭に名高いフローライトの鉱山がたくさんあるが、この石の産地もそのダラム州にある。この石は横幅が約2cmほどで、わしが持っている石の中では、たぶん一番ちっちゃい。ちっちゃいけど、とてもチャーミング。何故これを買いたいと思ったかというと、やっぱり色かな。クリアカラーにほんのり蜂蜜色が広がっているというのがよかったのだと思う。わしは蜂蜜色には弱いのだ。 笑昔、このブログでも引用した一文をふと思い出す。「少年は、ひまさえあれば、白い石の上に淡飴色(うすあめいろ)の蜂蜜を垂らして、それでひるがおの花を画いていた。」(中島敦 「悟浄出世」より)アクリルケースの上からペンライトの光を当てると、こんな感じで、黄金色に輝く。実際はもっとキレイで、いつまでも陶然と見入ってしまう。フローライトの最大の魅力は、やはりこういうふうに光によって見え方が一変するところではないかと思う。
2025.08.19
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2025年8月 カノコユリ199サマーデイズこの絵が刺さりまくるような人って、たぶん非人間的周波数ラヴァーじゃないかな。 笑また、これを描いたジョージア・オキーフもきっとそういうタイプの人だったのではないか、と勝手にそう思っている。今回はこの人のあるエピソードを紹介することが目的なのだが、その前にこの「サマーデイズ」という絵をお見せしたのは、これが作者の人物像(プロフィール)みたいなものを簡潔に要約してくれているような気がしたからである。まず、赤茶色の山の連なりだが、これはアメリカ南西部の典型的な景色。ジョージア・オキーフは夫であるスティーグリッツ(写真家)の死後、ニューメキシコ州のアビキューという半砂漠地帯の一角に移住し、98歳で亡くなる2、3年前までその地で暮らした。花が描かれているのは、よく知られているように、それがオキーフの主要なモチーフだから。では、鹿の頭蓋骨というのは何?これも彼女のモチーフの一つだが、同時に趣味の一つでもある。どうやら動物(主に牛や鹿)の骨を拾い集めるのが好きだったみたい。 笑それだけじゃない。ジョージア・オキーフという画家は、自他ともに認める石ぐるいでもあったそうだ。「庭には自ら集めてきた何百個もの石が並べられ、とりわけのお気に入りは暖炉や居間のテーブルに飾られていた」という。このことは徳井いつこ氏の『夢みる石』という本に書いてある。もちろん、今回のメイントピックとも言えるエピソードもこの本に書いてあることである。まとめるのが面倒なので、ノーカットでまるまるお読み頂こう。来客があると、彼女は「遠足」と称して珍しい鉱脈が走っている渓谷や閉鎖された鉱山跡に案内し、いっしょに石を探すのが好きだった。あるとき遠足に同行した写真家のエリオット・ポーターは、オキーフが夢中になりそうな艶やかな黒い石を見つけた。彼はオキーフにゆずることより妻への土産としてもち帰ることを選び、自宅のコーヒーテーブルにうやうやしく飾っていたが、その年の感謝祭にポーター家に招かれたオキーフは、誰も見ていないことを確かめたうえで、この石をするりとハンドバッグに入れてしまったという。「自分が本当に欲しくてたまらない物であれば、絶対に手に入れることができる」と公言していたオキーフをしのばせるエピソードである。おそらく彼女の胸中には、この黒い石の持ち主として最もふさわしいのは自分だという思いがあったのではないか。誇り高きコレクターなら、そう考えてもおかしくない。さらに、晩年になって、彼女はポーターから盗んだその石を、ジョン・ロエンガードという写真家に自慢げに見せびらかしたりもしている。これも根っからのコレクターだからこそのふるまいといえる。あっぱれ、あっぱれ。 笑ロエンガードの写真集の中の1ページ (「書肆とけい草」さんのサイトより)たまたまこのロエンガードという人が撮った写真をネット上で見つけたので、UPしてみた。右側の写真に写っている石が、たぶんその盗んできた石だと思う。そして、左側の絵は晩年のオキーフが「私の最良の作品」と評した「青を背景にした黒い石」というタイトルの絵ではないかと思う。おそらく盗んできた黒い石がモデルではないか。彼女はこういう触り心地のいい丸みを帯びた石が好みだったようだ。New Mexico Magazine より* オマケ情報として一言。エリオット・ポーターの写真はこのブログでも何度かUPしているが、1枚だけというのであれば、2020 1/9の記事をご覧あれ。またしても石の写真ではあるが…200バラ輝石(ロードナイト)は、数霊的に気になる石だったので、岡山ミネラルマルシェに行った時も、いいのがあれば買いたいと思っていた。が、その時はたしか研磨したやつしかなかったので、購入には至らなかった。オンラインで石を買い始めてからも、いろんなショップを覗いてみたけど、だいたいマグロの切り身のような鮮紅色のブラジル産しか見当たらなかった。そんな感じで半ば諦めていたところ、何かのきっかけで、たまたまこの石に巡りあった。これを持っていたのは、鉱物標本の老舗としてコレクターや研究者の間でリスペクトされているあのホリミネラロジーさんである。わしのブログの読者の中に鉱物趣味の人なんておそらくいないはずだから、「あの」なんて言う必要もないのだけれど、一応、ミネラル界隈では知らない人などいないというニュアンスを出すためにつけてみた。 笑噂によると、鉱物女子のみなさんは、バッチリおしゃれをしてホリミネラロジーの店舗に赴くのだそうな。まあ、ミネラルショップ界の聖地みたいなもんだな。 笑オンラインショップの方は地味で品数は若干少なめながら、やはりこれぞホリミネ(勝手に略す)と唸るしかないような渋い石などを揃えておられる。上にあげたペルー産のバラ輝石も、近頃ほとんど流通してないタイプの標本である。こういうのを時々ポンと出してこられるところがさすがだ。先日も、よそのショップが今ではほとんど扱ってないようなローズクォーツの多結晶標本で、サムネイルサイズのやつをさらりと並べておられるのを発見して、思わず涎が垂れそうになった。 笑都会に住んでいて、ミネラルショーや石フリマなどにいつでも参加できる人であれば、今あげたような石でも比較的容易にゲットできるのかもしれないが、田舎に住んでいる者にとっては、オンラインショップだけが頼りなわけである。そういうわけで、ホリミネさんの新着情報はマメにチェックしておきたいところだ。さて、この辺で、肝心のその石、つまり、上にあげたペルー産のバラ輝石についてもちょっと触れとこう。写真からでもなんとなくわかってもらえると思うが、こいつはホンマにちっちゃい。横幅が2.5cmくらいのかわいらしい石である。でも、造りが精巧というか、まるで米粒の上に絵を描く職人のような細工師が精魂込めて作りあげた工芸品みたいな趣きを呈している。薄板状の結晶はそれほどまでにデリケートな造りをしているので、いつまで見ていても飽きない。色あいはどうかと言えば、上の写真でほぼ実物どおりの色を出せたと思うが、実際はもう少しテリが控えめで落ち着いた感じのピンクかな。まあ、要するに、ホリミネさんがつけた値段に見合うだけの標本ではあるなって感じ。ついでに言っておくと、白っぽく見える鉱物は含マンガン方解石である。バラ輝石自体もマンガンを含む鉱物(珪酸塩鉱物)で、名前は輝石となっているが、実際は輝石グループではないそうだ。見た目だけで言えば、同じようにマンガンを含むロードクロサイト(炭酸塩鉱物)とかパイロクスマンガン鉱(珪酸塩鉱物)に近い鉱物ではないかと思われる。あ、いけねえ、いけねえ。つい調子こいて、鉱物オタクになり切ってしまったぞ。誰も止めてくれんしな。毎度のことながら、困ったもんだ。 笑
2025.08.07
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2025年6月 キンカンの花196この前、ニュースで言ってたけど、今年はセミが鳴かないという噂だ。梅雨が短かったのと、連日の猛暑が関係しているという。土が乾いてカチカチになっていると、非力なセミはまず、土を掘って地上に出ることすらできないらしい。セミ稼業も大変だなあ。ホンマかどうかは知らんけど。 笑ウチの庭では、例年なみに、連日、朝早くからクマゼミの大合唱が続いてるので、余計にセミがいないなんてウソこくなって思ってしまう。なんだってそうだけど、いるところにはちゃんといるんだって。それとも、何かい?毎日庭に大量の水を撒いているのが、草木だけでなくセミにとってもありがたいってことかい?そのへんはようわからんけど、一つだけはっきり言えることがある。クマゼミが鳴くのはだいたい午前中で、気温が32〜33度を超えるあたりから鳴かなくなるってこと。どうやら、セミが鳴く適正気温っていうのがあるみたいやね。197世界三大ミネラルイベントと言えば、ツーソン、ミュンヘン、サンマリー。それぞれ開催時期が毎年決まっているが、6月と言えば、サンマリー(フランス)。ほたみね(ほたるみねらる)の店主がそのサンマリーミネラルショーに仕入れに行くという情報はかねてより知っていた。そして、先日、その仕入れた新着標本のライブ配信をやるというので、興味本位に2回(第一弾、第二弾)とも見てしまった。まず、進行役の「こんばんはー。今日もよろしくお願いしまーす」という第一声を聞いて、あれ?と思った。なんだこのアニメ声の女性は?店主のアシスタントか何かだろうか?でも、話を聞くうちに、彼女自身がサンマリーに乗り込んで、自分の趣味でいろんな石を買って来たということがわかり、こちらの大きな勘違いにやっと気がついた。なあるほど。店の雰囲気や商品の包装デザイン等、すべてが女性っぽくて可愛らしいのは、店主本人が女性だからか!しかも、この人、ほぼ間違いなくアニメ、ファンタジーオタクである。ああ、何ではじめからそれに気づかなかったのか。いや、むしろ、何故店主を男性と思い込んでいたのか、それが不思議だ。動画配信の方は、1時間ほどの時間で60個あまりの石を見せるので、あまり込み入った内容の話はしない。そもそも鉱物そのものが、知性よりはもろ感性に訴えてくるものなので、言葉も自然にシンプルで感覚的なものになる。商品のサイズがサムネイルからミニチュアに集中していることもあってか、店主が多用する言葉の一番手が「かわいい」というのはうなずける。しまいには「お値段の方もかわいいですね」と言い出したのには笑ってしまった。また、投稿テロップで流れる視聴者のコメントにも面白いのが沢山あった。フローライトの結晶を琥珀糖やナタデココに例えたり、抹茶色の多結晶トルマリンを「竹林感が出てます」と評したり、みなさん、感覚をステキに全開って感じで楽しんでおられた。やはり、鉱物の画像を見る際の楽しみの一つは、こうした絶妙なコメントに触れることでもある。かつて、長野まゆみはアメシストファントムをウスムラサキノチョウに喩えてこう言った。「まぼろしのチョウの羽を氷のなかに閉じこめた。そんな淡いスミレイロがまたたく標本だ」ああ、一度でいいから、こんなエッジの効いたセリフを吐いてみたい。 笑198これは数週間前にほたみねさんから購入したアクアマリンの標本である。とは言え、サンマリーから届いたばかりの新着標本ではない。いつ頃仕入れた品かはわからないが(発売日は2025年4月20日)、しばらくの間売れ残っていたものであることは確かだ。ミニチュアサイズながら、アクアマリンだけあって、少々値が張るのが売れ残った原因かもしれない。