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2014年07月14日
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※基本的にセッションは土日休日のみとなります。


この記事 の続きです。

集団的自衛権なるものについて考えていたら、「何で戦争の原因になるような、主義、信条、思想の違いって生まれるんだろうなー」ってことに行きつきました。

「そりゃー、各地の文化や風習や制度によるでしょうよ」って話。

勿論そうなんですけどね。違うからって言って戦争までに発展するのは何故なんでしょう。

分離を経験するために三次元に生きているので、沢山のバックボーンが異なるのは当然。そして、目に見える現実で分離が起きているということは、自分の中にも分離が起きているということ。

学校教育なのか、社会なのか、文化なのかはわかりませんが、分離ということを敢えて意識させないようにして分離を生む構造がもたらされてきました。「違う」ものは、「統合」か「分離」しかなく、「共存」はないという意識です。

宗教がうんぬん以前に、「共存」は統制者にとって旨味がありません。互いが心地よい距離を作ることができ、それによって争いも起きず、利益も痛みも分かち合えるような共同体が生じてしまえば、統制者の出る幕がどんどんなくなるし、統一的な貨幣や統一的な制度、統一的な組織ですら必要がなくなってしまいます。

支配者が支配者でいるために、そして支配者に権力と富が集中するような流れを生み出すために、「支配するもの」と「支配されるもの」を明確にする手段として、価値観の共存を個人の意識からも排除するように思想や信条や組織構成やルールが敷かれていったという歴史があるのではないかと思います。

それが真実であると民衆に思い込ませて、階層社会を作ってしまえばヒエラルキーの頂点に自動的に富と権利が集中するので。



そして、「分離」を解消するために一気に「統合」に無理やり向かってしまうのも、そこにゼロかイチかの二極論しか存在しないからなんだろうなーと思います。なんていうんですかねー。ただ「違う」ってことを受け入れないみたいな。

無理やりなのか、地に足が着いていないだけなのは分かりませんが、何の根拠もプロセスもなく「みんな一つなんですー」みたいな主張ありきで無理やり統合させちゃう感じのやつです。もちろん高次に行けばみんな一つであることは変わりないのですが、それぞれの異なる価値観が現状では存在しているわけなので、それを何かの価値観に統一をさせようとする意思が働くってこと。すなわち、異なる価値観を「曲げさせようとしている」ことと同義になってしまうのです。なので、「みんな一つなんですー」っていう主張がうわっすべりしてしまう気がします。

「分離」ありきの思想のなかで、われわれはいつしか「分離」することが得意になり、それぞれの価値観の中の陰陽の部分のうち、「陰」の方を自分からも分離してしまっていた気がします。

分離の思想は何代にもわたって受け継がれてきたものなので、例えば、「陰」と共存しようと思ったところで罪悪感が生まれるような仕組みになっていたりします。

従って、憎しみや攻撃性や死をまるで対岸の火事のようにリアリティがないものとしてしまうし、戦争は遠くで起きているような気がするし、隕石だって飛んでこないような気になるのです。

そういった分離によって、「安全神話」が生まれてきましたが、もはやそれが神話であったことが、先の震災だったり、今回の憲法解釈の変更だったりで、さまざまなインシデントとして示されてきました。

「人を憎むことはよくないことだ」「よくない人間は罰せられるのだ」「人を憎んでいる人間は罰せられるのだ」なんていう論法によって、自分の意識から憎しみを排除しようとした結果、第二チャクラにどんどんと忘れられた感情が蓄積していき、その蓄積によって本来その個体が発揮できる能力が制限され、支配者に使いやすいように仕上がっていく、という図式なのかもしれません。

憎しみは、攻撃性は、死は、本当に排除されるべき問題なのでしょうか。

われわれの感情や肉体は無駄に存在していません。憎しみや攻撃性や死も然りです。

三次元に間借りしているわれわれだからこそ、自分の感情と肉体に、憎しみや攻撃性や死を共存させることができるのです。

それが危険だ!と自分の左脳が言うのであれば、それはそういった感情に自分が支配されることを恐れているからなのかもしれません。100%支配されないってことはないかもしれませんが、そもそもそういった感情や概念も自分の一部だって考える前に、自分の感情を見つめてしまえば嫌が応でも自分の中に存在することがわかります。



というより、ここまで「安全神話」が崩壊してきていたら、無意識の方が先に「え?まじ?やばいんじゃない?」ってカオスになっていると思うので、できるだけ「共存」を選択できるようにまず自分の意識をどんどん変えていくタイミングなのかもしれません。

最初に風呂敷を広げ過ぎたので、ちょっとこのテーマで収まりきらないくらいの内容になりそうになってきたので、この辺りでやめておきます(笑)。





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最終更新日  2014年07月14日 15時13分52秒
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