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虫の音月の光心地よい風タイマーをかけた扇風機おやすみなさいたまに雨音が聞きたいな明日は健康診断やはり癌はこわいね父の時も目の当たりにしました。皮膚を突き破って大きくなる癌幹部を当てているガーゼにファブリーズをかけた看護師たちみていないところでは何されているかわからない不信感父は痛いとかつらいとか不平不満を一言も言わなかったどんなにか不安で痛くて辛かったのかと思うと悲しくなる来月父の命日釧路に行きます。待っててねおやすみなさい😴
Jul 31, 2017
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私の日記のカテゴリ、MY FATHER -癌と闘っています。これをもって最終章かな。一言も私たちの前では 痛みを訴える事なく 闘ってこの世を去った父に。 父の人生の 勲章平成18年10月2日 官報 のコピーが届きました。めざとい額縁屋さんの広告と一緒にちょっと早い喜び。従六位に叙する。。(わからん)瑞宝双光賞を授ける(あんがと)DEAR 天国のおとうさんおめでとう。。きっと立派な 勲章が届くのね。お父さんの剣道の写真の横に並べて飾りますよ。アイ子ちゃんも、私も、孫達もみんなとっても喜んでいます。、、、でも ほんとは、よくわかってない。誰にどうこの喜びを伝えていいかわからないの。 日記に記しておきます。親戚に言うべきなのかな。。世の中の事よくわかってない娘でごめんね。これって宅急便で届くのかしら?はて。。。ps//aikoちゃん。。あら?賞金はないの?? ナイスキャラ
Nov 2, 2006
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病院泊まり三日目からだがだるい限界。父のガーゼ交換に立ち会いました。傷と接しているガーゼの交換はありません。(浸出液でびしょびしょです。)その上の何枚か重ねたガーゼを取り替えるのです( 素人がみても非衛生的)匂いもすごいです。そこにファブリーズを平気でかけていたドクターに 喝!!え?? ファブリーズそんなことにつかっていいのですか?赤ちゃんがなめても大丈夫です(なにテレビの宣伝文句に影響されてるのよ)でも、これ、有害物質と私は認識しています。大丈夫ですよ。。家に帰ってからP&Gに電話しました。たしかに 宣伝ではそう表現していますが、万が一赤ちゃんの口に触れる事があっても、 ということです。なめても大丈夫ということではなく、医療品ではありません。雑貨品です。とおっしゃっていました。 私がしらないところでそんな風に父をあつかっていたと思うと頭に来ました。それから、栄養の事もいいました。口からの栄養が十分取れてなく三日前から点滴も始まっていました。(それもお願いしたものです)1日420カロリーです。他は全く食べていないのにです。その事もクレームをつけました。ファブリーズで 指摘されたのがおもしろくなかったのか、今そういう問題じゃない。と却下されました。私は一日420カロリーの栄養には(ブドウ糖)どうしても 不満だと看護士さんにもつたえました。もう一人の若い女性の先生が このヘルプを聞き入れてくれ もっと栄養の高い点滴を入れてくれると約束してくれました。わずかこの3日で父はげっそりやせてしまい、トイレに歩く事も困難になってしまいました。不愉快、おかしいとおもうことを 患者の家族側がはっきり 言えること。病院ではむずかしいようです。まだまだ、否定される事の嫌いな医者が多すぎます。傷口のガーゼにファブリーズ。これが 労災病院の医師のすることでしょうか。。。。。
Aug 8, 2006
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病院泊まり三日目からだがだるい限界。父のガーゼ交換に立ち会いました。傷と接しているガーゼの交換はありません。(浸出液でびしょびしょです。)その上の何枚か重ねたガーゼを取り替えるのです( 素人がみても非衛生的)匂いもすごいです。そこにファブリーズを平気でかけていたドクターに 喝!!え?? ファブリーズそんなことにつかっていいのですか?赤ちゃんがなめても大丈夫です(なにテレビの宣伝文句に影響されてるのよ)でも、これ、有害物質と私は認識しています。大丈夫ですよ。。家に帰ってからP&Gに電話しました。たしかに 宣伝ではそう表現していますが、万が一赤ちゃんの口に触れる事があっても、 ということです。なめても大丈夫ということではなく、医療品ではありません。雑貨品です。とおっしゃっていました。 私がしらないところでそんな風に父をあつかっていたと思うと頭に来ました。それから、栄養の事もいいました。口からの栄養が十分取れてなく三日前から点滴も始まっていました。1日420カロリーです。他は全く食べていないのにです。その事もクレームをつけました。ファブリーズで 指摘されたのがおもしろくなかったのか、今そういう問題じゃない。と却下されました。私は一日420カロリーの栄養には(ブドウ糖)どうしても 不満だと看護士さんにもつたえました。もう一人の若い女性の先生が このヘルプを聞き入れてくれ もっと栄養の高い点滴を入れてくれると約束してくれました。わずかこの3日で父はげっそりやせてしまい、トイレに歩く事も困難になってしまいました。不愉快、おかしいとおもうことを 患者の家族側がはっきり 言えること。病院ではむずかしいようです。まだまだ、否定される事の嫌いな医者が多すぎます。傷口のガーゼにファブリーズ。これが 労災病院の医師のすることでしょうか。。。。。
Aug 8, 2006
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余命はお盆までです。っと仰った主治医が 夏休み私が帰った4日から、14日まで主治医がいません。客観的に見て 主治医意外のドクターでは、 責任が 感じられませんでした。食事が少ない事を訴えました。この日も病院に泊まりました。父はとにかく私がいると安心のようです。でも 家で母が一人。ヘルパーさんが来ていても夜私がいないのが母には不安の要因です。どっちをどうすればいいのか 迷いました。
Aug 7, 2006
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(9月13日記)父が個室にかわりました。夜の不穏が、他の患者さんに迷惑なためということ。(本人はわからないそうです)3日連続病院に泊まりました。いすを3つ並べてベットにみたて 病院の薄いマットを借りて父の傍らで寝ました(実際寝てませんが)確かに何度も父は起きます。でも 私がいるのを確認してまた眠りに入るという感じで、そんなにひどくはなかったです。ただ何度か、もう寝ようよ。と 父に言った記憶が。一日のほとんどを病院で過ごすのでかなり疲れがでました。修学旅行の引率二泊三日の ノリで 寝泊まりましたが、三日目には もうだめ!!。。。。。。でした。この頃、父の食欲も落ち、私がスプーンで口に入れてあげては、痰がからまり吐き出す。ほとんど食べられていないのに看護士さんにきかれたら食べてます。と答えているようでした。それに 大きな固まりは飲み込めないので やわらかいものと指定しました。やはり家族が食事のとき一緒にいなければ実態は解りません。
Aug 6, 2006
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7/25今回の滞在は5日間でした。一日2回の病院通い。幸い 寒かったけど雨でもなく また 車社会で生活している私にとって歩く事は非常に珍しい事です。 昔通った通学道をとぼとぼ歩く通いは気持ちいい北国の風を受けて大地の気を受けている気分でした。午前中は、新しく母に買ってあげた洋服を着せて(まるでバーチャンバービー。万歳して着替えをなすがまま)父のお見舞いに。母も高齢なので長い時間は無理。病棟まで私の腕にしがみついてやっと歩いて行く。も乗れるよ。。。といっても 歩くというから 母もがんばっている。ここ数日私と出歩いて ずいぶん歩けるようになった気がする。でも 人は、歩かなくてはだめですね。脳の活性化も歩く事と関係あるらしいです。帰り、イタリアンレストランで 二人で一つスパゲティを注文して、食べました。母はも大好きなので気分を換えて楽しかったとおもいます。でも、、ボーイさんに。。。” わたし!塩ラーメン!”、、、と言ったのにはまいりました病院のレストランと勘違いしたようです。しばらく笑いが止まりませんでしたそれからに母をおいて、私は再びへ。ちょうど 検査のレントゲンに呼ばれたようで 二人で放射線科に行きました。検査を終えた父は、パジャマもはだけたまま検査室を出てきて、(着物タイプの打ち合わせのパジャマ)ひもを結んであげて 腕時計をはめてあげて、これまた、大きな息子がいる感覚でした。”ほら、、ひろしくん! ちゃんと結んで!”ってかんじ。大きな息子は、病棟に戻ると 疲れたのでしょう 眠りにつきたそうだったので、感傷的にもならず握手をして別れました。私はそのままタクシーで空港に向かう事にしました。ナースステーションで,次は8月4日に来ます。大丈夫でしょうか。。。。。と たずねたところ、、、お父さんがんばっているから。ね。。。と なだめるようにおっしゃってくださり、思わず涙ぐんでしまいました。こころなしか看護士さんの目にもうっすら涙があったような気がします。お世話になっています。よろしくお願いします。。。。。。。。7月2回目の滞在日記を閉じます。
Jul 25, 2006
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父の摂取しているものは、今マキシモルだけ。錠剤のペリリル、Dトキサレイト、キャスケティングリベノールは、もう 嚥下がしにくいので7月初旬に帰ったときにあきらめたのです。今回も、せめて私がいるときに、、、と 飲んでもらいましたが、Dトキサレイトは 喉の途中でカプセルが破けてしまい、粉を吹き出してしまいかわいそうでした。やはりだめです。これ以上、癌と戦えるものがなくなりました。 NEWAYSに詳しい方なら これらをやめた後のがん患者の余命はどのくらいというのが見当つくでしょう。。。あとは、本人の免疫力だけです。病院の食事だけでは栄養(ミネラル、ビタミン)が不十分なので液体のマキシモルを飲んでいます。それも 水分、固形物喉に通るたびに咳き込んでしまいます。入院病棟は耳鼻咽喉科ですが、7割以上は 喉頭、咽頭癌ですね。みなさん首に穴をあけて同じような手術の処置をされた方がほとんど。または放射線治療を受けているようです。タバコが起因しているのでしょうか?父も70歳まで喫煙していました。長男も高校時代は、レストランでも文句を言うほどタバコが嫌いだったのに、大学でタバコを覚えてしまい喫煙します。そのくせタイに行ったときは、タイのタバコのパッケージに驚いて買ってきてみせてくれました。肺がんの開胸写真、老け込んだ老婆の写真、肺がんのレントゲン写真。確実に癌になります!というパッケージなのですよ。
Jul 24, 2006
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昨日は、高校野球を見てから、に行きました。数時間の帰宅だけでもいいとおもっていたのですが、父は先生から一時外泊の許可をいただいていたようです。元気だからではありません。主治医の好意です。” この日を とても愉しみにしていてがんばっていましたよ。” 本当に最後の外泊になるであろうという意味です。に戻るやいなやソファに横になります。父の好きな場所でもありますし、からだがだるいのでしょう。この日は、お寿司をとりました。お刺身も作ってもらいました。前回日本酒を送ったのが今回飲めます。ビールと日本酒で晩酌をしました。3人水入らずの夕食です。お寿司をふたつお刺身を一切れ食べただけでした。未だに事の重大さがピントこない母もうれしそうです。金曜日の夜。朝になり、父から病院に戻りたいと申したので午前中のうちに戻りました。からだがつらいようです。モルヒネが切れたのでしょう痛みがあるようです。昨日の夜と朝とガーゼをとりかえてあげましたが、直視できないほどすごい状態です。左の耳はもはや耳穴が塞がるくらい腫瘍が 増え続けています。高校時代の親友が車で送ってくれました。(ありがとう)病棟に戻り、ぼそっと おとうさんは退院できるのかな。。。と つぶやいたのが悲しかったです。夕食時に また病院へ行きました。うなぎが出ていました。ほーーー珍しいと 喜んで食べていました。わずか5センチくらいの大きさです。母校の一画むこうが父の病院です。3年間歩いた道を、なつかしく 途中白樺並木をとおります。当時、”でんでんのもり”と名付けられていました。電電公社の時代かな。今は、犬の散歩、ウォーキング、パークゴルフを愉しむ人たちが訪れています。スポーツ好きの父は、冬が終わりこのシーズンが来るのをとても愉しみにしていました。その隣には、400mアイススケート場があります。冬には 父とよくスケートに来ました。息子たちもアイススケートが好きです。(北海道レベルではないですよ)最後に孫たちと来たときももう既に70代でしたね。父のご愛用のホッケーのスケート靴で滑っていました。その隣には、体育館。よく剣道の試合につれてこられたものです。全く私は興味が無かったのですが、審判をやっている父を見に来ていました。どんなときも、とにかく仲良し親子だったので。もちろん母ともね。。。。今の父を見ているのはつらいです。
Jul 22, 2006
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がんばっておとうさん。。私がいた2、3日はとっても容態がいいと先生がおっしゃった。また、、、来週会おうね。
Jul 9, 2006