水色のベリル(海柱石/アクアマリン)が母岩の白い長石とマッチして、バランスよくまとまった感じの標本である。初めてこれを見た時から、いいなと思っていたのだが、購入に踏み切ったきっかけは別の標本の存在だった。この写真は「鉱物たちの庭」というサイトから勝手にお借りしたものである。管理人の山川倫央氏が2003年のツーソンショーで手に入れた標本だという。これを見た時は心底、欲しい!と思った。 笑けど、残念ながら非売品。コレクターである山川氏、もしくはその親族が放出しない限り、手に入ることはない。売って下さいとお願いしても、どこの馬の骨ともわからん者に譲ってくれるはずはないよなあ。 笑これのどこがいいの?うーん、全部まるごと。 笑なんか崩壊した建物の瓦礫みたいな感じを醸し出しながらも、色的には爽快感を感じさせるところがいいのかなあ、なんて説明し出すと嘘っぽくなるから、やめとこう。そんなことよりも、この標本の産地に着目してほしい。ナミビアのエロンゴ鉱山である。ナミビアと言えば、ツメブをはじめ、オコルス、ブランドバーグなど有名な鉱山をたくさん抱えている鉱物資源大国であるが、その中にあって、長い歴史を誇るペグマタイト地質のエロンゴ山も、アクアマリンやフローライトの産地として広く知られている。まあ、要するに、ちょっと石をかじったばかりのわしでも知っている鉱山ってこと。さて、ここらで振り出しに戻るとするか。最初にあげたほたみねさんとこのアクアマリンも実はそのエロンゴ産なのである。やっぱり同じ山の出ということで、雰囲気が似てるよね。よく見ると、ショール(鉄電気石/ブラックトルマリン)が共生しているところも同じだったりする。ああ、もうこれは買うしかない!山川氏のアクアマリンが手に入らないのなら、その代理品として、ほたみねさんとこのアクアマリンを買うしかない。といういきさつで、例の標本は今わしの家にいるのである。 笑
2025.07.29
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ここは一体何処なんじゃー?梅や拓殖の木の近くにアフリカ原産のトロピカルな花が咲いとるがな。一般的にはパイナップルリリーの名で知られているが、分類上はキジカクシ科ユーコミス属の植物とされている。植えたのはわしじゃない。わしの親爺である。親爺が何を思ってこれを植えたのかはわからないが、今でもこうやってたまに花を咲かせる。前回見たのは5年前くらいかな。気まぐれ屋さんなので、毎年は咲かない。去年の秋から今年の冬にかけて、スモモや梅の木を強剪定したことによって、パイナップルリリーのテリトリーに降り注ぐ日光の量が変化したことが久しぶりの開花につながったのかもしれない。サボテンなんかを育てている人なら知っていると思うが、光の量と開花との間には明らかに相関関係があるようだ。あるいは、今年我が家の庭の4種類のデイリリーが全部咲いたことも何か関係しているのかもしれない。シンクロ的伝播とでも言うのかな。他のリリーたちに刺激を受けて、パイナップルリリーも奮起したってわけだ。 笑冗談っぽく聞こえるかもしれないが、これも植物の世界ではありふれた事象。しばらく植物を観察していればわかること。この写真を見れば、この植物が何故パイナップルリリーと呼ばれるかがよくわかるのではないか。これがもう少し成長するとパイナップルの実になるんですよ、お客さん。なんて言われると、そのまま信じてしまう人だっているのではないか。 笑花茎の先端に葉のようなものが放射状に広がっているが、これは苞葉というのだそうな。まずはこいつがいかにもパイナップルっぽいよね。それに粒々状の蕾も十分それらしさを醸し出している。やっぱりこの時期が一番パイナップルらしく見えるような気がする。花のどアップ。開花期になると、総状花序の下の方から上の方へと少しずつ蕾が開いていく。花弁は6枚で、触るとセルロイドの造花みたいな感じがする。花びらには紫色と黄緑色の筋がうっすらと走り、幾何学的に申し分ない形状と相まって、なかなか見事なデザインではなかろうか。仮に花弁評論家なる人種がいるとすれば、彼らはこの花をとても高く評価するのではないかと思う。 笑これは先日購入したブルガリア産のアメシストクラスターである。こういうタイプのクラスターはなかなか見かけることがなかったので、見つけて即買ってしまった。まあ、一目惚れかな。 笑見てのとおり、薄紫(ラベンダー色)と薄緑(モスグリーン)の絶妙なコンビネーションがたまりまセブンなんでござる。 笑薄紫の方はいわゆるファントムアメシストと言われているものだが、他のものと比べて、この標本の紫色はひたすらに淡い。濃いのが好きな人もいるが、こういう仄かなやつが好きな人もいるわけである。 笑その仄かな紫がどちらかと言えば乳白色に近い感じの水晶の中に閉じ籠められているのだが、このすりガラスっぽい半透明な質感の水晶というのも、ブルガリア産の特徴の一つかもしれない。まあ、でも、それよりも何よりも、この薄紫のファントムと薄緑の結晶が同じクラスター内で同居しているというのが、ちょっと珍しい。では、この薄緑っぽく見える結晶は何なのか?目を近づけてよく見ると、結晶の付け根や柱面に抹茶のような粉状の鉱物がくっついているのがわかる。これこそが薄緑の正体とも言える緑泥石(クローライト)である。ガーデンクォーツとか苔入り水晶と呼ばれている水晶のインクルージョンもこれである。ただ、苔入り水晶と違って、この標本の水晶は緑泥石を内包しているという感じではない。あと、もう一つ、現物を見て初めて気づいたのだが、この石には「愚者の金」とも呼ばれる黄鉄鉱まで同居しているではないか!業者さんが撮った写真では黒っぽく見えたのでノーマークだったが、よく見ると結晶のつけ根の部分や母岩の表面に金色の鉱物がバッチバチに(?)はりついているのであった。というわけで、25%オフで購入したこのブルガリア産アメシスト、またしても超お買い得だったと言えそうだ。もちろん、サイズも気に入っている。ミニチュアサイズより少し大きめくらいで、クラスターにしてはこじんまりとまとまっている。そして一番気に入っているのは、その触感。こんだけ結晶が集まっていると、手の指をそっと置くだけで、先端部があちこちに刺さりまくって気持ちいいのだ。 笑たぶん浄化のエネルギーが結晶の先っぽから大量に放出されているのだろう。
2025.07.14
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先日、Sさん家にやって来た紫陽花。こんなの初めて見た。オランダ産でピンパーネル・オーベルジーヌという品種らしい。うん?オーベルジーヌという語を見て、久しぶりに西脇先生を思い出した。『雑談の夜明け』という本の中に「オーベルジンの偶像」というエッセイが入ってたよな、たしか。「オーベルジーヌ」というのはフランス語でナスやナスの紺色、つまり暗い紫色を表す形容詞だという。茄子といえば、先生のお気に入りの植物。「茄子」という詩の終いの部分がふと思い出される。アポロンよ / ネムノキよ / 人糞よ / われわれの神話は / 茄子の皮の上を / 横切る神々の / 笑いだ先生に言わせると、茄子を見て、「あゝ、なんちゆう紫の瓢箪だ」と思うのが詩の直接の目的なんだとか。これをもじっていうと、わしは上の紫陽花を見て、「あゝ、なんちゅうナミビア産のフローライトだ」と思ってしまった。緑と紫のバイカラーがオコルス鉱山で採れるフローライトの迷彩色を連想させるのだ。 笑でも、数日後、再び見に行くと、花全体が薄緑一色みたいに変化していて、さすが紫陽花だけのことはあると感心した。なんじゃ、こりゃ?人の背丈ほどもあるアザミの化け物みたいなこの花を見て、わしは思わず呟いた。「アーティチョークです」とMさん。ご自宅前の庭に何株も突っ立っているその姿は、いやが応にも通行人の目を惹く。Mさんの話によると、どうやら観賞用に植えてあるようだが、ヨーロッパでは春から初夏にかけての野菜として親しまれている。もちろん、わが国でも、グルメの間では人気の食材かもしれない。食用として利用されるのは花蕾の部分で、これを茹でて食べると、そのホクホクの食感がゆりねやタラの芽、あるいはそら豆の食感に似ているという。わしはまだ食べたことはないが、蕾を食べる野菜ということで、ブロッコリーやカリフラワーみたいなイメージだろうか。これは前回UPしたバナジン鉛鉱と同様、50%オフに釣られて購入したフローライトである。産地は中国の内モンゴル自治区にある銀都鉱山。このあたり特有の淡いブルーと紫色のバイカラーが、フローライトファンの間ではお馴染みの石かもしれない。クォーツであれば、結晶内部に見える色の滲みや帯のことをファントムといい、例えば、グリーンファントムなどは「緑幻影水晶」などと訳してあったりして、かっちょえーなんて思ったりするのだが、フローライトに置き換えると、これはいわゆるゾーニングに相当するみたいだ。亀田氏によると、ゾーニングもファントムも「同じ意味だが定義は曖昧で結晶内部のカラーバンドを指すが、必ずしも帯状ではなくモヤのような広がりを持つことなど様々。」ということらしい。というわけで、上のフローライトの内部に見える紫色もゾーニングの一種と言えそうだ。もちろん、フローライトファンの間では、こうしたゾーニングが大変好まれるのは言うまでもない。この標本の一番の売りは、涼しげに見えることではないかと思う。業者さんが撮った絶品ものの写真を見て、わしが速攻でバラシースと感じたのも、その薄い水色の透明感だった。これぞ夏向きの鉱物と言えるのではないか。でも、名前からはあまり涼しさを感じられない。ちょっと石のことを知っている人なら、これが重晶石(バライト)だと聞いて意外に思うかもしれない。「砂漠のバラ(バライトローズ)」でお馴染みのあのバライトである。いや、むしろ一般的には、バリウムの主要な鉱石と言った方が通りがいいかな。いずれにせよ、色としては、ふつう無色、白、灰色、帯黄色、褐色あたりが思い浮かぶ鉱物ではないかと思う。そのバライトにブルーバライトなるヴァリエーションがあるなんて!それだけでもゲットする価値があるのではないか。28×20×20mmのちっちゃい石だけど、そこそこの値がついているのには理由がある。薄板状の結晶はバライトによくありがちなものではあるが、ブルーバライトの場合、それが天女の羽衣のように感じられ、重ね重ねバラシース! マンガンを含む鉱物が赤色やピンク色になるのはよく聞く話だが、だからと言って逆も真かと言えば、どうもそうではないようだ。実際のところ、上にあげたコバルトカルサイトが含有しているのはマンガンではなくコバルトである。え、コバルト?コバルトってふつうコバルトブルーを連想するけどなあ。だけんど、しかし、炭酸カルシウムを主成分とするカルサイト(方解石)の場合は、微量のコバルトを含有することでピンク色を発色するのだという。これはどういうカラクリなのか。よくは知らないけど、どうもカルサイトはコバルトイオンを微量含有することで、特定の波長の光を吸収、反射するのだという。つまり、ピンク色に見えるのは、私たちの目にピンク色として認識される光が強く放出された結果らしい。ついでにもう一つ、知ったかぶりの情報を垂れ流す。コバルトカルサイトは愛と美の女神「アフロディーテ」に例えられることがあり、スピリチュアル的には恋愛成就のためのお守りなんだとか。まあ、でも、そんなこと、日々衰滅の一途を辿るばかりのジジイには何の興味もない話ではある。わしがこの石に惹かれたのは、まず、岩山のミニチュア版のような形。それから、白い母岩とピンク色のコントラストの美しさである。白い母岩といっても、たぶんこれはコバルトを含有しないカルサイトの塊ではないかと思う。それに石英なんかも混じっているかもしれない。
