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久しぶりに、ゆっくりな気持ちでブログの更新・・・っていうことをできてるみたい 仕事をしない生活をして、一ヶ月が過ぎようとしている今はまだ心身ともに休養が必要なようです。 忙しく、せわしない生活は疲労困憊してしまうので、できること、できるだけの生活をしている。結婚して3年、初めての専業主婦という生活がなんだか緊張感もあり新鮮味もあります 今は、休職中、そして求職中の身ではあるが今までの転職活動時期よりゆったりと構えている、そんな現在の私。 それまでは、女性であっても主婦であっても仕事をしてないとだめ。自立していなきゃ!まずいと追い込むくらいにおもってた。仕事をしていたとき、特に主婦上がりの方にはその方がたのペースや考え方に同調できず、理解できないこともあった。でも今、自分がこういう生活を送っていると、「主婦だって大きな仕事をしているのだ」と思えてならないと過去の自分の考えに、見せる顔もないくらいに思えてくる。 さて本題。私の30年そこらの歴史から、そして経験から、読んだ本や出会った方々から学んだことを思い返し、ある一つの真実に出会った。それは大切なもの、本当に本当に大事なものは一つだけしか手に入らない、手に入るのは(かなう)一つだけ。 っていうこと。 極端な言い表し方ではあるけど、一つあれば十分なのだとおもうもしかしたら、一つではなく、ふたつもみっつも持っているっていうときは、その中でも本当に大切なものは失いたくないものはその中の一つなのではないか。 自分の意に反する選択でさえもそこにはいる。 私のことで言えば、仕事が好調、お金もたくさん稼いでいた時期があった。そのとき頭に一番頭にあることといえばやはり仕事のこと。 仕事があるからこそいまのわたしがあることが一番のおもい。たまに好きな人との生活を思い浮かべたり、もするけど、やはり仕事と自分を引き離せない考えだった。仕事が私の一番のパートナーだったのだそれを失いたくないためにリスクだって受け入れてきた。だからこそ、仕事に全力に打ち込むことができ収入だって追いついてきたのだろう。そうおもう。 その思いが別に向いてしまうとき、もう一つはもろくなる。もう時間の問題だった。そういうくりかえしをし今の思いに達した気がする。置き換えたら、身近にもこういう例はたくさんある そう。仕事するって大変で生活と両立しようなんて考えなくていいものじゃないかな自立なんて考えると自分をもっと思いつめることになるかといって甘えきっていけばいいなんていうことでもないから言い表すこともむずかしい・・・ おかげさまで今の生活をしていて、自分の愛することって「生活すること」なんじゃないかな。と思えたことがうれしかったもちろん夫の協力があってこそかなったこと。 そしてしばらくしたら休養を終え、また社会で働くようになるだろう今の心境としては、戦場にいくような心情だけど、すると決めるならば、すべてに覚悟を決めていかないと・・・と思っている。
2013/07/13
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あきらめようと諭す回路にきみがそっと侵入してきて何食わぬ顔で夢をちらつかす上手に包んでしまったものが飛び出したいとうずいてる痛い記憶を最後に寝た振りをしていたくせにガラでもないけど会えるとうれしいよふと夕暮れに思いを飲み込む日々ほろ苦いキャンディーがまだ胸のポケットにあるんだ気づかせたのはきみ 多くのことを求めすぎてできるだけそばにいたくてそんなことしてる間に息が詰まるたいてい人はこんな感じで大事なものを失うんだろうそしてこりもせずきみをほしがってるみっともないけどすべてが愛しいよ悩んだすえに思いを飲み込む日々甘酸っぱいキャンディーがまだ胸のポケットにあるんだ君が食べておくれ いつも私の中にある。離れない歌。 ミスチルの「CANDY」歌詞は私の頭の中にあるもので本当の歌詞は少し違う部分もあるかも。 心が軽やかなときに聴いても気持ちが温かくなる曲で、心身ともにしんどい時には涙があふれてくる詩でもある初めて聴いたときには懐かしい恋を思い出すような気持ちになったけど、今では、なんていうか生き方に重なるように感じる 一曲の詩にこんなにまで感情移入できることも滅多にあることではない。かなとおもう。書いているうちにも涙があふれてきそうだもん。(笑) これからもずっと聴いていたい詩。 魂が求める詩。
2013/07/09
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タイトルからすると「なになに?」という感じ。 その正体はと言えば、「納豆」である今朝、夫と朝食をしていてふと、哲学的な気分になった一緒に生活して同じ食事をとっていても、やはり好みの違いもあるし、彼の箸の進まないものもあるわけで、まぁそのようなことは時間をかけていけばよいのだけれど。 そのような時、彼のご飯が進まないときに必ずといっていいほど彼が食するのは「納豆」だった何年もわかっていたけれど、なにか今日は深く深く感じてしまった。 以前の職場が同じだった方の話を思い出す。自分の子供に「お母さんの作るご飯で何が一番好き?」と聞いたところ、「納豆ご飯」と子供が答えたのだそう。納豆は残念ながら市販品。 そのときその方は冗談半分に笑い飛ばしていたっけ。 それぐらいに大人子供限らず、納豆を常食する人にとっては身近でなくてはならないものなのだ。お豆腐よりも簡単に食べやすいものね。 納豆の存在。本当さりげなく、でも重要度を締めている。冷蔵庫の中や、商品の棚にその定位置を常に治めている。近年ではコンビにでもおくようになり、席数を確実にふやしているようだ。買い物をしても当たり前のように手にするものの一つに入るといっていい。疑わず、手に取る。(私ね) こういうことを物事に置き換えてみることも楽しい 何かの解決策になるかもしれない。
2013/07/07
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