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今回帰省して よかったな。。とおもった事に、今までほとんどおつきあいのなかった 父方の従姉妹と連絡を取るようになった事。従兄弟よりもやはり連絡がとりやすい。携帯メールで連絡をとりあっている。叔母は13年前に 叔父が他界してから息子夫婦と同居していたけど今年からグループホームのお世話になっているらしい。週に1度、娘である従姉妹が叔母を連れ外出したり外泊させたりしているとのこと。叔母は77歳。昼間に徘徊してしまい骨折をしたり戻って来れなくなったりお嫁さんは大変だったよう。かといってお嫁さんの手前叔母を引き取るのは気が引けるからグループホームに入れたとの事。。(、、、そうなんだ)金曜日に従姉妹が 先日おばさんをつれて家にあそびに 来てくれた。その足で父の病院へ向かった。ご長寿早押しクイズはやらせかなーっておもうけど、この二人をみていると 老人っておもしろいね!なんて笑っちゃったり。母は失礼な!とおこっていたけど、私の母は81歳になる。杖をついて歩く。今日は調子がいいのか、杖をぶらぶらさせてちゃんと歩いていた。むかーーーし 子供の手をひいて公園につれて出かけた自分を思い出した。今はこうして母の手を引いている。お互いに、子供をつれてるみたいだね!!と笑った。従姉妹が駐車場に車を置きに行ったときも、危なくないようにみているのは本当に子供を相手にしている感じだった。いすから落ちないでね!みたいな父も、喜んでくれた。たった一人の弟の嫁さんだものね私の家の仏壇に、おじちゃんの遺影が。父に飲ませるはずだったおいしい純米酒を お仏壇に あげてある。迎えにくるときは、痛み無く連れて行ってくださいね。。。。。。。。。手を合わせた。母とおばちゃんの会話。母; イザって言うときは110番に電話して救急車を呼ぶのよ。家まで迎えにきてくれて病院に連れて行ってく れるし、寝たまんまでいいし、ただなのよー。それも順番はやくお医者さんがみてくれるの。叔母; へーーーそうかい。それはいいね母; 電話番号わかんないときも110番にかけるといいんだよ。でも早口で何しゃべってるかわかんないんだけ どね。わざと早口でしゃべってるんじゃないかしらね。でも110番は覚えておくといいのよ。叔母; 。。へーーーそうかい。それはいいね。従姉妹 ;、、おばちゃん、、何回救急車に乗ったの??母 ; おばさんかい?そうだね まだ3回くらいしか乗った事無かったね。@@(わたし)が、あまり頼むなっ て言うしね。ピーポーピーポーうるさいんだけどね従姉妹; そうなんた。。また、おばちゃんと母と従姉妹とおそば屋さんに行けるといいなこの日は父も喜んでくれました。父の入院している病院の駐車場で。
Jul 7, 2006
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予定通り釧路に到着。気温は13度。オーーーーー寒い。(ちなみに14時半)さっそく実家に行き病院へ向かう。ベットで微笑む父。でもとっさに私とわからなかかったのかな?とにかく大きくなった腫瘍。ガーゼの隙間から組織が崩れているのがわかり、においもきつい。痛みは 水曜日からモルヒネの座薬で抑えているらしい。日曜日に39度の高熱をだし 2、3日つらかったらしい。そのあと痛みがきたということ。今は個室に移されている。医者とのカンファレンスが夕方にあるということで一度また家に戻った。父もすぐ眠りたがったので。差し出された書類の中身は、これから食べられなくなる(1週間くらいで)栄養のチューブを鼻からいれること、深い血管に栄養を入れる処置の承諾。意識も混濁するだろうとの事。それから、チューブをはずしたりするようだったら危険防止のため手足を拘束するとの事の了解。すぐには返事ができず、家族がそろうまで待ってもらう事にした。母にはいわない。相変わらず母は、風邪の延長で入院しているとおもっている。時々癌という事を口にするが、お見舞いにいくたび 元気で良かった。。。という。まあ、、いいか。ちょっとつらい 出だし。。。。だ。
Jul 6, 2006
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父の主治医と4時に面談。主治医は五十代の素敵な女性です。状況はよくないこと。(わかってらー)これからもどんどん腫瘍は大きくなるとのこと。敗れて大出血を起こす危険性(静脈と癒着しているらしい)静脈を圧迫しているので顔が目が開かないくらいはれてくるでしょう。扁平上皮の癌は進行は早いとのこと。とびだしている腫瘍だけ切除できないものかと尋ねたら無理。。。手術の話はしないでください。。と 父が期待してはかわいそうだからと。リンパ節の癌なので 肺や脳に転移することもある、、とのこと。。カルテを見ながら、、もう3年もたってるのよね?と余命は6から9ヶ月といったところでしょう。(天気予報じゃないのよ)その前の腫瘍の変化によります.と。。。治るということはありえません。確実にこの腫瘍で命を落とします。そのせりふ別の医者から3年前にも聞いたわ。。。でも とてもよく説明してくださった。これで5250円取られたのは高い!!ですねぇさて、何を言われても動じない私。ここまできてバタバタしてもね。さらに入院したときの母のことも心配してくださった。心配事を秘めて入院しても患者にとってよくないと。。。ありがたいことです。それだけはなってみないと予想がつきません。いずれにしても今年1年また大変な年です。とりあえず私の体の爆弾は摘出してよかった。。。では、、、のんきな私は病院の売店で焼き芋を買いました。母は喜びました。。
Mar 30, 2006
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本当は 今日の帰省予定だったけど、昨日のうちに移動していてよかった。 父の腫瘍が大きくなって鶉卵が耳の下についている感じ。その周りに予備軍が二つ三つ出番を待ち構えている。ちょっと”くち”がついて浸出液が漏れている。今まであった、アボガドを半分に割った大きさの腫瘍はお役目を果たしたのか、、小さくなっている(中にもぐっているのかもしれない)それはわからない。ただ、静脈を圧迫していることは確か。左の顔が腫れているから。とにかく絶句。。。。2ヶ月でこんなに大きくなるんだ。でも、こうなっては運を天にまかせるだけ。 病院に行きたいと言っていた父(昨日の夜行かなくていいと納得したはずなのに)それよりもディサービスでお風呂に入ってくることをすすめた。まず体の清潔が大事じゃないかな。。。って思ったから。腫瘍がやぶれるのが怖かったらしく10日ほどお風呂に入っていなかった。お風呂に入らなくても死なないけど、大丈夫!!という確信があったので。昨日のうちにその部分をエリミネーターで消毒し、(日本ではマウスウォッシュとして売られている)そこにマキシモルをガーゼで浸して湿布してあげた。正直怖かった。完全にここは、敵陣の癌の腫瘍だから。でも今までの経験と感をを生かして処置をした。今朝になって傷口は、ふさがり 浸出液は止まっていた。ディサービスの時も、市販のシャンプーは使わないように、手持ちのものを使ってもらった。その後、エリミネーターで消毒。帰ってきてからさらに消毒してマキシモルを張ってあげた。これしかないもの。。。。先週病院に一人で行ったそうだ。それも入院するつもりで。かなり臆病になっている。あとでドクターからその話を聞いたが、やはり、入院は最後でいいから、家でなんでも お好きなことをしてくださいと。つまり自己満足でいいから 後悔ないようにかかわってほしいという意味。ただ、、、モルヒネまで飲んでいた父がまったく痛みを訴えないことを不思議がっていた。モルヒネの代わりにノニを たくさん飲んでいる。腫瘍のアポトーシスは、(自然退縮)は、絶対ありえないとおっしゃるが、もしかしたら、今摂取しているものが遠隔転移を抑えているのかしら?とおっしゃった。リンパ節転移して3年ですもの。余命は、今年の3月までとおっしゃったのが、今まだ晩酌ができる。1月の診察では5月には、、、??と仰ったのが今回半年と、、、。余命が確実に伸びています。。なんとか、、奇跡が起きるといいな。。。と思っています。先生も私の熱心さが伝わったのか本当によく説明してくださいました。年齢も83歳。年齢からしても普通はあきらめるのでしょう。すごく私が一生懸命なのに驚かれたのかな。。まだまだ元気でいてほしいというのは欲張りだと思いながらもまだまだ生きていてほしいと思う。3年間父の癌とつきあってきて、、こちらが手を抜くととたんに大きくなる癌。本当にいやなやつだけど負けない癌に負けない!!今飲んでいるもの、1日です。癌と戦うには本当はぜんぜん足りない量です。ペリリルエキストラクト1粒×3Dトキサレイト1粒×3キャスケティングリベノール1×3リベノール1×3ノニ、マキシモルあわせて50cc×朝、夜病院からは何もすることはない薬はまったくなし。(ありがたい)ステロイドなんて出されたらどうしよう?っておもってたのです。その前に抗がん剤もなし。手術もできない部位。後は本人の免疫力を落とさないとの身。それからビール1缶日本酒2合おさしみ毎日欠かさない。ごはんにおかず
Mar 28, 2006
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年末の父の怪我の抜糸に労災病院へ。そのついでに、耳鼻科の主治医のお話を聞きました。今の状況・・2年前の源発の下咽頭の癌はまったく形はないとのこと(当時ステージ4でした・必ず死にます!といわれたあの言葉は忘れない)そのとき転移していた左頚部リンパ節(当時ステージ2b)が去年の夏から大きくなってきて 今、ステージ4.はっきり末期ですと。今治療は、何も受けていません。ただモルヒネの痛み止めを12時間おきにいただいています。春までは、このまま、、進行しながら 何とか、、、??ということでした。遠隔転移もありえるとのことで、特に脳の転移は最悪。転移が先か、腫瘍が血管などを圧迫して起こる障害が先か、腫瘍からの出血が先か。。よい方向にはまずいかないとのこと。最期のケアを受け入れてくれることを確認しました。私が思うに怖いのはウイルス感染と骨折です。newaysを飲んでいることをいいました。半年間まったく飲んだフリをしていたことも、、。”それはなんですか?”と聞かず、深く頷かれていたので ドクターはご存知なのでしょう。どうぞこのまま続けてくださいとのことでした。もし今同じ状況で飲んでいる方がいらしたら、癌はいつでも再発のチャンスを待っています。飲むのを決してやめないことです。 電話口で何度も飲んでいるか?確認していても、実家に帰ってみるとマキシモルを玄関に何本も置きっぱなし、ペリリルエクストラクト、dトキサレイト、キャスケティーングリベノール、海外から取り寄せたものもそのままでした・これらは本当に最低限です。下咽頭のときはこれより多くの種類をこれでもか!と飲んでもらっていました。そのときは父も必死でしたから。今回未使用は半年分くらいありました。それだけ私も帰らなかったことを反省しています。私が帰ったときだけ飲んでいたようです。癌という認識がないから。私は直接残酷でも父に、癌と言っています。でもわかっていませんね。マキシモルでさえ、母に飲ませようとすると、これはナニ??かわった味だねーーというのです。あれほど2年も飲んでいたのに。。ね。 ヘルパーさんが来週から入ってくれるので、ノニとマキシモルのブレンドを作ってもらい、サプリメントを袋詰めしてもらいます。また、奇跡が起これば、、、と思います。先生は、、、春までとおっしゃっていました。でも、、、春までしか生きられない_?私はそんな風には思わないので、なんとかまた結果をつづっていきたいと思います・本日の私の活躍、おふとんひきっぱなしの両親の寝室。こっそり、母がお風呂場で何かをしている隙に布団を摩り替えました。客布団なんて使わないはずです。まるで盗人のよう!!父がそれを見て笑っていました。こうでもしなきゃ、母は自分のテリトリーを触られるのを嫌がるので実力行使です。手すりをつけてあげたときのことも覚えていません。家を建てるときからあったといいます。今日はあったかいボアシーツを買ってきてあげたのでそれで寝てもらいましょう。よかれと思うことも必ずしも高齢者には伝わりません。シーツ交換もこっちとら、命がけ!です。みつかるとうるさい。母が。。。父の申請の面接のときも、母が横から口を出し、、、2時間かかってやっと一日訪問してくださることが決まりました。あとは、週に一度デイサービスで気分転換をしてもらいます。ベットを入れるまでは話がまとまらなかったのでまた徐々にと思うけど残された時間はそう多くはないので私も2月にもう一度帰ってきます。ケアさんには、本当にお世話になります。song careの皆さんおせわになります。すべて前向きに、考えましょう。今あるサプリメントは、今発注すると2週間かかるからラッキー。ドクターが温かい人であったこと。チョーラッキーお手ごろな寝具を・買えた・変えたことラッキー父が今晩も晩酌に預かれることをラッキー母があっけらカーンとノーテンキデぼけてくれてることにラッキー!?かわいいピンクのジャケット見つけたことにらっき^^今回は入れ違いで高校時代の親友に会えずに帰るところ私の延長滞在で明日彼女と会えることにらっき^^ウインドウズもなんとなくいらいらしながらもつかえていることにラッキさあ帰ります外は氷点下10度くらいありそうです。来たとき午後3時で氷点下4度でした。かぜがあるので体感温度が低いです。でもさすが育ったところ結構この寒さは大丈夫でもスケートリンクのようにてかてかなので歩いて変えるには危ないです。じゃね
Jan 4, 2006