2025.07.01
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このガクアジサイも我が家にやって来て10年になるんだよね。ふつうの鉢植えは10年もすると、大概は劣化すると思うんだけど、こいつは一向にそんな気配を見せない。今年も花を50個くらいつけている。それだけでもたいしたもんだ。シーズンになると、萼や花の色が日々変化していくので、それを観察するだけでもけっこう楽しい。萼は白っぽいクリーム色から水色を経て、青、紫へと変わっていく。そして、萼の色が赤紫になる頃には、内側に結集している粒々状の花の多くが開き出す。あれ?こんな色、今まで見たことないぞ!アジサイの鉢なんてウチには一つしかなく、咲く花はいつも決まってブルー系である。それがどうしたことか、今年は隅っこにポツンとピンク系の花がついているではないか。一般的に、酸性の土には青い花が咲き、アルカリ性の土には赤い花が咲くと言われている。ということは、土の一部がアルカリ化しているということだろうか。アルカリ性の肥料なんてあげてないんだけど…ひょっとして、これは10周年を記念しての単発マジックなのかもしれない。何それ?まあ、いつものことながら、庭の精霊が仕掛けるジョークってとこかな。 笑ふん、10周年が何さ。あたいらなんか、新米のアジサイなんかよりずっと前からこの庭に居着いているんだからね。忘れてもらっちゃ困るってもんだわ。なにせ、今の水撒き人夫がこの家に戻ってくるずっと前から、あたいらはここで咲き続けているんだから。舐めてもらっちゃ困るってもんだわ。と、デイリリーのお姐さんたちがちょっぴり拗ねているようなので、久しぶりに便乗撮影してあげた。なかなかワイルドな咲きっぷりだ。と同時に、萎みっぷりも野趣満点。エントロピー美学の礼賛者にはきっとウケるだろう。 笑おや?何じゃ、このケッタイなシロモノは。新しい味覚ですよ、お客さん。名付けて、メロンシャーベット on 水餃子。うーん、相変わらず下手な喩えだなあ。 笑食通の女性なら、もっと気の利いたネーミングを思いつくかもしれないが、こちとら何せメロンシャーベットすら食べたこともない食べ物音痴のジジイなので、そのへんはどうかご勘弁を。実はこれ、最近我が家にやって来られたアポフィライト様である。はるばるインドのとある鉱山からのお出ましであるぞよ。 笑どうやら良質のアポフィライトはその大半がインド産らしい。そんなこと言われても、鉱物に興味のない人にはピンとこないよなあ。水晶とかダイヤモンドとかサファイアみたいな知名度があるわけでもないし。ぱっと見、そんなにキレイなわけでもないし。中にはめちゃくちゃ透明感のあるアポフィライトだってあるにはあるが、そんなのは高すぎて、我が家にお出でいただくわけにはいかない。でも、いちおうアポフィライト様だろ。そのへんの河原に転がっている石とは当然違うんだろ?まあ、そんなふうに言われても、この鉱物の何がいいのか自分でもよくわからない。鉱物図鑑では「フッ素魚眼石」という名前をつけられて、珪酸塩鉱物のグループに分類されているけど、そもそも何故「魚眼石」と呼ばれているのかもイマイチよくわからない。結晶のガラス光沢に、何となく独特なツヤを感じるくらいかな。それでも、この標本はわしの好奇心を刺激してやまない。一つには、アポフィライトと共生している引き立て役の鉱物にも味があるからではないだろうか。先程の喩えで言うと、水餃子の部分である。たぶんこれはスティルバイトではないかと思われる。和名は灰束沸石(はいそくふっせき)。消臭剤や土壌改良剤等に利用されているゼオライトの一種である。色や晶癖はアポフィライトと全然違うけど、同じ珪酸塩鉱物で、成分的にはかなり似たもの同士である。気に入っている点は、葉片状(薄板状)の結晶を指先で触れた時の感触かな。 笑それと、スピリチュアル的には、その並外れた浄化力に期待してしまう。今日のオマケはこれ。どこからどう見てもスイーツだよね。バニラアイスの上にキャラメルシロップがかけてあるような…スイーツ女子ならそうは言わないのかもしれないが、哀しいかな、ジジイにはそれ以上の言葉が見つからない。 笑これは先日、某オンラインミネラルショップの50%オフセールで購入したバナジン鉛鉱である。それにしても、50%オフって凄いなあ。ミネラル業界のカラクリが透けて見えそうな。いったい仕入れ値はいくらなんだー!まあ、それはいいとして、このジョークのような鉱物について、ここでちょっとばかりの情報を提供しておこう。バナジン鉛鉱はバナジウムを主成分とする鉱物で、別名を褐鉛鉱という。名前のとおり、鉛の二次鉱物として鉛鉱床の酸化帯で生成。モロッコが主要な産地で、鮮やかな赤、オレンジ色が特徴。しばしば重晶石や方解石と共生。上の写真は強い白色光を当てた状態を想定して補正をかけてあるが、ふつうの照明下で見ると、オレンジ色というよりキャラメル色に近い色あいに見える。白っぽい母岩の部分は、たぶんバライト(重晶石)だと思われるが、カルサイト(方解石)と言われれば、そう見えないこともない。なにせ、両者ともバラエティに富んだ鉱物なので、素人目にはどれがどれやらはっきりしないことが多い。で、次回はそのバライトとカルサイトがメインディッシュとして登場するかもしれない。誰も期待などしてないと思うが、とりあえず、一度はしてみたかった予告なるものをしてみた次第である。 笑
2025.06.22
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近所のSさん家で咲いたエキノプシス・オキシゴナ近頃のわしのマイブームと言えば、「ひとり現代美術ごっこ」かな。スマホのライブラリに保存してある PEANUTS MINERALS の鉱物写真の中から、この遊びに適したものをチョイスし、その写真をそれが鉱物だということがわからなくなるまで拡大する。その度に「ほー!」とか「おおっ」とか、感嘆の声をあげる。PEANUTS MINERALS の鉱物はもともと天然のアートみたいな絶品揃いなので、拡大すると、そのまま現代アートに早変わりなのである。まあ、こんな遊びは無尽蔵の暇に恵まれたアウト老じいさんにしか楽しめないけどね。 笑ところで、先日ネット上でミネラルショップ巡りをしていたら、マルチカラーのステキなフローライトを見つけてしまった。数日経っても興味が失せないので、もう一度そのサイトを覗いてみると、なんということか、すでにその商品には SOLD OUT のマークが付いていた。いつか余分な金ができたら買ってもいいかなと思っていたが、その石はわしだけのために出品してあるわけではなかった、当たり前の話だが。これ、鉱物コレクターのあるある話の中に必ず出てくる話ではある。いいなと思ったらその場で即購入しないと、この世で唯一無二のその石は、他の誰かさんに持っていかれちまうんだぜ。 笑そういう経験を経て、人はいつの間にか石沼にハマっていくんだろうな。と、人ごとみたいに言っているけど、現にこのわしがついにオンラインミネラルショップで初の買い物をしてしまった、という話をこれから始めてみようかと思う。実を言うと、そのオンラインショップでわしが気になっていた石はフローライトだけではなかった。もう一つ、それと同等か、それ以上に惹きつけられる石があったのだ。で、フローライトが人の手に渡ったことを知ったわしは、そのもう一つの石もいずれ近いうちに売れてしまい、結果的にわしの元にやって来るチャンスが永遠に潰えてしまうような気がした。よし、では、モノは試しだ。写真でこんなにキレイに見える鉱物が実際のところはどうなのか、この機会に一度試してみよう。そう思い、軽い気持ちで買ってみた石がこれである。裏側から撮影ぱっと見でこれが何かわかったあなたは、まあまあの鉱物通と言えるだろう。そう、これはアズライト、和名は藍銅鉱という。炭酸塩鉱物のグループに属し、マラカイト(孔雀石)と同じく銅の代表的な二次鉱物として、銅鉱床の風化帯で産出される。一般的には、古来より「群青」の顔料に使用されてきた鉱物として有名なのではないだろうか。上のアズライトはモロッコ産で、サイズは35×20×20mmくらいで、ほぼサムネイルタイプのかわいらしい石である。ショップの商品説明の文をそのまま紹介してみよう。「ぎゅっと濃い青色をしていて、とても素敵なアズライトです。鮮やかで艶があり、キラキラしています。素晴らしいアズライトです。」ホンマかいな。商品が届くまでは正直、半信半疑だったのだが、実物を見て得心。店主の言う通り、群青の青さが半端ないくらい深い。上の写真は明るめに撮っているので、そのへんがちょっと伝わりにくいかもしれないが、夜、LED照明の下で見ると、その青色の深さに思わず吸い込まれそうになる。 笑また、アクリルベースを手に持って、少し動かすと、劈開面に光が当たってキラキラ輝く。上の説明文は決して誇張ではなく、写真も決して盛っているわけではなかった。むしろ、実物はそれ以上に素晴らしいのである。ということで、わしはこの初めてのオンラインショップ体験で、改めて鉱物の魅力に目覚めてしまったのかもしれない。さあ、大変だ。 笑数日後、調子に乗ったポポイさんの家には、別のミネラルショップから新たな石が送られてきたのだった。これもちょっと前から気になっていたんだよなあ。まずは、その産地。ナミビアのグランドバーグ産とある。どこかで聞いたような…あ、そうだ!これ、ブルータスの珍奇鉱物特集号でも見たし、亀田氏のファインミネラル図鑑にも載ってたぞ。たしかアメシストの有名な産地なんだよね、ここは。そう、これはうっすらとしたラベンダー色の滲みが魅力的なアメシストの標本である。いわゆるファントムアメシストの類いではないかな。これだけでも目玉は揃っているのだが、こいつにはさらに珍しいインクルージョン(内包物)というオマケがついている。インクルージョン? 内包物?ああ、中に入っているゴミのことか?たぶん、鉱物のことに疎い人や宝石至上主義の人からすれば、中に不純物が入っているようにしか見えないかもしれないが、原石趣味の人にとっては、こうしたインクルージョンこそ、その石の個性を際立たせる重要な要素の一つといわれている。それは特にクォーツにおいて著しい特徴となっていることが多い。例えば、オイルインクォーツ、ルチルインクォーツ、ヘマタイトインクォーツといったいわゆる「インクォーツ」ものから、ガーデンクォーツやファイヤークォーツといったものまで、その種類は多岐にわたっている。さて、さて。それで、わしが買ったこのアメシストには何が入っているのかという話だが、売り手側の記載によると、こいつはレピドクロサイトだそうだ。ちょっと耳慣れない名前だが、和名は燐鉄鉱といって、文字通り、鉄を主成分とする鉱物らしい。しかも、もっぱら水晶の内部に鱗状、針状という形状で内包される真紅もしくは赤褐色の鉱物だという。一番わかりやすいのがファイヤークォーツと呼ばれている水晶で、これは中に含まれているレピドクロサイトのおかげで、鮮やかな赤色に見える。ところが、わしのアメシストをよく見てみると、赤い鉄錆のようなものに加えて、黒っぽい石の薄片のようなものもけっこう混じっているんだよね。これ、全部レピドクロサイトなのかな?と、疑問に思い、例の亀田氏の図鑑をめくってみると、ブランドバーグ産アメシストの箇所でこんなことが書いてあった。「その内包物はヘマタイトやレピドクロサイトと言われていましたが、レピドクロサイトに関しては分析データがなく当該産地での記載は控える傾向に。」そして、写真の下のキャプションには、Amethystwith Hematite と記してある。ということで、わしが買ったアメシストも、「レピドクロサイト in アメシスト」ということになってはいるけど、実は「ヘマタイト in アメシスト」と呼んだ方がいいのではないかという話である。ヘマタイトなら、赤のみならず黒もあるしね。あ、それからもう一つ。わしのアメシストには、さらにオマケの特徴があることをつけ加えておこう。2枚目の写真を見てもらうとわかるが、柱面にアナルサイム(方沸石)の透明な結晶が見られる。なんだかイボみたいに見えるけど、これもレアと言えばレアなわけで、ちょっとした付加価値にはなっているのではないだろうか。ということで、いつものように知ったかぶりの口調でダラダラと駄弁ってしまったけど、要はこのアメシストもお買い得だったということが言いたかっただけ。
