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あなたは存在そのものです。存在とは、生き生きとした、自分自身を愛する意識のことです。あなた、私、状況、感情、良い出来事、悪い出来事といった、登場人物が登場する劇場、それは神の劇場です。それは、避けるのではなく、楽しむためにあります。ともに興奮し、ともに泣き、けれども同時に、「ああ、これはお芝居だ、これは演劇だ ! 」と気づき、それによって自分の本当の姿を知るためにあるのです。意識(consciousness)であるあなたは、役者が芝居を演じる舞台であり、人生が上映されるスクリーンであり、役者一人一人を動かす生命力でもあります。あなたが自分を誰だと思っていようと、自分がどんな役を演じていると思っていようと、あなたという存在の真実はその役より奥深く、その役よりもさらに近い所にあり、しかも、その役を超越しています。いつの日にかこうなる、というあなたではなく、今、この瞬間の、そしてずっと前からそうだったあなたの姿です。
2011年01月31日
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心の本質は覚醒あるいは意識である。しかしながら、自我が心を支配するとき、それは理性・思考あるいは感覚機能として働く。自我によって限定されない普遍的心はそれ自体から分離せず、それゆえ、それはただ「気づいている」。これこそ聖書が「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)という言葉で意味するところのものである。 心が真我である至高の意識のなかに消え去るとき、好む力・行う力・知る力といったさまざまな力も、意識の中に現れた想像の産物(幻)として見られて完全に消え去る。考える事や忘れることとして機能する不純な心こそが生と死の輪廻、サンサーラであり、考える事や忘れることといった活動が消滅した、真実の「私」だけが純粋な解脱そのものである。そこには、誕生と死の原因であるプラマーダ(真我の忘却)はない。
2011年01月28日
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あなたは純粋な「私」と「私という想念」とを区別しなければならない。後者は単なる想念であるため、主体と客体を知覚し、眠り、目覚め、食べ、考え、死に、そして生まれ変わる。だが、純粋な「私」は純粋な存在、永遠の実在であり、無知や想念の幻想から自由だ。もし、あなたが、ただあなたの純粋な存在である「私」として何の想いもなくとどまれば、「私という想念」は消え去り、無明は完全に消滅するだろう。映画の中の画像(バーチャルリアリティ=幻想)を見ることができるのは、薄明かりの中か、暗闇の中だけだ。だが、すべての照明がついたとき、映像は消え去る。同じように、至高のアートマンの溢れる光の中で、すべての対象物は消え去るのである。
2011年01月26日
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エニアグラムの啓蒙活動で有名なC+Fインスティテュートからバイロンケイティのワークで知られる、バイロンケイティさんの来日のお知らせがありました。皆さんに参加をお勧めします。http://www.transpersonal.co.jp/byronkatiework2011/をご覧下さい。
2011年01月21日
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