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夏に帰った時から父の首のリンパが腫れていた。固さといい平成15年の癌と同じだと思った。再発、、とわかった。今まで日記に書こうか迷ったけど、私書箱に1通のメールが届いていてその方もNNEWAYS 愛用者と仰っていた。それと同時に偶然辿り着いたページが、末期癌と戦って、本人が他界され残された家族がそのあと書込んだ日記を見つけた。私も時々事実を綴っていこうと思う。癌、、、か。当時の癌は、下咽頭がんステージ4、頚部リンパ節転移3 余命3ケ月、手術をすすめられ断わり、放射線を33回。抗癌剤は服用せず、1年後 放射線性骨髄炎をおこし、再び死ぬといわれた。今回も心の中で、西洋医学の領域ではもう、ドクターがするべき事はないでしょう。見守るのも治療ですと、、、仰るだけだとおもう。前にかかった市立病院から、父の尊敬するドクターがいらっしゃる医師会病院をへて、労災病院にカルテや今までの経過が届くまで1ケ月かかった。(かかり過ぎじゃない?)それから初めて診察した労災病院では、治療は出来ないと断わられた。従姉妹夫婦に事情を話して貰いなんとか受け入れてもらった。もっとも治療は望んでいない。本の題名じゃないけれど”日本の医者は癌を治せない”勝手にそう思っているから。治るってその先何年生きられたら治ったなのかしら?常に再発、転移との恐怖におののいていきている以上治っていないと思うの。戦っていらっしゃる。ここの病院でで、最期のモルヒネだけは行なってくれるとこれまた先走った御意見を頂いた。 父の事を、おにいちゃんとよぶ私の従姉妹夫婦が 前回と同じに面倒を見てくれている。彼女も日本でいう高齢者の枠に届いている年齢。とても御世話になっている。 11月始め(よりによって前回と同じ時期、、)再び告知を受ける。あの時の私と違って、今直ぐ電話をとって主治医にいろいろ聞くような事はしていない。ドクター曰く見守るだけ。 、、、、、だそう。こうして癌難民になっている多くの人がいると思う。これを宣伝だと思わないで欲しい、父はニューウエイズ製品の力で命拾いをした。健康雑誌しゃきっとにも取材された。癌と診断されても、父も全く気にしていない。毎晩晩酌をして、御近所さんと温泉にいっている。私はとめない。母は 年のせいか軽い認知障害でよく話しがわかってない。前回の癌も誤診だったのよ-といっているくらいだから。私とは全く正反対でチョ-天然でおっとりしているので慌てる事がないぶん父も穏やかでいられると思う。今日も電話で、父に、”ちゃんとサプリメント(語弊を生じる言葉)飲んでる?””はいはい、おかげさんですっかり元気だよ。。。”状態が良くなってからは殆ど飲んでいなかった。何度も油断すると癌に負けるよ!と言ったのに。当時のドクターが仰った言葉を思い出す、”この癌で必ず死にます。遅いか早いかです。放射線を当てるのは死際をきれいにするためです。根治が目的ではありません”やはり癌には勝てない。。。。と 思う。5年生存率。癌の患者にとって5年は健常者の10年いや20年にも値するかも。肉体が滅びても、癌は残るような気がする。そんな事はないだろうけどね。主治医に今さら面会して相談する気もしない。いや、、そのためのパワーを貯えているのかも。実際、癌の人と向き合うのは凄くパワーがいるのです。今はあの時の余裕とパワーがありません。あの時は”これ以上放射線治療をやめて下さい!”と医者にくって掛かったものだけど。。。父にまた、、春は来るのか。それだけを祈る冬になりそうだ。父自身が行動を起こしてくれなくてはお話にならない。癌は根治しなくても、進行が遅いのは高齢と言う事と、ニューウエイズのおかげかなと思う。もう本当にこれしかないから。この日記のあと、また、いろんな宣伝がトラックバックされるのかしら?私が信じているものはニューウエイズだけなので御遠慮頂きたい。あの固い大きな腫れが首に根付いている。憎らしい。来春で83歳。春が来るといいな。新型のインフルエンザも流行るらしい。。体力をつけておかなくてはね。全く自分のことかまっている場合じゃないわ。
Nov 14, 2005
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実は、ここ数日友人のお父様の癌の件で相談を受けていた。だから、日記に力が入らなかった。 去年の2月に胃癌で手術をされて全摘、周辺のリンパも転移の可能性があるのでとる。(可能性だけで切除なのね。別の方もそうだった。)治ったかと思い、、、夏くらい迄は元気でいらした。秋にに調子が悪くなり入院。全身に転移していることがわかった/退院(私達の身体はパーツ別でできているのではない。必ず繋がっているものは、一つ取り除いても危険はある。血液1滴だってそう。。だとしたら、???、、、、)11月に入って下痢が続き一月程入院。重湯ばかり。年末に余命2ケ月といわれ身辺整理をしてはどうかと退院。(つまり、なす術がない。家に帰っても看護は80歳の妻。) 腹水が週に1、2度くらいたまりそのたび抜く。二日前血尿がでて再入院。腹水何故たまるか?を考えて欲しい。ここで必要なのは薬だろうか?感染予防の意味では必要かもしれないけど、、、対処療法しか施されない。食事の重湯だけでは免疫力は上がらない。昨日の夜、9時半頃彼女は和歌山についた様子。 病院では癌の処置はもう何もなく、このまま痛まぬよう死を待つだけ。最後はモルヒネか。 ワラにもすがりたいワラを(マキシモル)宅急便で届けたが お母様が付き添いなので荷物が受け取れなかった様子。ひどく落胆したメールが届いた。しかし病室に行ってみたら、ベッドのそばに荷物があったと、(弟さんが運んでくれたらしい。) この時は神様の存在を信じました!とメール。どうか間に合いますように。100CC飲めました。(メール) ここ迄 緊急な展開になろうとは思ってもいなかった。来週ちょっと顔を出して来ます。(そんなんでいいの?)と彼女自身もタカを括っていたようだ。でも、私はずっと今直ぐ戻ったほうがいいよ。。、、とそんな予感があって、彼女に伝えていた。仕事もあるし、家庭には小さい子供達もいるし、難しい。油断したら”癌は一気に来ます。”、、、、ほんとうだ。 これだけでは足りないので一日も早くと、私の父のアドバイザーでもあるHさんが今日、和歌山にむかう。意識がしっかりしていることと口からまだ摂取できるのがかすかな幸い。病院に見放され、残り1ケ月以下を諦めるのか、なんとかやってみるか、この辛さは当事者じゃないとわからない。 正直金銭的なこともある。やってあげたいけどできないこともある。本当にHさんには、助けられた。私の時も、お父さんが治って納得したら少しづつお金をくれればいいのだから、今はそんなこと言ってないで!助けましょう。手に入らないサプリ/製品は、全国のニューウエイズのつながりの方からあちこちからかき集めてくれた。一日も油断しちゃ駄目!!迷っている時間なんてない。今それがわかる。腸がやられていると、、、きついと思う。でも、、なんとか。 私の父の時と同じ。今日一日無事でいてほしい。まるでロザリオを祈るように、その繰り返しだった。 全身栄養が枯渇状態に陥っている。腹水というのは、低タンパク血漿、ひどい栄養失調状態をおこしている。病院で施される点滴は、一日せいぜいショートケーキ1個分の栄養とわずかのミネラル。確かCa,K,NaCl,他2種類くらい。父の点滴を見て思わず絶句したもの。何これ?これを絶食3日やるわけ??って。 今は、癌をたたく(語弊がある)、というより全身に栄養をいきわたさせて免疫力をあげて少しでも元気に戻って欲しい。 なんとか、消えかけている命の灯を、、なんとか、なんとか。一日でも。お祈りしています。春を迎える喜びを、友人のお父様にも味わってほしい。 病院以外のこんなとこで、助かっている命があると言うこと 今確かな知恵で、薬神様!お医者様神様!病院へ行けば安心という時代ではなく、自分で何を選択するかの時代だと思う。 それ以前に、体内に有害物質を入れないこと。1つ1つ生活から外していくと良いと思う。車の芳香剤、トイレの芳香剤、歯磨き、この三つは必須かも。レストランのウエットティッシュは使わない。制汗スプレーの習慣を止める。 皮膚や粘膜から入ってくるものは、お酒を飲まなくても肝臓が疲れますよ。メーカー側も考えて欲しい。 癌で苦しむ人が減りますように。 今日は穏やかな日です。PS//新聞のコラムを紛失してしまったが2年前の朝日新聞。病人におかゆ、重湯ではますます病状を悪化させてしまう。とでていた。栄養学的に非常にバランスが悪い。一日の内の1、2、食ならまだしも入院中3、4、日とわたって出る場合が多い。回復を遅らせるだけだと。但し胃腸の手術直後は別。健康な人っているのかしら?そう思う。最近。子供が大好きなペットボトルのお茶にも、化学調味料のタグイが添加されているという、、、がっかり。のどが乾いていると500MLくらいすぐ飲んでしまう。なんだかな。。。ってかんじ。
Jan 17, 2005
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ニューウエイズを通じてある人のお話を伺うことができました。 Nさん。去年次男が御世話になったバレエ教室の元生徒さん。。といっても私より2つ年上です。今もバレエをされている。ひょんなことから、Kさんを通じて連絡をいただいたのです。 先月大腸癌で、実父をなくされていらっしゃる。告知されたのが私の父とそう変わらないと。もう手遅れで開腹されて直ぐ閉じた手術となったそう。ニューウエイズを使うのが遅かった3ケ月くらいしか与えられなかったと悲しそうに仰った。。。。お母様がメシマコブを選択されたとのこと。何を選択するかは、いろいろですね。(ストレートに言うと、結構シビアに選択するべき)手作りの野菜ジュース、スープ等を作ってお母様なりに一生懸命看護をされたと。 本当に最期を看取るという段階、自宅に戻られ、家族に囲まれて穏やかに息をひきとられたようです。苦痛に耐えた顔ではなくかすかに微笑んでいらっしゃったと。癌を看取るのは1人じゃ無理よ。。痛みに耐えるお父様を見て、心身共に疲れた。。。。様子私の父と同じように”マキシモル”という液体のサプリメントを皮膚を通して摂取されたそう。何故皮膚からはいっていくかというと、分子量がとても小さく作られてます。大腸が癌に犯され栄養吸収ができなくてもなんとか101種類の栄養素を皮膚からも入れることができます。床擦れにもぬっていらっしゃったそう。 うさんくさい!と罵っていた我が家の長男も最近ちょこちょこ飲んでいる。皮膚から入るすごさに驚いている。中身が(成分)が間違っていたら恐いね。これ。。恐いくらいしみ込んで行くよ。。。(皮膚を通して入る化学物質についてもう少しわかりなさい!)なんせ、自分が体験しないものは全く受け付けない人ですから。 病院の食事はせいぜい、重湯。これで癌の患者さんはそれでなくても栄養枯渇状態。免疫力が高まるはずありません。どんな時でも思うのですが、病院の食事は、何をどうしたいのか?理解に苦しむ食事が多いです。肝心なのは、ミネラル、ビタミン、特に金属ミネラル、諸酵素。 これらが”癌にきく”と言いたいのでは決してなく、癌に勝てるくらいの免疫力を高めたいのです。(癌だけの話しではありません) 私の父が、入院した時と、お亡くなりになった時がだいたい同じ。お会いするのに心が痛みました。でも彼女も一生懸命看護をされたからどこか強いものを感じました。必ず死はやって来ます。かつて自分が”生”を受けた時、両親に愛された恩を、最期に返すのかな。1人の死は、1人だけの死じゃない。看取る側も何人もいらしゃるとそれはそれで大変そう。共に生きてきたのだから許せる範囲で一日でも一緒に過ごしていたいと思います。 人生の最期を迎える方への演出は、、、医療体勢よりも残される家族のあり方かなと思いました。先月父が入院した時もドクターが最期はどちらで看取りたいですか?と訪ねました。(そこまできかれたんですよ。あとになって分ったことは癌が消えちゃったけど。)意識があるなら本人の選択にゆだねたいです。そうは言っても 何もできなかったという、悔いもあります。(私の母が私の実姉を心臓病で亡くした時にいつもいう)でも、行為だけでなく、思いやるハートがあると思うのです。経済的なこともあるでしょう。どうしようもないことだってあるでしょう。不慮の事故も。。 彼女は、環境のことにすごくこだわりを持っていらっしゃる。ダイオキシンの問題も、海が汚れていく恐ろしさも、なかなかこういうことで話が盛上がる友人っていないわ。ナプキンも布を使っていらっしゃる。(私は無理かな)できるだけ化学薬品の入ったものは、避けたいとのこと。お母様の影響で、若い頃から東洋医学等に興味をおもちだったとか。 西洋医学にはいいところもあるけど、今、私は、どこがいいのかわからない。常に進化している?ようだけど、何を目指しているのかわからない。伝わらない。健康を維持することなのか、病気にならないことなのか、治療,手術のhow to。新生児の出産の医療体勢は素晴らしいと思う。 大きな病院に入ったことで安心する人。有名な医者のオペを受けられることで安心する人。最新医療を選択できたことに安心している人(これから作るデーターだったりして)早期発見できるところ?発見できることで自慢されてももう、発病しているっていうことよね。予防医学ではないわよね。 ほとんど初対面4時間近くも楽しくお喋りをしていました。”今は息子さんの喘息を改善されていらっしゃる。御主人の頭のてっぺんのハゲが解消されたこと。4ケ月かかったけどハゲじゃなくなったのって!!男性には深刻じゃない出しょうか?(笑える?ここのシャンプー、すごいんです。)” 明暗は分けたお父様と父でした。お互いわかりあえる話だったので、時間はあっという間だった。きっと天国でお父様は感謝されていると思う。彼女はきっと、ワラにもすがりたい多くの癌難民の方に選択肢の一つとして伝えていかれるでしょう。応援したいです。ただ、あくまでも、選択肢の中の一つです。癌は、生活習慣病の一つです。ストレス、食だけがほとんどの原因のように言われています。身の回りをもう一度チェックしてみて下さい。発ガンを引き起こすものはたくさんあります。 家庭科を長年教えたのにそれに気がついたのは、ニューウエイズに出会ってからです。これからもいろいろ調べてできるだけ、正直な情報をのせたいと思います。これも、選択肢の一つにして下さい。父は今日もとりあえず元気でいてくれています。明日のことはわかりません。Nさんを紹介して下さったKさんありがとうございました。楽しくお話を伺うことができました。本日の我が家。 本日は次男クンの演劇の発表会。彼が始めてプロデュースした。演出、舞台監督というネーミングでがんばった。ここ1ケ月くらいはダンス教室を遅刻しても部活を優先していた。あとでゆっくり話をききましょう。楽しみです。
Dec 11, 2004