2025.06.11
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サフランモドキ(ゼフィランサス)先月、どういうきっかけだったかは忘れたが、ネット上でたまたまみうらじゅんのインタビュー記事に遭遇し、ちょこっと読んでみたところ、何故かしらその不真面目さに波長が合ってしまった。このジジイ、わしと同じようなこと考えちょるなあ。年はいくつなん?調べてみると、同い年だった。 笑ひょっとしてこいつは笑えるかもしれんぞ。近頃、あまり笑ってなかったので、ちょうどいいタイミングだったのかもしれない。というわけで、4月に出たばかりの『アウト老のすすめ』を買って読んでみた。はじめは同じ武蔵美系ということで、赤瀬川原平の『老人力』みたいな路線の本かと思っていたのだが、実はこの本、「週刊文春」の連載「人生エロエロ」の記事に加筆、修正を加えてまとめたものらしく、その点は予想していたものとはだいぶ違っていた。「アウト老日記」をはじめ、たしかに「老い」や「老人」に関する記事もあるにはあるが、全体的にみると、特に老人論というテーマでまとめてあるわけではない。どちらか言えば、下ネタに特化した雑談って感じ。 笑でも、予想に違わず笑えたので、まあいいか。記事の数が多い(95)のと、読了後しばらく経っていることから、内容はだいぶ忘れてしまったが、それでも印象に残っているものがいくつかある。今回は、その中からマイベスト3をチョイスして、感想めいたことをざっと記してみたい。第3位 「君の名は…」この記事は、親の仕事の都合でヨーロッパから日本の学校に転校してきた「ヴェロニカ」という少女の視点で語り始められる。そして、最後はこんなふうに締められている。「要するに、私の実がその犬のふぐり、いや、もうハッキリ言うわ。犬のキンタマに似てるってことなんでしょ! 失礼だわ。それに日本古来のイヌノフグリは現在、絶滅危惧種っていうじゃない。それじゃこの先、私がキンタマの汚名を一手に担うってこと? もう、許せない。いつか必ず、ルッキズムで訴えてやるから!」これを読むと、Veronica persica という外来種が何故「オオイヌノフグリ」と呼ばれるようになったかがよくわかる。その実が在来種の「イヌノフグリ」に似ていたからである。でも、実際は、オオイヌノフグリの実はどちらかと言えばハート型で、イヌノフグリの実とはそれほど似てないという意見もある。近頃はベロニカ・オックスフォードブルーという園芸種が出回っているが、こいつはオオイヌノフグリと花がよく似ている。同じクワガタソウ属だし、学術名からもわかるように明らかに同族である。ということで、ここらでオオイヌノフグリの方ももっとオシャレっぽく改名してあげた方がいいのではという意見もちらほら耳にする。でも、もともとこの植物には「天人唐草」とか「瑠璃唐草」という別名があるんだよね。それが気に入らないのであれば、単純に「ベロニカ・ペルシカ」という学術名で呼んでもいいのではないだろうか。オオイヌノフグリの実 Wikipedia より第2位 「アウト老日記」「今日は『夕陽のガンマン』を観に行った。当然、そのDVDは持っているが大画面で観るのは初めて。とてもワクワクした。主演のクリント・イーストウッドは賞金稼ぎ。テンガロンハットにポンチョ姿。髭面で、やたらタバコを喫う。1960年代、大流行したマカロニウエスタン。憧れたのは、そのアウトローっぷりだ。それは当時のロックにも通じるところがある。」みうらじゅん氏のイラスト同い年だけあって、みうら氏のサブカルネタはほぼすべてが懐かしい。わしも中学生の頃、テレビでマカロニウエスタンをよく観たものだ。ジュリアーノ・ジェンマに、クリント・イーストウッドに、フランコ・ネロ。中でも、リー・ヴァン・クリーフが助演を務めた『夕陽のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』がわしのお気に入り。当時は時代劇でも『無用ノ介』とか『木枯し紋次郎』みたいな賞金稼ぎや無宿者のヒーローが流行った時代。そう、わしらの思春期はまさにアウトロー全盛の時代だった。みうら氏も確実にわしと同じ時代の空気を吸っていたに違いない。というわけで、「アウト老」というネーミングの源流はこのクリント・イーストウッドに代表されるマカロニウエスタンということになりそうである。たぶんみうら氏は世間一般の老人像からは大きく外れた老人を目指しているのだろう。名付けて、無法老人、あるいは無頼老人。やっぱ、わしらの世代にとってカッコいいのは、若作りより、老けづくりだよなあ。 笑第1位「切ないダンカン」これはポール・サイモンがS&G解散後、初めてリリースしたソロアルバム『PAUL SIMON』のジャケット写真である。このアルバムからは「母と子の絆」「僕とフリオと校庭で」「ダンカンの歌」の3曲がシングルカットされ、いずれもヒットしている。わしはこの3曲のレコードをすべて買ったのでよく知っている。みうら氏も同じ時期にこれらをよく聴いていたようだ。で、話は「ダンカンの歌」のことであるが、みうら氏も言うように、この曲はS&G時代のヒット曲「コンドルは飛んで行く」に似たフォークロア調の演奏で、どことなく「アンデスの寒空が頭に浮かんでくる」ような切ない感じの曲調である。ところが、歌詞を読むと、全然曲のイメージと違うのである。「訳詞を読むと変な出だしに戸惑った。何と、ダンカンはひとりで壁の薄いモーテルに泊まり、隣の部屋から聞こえてくる悶え声になかなか寝つけない ー 。そんな歌なの!? 後半には群衆の前で聖歌を歌ってた彼女に誘われ、森の中で童貞喪失したんだって!」これは洋楽ものにはよくありがちな話である。同じ頃流行った「カリフォルニアの青い空」だって、和名タイトルや曲調に騙された人は大勢いると思う。実はこの曲、田舎から成功を夢見て都会に出てきた若者が悪戦苦闘の末に夢破れ、自暴自棄になっている姿を歌ったものなんだよね。「南カリフォルニアでは雨が降らないと言うけど、降れば必ず土砂降りなんだよ」当時の中学生で、It never rains but it pours の意味をちゃんと把握している者がどれだけいただろうか。もちろん、わしもようわかっとらんかった。 笑先程挙げた「母と子の絆」だってそうだ。田舎の中学生にとってはレゲエという初めてのリズムが真新しく、すこぶる心が踊った覚えがあるが、歌詞の内容はイマイチわからなかった。何となく大切な人との別離がテーマになっているような気がしたが、何度も繰り返し歌われるthe mother and child reunion is only a motion away という歌詞の真意はずっと謎のまま。ただ、インターネットを使うようになって初めて、この「mother and child reunion 」というフレーズの出どころがわかり、ちょっと唖然とした。ポール・サイモン自身が語ったところによると、「Mother and child reunion 」というのは当時彼がよく行っていたレストランで出されていた料理名だという。なんでも、それは鶏肉と卵の料理だったらしい。日本で言うと、親子丼みたいなノリだろうか。たしかに、鶏肉と卵って「母と子の再会」だよなあ。 笑ちゅうことは、例の歌詞って、ひょっとして「母と子が(あの世で)再会するなんてことは、ほんのちょっとしたことなのさ」みたいな意味なのかもしれんな。
2025.06.03
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シラン 194タイトルに「ダイエット」とあるが、この本は別に減量を話題にしているわけではない。もともとのタイトルが英語で記してあるが、おそらくこれは「新生アメリカのための食事法」みたいな意味あいだろう。どんな本かということは、本の裏表紙に印刷してある簡潔な宣伝文を読むとよくわかる。「地球上の全ての生きとし生けるものの幸福と健康を願う視点から、医学、農業、経済、環境等に関する研究データを基に、私達の食生活が、地球と地球上の全生物に及ぼす影響について検証し、警告する。地球と人間を救うための情報と指針に満ちた必読テキスト。」ちょっと敷居が高そうな印象を受けるかもしれないが、要は三大疾病や大規模な環境汚染の原因の一端は私達の食習慣にあるということを一般の読者にもわかりやすく説明した本である。これが今、ずいぶん高値で売られている。日本での初版は1992年だが、やがて絶版となり、近年、復刊ドットコムによって再販されたが、すぐに品薄状態になり、ここのところずっと希少本扱いが続いているようだ。3か月くらい前にチェックした時は、たしかアマゾンで、¥30,000くらいだったような気がするが、1か月前くらいから¥65,959の値がついて現在に至っている。本によっては、一時的に高値をつけるが、やがて適正価格に落ち着くものも多い。が、この本はもともと刊行時からアメリカで評判になった本で、ベジタリアン関連の本などにもよく紹介されているいわゆる名著の類いである。このまま品薄状態が続けば、もっと値が上がる可能性もある。だからと言って、版元が大量に増刷するかと言えば、そういうことにもならない。何故かと言えば、こんな本を読みそうないわゆる意識高い系(←ちょっと揶揄 笑)がそんなに急増することなど考えられないからだ。仮にそんなことにでもなって、この本が謎のベストセラーとかになったりしたら、それこそ食肉産業どころか、飽和脂肪酸産業全体が壊滅状態になるおそれがある。 笑なにしろ、この本は飽和脂肪酸産業の裏側を鋭くえぐっているので、こんなものが消費者に幅広く読まれて、人々の食習慣がガラッと変わったりしたら、それこそ業界全体が吹っ飛んでしまうというわけだ。でも、そうはならないんだよねー。 笑世の中、うまいことできてるよねー。 笑みんな、肉も乳製品も卵も大好きだからねえ。だって、肉や乳製品や卵ってうまいし、良質な蛋白源でもあるじゃないか。たしかにそう信じこまされてきたよね。でも、そのタンパク質の過剰摂取こそが、心臓病や脳卒中や癌の主な原因だと言われたら?この本は大量のデータを駆使して、そのことを証明してみせてくれる。さらには、蛋白質神話のまやかしをあばき、むしろこれまで考えられていたものよりはるかに少ない蛋白質摂取量の方がより健康でいられることまで明らかにしてしまった!