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実家に帰っていたので先週はお仕事お休み。久しぶりの授業。2週間ぶりだと感が鈍るみたい。例のにぎやかなクラス、、しかし今日は、ミシンで投げやりだった男の子も“食い物”に関しては、(shokumotu)先頭を切ってはりきっている。授業も始まっていないのにエプロンなんかしちゃって名誉挽回。@@内輪のぼやき被服だけでは絶対1の評価に値する坊や。全ての作品投げ捨てて未完成。”こんなもんやってらんねぇ!”食物では一番がんばる。結局評価は普通だとすると、嫌いな被服は、(嫌いな事は)やらなくてもいいのか、、、になるのよね。こういう時評価に困るのですよね。。。以上内輪のぼやき。跳び箱は飛べないけど走るのは速いみたいな感じかな。結局1をつけたくないので昼休み、御残り作業です@@その後友人とランチ。波崎町の”のっぽ”ランチ1000円、スパゲティまたは27CMピザ。オードブルはマグロのマリネ。手作りケーキ、珈琲お変わり自由。とても食べきれる量ではありません。友人とわけても、ピザの4分の3御持ち帰りしました。途中、もう一人の友達が来ました。彼女はがんの手術を去年しました。誤診から始まって2回も手術をしたのです。皮膚科でただの腫れ(脂肪な固まり)で、手術をしたら、皮膚科の領域ではなかった事がわかったそう。部分麻酔だったのでマルギコエ”あ!!まずいよこれ!違ったよ。すぐ閉じよう。耳鼻科の@@先生を呼んできなさい”耳鼻科の先生登場でああでも無いこうでもないで。そのまま閉じて千葉県柏市の病院で再手術を行ったそう。(彼女は母子家庭、一人は大学生、一人は高1まだまだ確り働かなくてはならないのです。がんばって!!)そのことは、聞こえはしたけど証拠が無いので医者はミスを自分の認めない。手術に録音テープって必要かもね。耳の下リンパのところ二つもメスの後があってかわいそうです。耳下腺炎にできた初期の癌だったそうです。3人集まって一人が癌。。。の時代だねぇ。。とぼやいていました。
Dec 1, 2004
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天気予報を見ると、最低気温-9度最高気温4度。すっかり真冬です。風が冷たく、心臓マヒおこしそうだった。歩くの大好き私も、タクシーからタクシーの移動となりました。 午前中、父の病院へ。随分元気。いささか退屈のよう。食事はまだ7分粥。のどのつかえはなくなった様子。咳き込むのは高齢だからしょうがないかな。 午後、母が御世話になっているケアマネージャーさんが、父の様子を、所属するお仲間さんに伝えたらしく、その方の御主人が胃癌で手術を受け週に1度、抗癌剤を使用していらっしゃるとのこと。父の良くなった様子を伺いたいと電話があった。父の入院している病院で待ち合わせ。40代の御主人さぞかし不安だろうと思う。お母様も一緒にお話を聞きに来られた。良くなって欲しいと思う。御自身でいろいろ調べられて納得した方法が見つかれば良いと思う。大切な命だから。 そのあと市役所へ、福祉課の御世話。1食500円のお弁当を週に4回を限度に配達して下さるという。手続きを済ませ、来週市役所の方の訪問と、業者さんの訪問がある。積極的に受けて欲しいと思う。最初嫌がっていた母も、なんとか説得して話は進みそうだ。なんせ、ろくなものを食べていない。介護保険はありがたい。。もうすぐ、寒い冬。ちょっと雪が舞った。。。
Nov 26, 2004
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まだ釧路です。急遽月曜日に父が入院いたまして、茨城に帰るのが土曜日です。(軽い狭心症の発作)別件ですが、これから母のケアマネージャーさんと会います。ここは市のサービスの無料パソコンルーム。病院のお隣のマナボットという、高台の上のガラス張り9階建てご立派な施設から使っています。ちょっと近況だけで又夕方医師と面談があるのでその時書込みします。沢山の書込みありがとう。今読んでる時間がありません。ではまた。。。その面談!!凄いんですよ。(私的に)(末期ということだが)(骨髄円炎含めて)癌の後が見つからないから今までの状況と摂っているサプリメントについて教えて欲しいと電話かかってきたのです。癌で入院していた病院ではないので資料が無いのです。一度に又ひやひやドキドキのドラマ後ほど書き込みます。でも油断は出来ず明日胃カメラの検査です。転移が無いことを祈っています。では後ほど。。先生はとってもよく話を聞いてくださいました。食道に転移の後は見られない。おそらく胃も大丈夫か(たとえあったとしても病院側ではできることがないか。Uwa私ってしって悲観的!”お父さんにはこのさぷりが本当にあってるのかもしれませんね。この短時間に、これだけよくなられたのは本当に驚き。だそうで、これからも続けるといいでしょう。病院には持ってきていますか?こちらか楽するは特に出しません”胃カメラ中止。”退院はいつがいいですか?”心臓の不整脈は?”これでお父さんの脈の動きです。”病室に、、るんるん半分なんか気落ち?半分。。(うまく行き過ぎて)父が深刻そうに先生なんだって??、、、退院だって。。。”これで酒がまたのめるぞ!”そういう問題じゃないんですけど、、人騒がせな父です。でもお医者様にサプリを続けてくださいといわれたから、、今度はちゃんと飲んでもらおう””ってなわけで私は土曜日に帰ります。、、、今度は大阪の父です。(楽天的ですが、時間を戻ってください結構深刻でした)
Nov 25, 2004
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今日も母は身支度をしている。行こう!というと行かない。知らん振りで”おいしいところに連れて行ってあげる”とだけ。。じゃ、従姉妹の和子ちゃんも誘おうと3人でおでかけ。昨日友人と言った六花亭のお店。ここから見える景色がなんともいえないいい雰囲気だったのでね。おしゃれなお店だし.小さな湖の脇を貨物列車の編成が通る。高台から見下ろす。冬は湖面が凍る。昔はスケートを滑ったそうな。今は暖冬なのでね。私はピザ、母はあんみつ、従姉妹はぜんざい。久々連続のお出かけの母。 病室では、昨日より調子のよさそうな父。でも胸の痞えが気になるらしい。 ct検査も終わって疲れたかな。なんでもないといい。帰りがけ、先生が声をかけて下さって、検査の結果を明日話しましょう。。と5時に約束。どんな答えが来るかどきどき。家に帰って8時ころだったかな。主治医の先生から電話”検査の結果ですが。。。。”(暗)あれ?明日じゃなかったの?よっぽど悪いに違いない”食道部の癌ですが、、、”ウワ。。来た!”特にこれといって見つかりませんでした。先日言っていた癌の経緯ですがもう一度聞かせてください”とのこと癌の後がみつからなく見当がつかないらしい。転移もあったんですよね?(今はないのかな?)。。。特にここ何日かで急に大きくなって胃をふさぐ癌を見つけることができなかったといおっしゃる。骨髄炎って言われたんですよね?”それから、サプリメントを飲ませていたって言うのは、僕ちょっと聞き流してしまったのですが、何をいつからどれだけ飲ませたのですか?今も飲んでいるのですか?それを教えてほしい”とのことでした。隠れて手の甲に塗っていたことも言いました。 ”ちゃんと言ってくださいね”先生も腑に落ちない様子。ちょっと民間療法の話をして、後は明日。。先生が話を聞いてくださることに感激。資料をまとめなくちゃと!!張り切りました。久しぶりの外出で母はダウンとみえもう寝息を立てています。疲れたのですね。なんかいい方向に向かいそうな気がします。胃カメラひとつ父にがんばってもらいましょう。たとえ癌でもできる治療はない。患者が信じたサプリメントですね。フコイダン、アガリクス、メシマこぶ、カテキン、サメエキス,核酸。温熱療法、いろいろ調べました。私のチョイスは、newaysでした。間違いであってほしくないですね。
Nov 24, 2004
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父のサプリメント109種類の栄養素、酵素が非常に分子量が小さく、体内に吸収できるように作られている。アドバイスをくれるHさんよりメール。”手の甲、舌下に塗って、あきらめないで”。早速 病院にいってぐったりしている父の手の甲にマキシモルを塗る。15ccくらい吸収した。舌下に3滴くらい。看護士さんに隠れてこそこそ。。。 それより母が9ヶ月ぶりに外出したのです。いや今年初めてかな?朝から一生懸命身支度をしているの。え??病院行くんだ。。って思った。従姉妹と二人で両脇から支えて我が家の”姫”を車に乗せていざ病院へ。父も喜んだ。髪ぼっさぼさを帽子で隠してね。実は私昨日、母に美容院行ったら?でけんかになったの。美容師さん送り迎えまでしてくれるのに。全くおしゃれに疎くなって今年1月に1度行ったきりです。シャンプーもどうなっていることやら。これは母の大きな問題なのです。(ヘルパーさんといつも悩んでいます)またこの話は後で。そんなわけで母登場。右手を母が左手の甲を私が、二人でマキシモルを塗りふーふーと乾かして浸透させたのです。幸せなトーちゃんだわ・(サプリの粒はあきらめるしかないかな。癌の勝ちか)午後また病院に行って同じ事をしました。唇もマキシモルで拭きました。少しでも吸収するように。その反面改めてけい皮吸収の恐ろしさを知りました。父のサプリメントと界面活性剤のラウリル硫酸ナトリウムの分子量の大きさがほとんど変わらないはず、こんなに体内にしみこんでいくのねと思いましたよ。(プロピレングリコールのほうだったかな?)普段飲んでいるくらい皮膚から入れたのでちょっと安心。先生から、”明日造影剤を入れてct検査をやります。”と自宅に電話を下さった。(承諾をえるため)放射線にちょっと恐怖を私は抱いているので、、、でもしょうがないね昨日今日眠れない日。同時に覚悟もした日。ちょっと涙した日。高校時代の友人と会う。彼女も、彼女のお母さんも癌と戦っている、彼女はレイシというきのこで民間療法を取り入れているといっていた。人それぞれあるから余計なことは言わない。選択肢の一つに入れてもいいかもと伝えた。釧路ではフォローしてくれる人がいないのかな。。。二人ともよくなってほしいと思う。六花亭の喫茶店でパフェを食べた。こうして毎回元気で会っていたいね。癌に負けないでいてほしいと思う。
Nov 23, 2004
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この日はちょっと忙しかった。午前10時R病院のドクターに話を聞く。”改めて新しくお伝えすることはありません。(電話で話したとおりなので)放射線性骨髄炎。本来なら全身麻酔で全ての歯を抜かなくてはならないけれど、ステージ4の癌を患っているとのこと、何もしないほうがいいでしょう。熱が出てきたり痛みが出てきたらきてください。入院して点滴するしかないですね。まあ、これで命を落とすことはないと思いますが、100%間違いなく転移はあるでしょうから、そちらのほうが心配です。””部分入れ歯だけでも作ってもらえないでしょうか?””無理です””食事に困っているのですが””何もしないほうがいいです”(かかわりたくないというそぶり)”余命もそう長くないでしょうから下手にいじらないほうがいいと思います””確実に癌でお亡くなりになりますよ”あら?s病院の耳鼻咽喉科の先生と同じせりふ。まあ正しい一般的な解答でしょう。誰も、好んで末期がんの患者の歯の診療なんてしたくないでしょうからね。社交辞令で”痛みが出たらお願いしますね。”その後、いとこ夫婦と父と郊外の温泉へ。(がん患者に温泉はよくないと聞いていたが、この際もうどこでも連れて行ってあげたい気分)木立の中の温泉。観光客が道産子に乗っている。”いいな、馬に乗りたいな”父が言った。元気あるね。10分もお風呂にいなかったけどさっぱりしたよう。私は1時間入っていた。その後レストランでおそばを食べる。半分も食べないうちにまたむせこんだ。胃の中に入っていかないという。ごぼごぼ飲んだ水の音がする。何度も咳き込んでトイレに行ってたまったものを出していたみたい。家に帰っても咳き込んでいる。ちょっと昼寝。3時間後”脈を診てくれないか”と胸が苦しいといい、循環器でかかっている病院へ。即入院。明日心臓の検査をするから同意を得たいということの説明。心臓か。。。。と気が重くなった。まさか心臓関係で今回入院するとは思ってもいなかった。それより、胃の痞えのほうが心配。明日から検査をするという。絶食:::::水分さえも胃に入っていかない状態。サプリをどうやって体に届けよう。再びもはやここまで??と思った。ぐったりしてベッドに横たわっている父。胃がん食道がん。。。かなって正直思った。今までの経緯を話す。サプリを摂っていた事も話した。:::癌の話を聞いて心臓冠動脈の検査は中止。”病院で看取るか、家で看取るか?最後は麻薬を使います”話は急に癌になった。血液検査の結果が出た。血液はいたって正常値・骨髄炎の??とがん患者の??が先生の印象に残ったそう。とりあえず様子を見ましょう。骨髄炎と聞いて通常の倍以上のサプリを飲んでもらった。効果はあったかも。次々問題の出てくるトーちゃんだわ。でもそのたびなんとなく解決されていく父って何だろう??がんばろう。。。と思った。
Nov 22, 2004
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日曜日だし(父にとっては毎日日曜日)映画でも連れて行ってあげよう。単純で明るい話。。シネマ8(だったかな)うーーーん。”血と骨”じゃおもいな。佐藤浩一さんのはちょっとエッチなシーンがあるな。(後でゆっくり見よう)そうだこれ!!さて何を選んだでしょう。swing girls!です・子供のころ、父に連れられてよく、自衛隊の音楽隊の演奏を聞きに連れて行かれました。グレンミラー楽団、もうひとつ有名な楽団のコンサートも行きました。私の音楽の大好きなきっかけは、父の音楽好きが影響しています。皆さんもご存知の映画、軽快な山形弁の高校生の明るい話。80歳を過ぎた父もところどころ笑っていました。昔の人だから根っから馬鹿笑いすることはないのでね。楽しかったといってくれたのでよかったわ。母にも”いや-大きな映画館ができたもんだ!”と教えていました。面白かったよ。みんな楽器素人なんだよね。water boysのときもわお!と思ったけど、あの監督はすごいね。この日、夕食やはりのどに痞え(つかえる、、、てよむんだ。へーーー!知らなかったわ)詰まった配水管がごぼごぼいう感じ・食事を中断してしまった。ここ3日くらいの症状。だんだん悪化。なんだろうって不安。お酒が刺激になっているのかも、明日は、食事を食べてから飲んだら?とアドバイス。大丈夫かな。。
Nov 21, 2004
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父の残っている14本の歯は、見事に下に6本あれば上がない。上に7本あれば下がない。前歯が一本ぶら下がっている。だから噛めない。(放射線治療の際何本か抜かれた)80歳まで自分の歯がご自慢だったのにね。かわいそうに。それでも普通に食べている。今日の夕食もむせこんだ。ちょっと心配。胃のところが使えるとぼやいた、、、、。
Nov 20, 2004
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25日記 今回の帰省は、放射線治療による”放射線性骨髄炎”と診断されたため、どのようにしたらよいか医師と相談するため。う!!寒い気温は、午後2時なのに9度。ライナーはずしたコートでは、寒い。遠くの雌阿寒だけは雪がきれい。父も母も思ったより元気。ただ、ちょっと不安げな父。この日、夕食の時ちょっと父が咳き込む。金曜帰省って意外と使えない(翌日、翌々日病院休み)
Nov 19, 2004
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放射線骨髄炎について医療に詳しい人に聞く機会があった。それも一日に3人の人から全く別のところで。私が意見を求めたのでもなく、偶然?これも何かの縁だろう。やはり原因は放射線照射のミスが多いとのこと。過剰か。当てる深さの計算ミス。またはポイントがずれた等。父の放射線治療の時のただれは、本当に痛そうだった。血がでて膿んでそれでも照射を続けていた。そんなものだと思っていたから、、、。痛いとか辛いとかなんて一言も言わなかった。それから、今これから、既に?癌の状態と思っても間違いないと。 今回またニューウエイズの御世話になる。半端じゃない量をとることになりそうだ。こちらの都合のだけでお願いして本当に申し訳なく思う。今は、全ての歯の歯槽骨の中の膿ホウ。これが全身にどう作用するか考えたら恐ろしい。歯の膿にとらわれていたら、極悪な癌がまた再発してしまうかもしれない。歯骨の腐化をとめてあげたい。痛み無しで。昨夜は、父の癌で御世話になっているHさんが電話をくれた。夜中の1時までを電話で聞いてた。 彼女は、甲状腺膿腫を切らずににこれだけで2ケ月で治したという。手術はできるだけ避けたい。患者が医師に背いた時必ず医者は、ひどい言葉をなげつけるよね。。私も、彼女もそれを経験している。”切除せずにその醜い首でそこらへん歩くのですか?”と言われたそうだ。また、彼女の義母は、せき髄に癌(末期)ができ全身麻痺。痛みは半端じゃなく首も座らない状態でいたという。それでも大学病院の医師は手術をすすめた。助からないと分かっているのに、実験台の用に扱われ研究材料にされていたという。耐えかねて抱えるように退院して来たと言う。そしてNWだけで10ケ月生き延びた。手術無しでは余命1ケ月といわれていたそう。結果的にはお亡くなりになったが、モルヒネを使うことなく痛みもなく眠るようにこの世を去ったと言っていた。 父は、伝えている量のサプリを飲んでいない。源発の癌が消えた時点で治っていると思っている。私のほうがいつもこんなにどきどきしているのに。 来週帰ったら、まずは1ケ月分、全部小袋につめサプリをセットしてくる。1ケ月たって、状態に変化がなければ諦めよう。父は飲むだけしかしない。母の仕事はそれを毎食出す。あるものは1日5回。液体は、一日1000CC。芸能人のバツゲームで使われているノニジュースも入っている。こういう使い方はして欲しくないのに。クレームをつけたい。父の命の綱の一つだしノニを健康の目的としてとっている人に失礼。また桜を見せたい。いや、お正月を迎えさせたい。癌は、人間の身体に住み着いた別の生物のように思う。こっちがスキを見せるとつけあがる。徹底的にたたくと姿を隠す。そして本当に油断をした時、癌に負ける。 1年前まで赤の他人だったHさん父の癌以来、深く私達の生活に関わっている。時には親子の関係も危ぶまれるくらい強制力をもって。たしかにこの製品はすごいと思う。また、頼るしかないか。 通勤途中、チロルチョコ4個と(うそ!ほんとは5個)とブラック珈琲を早めのセブン買い(昨日の一件があるので)やっと食べられたちろるちょこきなこもち!ただ今残り1個。さていくつ食べたでしょう?5年2組ナップザック全員終了!ポプリ袋も大繁盛!それも終わった子の為に巾着袋作成。けっこうみんなが作れました。巾着袋はロックもかけてない生地なんですけどね。こうやって作るのよみたいな程度。それでもナプキンが2つくらい入りそうな大きさよ。いよいよ食物分野その前に1くみさんと 足並みをそろえるためまた何かかんがえておかなくちゃ。。
Nov 11, 2004
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午前11時従姉妹から電話。 放射線治療の様子がわからない事と、麻酔に心臓が耐えられるか循環器の先生の許可が必要との事で今すぐどうにもならない状態とのこと。放射線は、S病院心臓は、I会病院。今回はR病院口腔外科。市内には人口の割に、中途半端に大きな病院がくつかある。それも、北大系、札幌医大、旭川医大系列と派閥もあるようだし得意分野が分散している。保険証カードに患者の全ての情報が入っているといいと今回感じた。心臓の方は、電話で無理にお願いして26日の検査を今日の午後にしてもらった。従姉妹夫婦にまた付き添っていただく。本当にありがたい。私の中での問題は、S病院の医師に連絡を取る事。 癌でかかった病院。日記にも書いたが、例の医者に頭を下げなくてはならない。だから、お医者様なのね。”この放射線治療は、根治目的ではなく死に際を奇麗にするためですよ。下咽頭癌との共存はありえません。確実にこの癌で死にます。それが遅いか早いかでしょう”こんな事言う?家族に無許可で勝手に告知もすませる医師。”もう、本人に言ってありますから。じゃ無いと治療がすすまないんでね” この時、藁にもすがる思いでさんざん知人のアドバイスを断り続けていたニューウエイズのお世話になった。半端じゃない量のサプリをたくさんとった。だから今の父がいる。 げんぱつの癌が消えたら、”転移した部分の癌をとりましょう。”と言われた。何としてでも手術に持っていきたいドクター父の免疫力とNWのサプリを信じてお断りした。“この手術を断ったらもう後はないですよ。1ヶ月だけ待ちますよ””父の手術はしません”それ以来医長の診察日に予約で行っても、医長は別の若い医師に父を任せた。医者本来の目的を忘れている医者だと思った。むしろ、リンパ、リンパ節切除、声帯部切除(声が出なくなる)医師の言うまま手術をしていたほうが父はいなかったと思う。父も”この年になったし、片目も見えない。声が出ないじゃ生きてて楽しくない!死んだ方がまし。”と手術は拒否。今その医師にお願いしなくてはならない。快く診てくれるはずが無い。父も嫌な思いをするだろう。治療に耐えた冬は長かった。でも、春を迎えられて桜が診られた奇跡夏を迎えられて孫と長距離ドライブに行けた奇跡毎晩大好きなお酒をいただいている奇跡竹刀をふる事はなくなったが 母とワイドショー見ながらやけに芸能情報に詳しくなった父がおもしろおかしい。気丈な父が悲しいドラマを見て涙する奇跡秋の紅葉を愛でられた奇跡この奇跡を、いつもと変わらないお正月を迎えられる奇跡に変えたい。母がいるから父が元気だし、父がいるから母も元気だ心に引っかかるのは全身麻酔の事を考えただけで、ここ二日胃がきりきり痛み夜の寝付きが悪い。釧路の最高気温は10度。日一日とまた冬がやってくる。父の調子が悪いと気づいてちょうど1年だ。まだ二ヶ月あるのか、もう二ヶ月しか無いのかぁ、この1年は長いのか早いのか、あわただしくいろんな事があった1ねんだった。今から師走の気分だ。 追記//口腔外科の先生と連絡がとれた。 ”放射線骨髄炎”過度の放射線をあびた時後に起こる、(源発の癌が消えたとき放射線治療はもうやめて下さいって言ったののに!!2/3も超えたし。今になって激怒!)あるいは、下顎の歯の根の部分まで放射線を照射したか。。だそう。これってミス?放射線はやはり怖い。口腔外科先生曰く、ステージ4まできた癌、いつ再発してもおかしくない。あるいは何処かに転移してるかもしれない。いずれにしても余命はながくないはず。無理をして手術でとるのはやめましょう(それがいちばん望ましいらしい)。高齢だし時間をかけてとっていきましょう。と仰って下さった。 下あごに放射線の後の膿みの袋がところどころできているらしい。いつ骨が腐って溶けてもおかしくない状態。決していい状態ではないとのこと。 手術は免れた。(いい意味じゃないのにね)先生が仰っていた。根拠の無い治療は行いません。根治率70%以上確信できるとき以外メスはいれません。 ちょっといい先生かも。民間療法も続けていて下さって結構ですって。医学的に臨床データーがそろっていないだけで確実に良くなっている患者さんが多いですから。って。ちょっとうれしい焦らずに帰省して先生に父の事をお願いしてきましょう。遠隔操作で慌ただしい一日でした。根拠のある治療とは?EBM根拠のある治療
Nov 8, 2004
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実は本日アロマテラピーの試験を東京に受けにいくはずだったのです。事情がありまして、来年にまわしました。半年後です。アロマの気持ちじゃなかったのでね。 おそらく今週早々釧路に帰るので日記がある日突然止まったら心配なさらないで実家に帰ったんだなと思って下さい。 実家の父が全身麻酔で歯を全て抜歯せねばならない状態のようで、明日私の従姉妹と大きな病院で診察を受けどういう方法になるか決めます。80を過ぎてもたくさん歯が残っていて入れ歯じゃないというのは自慢だったのに、あとで大変になるようですね。骨が全部腐っているようで、ちょっと大がかりのようです。まだ熱が出ていないだけ幸いです。 放射線治療の時も金属かぶっている歯、虫歯は全て抜歯されこの時もかわいそうでした。心臓のワーファリン治療をしていたので(血液凝固を防ぐ)2週間も血が止まらなくてそれでも毎日毎日拷問のように歯を抜かれていました。さすがにドクターに対して怒りをぶちまけたような。高齢で全身麻酔というのがひっかかります。それより、お医者様曰くここまでさぞかし痛かったろうとのこと。戦中派の父は我慢強すぎです。 父に免疫力がどのくらいのこっているか。メスを入れる事で交感神経が緊張状態になり、活性酸素が増えて一気にダメージがかかりそう。そうなると、おとなしくしていたがん細胞が暴れださないかとそんな心配もあります。また、検査検査で振り回されないように。たとえ1週間10日の入院でも高齢者には負担です。痴ほうのきっかけになったりしますね。頸部の放射線の時、歯の骨が腐るといわれたけどちょっと早いな。心配。 さて、長期の留守をしても”輩たち”が大丈夫なように食料買い出しに出かけましょう。*雑記*、鹿嶋近辺の七五三って披露宴形式で一度はやるらしいですよ。結婚式場ホテル等は七五三でこの時期書き入れ時。それもお色直しとかあるの。親戚とかを招待して、ご祝儀もシッカリ包むのよ。親戚がこっちにいなくてよかった。私なんてよそ者だから、やらなかったけど。岐阜のお母さんがやはり、留袖を持ってやってきたのでここでは留袖は着ませんって言ったっけ。家はお参りと写真だけ。フラメンコ教室のお友達の子供さんは写真は前取りでお式をやるそう。
Nov 7, 2004
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27日羽田空港にて記昨日までは早起きして”のろっこ号”に乗って釧路湿原を見に行こう!!と一人で行ってもつまらないわ取りやめ。親の用事で 市役所に行ったりお使いに行ったり、ちょっと自分の用事を済まして時間が過ぎる。ちなみに釧路の学校はもう16日から2学期ですって。釧路の場合、黒い”学らん””ブレザー”をもう着ています。つまり冬服です。息子たちが面白がってシャメとっていました。(失礼よね) 高齢者二人の生活も、、はたから見ていてひやひやだけどうまくやっているのでちょっと気持ち的には安心。癌がこれ以上転移しないことと、二人の健康を祈って明日は帰ろう。この夏は両親へ最高のプレゼントだったと思う。またこういう夏がくるといいと思う。一日一日生きていることに喜びを感じていたい。
Aug 26, 2004
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日本で一番遅い桜(千島桜)も、どうやら終わりのよう。私は、今年2回桜を見たんだわ。ラッキー。道ばたにはかわいらしいたんぽぽがたくさん咲いている。チュウリップも色とりどり元気よくいろんなおたくの庭先で青空を見上げて。北海道の春は、一度にたくさんの幸せをもたらすよう。 父と二人でお蕎麦やさんに行った。あれほどお蕎麦の大好きな父も、ざるそば1枚は多いようだ。途中のどがつかえる。苦しそう。。。どうしたんだろう?、、、と水を飲んだ時、思うように流れなかったのかむせて苦しそうだった。 改めて油断はできないと思った。休眠状態(なくなったはずの)の癌が隙を見て、大きくなっていないか怖くなった。でも、もう残された治療法はない。どうかこのまま乗り切って欲しい。”やまさん!!”父の小学校時代の友人という人がお蕎麦やさんで声をかけてくれた。(ダンスの先生と聞いて吃驚)”どうだい??なんだ元気ないないなぁ。(言われてみればそんな気がする)(’事情をしっているので)負けんなよ。竹刀でも庭でふれよ(そうだそうだ!!)”、、、、たくさん元気づけられていた。 地元だから受けられるコミニュケーション。娘と住みたい。でも、この土地を離れるのは寂しい。そんな思いがあるのだろう。。。 お蕎麦やさんを出て、バスの時間まで 余裕があったので、母に頼まれた買い物を付き合い、空港行きのバスが来るまで一緒にいてくれた。 どんな別れでも辛いものだ。スーパーの袋を下げた父の足取りも重いと思う。母は、足が悪く買い物に出かけられない。散歩がてらといって言い様に使われていないか心配だ。でも、こうして春を迎えられて、桜が咲いて、たんぽぽが笑ってその自然のパワーをもらって欲しい。 また、、、夏になったら行くからね。 明日からまた私の生活が始まる。 先ほど帰って来たばかりなので今日は日記のお返事を書きません。明日はメンテで楽天さんお休みかしら??では金曜日皆様のところに伺います。