若者はともかく、生活習慣病が気になる中高年の皆さんにはちょっとこれ、耳寄りな話じゃないだろうか。肉や乳製品や卵を一切食べるなと言っているのではない。そうした飽和脂肪酸/コレステロール過多な食品の摂取を大幅に減らし、食物繊維が豊富な食品をより多く摂取したらどうかという、非常に真っ当な提案である。こうしたことを1980年代から主張していたジョン・ロビンズって、一体どんな人?実はこの人、世界最大のアイスクリーム会社、バスキンロビンズ社(日本ではサーティワンとして知られている)の御曹司でありながら、親とは正反対の活動をしているというから、なんとも皮肉な話ではある。195近頃は植物図鑑より鉱物図鑑を開く頻度の方が増えている。そこから得られる情報は多岐にわたる。その鉱物の生成や組成、硬度、比重といったデータから、その結晶系、晶癖、色、光沢、劈開、条痕、といった特徴に関する記述まで、なかなか幅広い。このうち、わしのような素人にもわかりやすいのは色と晶癖である。晶癖というのは、各鉱物の結晶に見られる特徴的な外観のことである。それを表現する用語には次のようなものがある。柱状、塊状、樹枝状、針状、葉片状、腎臓状。どれも字面からなんとなくイメージできそうな気がするが、今回はこれらの中で一番グロテスクな感じがする最後の「腎臓状」を取り上げてみようかと思う。というのも、この前、村上春樹の「日々移動する腎臓のかたちをした石」(『東京奇譚集』収録)という短編を読んだ時の印象がいまだに強く残っているからかもしれない。村上春樹の小説には怪異現象というか超常現象というか、まあ、オカルトめいた不思議な現象がつき物だが、件の短編では、タイトルを読んだだけですぐわかる現象が描かれている。状況をざっと説明すると、こうだ。まず、主人公である淳平(作家)がキリエという女性に、今執筆中の小説について話をしている。その話は不倫をしているある女医が休暇で訪れた温泉地の河原で奇妙な石をひとつ見つけるところから始まる。その石は「赤みがかった黒で、つるつるしていて、(中略) サイズも、色あいも、厚みも、本物の腎臓そのまま」である。彼女はその石を病院の自分の部屋に持ち帰って文鎮として使うことにする。すると、数日後、彼女は奇妙な事実に気づく。朝出勤してみると、前日帰宅する時に置いた位置から別の場所に石が勝手に移動しているではないか。しかも、これが連日繰り返される。やがて彼女は夜ごと居場所を変えるその真っ黒な腎臓石の存在に惹きつけられ、それから目をそらすことができなくなっていく。本来ならメインとなる淳平とキリエの関係を差し置いて、この劇中劇とも言える女医の話が後々まで印象に残るのは、ひとえにこの移動する腎臓石のエピソードがあるからではないかと思われる。さて、腎臓状の石といってもいろいろある中で、石に興味のある人の頭の中に真っ先に思い浮かぶのは、やはり赤鉄鉱(ヘマタイト)ではないだろうか。もちろん、赤鉄鉱にも「アイアンローズ」をはじめ、さまざまな晶癖が見られるが、腎臓状の石ということになれば、下にあげる二つの例がその代表的なサンプルと言えるだろう。『岩石・鉱物図鑑』(創元社) より「vec stone club」よりどちらも臓器っぽい生々しさが感じられるが、文鎮として使うのであれば、やっぱり黒っぽい方ではないかな。村上春樹もおそらくこれと似たような赤鉄鉱をどこかで見かけたのではないかと思う。それに黒っぽい石というのは何となくミステリアスな感じもする。例えば、スモーキークォーツとか、ネプチュナイトなんかも、夜ごと動き回りそうな雰囲気は持っている。『2001年宇宙の旅』のモノリスだって黒い石板だったし。こんな石であれば、それこそキリエが言うように、「石も意思を持っている」と考えたくなるのではないか。どうやら彼らは明確な意思を持って私たちを揺さぶっているらしい。さらに言うと、彼らは私たちのことを何から何までよく知っているという。そういうふうに考えると、たしかに面白いねえ。気づいてないのは私たちだけで、実は、風にしろ、石にしろ、何も知らないふりをしながら、しっかり私たちのことを観察しているのかもしれないね。 笑【追記】腎臓状の石ということで、今回は赤鉄鉱を紹介してみたが、もう一つ、赤鉄鉱とよく似た形状の石を挙げるとすれば、針鉄鉱(ゲーサイト)という鉱物がある。村上春樹がイメージしていたのは、ひょっとしてこちらかもしれない。
2025.05.18
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これらはどちらもスペイン産のフローライトです。2週間ほど前に手に入れました。まずは、某ショッピングモール内の書店で化石鉱物フェアをやっているという情報をたまたま入手し、軽い気持ちで見に行ったのがきっかけです。少しばかり惹かれる石もありましたが、その時は手ぶらで帰って来ました。それから数日後、近くで用事があったついでにまたその書店に立ち寄って、いくつかの石を手に取って吟味しましたが、結局、その時も何も買わずに帰ってきました。その後、出費を予定していた金が少し浮いたので、気になっていた黄鉄鉱(パイライト)と、砂漠の薔薇(ジプサムローズ)を買いに出かけました。ところが、現場で前回見過ごしていたいい感じのフローライト(上の二つ)に出会い、急に心変わりして、これらの方を選んでしまいました。さらに、格安の値段で並べてあった藍晶石(カイヤナイト)、紅石英(ローズクォーツ)、オレンジ方解石(カルサイト)を加え、この日は計5個の原石をゲット。これで我が家の鉱物コレクションはあっという間に9個になってしまいました。 笑貧乏人の分際で石沼に沈んでどうするんじゃー!そう憐れむ人もいるかもしれませんが、大丈夫、大丈夫。今回の出費だって、全部で¥5000ちょいですから。それに、わしの生活圏内にはミネラルショップなんてないし、ふだん高価な石を見る機会なんてありませぬ。田舎に住んでいると、そもそも芸術品並みの標本をナマで見ることすらありません。だから、ATMダッシュして高価な石を衝動買いするなんてリスクはまずありえません。でも、通販サイトを開くと、涎が出そうな石がわんさか目に入ってくるのでは?大丈夫、大丈夫。そんな石は、もう桁違いですから、初めから買う気なんて起こりませぬ。そういうレベルの石はガイドブックで眺めるだけで十分です。例えば、『FINE MINERAL』(by 亀田和人 / 双葉社) という本には悶絶レベルの鉱物が300個近く収録されていますが、それでたったの¥2700ですから、その眼福の程度を考慮すると、ほとんど只同然!いや、これ、マジで一家に一冊レベルでっせ。笑わざとらしいストーリーもなければ、小難しい理屈もなし。テキトーに開いたページの写真をボーっと眺めるだけ。それだけで日々のモヤモヤした気分もスッキリ洗い流されます。 笑造化の妙とも言うべき絶品だらけの写真を見飽きたら、今度は安物のリアルな石を掌にのせて、その心地よい重みを味わう。今、安物って言ったけど、中には由緒ある鉱山出身の石もあります。上にあげた紫色のフローライトはSpainのBerbes という所で採れたものですが、この鉱山のフローライトは先程紹介した本の中にも出てきます。もう一つ例を挙げると、ミネラルマルシェで手に入れた緑色のフローライト。これはナミビアのオコルス鉱山のフローライトですが、この鉱山の標本も例の本にいくつか登場します。ついでに、コレクターの亀田氏のコメントを抜粋しておきましょう。「そんな、大人気のフローライトですが、近年その人気が強烈なのが、オコルス鉱山のフローライトです。独特な色味を持ち、その産地がすぐに想起される標本が多い印象です。」これは石ではありません。ラブラブなウメの実どうしが合体して、きれいなハート型になったものです。あるいは、もともと一つの実がハート型に割れたのかもしれません。いずれにせよ、双晶っぽいところが鉱物じみています。この前、ツツジの花の上に乗っかっているのをたまたま見つけました。サイズは18mm×25mmくらいなので、ちょうどサムネイルサイズの石なみの可愛さです。よし、こいつを石に見立てて、エナジーチャージしてあげようっと。 笑水晶のさざれ石の上に置いてみました。
2025.05.06
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192この何年か、冬場にフジの枝をビシバシ切りまくっているので、今年はさすがに花をつけないだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみるとこうなった。うーん、お主ら、めっちゃしぶといのお。最初の写真はヤマフジである。一見すると、フジの木にフジの花が咲いているように見えるが、実は他の木の幹にフジの枝が絡みついて、放ったらかしにしていたら、いつの間にかこんなふうな姿になっていたという図である。2枚目の写真はノダフジの仲間だと思う。ヤマフジの枝を切りすぎたせいか、今年はこちらの方が目立っている。というか、同じ場所に生育しながら、きちんと棲み分けをしているように見えないこともない。193 「建築とアートを巡る」の記事より今、京都の二条城でアンゼルム・キーファーの「ソラリス(Solaris)展」をやっているというのは知っている。臨時収入でも入ってきて、なおかつ気力体力が一時的に漲っていたら、ちょっくら新幹線に乗って日帰りで見に行くのだが、今のところ、そういう展開になりそうな気配はない。そこで、いろんな人が書いている体験記事を読んで、この展覧会をざっと鑑賞した気になってみた。上の写真は「ラー」と名づけられた彫刻である。たぶんエジプト神話における太陽神の「ラー」だと思う。「ソラリス」というのがラテン語で太陽を意味するので、きっとそうだ。昔からそうだが、タイトルが意味深だったり、謎めいているのがキーファーの特徴の一つだ。ざっと例を挙げてみよう。「オシリスとイシス」「セラフィム」「アンドロメダ」「飛べ、コフキコガネ」「リリト、紅海をわたる」「君の金色の髪マルガレーテ」「モーゲンソープラン」「マイスタージンガー」「罌粟と記憶」「植物の秘密の生命 ー ロバート・フラッドのために」「オクタビオ・パスのために」などなど。たぶん作品を制作する過程で、この人は実にいろんなことを日々考えているんだろうなという気がする。ゲルマン民族の精神文化史のみならず、古代文明や神話、錬金術やカバラ思想、果ては宇宙論や物理学にまで視野が広がって、老いてますますオカルト三昧になっていくキーファー。意味はよくわからないけど、タイトルも作品そのものも超絶カッコいいキーファー。重厚で壮大な物質波のようなエネルギーでグイグイ押してくるけど、そのテクスチャーが不思議なまでに人を魅了するキーファー。特に際立っているのは、圧倒的な強度に達しているその廃物感!廃物感って何だ?まあ、要するに、廃墟、廃人、廃物などをイメージさせる感じ。キーファーの作品はそういう周波数を強烈に放射しているような気がする。だから、その手の趣味趣向の人にはたまらなくカッコいいのではないか。上の「ラー」を見て、反射的にカッコいいと思った人は、そうしたキーファー的廃物感に親和性の高い人ではないかと思われる。そんな人のために、数ある写真の中からあえて鉛色の空を背景にしたやつを選んでみた。パレットに生えた翼も鉛でできているからというだけの話ではない。