May 26, 2004
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午前中、転医した病院へ書類を持って今後の診察をお願いに行く。今日は、風こそ海風で冷たいが気温は14度。春らしい穏やかな日。釧路市の高台にある病院。ぬさまい橋、釧路港、遠くには阿寒の山並が見える絶景の場所。行きはタクシーで、帰りは”出世坂”とよばれる石畳のしゃれたガス灯風の街灯がある急な坂を二人でおりた。遅々と二人で歩くのは何年ぶりだろう?ちょっと照れくさいやら嬉しいやら。年老いた老人をだましているおばさんに見えないかしら??なんてね。海風を気にしながら父と歩く。80歳を過ぎ、入院していたせいか、かなり足腰が弱っているようだ。高齢者は当たり前かもしれないが、下りの階段では必ず手すりにつかまる。以前の父にはあり得ない事だった。”おとうさん、80になったら剣道8段うけるから!!”と意気込んでいた父の姿はない。(片目も失明しているので) こうして春が来て父と歩けるなんて想像もしていなかった。新しくできた芸術館は、私も父も始めて。、ルネッサンス時代の作品が展示しているらしい。30分くらいかなゆっくり館内の素晴らしい絵画を堪能した。平日で人もまばらだったので多少声を出して開設をよんであげても迷惑にはならなかった。 それからランチ。芸術館の前にある全日空ホテルに行ったが満杯。足をのばし、駒形屋さんで、”ウナギ一本丼”を食べた。こじんまりした上品なお店だった。さすがに掘りごたつの個室に通されたが、父とこんな狭い部屋で面と向かって座った事がないので料理が来る30分くらい非常に、、、、私的には会話に困ったわ。 ”こんな和風の店でも珈琲を出すのか?”って怪訝そうに私に言っていたけど美味しい珈琲だったのでよかった。 店を出てから、 父に疲れていない??と聞いたが大丈夫だと言うので、またまた少し歩いて、夕飯の支度を買いに行った。 感謝。。父の元に春がやって来てくれた事に感謝。 初めて日記を読まれる方にはこの喜びはピンと来ないかも。父は、咽頭がん末期/死際をきれいにするためにと言われて放射線治療を受け、(受けさせられ)これらに対する、知人からの紹介のサプリメントで今を維持しているわけです。恐ろしいの放射線治療の後遺症が出ないかどうか。。それだけが気掛かりです。
May 25, 2004
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今日は放射線治療が終わって初めての検査。ctをとるという。(とりたくなかったけど放射線が怖い)。頸部リンパ節の癌はまだ残っている。 ”1ヶ月猶予を与えますから、手術をするかどうか決めて下さい。”とのこと。”それ以上だと、後はない”父は”はっきり手術はしません”と答えたのに、家族の方の意見を聞きたいとのこと。つまり、私のこと。来月早々また釧路に帰る。ゴールデンウィークに帰らなかったのは、病院もすべて休みだから。 前回行ったときも”手術はしません”と伝えたのに。おまけに、前回の診察は、久しぶりに帰る私が一緒なのに担当医で先生ではなく、まだ大学を出られたばかりの先生だった。 1ヶ月の猶予。むしろ放っておかれる1ヶ月って何?リンパの癌ってそんなに安心なもの?むしろ私は、放射線治療の副作用がでないか心配なのに・少しでも状態が良くなると手術に持っていこうとするのが西洋医学のやりかたなのか? 抗ガン剤をなぜ癌が消滅するまでやらないか、、、ぎりぎりまでやると命までぎりぎりになるから。または無くなるから。放射線も同じ。 今のサプリで何とか頑張ろう。すでに命は無いと言われた父が今日まで元気にいる。老人会にまで顔を出している父に戻れた。後、どのくらいかはわからないけれど。これ以上今回の件に関して”西洋医学”の世話になる気はない。 代替療法がもっと確立して欲しいと思う。免疫学の発達と理解をもっと広めて欲しい。 掃除の時間また後で。。。。。
Apr 28, 2004
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父の33回の治療が終え、今ふつうの生活をしている。。。しかし、日に日に声が出なくなっている。おそらく声帯にかなりダメージがあるのだろう。声が出ないということは、声帯が麻痺しているのか?焼けただれているのか?治るのか? 人によっては、半年後に副作用がでる人もいるという。1年後に白血病診断される人もいるという。油断を許されない状況。 CTを今度またとるという。これでまた転移していましたといわれるくらいなら、病院に行かせたくない。それより嘘でも、ガンは消えてきていると言ってほしい。今とっているサプリメントが、放射線後の回復の免疫力を上げてくれるか、リンパ節転移のガンを小さくしてくれるか。。。それだけを祈るだけ。 2度目の告知は、患者にとってかなりきついと思う。若くて、治療法があるなら別だが、、、若い方はそれはそれで気の毒だが。。。後ほど 帰宅後、引き出しの整理をしていたら、癌に関するあらゆる資料がでてきた。下咽頭癌、、手術~咽頭全摘出、声帯切除、食道摘出、胃を持ち上げ空腸を持ってくるなど、、、今思うと恐ろしい。まさしく父が受けるはずの手術だった。声が出なくなることと、命を選択された。80歳でもできる手術だと言われた、手術を受けずに本当によかった。抗ガン剤を受けられずにすんでよかった。放射線の副作用は、もっとも怖いが、何とか、、いい方向に向かっている。限界まで受けたことに、後悔はしている。もっと強く止められなかった自分に。 釧路は、まだまだ寒い。でも暖かい時間を見つけて近くのコンビニにまで、いけるようになったらしい。父にも春がやってきている。東京では、初夏の陽気だが。。。こうして穏やかな日が後少しでも、、、、長く続いて欲しい。 癌と戦っているすべての人の希望と成れば幸いかも。かすかな幸せを感じている。
Apr 19, 2004
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朝一番実家にある病院へ電話。父の放射線治療を止めてほしい旨連絡をした。(4/1は、どうしても休めないので帰って来た。だから失礼だけれど医師にお会いする事はできなかった)1030に予約が入っているので、たぶん間に合う。9時頃病院へ連絡を入れた。げんぱつそうのガンも消えたし、(油断できないのはわかっている。もちろん直った訳じゃないことも重々わかっている)放射線治療を打ち切ってほしい。”途中で打ち切ることもある”と説明を受けたことも。それを逆手にとっているのかも知れないが、放射線を継続するなら理由が欲しい。と、伝えた。 医師は”医学的根拠に基づいて、100年近く行なわれている放射線治療に対して、データー通り一般的な治療を施している。何故そのような事を言うかわからない。止めたいと言う医学的な根拠はなにか?”。。。帰って来た答はこれ。素人の私にそれを聞く?私/ 咽のただれ、いろいろな障害。後7回の治療をして効果が変わるですか?それよりからだへのダメージは?治療後の無気力に近い父を見ていると、脳への影響も大きいのでは?ここから新たに願が出来ないのか不安だった。 効果が変わるか変わらないかはやってみないとわからない。当初の計画通りやるべき私/ 患者の身体的な診察を施しているわけじゃないのに。 。。。。。心の中で私/ 放射線の後は? 見守ります。私/ 何か薬を飲むのですか?(からだに良いと言う意味) 化学療法はムリです(もっとも、頼まれても受ける気はない) 見守るのも治療です。(たしかにそうだけど、何かが違 う。このドクターから心が感じられない)私/。。。。代替え療法を試みたいのです。 医学的なデーターが揃っているのですか?勝手にそういう 事をされては困るのです。(たしかにわかる。だから吟味して選んだつもり。実はもうやっているけど。。。) 外科的な手術、放射線、抗癌剤 私/それ意外ないのですか? それが一般的です。 私/放射線の後は?耳鼻科の主治医は手術と言っていますが それもあり得るでしょう(とりあえず相手をたてている) 私/転移したリンパ節をとっても意味があるのでしょうか?血液にのって体中にまわっていませんか? 医学的にはそういう事です。それが再発とは必ずしも結ばれません。癌は取り除くべきです。(耳鼻科医) 放射線科の領域ではありません(放射線科医)私/からだの免疫力が落ちるのが心配です。白血球の減少 等含めてです。 最初に説明しませんでしたか? 私/免疫力を高める治療はないのですが? 免疫力を高めたところで癌は根治しません 、、、、言いきれるんだ。。。 私/お医者様は根治を根ざしているのでしょうが、 本人家族としては、82歳。余命をのんびり過ごしたい のとからだに負担のかかる治療はさせたくない。 だるそうにしているのは見ていてやはり辛いです。 それから、、、この治療ででた、障害(だ液せン) は、なおりませんよ。(今止めたところで状態は変わらな いと言いたいらしい) こんな事も言っていました。 虫歯になりかけの歯は、全部抜かれたし。。(これはしょうがないらしいが、ワーファリン治療を施していた父は一週間出血が止まらなかった) いったい、医者にとって患者ってなんなんでしょう? 治ってほしい。苦痛、痛みのない治療をしてあげたい。 そんな気持ってないのでしょうか? 患者に選択肢を与えているようで、 選択肢なんてありません。 万が一再発してもその後は、ありませんよ。 一言言いたい。 あなたの親を、手術できますか_? あなたの子供に、抗癌剤を投与し、放射線治療を ほどこせますか?あなたが、主治医として。こんな1日でした。外科医は手術を勧める。内科医は抗ガン剤治療を。放射線科の医師は、放射線治療を、当たり前のことかも知れないが。最初にかかる医師の元で治療はずいぶん変わってくる。患者の選択肢はあくまでも、とりあえず気持ちを伺っておこう。程度のもの。よっぽど本人の強い意志が必要となる。高齢者にとって、非常に不利と思える。 そして知り合いの医師は言う・自分が癌になったときは、抗ガン剤だけは使わないでくれ。手術だけはしたくない。放射線も避けたい。 4月1日午前 とりあえず、辞令を頂きました、 夏までですが頑張ろうと思います。
Apr 1, 2004
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帰って来ました。今朝の釧路の気温は2度でした。モノレールから見たどこかの公園の桜がとってもきれいでふわふわに見えました。明日から又仕事なので、頑張ります。 父の報告ステージ4と言われた末期の下咽頭がん。先週の金曜の治療で”消えました”と言われました。何度も聞き直しました。お医者様も不思議そうに”ないですね。。。。”転移したリンパのがんは まだ残っています。 死際がきれいなんですよ。、、と冷たい言葉で始まった放射線治療。だめでもともとと、藁にもすがる思いで、父と喧嘩までして飲んでもらったサプリが効いたのか。 今度は医者は、手術をしてリンパを取り除きましょうと言うのです。もちろん反対です。 放射線でただれた傷口には、”リンデロンV”が、処方されました。もちろん使っていません。西洋医学の限界を素人ながら感じました。手術/抗癌剤/放射線/地方の大きな病院でおこなっている癌治療ってせいぜいこのへんです。待っていましたと、オペをすすめます。82歳の父にです。リンパ節廓清が、どんなに恐ろしい事か素人の私にもわかります。働き盛りの若い方は また別の問題があると思います。放射線にしても、週に1度札幌から医師が来て、後はレントゲン技士に任せられています。放射線治療ですよ。医者は不在です。患者は、ノーと言えません。”死にたいのですか?””後は、知りませんよ”と、言われるだけです。 栄養の話は、ほとんど無知です。サプリなんて、、と馬鹿にしています。当病院では、東洋医学もおこなっていますと、”ツムラ”の漢方を若干処方しているだけです。それも、ステロイドやらいろんな薬とごっちゃです。 でも、他に病院がないのです。一応、、市民にたよりにされている病院なのです。前にも書きましたが、入院病棟の看護士の味気ない態度。横柄な医師の言葉。何かの宗教団体に紛れ込んだ感じがしましたのを今でも忘れません。 明日放射線治療も終えてもらおうと電話をしようと思います。十分考えた末です。もちろん父と母と父は、医者ともめたくない。、、その思いが強いようです。でも、義理人情を求めても、お医者様からはそんな”情”は、期待できません。昭和10年代生まれのお医者様ならまだしも。 。。今は、患者が意思表示する事ができる時代です。なんとか、、父にわかってほしい。あとは、今からだに良いと思っているものを続けて1日も元気でいて欲しいです。 なんせ、80代ですから。 また、日記を埋めていこうと思います。今日はこれにておやすみです。
Mar 31, 2004
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今日は、父の付き添いで病院へ。悲しいかなもう何日も来ているのに父は全く要領を得ない。 大きい病院とはややこしい。あっちへうろう。。。午前はとっくに終わってしまった。首のただれがひどい。耳鼻科で出された薬を咽にはってもらったが、半日でじゅくじゅくになってしまった。(火傷のひどい状態)帰りはセブンイレブンでお昼を買った。コンビニになれていない父と母は、おいしい!おいしい!と食べてくれた。まだ、食欲があるだけ良いかな。放射線をやった午後はほとんどソファーで寝ている。でも、がいらいでかよえることに感謝。今日はフラメンコか。。。お休みです。残念だけどしょうがない。
Mar 26, 2004
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4時起床。暗くて寒い。おまけに雨。バスは0515予定通りに来てくれたのがせめてもの救い。カウンターで介護帰省パスを出し、搭乗券を買う。今回はバッグは一つ。私の旅行時の荷物の少なさには定評がある。荷物を預けるのがめんどくさいのと、行き先が実家と言う事もあるかな。時間までいつものパン屋さんで朝食。
Mar 25, 2004
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また、実家の釧路に帰ります。父の様子をみにいきます。介護割引とはいえ、12月から毎月帰っているのですが、考えたら毎月飛行機代45000円。ちょっとしたローンみたいです。 春を越せるかなと思っていた父も、桜を見ることが出来るかしら?でも釧路の桜は5月ですね。 28日には、演劇の公演を終えた次男も初のフライトでやってきます。(自分でチケットを買って乗るのが初めてです)パソコンの ない生活が続きますが、、、4月になったらお会いしましょう。 白い木蓮の花が咲いていますね。咲き始めの木蓮ってきれいです。美しい。 これからは穏やかな日々が続くことを祈っています。 4月にお会いしましょう。
Mar 24, 2004
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確かに、ブルー入っていました。全くパソコンを開きませんでした。週末も特に出かけませんでした。落ち着かない春休みを迎えようとしています。 今週実家の釧路に戻ります。父の様子を看にいきます。本人は元気?ですが、残り13回の放射線治療が外来で出来るかどうか。半信半疑で父に飲んでもらっているサプリメントは確かに効いているようです。(ブルーの原因ではありません) 朝の放送で知りました。いかりやちょうすけさんが、癌で亡くなったそうですね。72歳と聞けば、まだお若いのにと思います。父も頚部リンパ節転移です。かなり大きな腫瘍です。 いかりやさんというと昔はお笑いの役者さんしか思っていませんでしたが、”8時だよ全員集合!”は、小学校だったかしら?この日は、唯一9時まで起きていて良い土曜日でした。8時には寝かされていました。彼は、年を増すごとに演技力のある存在感のある役者さんになったと思います。年をとりながら成長できる方ってすばらしい。心からご冥福をお祈りします。ちょっと私の父に似ています。同じ病名で、怖くなりました。リンパ節転移油断は出来ません。 癌は本当に怖い病気だと思います。将来国民の二人に一人が癌になると言われています。私も生活を改めようと思います。”食”は気を使って来たほうなので、生活スタイルをかえてみようと思います。まず毎日使う合成シャンプーをやめました。少しずつ安全なものを使っていこうと思います。 昨日、ニューウエイズの方が来てくださっていろいろ教えて頂きました。口からとるものはほぼ90%は、体外に出されるそうですが、皮膚から入ったものは、分子量は小さいほど吸収され、血管の中に入り、肝臓にたまるそうです。これが正しい表現であるかどうかはわかりません。逆に、コラーゲン、エラスチン分子量が大きいため表皮の中に浸透せず肌に良くないことを知りました。知りませんでした。シャンプー、化粧品などのプロピレングリコールなどは、分子量が小さく、心臓の悪い方が使用しているニトログリセリンの分子量と同じだそうで、歯磨き粉は要注意です。、、、まだ、合成の歯磨き粉を使用しておりますが。手に入りしだいチェンジです。なるほどと思いました。好奇心の強い私は少し調べてみようと思います。白髪染め等はすごく怖いらしいですね。どうしよう!! 知っていると知らないでは世の中のこと、健康のこと環境のことずいぶん見方が違ってきます。世の中にはいろんな選択肢があると思います。無知でいる事わかっていても自分とは関係ない事と思う事金銭的に諦めてしまう事わかっていても面倒と思う事わかったからかえてみようと思う事わかっていても変化を嫌う人聞く耳をもたない人聞いているフリをしている人どれでも良いのですが、今回は、”きっかけを有難う。後は自分で調べるわ。製品もいろんな選択肢があるから選ばせてね”というスタンス。 もちろん、この会社のが良いと思ったら使わせてもらうわ。無理強いはしないでね。アムウエイも気にいっているので。ミキプルーンも好きだし。これだけじゃなくいきたいですね医者か、代替療法か命にかかわる事は、慎重に扱って欲しい。 雪が降りそうです。春休みが明日から始まります。学校では一番忙しい慌ただしい季節です。ちっとも休みじゃないです。一般企業では当たり前ですね。悲しい気持は相手を暗くする。明るくいこうと思います。
Mar 22, 2004
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昨日は体調不良で、フラメンコを休んでしまった。 残念。ぎっくり腰になりかけでも痛みをこらえてボルタレンをもって行く私が休んでしまった。こんな理由でフラメンコを休んだのは、猫チャンが死んだ日と、父が末期の癌である事を知った日。今日もそれほど重要な事。 この春で、長い年月私を支えてくれていた人が遠くに行く事になった。異動の対象で覚悟はしていたが、お互いに予想外の結果だった。今の元気な私があるのもその人のおかげ。こんなに悲しみのどん底でも、笑わせてくれる。ちっとも悲しい事じゃないかのような魔法をかけてくれる。 遠くに行っても、きっとこう言ってくれる。こんなふうにアドバイスしてくれると思えばたぶんやっていけるかも。そうするしかない。生活の場の距離が離れるだけとはわかっていても便りにして来た人がいなくなるのは寂しい。待ち遠しかった春なのに。 何年間だったけれど一緒に仕事をした方々がやはり離ればなれになってしまう。悲しい事だけど、新天地で頑張って欲しいと思う。久しぶりに仕事を共にする人もいるだろう。春は、、出会いと別れの季節。思い返すととても重要な事柄は、私の場合金曜日におこっているようだわ。 本日土曜日は、前の職場で一緒だった同僚とランチ。屈託のない、あっけらかんとした彼女は、ある意味癒される。年齢はひと世代うえなのにまるで少女(ほめたよ!)独身だから生活感もなく、金銭的な悩みもなく、人間関係でトブッテいるわけでもなく鷹揚さがにじみ出ている。職場では浮いていたけど。(多分私のこの日記を読んで、彼女を思い出したら笑い転げる人がいるでしょう)1年間仕事を一緒にして、6、7年たってもこうして会っているから気が会うのでしょうかね。結婚も諦めていないから、、どなたか紹介したいくらいだわ。彼女から、父のサプリメントを勧められたのです。後3回で放射線を終わらせようと思います。33回のうち17回終了しました。20回を限度に完全に口からものが食べるのが困難になるようです。入院して治療をしましょうといわれているのです。父は、拒否したいと申しています。私もそのほうが良いと思っています。どんな結果になっても父は81歳。余生を家でゆっくり過ごしたいと申しています。幸いドクターも驚くほど腫瘍は小さくなりました。リンパ節ですが、アボガドを半分に切ったサイズだったのが、見た目にわからなくなったようです。毎日マキシモルを150CC、ノニジュースを60CC(ただし末期の癌患者が摂取して欲しい量はこの倍です。父はやっとこれだけの飲む事を承諾してくれました。でも、からだで良いと感じているので抵抗ないようです)それと、活性酸素を除去するサプリと、ビタミン剤です。豆乳、玄米をたべるようにすすめているのですが なかなか。。。一度に変化はムリのようです。癌は恐ろしい病気です。いつ逆転するかハラハラです。アガリクス、鮫の軟骨、フコイダン、乳酸菌、等も考えました。お金に変えられないけれど本当すごい金額になりますね。まともに飲むと月に2、30万はかかりますね。父が使用しているサプリも月に4、5万はいってしまいます。医療に必要だと認められないと、確定申告の対象になりません。でも、患者には必要なサプリってあるはずです。そういうものが1日も早く認可されて欲しいです。サプリイコールマルチまがいビジネスと言う式が私の頭にはありました。でも使う本人が良いと思えばどうでもいい事だとわかりました。 夕方息子の部活を迎えにいきました。木曜日の突風で、歩道に1mくらいの砂山が出来ていました。おもわず”なんじゃこりゃ??”でした。改めて、、、すごいとこだね。。。。と。畑、田んぼ、はやししかないの。これだも、この学校も定員割れするわね。。(今年は違いました)ふーーーー気を取り直して週末です。
Mar 13, 2004
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けんかというより口論になった。原因は、私が父によかれと思い送ってもらったサプリメント。一度に4種類のものが届いて何がなんだかわからなくて困ったらしい。(そりゃそうだわ。。英語だし。)送ってくれた方は一つずつシールを貼りこれは、血液浄化作用があります。活性酸素を取り除きます。総合ビタミン剤です。一日一つを食後に、、と書いたシールを貼ってくれたらしい。3時間ごとに飲むサプリもあり、1日で5粒をパック詰めしてくれたらしい。届くことは前もって説明していたけれどいざ届くと、今飲んでいる液体2種類の他にこれ以上わからない。。。。いらないから返す。。と言ってきた。放射線の治療で十分だという。残り20回以上照射するだけの体力があるか不安だったのでいろいろ取り寄せてみた。感情的になりそうだったので、いったん電話を切ると言って話は中断した。(正解)すごく疲れた。4日間の疲れがでたと言おうか。。。遠く離れていることの限界を感じた。 こちらの放射線科に勤める看護士さんと知り合いなので、(たまたま電話をくれた)相談に乗ってもらった。彼女も、これらの製品の何種類かだけど(彼女はこれがすべてじゃないと割り切っている方なのである意味信頼できる血液疾患をどうにか働けるまでにもってきた方。受け入れるものだけでやるしかないじゃない。、、とおしゃってくれてちょっとほっとした。 人の気持ちとは、エキサイトしているときは会話にならない。身内ほどすざましいんじャないかしら?母も時間をおいて考えたのか、その後電話が来て、”どうやってのませればいいの?”と聞いてきた。80歳の母に一度にいろんな情報が流れ込んできた状況はさぞかし辛かったと思う。 3時間おきは無理だと思ったので、食事の時に思い出したときでいいからまずはそこからやってみてと伝えた。 紹介してくれた方は3時間おきじゃないと効果がない。と言ったけれど今の状況では無理。 1週間ためしてこのことが出来たら、試みてみようと思う。少しでも免疫力があがり父が元気になってくれればと思う。。。。。ちょっと裏目にでてしまった。しょうがない。その方はよかれと思って、本当に差し上げますといろんなものを送ってくれたらしい。(いらないと言ったのに)歯磨き粉から、シャンプー、バスジェル、台所洗剤に衣類洗剤、マウスウォッシュまで。これはびっくりするわね。ただではもらえないという世代だから。疲れて早くベッドに入ったけれど、結局母と話し終わったのは11時過ぎ。でも、、、よかった。 人の命の存在は、そこにあるだけでありがたい、というのがよくわかる。身内ならどんなことしてもとおもうであろう。やりかたしだいだけれど。たまたま、父の周りにはほおっておけないという人間が、いてくれる。これだけで人徳のようなきがする。 いとこ夫婦、身障者でありながらもかいがいしく介護する母。私の元同僚とその友人。元フラメンコ教室でレッスンを受けていた方(放射線科の看護士)。高校時代の友人のご主人(耳鼻咽喉科のドクター)今回は相談にのっていただいた。そしてネットのおともだち。職場の同僚。おおげさだけど命に関わるネットワーク。神さまに感謝。命の存在に感謝ふーーーー今日も1日が終わりそう。高校の学期末テスト期間は午後が自由がきく/出張の前に同僚とランチ。新しい中華のお店。けっこう美味しかったわ。また太っちゃいそう。。。。出張は、これほどαー波ののでるお話はないと思った。眠くて眠くて。。。。スーパーの袋にパンパンのお菓子と飲み物をいただいて帰る。多分予算があまったのだろう。お茶菓子代年間16000円と言うのは無駄のようなきがする。もっと子供達に還元できる予算にまわして欲しい。市町村合併もとても身近で平成17年度には私の勤務している3つの町が合併する。司会の校長先生はポロット!!新し市の名前を漏らしてしまった。しーーらない! 私の住んでいる市も3つの小学校が一つになる。これは講師にとって死活問題。教員もあまる時代だろう。茨城に越して来た時は夫の人事課をとおして奥さんで教員免許お持ちだったら講師として働いてくれないだろうか?という回覧板までまわって来た時代はとおに過ぎ去った。4時間6時間の仕事も今ではとても有り難い話となった。とりあえず私は来年の8月まで。さて、、、今日の様子をきこう 実家に電話してみる
Feb 24, 2004
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今でも仲良しの親友がいる。たまに何回かメールをくれる。1時間だけだったけど、お茶をした。彼女はこれからクラス会。何と、同級生が教頭になっていたり、教頭試験に受かった、女子(女子、、、か)ほぉ、、、そんな年なのね。とふたりでぶつぶつ。。。おいしいワッフルを食べながら、、なぜか、釧路では昔からワッフルを扱う喫茶店が多い。高校時代に行っていた(?)喫茶店も今はつぶれたらしいが、紅茶とワッフルがおいしかった。かれこれ20数年前。うふ、、、彼女も癌と戦っている。今は、”カテキン”が効いているらしい。腫瘍マーカーがさがったそうだ。今日の父も調子がいいようだ。ラズベリー味のサプリも効いている?らしい。。修学旅行の引率も3泊4日だけど、、、こんなに早くないと思った。もう、明日帰るんだ。 父と母を残してかえるのは切ない。。。思うと涙がでる。また、調子が悪くなるかも。。。1週間入院が後にされただけでも私としてはほっとしている。残りの放射線14回か。食べられなくなるこの言葉だけが気になる。ビタミンミネラルなどで免疫力をつけても、、、癌細胞も免疫力がつかないのかな?とおもった。リンパ球が5000と教えられた。なんとかあがってほしい。 今日は、階段とおふろ場に手すりをつけてもらった。湯舟に入るときに腰掛けられるような台と、浴槽が深いので一旦足を置ける台を取り付けてもらった。父が、湯船に入り手すりを確認する際、浴槽に両手で体重をかけても体が持ち上がらなかった、かなり筋力が落ちているらしい。本人もショックだったようだけど、一つづつ年老いていく事認めていかねばならない時期だと思う。自他ともに認められたスポーツマンだっただけに現実は厳しいと思う。 同僚から何回も励ましのメールをいただく。ありがたい。