この翼を見て、『ベルリン・天使の詩』を思い出した人のために、ついでに言っておくと、天使は人の心の声は聞けるが、色彩を感じることはできないんだよね。さて、『ベルリン・天使の詩』と言えば、ヴィム・ヴェンダース。昨年、キーファーをテーマにした『アンゼルム"傷ついた世界"の芸術家』という映画を撮ったロードムービーの巨匠である。また、ヴェンダースと言えば、一昨年カンヌ映画祭を賑わせた『PERFECT DAYS』の監督でもある。その『PERFECT DAYS』の中で樹木の精になり切って踊りを踊った田中泯が、このソラリス展のオープニングでも、「ラー」の前で鎌を片手に踊りを披露している。このお三方、それぞれがお友達で、なおかつ三人とも1945年生まれときている。田中泯の踊りを動画で見たけど、どう見ても80歳の踊りには見えんかった。元気よすぎるって。 笑その田中泯が言うには、キーファーも頑丈な肉体の持ち主で、さらに哲学者のような顔をしているけど、ダジャレを連発するような人らしい。やっぱりね。あんな作品を作る人って、やっぱりそうでなくちゃ。戦争の焼け野原が原風景であるようなタフな人たち…ちなみに、このブログに名前が出てきた人たちの中で1945年生まれというと、エリック・クラプトンとタモリがいる。クラプトンはまた今年も来日公演を果たし、タモリもブラタモリを復活させるなど、80歳にしてバリバリの現役である。あ、そうそう、余談ついでに言っておくと、今回のソラリス展には、坂本龍一が所蔵していた「SOLARIS − Harry 」という作品も展示してあるらしい。そうか、坂本龍一もキーファーのファンだったのか!いかにもって感じだなあ。そう言えば、坂本龍一と親交のあった浅田彰が90年代によくキーファーを取り上げて論じていたっけ。せっかくなので、当時キーファーの名前を一躍有名にした例の鉛の本をちょっくら紹介しておこう。『20世紀イメージ考古学』より「古倉庫のような無機的なだだっ広いからっぽの空間に、写真、印刷物の断片、砂、絵の具、泥などが折り込められた二〇〇冊あまりの鉛の本の入った鋼鉄製書架が放置されている。一冊の本は一メートル四方で、書架の幅は七メートル、高さは四メートルにもなる、巨大な黒い本の神殿。」 by 伊藤俊治「ザ・ハイプリーステス」( The High Priestess ) というタイトルのこの大作は、キーファーが1985年から5年がかりで作りあげ、ロンドンのリヴァーサイドスタジオという所で初公開されたそうだ。とにかくでかいし、重い。一冊の本がたしか100kg以上あるんじゃなかったっけ。(300kgという説もある)このスケールと重量感、そして廃棄物感漂う鉛の質感、これぞまさにキーファーって感じ。他の誰もこんなもん作らないって。 笑ちなみに「ハイプリーステス」というのは、タロットカードの二番目のカードの名前である。さらに副題としてつけられた「ツヴァイシュトロムラント」というのは、英語にすると、The Land of the Two Rivers ということになり、どうやら、古代都市メソポタミアを取り囲むチグリス川、ユーフラテス川の河口を意味するそうだ。オカルト好きならそそられるネーミングではなかろうか。さて、さて、この辺で恒例のオマケタイムに移りますか。ここまでに紹介した作品からして、アンゼルム・キーファーってインスタレーションや彫刻が専門のアーティストかと思った人もいるかもしれないが、決してそういうわけではなく、絵画も精力的に制作している。絵画といってもキーファーだから一筋縄ではいかないけどね。絵筆のタッチが荒々しいというか、暴力的というか、決しておとなしい感じではない。しかも、藁や鉛や衣服などを画面に貼りつけたりして、やはりここでも物質性を前面に押し出すって感じ。わしが美術館で実際に見たのは、「樹とパレット」と「橄欖山」という作品なんだけど、これらは表現主義的な画風ながら、まだそこまで過激な物質性は認められない。オマケとして最後に一つあげるとしたら、それらよりは「マイスタージンガー」あたりがちょうどいいような気もするが、今回はせっかくソラリス展のことを話題にしたので、そこから一つ、「ライン川」なんてどうだろうか。これは2023年の作品で、「キャンバスに乳剤、油彩、アクリル絵具、シュラックニス、金箔、電気分解による沈殿物」というデータが記してある。どのへんがライン川なのかはさっぱりわからないが(笑)、緑青色と金箔という最近のキーファーの傾向というか、好みがよくわかる作品ではある。
2025.04.28
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昨日(4/13)、コンベックス岡山で開かれているミネラルマルシェという天然石の展示販売会にMさんと一緒に行ってきました。鉱物にちょっとばかり関心があるので、社会見学の一つとして初参加してみた次第です。日曜日ということもあってか、会場はこちらの予想をはるかに超える混雑ぶりでした。若者から年寄りまで、男女を問わず、これほど多くの人がたかが石を見るために集まって来ているのかと思いながら、ちょっと呆気にとられてしまいました。ユリイカが石の特集を組んだり、『宝石の国』が大ヒットして、フォスフォフィライトが有名になったりしているご時世を反映しているのかもしれません。 笑数十店のブースが出品している中、アクセサリー、ジュエリー系はスルーして、ざっと一回りするだけでも2時間以上かかりました。展示品の大方は天然石ですが、中には化石や隕石の類いも混じっていました。展示の仕方は各ブースでまちまちですが、大別すると、二通りになるような気がします。一つは上の写真のように、まさに標本という感じでケースに入れてあったり、アクリル台に立ててあったりするパターンです。これらの石はサイズが小さい(サムネイルやミニチュアがメイン)のが特徴です。高品質な上に種類も豊富で、明らかにマニアックなコレクターを対象にしているような感じです。時間があれば、こうした石をじっくり一つ一つ眺めてみたい気もしましたが、そんなことしてたら日が暮れてしまうので、適当なところで切り上げて次のブースに移らなくてはなりません。もう一つの展示方法は同じ種類の石を台の上に無造作に置いたり、紙の小箱に入れて並べたりというパターンです。こちらの方が初心者向けかなという気がします。上の写真を例にとると、左側には糸魚川産の翡翠、真ん中にマダガスカル産の天青石(セレスタイト/セレスタイン)、右側にはブラジル産の水晶が並べてあります。一般的によく買われそうな石で、しかもビギナーにもなんとか手が出せそうな値段で売られています。私もここに並べてある天青石の一つを買わせてもらいました。記念の品としては、本当はこの石一つでもよかったのですが、気分が高揚していたのか、ついつい調子に乗ってもう3個ゲットしてしまいました。もうこのくらいの規模の展示会に来ることもないだろうから、安物の記念品4個なんて可愛いもんだよ。と今は思っているけど、これが石沼にハマる第一歩だったりして。 笑ナミビア オコルス鉱山のフローライト(蛍石)フランス産のブルーハライト (天然岩塩)ブラジル産のアメシスト(紫水晶)
2025.04.14
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黄梅 (モクセイ科ジャスミン属) かな?この前、日野啓三の 『Living Zero』を読み返していて、思い出した。そういえば、この人もブライアン・イーノの音楽が好きだったんだよなあ。特にハロルド・バッドとの共作になる『鏡面界』と『パール』がお気に入りだったらしい。単調で静謐な音響空間がお望みの人にはもってこいの音楽だ。日野啓三によると、イーノの音楽は感情に訴えないところと形(構造)がない点がいいらしい。感情に対応しないということは、要するに、脱人間的波動領域の音楽と言ってもいいかもしれないね。もっとわかりやすく言えば、非人間的な音楽(人間をテーマにしていない音楽)ということになるのかな。日野啓三流に言えば、こうなる。「この間、ある人が奥さんの遺骨をサハラ砂漠に置いてきた、というカラー写真を見せてもらった。骨の上を砂がさらさらと流れていた。やがて骨も少しずつ砕けて粒になって、砂と一緒に風に吹かれ、流れてゆくだろう。イーノの音楽はそんな光景にぴったりなんだ。」これ、ちょっと笑っちゃうよね。でも、とてもわかりやすい喩えではある。砂というのは、とりもなおさず鉱物ということであり、イーノの音楽は日野啓三が好きな鉱物ととてもよくマッチするということだと思われる。『鏡面界』に収録されている「フィールド・オブ・クリスタル」という曲なんか、日野啓三にとってはタイトルからして「まさにJ・G・バラード・ワールドの音」ということになる。鉱物だけではない。タイトルに光や空気や風といった単語がくっつくだけで、この人は敏感に反応してしまう。 笑例えば、「ウインド・イン・ロンリー・フェンス」にはこんなコメントをつけている。「廃屋敷の傾いた垣根に鳴る風。アンドリュー・ワイエスの絵の中で鳴っている音だ」なるほど、そうきたか!確かにアンドリュー・ワイエスの絵の中ではよく風が吹いている。でも、この曲を聴いてアンドリュー・ワイエスの絵を思い浮かべるって、やっぱり初めからこの画家のファン以外にはあり得ないよなあ。日野啓三は気に入った人にはアンドリュー・ワイエスの画集をよくプレゼントしていたらしい。たぶんこの画家の画集を何冊も持っていたのではないか。わしは残念ながら、この画家のことはよく知らない。でも、二、三の絵なら印刷媒体で見たことがある。そう言えば、代表作の『クリスティーナの世界』は『2001年宇宙の旅』(小説)の中にも出てくるんだよね。今ふと思い出した。話の終盤、スペースポッドに乗って、さながら光の奔流のような異次元の宇宙空間を旅したボーマンが辿り着いた先は、上品なホテルの続き部屋みたいな空間だった。そして、そのリビングルームの壁にはゴッホの『アルルのはね橋』とワイエスの『クリスティナの世界』が掛けてあるんだよね。これって誰の趣味かなあ。この部屋を用意した謎の知的生命体がボーマンの頭の中からピックアップしたのだろうか?まあ、作者のアーサー・C・クラークの思惑が絡んでいるのは間違いないけど…ところで、この女性(クリスティーナ)は、こんな殺風景な丘の上で一体何をしているんだろう。実は、彼女、難病による下半身付随のため、歩くことがままならない状態らしい。それで、腕を脚がわりにして、家まで這って帰ろうとしているのだそうだ。なんでも、彼女は車椅子を使いたがらなかったらしい。まさに、脚がダメでも腕があるじゃないってことだろうか。いつもこんな感じで移動していたようだ。まあ、生き物としてはとても自然なこと。モロイだって脚がダメになると、腕の力だけで森の中を這い回ったではないか。そんなクリスティーナに対して可哀想と感じるのはちょっと的外れかもしれない。たぶん作者ワイエスもそうは思っていなかったのではないか。でも、画面にそこはかとなく漂う寂寥感は何なんだろう?それはただこのワイエスという人が、がらんとした空間に人がポツンと佇むことによって醸し出される「ひとりぼっち感」を気に入っていたというだけの話ではないだろうか。実際、インタヴューに答えて彼はこんなことを言っている。「私は今に至るまで人生の大半をひとりぼっちで過ごしてきました。それが気に入ってもいるのです。」「もし私の作品が生きているとしたら、それは人びとから妙に離れている感じがするせいかもしれません ー一種の孤立感です。」どうやら、ワイエスという人はひとりぼっちで自然の中を動物のようにほっつき歩き、あたりに潜む何やらマジカルなものの波動を感じとるのが好きだったようだ。また、小鬼や妖精や魔法使いといったハロウィン的なもの、超常現象や亡霊や廃墟といったゴシックホラー的なものにも強く惹かれていたようだが、それはこの画家がアメリカンゴシック的想像力の系譜に連なっている証かもしれない。『海からの風』『November First』「風の強い秋の日にとうもろこし畑の中でただじっとして、かさかさという乾いた音に耳を傾ける、これほど胸が高鳴ることはないと思います。」「実際雪は私を酔わせる。ぞくっとするほど感動してしまいます。 ー あの静謐。信じられないくらいだ。」「私は冬と秋が好きですが、その季節にはいわば風景の骨格とでも言えるものが感じられる。 ー そしてその寂しさ、冬の何もかもが死に絶えた感じなども。だが何かがその下で待っている。」幼い頃から病弱で、終生アメリカ東部の片田舎から出ることなく、水彩やテンペラ画を描き続けたアンドリュー・ワイエス。 その絵は一般的にはリアリズムと言われているが、それらをマジックリアリズムと呼ぶ人もいる。それはリアリズムという手法を通して、自然の中に息づく「抽象的なきらめき」をマジックのようにあぶり出すみたいな意味合いかもしれない。そして、画面に漂う不穏な空気、あるいは異世界に通じるかのような霊的な気配。日野啓三もそうしたものに惹かれていたのかもしれない。
2025.04.03
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昨日(3/25)、尾道市立美術館で開催されている「大津絵と浮世絵版画」展にMさんと連れだって行って来ました。上の写真はそのパンフレットの一部です。ブラタモリを見ている人なら見覚えがある絵かもしれませんね。たしか「東海道57次」という回で上の絵が紹介されたような気がします。これは歌川広重の「東海道五拾三次」で53番目に出てくる「大津宿」という絵です。「東海道五拾三次」と言えば、あの有名な「日本橋」とか「蒲原」とか「庄野」を思い浮かべる人が多いのではないかと思われますが、あれらの見慣れた図柄はみな保永堂版と呼ばれているバージョンなんですね。そんなことも今回の展覧会を見て初めて知りました。で、上の絵は、保永堂版に次いでよく知られている丸清版の「大津宿」です。つまり、今回私たちが見た浮世絵はすべて丸清版の「東海道五拾三次」というわけです。では、「大津絵」って何だ?初耳の人のために簡単に説明すると、大津絵とは「江戸初期から明治にかけて職人によって描かれた庶民絵画で、宿場町大津の土産物として旅人に売られていた絵」のことをいうそうです。上の絵の左上の部分に、その大津絵を売る店の様子が描かれています。入り口付近に立て掛けてある絵は当時人気商品だった「鬼の念仏」です。私もブラタモリを見て、この「鬼の念仏」のことだけは知っていたのですが、今回の展覧会では、それ以外のいろんな画題の大津絵をナマで鑑賞することができました。主だったところをざっと挙げると、「藤娘」「鷹匠」「猫と鼠」「瓢箪鯰」「座頭」「弁慶」「雷公」など、どれも素朴な味わいの絵がずらっと展示してありました。その中から、私が面白いと思ったものを一枚だけあげるとすれば、これです。これは「鬼の三味線」という絵で、見てのとおり盃と徳利を前にして、鬼が楽しそうに三味線を弾いています。まるでバンジョーを弾いているみたいです。 笑なんだかとっても和やかな雰囲気が溢れているような気がしませんか。鬼の中にも陽気で愉快なヤツがおるんじゃなあ。と思いきや、実は酒と音楽で相手を酔わせておいて、隙あらば悪さをしようと狙っているのだそうです、この鬼は。うはっ! ナイーヴなやつはいつの世もコロッと騙されるっちゅうことですね。 笑というわけで、この絵には「うまい話には裏がある」みたいな教訓が込められているようです。保永堂版丸清版さて、今度は歌川広重の浮世絵版画の中から「日坂宿 佐夜ノ中山」という絵を紹介しましょう。せっかくなので、保永堂版と丸清版を見比べてみます。見てのとおり、構図がまったく違います。難所として名高い佐夜の中山峠ということで、保永堂版では、その急勾配をややデフォルメ気味に誇張して描いています。一方、丸清版では急坂の分岐点あたりをクローズアップ(近景にして)して描いているようです。どちらの絵にも、中央に目印っぽい石が描かれていますが、これがかの有名な夜泣き石です。この山中で賊に襲われ殺された妊婦の霊が石に宿り、毎夜泣き声が聞こえたという伝説の石です。丸清版では、右手の三人連れのうちの先頭に立つ男がこの石を指差しているのがわかります。「おっ、あったぞ!これだ、これだ!」みたいな言葉を発しているのではないでしょうか。中山峠を越える時は、この伝説の石を見ていくのが旅人の慣わしだったようです。この絵に限らず、「東海道五拾三次」にはそれぞれ各地の見どころ、名所名物みたいなものが描かれていて、当時の人たちにとってはこれが一種のガイドブックみたいな役目を果たしていたのではないかと思われます。さて、さて、せっかく夜泣き石のことが出てきたついでに、石の持つ怪異なパワーみたいな話に雪崩れこんでもいいのですが、それをやるとまただいぶ時間を食ってしまうので、今日のところはやめにしておきます。それはまた別の機会に…最後にオマケにもう一枚。「東海道五拾三次」に描かれた人間以外の生き物で、一番登場回数が多いのは馬ではないかと思い、どれでもいいけど、まあ、これにしとくか、てな具合で、「吉原宿」を選んでみました。日本の昔の馬って、もっと貧相だと思っていたのですが、広重の描く馬は案外と馬格もあり、毛艶も良さそうに見えます。今すぐサラブレッドとしてJRAのレースに出してもおかしくないような見栄えのする馬たちです。 笑
2025.03.26
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189山茶花 3/1 撮影紅梅 3/7 撮影たしか去年も山茶花と梅をセットにして記事を書いたような記憶があります。ウチの山茶花は満開になるのが遅いということを話題にしたのではないかと思います。今年も3月というのに、余裕で蕾を残しています。一方、梅の方も厳しい寒波の影響か、たぶん今までで一番遅い開花となりました。3月に入ってようやくポツリポツリと綻び始めた次第です。ただ、数日後にはほぼ満開になりました。見てのとおり、枝数が少ないからです。実は、2/19に植木屋に頼んで強剪定をしてもらったのです。素人が透かし剪定をするのとは違って、めっちゃスピーディーな作業でした。要はどの枝を切るかではなく、どの枝を残すかなんですね。残す枝以外は躊躇なく全部バッサリなんです。 笑おかげで、あんなに騒々しかった我が家の梅が、今ではこんなに静かになりました。下手くそな喩えでよければ、ヒッピー並みのロン毛からリクルートカットにイメチェンしてサッパリしたみたいな。(ヒッピーなんて今どきおらんぞー 笑)梅って、やっぱりこのくらいの風情が丁度いいのかなあ、なんて思ったりします。まあ、そんなことより、しばらくはあまり世話をしなくてもよくなるのが、自分としては一番ありがたいことなんだけどね。 笑190これは昨日、妹が送ってくれた写真です。どっかのうどん屋の店先で撮ったそうです。ぱっと見、柿かなと思ったのですが、幹とか、実のヘタの部分が違うような気がしました。ところがどっこい、やっぱりこれ、老爺(ろうや)柿といって、渋柿の一種なんだそうです。(老鴉柿というのが正式名らしい)もともとは中国原産で、日本に入ってきたのは第2次大戦中のこと。たぶん盆栽が趣味の人なら知っているのではないでしょうか。1984年に展示会でこの老爺柿が初めて飾られた時は、盆栽界に大きな衝撃が走ったそうです。というのも、従来の日本産の柿というのは盆栽仕立てにするのが難しいという背景があったからです。というわけで、以来、愛好家や栽培家によっていろんな品種が作られるようになり、盆栽のみならず庭木としても広く用いられるようになったのだとか。へえ〜、知らんかったなあ。また初めての植物に出会ったら、知ったかぶりして紹介します。紹介するふりをしながら、実は自分がそれに出会った(実物かどうかにかかわらず)という痕跡を残しているだけかもしれませんが。 笑191何かを読んだり、何かを見たり聞いたりしている時に、ふとこれは他の何かに似ていると思うことが誰にでもあるのではないか。わしは特にそう思うことが多い。以下に、最近経験した「(何かが何かに)似ている事例」を二つほどあげてみる。【その一】先月読んだユリイカの石特集号の中で、橋爪太作という文化人類学の学者さんがクロード・レヴィ=ストロースのこんな言葉を引用しておられた。「私が言っているのは、人間は、人間がいつまでもこの地上に存在し続けるのではないこと、この地球というものもいずれは存在しなくなるだろうということ、そしてその時には、人間が作りだしたすべてが消えて何も残らないだろうということを十分知ったうえで、それでも生活し、働き、考え、努力しなければならない、ということなのです。」これを読んで、わしは釈迦の最後の言葉を思い出した。「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」両者は何となく似ているような気がするのだが、ひょっとしてそれはわしの思い違いなのだろうか。【その二】近頃、暇な時は『岩石・鉱物図鑑』(クリス・ペラント/ヘレン・ペラント 著 ) という本を開いて、異様に美しい鉱物の写真にぼうっと見入っていたりする。中には笑えるものも混じっている。これなんかどうだろう。これは紅亜鉛鉱という酸化鉱物の一種である。「亜鉛の鉱石として重要であるとともに、コレクターや鉱物学者に希少性を高く評価されている」そうだ。なるほど、そうなんだ。でも、わし的には、この写真、どう見てもステーキなんだけどね。 笑共生している方解石の部分がさしずめ脂身ってところかな。しかし、鉱物って面白いなあ。自らは無機質でありながら、その対極にあるはずのお肉(アミノ酸系)のふりをするなんて、凄すぎる。 笑
2025.03.10