Feb 21, 2004
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癌の代替え療法として,名前だけは聞いた事のある、アガリクス、メシマコブ、カテキン、さめ軟骨、カバのなんとかだけ、??いろいろ。それぞれ、一時的でも、腫瘍マーカーが下がったり、本人の気持が良くなったり、または初期の癌ならなおったり?するらしいけど、納得しなければ行動しない私が、心を開いたのは、液体のミネラルソリューション(MAXIMOL SOLUTIONS)ミネラル、ビタミン。各種酵素などが、キレート化ではなく、フラボ酸の助けで体に吸収されやすいというもの。とにかく”免疫力”と信じて疑わない私は、免疫力を最大にあげたい一心。しっかり飲んでもらう事にしました。最初はいやがりましたよ。ラズベリー味になじみがないので)自然の力を信じています。とにかく、通常より多い量を飲んでもらいました。これは後になって書いている日記なのでこう書けるのですが、熱が上がらなく(微熱はあります)痛みも、あることはあるけど、、なんせ、、本人が元気なのです。(初日は私がいるから、、と皆が言いましたが、それはそれでいい事です。)少しこれでやってみようと思いました。あとは、活性酸素を除去するサプリ等が届くはずです。看病している、母がおいしいと言ってくれたので、”体にあうみたい。。。”と。ちょっと嬉しかった。何かサプリの宣伝みたい。あえて会社名はだしません。私の父に良くても他の人にあうかは別問題なので。 この日は、病院につきそい、耳鼻科の医師から説明を受けました。この病院は、全ての意志の卒業年度をホームページに書いてあるので、、どうも去年卒業か。。。。と思うと。。。駄目ですね。。。私。 ほんとうに心からいとこ夫婦に感謝です。週に4日。父の病院の付き添い。耳鼻科、放射線科、口腔外科と3科にまたがり一日かかってしまう事もあります。お会計、薬病院は一日仕事。行くだけで病気になりそうです。 まだまだ路面が凍っていて、歩くのもままならないのです。関東は10度を超えているのに。春はまだまだです。
Feb 20, 2004
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今日からまた実家へ。朝5時12分のバス。外は真っ暗。羽田に6時20分につく。平日のこの時間相変わらず空港はごった返している。団体旅行が多いようだ。密かな私の羽田の楽しみは1階にあるクロワッサンのおいしいパン屋さん。そこで、朝食。釧路の気温はマイナス16度と予報で言っていた。数字を聞くとびっくりするが北海道の寒さは、体で覚えている。この寒がりの私でもあんがい平気。 飛行機はそんなに揺れなく、乗り物で眠らない私もうとうとしてしまったわ。予定通り釧路に着く。んんんm、この空気、、なつかしい。市内行きのバスに乗り、途中お買い物。玄米、黒砂糖。雑穀、粗塩、ごま、、、、体に良さげなものを次々買い込んだら、、、荷物が重くなってしまった(当たり前)たぶんいとこ夫婦が父を病院に連れて行く時間。急いでタクシーに乗り実家へ。荷物を置いて母と、話してお茶を一口、すぐ市立病院へむかう。ちょうど放射線が終わった時間。医師から、話を聞く。リンパ節自体に放射線は効かないらしい。その周りに転移しないよう20回に分けて治療をおこなうらしい。そのうち、ふつうの食事が出来なくなるのでそのときは入院になるでしょう。。。とのこと。さて、ここでよけいなことを考える私は、なぜ、、西洋医学というのは、先にある危険、不具合をわかりつつも治療を行っていくのか。。ということ。治療しているのは、臓器か、人か、、、、?? 知人に紹介された、サプリメントを試そうと思う。わらにもすがりたい気持ちはわらしかつかめないのか。。。。何もしなくて後悔するよりは、何かをしてみたい。。帰宅後、父はぐったり。熱も少々。いとこと母の間で入院させようとなった。、、、出来るだけ回避させたいと思う。とにかくがんばってほしい。
Feb 19, 2004
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2日休みをいただいて日曜まで帰省。明日朝5時12分のバスで、羽田に向かう(なにげに便利)7時50分の飛行機。介護帰省パス利用なの でANAがつかえないので不便。、、寒いらしい。我が家のちっぽけな庭も、沈丁花がさきだし、春の香をただよわせているというのに。。10時半には実家かな。荷物をおいて市立病院へむかう。明日は外来で、口腔外科と放射線科に父はかかる。もちろんいとこ夫婦が連れていってくれている。それから、、私は放射線科の医師とあう。 放射線は明日で5回目。 実は昨日成田で、、免疫力に関しての本を7冊くらい買い込んだ。~を高める食事、~を高めると全ての病気がなおる。末期癌がなおった!痛みについて。ETC,,,(NAORUなんと表現ちょっと前だったら鼻も引っ掛けないタイトル) 使っていないフードプロセッサーを段ボールにつめて実家に置く。母が使えるといいのだが。。。。 週に1度来てくれるヘルパーさんに、使って欲しいと思って。コーンとか、じゃがいもでも人参でもやわらかくしスープにしてもらって冷凍していただこうかな。。。と。 玄米も少しもって帰ろう。まるで、、民俗の大移動。 次男は金曜から学年末テスト、、大丈夫かな。 今からパッキング。 心ここに非ず状態かも。職場の同僚もがんばってね!!しっかり親孝行して来てね!!。。。と明日の夕方は、ヘルパーさんと、ケアマネージャーさんがいらしてくれる。マネージャーさんとは、今後のことと父の暫定介護の通院補助の打ち合わせを。介護1が頂けたら、訪問介護も依頼したいと考えている。まだまだ、サービス内容を把握していない。 多分こんな日に限ってまた眠れないのよ。元同僚の友人も”笑いが大事だからね”と電話くれたり、なんだかみんなによいしょ!!されて今回は行ってまいります。みんなに勇気づけられると、、、先が明るく見えるもんですね。 なおっちゃうかも!!なんて思っちゃいますもの。。 ではこのままの気持で行ってまいります。
Feb 18, 2004
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授業でやる程度の事ですが、まとめてみました。短時間で打ち込んだので誤字脱字は明日。。画像なども入れたいのですが,,,そのうち、¥¥子供に伝えなければならない現実です。今日の父今日も父の放射線照射後発熱。帰ってから寝込んでいるらしい。見ているほうが辛いと言う。母は、、1日も早く再入院させたいらしい。私は19日の木曜に行く。10時には釧路につける。 放射線を辞めさせたい。 母の願い その前に、医者の言った言葉を思い出す。 放射線を当てておくと死際がきれいです。ある人の意見。それって死に向っているだけじゃない。辞めさせたら?代替え療法を、民間療法を試みたら?私も今回試みたいのは、残された免疫力をなんとか維持させたい。できれば、、、免疫力を高めたい。末期の癌患者に残されている時間を、どう過ごさせたいか?父はどうしたいか?入院は本当に最後でもできる。(とんでもない考えか)ただ、無責任な事はできない。私がいつもいるわけじゃないから。3月26日まで、土日以外、今回の帰省の後、二日しか休めない。なんとかごまかしながら、、、、。医師ともアポはとれたので、良く話し合ってみようと思う。信じるものは救われる。藁にもすがりたい時は藁しかつかめない。。難しい。代替え療法、民間療法、、、。。。 今日のいい事日記
Feb 16, 2004
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健康サイトをうろうろしていたらこのタイトルに目がいった。6つの項目に答えると、自分の余命が計算される。私?後、57年と11か月と21日生きるそうな。。。100歳ですよ。http://www.wakagaeri.com/index.html 若返りドットコム確かに私は、全くたばこは吸わない。お酒は週に2度くらいワインを1杯。空気のきれいなところに住んでいる。アレルギーもない。両親が65歳以下癌、脳、心臓の疾患を患っていない。20年前からサプリメントをとっている。 食事、水に気をつけているが、最近生協の便利なものを買ってしまう事も多々ある。自称何チャッテ健康オタク。だけど、、徹底していない。 ストレスも、先日までピークで、胃の右上ががきりきり痛く、胆石かしら?と思ったけど、父の癌告知のストレスからくるもので、、、今は大丈夫。 運動は、フラメンコとストレッチくらい。ほとんど歩かない。 自分で自分の健康管理ができても100歳までいきたくなーーい。いや、、面白いかも。 きれいでハイカラなおばあちゃんでいましょう。以下、サイトより、、”抗老化医学”ついて。紹介させていただきます。残りは、このページに飛んで下さい。http://www.wakagaeri.com/health/learning/learning_02.htmlあなたは、これまでに、コレステロール値検査や、高脂血症治療薬の投与、マンモグラフィー(乳房X線撮影)検査(*訳註1)、甲状腺, テストステロン、エストロゲン、メラトニン、DHEAなどのホルモン補充療法を受けたことがありますか? そうだとすれば、あなたはすでに抗老化医学を体験していることになります。この医学分野は、加齢に伴う疾患の早期発見、予防そして治癒に基づいています。成人病の90%は、老化という退行性変化にその原因があります。心臓病、ほとんどのガン、成人性糖尿病、脳卒中、高血圧、骨粗鬆症、骨関節症、自己免疫疾患、緑内障、アルツハイマー病などは、いづれもそうです。こうした病気の多くは、早期発見と適切な処置によって、予防することも治療することも可能であり、更には、患者を元通り以上の健康体にすることも可能です。アメリカ抗老化医学アカデミー(A4M)の医師たちは、身体を若返らせて、寿命をのばす技術を開発しました。抗老化医学は、最大限の健康と長寿を目指す最新の臨床医学分野であり、コレステロール値検査やマンモグラフィーだけではなく、他の様々な療法や治療による予防面 での健康管理を重視しています。今、老化や老人病に対する各医療施設の見方も大きく変わりつつあります。以下省略 父の放射線治療 今日始めての治療 午前中5分程度、頚部リンパ節にあてたらしい。 夜電話をしたところ、ひりひりズキズキ痛いらしい。 また切なそうな声になっていた。 その痛みが、放射線によるものなのか。頭痛は、腫瘍のた めなのかわからない。 もしかしたら、再入院で治療を受ける事になるかも。。 ”もう80過ぎてるんだから。。。” 父が寂しく言った。 多分1回目だけど、、くるしいんだろう。。。。 延命 本人はどう思っているのだろう 先日フォーマで元気よくテレビ電話に出ていた父の パワーは今日はない。、 介護申請の結果もまだ。 家に残される母も、週に1度のヘルパーさんの御世話にな る ”話し相手”がとっても今は癒しだと思う 父が退院して来てから母は頑張っていたもの。 。。。。 今日のいいこと日記 また一つ。。。不安ができた。 なるようにしかならない。 また実家に帰る計画をたてよう
Feb 9, 2004
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釧路にいられるのは今日まで。午前中、病院に行き、父のタオルケットを交換。父方のいとこがお見舞いに来てくれた。私よりちょっと年上で、父は頼りにしている(父の弟の息子) 自分はもう長くないからと、遺言だから聞いておきなさい、。。と。自分にもしものことがあったら、連絡してほしい相手のリストを作っておく(主に剣道関係)。剣道仲間に連絡してほしいとのこと。自分の剣道着を、使っていいとのこと。(サイズがあわないと思うけど。。)このいとこは剣道8段。奥さんも剣道2段で娘は高校で剣道をやってこの日全道大会に出場しているといっていた。刑務所に勤め、スキンヘッドでなかなか迫力がある。父の弟はすでに他界されている。白血病だったと思う。 そばで聞いている私は、ちょっと目頭が熱くなったので、ゴミを捨てにいくふりをして、トイレで、顔を直す。 何も言えないですよ。。こんな時そろそろ時間がきて、”がんばってね”、と別れる。(いつもならエレベーターまで送ってくれるのに)途中、看護婦長さんがいらしたので、、お願いしますと。話をしているうち、涙がこぼれて、泣いてしまった。 タイミング悪くそこに父がやってきたので励まされたら、泣けてきた。。と嘘をついてごまかした。 エレベーターのところで、握手をして別れた。 父の手が冷たかった。 12時、いとこ夫婦が迎えにきてくれて、母と4人で空港へ行く。 頼りになるのはいとこしかいないので、よろしくお願いします。と頭を下げ、、。飛行機へ。 別の現実の世界へ戻る。幸い、天候、気流もよく、飛行機は揺れなかった。とても心残り。高校時代の友達のことも心配。 この間職場の同僚などがメールをくれとてもうれしかった。受けた優しさは、返さねば。。。と 思う。 今月また帰る。今度は子供を連れていこうと思う。お風呂で泣いた。 これから釧路の日記をつけていく。忘れないために。 今日のいいこと日記 どんなときも希望を忘れない、、、。 とても大切なこと
Feb 1, 2004
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