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「ゆるぷ」 だいたいちょっきんさんの記事より今日もまた、こんな冗談のような写真から始めることになってしまった。まあ、「何のためにもならない純粋雑談」を標榜するこのブログにはふさわしいネタではある。でも、近頃はみなさん、一億総物知りみたいになってきているからなあ…わしが種明かしする前に、ちゃんと「何だ?この石ころのてんこ盛りは…」なんてボケてくれる人が果たしていてくれるだろうか。 笑リトープス。ギリシャ語で、「石ころに似ている」という意味らしい。日本語では「メセン」とか「イシコロギク」と呼ばれている多肉植物である。原産地はアフリカ南部で、「岩が風化した礫の間や砂地に埋もれて生育する」という。だから、いつの間にか石に擬態する術を身につけるようになったのだろう。では、これに対抗して、こんなのはどうか。BRUTUS 「珍奇鉱物」特集号よりブルーのフローライトの上に咲いた淡いピンク色の薔薇。かと思いきや、実はこれ、薔薇に擬態したカルサイトの結晶なのである。石ころに擬態する植物があれば、逆に植物に擬態する鉱物もあるというのが、自然の奥深さなんだよね。でも、こんなもんで驚くのはまだ早い。生物やスイーツなどに擬態するのみならず、石は自らの内に絵を描くアーティストでもあったのだ!ロジェ・カイヨワ 『石が書く』より去年、ユリイカの石特集号で、山田英春氏がロジェ・カイヨワの『石が書く』という本にものすごく影響を受けたと言っておられた。わしもこの本のことは昔から知っていたのだが、残念ながらまだ読んでいない。買うには高すぎるし、ちょっとレアな本なので、もちろんローカルな図書館には置かれてない。よって、上の写真は他の人がネットに上げていたのをそのまま転載したものである。この写真の石はメキシコ産の瑪瑙とあるが、一目瞭然なのはその断面の模様が風景画を思わせるという点である。手前に川の流れと河原があり、対岸に植物の茂みのようなものが見える。彼方には断層を伴った山の斜面とその山頂。そして、天辺には紺碧の空。えっ、全然そんなふうには見えんぞってか。もちろん、見る人によっては、こんなもん、ちょっとばかしカラフルな模様に過ぎないのかもしれない。けど、パエジナ・ストーン(イタリア、トスカーナ地方の大理石)みたいな風景石をいくつも見ていると、どんな唐変木でも、少しばかり妖しい気分になってくるのではないか。カイヨワの本に触発された山田英春氏の図鑑(『不思議で美しい石の図鑑』)には、そうした瑪瑙やジャスパーや風景石などの美しい写真がたっぷり収められているそうだ。もしあなたがわしみたいな貧乏人なら、ユリイカを買ってその一斑だけを見るという手もある。5ページにわたってカラー図版が載せてあるので、この手の石へのアプローチとしてはそれで十分かもしれない。ちょっと興味が湧いてきたけど、ユリイカを買う金すらケチりたいというのであれば、SNSでなんとかなることもある。例えば、これ(↓)なんかも山田氏がXに投稿しておられるのを拾ってきたもの。これは「アルノーの緑」と呼ばれている石で、イタリアのフィレンツェに流れるアルノー川流域で採取されたものだという。続けて、山田氏はこの石のことを次のように説明されている。「パエジナと同じ地域でとれる石灰岩だが、こちらは風景のように見える模様ではなく、幾何学模様の石だ。交差する線とそれが切り分ける面の濃淡が、さながらクレーの絵のような絶妙な構成美を見せる、他に似たものがない石だ。」確かに、クレーの抽象画にこんな絵柄のものがあったような気がする。と同時に、わしは昨年ふくやま美術館で開催された「イタリアと日本の前衛」展で見たブルーノ・ムナーリの「ダイレクト・プロジェクション」のことを思い出した。あれらの図柄もなんとなくこの石の模様に似てるんだよなあ。それもそのはず。山田氏が紹介している「石を知るためのブックガイド」にムナーリの『遠くから見たら島だった』という写真絵本が選ばれていて、その記事を読むと、この本が石の模様をフィーチャーしたものであることがわかった。うわっ、ムナーリ、お主もか! 笑「お主もか!」というのは、「お主も鉱物派か!」という意味である。アーティストや作家や思想家の中には、鉱物を偏愛する人がホンマに多いんだよなあ。今回のトリを務める日野啓三もそんな鉱物派のひとりである。Wikipedia よりこれはカーネギー自然史博物館に展示されている輝安鉱(アンチモナイト/スティブナイト)の写真である。日野啓三の「石の花」という短編の中で触れられている珍しい鉱物だ。その箇所を抜粋してみよう。「なかでも一条氏がこよなく愛しているのは、輝安鉱である。色は地味な鉛色だが、斜方晶系の針状結晶が集って鋭く宙に伸び出る姿は、意識そのもののかたちを見るような、醒めたよろこびを与えて尽きることがない。冷やかな光沢を帯びた黒と紫の縦の縞模様が、わずかな見る角度の変化に応じて無限に変幻する。」もうこれだけで、一条氏のマニアぶりが窺い知れるのではないか。夫人の方は石榴(ざくろ)石を深く好んでおり、彼らはふたりして庭園に大きな花壇をいくつも設け、そこでさまざまな石の花を育てている。やがて、その中で彼らが最も目をつけている「謎の石」がすくすくと成長し、ついに薔薇に似た大輪の花を咲かせる時がやって来る。そして、傍にはその成長を見守るかのように、二個の石が並んで立っているのであった…えっ、そのラストはもしかして…そう、そのとおり。彼らはいつの間にかひっそりと石化していたのである。石が生命を獲得し、人が石化するって、まるでマックス・エルンストの絵のようではないか!何という倒錯の極み!そう、そのとおり。エルンストの絵が大好きなJ・G・バラードは世界が結晶化する小説(『結晶世界』)を書いたが、日野啓三はそのバラードのことが大好きなので、おそらくエルンストの「沈黙の眼」なんかも熱愛していたのではないか。では、何故、鉱物派の人たちはそれほどまでに鉱物に傾くのか。答えは簡単!おそらく生命の起源を辿っていくと、最終的には鉱物へとたどり着くからではないだろうか。彼らはそのことに気づいているだけなのだ。かつて日野啓三は「廃墟 ー 鉱物と意識が触れ合う場所」というエッセイの中で、こう語っている。「そしてこのわれわれは鉱物が幾度もの相転移を経て意識にまで到達したのだという神秘に、言い難い眩暈と畏敬の念にうたれるのである。」
2025.02.21
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わが家のノキシノブ前回お届けしたアベコボフェアの余韻がまだほんのり残っている。今日はどんなトリビアから始めてみようか。こんなのはどうだろう。一緒に飲みに行ったことがあるというタモリが言うには、アベコボはその時ピンク・フロイドの話ばかりしていたそうである。そして、「フロイドの悪口言ったら安部さんに怒られた」らしい。 笑遺作とされている『カンガルー・ノート』の中でも、二箇所ほどピンク・フロイドに言及している場面がある。よほど好きだったんだろう。あ、そう言えば、この『カンガルー・ノート』、2023年にはSNSで大バズりしたらしいね。没後30年たって、やっと時代がアベコボに追いついたのかな。 笑脛にかいわれ大根が生えてきた男が自走ベッドに乗って冥府巡りをするという、アベコボらしいとんでもない設定のこの連作長編、死をテーマにしているわりには意外と軽い。というか、たぶんわしが読んだアベコボの小説の中ではダントツに読みやすい。アベコボ流の私小説をポストモダン風に展開したって感じかな。まあ、大病を患っていたこともあり、適度に肩の力が抜けているのが、令和の読者にとっては丁度いい感じなのかもしれない。往来堂書店 高橋さんのツイートよりここでまたピンク・フロイドに戻る。小説のエンディングで、「エコーズ」をBGMに使っていることからもわかるように、アベコボはこの曲がフロイドの中でも一番お気に入りだったようだ。彼のみならず、昔ながらのフロイドファンなら、おそらくこの曲をベストに推す人が多いのではないか。わしも高校生の頃、夜中にこの長尺の曲をよく聴いたもんだ。何がよかったんだろうね。風の音や、海鳥の鳴き声を模したあの効果音かな。独特な浮遊感とか上昇感とか寂寥感?あるいは、文字通り、遠い時代の残響 ( The echo of a distant time ) を聞いている感じがよかったのか。いずれにせよ、73年くらいまでのピンク・フロイドといえば、イメージ喚起力の強い音作りが売りだったような気がする。そして、アベコボもそのへんにフロイドらしさを感じていたのではないだろうか。ここで、『カンガルー・ノート』からもう一つの当該箇所をまるごと抜粋してみる。波のうねりがしだいに幅を狭めてきた。船だろうか?櫓を漕ぐひそかなきしみ、船縁をたたく水の音。まるっきりピンク・フロイドの『鬱』の出だしとそっくりじゃないか。バンド内の紛争でロジャー・ウォーターズが抜けた後、87年に制作された新グループによる作品だ。ぼくは以前から髭を剃った馬みたいなウォーターズのファンだったから、多少の偏見はあったかもしれない。でも出だしの音色には、昔の雰囲気が色濃くにじんでいて、悪くない。いずれ家に戻る機会にめぐまれれば、あらためて全曲を聞き直してみたいものだ。「髭を剃った馬みたいなウォーターズ」ってどんな顔?気になる人もいるかと思い、若い頃のロジャー・ウォーターズの写真を用意した。要するに、アベコボは馬面のウォーターズが好きってことだよな。 笑歳をとってからは髭をたくわえて、少しダンディな顔つきになったけど、若い頃は顔の長さが異様に目立っていたような気がする。でも、ロックスターなんて目立ってなんぼの世界なので、このくらいインパクトのある風貌の方がいいのではないか。ところで、そもそも人の顔なんて、大なり小なり他の生き物に似ているものではないだろうか。猿顔、狸顔、狐顔、豚顔、犬顔、猫顔 …哺乳類なんてまだまだ青いぜ。ヘビ、トカゲ、ワニのような爬虫類顔。カエルに代表される両生類顔。さらに遠い祖先を偲ばせる顔だってあるだろう。ということで、こんなのはどうか。NHK NEWS よりこれは昨年亡くなった松岡正剛の若い頃の写真である。晩年は眼鏡をかけ顎髭もたくわえて、まるで明治大正時代の文人に扮した南原清隆みたいな顔つき(?)になってしまわれたのだが、それでは何に似ているかよくわからないということで、あえて若い頃の写真を探し出してみた。(ヒマ〜)この写真を見て、何を連想するかはその人の勝手だが、東京芸大の名物講師として有名だった三木成夫は初対面の松岡正剛に対し開口一番こう言ったそうだ。「そうか、あなたが松岡さんですか。うーん、デボン紀ですね」「えっ、デ、デボン紀?」「そう、顔ですよ、顔。松岡さんはデボン紀だ」これは松岡正剛の千夜千冊の「胎児の世界」の冒頭で紹介してあるエピソードだ。『胎児の世界』というのは、三木先生の本の中で一番よく話題にのぼる本であるが、わしは残念ながらまだ読んでいない。けど、この先生の名前は以前から知っている。解剖学や発生学の分野では著名な方で、たしか養老孟司の師匠にあたる人だと思う。その型破りな講義は無類の面白さで、学生たちにものすごく人気があったらしい。で、ついでに言っておくと、その『胎児の世界』というのは、ヘッケルが提唱した「個体発生は系統発生を繰り返す」という説をオカルティックに肉づけして拡大解釈したような本らしい。もっとわかりやすく言うと、どうやら「人間の胎児は母親の胎内で、古代生物からの進化の過程を追体験する」みたいな話である。そんなことを始終考えているような人だから、松岡正剛の顔にもすぐさまデボン紀の面影を見てとったわけですな。 笑では、「デボン紀の顔」というフレーズで三木先生は具体的に何を思い浮かべておられたのか。松岡正剛も件の記事の中で色々と候補名を挙げつつも特定には至ってない。なんでも、デボン紀と言えば「魚類の時代」ということなので、無難なところで、シーラカンスみたいな肺魚か?あるいは、デボン紀の初期に現れたというトビムシのような翅のない原始的な昆虫か?いや、いや、そうではあるまい。わしなら、真っ先に軟骨魚類の類いを思い浮かべるけどな。軟骨魚類?そう、サメやエイの類い。松岡正剛はやっぱサメ面だよ。 笑さて、さて。最後に、どさくさに紛れて、例によって例の如く、オマケを一丁追加しよう。このブログの常連さんにはおなじみのサミュエル・ベケットである。松岡正剛がデボン紀なら、こちらは間違いなくジュラ紀だろう。典型的な鳥顔。それも、猛禽類。 耳の形はカフカに似ている。 笑
2025.02.02
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